運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 59

愛情表現と情愛が混同された時代。いつしか愛情の愛が飢えるような渇愛に変わり、過ぎる愛情は溺愛へと変貌した。最近の愛は、一口に愛と言うが、その愛は薄っらな愛である。忍ぶ愛ではない。


●狂い死に

 私は指定現場の近くまでタクシーを飛ばして乗りつけ、そこから歩いて先回りし、野外舞台や辺りを照らす夜間照明のための水銀街灯を持参した金槌で破壊した。視界を奪う戦場工作である。
 辺りが一瞬闇の世界へと早変わりした。闇夜にする必要があったからである。そして野外舞台の影の見える木の生
(お)い茂る木陰から奴らを迎え撃つ事にした。
 奴らは、これにまんまと引っかかった。予想通りであった。警戒していたためか、奴らは集団であった。能
(よ)く見えないが、目算で三十人前後は居るだろうか。
 三台の小型ダンプカーの荷台に載って、指定した公園に数十人の群れでやって来たのだった。しかしこれが奴らの全てではなかった。総兵力の半数にも満たなかった。本隊と別働隊を二分しているのかも知れない。おそらく二面作戦だろう。二方向から獰猛な肉食獣と化し、容赦のない攻撃を仕掛けてくるだろう。

 私は用意周到であった。服装にも気を配った。この日は蒸し暑い夜であった。しかし衣服は出来るだけ肌を露
(あらわ)にしないものにした。厚手の黒っぽい長袖のシャツや長袖のジャケットを羽織り、ズボンは動きやすい鳶(とび)職人が履く冬物のニッカーボッカーズにした。
 靴は底の厚いトレッキング用のキャラバン・シューズを履いた。足回りの確保である。靴下は膝まである登山用のロングソックスである。色は目立たないように、全て上から下まで黒尽くめである。確
(しっか)りと足場を固め、何よりも軽快に動けることが肝心である。機動性に心掛けた。
 ズボンのベルトに、片方が先の尖
(とが)った金槌を差し込み、ポケットにはガラスの粉が混じった砂袋を用意した。砂袋は目潰しの為に使う予定であった。そのために、防眼用のゴーグルも用意していた。
 愈々
(いよ‐いよ)奴らに、武術家が暴力に屈しない、天下を呑(の)む心意気を思い知らせねばならない。そう肚(はら)を据(す)え、自らを励ました。

 戦いは非情なものである。
 非情の現実の中にこそ、武術家の無分別で、しかも新鮮な行動がある。したがって時間が経ち、自らの心境に分別が生まれたり、そこに躊躇
(ちゅうちょ)が伴った場合は手遅れとなる。何よりも大事なことは、敵の攻撃の第一打に持ち堪(こた)えるということだ。即ち、一発喰らっても、それだけで怯(ひる)まない肚が必要なのである。一打を喰らって持ち堪えれば、二打にも堪えられる。容易に崩れない。
 歴史上の過去の戦い方を見てみると、敵の第一打の攻撃を持ち堪
(こた)えることができずに、その恐怖心の余り、全軍が蜘蛛(くも)の子を散らすように崩壊したり、味方の足音を、敵の総攻撃の足音と勘違いして敗走している。寔に、お粗末な行動をしている愚行が、歴史の随所で見受けられる。
 《命の惜
(お)しい者は、自らの命を失う》という心理戦の戒めが、歴史には書かれている。

 それを深く洞察し、同じ轍
(てつ)を二度と踏まないために、その奥に秘められた藕糸(ぐうし)の部分を読み取らなければならない。そもそも戦いというものは、敵の攻撃に対して、それに反応しながら、後手を取って動こうとするものない。敵の動きを、自らの勘(かん)と経験によって洞察し、敵の動き以上に、早く打って出なければならない。受け身では手遅れになる。それを回避するのが、「先(せん)の先」である。
 会津示現流の先
(せん)の先は、「当身技」であり、更に「入身(いりみ)」である。誘導するために、先んじて動くのである。

 これには「捌き」と言うものがない。敵の起勢をその動き事前にキャッチし、即座に読み取って、その動きが起こる前に技をかける技法を、「入身」という。この入身を成したものが、「絶妙剣
(ぜっみょう‐けん)」の極意である。当て身を食らわし、敵の中に逸(いち)早く飛び込むことこそ、入身の極意なのだ。
 逆に、これと相反する護身術のような武技は捌きを中心に受け身的な対処法を行う。だが、それでは遅い。手遅れだ。敵の攻撃を俟って、敵が自らの懐
(ふところ)深くに入り込んでから慌(あわ)てて行動を起こすようでは遅い。気付いたときには手遅である。後手では勝機が逃げる。
 「後の先」などというが、この「先」は滅多に恵まれるものでない。恵まれたとして、それは奇蹟に近いものだろう。人間が最初の第一打で、持ち堪えられるか否かで、その後の勝敗が決してしまうものなのである。
 したがって、何よりも観察眼が必要になる。つまり集団の中でも、中心人物は誰かという目標を一番最初に見つけ出すことである。腕力に任せて、誰でも彼でもは、まさに《暴虎馮河》なのである。

 孔子は弟子の子路の勇気を暴虎馮河と指弾した。
 「勇を好みて学をこの好まざれば、その弊は乱」
 勇ましいことが、やたら好きで、学問の心得がない。こういう人間は秩序を乱すもので、必ず弊害が出ると説いたのである。そして孔子は、愛弟子・子路の勇気を暴虎馮河と厳しく指弾し、虎と素手で格闘し、徒歩で大河を渡るような者は、「その弊は乱」と戒め、「事に臨んで懼
(おそ)れ、謀を好んで成る」ことを学んでこそ真の勇気だと諭したのである。
 学んで知らねば、その勇気は蛮勇でしか過ぎない。両者は、ここが大きく違うのである。知ることと、行うことは一体である。強気一点張りで、学問による反省がないと、そこから生まれて来るものは、「狂」という弊害が出れくる。この「狂」は解釈に二通りあるが、例えば日本が大東亜戦争に突入した時の戦争指導が、まさに狂であり、いわば狂態であった。
 更に今ひとつは、『葉隠』で言う、死に狂いの「狂」である。同じ時を用いても、その意味のすることは異なる。つまり、「狂」に反省や節度がなければ、前者の狂となり、それがあれば後者の狂となる。
 「松子サヤン」の暗号情報から、その弊は乱を解読し、また狂からの戒めを解読した。暗号はただ字面だけをおっても、その真意の意味するところはなかなか読み解けない。これを知るには、『孫子の兵法』で言う藕糸という眼に見えない隠れた部分を洞察しなければ分からないことである。隠れ部分の有機生命体としての繋がりの形態を洞察するのである。
 勝利の女神は、なぜか微笑みかけているように思えた。
 勝てる……。自己暗示である。勝つと決まった者が、負ける訳はない。肚が据わった。これで何とか解決の目処
(めど)が樹(た)ちそうだった。
 辺りは異様さが深まった気がした。生臭い血のようなものが漂い始めた。それは刃か……。

 日本刀、短刀、猟銃、拳銃などを持って集結した連中は、一般に怕
(こわ)いと思われている。しかしこれは実戦を知らない素人考えの不安心や恐怖心であり、仮に彼らが、これらを駆使して攻撃を加え、その第一打が躰(からだ)を掠(かす)めたとしても、それを持ちこたえるだけの「不屈の精神」があれば、これを殊更(ことさら)恐れる必要はない。彼等だって、命は惜しいし、その実は恐ろしいのである。
 過去の歴史から、日本刀の操作が、如何に難しいか、よく知っていた。剣道上手でも、実際に斬り合うと、そうでもない連中が多い。必ずしも刀法に優れているとはいえない。近代剣道と激剣の違いは此処にある。近代剣道では斬撃が難しいのである。それは、近代剣道に「斬り覚える業
(わざ)」が無いからとも言える。

 彼
(か)の『2・26事件』を誘因し、統制派の軍務局長・永田鉄山(ながた‐てつざん)少将を斬殺した『相沢事件』【註】皇道派の相沢三郎陸軍中佐が、昭和10年(1935)8月、陸軍省内で軍務局長永田鉄山少将を斬殺した事件。この事件は後の2.26事件へと繋がる)の首謀者の相沢中佐ですら、剣道五段【註】この当時の剣道五段は最高段位であり、今の八段か九段の高段位に匹敵する。更に軍人は激剣抜刀術の実戦経験を持っていた)の達人的な腕を持ちながら、永田鉄山を一之太刀で、一撃で斬殺することは出来なかった。

永田鉄山少将を斬殺した皇道派の、相沢三郎陸軍中佐(陸軍幼年学校を経て、陸士第二十二期卒)。事件当時の昭和10年8月、相沢中佐は広島県福山歩兵第四十一聯隊(れんたい)付から、台湾歩兵第一聯隊へ転任の辞令を受けたところだった。 相沢中佐に斬殺された、陸軍省務局長・永田鉄山陸軍少将。永田は陸士第十六期を恩賜おんし/トップの意で、天皇から恩賜賞賜る)で卒業し、陸大では二番と言う成績で卒業し、エリート中のエリートであった。また統制派のリーダーでもあった。


サーベル造りの軍刀と半太刀造りの軍刀

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 当時の日本陸軍の軍装の一つであった軍刀を腰に吊るという考え方は、これまでの軍隊には殆ど無く、既に欧米でも、サーベルを吊って、軍陣が歩くなどのファッションは古いものになっていた。
 ところが日本軍は、これを退け、武士の象徴であった日本刀に異常なまでの軍陣の拠
(よ)り所として、「刀」と言う前近代的な物を武器として遣おうとした。これは世界の軍隊の中で、あまり例のなかったことであった。

 さて、軍刀を見てみると、相沢事件当時は、日本軍の軍刀は半太刀
(はん‐だち)造りの軍刀ではなかった。これが昭和13年(実質は昭和8年に吊環の二つ物が登場しているが)以降、半太刀造りの軍刀に制定される。
 相沢事件当時を振り返ると、軍人の多くはサーベル造りを使用していた。
 しかしサーベル造りの軍刀であったとしても、儀礼用の西洋式の銅にメッキしたサーベルではなく、刀身は日本刀を仕込んでいた。したがって武器としては、当時最高のものであったが、それでも一刀の下
(もと)に斬り据えられなかった。達人が操作してこれであるのだから、武術には縁のない素人風情の暴力団員が、一撃の下に斬り据えて、相手を即死させることは不可能といわねばならない。ただし集団で袋叩きにされ、膾(なます)斬りにされれば別だが……。

 日本刀は「刀法」を学ばねば媒体を切断することは出来ない。術者の操法が「妙」でなければ斬れるわけがなく、また拳銃にしても、射撃を熟練しておかねばならない。更に弾倉
(だんそう)式の自動拳銃では、一発の不発弾があるだけで第二弾が発射できなくなる。その場合の熟知がいる。
 また回転式の蓮根拳銃
(リボルバー)にしても、38口径以下の物であれば、5m以内の至近距離からでは当たる確率は大きいが、10mから15mくらい離れた距離を保っていれば、そう簡単に、心臓やその他の急所等に命中するものではない。
 況
(ま)して、これが東南アジア製のコピー拳銃であれば、その威力は更に半減し、モデルガン等の改造拳銃であれば、威力は実際の拳銃に比べて、「十分の一以下」程度である。

 当時の改造拳銃は二発以上発射すると、撃鉄部
(げきてつ‐ぶ)や雷管(らいかん)が、弾を包んだ薬莢(やっきょう)の火薬で破壊され暴発する欠点を持っていた。つまり遣う側にも危険が伴う。
 これらの安全度を少しでも高めるために、薬莢
の火薬の量を減らすことを考えついたが、これでは飛距離がでなかった。そうだとすれば、使い物にならない筈(はず)である。また万一これらが使われ、仮に躰の一部に当たっても、その苦痛に耐え、したたかに、次の攻撃の機会を窺(うかが)い、冷静沈着に判断する気魄(きはく)があれば、敵がどのような命知らずでも、不安や恐怖は如何程も起こらないものである。
 寧
(むし)ろ、こんな暗闇(くらやみ)での夜戦で、本当に怕(こわ)いのは、赤外線スコープを付けた狙撃兵の持つ狙撃銃である。しかしこれが、今回ここで用いられているとは思えなかった。何故ならば、あくまで、これは金の引渡であったからだ。これらを戦略的に総合判断して、この結論に至るまでの経過は、その実戦においての知識と、経験に通じていなければ下せる筈がないことは言うまでもない。
 また、反骨精神と気魄
(きはく)ある者に対して、如何に根性の坐った者でも、安易に攻撃を仕掛け、自らも手痛い手傷を追ってまで勝負に挑む愚か者はいない筈である。
 即ち、鍛え抜かれた気魄を持った者は、ある意味で、これらの挑戦者を安易に寄せつけないのである。これを「不屈の精神」と言う。
 この不屈の精神とは、とりもなおさず、熟知した技量をバックボーに、身に付けた「武士道」といわれるものであり、武術家の行動基盤は、実に此処にある。
 不屈の精神を忘れたり、それが養成できなかった者は、惨めな負け方をして、敵に屈するか、嬲
(なぶ)りものにされて、生き恥をかく。そのためには日頃の決心と、熟知した伎倆(ぎょりう)が必要なのである。すなわち闘志である。

 かつて薩摩示現流
(さつま‐じげん‐りゅう)の玉砕(ぎょくさい)の気魄(きはく)を培った桐野利秋きりの‐としあき/中村半次郎)は、「男子たる者は絶対にへこたれてはならぬ。銃があれば銃で戦い、銃が破損したら刀で戦い、刀が折れたら素手で戦い、腕を失ったら歯で戦い、生命が取られたら魂で戦うのだ」と、武人の戦い方を見事に言いのけている。意気が屈撓(くっとう)したら、武人としては失格である。
 現代人は、余りにも豊かになり過ぎた生活の中で、便利さと快適さだけを追いかけた結果、このような魂の根源であった「昂然
(こうぜん)たる真理」を忘れ去っているのである。
 だから窮地
(きゅうち)に陥っては、泣き言(ごと)を言い、難局に当たっては、逃げ腰になる。そして苦戦することを、何よりも恐れ、嫌うのである。

 陽明学の祖、王陽明は苦戦し窮地に陥って、難問を抱えることこそ、人生最大の修行であり、これを《事上磨練
(じじょう‐まれん)》といって、人生修行の最大のテーマとして掲げている。窮地に立たされて、それを乗り越えた時の人間的進化である。人はピンチを潜り抜けて、ひと回りもふた回りも進化する。
 則ち、人間は何事も恐れず、不正な暴力にも屈することなく、昂然と難局に立ち向かい、その一つ一つを解決していくことが、真の人生修行と云っているのである。
 だが法治国家である日本は、種々の軽武器を不正に隠し持つ連中を殊更
(ことさら)(こわ)がり、それに恐怖を抱く。そしてその暴力を避けそこなうと、致命的な傷を追うのではないかと、ありもしない妄想に取り憑かれ、それを本当に怖いと思い込んでいる。ややともすると、武術家までが逃げ腰になる。
 では、なぜ天敵のように恐れなければならないのか。

 多くの場合、見かけ上は傲慢
(ごうまん)な人間であっても、ある種の威圧を受けたり、脅迫(きょうはく)を受けると、これに悩み、不安や恐怖を感じて、弱腰になり易い。
 更に暴力が加えられると、人間は往々にして怯
(ひる)む。最後は無条件で屈することが多い。
 それは「誇り」という観念が失われているからだ。誇りがなければ、人格は崩壊したのも同然である。
 「魂の絶叫
(ぜっしょう)」に欠け、戦うことを忘れた者は、戦わずして奴らの軍門に降り、無慙(むざん)な敗北の醜態を曝(さらす)すのである。したがって、毅然(きぜん)なる態度の裏付けは何と言っても人間の誇りなのである。先手必勝を信じ、「先(せん)の先」で行くことを心に念じ、深く意念に留め、夜陰(やいん)に乗じて音もなく、息を殺して奴らに忍び寄った。あたかも黒豹の如くである。
 金槌は警察官の持っている警棒
(けいぼう)のように柄手(つかて)の上の部分に小さな穴を開け、警棒紐と同じような皮の拠(よ)り編みした紐(ひも)を通し、手から離れないように手頸(てくび)に巻き付けて握った。これで準備は万端であった。
 私は思っていた。決して軍門には下るまいと……。
 刺し違える気概である。そして私自身も、死ぬだけのことだと……。
 采
(さい)は投げられた。もう後戻り出来ない。
 人間、死ぬ時には、どんなに防禦
(ぼうぎょ)を固くしても、「死ぬんだ」という開き直りに似た心境に転じていた。死ぬ時には、どう足掻(あが)いてみたところで、死ぬのである。それならば、いっそのこと、華々しく思い切って戦い、生死を賭(と)して「負けない境地」をつくることではないか……。そんな気持ちが支配していた。

 突然、草木の匂いが、辺りから消えた。

 (来た!)私はそう思った。それと同時に、空気の動くのを幽(かす)かに感じた。こうした空気の動きを「風(ふう)」という。そして、「風(ふう)」とは風(かぜ)でなく、空気が少しずつ、何かを運んでくる、その微かな動向を知らせる予兆となるものが、つまり「風」なのである。
 何処からともなく、遠くで微
(かす)かなエンジンの音がした。
 「来た!」私は心の中でそう思った。それは聴覚以外の、「風」が知らせたものであった。
 その「風」の震動から、微かに敵の浮き上がった、喧嘩祭りのような傲慢
(ごうまん)が伝わって来る。あるいは驕慢(きょうまん)かもしれない。驕(おご)り高ぶり、人を侮(あなど)っている様子が微(かす)かに響いて来る。そんな登場を、奴らは企てているのだ。侮(あなど)りの最たるものであろう。
 百練百勝の、強者の武勇などは、弱者が目論む智慧
(ちえ)には遠く及ばないのである。ただ力のみで押し潰そうとする傲慢でも、智慧の前には遠く及ばないのだ。

 暫
(しばら)くすると、奴等は三台の4トン程度の小型ダンプの荷台に分乗してやって来た。
 奴らは愚かにも、4トントラックの荷台で、「わっしょい!わっしょい!」と気勢を上げている。戦争というより、祭り気分である。勝利気分に酔い痴
(し)れている。酒でも喰(く)らっているのであろう。
 これとて、私の諜報活動から得たデータによると、単に任侠
(にんきょう)の世界で、徒党(ととう)を組んだ戦い方を知らない“烏合(うごう)の衆(しゅう)”である筈(はず)であった。奴等に兵士としての規律も統制もない筈だ。何人居ようが、恐れるに足りない。闇夜は私に味方していた。
 公園内にある野外舞台を遠巻きにしながら、奴等の凡
(おおよ)その人数と、誰の指揮で動いているのかを見極めようとしていた。
 勿論、闇夜で見える筈はないが、人の息遣
(いき‐づか)いと、微かな熱気から来る気配で、粗密(そみつ)の区別くらいは付くものである。また夜戦では、聴覚が最大の武器となる。聴覚を失ったら最期なのだ。生きて戻れることは、まずない。夜戦では、夜目が利く以上に、聴覚がものを言う。
 夜戦を経験したことのある者は、音は立てることが無い。虫の動きすらも聴き逃すまいと、全神経を集中するのである。それなのにトラックで駆け付けた奴等は、気勢などを上げて、まるでお祭り騒ぎでは無いか。

 私はゴーグルをはめた。ひと呼吸して、躍
(おど)り出るための機会を窺(うかが)った。私の決心に躊躇(ためらい)いはなかった。
 照明は、既に破壊してある。
 辺りは物音一つしない静寂な闇
(やみ)一色であった。奴らは、いっも照らされている照明が消えているので不信に思う者がいたであろうが、それを考えさせないうちに奴らが到着した途端(とたん)、一挙(いっきょ)に狂暴を以て、その集団の中に突如暴れ込んだのである。闇の中を突き切った。
 如何に群れをなした集団であっても、粗
(そ)なる処と、密(みつ)なる処が出来る。私は見当をつけて、粗なる処に一気に暴れ込んだ。
 心理戦での戦略構想は、敵全体を相手にすることではない。ほんの一部の、“粗”なる部分を相手にし、疑心暗鬼
(ぎしん‐あんき)に陥れさえすればそれで良いのである。
 恐怖心を煽
(あお)り立てて、不安を掻(か)き立たせ、これを掻き回せばいいのである。
 恐怖心は、やがて冷静さを見失わさせ、正確な状況判断ができなくなって、自ら自滅するのである。私は今までの経験から、そう信じていた。

 最初の一撃は、奴らに恐怖心を植えつけたようだ。敵と見ると見境なく、金槌で奴等の頭を叩いていった。命は端
(はな)から無いものと諦め、死に狂いするような狂乱に乱舞し、無分別になることで、一縷(いちる)の生への望みを微(かす)かに繋(つな)ぎ止めていた。闇夜での対決は、こうして始まったのである。
 夜陰に乗じ、闇を裂
(さ)いての不意打ち攻撃に、奴らは動転したようだ。
 これによって奴等の誰もが、神経過敏になっている様子であった。それは奴らの息遣いから確認された。この集団は、局部的に一体何が起こったのか、その実情を掴
(つか)み切れずにいた。奴らは突然のことで冷静さを失い、浮き足たっているらしい。こちらも徒党(ととう)を組んだ戦闘集団と思っているようだ。
 そう思い込んだ奴等の心理的落差は、大きいものと思われた。
 奴らの多くは平時
(へいじ)には、傲慢(ごうまん)で高飛車で、狼のような肉食獣の態度を執る事があるが、一旦戦時(せんじ)に舞台が早変わりすると、敏感に恐怖に反応する兎(うさぎ)のような臆病になるらしい。兎も狼も、同じ肉の体細胞から出来ているためだ。
 暗がりでの出来事は、奴らを掻
(か)き回し、混乱させるには十分な威力があった。
 後を追わせて目潰しを食らわせ、次に迷路に誘い込むという作戦だった。奴らはこの作戦にまんまと引っかかった。
 これを敢えて言うならば、引っ掛かったというより、奴ら自身が戦場の戦い方を知らなかったといってよいだろう。員数ばかりで、数に物を言わせた徒
(いたずら)な人海(じんかい)戦術であった。戦闘員として、組織的に全く訓練されていなかった。喧嘩も祭りも同じようなものなのだろう。単に、赭(あか)ら顔で興奮しているのだろう。その興奮振りが伝わって来る。

 暴力団とは名ばかりで、プロの戦争屋ではない。今では戦争屋と言うより威嚇の話術師である。この威嚇において能力を発揮する。いわば戦術を展開する、戦闘員としてはズブの素人である。その証拠に戦闘服を着ている者より、半袖の普段着か、ダボシャツを着ている者までいた。
 奴らは、私との取り引きが決裂
(けつれつ)し、こういう戦闘になることを全く予想していなかったとしか思われないような出(い)で立ちであった。これだけ考えてみても、奴等は戦闘の素人であった。

 戦いの出
(い)で立ちとして、半袖や上半身裸は禁物である。
 あれは映画の世界だけである。上着でも、シャツでも、道衣でも、素人は暑いからという理由で、やたらと袖を捲
(まく)りたがる。あるいは袖無しを着たがる。また映画の見過ぎで、『コマンド』や『ランボー』のように、上半身裸になりたがる。これこそまさに愚行なのだ。
 夜戦において、いくら蒸し暑いからといって、半袖を着たり、短パンを履いたり、腕捲りをするのは、本当の戦い方を知らない人間のすることだ。
 また格闘技にも、上半身裸で闘ったり、袖の無い道衣で格闘する格闘技があるが、あれはあくまで平坦な試合場か、リンクの中での闘い方で、然
(しか)も一対一の審判員(ジャッジ)付きである。
 二次元平面の試合場で、こうした格闘に、“裸”や“袖無し”は通用するが、実戦には全くこうした服装は不適当である。ここに実戦と試合の違いがある。
 そしてこれらの人間は、素肌を出すという、本当の危険性に全く気付いていないのだ。
 私は奴らを見て、「敵は既に敗れたり」と、心の裡
(うち)で思った。

 奴らにしてみれば、白昼半ば、合法的に行われる恐喝
(きょうかつ)と、夜戦での非合法的な戦いとは、大分勝手が違うようだ。
 奴らにとって、非日常的な現状は、容易に想像がつかないものであるらしい。この場の地形に慣れない奴等は、私に操
(あやつ)られて、徒(いたずら)に迷路を進む恰好となった。好き勝手に、私から掻き回されたという衝撃が大きかったようだ。
 これによって奴等の戦意は、大方、喪失したように思われた。何もかも計算通りだった。
 しかし、それにしても戦闘訓練の経験のない素人が夜戦をやると、結果はこうだ、という典型的なものであった。もし、奴らが少しでも小部隊的に編成されて組織化し、戦闘訓練を受けていたとしたら、私の作戦も、こうは計算通りに行かなかったであろう。
 そして悟るものがあった。それは狂暴な「野獣性」である。
 今まで求めていたものは野獣性であった。それが此処に来て、分かったのである。野獣性こそ、私の悟り得た「無分別」の別名であった。一閃
(いっせん)の光と化した無分別の野獣は、雷光(らいこう)のように、奴等の前に浴びせかけ、奇襲攻撃を以て敵陣に躍(おど)り出たのである。

 『葉隠』
(聞書第1・114)には、次のようにある。
 「武士道は死に狂いである。一人の人間を殺すのに数十人掛かっても手に余るものだ」と、鍋島直茂
(なべしま‐なおしげ)公に言ったことが聞書されている。
 狂……。死に狂いと化した人間を倒すのに、素手やナイフでは容易に殺せないことが証明されている。度胸と剛胆
(ごうたん)さで気違いになって死に狂えば、その威力が絶大になることを述べている。

 奴やはこの出来事の確信に、事態を把握
(はあく)出来ないまま翻弄(ほんろう)されているのであった。
 奴らは恐れているのだ。自分の蛇影
(だえい)の蔭(かげ)に脅(おび)えているのだ。自分の蔭を敵の蔭と見間違えて、疑心暗鬼に陥っているのだ。
 やがて味方の集団を敵と思い込み、双方の敵味方を確認しない儘、各々の箇所で怒濤
(どとう)のように逆巻いて、刃物で斬り合う同士討ちが始まった。自分で自分の蔭(かげ)を斬りつけ、ついには自分自身までを葬り去ってしまうような、愚かな行動を始め出した。これから見ても、今夜の闇夜は私に味方していた。

 如何に裟婆
(しゃば)とムショ(刑務所)を行き来して、根性が据わった奴等でも、暗闇の中で、何処から、誰が掻き回しているか、その実情を掴み切れないでいる間は、不安の中で臆病風に吹かれるらしい。臆病風に取る疲れると、そう簡単には消えない。
 闇夜での対決が、一層これに拍車をかけているらしい。今が攪乱のチャンスであった。
 戦いは戦闘力のみを行使するものだと考えられがちだが、小が大を倒すには、正面きっての正攻法では、どうにもならない。
 戦略的には、巧妙な心理作戦に出ない以上勝てるわけがない。攪乱がいるのである。極力こちらの消耗を最小限に食い止め、然
(しか)も敵には多大な損害を与えるのは、心理戦の齎(もたら)す大きな意力である。疑心暗鬼が齎す自己恐怖である。
 人間の心理状態を巧みに読み、大旨
(おおむね)の人間が陥る《誰しも戦う前には臆病風に吹かれるものだ》という、不安状態を認識していなければならない。疑心が起こると、あるもしない影に驚く。何でもない事まで疑わしくなる。恐れるからである。臆病風はここに巣食う。
 もし、自らがそうであれば、必ず敵もそのような状態に陥っている筈である。
 幾ら残忍極まる暴力団と雖
(いえど)も、一個の人間としては、命が惜しい筈である。もし、そんな状態に陥らない者がいるとすれば、その者は単細胞の頭脳の持ち主か、あるいは既にシャブ等で、頭がいかれている人間で、単に馬力と勢いはあるが、冷静さがないので、寧(むし)ろこれらの者は恐れるに足りないのである。制御不能になった者は、何処からの命令系統も従わないからだ。
 逆に、血に狂った錯乱状態になれば、敵も味方も分からなくなり、寧ろ掻き回せば、掻き回す程、同士討ちに陥り易い。誘導すれば、これらの人間は、味方の一部として逆利用できるのである。
 このように、行動弁証法的に考えていくと、何も恐れるものはなかった。それは恐ろしい等と、感じている閑
(ひま)がなかったと言った方が正しいかも知れない。私の計算した「先の先」は、功(こう)を奏(そう)したようであった。

 総てが秩序のない破壊に向かって動き出していた。
 闇の世界には、秩序などない。無分別で無差別で、漆黒の闇があるだけである。ここには筋道もなく、物事の条理もなかった。況
(ま)して安寧(あんねい)などある筈がない。あるのは不条理だけだけである。理不尽が辺りを支配していた。
 私は風を読んでいた。呼吸を読んでいた。そして、最初に暗闇から躍
(おど)り出た際に、奴等の呼吸を読み取ったのである。
 まさに今だった。
 微妙に伝わる恐怖の息遣いを感じ取ったのである。私の呼吸が上がっていないのに比べ、奴等の呼吸は実に荒々しかった。気持ちの上では、「此処で死んでもいい」という命を捨てた肚
(はら)が出来上がっていた。その肚が、私を沈着冷静(ちんちゃく‐れいせい)にさせたのであろう。
 したがって躰
(からだ)を動かし、その動かし方が功を奏して、奴らの軽率な戦い方の盲点を的確に掴んでいたと言える。既に、命はないものと看做(みな)している私に対し、奴らは生きたい、死ぬのが怕(こわ)い、という恐怖感が、心の片隅にあったと思われる。人は、生に固執したとき臆病が疾る。
 それは人間である以上当然であり、この世は最初から生きる事を前提として、全てのことが運ばれているのであるから、当然と言えば当然の事であるが、逆にそれが足枷
(あしかせ)となり、心も、躰(からだ)も無駄な緊張を招くものである。こうした場合の緊張は、多くは混乱である。前後の見境がなくなる。
 そして不安感から息遣いが、必要以上に荒くなるのである。ややともすると、それが蛮行となる。私はそれに付け込み、そうなるであろうことを冷静に読み取っていたのである。

 真の勇気とは、窮地
(きゅうち)の只中にあっても、恐怖心を克服することである。そこに活路があり、生きる突破口ができるのである。
 私は集団から囲まれないように、常に、敵と一対一となるよう、後を追わせながら、振り向き態
(ざま)に確実に追ってきた者に、砂の目潰しを食らわし、次々に頭を金槌で叩きつけた。
 「振り向き態」というのは、『居掛之術
(いかけ‐の‐じゅつ)』でいう蔭(かげ)を打つ儀法(ぎほう)である。不意を言う。見えないところから「打」が出て来る。不意である。
 敵に、吾
(わ)が後を負わせ、敵は吾(われ)を影とも知らず、追い掛けて来る。それを振り向き態(ざま)で打つ。打を浴びせる。
 これを居掛之術では「狂」という。
 「狂」とは、狂人とか狂うということでない。尋常でない、あるいは常人の行為でない事を指す。ゆえに「狂」という。
 則
(すなわ)ち、一種の予期しない意表を突くのである。それは正面対峙(たいじ)を斜め横にズラし、躱(かわ)すからである。45度の角度で体を開き、あるいは閉じる。そのような足捌きをする。自然体45度構えから発現するものである。
 つまり、敵は吾が影が「虚」と知らずに追い掛けているのである。しかし振り向き態は怕
(こわ)い。それだけに疑心暗鬼になり易い。そして充分に追い付き、「虚」に迫らんとした時、「実」の正体を現し、振り向き態に恐怖を浴びせ掛けるのである。
 「虚」に深入りをさせ、深入りして来たところに「実」を浴びせ掛けるのである。
 深入りする者は、「虚」の蔭に「実」が隠れているのを知らないのである。これは本当の夜戦での戦い方を知らない、未熟から出た愚行であろう。

 奴らはこの突拍子もない獰猛
(どうもう)な攻撃に怖(お)じ気(け)付いたらしい。況(ま)して闇夜の出来事であれば、尚更(なおさら)であろう。奴等も人間なのである。平静を大いに失っていた。平静を失えば、人間の心に蔭を宿すものは恐怖である。恐怖に取り憑(つ)かれ、動きがぎこちなくなるのである。
 人間の生存本能である、生きたいが為に、死を恐れると言う弱点を、いま私は充分に熟知していた。但し、この場だけではあるが……。
 そして暗闇での状況は、多勢に無勢であり、総掛かりであるが、山村師範から教えてもらった『百人の敵の教え』の敵を「一つ」にするという動きだった。攪乱し、集団を個にする。

 こちらが同じ場所にじっとしていたら、直ぐに殺
(や)られてしまうのである。常に動き回って、「間合」を稼がなければならない。そしてこの時、実戦を通じて分かったことは、幾ら百人の敵を「一つ」にしたとしても、百人の敵の「百」が常に頭に入っていなければならないと云うことだった。百の敵を「一つ」にしようとしてミクロ的に考えても、それに囚われれば全体の状況判断が出来なくなる。ミクロで捉えながら、その一方で対極的にはマクロの戦局が把握できていなければならないのである。
 この時、山村師範の「秘訣」といって、その答えを渋ったが、この場でやっと解ったのであった。
 つまり、「一つ」にするミクロと、大局を念頭に置くマクロは、“見ていて見ぬ働き”と“見ないで見ている働き”の両者が存在していなければならないのであった。
 私は戦いながら、山村師範が実戦を通じて、この意味を教えようとしたところを理解したのだった。
 そして両者の組み合せは、実は囲まれた八人の敵だけを相手にしているのではなく、戦いながら「血路を開いて抜け出る」ことを教えられたのある。常に八人だけを相手にしても、血路は開けない。開いてそこから抜け出せることが肝心なのだ。その要
(かなめ)は、「足」である。動きを止めずに走れる足であった。
 大局を見渡せば、戦いながら血路を開かねばならないと言う事が分かって来る。当面の八人を相手にしながら、不断に全体像を把握しておかねればならないのである。動きの中から、血路を見い出して行くように、わが身も同時に動かして行かねばならないのである。少しでも動きを止めたら、それまでだ。始終動き、立ち止まってはならない。少しでも立ち止まれば、即座に八人に囲まれ、やがては百人に囲まれて袋叩きにされ、殺されるだろう。
 機を見て、ひらりひらりと躱し、囲みを脱して、抜け出して行くことが大事なのである。


 ─────戦い始めて数分が過ぎたが、戦況は私に有利に働いていた。
 故事
(こじ)によれば、兵を悩まし疲れさせるのは、古くからの兵法家の「詭道(きどう)・奇策」とするところである。これが「奇手きて/「きしゅ」とも。奇妙で怪しい手段を用いること)」の所以(ゆえん)である。この場合、小が大を制するには、奇抜な手段が必要なのだ。正攻法では駄目なのである。
 不意打ちと、性急からくる魔の手である。
 疑心暗鬼の心理作戦は、まず奴らの動きを封じることだった。不意打ちにより、混乱を来たし、然
(しか)も用兵(戦いで軍隊を動かすこと)は拙劣(せつれつ)で、誰もが浮き足たっているように思えた。
 そして命を捨てて戦う戦法は、凄
(すさま)じいものがあった。狂い死にである。

 叩きつけた者が、再び後を追ってこれないように足払いを掛けて、その場に投げた。投げられたその殆どは頭から地面に叩き付けて斃
(たお)れた。
 砂とガラスの粉
(こな)を混ぜた目潰しは、実に効果的であった。 この集団の中に、目潰しを持っている敵方は、私以外には存在せず、砂が奴らの周囲でばら撒かれる度に、味方を私と間違えて、見境なく盲(めくら)滅法(めっぽう)に斬りつけるのである。統制など執(と)れていない。自滅の一途にある烏合の衆であった。そのうえ全体を動かすリーダーと思(おぼ)しき統率者は居(お)らず、優れた夜戦の能力を持つ者も、指令を出す者も居なかった。
 勢力を組織して機能するには、それなりの戦闘思想がいる。単に盲滅法では、目的が達成されない。発散する暴挙では、大した成果は上がらない。 そして夜戦は、白昼とは別の恐ろしさを持つ。
 臨戦態勢が慌ただしくなれば、肉体的な緊張にも増して、言葉を無力にしてしまうのである。 大勢で闇の中を蠢
(うごめ)くことは、疑心暗鬼が拡大され、恐怖が増幅されるからである。まさに自滅のコースだった。
 私は薮の中を匍匐
(ほふく)前進続けていた。闇夜を沈着な匍匐で進んでいた。
 昼間描いた地形図を頭に叩き込み、脳裡には方角を示す磁石も詰め込んでいた。眼を瞑っても方角を見失うことはなかった。 現実的には事態の好転を望めるような状況ではなかったが、私は私なりの算段があった。

 時々、隙
(すき)を見計らって、別の場所に陣取っていると思われる奴らの潜(ひそ)んだ場所に、石を拾って投げつけてやった。その落下する石の音を聞いただけで、私の居ない一部の場所では、声を張り上げて同士討ちが行われていた。それ自体が酷くお粗末な醜態だった。これはもうお祭り騒ぎではなかった。また、お祭りの余興と云うものでもなかった。ある種の魔術に掛かったような感じであった。夜目の利く私は、その一部始終を見ていた。
 奴らは私から完全に呑まれていた。わが方が一人ではなく、集団だと思っているのである。闇夜の心理戦は見事に成功した。その原因の一つとして、奴らが夜戦での訓練を受けておらず、戦術を心得ていない点にも、私に大きく味方していたのである。
 奴らは白昼の恐喝や、一般市民に対するイビリは、プロであったかも知れないが、戦場での実戦や、夜戦の戦い方においては“ズブ”の素人であった。
 幽
(かす)かに外を照らした弱い街灯の明かりの下で確認できたことは、叩く度に、数人がばたばたと斃(たお)れ、頭骨は陥没(かんぼつ)、あるいは脳座骨の状態にあるらしく、顔は血だらけになって蹲(うずくま)っていた。
 その瞬間を狙って、低い位置から、左右の足で、内へ外へと揺さぶり、斃れるまで、払い蹴りで足払いするのである。足払いされた者の多くは、後頭部から地面に突っ込み、直に起き上ってこなかった。低い位置からの足払いは、実に実践的な有効な技であった。

 一般に空手や拳法などの蹴技は、顔面や上半身の上肢
(じょうし)を狙って蹴るとされているが、こうしたものは複数の敵と戦う場合、あまり役に立たないし、効果的でない。上肢を連打で蹴り込んだところで、相手が上半身を腹筋や背筋などを鍛えていれば、こうした蹴りは、有効な極め手とはならない。 また上肢を狙う高い蹴りは、アクションは派手だがスピードが遅いために、連打すれば疲れるばかりであり、それに反して、足の踝(くるぶし)を狙う足払いは、小回りが利(き)いて、短く、シャープに動かすことができ、確実に薙(なぎ)払うことが出来る。集団による乱戦では、“蹴り”というエネルギーの消耗の激しい無駄な動作は、無用の長物であった。
 アクション映画やテレビに活劇のように、派手な蹴技を行うと、それだけで命取りだった。結果は偉いことになる。エネルギーの消耗が烈しいのである。動き回る人間に派手な蹴りを入れたところで、空振りするだけけである。
 特に人間は、その直立歩行する軸足
(じくあし)が左足であり、左足の上に心臓なども載っているのである。これだけでもエネルギーの消耗は激しく、況(ま)して心臓に懸(か)かる負担は大きい。実戦では、観客を意識したような華麗なコンビネーションなど必要無いのである。出来るだけエネルギーの消耗を控え、余力を残しつつ、敵を撹乱させると言うのが集団乱闘の戦い方である。したがって左足の踝(かかと)だけを狙って、薙払うと効果が大きいのである。そして狙うチャンスは、左足を軸に、右足で蹴って来た時である。これは打撃系のローキックよりも有効であり、右足を蹴った瞬間、そこを狙って確実に払えば、必ず顛倒(てんとう)するのである。柔道の「出足払い」は小刻みに戦って、囲みから抜け出して行くには非常に有効である。

 昨今は、リングの上で、一対一の打撃系の試合興行が流行しているが、あれは一対一で、然も審判員
(ジャッジ)がついており、ルールに則って試合進行がされているから、死ぬこともないのであるが、こうした格闘技選手も、マタギ(東北地方の山間に居住する古い伝統を持った猟師の群で、「秋田またぎ」は特に有名である。起源として、磐次(ばんじ)磐三郎の伝説がある)と云われる東北地方の猟師と一緒に山に入れば、30分も経たないうちに道に捲(ま)かれ、彼等の相手ではないであろう。此処が二次元平面と三次元立体の違いである。
 やがて蹲
(うずくま)り、転がった男達は、暫(しばら)く経ってから、呷(あえ)ぎ声を上げるという、音声と攻防の誤差があちらこちらで起こっていた。
 この時、私に、一つだけはっきり云えることがあった。
 それは奴らが此処で何が起っているか、そうした情況を全く掴み切れないでいたことであった。咄嗟
(とっさ)の事で、それ程、何をされたか、奴らは分からずにいたようだ。
 人間の心理として、これほど恐ろしいものはないのである。人間は、今、何が実際問題として起こっているか、それが把握
(はあく)できない時に、その恐怖心は最大値を得る。そして、その関わっている相手が、何者なのか、こうした情報が入らない時に、人間は疑心暗鬼に陥り、自ら自滅していくのである。

 道場での稽古上手でも、このような乱闘に際しては、私自身、会津自現流の技は全く出てこないらしい。それは私の修練の未熟のせいであろうが、専
(もっぱ)ら金槌で叩き付ける方が早かったし、効果も覿面(てきめん)であった。しかし奴等も、この惨劇(さんげき)に、黙って押(お)しまくられる程、馬鹿ではなかった。巻き返しが始まったのだ。
 総力戦となれば、数に物を言わせて反撃を試みるかも知れない。その懸念は大いにあった。
 奴らの起死回生が始まった。
 増援部隊のトラックが、もう一台やって来たのである。人数は十名に満たないものであったが、巻き返しを図る奴らにとって、この増援部隊は押しまくられていた現状から逆転させて、志気
(しき)を鼓舞(こぶ)するのに充分な効果があったに違いない。あたかも鶏や豚を引き連れて、次ぎなるデモを掛けて出たのである。トラックの荷台から、訳の分からぬ、「わっしょい!わっしょい!」の怒声が上がっていた。荷台では、ダンスのように膝を屈伸させ、ステップを踏んでいるのである。南洋の奇妙な土人のダンスのように思えた。お祭りのような異様な光景であった。
 鶏鳴豚声
(けいめい‐とんせい)で、けたたましい鳴声とともにトラックの荷台で、肩を怒らせていた。喚く怒声は余りにも稚気満々だった。その証拠が酒だ。喧嘩出入りに酒がつきもので、蛮勇で暴徒化を煽る。残忍の徒に変える。そのうえ悪いことに、例の今田居合道場の用心棒が、トラックに乗っているのが微(かす)かに確認できた。助っ人を得たのだろうか。厄介な爆弾を懐(ふところ)に呑んでいた。
 私の直感として、あの骨董屋で見た刀を持っている感じが、読み取れたからである。自然に盛り上がりを見せているのである。

 この集団は、もともと遊侠
(ゆうきょう)の徒である。勇ましいことが好きだ。血を見ることを恐れない。血を見て興奮している。 ああいうのと渡り合うのは拙い。正攻法は得策でない。
 先手を取られて押しまくられた場合、早い段階で、反撃に転じなければならない。奴らは本能的に、それを悟ったらしい。この惨状
(さんじょう)を奴らのうちの誰かが、上層部に報告したものと思われる。智慧を廻る者がいるらしい。
 更に奴らの誰かが、小型ダンプに駆
(か)け寄ってエンジンをかけ、ゆっくり車を移動させながら、ヘッドライトを私の居る方へ向けようとしていた。敵対者の正体を見定めようとしているのである。
 ヘッドライトの鋭い光りは、サーチライトの雷光
(らいこう)のように、私の姿を照らし、その不敵な《鬼》の面構(つらがま)えを奴らに見せ付けた。私は慌(あわ)てて顔を隠し、光の届かない方向に身を隠した。それでも光りは執拗(しつよう)に追って来た。そのたびに闇に消える。

 時折、光の的が外れて、奴らたちが光の前に曝
(さら)されることがあった。光に曝された追手の中には、拳銃を持っている者までいた。私に威嚇(いかく)するように拳銃を構えて、今にも何処かに向けて発射するようなアクションが確認できた。これには流石(さすが)の私も恐怖を感じたが、遠距離から弾(たま)に当たって死ぬとは思われなかった。
 この当時、沖縄駐留の米軍の横流し品と思えるコルト45一挺が一万円前後、カービン銃一挺が、五万円前後で買えた時代である。当時の暴力団は、三人に一人が拳銃を所持していたように思う。拳銃弾を撃ち込まれれば、生還は絶望的である。兇弾に倒れよう。
 ヘッドライトに押し捲
(まく)られて、ついに私も奴らから後ろに回り込まれ、数回、木刀でのような棒で後頭部を殴られた。この隙(すき)に、私の左肩には追手の何(いず)れかの者によって、鉄パイプのような鈍器(どんき)が左肩に打ち込まれた。ボクッと鈍く鎖骨(さこつ)を打たれた感じがした。余り痛みを伴わなかったので、傷は軽いと思っていたが意外と深手(ふかで)であった。
 傷を負ってしまった以上、もう、奴らと戦うことはできない。草々に逃げなければならなかった。この予期しなかった不愉快な顛末
(てんまつ)は、私に戦闘意欲を喪失(そうしつ)させる結果となっていた。
 奴たは一度、手痛い目に遭っているだけに、戦意は異常に膨れ上がり、闘争心を剥
(む)き出しにした。あちらこちらに潜(ひそ)んで、暗闇から私を襲う、伏兵化(ふくへい‐か)する恐れも十分にあった。
 こうなったら退却である。即座に、計画していた退路に駆け走った。
 一刻も早くこの場を逃げ出さなくてはと一瞬焦っていた。しかし気が焦るばかりで、躰は全くいうことをきいてくれなかった。そのうちに、鉄パイプで叩かれたところが、ズキズキと痛み出した。
 私はやっとの思いで筋肉を動かし、右手で叩かれた左肩を抑えていた。咄嗟
(とっさ)に、頭の中に周辺の地図を広げた。そして、その退却路に従って走った。
 これが私の、今回のサバイバル戦の中心的課題であった「戦略的退路」である。

 私の攪乱策は未だ崩壊した訳でない。
 もう一度、冷静に考えてみた。そのとき、ふと浮かんだのが、「その弊は乱」であった。勇ましいが実体は蛮勇である。崩せると思った。「松子サヤン」の暗号情報からすれは、「その弊は乱」である。勇ましいだけなのである。その勇気は蛮勇でしかない。まさに《暴虎馮河》なのである。
 かつて、『三国志』に出て来る諸葛孔明は、趙雲子龍に劉備妻妾
(さいしょう)・孫夫人を伴って呉から退却するとき、「困ったことがあったら、この袋の中を見よ」と申し渡し、それを趙雲に渡しておいた。趙雲は呉兵に包囲されて困窮したことがあった。だが孔明のアドバイスで難を脱する。そのときに見た袋の中身と同じようなものが、もしかすると、私の場合は「暴虎馮河、その弊は乱」と取れたのである。
 つまり、松子によれば、「そこを衝け」と情報から読むことが出来たのである。
 まだ天は味方していた。私を見捨てていなかった。

 その途中、私は出るだけの大声で、「人殺し!助けてくれ!人殺しだ!警察に電話だ!人殺し!警察に電話だ!」と、何度も喚
(わめ)き散らした。そしてポケットに、予め用意しておいた爆竹とタバコを取り出し、ライターでタバコに火を点(つ)け、その火を爆竹(ばくちく)へと次々に点火させていった。この音で、当たりは騒然(そうぜん)となった。この「人殺し」と「警察に電話だ」のコールと爆竹で、私を追っていた奴らも慌(あわ)てざるをえなかったに違いない。奴らもまた、一斉(いっせい)に逃げる側に回らなければならなくなったのである。こういう敵を錯乱(さくらん)させる有効な心理を、利用しない手はないのだ。
 まさに「その弊は乱」であった。《暴虎馮河》の成れの果てである。

 夏の太陽は狂おしいまでに大地を灼
(や)く。この灼かれた大地は夜になっても昼間の熱を蓄えている。夜は熱い。昼間の焔を夜にも引き摺っている。
 おまけに、当時はクーラーなどない家が殆どで、八月は、まだまだ暑い盛りである。窓を開け放している家が殆
(ほとん)どなのである。夜中に大声を出せば、直ぐに知れ渡ってしまうのである。
 私は大声と爆竹で、奴等をまんまと引っかけてやった。また、それだけ、私の後始末は簡単になり、事態収拾への新たな活路
(かつろ)が開かれたのである。
 ちなみに、昨今では、「人殺し!」などと叫ぶと、これは逆効果になって、誰もが事件に巻き込まれないために、ドアに鍵を掛け、窓を閉めると言うのが殆どである。当時は、まだクーラーなどのエアコンの普及も珍しい頃で、「人殺し!」と喚いただけで、人が集まって来る時代であった。今とは大違いである。
 したがって、今日では「人殺し」と言わずに、「火事だ!」と喚
(わめ)いて、人を寄せ集める。人殺しと言えば警戒して家に閉じ篭(こも)るが、火事だと言えば、何処が火事なのか、それを確認する為に、人が外に出て来ると言う。その意味では、現代は世知辛(せちがら)い世の中になったものである。

 さて、この騒ぎは、近所の住民から警察に通報されたが、私はその前に計画通りの退路から、誰にも見つけられることもなく逃亡を謀
(はか)り、検挙の難だけは免れた。だが、この事件は警察の知るところとなり、即座に、市内一帯に捜査網が敷かれ、至る所で通行車輌の検問をやっていた。
 私は警棒式の拵
(こしらえ)を金槌に施していたので、これを途中の道で落とさずに済んだ。金槌は、既に私の腰に指していて、手には何も持っていない状態になっていた。これがまた、私が怪しまれずに済んだ理由でもあった。

 私はホッとして、安堵
(あんど)の吐息を洩らした。「してやったり」という気持ちになっていた。私にとっては、心が躍るような冒険譚(ぼうけんたん)だったのである。危機を逃れた安堵感だったであろうか。
 だが、これで終わったのではない。単に一つの危機を乗り越えた過ぎない。
 むしろ、本番はこれからかも知れない。そうは簡単には、問屋は卸さないのである。
 本物の狂気が、これから始まろうとしていた。
 運命は皮肉に富む。また、時の経過は結果的に皮肉を極めることが多い。一筋縄ではない。人生舞台の構造である。そうは問屋が卸さないのである。
 何か再び、ささくれ立った気配が全身を襲って来た。それが一瞬背中を襲った焦燥感だったのだろうか。



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