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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 46


●対決

 これが一匹狼の作戦計画であった。
 T公園は、小学校高学年の頃の遊び場として、その地形を熟知していた。
 何処に木があり、何処にベンチがあって、斜面の傾斜状態や足場の状態、また公園を取り囲む民家が何軒あるか、既に調査済であった。これが私の布陣調査の実情であった。これを数回繰り替えしたのだった。これまでの見落としをチェックする為であった。
 そして戦いは短期決戦で、十分な効果を上げたいと考えていた。
 相手に時間的な余裕を与えるような、ダラダラとした長期戦に至った場合、絶対に勝てる筈がないのである。

 恐らく奴等は、こちらを威圧するために、集団で、機動力にものをいわせてやってくるに違いないと思っていた。数十台の乗用車に分乗してくるのではなく、大量輸送の出来るトラックで来る筈だと思っていた。

 もし、そうだとすれば、公園のゲイトからではなく、直接中に踏み込める、野外舞台の付近であろうと予測が付いた。だから、態々
(わざ‐わざ)野外舞台を指定したのである。そして万一の事を考えて、奴等は正面から堂々と集団で来るか、あるいは代表者の近くに、戦闘員を伏せておくか、何(いず)れにしろ、そのどちらかと踏んでいた。しかし、夜戦の体験ないものに「伏兵」という発想はないだろう。数で押し切れば、それで勝てると思っている、恐らく「戦争を知らないヤーさんども」だろう。
 奴等が集団で来る以上、野外舞台周辺での決戦ロケーションは、当たらずとも遠からず、と思っていた。

 しかし私は、その指定した野外舞台に姿を現さず、それが見える位置から遠巻きにしながら、奴等の群れの一番手薄なところから攻め込む作戦を立てていた。戦略の構図と戦術のイメージをしっかり頭に叩き込んでいた。

 この作戦の中心課題は、何と言っても、敵である奴等を巧妙に引っかけ、掻
(か)き回して、最後は敗走させることにあった。
 そして忘れてならない最も重要事項は、退路を何処にするか、またいつどのようにして、何処を通って引き上げるか、その計算を十分に行っていたのだ。
 私にとって、この戦いはサバイバル戦であったからだ。心の裡
(うち)で、「何としても生き残らなければならない」という願望があった。しかし、死を覚悟しなければ生き残る事は出来ない。死んで生きるのである。

 暴れ回るだけ暴れて、敵を攪乱
(かくらん)し、掻き回して、恐怖に陥れて、首尾よく運び、もし悪運強く生き残ることが出来たら、即座に退却する計算も立てていた。戦うだけ戦って、もし退路(たいろ)を考えていなかったら、思いきった行動もとれないからである。

 子供の時、よく遊んだ小さな洞窟
(どうくつ)のような抜け穴があった。そこを私は退路と決めていたのである。
 私は計画した考えを再度纏
(まと)めながら、大きく深呼吸した。呼吸は別段乱れていなかった。


 ─────手頸
(てくび)と頸動脈の箇所に、各々の親指を当てて、脈拍(みゃくはく)を計ってみた。そこも別段異常はない。私は八門遁甲の軍立(いくさだて)と加えて、「三脈法(さんみゃく‐ほう)」を試みたのである。
 「三脈法」から、本日の軍立の勝因を探ってみたのである。

 因
(ちな)みに「三脈法」とは、数時間先、あるいは一日ないし、二日先の運命を探る方法である。即ち、未来予知と思って頂ければよい。
 未来予知の方法として、八門遁甲・五術
ご‐じゅつ/命・卜・相・山・医)《医》の中に「三脈法」というものがある。

三脈法その1。左手の拇指の腹で右手頸の脉所をとる。 三脈法その2。頸動脈の左右の脉所を右手の拇指の腹と中指の腹で抑える。

 また三脈法とは、まず左手の拇指(おやゆび)の腹で、右手頸(てくび)の静脈の脈拍(みゃくはく)を表示する脉所(みゃく‐しょ)を抑え、更に右手の拇指の腹と、中指若しくは薬指の腹で、首の左右の頸動脈に当てて、各々の三点の脈の微かな乱れを読み取ることによって、近い未来に起こるべきことの明暗を予知をする方法である。

 人の脈拍は、健康のバロメーターとして、その正常・異常を表示するばかりではなく、心臓の律動を血液の流れに変換して、動脈中の圧力の変動を知る要素となる。
 そして何よりも三脈法は、心臓
(五行では《火》にあたる)に深い関係を以て成り立っていることである。

 その脈拍数は心臓の搏動数
(はくどう‐すう)に等しく、普通1分間に70程度である。搏動数は、年齢に応じで異なるが、年齢の若い程、少なく、高年齢に至る程、搏動数は、その数値が高くなる。

 さて、この脈拍数に上下して変動がある場合は、何らかの病的異常か、あるいは日常生活の規則性に問題があり、その日常生活の異常、即ち生活の不摂生は近い将来に起こり得る不吉な出来事や、自らに降りかかる禍
(わざわい)ごとを暗示しているといえるのである。

 では、その未来予知の方法として『三脈法』を述べることにしょう。
 三点の脈が、各々三点とも同じように、規則正しく脈打っていれば正常。即ち、数時間後の出来事として危険が起こらないということを暗示し、万一、この三点の脈が、各々に不調和音を示し乱れているとしたら、近い将来に、何らかの禍
(わざわい)か、事件に巻き込まれるというような暗示を顕わしている。

 その目安を次のように判断すると、現時点から近未来に至るまでの、近未来プロセスでの不吉な出来事を関知することができる。
 三点とも同じ脈拍で、同じ周期ならば正常。三点とも脈拍の鼓動は同じだが、何となく周期的に不規則さを感じるという場合は健康状態の異常を暗示している。したがって、近未来プロセスでの不吉な出来事とは殆ど関係がない。安静を保てば回復するのである。

 しかし次のような場合は、何らかの異常を示している。
 次に左手の拇指
(おやゆび)の抑えた右手首の脉所の脈拍と、右手の指先の拇指の頸動脈(けい‐どうみゃく)を抑えた脈拍は同じ鼓動(こどう)だが、中指もしくは薬指の抑えた頸動脈(自分の左側)の脈所の鼓動が異なっている『左二点同脈・一点異脈』の場合は、盗難や詐欺など金品に関する禍ごとの暗示がある。

 次に左手の親指の抑えた右手首の脉所の脈拍と、中指もしくは薬指の抑えた頸動脈を抑えた脈拍
(みゃくはく)は同じだが、右手の指先の拇指の頸動脈を抑えた脉所(みゃく‐しょ)の鼓動が異なっている『右二点同脈・一点異脈』の場合は、生命力の衰弱の暗示で、持病などの病気の悪化や、心筋梗塞などの急性疾患などが上げられる。

 次に右手の人差し指の腹で抑えた右頸動脈と、中指もしくは、薬指の抑えた左頸動脈の脈拍は同じ鼓動を示すが、左手の拇指の腹で抑えた右手頸の脉所
(みゃく‐しょ)の脈拍が、左右の頸動脈の脈拍と異なる場合で、これを『二頸同脈・一点異脈』という。
 この場合、紛争や裁判沙汰等の人間関係のトラブル等の訴訟ごとを暗示する。
 三脈法で最悪とされるのは、『三点異脈』であり、抑えた三点が総
(すべ)て異なり、脈拍も周期も不規則な場合を言う。これは直(すぐ)間近に、重大な死に係(かか)わる危険が迫っていることを暗示している。

 大旨は、陸海空における交通事故死が多いようである。
 これらの異常が出た場合は、旅行、外出などは勿論のこと、デート、面会、面談、商談を始めとする約束時間を制約された約束事など及び、逆に人が訪ねてくることまでを含めた時間に制約される一切の約束事に、充分に注意する必要がある。
 また気力や注意力が失われるので、警戒心も衰退し、安易な行動から、将来にしこりを残すような「凶」を招く結果にもなりかねない。

 これを無視して、強硬に以上のようなことを実行して行動に及ぶと、思わぬ人命に係わる事件に巻き込まれたり、契約解除や金銭によるトラブル等の禍ごとが降りかかってくるのは必定である。
 即ち、三脈法で、一点でも異常の出た場合は、一時的な瞬間衰退期であるから、近未来においては「八方塞がり」の暗示とみなした方が良く、これらの回復を待って行動に及んだ方が良さそうである。ここで言う回復とは、制限時間内の災い
(三脈異常発生時間から約24時間以内)が、通り過ぎるのを、「何もせずに待つ」ということである。

 私はこれが、三脈とも一致していた。
 これは勝利へのゴーサインを意味していた。決行するには、打って付けの軍立
(日取り)と言ってよかった。


 ─────私は指定現場の近くまでタクシーを飛ばして乗りつけ、そこから歩いて先回りし、野外舞台や辺りを照らす夜間照明のための水銀街灯を、持って来た金槌で破壊した。辺りが一瞬闇の世界へと早変わりした。そして野外舞台の影の見える木の生
(お)い茂る木陰から奴等を迎え撃つ事にした。

 奴等は、これにまんまと引っかかった。私の予想通りであった。
 しかし警戒していた為か、奴等は集団であった。能
(よ)く見えないが、ざっと数えて三十人前後はいるだろう。
 三台の小型ダンプカーの荷台に載って、指定した公園に数十人の群れでやって来たのだった。しかしこれが奴等の全てではなかった。総兵力の半数にしか満たなかった。

 私は用意周到であった。梅雨が明けたとはいえ蒸し暑い日であった。しかし衣服は出来るだけ肌を露
(あらわ)にしないものにした。厚手の黒っぽい長袖のシャツや長袖のジャケットを羽織り、ズボンは動きやすい鳶(とび)職人が履く冬物のニッカーボッカーズにした。靴は底の厚いトレッキング用のキャラバン・シューズを履いた。靴下は膝まである登山用のロングソックスである。色は目立たないように、全て上から下まで黒っぽいものにした。しっかりと足場を捉え、何よりも軽快に動けることが肝心である。
 ズボンのベルトに、片方が先の尖
(とが)った金槌を差し込み、ポケットにはガラスの粉が混じった砂袋を用意した。砂袋は目潰しのために使う予定であった。そのために、既に防眼用のゴーグルも用意していた。

 愈々
(いよ‐いよ)奴等に、武術家が暴力に屈しない、天下を呑(の)む心意気を思い知らせねばならない。そう肚(はら)を据(す)えて自らを励ました。

 戦いは非情なものである。
 非情の現実の中にこそ、武術家の無分別で、しかも新鮮な行動がある。したがって時間が経ち、自らの心境に分別が生まれたり、そこに躊躇
(ちゅうちょ)が伴った場合は、既に手遅れとなる。そして何よりも大事なことは、敵の攻撃の第一打に持ちこたえるということであった。即ち、絶対に怯(ひる)まない肚が必要なのである。

 歴史上の過去の戦い方を見てみると、敵の第一打の攻撃を持ち堪
(こた)えることができず、その恐怖心の余り、全軍が蜘蛛(くも)の子を散らすように崩壊したり、味方の足音を、敵の総攻撃の足音と勘違いして敗走するという、まことに、お粗末な行動をしている史実が歴史の所々に見受けられる。

 《命の惜しい者は、自らの命を失う》という心理戦の戒めが、歴史には書かれている。我々はそれを深く洞察し、その奥に秘められたものを読み取らなければならない。

 そもそも戦いというものは、敵の攻撃に対して、それに反応しながら、後手
(ごて)を取って動こうとするものではない。敵の動きを、自らの勘(かん)と経験によって洞察し、敵の動き以上に、早く打って出なければならない。受け身では手遅れになるのだ。それを回避するのが「先(せん)の先」である。

 会津示現流の先
(せん)の先は、「当身技」であり、更に「入身(いりみ)」である。これには「捌き」と言うものがない。敵の起勢をその動き事前にキャッチし、即座に読み取って、その動きが起こる前に技をかける技法を、「入身」という。
 この入身の母体を成したものが、「絶妙剣
(ぜっみょう‐けん)」の極意である。当て身を食らわし、敵の中に逸(いち)早く飛び込むことこそ、入身の極意なのだ。

 逆に、これと相反する護身術のような武技は、捌きを中心に、受け身的な対処法を行う。しかし敵の攻撃を待って、敵が自らの懐
(ふところ)深くに入り込んでから慌(あわ)てて行動を起こすようでは、手遅となる。両者は、ここが大きく違うのである。

 日本刀、短刀、猟銃、拳銃などを持って集結した連中は、一般に怕
(こわ)いと思われている。しかしこれは実戦を知らない素人考えの不安心や恐怖心であり、仮に彼らが、これらを駆使して攻撃を加え、その第一打が躰(からだ)を掠(かす)めたとしても、それを持ちこたえるだけの「不屈の精神」があれば、これを殊更(ことさら)恐れる必要はない。彼等だって、命は惜しいし、その実は恐ろしいのである。

 私は過去の歴史から、日本刀の操作が、如何に難しいか、よく知っていた。剣道上手でも、実際に斬り合うと、そうでもない連中が多い。近代剣道と激剣の違いは此処にある。近代剣道では斬撃が難しいのである。それは、近代剣道に「斬り覚える業
(わざ)」が無いからとも言える。

 あの『2・26事件』を誘引し、軍務局長・永田鉄山
(ながた‐てつざん)少将を斬殺した『相沢事件』【註】皇道派の相沢三郎陸軍中佐が、昭和10年(1935)8月、陸軍省内で統制派の軍務局長永田鉄山少将を斬殺した事件)の張本人であった相沢中佐ですら、剣道五段【註】この当時の剣道五段は最高段位であり、今の八段か九段の高段位に匹敵する。更に軍人は激剣抜刀術の実戦経験を持っていた)の達人的な腕を持ちながら、一撃で斬殺することは出来なかった。

永田鉄山少将を斬殺した皇道派の、相沢三郎陸軍中佐(陸軍幼年学校を経て、陸士第二十二期卒)。事件当時の昭和10年8月、広島県福山歩兵第四十一聯隊(れんたい)付から、台湾歩兵第一聯隊へ転任の辞令を受けたところだった。 斬殺された、陸軍省務局長・永田鉄山陸軍少将。永田は陸士第十六期を恩賜おんし/トップの意で、天皇から恩賜賞賜る)で卒業し、陸大では二番と言う成績で卒業し、エリート中のエリートであった。また統制派のリーダーでもあった。


サーベル造りの軍刀と半太刀造りの軍刀

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 当時の日本陸軍の軍装の一つであった軍刀を腰に吊るという考え方は、これまでの軍隊には殆ど無く、既に欧米でも、サーベルを吊って、軍陣が歩くなどのファッションは古いものになっていた。

 ところが日本軍は、これを退け、武士の象徴であった日本刀に異常なまでの軍陣の拠
(よ)り所として、「刀」と言う前近代的な物を武器として遣おうとした。これは世界の軍隊の中で、あまり例のなかったことであった。

 さて、軍刀を見てみると、相沢事件当時は、日本軍の軍刀は半太刀
(はん‐だち)造りの軍刀ではなかった。これが昭和13年(実質は昭和8年に吊環の二つ物が登場しているが)以降、半太刀造りの軍刀に制定される。

 さて、相沢事件当時を振り返ると、軍人の多くはサーベル造りを使用していた。
 しかしサーベル造りの軍刀であったとしても、儀礼用の西洋式の銅にメッキしたサーベルではなく、刀身は日本刀を仕込んでいた。したがって武器としては、当時最高のものであったが、それでも一刀の下
(もと)に斬り据えられなかったのである。

 達人が操作してこれであるのだから、武術には縁のない素人風情の暴力団員が、一撃の下に斬り据えて、相手を即死させることは不可能といわねばならない。ただし集団で袋叩きにされ、膾
(なます)斬りにされれば別だが……。

 日本刀は、術者の操法が妙でなければ斬れるわけがなく、拳銃にしても、弾倉
(だんそう)式の自動拳銃では、一発の不発弾があるだけで第二弾が発射できなくなる。
 また回転式の蓮根拳銃
(リボルバー)にしても、38口径以下の物であれば、5m以内の至近距離からでは当たる確率は大きいが、10mから15mくらい離れた距離を保っていれば、そう簡単に、心臓やその他の急所等に命中するものではない。
 況
(ま)して、これが東南アジア製のコピー拳銃であれば、その威力は更に半減し、モデルガン等の改造拳銃であれば、威力は実際の拳銃に比べて、「十分の一以下」程度である。

 当時の改造拳銃は二発以上発射すると、撃鉄部
(げきてつぶ)や雷管(らいかん)が弾を包んだ薬莢(やっきょう)の火薬で破壊され暴発する欠点を持っていた。
 遣う側にも危険が伴うのである。
 これらの安全度を少しでも高めるために、薬莢の火薬の量を減らすことを考えついたが、これでは飛距離がでなかった。そうだとすれば、これらはそう易々とは使い物にならない筈である。

 万一、これらが使われ、仮に躰の一部に当たっても、その苦痛に耐え、したたかに、次の吾
(わ)が攻撃の機会を窺(うかが)い、冷静沈着に判断する気魄(きはく)があれば、敵がどのような命知らずであっも、不安や恐怖は如何程も起こらないものである。

 寧
(むし)ろ、こんな暗闇(くらやみ)での夜戦で、本当に怕(こわ)いのは、赤外線スコープを付けた狙撃兵の持つ狙撃銃である。しかしこれが、今回ここで用いられているとは思えなかった。
 何故ならば、あくまで、これは金の引渡であったからだ。
 これらを戦略的に総合判断して、この結論に至るまでの経過は、その実戦においての知識と、経験に通じていなければ下せる筈がないことは言うまでもない。

 また、反骨精神と気魄
(きはく)ある者に対して、如何に根性の坐った者でも、安易に攻撃を仕掛け、自らも手痛い手傷を追ってまで勝負に挑む愚か者はいない筈である。
 即ち、鍛え抜かれた気魄を持った者は、ある意味で、これらの挑戦者を安易に寄せつけないのである。これを「不屈の精神」と言う。

 この不屈の精神とは、とりもなおさず、熟知した技量をバックボーに、身に付けた「武士道」といわれるものであり、武術家の行動基盤は、実に此処にある。
 不屈の精神を忘れたり、養成することができなかった者は、惨めな負け方をして、敵に屈するか、嬲
(なぶ)りものにされて、生き恥をかくのである。その為には日頃の決心と、熟知した伎倆(ぎょりう)が必要なのである。すなわち闘志である。

 曾
(かつ)て薩摩示現流(さつま‐じげんりゅう)の玉砕(ぎょくさい)の気魄(きはく)を培った桐野利秋きりの‐としあき/中村半次郎)、「男子たる者は絶対にへこたれてはならぬ。銃があれば銃で戦い、銃が破損したら刀で戦い、刀が折れたら素手で戦い、腕を失ったら歯で戦い、生命が取られたら魂で戦うのだ」と、武人の戦い方を見事に言いのけている。

 意気が屈撓
(くっとう)したら、武人としては失格である。
 現代人は、余りにも豊かになり過ぎた生活の中で、便利さと快適さだけを追いかけた結果、このような魂の根源であった「昂然
(こうぜん)たる真理」を忘れ去っているのである。
 だから窮地
(きゅうち)に陥っては、泣き言(ごと)を言い、難局に当たっては、逃げ腰になる。そして苦戦することを、何よりも恐れ、嫌うのである。

 陽明学の祖、王陽明は苦戦し窮地に陥って、難問を抱えることこそ、人生最大の修行であり、これを《事上磨練
(じじょう‐まれん)》といって、人生修行の最大のテーマとして掲げている。
 即ち、人間は何事も恐れず、不正な暴力にも屈することなく、昂然と難局に立ち向かい、その一つ一つを解決していくことが、真の人生修行と云っているのである。
 したがって、法治国家である日本は、種々の軽武器を不正に隠し持つ連中を殊更
(ことさら)(こわ)がり、それに恐怖を抱く。そしてその暴力を避けそこなうと、致命的な傷を追うのではないかと、ありもしない妄想に取り憑かれ、それを本当に怖いと思い込んでいる。
 ややともすると、武術家までが逃げ腰になる。しかし、何故天敵のように恐れなければならないのであろうか。

 多くの場合、見かけ上は傲慢
(ごうまん)な人間であっても、ある種の威圧を受けたり、脅迫(きょうはく)を受けると、これに悩み、不安や恐怖を感じて、弱腰になり易い。更に暴力が加えられると、人間は往々にして、最後は無条件で、これに屈することが多い。

 それは「誇り」という観念が失われているからである。誇りがなければ、人格は崩壊したのも同然である。
 「魂の絶叫
(ぜっしょう)」に欠け、戦うことを忘れた者は、戦わずして奴等の軍門に降り、無慙(むざん)な敗北の醜態を曝(さらす)すのである。したがって、毅然(きぜん)なる態度の裏づけは、何と言っても「誇り」なのである。

 私は先手必勝を信じ、「先の先」で行くことを心に念じ、夜陰
(やいん)に乗じて、音もなく、息を殺して奴等に忍び寄った。

 金槌は警察官の持っている警棒
(けいぼう)のように、柄手(つかて)の上の部分に小さな穴を開け、そこに警棒と同じような皮の拠(よ)り編みした紐(ひも)を通して、手から離れないように手頸(てくび)に巻き付けて握った。これで準備は万端であった。

 私は思っていた。
 決して軍門には下るまいと。そして私自身も死ぬだけのことだと……。
 人間、死ぬ時には、どんなに防禦
(ぼうぎょ)を固くしても、「死ぬんだ」という開き直りに似た心境に転じていた。死ぬ時には、どう足掻(あが)いてみたところで、死ぬのである。それならば、いっそのこと、華々しく思い切って戦い、生死を賭(と)して「負けない境地」をつくることではないか……、そんな気持ちが私を支配していた。


─────突然、草木の匂いが、辺りから消えた。
 (来た!)私はそう思った。それと同時に、空気の動くのを幽(かす)かに感じた。こうした空気の動きを「風(ふう)」という。
 そして、「風
(ふう)」とは風(かぜ)でなく、空気が少しずつ、何かを運んでくる、その微かな動向を知らせる予兆となるものが、つまり「風」なのである。何処からともなく、遠くで微(かす)かなエンジンの音がした。
 「来た!」私は心の中でそう思った。それは聴覚以外の、「風」が知らせたものであった。

 その「風」の震動から、微かに敵の浮き上がった傲慢
(ごうまん)が伝わって来る。あるいは驕慢(きょうまん)かもしれない。驕(おご)り高ぶり、人を侮(あなど)っている様子が微(かす)かに響いて来る。そんな登場を、奴等は企てているのだ。侮りの最たるものであろう。
 百練百勝の、強者の武勇などは、弱者が目論む智慧
(ちえ)には遠く及ばないのである。ただ力のみで押し潰そうとする傲慢でも、智慧の前には遠く及ばないのだ。

  暫
(しばら)くすると、奴等は三台の4トン程度の小型ダンプの荷台に分乗してやって来た。
 奴等は愚かにも、4トントラックの荷台で、「わっしょい!わっしょう!」と気勢を上げている。勝利気分に酔い痴
(し)れている。酒でも喰(く)らっているのであろう。
 これとて、私の諜報活動から得たデータによると、単に任侠
(にんきょう)の世界で、徒党(ととう)を組んだ戦い方を知らない烏合(うごう)の衆(しゅう)である筈(はず)であった。何人居ようが、恐れるに足りないのである。闇夜は私に味方していた。

 公園内にある野外舞台を遠巻きにしながら、奴等の凡
(おおよ)その人数と、誰の指揮で動いているのかを見極めようとしていた。
 勿論、闇夜で見える筈はないが、人の息遣
(いきづか)いと、微かな熱気から来る気配で、粗密(そみつ)の区別くらいは付くものである。また夜戦では、聴覚が最大の武器となる。聴覚を失ったら最期なのだ。生きて戻れることは、まずない。夜戦では、夜目が利く以上に、聴覚がものを言う。

 夜戦を経験したことのある者は、音は立てることが無い。虫の動きすらも聴き逃すまいと、全神経を集中するのである。それなのにトラックで駆け付けた奴等は、気勢などを上げて、まるでお祭り騒ぎでは無いか。

 私はゴーグルをはめた。ひと呼吸して、躍
(おど)り出るための機会を窺(うかが)った。私の決心に躊躇(ためらい)いはなかった。
 照明は、既に破壊してある。
 辺りは物音一つしない静寂な闇
(やみ)一色であった。奴等は、いっも照らされている照明が消えているので不信に思う者がいたであろうが、それを考えさせないうちに奴等が到着した途端(とたん)、一挙(いっきょ)に狂暴を以て、その集団の中に突如暴れ込んだのである。

 如何に群れをなした集団であっても、粗
(そ)なる処と、密(みつ)なる処が出来る。私は見当をつけて、粗なる処に一気に暴れ込んだ。

 心理戦での戦略構想は、敵全体を相手にすることではない。ほんの一部の、粗なる部分を相手にし、疑心暗鬼
(ぎしん‐あんき)に陥れさえすればそれで良いのである。
 恐怖心を煽
(あお)り立てて、不安を掻(か)き立たせ、これを掻き回せばいいのである。
 恐怖心は、やがて冷静さを見失わさせ、正確な状況判断ができなくなって、自ら自滅するのである。私は今までの経験から、そう信じていた。

 私の最初の一撃は、奴等に恐怖心を植えつけたようだ。敵と見ると見境なく、金槌で奴等の頭を叩いていった。命は端
(はな)から無いものと諦め、死に狂いするような狂乱に乱舞し、無分別になることで、一縷(いちる)の生への望みを微(かす)かに繋(つな)ぎ止めていた。闇夜での対決は、こうして始まったのである。

 私の、夜陰に乗じ、闇を裂
(さ)いての不意打ち攻撃に、奴等は動転したようだ。
 これによって奴等の誰もが、神経過敏になっている様子であった。それは奴等の息遣いから確認された。この集団は、局部的に一体何が起こったのか、その実情を掴
(つか)み切れずにいた。奴等は突然のことで冷静さを失い、浮き足たっているらしい。こちらも徒党(ととう)を組んだ戦闘集団と思っているようだ。
 そう思い込んだ奴等の心理的落差は、大きいものと思われた。

 奴等の多くは平時
(へいじ)に際して、傲慢(ごうまん)で、高飛車で、狼のような肉食獣の態度を取る事があるが、一旦戦時(せんじ)に舞台が早変わりすると、敏感に恐怖に反応する兎(うさぎ)のような臆病な心になるらしい。兎も狼も、同じ肉の体細胞から出来ている為だ。

 暗がりでの出来事は、奴等を掻
(か)き回し、混乱させるには十分な威力があった。
 後を追わせて目潰しを食らわせ、次に迷路に誘い込むという作戦だった。奴等はこの作戦にまんまと引っかかった。
 これを敢えて言うならば、引っかかったというより、奴等自身が戦場の戦い方を知らなかったといってよい。員数ばかりで、数に物を言わせた徒
(いたずら)な人海(じんかい)戦術であった。戦闘員として、組織的に全く訓練されていなかった。

 暴力団とは名ばかりで、プロの戦争屋ではないのだ。戦術を展開する、戦闘員としてはズブの素人であった。その証拠に戦闘服を着ている者より、半袖の普段着か、ダボシャツを着ている者までいた。奴等は私との取り引きが決裂
(けつれつ)し、こういう戦闘になることを全く予想していなかったとしか思われないような出(い)で立ちであった。これだけ考えてみても、奴等は戦闘の素人であった。

 戦いの出
(い)で立ちとして、半袖や上半身裸は禁物である。
 あれは映画の世界だけである。上着でも、シャツでも、道衣でも、素人は暑いからという理由で、やたらと袖を捲
(まく)りたがる。あるいは袖無しを着たがる。また映画の見過ぎで、『コマンド』や『ランボー』のように、上半身裸になりたがる。これこそまさに愚行なのだ。

 夜戦において、いくら蒸し暑いからといって、半袖を着たり、短パンを履いたり、腕捲りをするのは、本当の戦い方を知らない人間のすることだ。
 また格闘技にも、上半身裸で闘ったり、袖の無い道衣で格闘する格闘技があるが、あれはあくまで平坦な試合場か、リンクの中での闘い方で、然
(しか)も一対一の審判員(ジャッジ)付きである。
 二次元平面の試合場で、こうした格闘に、裸や袖無しは通用するが、実戦には全くこうした服装は不適当である。ここに実戦と試合の違いがある。
 そしてこれらの人間は、素肌を出すという、本当の危険性に全く気付いていないのだ。
 私は奴等を見て、「敵は既に敗れたり」と、心の裡
(うち)で思った。

 奴等にしてみれば、白昼半ば、合法的に行われる恐喝
(きょうかつ)と、夜戦での非合法的な戦いとは、大分勝手が違うようだ。
 奴等にとって、非日常的な現状は、容易に想像がつかないものであるらしい。この場の地形に慣れない奴等は、私に操
(あやつ)られて、徒(いたずら)に迷路を進む恰好となった。好き勝手に、私から掻き回されたという衝撃が大きかったようだ。
 これによって奴等の戦意は、大方、喪失したように思われた。何もかも計算通りだった。
 しかし、それにしても戦闘訓練の経験のない素人が夜戦をやると、結果はこうだ、という典型的なものであった。

 もし、奴等が少しでも小部隊的に編成されて組織化し、戦闘訓練を受けていたとしたら、私の作戦も、こうは計算通りに行かなかったであろう。
 そして私には、悟るものがあった。それは狂暴な「野獣性」である。

 私の、今まで求めていたものは野獣性であった。それが此処に来て、分かったのである。野獣性こそ、私の悟り得た「無分別」の別名であった。
 一閃
(いっせん)の光と化した無分別の野獣は、雷光(らいこう)のように、奴等の前に浴びせかけ、奇襲攻撃を以て敵陣に躍(おど)り出たのである。

 『葉隠』
(聞書第1・114)には、次のようにある。
 「武士道は死に狂いである。一人の人間を殺すのに数十人掛かっても手に余るものだ」と、鍋島直茂
(なべしま‐なおしげ)公に言ったことが聞書されている。
 死に狂いと化した人間を倒すのに、素手やナイフでは容易に殺せないことが証明されている。度胸と剛胆
(ごうたん)さで気違いになって死に狂えば、その威力が絶大になることを述べている。

 奴等はこの出来事の確信に、事態を把握
(はあく)出来ない儘、翻弄(ほんろう)されているのであった。
 奴等は恐れているのだ。自分の蛇影
(だえい)の蔭(かげ)に脅(おび)えているのだ。自分の蔭を敵の蔭と見間違えて、疑心暗鬼に陥っているのだ。

 やがて味方の集団を敵と思い込み、双方の敵味方を確認しない儘、各々の箇所で怒濤
(どとう)のように逆巻いて、刃物で斬り合う同士討ちが始まった。
 自分で自分の蔭
(かげ)を斬りつけ、ついには自分自身までを葬り去ってしまうような、愚かな行動を始め出した。これから見ても、今夜の闇夜は私に味方していた。

 如何に裟婆
(しゃば)とムショ(刑務所)を行き来して、根性が据わった奴等でも、暗闇の中で、何処から、誰が掻き回しているか、その実情を掴み切れないでいる内は、不安の中で臆病風に吹かれるらしい。
 そして、闇夜での対決が、一層これに拍車をかけているらしい。

 戦いは戦闘力のみを行使するものだと考えられがちだが、小が大を倒すには、正面きっての正攻法では、どうにもならない。
 戦略的には、巧妙な心理作戦に出ない以上勝てるわけがない。極力こちらの消耗を最小限に食い止め、然
(しか)も敵には多大な損害を与えるのは、実に心理戦の齎(もたら)す大きな意力である。

 人間の心理状態を巧みに読み、大旨
(おおむね)の人間が陥る《誰しも戦う前には臆病風に吹かれるものだ》という、不安状態を認識していなければならない。
 もし、自らがそうであれば、必ず敵もそのような状態に陥っているのである。

 幾ら残忍極まる暴力団と雖
(いえど)も、一個の人間としては、命が惜しい筈である。もし、そんな状態に陥らない者がいるとすれば、その者は単細胞の頭脳の持ち主か、あるいは既にシャブ等で、頭がいかれている人間で、単に馬力と勢いはあるが、冷静さがないので、寧(むし)ろこれらの者は恐れるに足りないのである。制御不能になった者は、何処からの命令系統も従わないからだ。

 逆に、血に狂った錯乱状態になれば、敵も味方も分からなくなり、寧ろ掻き回せば、掻き回す程、同士討ちに陥り易い。誘導すれば、これらの人間は、味方の一部として逆利用できるのである。
 このように行動弁証法的に考えていくと、何も恐れるものはなかった。それは恐ろしい等と、感じている閑
(ひま)がなかったと言った方が正しいかも知れない。私の計算した「先の先」は、突発的な行動で、一応、功(こう)を奏(そう)したのであった。


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