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旅の衣を読むにあたって
旅の衣・前編 1
旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
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旅の衣・前編 6
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旅の衣・前編 10
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旅の衣・前編 13
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旅の衣・前編 16
旅の衣・前編 17
旅の衣・前編 18
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旅の衣・前編 21
旅の衣・前編 22
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旅の衣・前編 24
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旅の衣・前編 26
旅の衣・前編 27
旅の衣・前編 28
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旅の衣・前編 31
旅の衣・前編 32
旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
旅の衣・前編 35
旅の衣・前編 36
旅の衣・前編 37
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旅の衣・前編 54

阿修羅の如く……無分別に……無差別に。
 阿修羅は古代インドの神の一族であったが、後にはインドラ神
(帝釈天)など天上の神々に戦いを挑む悪神とされれた神だった。
 そして仏教では、天竜八部衆の一として仏法の守護神とされる一方、六道
(りくどう)の争いの絶えない修羅界にいて、人間以下の存在とされる。絶えず闘争を好み、地下や海底に棲(す)むという。


●松子サヤン

 本格的な旗師
(はたし)として行動を開始した。潜伏である。これからが正念場である。これまでは旗師の序曲だった。旗師は諜報員として暗躍してこそ価値がある。
 いよいよ地下に潜って工作を開始する。その手下
(てか)として松子を遣った。彼女は私の影となった。そして私は、彼女の影に事(つかえ)るのである。まさに逆下克上である。
 このとき松子は会場内を案内する女給に化けていた。女子高生から一変して、二十代後半の熟年女性に変装していたのである。現在の歳から、十歳程度は老けるのである。
 変装術で難しいのは、年齢による下克上である。
 例えば、年配者が若者を演ずるのは然程
(さほど)難しくないが、若者が年配者に化けることは難しいとされている。若返りは可能だが、この逆が難しいと言われている。
 松子の変装が、味方からでも気付かれなければ、完璧に化けたと言えた。

 その晩の観月会のことである。やはり、居るところには居た。
 例の『三宝堂』の主人である。この主人がこの観月会の何かの役員でもあるらしい。おそらく松子は、闇を暗躍した経験から、この主人に貼り付くだろう。カモがネギを背負っているからである。彼女も、これを見逃すほどバカではない。オヤジは畏まって茶羽織りなどを着て、来賓客
(らいひん‐きゃく)一人一人に社交辞令的な挨拶を交わし、能弁な世辞を垂れ、中に招き入れている。そしてその仕種には、老獪(ろうかい)なしたたかさが匂っていた。
 此処に集まって来ている客は風貌
(ふうぼう)からして相当なメンバーであることは疑いようがなかった。
 綿密に月の出るのを計算して、その時刻がセットされているらしい。
 私は由紀子に誘われて北九州市戸畑区の、さる資産家のお屋敷の会場に午後7時頃に由紀子の車で到着し、月の出るのを待つことにしたのである。
 午後7時と言っても、夏場の夕暮れは明るい。陽が傾いているだけである。そして昼間の木洩
(こも)れ陽の隙間(すきま)から襲い掛かる煩いような蝉の鳴き声は、この時刻に至って、それは形(なり)を潜めていたが、何処からともなく、茅蜩(ひぐらし)の声がしていた。日暮れに、高く美しい声で「かなかなかな……」と茅蜩が鳴いていた。もう立秋なのだ。
 受付で、招待状を渡し石柱の門を潜
(くぐ)った。既に早くから数十人の客で賑(にぎ)わっていた。
 夏というのに、錚々
(そうそう)たるメンバーの集(つど)いであるせいか、誰もが優雅に着飾り、納涼の観月の宴(うたげ)を楽しもうとする気持ちが窺えた。
 由紀子も夏物のスッキリとした白いスーツに身を固め、この会場に私と共に顕
(あらわ)れたのであった。私も由紀子に合わせて、夏物の明るいグレーのスーツに身を固めていた。

 まだ完全に陽は落ちていない。夏場の夕暮れは明るい。陽が傾いているだけである。宵の口である。
 だが、やがて夕闇が忍び寄って来る。それまでに思いを巡らせながら策を練るのである。
 今夜は満月である
 本来、観月と称するものは、九月に行われるものが最とも多い。
 したがって八月と言うのは、逆に珍しいことであった。それだけに、この催しの宴には何か秘密事を孕
(はら)んでいるのではないかという勝手な想像が脳裡を過(よぎ)った。そして、やはり居るところには居た。タヌキオヤジである。あの『三宝堂』の主人がそこにいた。それだけに、そのしたたかさが窺われた。

観月会の意味するもの。会の「藕糸」としての秘密は、月のタブーを魔力として認識し、人間では無力なことを可能にする狂をあることであった。
 人間では無力とされる物語には、悩み事を解決する箱として『がくや姫』と『天の羽衣』がある。かぐや姫は月の住人であり、歳を取らずに暮らしていて悩み事がない。また天の羽衣は不老不死でありこの箱には羽衣と不死の薬が入っている。そして月の顔は見てはならぬと忌み嫌う。そのように仕向ける。それを庶民はまともに信じた。だが、上層階級で、わざわざ観月会を催すのは何故か。
 そこには秘密の藕糸が有機生命体に繋がっているからである。

 由紀子と二人で並ぶ処から窺える眺
(なが)めは、植込みも、石の佇(たたずま)いも、何もかもが、この庭園の所有者の美意識と教養と貯えのほどが窺われ、それが今宵(こよい)の主催者の握る「切り札」であるのであろうと想像した。その「切り札」を、客の一人ひとりに、手持ちの手駒のカードとして溜め込んでおき、いざとなれば、「切り札」を切り出すことは容易に想像出来る。
 また客が、それをどう受け取ろうと、客の勝手ではあるが、主催者が客に対して、挑戦を挑んでいることだけは確かであった。これは一つの「決闘である」と言ってもよい。
 一度、挑
(いど)まれた客は、これを受けて立つのもよいであろうし、さらりと受け流して、降り掛かる火の粉(こ)から退避するのも客の勝手であろう。最初から戦意を持ち合わせない客も居ないではなかろう。
 “観月会”と銘打ったこの茶会は、その対決の場が茶室にあると思われた。茶室が美意識と教養の対決の場であるならば、この広い庭園もまた、来賓者の観賞の対決の場となるようだ。
 茶室が今宵の主催者の小宇宙であるように、この庭園もまた来賓者の小宇宙に他ならなかった。そして誘われた小宇宙の中に、私と由紀子は佇
(たたず)んで居た。

 そこに一人の女給が数人の客を従えて、庭園内を案内をして遣って来た。
 「こちらでございます」よく作った声色
(こわいろ)である。松子だった。
 彼女は手招きして、庭園内を来客者に案内しているのである。最初、あれッ?を思った。瞬時には松子と分からなかった。女子高生の変装が、私に先入観と固定観念を印象的に植え付けていたからだ。だが、松子を普段から遠望している私は、やがて彼女だと分かった。
 普段から彼女の習性を観察していても、気付くのにもこのように時間差が生じるのである。つまり、人間の多くは先入観に汚染され、それを当り前と思って生きているからである。そのために背後から仕掛ける画策者の意図に気付かない。搾取にも鈍感になり、自分が騙されていることに気付かない。そして多くの人は、自分が騙されたまま死んで逝くことに、何の疑いも持っていない。また長生きしても、やがて疑うことを忘れ、その意識は鈍化して行く。そのため昨今のように、健康寿命などと持て囃されているが、人生の目的は長生きするだけが目的ではあるまい。疑うことを忘れたり退化させれば、搾取の輪から逃れられないのである。搾取は何も資本主義の専売特許ではないのである。

 松子を見て、「巧いもんだ……」と、そう感想で眺めていた。
 その松子は私と由紀子の直ぐ傍
(そば)を通り過ぎた。彼女は巧く化けていた。
 「いまの擦れ違った女性、見覚え、ありませんか?」
 由紀子に訊いた。
 「さあ?……」といって頸を捻り、「知るわけないでしょ」と返答した。
 彼女は擦れ違った松子を気にも留めていなかった。気にも留めないどころか、松子であることすら分からなかった。これだけ松子が化けていれば、上出来である。申し分ない。
 間近に見た事が度々ある私自身、最初は気付かなかったのである。それだけに松子は、よく化けていた。
 「果たして、他人の空似でしょうか」鎌を掛けるように訊いてみた。
 私は由紀子にこのように促したが、結局彼女は気付かず仕舞いだった。
 「そうですよ、空似ですよ」
 この場は、他人の空似で済まされたが、これだけ化ければ、松子はよく作っているといえた。
 成功である。由紀子は、松子の女子高生のあまりに強いイメージを記憶していて、松子が熟女に変装したと夢にも思っていないのである。これこそ、人間の記憶に留めた不確実性である。
 人間は、特に現代人は自身の人体そのものの機能で、物事を確認できないように顛落した生き物に成り下がってしまった。いちいち数字に照らし合わせ、そのデータから近似値を導き出して、それが可であるか、不可であるか、その判断を人体機能では出来なくなってしまったほど、大きく勘が機能する能力は後退し、錆び付いて退化してしまったのである。
 現代人は、もともと自らに備わった機能を放棄したとも言える。それが愚を通り越して、蛮に突入したと言えなくもなかった。
 しかし昭和47年当時、現代は退化してしまった機能を十二分に発揮して、自らの主張を前面に打ち出し、抗った「つわもの」がいた。その「つわもの」の末席に、私自身も加わっていた。
 時は動いた。秋は、風雲急を告げているようだった。
 昭和47年、西暦1972年。暦でいえば壬子
(みずのえ‐ね)の年である。昭和23年(1948)は子歳生まれである。戊子(つちのえ‐ね)である。子は北に位置する。
 さて、これからが暗躍が始まる。暗躍戦の火蓋
(ひぶた)が切って落された。まさに正念場だった。


 ─────庭の中央には、小舟で周遊出来るような、かなり大きな池がある。その池の周りには、幾つかの築山
(つきやま)があり、茶亭などを配して、道がそれらを繋ぎながら池の周りを回遊しているのである。
 つまりこの庭園は、回遊式庭園ということになる。そしてこの造りは、文献や写真で調べ上げた、仙洞御所に何処かよく似ていた。
 表門から入り、少し玉砂利
(たま‐じゃり)を踏んだあと、次は長い甃(いしだたみ)が続いていた。更に門を潜(くぐ)ると、そこは庭園という小宇宙の世界が展(ひら)けていた。一つの小宇宙の絶景を思わせ、かつ、それは非常に見事だった。実に美しかったと表(ひょう)すべきであろう。
 かつて「美しいもの」は、人知れずに仕舞われたものである。
 ところが、今宵の観月会の主催者は、自分の財を自慢するためか、また陽が沈まない内から、来賓客を寄せ集め、黄昏時
(たそがれ‐どき)の夕映えと同時に、月の出る時刻を合わせてセットし、更にこれを同時に披露しようとする心の裡側を垣間見たような気がした。要するに、したたかなのだ。つまり仕舞われている、仕舞い方をせず、剥(む)き出しにして、その力を見せつけようとする意図が窺われた。そう思うと、やはり美しいものは仕舞われるべきだと思うのである。
 本来の「美しいもの」は、剥き出しでは困るし、第一これでは教養と言うものが、後に遠退
(とおの)いてしまうではないか。そんな感傷に浸りながら、私は由紀子と灯籠(とうろう)の灯された庭園内をゆっくりと回遊していた。

 「ねえ、あれ見て。きれい……」
 由紀子がそう言って指を差した。それは回遊して歩いているうちに、「なるほど」と思わせる箇所が俄
(にわか)に登場したからである。これは、この庭園の所有者の意図的な企てか……。
 小径
(こみち)は、林と隔てられいて、静かな風を感じさせ、その片面は、なだらかな傾斜となって池へと向かっているのである。然(しか)も一升石(いっしょう‐せき)と言われる、びっしりと敷き詰められた石を、なだらかな傾斜に張り付け、池がまるで海を思わせる、海浜を模した着想は確かに面白いものであった。
 しかし面白いには面白いが、どこか奢侈
(しゃし)が感じられ、必要以上な、分限を超えた大名風の匂いがしないでもなかった。些(いささ)か驕(おご)りが感じられるのである。

 海浜へと向かうこの一升石は、例えば、雨に濡れた時などは、その濡れた石の佇いに風情があって美しいと思われるが、このような八月の、しかも晴天で、地面が炎天下の強い陽差しで暖められ続けた乾いた日は、それがそれ程までの効果を果たさないようにも思えたからである。
 しかし、それは寧
(むし)ろ一升石の集団が、隔離されたまま、特異な抽象模様を見せ付けているに過ぎないようにも思える。その結果、静寂のはずの磯(いそ)の香りが、どこか大胆で、然も驕った感じを齎さないでもなかった。悪く言えば、大胆な模様化であり、枯山水の寂寥(せきりょう)などを顕わすには、石が余りにも贅沢過ぎるのである。
 芸術的に見れば寂寥よりも、石の見事さを強調する方が、この庭の作者には第一義に掲げる課題であったであろうが、私のような貧乏育ちの人間には、この贅沢な、驕るような大胆な発想には何処かついていけないところがあった。閑寂
(かんじゃく)な風趣(ふうしゅ)に欠けているからだ。
 しかし、多少なりとも草庵の趣がある。それは池の周りに配置された岬灯籠
(みさき‐とうろう)に火が灯(とも)され、宵闇(よい‐やみ)迫る夕暮れ時の池の至る処に、幽(かす)かに揺れる灯影(ほかげ)を映し出していることだった。
 ただ、こうした光景を見れば、黄昏時
(たとがれ‐どき)から宵闇に掛かるこの時刻を、何か幻想的な誘惑で、来賓者を包み込むような未知的な思惑があるようにも感じられた。誘惑する者が、実は誘惑される側の人間であり、やがて未知が既知へとなりはしないかというこの庭の構造に、何か、言葉では言い表せないような無数の意図が隠されているようにも思えた。だからこそ、八月の観月会ではないかと思ったりもしたのである。しかし、そこまで考えるのは、私の考え過ぎであろうか。
 だがしかし、こうした幻想の中を歩いていると、ちょっと視点をずらすだけで、由紀子と私は「誘惑」へ向かって歩いているのではないかと言う錯覚に捕われたのである。つまり、これこそが、回遊式の庭園の妙なるところなのである。

 「ねえ、あの“つくばい”
【註】蹲踞の漢字が当てられ、茶庭の手水鉢(ちようず‐ばち)を指し、その脇には待席がある)に寄ってみませんこと」由紀子がそう促した。
 池の中央へと掛かる石造りの橋を渡ると、その先には躙
(にじ)り口に続く手前の“つくばい”と小さな待席があった。この待席は庭園の作者が、客の休憩場所か、躙り口へ続く持て成しの席として拵た場所であろう。
 橋の下には、一叟の小型の屋形船
(やかた‐ぶね)が通過しようとしているところであった。
 今宵の観月会は、舟遊びも楽しめるような催しになっているようだ。雅
(みやび)と言うより、随分と豪勢なものであった。


 ─────柳田国男
(やなぎだ‐くにお)の『二十三夜塔』には、「二十三夜といふ不思議な風習」という題材を上げ、月待(まち‐づき)のことを述べている。柳田国男は月待のその起源を古(いにしえ)の新嘗(にいなめ)の祀りに遡(さかのぼ)るとしている。これによれば、同じ土地に棲(す)む人達が集まり、風呂をたてて身を浄め、男女が別々になり、月待をしながら全員で一夜を共にするのである。日本ではこうした風習が各地にあったようだ。
 女性達は夜が更けて、月が昇るまで、坐らずに、あるいは腰掛けずにいるのである。これを「立待ち」と言うらしい。あるいは川の岸に立ったり、その瀬に立つのを「瀬待ち」などと呼び、月の出る方向に向かって歩き続けることを「迎待ち」などと称した。ところで月待の「待ち」は、月の出るのを待つのではなく、「お傍
(そば)に居る」という意味であるらしい。それは月の神と、夜を明かすという意味であると柳田国男は述べている。一説には、農民から始まったものとも言われるが、新嘗のりなどが加わっていることを見ると、その起源は、公家などの貴族社会から発したものであるかも知れない。

 人間は月に対して、人間が織り成して来た文化的結晶を集積した媒体であるが、「月待」という古くからの風習は、決して荒唐無稽
(こうとう‐むけい)の伝説ではないようだ。
 その証拠に、人間が紡
(つむ)ぎ出した月への織物は、SF紛(まが)いの『竹取物語』になったりして、その影響を、今もなお、人間に与え続けているという事である。
 科学万能主義の現代、月は宇宙工学などで論ずると、既に征服する対象となり、人間が月に影響されているという発想は、今日では非科学的な思考に看做
(みな)されるようになってしまったが、月は確かに今でも、人間に何らかの影響を与えていることは事実である。
 その証拠に、今宵の観月会には、こうして大勢の来賓客が、この場に、一堂に会していることこそが、何よりの証拠でもあった。そしてこの講
(こう)こそ、観月会の主旨ではなかったか。私はそんな気がしていたのである。

 現代社会は、人が時間の奴隸になった社会である。
 少なくとも、自称「自分を中流」と確信している階層は、時間と、仕事の多忙と、納期の鬩
(せめ)ぎ合いで、忙殺されている。確かに太陽暦を基準として、太陽の運行を基準にした農業社会と、産業社会はそれなりに人類に繁栄を齎したが、同時にそれは、太陽を通じて、人類に君臨する時代の象徴をつくり出して来たともいえる。しかしこの時代の象徴は、十九世紀は石炭をエネルギー源とした蒸気機関であり、二十世紀は石油と原子力にとって代わられ、過信と思い上がりの時代を構築した。その最たるものが科学万能主義であり、物質至上主義であった。だが、ここに至って、そのエネルギーも行き詰まりを見せ始めている。石油は無尽蔵に埋蔵されているものではないし、原子力は未(いま)だにコントロールの難しい厄介な代物である。
 人間の階層を構築する上部と、下部の分離比は、ユダヤ黄金率によれば、28対72という。圧倒的多数を構築する72の大多数は、太陽暦を基準に時間と仕事に忙殺されている。
 一方、上部の28は月にその神秘を感じ、月に回帰し、月を信仰する思考を抱いて、下部と対峙しているのである。今宵の観月会では、こうした上部と下部を隔てる、何か言葉で言い表わされない、不自然さを意図するものが漂っているように思われたのである。ある意味で、28対72という配分分離で、この観月会には上流階級と中産階級以下の鬩ぎ合いのような雰囲気が漂っていた。


 ─────庭の一部に設けられた豪奢
(ごうしゃ)な月見台には、真紅の絨毯(じゅうたん)は敷き詰められ、絽(ろ)の和服姿の若い女性が忙しく来賓客にお茶を振るまい、酒を振るまい、あるいは懐石料理を振る舞って、給餌(きゅうじ)に余念がなかった。その女性群の中に松子も紛れ込んで、能(よ)く作っていた。
 しかし気になることもあった。
 松子は確かに能く作っているが、出来過ぎという観もあった。何しろ容姿端麗である。
 他と同じような和服を着ていても、それが一際群を抜いている。その一挙手一投足までもが目立ち過ぎていまいか。私の危惧
(きぐ)であった。美貌のために目立てば、そこに男の眼が集中する。注目を浴びる。肉食の禽獣はそこに目を向けるであろう。そのことを私は懸念したのであった。此処に極道の筋者が混ざっていれば当然そこに眼が行くだろう。

 世の中は、ある分岐点をもって二極化している。支配階級と被支配階級である。
 これは会社やその他の職場組織でいえば権力を持つ方と権力に従う方である。会社ならば会社役員と会社員の上下二極化である。会社役員は会社員の一人ひとりに目を向けようとすれば、上から下を検
(み)るのであるから、それはよく見えるだろう。
 しかし、会社員側から会社役員は殆ど見えない。見えない階級に属しているからだ。これがサラリーマンを社畜化する「社畜構造」の特長である。現実にサラリーマン世界では、そこに棲息する人々は階級化され、機能化され、歯車化され、飼い馴らされて家畜に成り下がる現実がある。これが社畜化の基本構造である。

 私が松子に対して懸念を抱いたのは、いまミクロ眼的な近くだけしか見ていないのではないかと危惧したのである。
 かつて松子は「遠望したらどうか」と私を諭した。
 例えば、由紀子を検る眼も、接近状態からばかりでなく、遠望したらどうかと諭した。それで、はたと気付くことがあった。だが今日はどうだろう。確かに暗躍者としては能く作っていた。優秀な歯車の一つになりきっていた。だがこの女給群の風景に馴染まない。なぜか目立つのである。それは彼女が、眼をつけられ易い対象になっているのではないかと懸念するのであった。ただ、これから起こるであろう、難局を彼女自身の能力で躱
(かわ)し、去(い)なし、賺(すか)し、あるいは宥(なだ)めて乗り切っていく以外ないのである。その成就を私は祈った。

 宴
(うらげ)は愈々(いよいよ)山場に差し掛かった。
 幽
(かす)かに感じる夜風は、既に秋のものであり、俳句の世界でも、新暦の八月三日から十月三十日までは秋なのである。そして秋のはじめの今宵の八月×日は、一体何を意味するものなのか、まだその謎解きが出来ないでいた。

 イギリスの作家コリン・ウィルソン
Colin Wilson/小説『賢者の石』などで有名。『アウトサイダー』など幅広い評論をした。1931〜)は、博学を駆使した幅広い評論で知られるが、特に意識的精神と潜在的精神の両方からなる精神面積を等分に分離した、人間の精神構造を最も拮抗(きっこう)が取れた人間として、これを理想とした。
 そして彼は、西洋科学が齎した科学万能主義の歴史を批判的に捉えている。したがって彼の言う、人間の理想形とは、意識的精神行動と潜在的精神構造が等しく二等分され、この拮抗の取れた人間こそ、人間のもっとも良き理想と考え、かつ、双方の精神の複合こそ、秘められた力の、新たなる能力の獲得として定義付けている。そしてそれは、「月の暗い裏側の部分」に見い出す事が出来ると言うのである。この裏側こそ、隠れた秘密の力であり、秘められた生命としているのである。
 だからこそ、「月の魔力」や「月の神秘」に、“ユダヤ・カラバ思想”は、これを基盤にして神秘主義を構築し、イルミナティやフリーメーソンなどの秘密結社の儀式に、月のエネルギーを求めたのかも知れない。
 その意味で、今宵の八月×日は、何かが起る予感めいたものがあった。


 ─────午後は八時を過ぎた頃に、月がぽっかりと夜空に浮んだ。名月である。
 月の力は月光だけでない。この力の中には引力や電磁気などの作用もある。地球上の生きとし生けるもの総てに影響を及ぼすのである。その頂点に達するのが中元の旧暦七月十五日の盂蘭盆
(うらぼん)であり、新暦の九月五日から六日の望(ぼう)を指し月齢が15.0である。しかし今宵の観月会は一月繰り上げて催されているのである。その理由は定かでない。謎のままだ。時間と場所と人までが複雑に絡み合っているのである。
 由紀子と共に月見台に招かれ、これから観月の宴
(うたげ)が始まろうとするとき、池のほぼ中央にある茶亭に向かって、一叟の屋根のない小舟が移動しているのが分かった。舟からの観月なのであろうか。ところが、そうではなさそうだ。
 舟から観月をすると言うことより、むしろ夜空を仰ぐ仕種
(しぐさ)は窺われず、何かを話している樣子であった。密談の類かも知れない。その一叟の舟の中には、確かに『三宝堂』の主人と思える男と、別に二人の見覚えのない男が乗っていて、舟の中で酒を酌み交わしているような素振りが見受けられた。だが、月の光で湖面は照らされているが、別の二人に顔は、よく分からなかった。
 ただ、『三宝堂』の主人だけは、その体型からして、はっきりとそれと分かるのだった。あの舟の中では、何か外部から窺い知ることのできない密談めいた話が交わされているのであろう。しかしそれが何であるか、私には測れない。そもそも、此処はそういう密談会合の場であった可能性が高い。舟の客は三人であり、舟尾には船頭が竿を握って舟を操り、停舟しては舟番をしていた。果たしてその舟番は何者か。もし松子だったらと思う。
 否、と首を振る。そういう勝手な想像は直ぐに打ち消された。

 よくよく思い返せば、由紀子はこの観月会の招待状を、どういう手段で手に入れたのだろう。
 それが気になって訊ねてみたところ、自分の上司である小児科部長から貰ったという。「自分は都合でいけなくなったので、よかったら八月×日の観月会に行ってみないか」といわれて、今宵の観月会の招待状を貰ったと言う。そして小児科部長は、なぜ今宵の観月会の招待状を持っているかと訊くと、書画骨董の蒐集家と言うのである。つまり、お茶を嗜
(たしな)む人であるらしかった。
 それを訊いて、なるほど今宵は、こうしたメンバーが、これに参加しているのかと言うことが分かったのである。それにしても『三宝堂』の主人は、相当な人脈と、これだけの人脈を引き付ける以上、その眼力は、したたかなものであると言うことを感じざるを得なかった。それを思うだけで違和感が蘇
(よみがえ)った。
 敵は恐るべし……。新たな戦慄
(せんりつ)が脳裡(のうり)を駆け抜けたのである。
 何と言う狡猾
(こうかつ)さ。そして巧緻(こうち)と思える細心さ。それを思うと肌寒いものを感じた。恐るべき細心な注意力の持ち主であった。

 だが私とて、未
(ま)だ悪運は尽きていない。悪運が尽きるどころか、天命までが味方している。天命が悪ければ、悪命である。その命は「凶」である。しかし余裕がある。悪運は尽きていないのである。その根拠の原動力が「松子サヤン」であった。「松子サヤン」の掩護射撃のお陰で、緊張が無意識の緊張になって余裕を作っているのである。天が私に味方していた。
 現に帰りしな、由紀子と私が擦れ違うとき、庭園案内の女性が静々と歩み掛かり、「お客さま、落とし物でございます」といって小さな手帳を渡した。松子であった。しかし彼女に、由紀子は全く気付かなかった。それだけ能く化けていると言えた。それは情報な記されたものと思われた。



●尾行

 その晩、松子から渡された手帳を見た。書かれていたことは暗号であり、数字とアルファベットの組合せであった。暗号にしたのは、私がこれを直ぐに解読できると思ったからであろう。数学に詳しければ、簡単な応用問題である。だが、肝心な『暗号コードブック』がない。これがなければ幾ら簡単な暗号でも解けない。
 では、何処にあるのか。
 つまり、松子が一宿一飯で草鞋
(わらじ)を脱いでいる私の実家である。実家の何処かにおいているか、隠しているかである。そう考えた。一刻も急がねばならないと思った。安易に明日からなどと高を括(くく)ってはいられない。胸騒ぎがした。人の命に関わるような危険が迫っていること直観したのである。
 一旦、アパートに戻った後、出掛けてくる旨を由紀子に伝え、直ぐに実家に向かった。辿り着いたのは午前零時に迫ることであったろうか。
 月夜の晩であった。深夜でも月明かりで道は明るい。小高い丘の上にある、わが家は丘陵地のほぼ頂付近にある。途中まで道路が来ていたが、その先は工事中であり、わが家の横まで車が通れるよう道幅の拡張工事が行われていた。少しずつ伸びていたが、まだ道が完成していないため、三百メートル程を歩かねばならない。その間の不便があった。
 家に着いて、いつもとは違う妙なものを感じた。玄関灯が点
(つ)いていない。いつもだったら点されているのだが、外から観たわが家は真っ暗であった。人の気配も何もなかった。わが家の駄犬の『犬』だけが主人の復(かえ)りに尻尾を振っただけであった。野郎の名は『犬』である。その名がよく似合っていた。

 『犬』に訊いた。
 「犬。わが家の住人は何処に行った?」
 しかし、犬は尻尾を振るだけで、クンクン哭いて摺り寄るが、それ以上の芸当は出来ない。
 「この芸なしが!……」一瞬、蹴りを入れたくなったが、野郎の(どうかお許しを)というような貌が、月明かりに恨めしく映ったので止めた。
 「では、『猫』は?……」
 野郎もいなかった。夜遊びに出るのである。玄関戸の猫穴を通って、夜になると出て行った朝帰りをする。野郎はとんでもない夜遊び大好き猫だった。私は犬も猫も牡しか飼わない。牝を飼うと子種を宿すからだ。こういう動物も人間の視ていないところでは何をするか分からないからである。野郎どもも、人間の劣らず、したたかに助平なのである。

 鍵を開けれ中に入った。誰もいないし真っ暗だった。燈火を点けて住人を探した。母もいない。勿論、末子も居なかった。では二人して何処に出掛けたのか。そういうことがあるだろうか。
 何か奇妙な、不穏の影が忍び寄って来ていることを感じ始めた。知らないところで、何か大変なことが起こっているのだろう。事故の巻き込まれたのか、それとも事件か。
 居間に坐って、どうなったかを考えてみた。これまでを反芻
(はんすう)してみた。
 その原因は誰にあるのか。勿論、私に帰る。
 それは神に嫌われた人生だった。幼少より、母とも縁が薄かった。いつも母の愛情への飢餓感があった。親戚中の盥回しで、世間の風当たりの強さも、親戚と雖
(いえど)も、冷や飯食いの厳しさも思い知らされて幼少年期を送った。原因が総てそればかりとは言わないが、他に較べて不幸な側面を背負っていた。
 私自身の奇妙な人生を振り返る。それはアウトローではなかったか。ではなぜ反れたのか。誤ったか。
 自分の進むべき道は、小さい頃から決まっていて、その通りに、私が運命から運ばれているように思えるのである。それは血の匂いのする運命である。血とは無縁でいられない殺伐とした人生である。血の勝負師。
 そんな感想が脳裡を襲って来るのである。

 そもそも今回の「義によって助太刀もうす」これ自体が血で呪われた宿命を背負っていた。侠気である。逃れられない道であった。私は平静な態度で、それを受け入れる以外なかった。要らん男気かも知れない。
 自分の進むべき道は総て草深い裏街道で、陽の当たる大道を歩こうとしても、直ぐに裏街道のアウトローに引き戻されてしまうのであう。いつも何かの力で、もとの裏街道に押し戻されてしまうような、漠然としたものを感得してしまうのである。更に反芻すれば、この根元には、もっとよからぬことが付随されているのではないか。
 かつて売卜者が「剣難の相」に合わせて、「女難の相」まで指摘した。かの八卦見は「生きた女やら、死んだ女やらを、ぞろぞろと後ろに引き連れておる。これはまさに、“女難の相”の典型じゃな」と折り紙付きで抜かしおった。これこそ、神に嫌われなければならない私の運命だった。何から何まで嫌われていた。
 その嫌われる原因があるとしたら、私以前のもっと過去に先祖の因縁も絡んでいた。それは後ほど述べるとして、今は現状を把握する以外ない。

 そういう真夜中に電話が掛って来た。何かよからぬ知らせか。ふと脳裡に不穏が疾った。
 電話に飛びついた。
 「もしもし、わたし」
 「うム?……だれ?」直ぐには気付かなかった。
 わが家が空っぽになっていることに動顛
(どうてん)していたからだ。事故や事件の類(たぐい)を懸念していたからである。
 「松子」
 「なんだ、松子か」
 「なんだじゃないわよ。大変よ、お母さんが崖から落ちたの。頭蓋骨陥没で、危ないんですって。今夜が山って、早く来てよ」
 「どこだ?!」
 「製鉄病院。最初、健太郎兄さんのところに電話したのよ。そしたら出掛けたというじゃない。いま由紀子さんも来ている」
 「わかった、直ぐ行く」

 取る物も取り敢えず直行した。着いて知ったことは落ち着いているということであった。だが、まだ峠は越えていない。差し掛かっているところである。
 先ずは謝ることから始めた。何か頭を下げて謝らねばならない衝動に駆られたからである。
 「寔
(まこと)に申し訳ありません。これも元はと言えば、身から出た錆(さび)。不肖岩崎めの不徳と悪徳から出た、わが恥。こうして皆さま方に、多大なご迷惑をお懸けして重ね重ね相次ぐ不祥事、大変申し訳ありませんでした」と、私は例の不祥事を起こす度に、90度に腰を折って平謝りする体勢模写をしていた。
 私はこうした態度をとる度に、「人間は災いなり、罪人は災いなり、なぜ、彼等は生まれたのか」のパウロの黙示録の冒頭を思い出すのである。
 私は罪人だった。生まれながらに災いを背負った罪人だった。

 「なにを勘違いしているのですか」由紀子だった。
 「お母さん。もともと白内障だったのよ。お風呂にいく途中に、工事中の階段で足を踏み外し、崖下に顛落したの。もとはといえば、わたしが付いてていれば……」
 母が白内障を患っていることは知らなかった。
 「発見が早かったから間に合ったて。松子ちゃんが発見して救急隊を呼んだの。とにかく一命だけでもと、そう祈っています」
 「でも、わたしにも責任があるわ」
 「いや、そうではない。しかし、今はよそう」誰の責任か追及しても意味がないことだ。
 廊下で深刻な話しをしているとき、手術室の『手術中』のランプが消えた。やがて医師団が出てきた。
 「担当医から説明があります」と前置きしたあと、担当医が「なんとか峠は越えました」と発表があった。
 由紀子と松子は「よかった」と安堵の綻
(ほころ)びを見せたが、私は何となく単純に喜べなかった。峠を超えたことは不幸中の幸いである。
 だが、こうした輪の中に無関係の人間まで引き摺り込んでしまう、私の血は、何と禍の元兇になっていることか。そこを羞じなければならない。やはりて平身低頭するべきである。わが家の毀れた風呂を放置した私の責任は重い。もし、風呂が毀れれいなければ、この顛落事故は起こらなかった筈だ。総ての責任は私に向けられるものである。何故かそういう自分自身が忌まわしく思われた。そして、それでも死ぬまで生きていなければならない自分自身の哀れを呪った。
 由紀子は担当医と、症状について細々とした話をしていた。

 「松子」
 「なあに」
 「暫
(しばら)く母の傍(そば)にいてくれないか」
 「いいわ」
 「そして、もう元の鉄砲玉に戻らないでくれないか。そのまま、ずっと女でいてくれ。その方は似合う」
 「……………」
 「あとは、おれが片付ける。どうか、お願いだ。いつまでもとはいわない。暫くの間でいい。母が恢復
(かいふく)するまで傍にいてくれないか。もしおまえが去れば、母は悲しむ。寂しさのあまり気力が萎えて、覇気を失いい死ぬかも知れない」
 「だったら、条件があるわ」
 「なんだ。訊こう」
 「健太郎兄さんが死なないと約束してくれるのなら、そして死にそうになっても必ず生還するって約束してくれるのなら、その願い、叶てやるわ。これが条件。どお?」迫るように訊いた。
 「よし、わかった」
 「これも浮世の義理だ。叶えてやろう」小生意気な事をいった。本来はこういう性格の娘かも知れない。
 「なかなかいい。だいいち渡世の義理だと言わないところが、更にいい」
 「わたしは何も、東映のヤクザ映画の義理と人情のなかに生きているのではないのよ。義理堅さのなかに生きているの」
 「では、おまえの義理堅さに答えよう」
 私がこのように相槌
(あいづち)を打ったのは、松子が人間性を取り戻し、今まで忘れていた慈愛とか、労りとか、情けとか、優しさか、更には女らしさといったものを急速に恢復しているからであった。それに答えたまでである。時間は人を変える。孟子に出てくる惻隠(そくいん)に気付き、人間性を取り戻すこともある。
 「絶対ね、いい?」約束させるように訊いた。
 「いや、絶対は難しい、人間だからな。運・不運がある。だが、極力添うようにする。あとは任せろ」
 「でも、奢
(おご)っては駄目。甘く見ない方がいい。悪魔と勝負するんだから。苦難は否応無しに遣って来ること忘れないで。子平も斬られた。そのことを忘れないで」
 「ああ」諒解の意味だが、《子平が斬られた》は重い影となって浮上した。相手が手練だと分かる。しかし松子が同意したことは有難かった。子平という人物はお目に掛からず仕舞いだったが、この御仁も相当な手練だったのだろう。それが斬られた。
 「これで少しは、肩の荷、降りた?」顔色を覗き込むように訊いた。
 「やっぱり、女らしいな」
 「さて、これからバリバリ稼ぐぞ……。そうでしょ」
 「稼ぐって、どうやって?」
 「山師でしょ。健太郎兄さんだけの専売特許」
 「そうだったな。すっかり動顛して、阿呆になりかけていた」
 「山師は山師以外に呼称はない……、でしょ」
 「誰に訊いた?」
 「由紀子さんが、おもしろいこというのよ。お利口さんは、愚者を見下して悪口を言う場合、バカとか、たわけとか、うつけとか、阿呆とか、脳足りんとか、いろいろあるけど、愚者が智慧者の悪口を言う場合は、一つしかないって。それが山師ですって。おかしいとおもわない」
 「本当に、おかしいとおもうか」
 「おかしくないの?わたし、おかしい。充分の笑える。そうじゃない?」
 「それを聴く、おれの身にもなれ。決していい響きではない」
 「でも山師にならないと、お母さんの治療代払えないわよ。これから口から出任せで、山師料金でバリバリ稼がないと。分かっていますか?」
 「言っておくがなァ、時給一万五千円は正当な労働報酬、山師料金でない。神に羞
(は)じるものでない」
 「でも、超高い」
 「違う、超安い。いいか、一生を左右する現役合格を保証するのだぞ」
 「でも、やはり超高い」段々松子は白熱し始めた。
 「総決算トータル量の一定法則。好運と不運は交互に公平に遣って来る。一方だけに偏ることはない」
 「それで?」
 「好運のときに乗り、不運のときに乗らなければいい。したがって教授者は好運の波に乗れそうな者のみを教授する。則
(すなわ)ち、乗れそうもない、見逃し聞き逃しの輩(やから)は教授しない。これ、ここ読めワンワンの濃縮エッセンス」
 「選ぶということ?」
 「そうだ。神すら、救われる者とそうでない者とを選ぶ。選民までする。好運が来ても、人間には乗れる者と乗れない者がいる。したがって世の中には実力があっても、運がないために、波に乗れない者がいる。
 また運があっても実力がなければ、いい波が来ても、乗れないものだ。波に乗れるのは実力があって、波を巧に読み、見逃がさない好運者だけだ。それ以外は合格を保証できない」
 「わかったようで、ようわからん」急にオヤジ言葉になった。私の言を詭弁と思ったのだろうか。
 「わからんなら、わからんでいい」
 「しかし、健太郎兄さんが山師であることは、よくわかった」
 「もしもし、そこのお二人さん。白熱はそこまでにお願いします。ここ病院ですから」由紀子から御目玉を喰らった。
 「はいはい」
 さて、あとは奔走と暗躍である。斯くもこのように、一方で工作員となり、他方で山師とならない二重苦を背負う羽目になったのである。


 ─────狐狸の尾行が始まった。松子サヤンの掩護射撃が期待できないので、些か戦力不足である。
 こうなったら、とことん尾
(つ)けて尾けて尾け廻す。尻尾を掴んでやる。そう肚を決めた。如何に狡智の持ち主でも、尾けられれば追われている緊張感から、ふっとボロが出る。ボロが出るのは緊張しきっているからだ。余裕がない時である。逆に余裕があると、失策は出難い。肚を据えて悠然としていればいいのである。
 再び『三宝堂』に出向いた。既に予期したことが起こっていた。
 店のシャッターは降ろされていて、「本日臨時休業」という貼り紙がしてあった。警戒し始めたのだろう。
 その証拠に、貼紙の字は頗
(すこぶ)る乱れていた。私の来店に恐れをなして居留守を使うらしい。
 愈々
(いよいよ)動き出したかと思った。それは怯(おび)えていると採(と)れた。
 私は暫
(しばら)く、店の裏手にある正門に張り付いて様子を窺(うかが)うことにした。間違いなく、中には人の気配が感じられるのである。必ず、主人もこの中に居る筈(はず)だと言うことが分かっていた。息を潜(ひそ)めているような感じだった。この狙いは的中していた。

 やがて正門先の飛石伝いの玄関が開かれ、中から主人が大きな風呂敷包みを手にして出てきたのである。縦長
(たてなが)の、その風呂敷包みの中には、間違いなく日本刀が包まれている形跡があった。
 主人は辺りを憚
(はばか)るように、そっと忍び足で何処かに出かける様子であった。
 昨日、研
(と)ぎの話をしていたので、もしや、あの刀を研ぎにでも出すのかと言う予感がした。ひとまず後を蹤(つ)けることにした。
 主人の態度は妙にオドオドして、挙動が落ち着かないでいた。自らの意志も失っているのではないかという風に窺
(うかが)われ、最後に切羽(せっぱ)詰まって、何かの行動に出た、という感じだった。
 それは暴挙ともとれた。着流しに茶羽織と言う出
(い)で立ちで、貫禄があるような体躯をしていても、所詮(しょせん)は欲に転んだ臆病者なのか……。そんな感じすら抱かせた。
 その意味で、私とも共通点があり、小心者の私としては、この主人の気持ちが手に取るように分かるような気がした。小心者の人間が追い詰められた挙句にやらかすことは、一致して空恐
(そら‐おそ)ろしい事をやってのける大胆さであった。まさか、あの主人もその類(たぐい)では……、という気持ちを抱いた。
 「窮鼠
(きゅうそ)猫を噛む」という俚諺(りげん)にもある通りだ。
 窮鼠になったのかも知れない。それは、もうこれ以上、逃げられないと悟るからだ。したがって、「逃げられない」という悟りに似た諦めは、まるで居直り強盗のように、最後は恐ろしい牙
(きば)を剥(む)く。小心者の心理である。

 空き巣狙いや、コソ泥らが忍び込んだ先で、突然帰宅した家人に発見され、居直って、凶悪犯罪者へと変貌
(へんぼう)するのは、小心者が窮鼠になるからだ。したがって小心者が窮鼠になった場合、その豹変後、恐ろしい予測不可能な事態が待っている。突飛な行動に出るのである。
 人間は欲に転んだが最後、その因縁を発端
(ほったん)として、次々に欲が空回りする。欲に雁字搦(がんじ‐がら)めにされ、遂には墓穴を掘っていく。このジレンマから逃れる者は、殆(ほとん)ど居ないのだ。損得勘定の激しい、往生際の兇(わる)い、欲惚け人間ほど、このジレンマに嵌(はま)り易い。

 主人は途中でタクシーを拾い、それに乗った。私も気付かれないように沿線のタクシーを直ぐさま拾い、その後を追った。
 タクシーは意外なところで止まった。しかし直にそこでは降りず、100mくらい通過した先の曲り角で降りた。主人の降りた場所を通過して、様子を見る為であった。尾行を悟られてはならないからである。
 一般に人を尾行する場合、尾行の素人は、例えばタクシーに乗った人間の後をつける時には、相手が降りた手前の場所で降りて、追跡する者の様子を窺
(うかが)おうとする。これはまさに素人の尾行である。
 尾
(つ)け慣(な)れた者は、絶対に相手が降りた建物の前の場所などに降りることはない。一気にその場を通過して、その様子を車越しに見ながら遣(や)り過ごし、遥(はる)か先の場所で降りて引き返すのである。
 一旦手前で降りてしまえば、追跡対象者の最も新鮮な最新情報は得られない。先の不確かな、憶測だけで様子を予測しなければならなくなる。特に、追跡する人間の顔色は窺うことができない。
 しかし、尾行に手慣れた者は、こうした憶測で物事を考えることはない。確かな最新情報を得るのである。それは徒歩での追跡ではなく、車ごと接近し、車窓越しに相手の克明な、接近状態からの最新情報を得るのである。こうすれば、追跡される者は、安易に、車が通り過ぎたことで、今の車は自分を尾行したのではなかったと安堵
(あんど)するのである。

 ところが自分の降りた車の数百メートル後に、何らかの車が止まれば、「自分は尾行されているのでは?」と警戒するのである。同じ身を隠して追跡するにも、二通りの方法があり、尾行のプロは、追跡する者を前にして、その前方で降りて、そこから徒歩で接近すると言う方法を採
(と)らないのである。
 この主人は、実に用心深い男であった。その証拠に、角を曲がるにしても、やたらに頭が左右に動く。これは尾行を警戒しているためであった。それ故に身なりも、万一の尾行を警戒して、他の用件を装った偽装工作
(ぎそう‐こうさく)した観があった。それだけに海千山千の手練(てだれ)であることは容易に窺われた。人一倍警戒心が強いようだ。

 私はタクシーを遥か先に止めて降り、急いで引き返し、『三宝堂』の主人の後を蹤
(つ)けた。小さな路地に入り、そこは袋小路(ふくろ‐こうじ)になっていて、その奥には『今田柔道場・柔道接骨院』の看板が掛かっており、その横に一等小さく『円心古流居合術今田道場』という看板が掛けられていた。
 どうやら主人は、この道場の中に入って行ったらしい。一旦袋小路の外に出て、大通りの路上の隅から袋小路の様子を窺
った。待つこと約一時間。ようやく主人が出て来た。
 出て来た時は入る時に、手に持っていた風呂敷の包みはなくなっていて、どうやらそれは道場の誰かに預けたのか、何らかの理由で、委託したのかは分からないが、手ぶらで出て来たことは確かだった。小走りで、人目を憚
(はばか)るように急いで立ち去ったので、緊急の何事かが、起こったことは容易に察しがついた。そして通り掛かりのタクシーを止め、それに飛び乗るようにして姿を消した。

 入門者を装って『今田柔道場』の門と叩いた。入ると道場の受付があり、接骨の治療を受ける入口と、道場の入口が二つに分かれ、私は受付の中年の婦人に道場の案内書を貰いたい旨を伝えた。
 婦人は快く案内書を差し出してくれ、私がそれに目を通していると、二人の男性が二階から下りて来た。一人は年配の初老の人で、もう一人は、ほぼ私と年格好が同じ青年であった。
 最初に年配者が私の顔を見て、「あんた、会津自現流の岩崎さんじゃろうが?」と訊いた。
 私がその返事をしようと思っていた時に、もう一人の青年が、「なに!……会津自現流の岩崎だと?」と、一見訝
(いぶが)しげに、懐疑(かいぎ)に満ちた顔で訊(き)き返し、私に不審な表情を向けた。
 何か良からぬことが、バレてしまったような気になり、「はあ、会津示現流の岩崎です」と自らの素性を明かしてしまった。
 「会津自現流が、うちの道場に何の用じゃ?うちの案内書を貰ったようだが……」
 年配者は、皮肉めいた口調で私に言った。正体がバレてしまったのである。小細工は効かない。そう詰め寄られたからには、私も逃げ隠れすることが出来なくなり、その理由を述べなければならなくなった。
 「実は、私と同業者と思える骨董屋が、この道場に一時間前ほど入って行ったのですが、その人と、此処の道場とは、どういう関係なのか、是非お訊
(き)きしたいと思いましてね。それで入門者を装って、入らせて貰ったわけですが、どうやら私の面(つら)は、バレていたようです。バレては仕方ないので、骨董屋との関係を、お聞かせ頂ければ有り難いのですが……」
 居直りを通り越して、毅然
(きぜん)として云い放った。
 あえて「刀剣店」と言わず、骨董屋と言って、刀に気が行き、反応するのを削
(そ)いだ。
 だが答えてくれる筈がないと思っていた。しかし年配者が青年に向かって、こう言った。この二人は親子であるらしい。
 「儂
(わし)は知らんが、清春(きよはる)!骨董屋はお前の知り合いか?」
 「はあ……」
 「骨董屋とは、一体何者じゃ?」
 「私の門弟の、出入りの刀屋ですが……」
 青年は、しぶった声で訊
(き)かれたことを吐いた。
 「事情は、こんなところだ。まだ何か用があるのか?」
 年配者は、これを私に訊き質
(ただ)した。
 私はこれ以上穿鑿
(せんさく)することは無用と思われたので、丁重に頭を下げて、この場を退散した。

 この道場と刀剣店の主人、それに安田組とは、何らかの関係があるのだろうか。今一つ、その結びつきがはっきりしなかった。しかし、何か、絡んでいることは確からしい。
 こんな思案をしながら、この場を後にする時、何処かで見たことのあるような男が、この道場の中に入っていった。その男は安田組の事務所で見た男だった。これでどうやら、この三者の結びつきがはっきりしたのである。安田組に関係のある『三宝堂』の主人と、今田道場と安田組……。
 この三者は、何らかの腐れ縁を持っているに違いないと睨
(にら)んだ。中(あた)らずと雖(いえど)も遠からずであろう。それにしても、まだ分からないことが二つあった。
 一つは『三宝堂』の主人が持ち込んだ風呂敷包みの中の検討である。恐らく刀と思われたが、その刀はどのような代物か。あるいは人斬り用に拵
(こしらえ)を施した“あの直胤”か。それを誰が遣うのか。
 二つ目は安田組の組員と今田道場との関係であり、なぜ今田道場が暴力団と関係を持っているのか。その二つの具体的な謎が解けなかった。これを解くには、松子が渡した暗号を一日も早く解読する以外なかった。


 ─────私は思案に暮れていた。
 もう一度、『三宝堂』の主人をつついてみるか。そんなことが脳裡
(のうり)に過(よぎ)った。しかしこれ以上、主人をつつけば、却(かえ)って藪蛇(やぶへび)だろう。
 いや、蛇より大蛇が飛び出して来るかも知れない。
 更に私が、安田組のことを嗅
(か)ぎ回っているということを、主人が組事務所に通報するかも知れない。そうなれば私の諜報活動は御破算(ごはさん)になる。間諜(かんちょう)として以後の活動は不能となる。そうかと言って、毒をもって毒を制するわけには行かない。進退窮まった観があった。
 つまり以前、不正選挙の時、知り合った江川組の若頭の石田に、この依頼を頼むわけには行かなかった。何としてでも、私一人で片付けなければならない問題であった。
 やはり、別の骨董屋か、刀屋に当りをつけて、側面からこの情報を探ることしかなかった。しかしそれは、遅々
(ちち)として進まなかった。それにしても『三宝堂』の主人を刺激して、今田道場との関係を炙(あぶ)り出し、安田組の情報を得るという作戦は、どうやら結実しなかったようである。

 私が何故、これ程までに諜報収集に拘
(こだわ)るか……。これは単に卑怯(ひきょう)極まる手段に出て、相手を打ち負かしたいためではない。まず小が大を制するためには、必要不可欠な条件であり、ただ安易に華々しく合戦をして、死に狂いすれば、事は済むものではなかった。
 敵の誘いに乗り、敵の待ち受ける戦場に、堂々と乗り込んで、暴れ回ったところで、5分と持たず、最後は残忍極まる集団から袋叩きにされて嬲
(なぶ)り殺しの目に合い、無慙(むざん)に殺されてしまうのがオチであろう。そして嘲笑(ちょうしょう)されて、惨めな屍(しかばね)を曝(さらす)すことになる。
 あるいは、どうせ殺されても、手際よく処理され、私の死体はセメント詰めにされて、海か、湖か、何処かに捨てられるだろう。こうなっては、奴等に一矢
(いっし)報いることは出来ない。
 奴らを心の底から震
(ふる)え上がらせ、徹底的に恐怖に陥れなければ、この作戦は失敗に終わる。以降も何かにつけ、いちゃもんがつけられて、後に第二、第三の被害者が出るに違いない。同じ轍は踏みたくない。

 晩年のナポレオンのやった、『ワーテルローの戦い』のような、ミスった戦闘はできないのである。無慙な結末としてセントヘレナ島に流されて没したくはない。天下の戦争芸術家も最後はミスる。
 ワーテルローの戦いは、歴史的に名高いが、元々フランス軍有利の中で、戦闘の火蓋
(ひぶた)が切って落とされ、最初フランス軍は優勢を誇ったが、プロイセン軍が到着した後、これまで苦戦を強いられていたイギリス、ドイツ、オランダの連合軍は、忽(たちま)ち息を吹き返し、形勢が逆転した。このため、フランス軍は大打撃を受けるのである。赤と白の派手な軍装を身に纏(まと)い、軍楽隊のドリル行進で突撃し、敵陣に突き進むと言う、正攻法を模(も)した、正面きっての愚かな作戦を実行したのである。歩兵も、騎兵も散乱する銃砲の弾に伏(ふ)せることもなく、悠々と進む態(さま)は、勇敢を通り越して、滑稽であり、狂気に満ちていた。
 その結果、三人に一人が死傷すると言う惨劇
(さんげき)を招いたのである。

 英雄ナポレオンも、この頃になると優柔不断
に陥り、迷いが生じ緻密(ちみつ)な作戦計画と、十分な情報収集と、決断の意志が欠如していたと思われる。晩年のナポレオンの闘い方は戦争芸術と言えるようなものでなかった。奇策は出らぬまま潰えてしまった。
 それに反して、三国志に登場した英雄たちは、最後の最後まで頭脳の冴
(さ)え渡った戦略を試みて、その冴えの衰(おとろ)えることがなかった。奇策の連続だった。
 取り分け、諸葛孔明の戦術展開は、一際
(ひときわ)我々の目を惹(ひ)き、今でもその驚異に驚かされる。奇手の応酬に痛快すら感じさせる。小兵力で戦うとしたら、恐らく謀略戦以外ないであろう。
 奇手が必要である。しかし往々にして、謀略戦
は苦しい選択を余儀なくされることが多い。私はこの時、孤立無援の、「個人」対「集団」の泥沼のような戦いに発展するかも知れないことを暗示しその予兆すら感じさせるのである。万一の場合があるだろう。
 その時は、道場を捨てなければならないと考えていた。そして愛するものは、悉
(ことごと)く捨て去る決心を余儀なくされるであろう。一切の訣別が迫られるだろう。
 そう決心を、心の何処かで決めざるを得なかった。
 もう既に、夢と現実の区別がつかなくなるような状態に追い込まれていた。脳裡に暗中模索
(あんちゅう‐もさく)が交差する。世の中のことは、そう易々と自分の思い通りに、事は運ぶ筈がないのだ。
 不貞
(ふて)腐れたような気分になり、何ともいえない挫折感に襲われていた。


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