運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
旅の衣・前編 1
旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
旅の衣・前編 8
旅の衣・前編 9
旅の衣・前編 10
旅の衣・前編 11
旅の衣・前編 12
旅の衣・前編 13
旅の衣・前編 14
旅の衣・前編 15
旅の衣・前編 16
旅の衣・前編 17
旅の衣・前編 18
旅の衣・前編 19
旅の衣・前編 20
旅の衣・前編 21
旅の衣・前編 22
旅の衣・前編 23
旅の衣・前編 24
旅の衣・前編 25
旅の衣・前編 26
旅の衣・前編 27
旅の衣・前編 28
旅の衣・前編 29
旅の衣・前編 30
旅の衣・前編 31
旅の衣・前編 32
旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
旅の衣・前編 35
旅の衣・前編 36
旅の衣・前編 37
旅の衣・前編 38
旅の衣・前編 39
旅の衣・前編 40
旅の衣・前編 41
旅の衣・前編 42
旅の衣・前編 43
旅の衣・前編 44
旅の衣・前編 45
旅の衣・前編 46
旅の衣・前編 47
旅の衣・前編 48
旅の衣・前編 49
旅の衣・前編 50
旅の衣・前編 51
旅の衣・前編 52
旅の衣・前編 53
旅の衣・前編 54
旅の衣・前編 55
旅の衣・前編 56
旅の衣・前編 57
旅の衣・前編 58
旅の衣・前編 59
旅の衣・前編 60
旅の衣・前編 61
旅の衣・前編 62
home > 小説・旅の衣 > 旅の衣・前編 53
旅の衣・前編 53

観月会は庭園観賞とセットになっていた。


●旗師となる

 私は由紀子から疑念を抱かれていた。信用度は限りなくゼロに近かった。
 「何か訝
(おか)しいぞ。この頃、何か変。訝しな行動といい、言動や態度といい、書画骨董に熱を入れる姿といい、少しばかりよからぬ悪臭が匂うなァ……」クンクンと匂いを嗅ぐ仕種(しぐさ)をした。
 「いやだなあ、銭湯には昨晩行ったばっかりですよ……」と惚
(とぼ)けてみた。
 「おい、岩崎健太郎!」
 「はい!」
 「白状しろ!証拠は上がっているんだ!」疑念の追求はエスカレートしていった。
 「えッ?何を……」
 「ちょっと、このごろ変だぞ」そういって頬を膨らませている。
 「僕が『猥褻
(わいせつ)愛好会』か『変態同盟』にでも入っていると言うのですか」
 「その懸念、大!」指弾するように由紀子が決め付けた。
 「それは明らかに冤罪
(えんざい)です。われに罪なし!」
 「あたしの目を見て」
 「はい」
 私は、由紀子が私の心の中を覗
(のぞ)こうとしているのを百も承知していた。この儘、まともに見てしまっては、何かを見透かされてしまう。それを何とか阻止しなければ……。
 そう思うと、「寄目之術
(よせめ‐の‐じゅつ)」しかない。
 寄目之術は、単に瞳
(ひとみ)を鼻柱に寄せて近距離を視(み)る術だが、本来は「八方目」の鍛練の為に行う術であり、寄り目の状態にしておきながら、それを外に開いていき、270度が見えるまでの広角を開くため鍛練法である。
 沈黙の間合を推し量るように、それを思い切り遣
(つか)って、出来るだけ鼻柱の中央に寄せてみた。
 何事も、間合が肝心である。間合を間違えば、面白いものでも面白くなくなるし、間違わねば、何のことでないものでも、間合によってそうした場合を作ることが出来る。間合は功を奏したようである。
 由紀子は可笑しかったと見えて、大声を出して笑った。彼女の笑い上戸の性格は心得ている。

 「何て目をするのですか。もっと普通にして、普通に」
 「これが普通です」
 更に、中央に寄せてやった。
 「もうイヤですわ、そんな目をしちゃァ」可笑しくて溜まらないと言う顔をする。
 「見ろというから、見ているのです。これ以上の普通はありません」
 私は精一杯のお愛想を振りまいた。
 「ねえ、お願い。本当に普通の自然体で……」
 「これが僕の自然体です」更に寄せてやった。
 こうしたときは陽気に振る舞う以外ない。由紀子は可笑しくて溜まらないというふうだった。とうとう煙に舞いてやった。
 こうしているうちに、由紀子自身、何で目を見つめるのか、そのこと自体を忘れたのか、彼女の追求はついに脇道に入り込んでいた。これで危ない急場を凌
(しの)ぐことが出来たのである。どこまでも隠し通し、そのこと自体は気付かれていなかった。また勘付かれてもいなかった。焦点がボケたのだろう。

 由紀子が病院に出勤した後、本日の作戦を頭の中で組み立ててみた。その後、一人で昼食を済ませて、例の『三宝堂』に出掛けたのである。
 福岡県公安委員会の発行した『古物商許可証』をちゃんとポケットに入れたことを確認し、地味な服を選び出して、出来るだけ、年齢より老けた中年紳士に見られるように変装した。そして旗師を装ったのである。
 『三宝堂』に近づいたとき、直
(すぐ)に店内には入らず、まず外からウインド越しに店鋪内の様子を窺(うかが)った。
 主人は、昼間は幾分暇
(ひま)を持て余しているとみえ、退屈の余りに、転(うた)た寝をして舟を漕(こ)いでいたのである。あるいは昨晩の観月会での接客やその他の奔走(ほんそう)で、些(いささ)かの疲れが出たのだろうか。
 願ってもないチャンスであった。静かに、そっと入口の引き戸を開けて中に入った。この店には来客をチェックする警報機がついてないようだ。
 これによって、この店のウインドウや飾り棚に置いてある品物の値段が、凡
(おおよ)そ見当がつく。ウインドウ内や飾り棚には、大して高価な品物は展示されていないと分かるのである。要は主人の坐(すわ)る、帳場格子(ちょうば‐ごうし)の横に置かれた観音開(かんのん‐びら)きの大型金庫の中であろう。

 古物商は都道府県の公安委員会の規定により、必ず貴重品を保管するために、保管金庫を置くことが警察庁命令で義務付けられている。
 特に刀剣店では、この規定が一段と厳しく、一ヵ月に二回程、定期的に所轄警察署の防犯課の刑事が、古物台帳の点検にやって来る。古物台帳には必ず売買した者の氏名、年令、住所、電話番号、風体や人相の特長、更には人体的な特徴などを細かく記載しなければならない。古物台帳は、質種
(しち‐ぐさ)を形に取る質屋も同じ物を所持する。盗難品を質草にする輩(やから)がいるからだ。

 美術品商と質屋の違いは、前者は単に美術品の売買だけだが、後者は質物を担保として質入主に金銭を貸し付けることができることである。また、担保を保管する“倉”を持って居る事である。一方、美術品商は、日本刀をはじめとする美術品を保管する大型金庫だけに限られていた。そして台帳に記載する法的義務は、両業者に課せられていた。
 これは万一事件が起こった場合、盗品の流通を調べ上げ、持ち主をはっきりさせるためである。
 また最近は、売上にも関与し、防犯課とは別に、半年に一度、売上台帳
(出納簿や売掛帳、買掛帳など)を持って警察署の生活経済課(現在は生活安全課)に出向かなければならないようになったのである。規制緩和が口にされながら、逆に規制が厳しくなっている実情があるのだ。背景には古物営業法の兼ね合いもあるようだ。古物鑑札を失効した者が、古物商然として普段はサラリーマンをしながら、刀剣市や骨董市に出入りし、競り落とすなどの違法行為や、失効しているのにも関わらず、友人知人に刀を売りつけ、然(しか)も所得税を支払わずに、頬っ被りして脱税をしている現実があるからである。

 その年に得た勤労所得以外の、不労所得をはじめとする売上利益は、サラリーマンと雖
(いえど)も確定申告する義務が生まれるのである。しかし、これを無視して普段はサラリーマンをしながら、自社の社則に抵触しながら、あるいは確定申告しないまま、脱税している勤労所得者は多いようである。
 また、古物許可を失効し、古物鑑札がないにも関わらず、それでも尚かつ刀剣類や骨董品類を売買しているのは、知らないと云いながらも、悪質である。
 不当な利益を手に入れながら、確定申告をしていないからである。またサラリーマンが古物を扱う場合、日々を格闘戦のように闘っている生業としての古物商と異なり、年に数回の売買では、売買をしていると言う具体的な実感がないため、確定申告無用と甘く見るのであろう。
 刀剣の場合は、金額が高額になるため、脱税の誤摩化し額は半端ではないだろう。

 また日本刀の場合、その名義変更は取得した日から、20日以内に登録証を発行している都道府県の教育委員会の文化財保護課に届け出ねばならず、これを怠ると罰されるが、売買をする者はこれをせず、次から次へと廻して、名義変更をせずに、その儘
(まま)にしている者が多いようだ。しかしこれも違法である。
 逆に名義が頻繁に変わる場合、税務署から眼をつけられ査察が入る場合がある。
 また銃刀法では、登録証の無いものは売買することが出来ず、また所持することも出来ない。これを所持すれば、銃刀法違反と不法所持で直ぐに逮捕されてしまう。刑事罰を受けるのだ。しかし内緒で、これを隠し持つ者も少なくない。
 したがって不正な無登録の物や、盗品と思う物は敬遠させるのであるが、中には、それと分かっていて買入を行う業者もいる。その物品を売買しているかどうかは、凡
(おおよ)そ、ウインドウ内の展示物で分かるのである。
 ウインドウ内に大した物がなければ、金庫の中ということになる。私はこれを期待していたのである。
 しかし、それにしても、どっしりと備え付けられた観音開きに大型金庫は、尋常
(じんじょう)なものではなかった。何か不正を孕(はら)み、そうした疚(やま)しい物を、一つや二つ抱え込んでいることがあり得るように思えたからだ。

 この地域の所轄の警察署の巡回は、おおかた1日と15日であった。今日は月半ばを過ぎていたので、当分警察の巡回はない。
 だとすれば、月半ばから月末までの、この2週間と言う期間内で、これから暫
(しばら)くは、盗品や不正な美術品が動き回る時期となる。その時期は、闇取引もあり得るのだ。裏取引もあり、盗品は、これを専門に買う海外向けのバイヤーも暗躍する。刀剣類は盗まれた場合、まずその後、日本で発見されることはない。発見されたとしても稀である。大半が海外の犯罪組織へと流れて行く。あるいは自宅コレクションとして、盗品を密かに飾って自分の楽しみだけに鑑賞する「ゲーリング・コレクション」などが存在している。コレクターは自身の楽しみのために満喫し、満足感を覚えるのである。例えば、拳銃マニアなどもその種属であろう。
 私はこの種の物を、直
(じか)に見たことがあった。

 話を戻す。
 それは約2週間の期間、明らかに不法所持と思える“銃砲刀剣類登録証”のない、名うての逸品が右から左に横行する期間となるからである。
 私は店内の品物を見回している時、この店の主人が、人の気配を感じて目を覚ましたようだ。
 客の入店にハッとした主人は、今まで転
(うた)た寝などしていなかったかのような、口ぶりで「何かお探しかな?」と徐(おもむ)ろに口を開いた。
 「はあ、備前の一輪挿
(いちりん‐ざし)。それも窯変灰被ようへん‐はいかぶり/藁灰の掛かった模様)の旅枕(たび‐まくら)を」
 ちなみに「旅枕」とは縦型の中央部は凹んだ枕に似せた陶器のことで、茶室などの柱に掛けるものである。一般的には備前系の物に見られる。
 「ほーッ、茶道を遣
(や)られるのですか」
 「はあ、些
(いささ)かですが」
 「でしたら、そこの古備前窯変花入は如何かな」
 「一輪挿の置き物ではなく、掛け物
(床柱や壁に架ける花瓶等を指す)の“旅枕”が欲しいのですが。それも時代物の“深山桜(みやま‐ざくら)”が……」
 「何!深山桜ですと!?」と、素頓狂
(すっ‐とんきょう)な声を出し、一瞬考え込むような素振りをした。わざとだろうか。
 「そういうのを、お持ちではないでしょうか?」鎌を掛けるように訊
(き)いてみた。

 穏やかな顔は豹変し、怪訝
(けげん)そうな顔で、私を睨(にら)んだ。私は、わざとに展示していない、篦棒(べらぼう)に高い逸品を所望したのであった。そしてその目的は、金庫の中を開けさせようと思っていた。展示品は高が知れていたからである。
 これだけの店の構えである。備前焼の旅枕の一つや二つ、持っていないことはないと踏んだからだ。しかしこの主人は、私の策に、容易に乗るほど、甘くはなかった。“したたかさ”が窺
(うかが)えるのである。あるいは私を甘く見て、「深山桜(みやま‐ざくら)」を持ち出しても、素人風情がと、相手にしてないのだろうか。その懸念も充分に窺(うかが)われた。

 私は帳場格子の中に坐る主人に近寄り、再度同じ話を持ちかけた。
 「深山桜、お持ちではないでしょうか?」耳許
(みみ‐もと)で囁(ささや)くように話し掛けた。
 しかし、この主人は、この言葉にも大した反応はしなかった。表面上はそう見えたのである。その辺の表情を崩さないところがしたたかだった。
 既に心の中では胸算用
(むな‐ざんよう)が始まっているものと思われた。宙に目を遣って、何かを計算するぶつぶつという独り言が、それを雄弁に物語っていた。とんだ“狸オヤジ”だった。それだけに、したたかさは充分に窺われたのだ。
 「深山桜」と聞いて、別に驚いた顔ではなかった。対策を練り、言葉の穗
(ほ)を継ぐ為に、些(いささ)か時間がかかっていると思われた。中々の商売人であった。
 私も、主人の細かい表情を見逃すまいと、鋭い観察を続けた。私は考える時間を与えているのである。主人が考えれば、損得勘定だけを問題にする人間と踏んだからだ。得をすることが大好きで、損をするのは大嫌いなのだろう。それ故の胸算用をする。したたかな計算能力を持っている。

 「あんた、深山桜と言えば、時代は室町末期
【註】応仁の乱以後の第15代将軍義昭が織田信長に追われるまでの戦国時代後期を指す)か桃山【註】豊臣秀吉が政権を握っていた約20年間の時期で、美術史上は安土あづち桃山時代から江戸初期)だよ。一体これが幾らするか知っているのか?」
 主人は漸
(ようや)く計算が終ったらしく、頭の中で計算立てた計算式を並べ始めたようだ。
 「ええ、軽く二、三百は超えるでしょうねェ」
 主人は暫
(しばら)く絶句したようであったが、
 「よし、分かった!」と歯切れよく膝をポンと叩き、「そこまでお客人が肚
(はら)を括(くく)っているのなら揃(そろ)えてしんぜよう。但し時間が掛かる。何日か、時間を頂ければ、必ず揃えてしんぜよう。まず三日後に来て下され。あと三日」と、組み立てた計算式を披露したのだった。あたかも田舎芝居を観ているようであった。

 主人は中々の計算高い人間である。肚
(はら)の坐った商売人である。人を観察する観察眼が鋭い。
 したたかな商売人と言えた。この鋭さは、古美術の世界では、目利きの証拠である。
 私の言葉に、易々と乗って来ず、肝心なところで、旨くはぐらかしてしまうのである。
 要するに、素人か玄人
(くろうと)かを見分けるために、勿体(もったい)を付けたと言うことであでる。賢明なオヤジだった。言われた通り、また後日来店となった。
 この後日の来店も、おそらく何らかの魂胆を仕掛けているに違いなかった。


 ─────だが、私の『旗師』作戦は、今日は取り止めにした。「あと三日」の日時をずらしたのである。
 日を改めて、「間合外し」のために、新たに間合を取るためである。リセットと思えばいい。資金繰り調整のために企てられる。ションベン
(不履行)寸前にこの手が遣われるのである。
 ちなみにションベンとは、約束を反古にしたり、支払日に決済できないことをいう。したがってションベンをすれば、この世界では一気に信用を失い、以降、同業者からは相手にされないばかりか、古物市場や刀剣市場の出入りも禁止されてしまう。その寸前に企てられるのが「間合外し」であり、古美術市場の世界では、これを「去
(い)なし」という。日をおいて、「今」を遣り過ごすことである。
 購入のための金銭の手当が出来ない場合に、これを遣う。

 私の去なしは資金繰り工作のためでない。日時のためである。いわば「月」の運行による。もう一度、頭を整理して、根本から練り直し、“観月会”と“夜の茶会”とのことを再検討しなければならないからだ。
 それに「茶道関係者も大勢来るのでは?」と言う問いに対して、「少なくはないでしょうね」という由紀子の言葉が引っ掛かるからだ。何か意味がありそうだった。
 これまで遅れ気味だった私の体内時計は、一気に緊張の時間を早めたようである。何かがある。何かが起こる可能性が大……。その根拠は不明だが、そう勘が報せていた。根も葉もないことだが、目紛しく私の脳裡を廻り始めた。
 もしかしたら『三宝堂』の主人の素顔が見られるかも?知れないという、一種の期待があったからだ。
 だが今日は、観月会の勉強に費やすことにしたのである。

 私は再び来店した。
 主人は私の顔を見るなり、顔をほころばして、
 「お探しの旅枕を何点か揃えておいた。時代は桃山。三点とも“深山桜”と銘が切ってある。お気に召せば幸いじゃが……」と、実に商売人らしい物言いで切り出した。
 そう言って木箱から徐
(おもむろ)に取り出し、眼の前に各々異なる“旅枕”三点を並べ、「如何かな」と自信ありげに勧めた。私の眼力を試しているようにも思える。隙(すき)がなく、中々用心深い人間であった。また肚の中は、腹黒い狸オヤジだった。そしてこの狸オヤジの狸オヤジたるところは、店の商品の中に骨董、つまり古美術と称して新物を紛れさせていることである。
 有田などの窯元にいけば、窯元も、その窯元の焼き物を売る販売店も多くは「○○美術」という屋号を掲げている。しかしこうしたところに販売している物は美術と銘打っていて、古美術とは全く違うのである。則ち骨董と新物美術品とは似ても似つかないのである。
 骨董は少なくとも、作られてから150年から200年を経ていなければならない。明治以降に作られたものは骨董とは言わないのである。それを古美術を看板に掲げた店でも骨董として、素人騙しに販売しているのである。目利きでないと、この巧妙な仕掛けに気が付かない。気付かぬまま法外な価格で高い物を掴まされることがある。眼の勝負の未熟から起こるものである。

 私はじっくりとそれぞれを手にして凝視した。裏の銘の切り方も確かめてみる。私の凝視姿も、主人は見逃すまいと隈無く観察している。私の眼力のほどを窺
(うかが)おうとしている。なかなか油断のならない、癖者(くせもの)と思わざるを得ない。何か、殺気といったものまで観じる。見落としがあれば、斬られるのではないかと言う。この場は、真剣勝負の場でもあった。私は腹を括(くく)った。これからが勝負なのだ。

 「見るところ、余り大した物ではありませんねェ。はっきりいって、これらは荷割
(にわ)れ品ですなァ。
 全部偽銘です。それに時代が新しい。とても桃山とは思えません。よく出来て、巧く似せていますが、全くの偽物
(ぎぶつ)です。時代は古く似せていますが、恐らくこれは明治以降の新しいものを巧妙に細工したのでしょう。全くの贋作(がんさく)です」
 これは山を賭けた私の挑戦であった。決して確信があって言ったのではない。思い切って、主人の逆鱗
(ぎゃくりん)に触れてみようと思ったまでのことである。どう反応するかを確かめる為に……。
 そして、一旦怒らせて、その隙
(すき)に、主人の「人間の程度」を計ってみようと思ったのである。
 主人は徐々に顔を真っ赤にして、「若造が何をぬかすか!」と一喝
(いっかつ)し、烈しい怒気を露(あらわ)にしていた。忿怒の顔でじろりと見据えた。激昂(げっこう)を必死に堪(こら)えているぬであった。
 もう一度同じ事を言ってやった。感情を荒げさせるためである。それで人間の程度が計れるのである。
 度量を計るには堪忍袋
(かんにん‐ぶくろ)の緒を切らせるしかないのだ。
 これを聞いた主人は、「もう我慢ならん」というように、真っ赤な顔で血相を変えて怒った。
 遂に爆発した。これで主人の人間の程度が計れたのである。結構したたかなタヌキを装っているが、激怒し易い短気人間なのだ。気性が読めたのである。この手で上手く誘導すれば、誘導尋問にすら掛かるだろう。

 (普段は平素を装っているが、案外、このオヤジは小人(しょうじん)かも知れないぞ)これが私の率直な、人間見識からの感想であった。底が割れたような気がした。

 私は、並べられた三点の旅枕が、はっきり偽物であると自信があって言ったことではない。しかし、今までの猛勉強の成果と、この主人の度量を計る意味で、わざと「偽物である」と言わしめただけである。確信があったわけではない。肚
(はら)の底を見ようとしたまでのことである。
 ただ、この主人なら、私のような若造をまんまと騙
(だま)して、偽物を売り付けるくらいのしたたかさはあるであろうと踏んだからだ。用心深さと計算高さは、並の人間では対応できないしたたかさがあった。
 むしろ私を甘く観
(み)たのが、この主人の誤りであった。自ら、小人(しょうじん)ぶりを曝(さら)したのだった。その側面をしっかりと検(み)た。正体を顕わした。俟っていた瞬間であった。
 因
(ちな)みに「荷割れ品」とは、三流四流の極めて質の悪い粗品を云う。あるいは本物を似せて作った粗悪な偽物品を云う。合わせ物で「型嵌め」ともいう。あるいは「もなか」ともいう。微妙に継ぎ目の線が確認できるものをいう。つまり押型に嵌めて、左右か上下を貼り合わせているのである。よく似せた贋作を含む場合もある。

 「何だと、もう一度言ってみろ!ド素人の青二才が。儂
(わし)の店に難癖(なんくせ)付けに来たのか!」
 上ずった声は、1オクターブも2オクターブも上がっていた。いよいよ私の思う壷に嵌
(は)まって来た。もう私の思う壷だった。こちらが主導権を握ったのである。
 「荷割れ品のガラクタばかりだから、そう言ったまでのことですよ」
 「なんだと!もう一度ぬかしてみろ!」
 柄の悪さで“お里”が知れた。もうこうなれば小心は自明だった。此処まで思惑通り食い付いて来ると、後は料理がし易い。激怒させるいい機会を得たのだ。掌に乗せて遊んでやればいい。

 「何度でも言ってやりますよ。ここの三点の“旅枕”だけじゃない。この店に置いてあるものは、本物によく似せた、似せ物ばかりですよ。本物然としているが、殆どが贋作
だ。
 第一、そこに飾ってある古伊万里
(こ‐いまり)の鶴首(つるくび)の壺だって偽物だし、そこの大皿だって有田柿衛右門によく似せた写しだし、こっちにある古備前(こ‐びぜん)の大茶壷(おお‐ちゃつぼ)だって、それから森五兵衛の櫛目(くしめ)模様を旨く真似ているが、これも立派な贋物(にせもの)ですなァー。素人騙しの贋作ばかりだ」
 私はこれを云う為に、これまで地道に猛勉強と研究を重ねていたのである。
 これは図星であったが、主人は更に血相を変えて、私の策にますます嵌
(はま)った観があった。
 「やい!抜かしやがったな若造!」
 「だってそうじゃありませんか」
 「何だと、うちは贋物ばかりじゃないぞ。本物は金庫の中だ!」 
 「ほう、金庫の中ねェ……」と鎌を掛けるように言ってやった。
 主人は口を滑らせた。正体を顕
(あら)わしたのである。
 私の“お目当て”も金庫の中だった。

 主人は図星されたことに多少立腹を覚え、苛立った様子で、
 「お前さんは焼き物専門だろう。うちはなァ、焼き物や道具類より、刀剣専門なのだ。刀屋なんだ。お前さんは焼き物馬鹿だから、刀剣のことなんか分かる筈
(はず)がなかろう」と口惜し紛(まぎ)れに言う。
 あたかも臍
(ほぞ)を噛むよう云うのだった。おそらく主人は、私からの指摘で、狂おしさや焦燥に一瞬襲われたのだろう。
 この瞬間を俟っていた。そして遂に掛かったと思ったのである。
 私は主人の、この言葉を待っていた。態
(わざ)と、焼き物専門の通(つう)に見せ掛けたのである。眼力を鍛えるために、これまでの勉強の成果が実ったのである。

 「そう思うなら、一言云ってあげましょうか。そこの黒檀
(こくたん)の鎮金(ちんきん)の刀架(かたな‐かけ)に架けた、大小二振りの刀だって、長物は美濃物(みの‐もの)の無銘(むめい)のようですが、刃(は)が眠り過ぎて、匂(にお)い出来にしては、波紋(はもん)に迫力がない。
 したがって関物
(せき‐もの)の、火事で焼けた荷割れ品です。それからその下の脇差しだって、《備前長船恒光(つねみつ)》とあるが、丁字(ちょうじ)の乱れ直刃(すぐは)にしては、《互(ご)の目乱》で金筋湯走きんすじ‐ゆばしり/刀剣愛好家の中で俗に言う「金線」である)がはっきりしない。まあ、この程度の三流品が、おたくの店では素人騙(しろうと‐だま)しに置いてあるだけですなァ」
 私は平然と呼吸しつつ、思う存分に言ってやった。
 主人は血相を変えながら、よくも抜かし上がったなという顔付きで、「お前さんは一体何者だ!?」と詰め寄った。このオヤジは依然として生理的な感情の域から出ていないようであった。
 「そう、煙たがらなくてもいいじゃないですか。同業者ですよ、あなたと同じ同業者」と言って、私は福岡県公安委員会発行の『古物商許可証』を見せた。

 「ほう、旗師か。道理で……」オヤジは一瞬謎が解けたと言う貌をした。
 私は笑いながら、小声で囁
(ささや)くように、「もう少しで、御主人に騙(だま)されるところでしたよ。まんまと偽物を掴まされて、何百万か、損をするところでした。ねェ、御主人。これを御縁に、お付き合いをお願いできませんか」と下手に出て切り出した。
 「お前さん、若いのに大した眼力じゃ。この“旅枕”をよくも偽物と見破った。その眼力に驚いている。流石
(さすが)だ」と感心したように言う。
 私に化かされてしまったオヤジの言は、前より少し変わりつつあった。明らかに変化が見られた。
 私の目論見通りと言えば、目論見通りだった。筋書きをこうなるように設定していたからである。
 「しかし私が藤四郎
(とうしろう)だったら、まんまと嵌(は)めていたのでしょう?」と迫った。
 主人は“藤四郎”という言葉に、ピクッと反応した。あのとき久我宮早斗子
(こがのみや‐さとこ)女史の教えてくれた“藤四郎”の業界用語が功を奏し、この主人を刺戟(しげき)したのである。

 「いや、別に嵌めるなんて……、その……」先の言葉がしどろもどろになり、いかにも言い訳がましく聞こえた。心が狼狽
(ろうばい)が湧いていた。
 「旗師に荷割れ品を売り付けるなんざァ、中々したたかですなァ」
 この一言に含んだ意味は大きかった。
 「いや、そうとられても……やむを得ないのだが……」
 オヤジは繕
(つくろ)いと戸惑いを隠せずにいた。
 「まあ、いいでしょう。立場が逆だったら、私も同じ事をしていたかも知れません。
 ところでね、御主人。私のお得意さんが新々刀のゴリッ
(元幅が広く、重ねの厚い刀をこのように表現する)としたヤツを捜しているのですが、何かいい出物はありませんか?」と話を持ち掛けた。
 それを聞いた主人は、浮かぬ顔をしながら黙っていた。それは明らかに“しぶっている貌”だった。物を隠しているから、そういう貌になる。それを読んでいたのである。
 私は主人の耳元で囁
(ささや)く様に、辺りを憚(はばか)りながら、
 「大きな声では言えませんがね。登録証が無い刀でも構わないのですよ。その人は警察関係に貌が利きましてね、直に登録証を付けてしまうのですよ。
 勿論、私にはそんな真似出来ませんがね。どうです、面白い出物はありませんか?」と主人の耳元で、更に声を細くして囁くように言ってやった。私も、したたかに唆
(そそのか)していた。

 「そんな物、儂
(わし)ら業者が手に出来る訳なかろう。万一そんな物、世話したら手を後ろに回されて、オマンマの食い上げになってしまう」
 オヤジは少し構えた眼になり、意識して私から痛い部分を衝
(つ)かれないように警戒し始めた。なかなか用心深い。
 「百も承知の上で訊
(き)くのですよ。私だって、世間の酸(す)いも甘いも嗅ぎ分けた旗師です」
 同じ穴の狢
(むじな)だと、そう言ってやりたかった。
 「まあ、それはそうだが……」
 オヤジの声は未だに上擦っていた。迷い、決めかねているのである。
 「先方はねェ。気に入れば、ある程度のお金を積みますよ」と言って、私は指一本を立てた。
 卑しく唆
(そそのか)してみせたのである。何処まで転ぶか、験(ため)すように……。
 「何だ、その指一本は!」少し怒ったように切り返した。
 「これが何に見えます?」
 「何だ、たったの十万か」
 「どうして指一本が、十万なのですか」
 「では、百万か?」
 「これが百万に見えますか?」
 「では、幾らだ?まさか?!……」驚愕
(きょうがく)しつつ、恐る恐る訊いた。
 「そうですよ、その“まさか”の指一本は一千万!」
 「な、何と、大きく出たなァ〜」と呆れ顔に言う。
 そのとき、私は“掛かった”と思った。その手応えが充分に感じられた。餌に食い付いたのだ。
 この時代、一千万円単位の金を易々と右から左に動かせる資産家は、そんなに居なかったからである。

 「何しろ警察の防犯課と生活経済課
(現在の生活安全課)に顔が利くのですから。あなただったら分かるでしょ、この意味が……。本当の目的は適当な鈍刀(なまくら)を買って、それに登録証をつけて、その登録証そのものが欲しいのですよ。それも中心(なかご)を巧妙に細工してね……。ここまで言ったら察しがつきませんか……」私は更に声を細めた。大袈裟を装い、更に喰い付きをよくするためである。
 これは一つの唆
(そそのか)しである。卑しい誘惑である。巧妙に刀屋の主人を引っかけて誘導し、その金庫の中の隠れた品物を見たかったからである。この中には何かあるのである。そう睨(にら)んだのだった。

 「では、鈍刀をどうやって細工するのかね?」
 この切出は恐らく“鎌掛け”だろう。知っていて訊くのだろう。そこには狡猾
(こうかつ)さがあった。
 「えッ?御存じありませんか」私はわざと惚
(とぼ)けた。
 「何をだね?」
 この主人は確かに細工方法を知っているであろうが、それを敢
(あ)えて私の口から聞き出し、私の旗師としての裏を、何処まで知っているか験したいのであろう。
 「では細工法を教えましょうか。最初は登録証のない不法刀剣と同じような、“銃砲刀剣類登録証”のついた同じ刃渡り、同じ反り、同数の目釘穴の鈍刀を数万円で手に入れる」
 「ほう、それで……」

 「次に、中心
(なかご)の細工に掛かります。まず、鈍刀の中心を半紙に鉛筆などで輪郭(りんかく)と鑢目(やすり‐め)模様を写し取ります。それから今度は板蝋燭(いた‐ろうそく)の延べ棒のようなものを作り、そこに不法刀剣の銘の彫刻刀で刻み、中心が同型で同じ鑢目(やすりめ)の物を二つ作るのです。
 一方は無銘の中心、もう一方は在銘の中心です。そして在銘を無銘にしたと偽るのです。本来は在銘であったが、事情に寄り無銘にしたというのです。各都道府県の教育委員会の文化財保護課には、無銘での登録証が元帳が存在するし、この事情は、“銘が悪かった”と云えば済みます。だから在銘を無銘にする理由が発生するのです。これをもう一度、最寄りの警察署の防犯課に行って発見届の再発行を申請するのです。これで防犯課では発見届を拒否する理由が無くなり、発見届を再発行しなければならなくなります」
【註】あるいは逆に、無銘を在銘にする方法もあるが、現在ではこの犯罪手口はバレてしまっており、刀の中心を偽造する事は出来ない。これをすれば銃砲刀剣類不法所持罪と、公文書偽造罪の重腹罪を負うことになる)
 「ほォ……ッ〜。なるほど」莫迦に口を丸めて語尾を引き摺り、相槌を打った。
 誑
(たぶら)かされたオヤジは唖然としたように頷(うなず)いたが、果たしてこの表情は作り物か。相手は何しろ大したタヌキであるからだ。一筋縄ではいくまい。簡単には生け捕れまい。肝心なところでは未だ警戒を解いていないからである。
 「この手順で細工するのですよ」
 「なるほどねェ……」
 感心するように云っているが、自分でもこの細工法は、既に知っているのであろう。あるいは経験済みかも知れなかった。それを分かった上で訊くのである。多分そうだろう。こちらの肚も読んでいるのである。
 確かに小心者であるが、その小心者が生き残っていくためには、こうした狡猾
(こうかる)な用心深さが、むざむざと啖(く)われないための一つの防禦策になっているのだろう。

 「ここまで種明かしすれば、ビジネス・パートナーとして認めてもいいじゃありませんか。決して他言しませんよ。同業者ですから。古物商許可証も、この通り所持しているし、許可証の写真と見比べても、本人であることがお分かりだと思いますが……。どうですか。決して悪いようになしませんよ」
 主人は暫
(しばら)く躊躇(ちょおちょ)しながら考えていた。しかし、踏ん切りがついたようだ。
 「よし、分かった!それじゃァ、見せてやろう。だが絶対に内緒だぞ」と、清水の舞台から飛び下りるような言葉を吐いた。漸
(ようや)く踏ん切りがついたのだろう。
 「分かっていますよ。口外
(こうがい)しません。約束しますよ」
 本来、「約束する」などといって、その約束が守られた例
(ためし)がない。私も結構な“ワル”だった。

 しかし、主人は私の術中にまんまと嵌
(は)まっていた。奥の座敷から、主人は金庫の鍵を持って来て、鍵穴に鍵を差し込み、ダイヤルを回し始めた。
 この主人は小心者であるらしい。このタイプの人間は、追い込まれると即座にボロを出すようだ。
 何故なら、ダイヤル番号を人に見られないようにダイヤル部分を躰
(からだ)全体で隠し、コソコソした動作でダイヤルを回していた。このタイプの人間は、逆に脅(おど)せば、幾らでも口を割る性格の持ち主だ。
 しかし隙
(すき)を滅多に見せない用心深い性格でもある。この用心深さが、茶室を造るまでの理財を溜め込んだ理由かも知れなかった。骨董で財をなした典型的な人間像と言わねばならない。
 やがて観音開き金庫の扉が開かれた。
 中には目算で、ざっと三十振り位の刀は詰まっているように思われた。拵
こしらえ/外装)のある物や白鞘(しら‐ざや)の儘(まま)の物まであった。目ぼしい物を取り出すと、私を座敷の奥に案内した。外からこの光景を見られたくないようだ。

 私は二尺以上の物ばかりを、手に取って見た。
 「ほう、これはいい。ざっと二尺三寸七分と言うところですなァ」即座に長さを読み取った。
 「ああ、しかしそれは、もう既に買い手がついているから駄目だ」
 「でも一応、見せて下さいよ。見るだけですから……」
 この主人は「見るだけですから」という言葉に乗った。
 あるいは私のゴリ押しが避けられないと検
(み)たのか。
 私の見るのは、刀を見るのでなく、その刀を「何に遣うか」を検
るのだった。その裡(うち)を探る必要があった。つまり刀剣を鑑(み)るということは、その所有者の人間を検るということであった。

 私は拵のついた、この刀を鞘から払い、じっくりと眺
(なが)めて見た。直感として、この刀は戦闘向きと思った。新々刀(しんしん‐とう)である。幕末の頃の作刀(さく‐とう)であった。その証拠に、どういう訳か、拵に填(は)められていた鐔(つば)が大刀の鐔ではなく、脇差しの小鐔であった。既に、この刀は物を斬るため、否、人を斬るための目的を持った刀装ではなかったかと思われる節があった。

 古流の居合術では、剣道式の形居合道や現代居合は別にして、据物斬居合では普通大鐔
より、脇差し用のよく鍛えた小鐔を使う。大鐔は手首の甲(こう)に当たるため、術者はこれを嫌って小鐔にする。鐔の縁(ふち)が手頸(てくび)や手の甲に当たるのを嫌うためである。したがって態々(わざわざ)これを脇指の鐔に変えるのである。そして鐔の種類も、金工鐔よりも若干軽めの「透し鐔」を遣うのである。
 この刀の刀装は、既に「曰
(いわ)く付き」と思われた。

 「これは新々刀。庄司次郎太郎直胤
(しょうじ‐じろうたろう‐なおたね)ですなァ。楽にマル特(特別貴重刀剣の略)はつくでしょう」私は刀身だけを見て言った。
 「……………」主人はこれに返事をしない。
 図星だったからであろう。
 「相州伝沸刃
(そうしゅうでん‐わきば)、時代は天保の頃。五の目砂流し金線顕(あら)われ錵にえ/刃と地肌との境目に銀砂をふりかけたように輝いているものであり、匂(におい)についで重要な見所であり、細微のものが揃っているのが最良とされる)深く備前丁字乱(えちぜん‐ちょうじ‐みだれ)。ねェ、そうでしょ」
 「ああ、そうだ。あんた随分と目利きだね」と面倒臭そうに言う。
 「これは、いいですなァ、実にいい……」私も思わず唸
(うな)った。
 「しかし残念ながら登録証がない。どうかすると“マル特”どころか、“甲種マル特”、あるいはもっと上の“重要”、更には“重美
(重要美術刀剣の略)”になっても訝(おか)しくない。また、それだけに厄介(やっかい)な代物(しろもの)だ。だが、それでも買ってくれる人が現れた。だからそれは売却済なんだ」
 ついに主人は口を滑らせた。願ってもないチャンスが訪れたのである。
 「ほッー、このような厄介な代物を買う人はいったい誰です?」
 私は、その隙
(すき)を突いて鋭く迫った。
 「客のプライバシーを守るために、それは言えん」
 「まさか暴力団関係者じゃないのでしょうね?」これを聞いて、主人の顔色が豹変
(ひょうへん)した。
 「……………」
 「やはり、そうですね?」
 私はそれを見透かしたように言ってやった。主人の眼が微かに動いたのだ。間違いないと一瞬思った。何かの犯罪に絡むことが窺
(うかが)えたのである。半分以上の確信を掴んだのだった。

 「奴等は日本刀を美術品と看做
(みな)すよりは、喧嘩の道具と看做(みな)している。刀の美しさなど分かる筈がありません。どっちみち、登録証があろうがかろうがどうでもいいのですよ。刀、その物があればね」
 私がこういっている最中、主人の眼に落ち着きがないのが分かった。
 「……………」
 狼狽
(うろた)えているところを見ると、どうやら図星のようだった。何かを懸念(けねん)しているようであった。それは口を滑らせた事への戸惑いだったかも知れない。
 「この刀、その買う相手の、二倍の金額で買い受けましょう。なんなら三倍でもいいですよ」
 こう云った時、主人の目が動揺していた。
 このオヤジの事だ。登録書のない刀をいつまでも所持することも気が気でなく、また放り出してしまうことも惜しまれ、それで二足三文で暴力団に横流ししたのであろう。精々50万程度で流したとして、その三倍であったとしても150万だ。重美で一千万であれば、150万では随分安い買物となる。刀剣愛好家の知人を駆け回れば、それ位の金は直ぐに用意出来る自信があった。それに私自身の利鞘
(りざや)も稼げ、久しぶりの臨時収入が入ることになる。

 「私がちゃんと話をつけてきますよ。勿論、履行
(りこう)の保証として、手付金(てつけ‐きん)も二倍返しにして、打たせて貰います。あなたにも、ちゃんと充分なお礼はさせて貰います。儲(もう)けは独り占めしませんよ。山分けしようじゃありませんか。重美の一千万で」と、わざわざ飛びつきそうな金額を提示し、主人の耳許(みみ‐もと)で、唆(そそのか)すように囁(ささや)いてやった。
 「それが駄目なのだ……」主人は言葉を濁した。
 「どうして?」
 暫
(しばら)く主人は困ったような顔で沈黙を保った。耳に収められるだけ収めて、返事が出来ないと言う風だった。
 「……………」
 このオヤジは、間違いなく板挟みになっていた。
 不法所持になることを覚悟して、無登録の直胤
(なおたね)を抱え込んみ、しかしタダで放り出すには惜(おし)くてたまらず、何とか金にしたかったのだ。そこに安田組からの買い手が付いた。いや、逆に主人の方から話を持ちかけたのかも知れない。
 安田組もこの辺の事情は知っており、一旦売ってしまった物を、いまさら駄目だとは言えない。仕方なく横流しすることに決めたが、私が持ちかけた一千万で、また動揺がはじまった。と、ま、こんな具合である。義理と欲が行ったり来たりしているのである。大きく左右に振幅しているようだった。

 「この刀、ぜひ私に捌かせて下さい」売却させろと促したのである。それに表情観察である。
 「それがなあ……」
 オヤジの側面には異様な表情が漂い始めた。そのまま心の蟠
(わだか)りを顕しているようだった。
 「ぜひ私に!」語尾を強めていた。
 「それが何としても、駄目なのだ。相手が悪過ぎる。手付け金も貰って、後は研ぎに出すばかりになっているのだ」
 私は主人のこの言葉で、「やっぱり」というこれまでの推測が、確信に変わった。
 「よく、こんな厄介な代物、買う人がいるんですねェ」
 「ああ、まったくだ。それで困っている」
 私の待っている言葉を、ついに滑らした。
 「その人の名前教えて貰えませんか?」これを聞いて、主人はきつい顔付きで、私を睨
(にら)んだ。そして目の中は、不安で戦(おのの)いていた。

 「いや、勘違いしないで下さい。私は、もしよければ、この買おうと言う人から、これを譲って貰おうと思っているのですから……」
 「だが相手が悪いのだ。うちの店は、裏で長年あそこと付き合って来てなあ、今では腐
(くさ)れ縁(えん)になっている」過去の忌(いま)わしい悔恨(かいこん)のようなことを言い出した。
 「ほうーォ、腐れ縁ねェ。もしかしたら広域暴力団の安田組じゃないですか?」
 知らない素振りをしながらも、私は鎌を掛けていた。
 「?!………」ぎょっとしたように私の貌を見返した。その眼の驚きは異様だった。
 そのことは一言も喋らないが、どうやら図星らしい。それは顔色で分かる。
 「こんなこと、時々あるのですか?」
 「いや、今回が初めてだ。今まで長物を頼まれたことは殆どなかった。多くは匕首
(あいくち)や短刀で、長くても尺八寸くらいの脇差し止まりだった」主人は落ち着かない様子で喋った。そしてついに吐露(とろ)してしまったのだ。

 「それが、美術品を蒐集
(しゅうしゅう)するには程遠い連中が、長物を集め出した。何か抗争事件でも起こすために準備をしているんでしょうかねェ……」
 「あんた、いったい何者だね?」怯
(おび)える口調で言った。
 「何者たって、今明かしたように、あなたと同業者ですよ。業界用語で言えば、旗師
(はたし)と云うやつですよ。それ以外に、私が何に見えますか。まさか駆け出しの新米刑事にでも見えますか?」
 「いや、そうは見えんが……」これ以上何も喋りたくないような素振りだった。
 「それならいいじゃありませんか」

 「悪いが、今日はこれで帰ってくれないか。この通りだ、とにかく帰ってくれ。頼む」
 何かに怯
(おび)えるように、頭を下げて私に帰るよう頼み込んだ。
 「それじゃァ、帰りますがね。安田組には何人の若い衆が出入りしていますか?凡
(おおよ)そでいいんですがね、凡そで……」
 「よくは知らんが、二十人は居る筈だろう」捨鉢
(すてばち)のように言い放った。
 「ほう、二十人ですか。二十人にしては、組員の数と刀が足らない筈じゃないですか。どうしてだと思いますか?」
 「そんなことは知らん。儂
(わし)には関係のないことだ……」
 酷くおどおどしていた。上擦っていた。
 しかしこの主人も、よく人数の数まで口を滑らせたものであった。予想外の収穫であった。
 「また明日、刀を見せて貰いにお邪魔しますよ。私も旗師として仕事をしなければ、こちらもオマンマの食い上げになってしまいますからねェ……」と捨て台詞
(せりふ)とも思える言葉を残してこの店を出た。
 私は自分でも、自分を大した役者だと思った。

 相手の勢力と、戦力の全貌
(ぜんぼう)が分かり掛けてきた。
 (約二十人か。刃物は匕首や短刀が主で、長物は極めて少ないらしい。おそらくこれでは、おおっぴらに切った張ったは、やるだけの戦力は持たないだろう)これが私のおおよその分析だった。
 それはあまりにも大雑把
(おおざっぱ)な成果だった。したがって正確な情報を握らない限り、確固たる作戦は立てられないのである。
 私が何故、旗師になったか反芻
(はんすう)してみる。元はと云えば、ヤクザから難癖(なんくせ)を付けられたからだ。その難癖が理不尽であり、言い掛かりで不法なものであったからだ。
 私はこれまで弱肉強食の世界を描いて来た。弱肉強食の世界は、有無も言わせず、弱い者は狩り取られる。

 例えば、一羽の兎
(うさぎ)が野に出た。そして一方、樹上に一羽の鷹(たか)が居た。兎は鷹を視(み)て、こう思うに違いない。鷹は悪魔の鋭い爪と、動物の肉を簡単に切り裂く恐ろしい嘴(くちばし)を持っている。更には、魔性を堪えた銀色の双眸(そうぼう)を持っている。そうした鷹が羽搏(はばた)いた。迅速をモットーとする脱兎(だっと)の兎は、鷹の襲来を視(み)て野を逃げ惑うが、一瞬にして鷹の餌食(えじき)となった。
 残忍な鷹の鉤爪
(かぎづめ)は、兎の体内に深く突き刺さった。
 狩りをする動物に理不尽はあるか。その光景に理不尽
(りふじん)はあるか。いや、ない。

 強い者は弱い者を支配し、その肉を喰
(く)らう掟(おきて)に理不尽さはない。むしろ無造作に、弱い者が喰(く)らわれることこそ、大自然の掟に順応しているように思える。それは狩られてしまうと言う、無造作の掟にである。あるいは大自然の無分別か。これこそが食物連鎖といってもよい。不自然さはない。大自然そのものである。人間側の判断など、大自然には一切通用しないのだ。
 一旦、鷹が兎を狩ることを設定してしまった以上、これを容易に覆
(くつがえ)す術(すべ)はない。あとは支配され、喰われるしかないのだ。

 このとき私も、法外な金をヤクザから請求され、「猟られた」ことに気付いた。
 呑気
(のんき)な兎と同じように、猟られたのである。猟られる者は、猟る側の権利であり、猟られた方は不用心であったと言うことに過ぎない。油断があったのだ。
 鷹に猟られた兎も、不用心から猟られたのであった。これは猟った側の鷹の権利であった。猟られた兎は、鷹への理不尽さを思ったり、怒りを感じる余裕などないであろう。猟られた以上は、鋭い嘴
で、わが身を抉(えぐ)られ、切り裂かれ、啄(つい)ばまれて、啖(く)われるだけのとこであった。食物連鎖の弱肉強食の世界では常に弱い者、力のない者が啖われるようになっている。自然の摂理の残酷なところである。

 私の場合も同じであった。
 脅され、強請
(ゆす)られ、取られるだけ取られるのだ。話を付けに行ったあの日、奴等にはその傲岸(ごうがん)さが出ていた。しかし、「待てよ」と思う。取られるだけ取られてなるものかと思う。そうさせる訳にはいかないのだ。ここに、むざむざと啖(く)われてなるか、という男の意地が働く。
 一戦交えるしかない。神懸かって阿修羅
(あしゅ‐ら)の如く暴れるしかない。
 これまでの経緯を反芻
(はんすう)し、私はそう決心したのだった。
 私も死ぬ。しかし奴らにも死んでもらう。一人でも多く死んでもらう。
 私の出した結論は、これであった。
 奴らが私を、このように追い詰めたのであった。そして刺客が放たれた。それが松子だった。松子は安田組の鉄砲玉として、私に放たれた刺客であった。彼女は私を猟ろうと接近して来た。しかし、猟らなかった。
 何故だろうと思う。今では彼女に、これまでとは違った懸命なものは胸に満たし始めていた。急激は変化だろうか。鉄砲玉の殺伐とした環境から抜け出したという気がしないでもなかった。彼女は人生の中の喜怒哀楽のうち、「怒」の世界の中だけで生きて来たように思えるのである。他の喜ぶとか、物の哀れや悲しみとか、また楽しむという世界のことが希薄になっていたのではないかと思うのである。ところが、最近は急激にその世界の感情が復活したように思うのである。つまり人間性を取り戻したのではないか。本来の少女に戻り始めていたのではないか。刺客から「ふつう」の少女に……。彼女も急激な学習能力で急変している……。決してあり得ないとは言えない。

 彼女が能管で一発大道芸を試みて、その終了後、闇から光の世界を憧れる側面を観た思いがした。
 「ふつうに結婚して、ふつうに子供を産み、ふつうの主婦になって、ふつうに歳とって、ふつうに枯れて、ふつうに死んで逝くのが、わたしの野心と言えば野心でしょうか」
 彼女の「ふつう」に対する憧れは、これを雄弁に物語っていた……。これは私の勝手な推測である。
 その松子を、私が奇妙な縁で抱き込み始めた。それを包容と言ったら言い過ぎだろうか。
 しかし現実として、闇に生きる少女を、光の世界へ導いた。私の細やか自負である。
 『松子サヤン』改造法である。彼女を逆スパイにして、再び安田組に放つ策を立てたのである。残酷過ぎる企てだろうか。
 俊宮松子と名乗る正体不明の小娘は、今のところ敵味方の識別がはっきりと顕われて居ないのである。いつ牙を剥くか分からない。しかし丸腰で、隙だらけの自分を演出し、背中を狙わせるのも悪くないと思い始めていたのである。

 彼女への再教育は完璧とは言い難かった。
 しかし何故か松子は母を気に入り、母も松子を、わが娘のように可愛がっていた。接点と言えば、これだけである。私など一見懐
(なつ)いているようで、実はそうでないかも知れない。人間に二面性が見られ、陰陽の変動が激しいのである。
 だが私は、彼女の陰陽を含めて好きになろうと努めた。そもそも人間現象界は、善悪綯い交ぜで、清濁併せ呑む世界である。これの一方だけを拾い、一方を捨てるという分けにはいかないのである。拾うなら両方を、捨てるなら、また両方を捨てなければならないのである。
 私の頭上には、ドロドロとした場面が空間に懸かっていた。
 確かに把握しなければならない筈の、輪郭がぼやけ始めているからである。
 それは松子の輪郭であった。彼女の白い顔の輪郭がしだいにぼやけて、やがて鬼面に変わりつつあった。松子が夜叉然とし始めて来た。そういう幻覚を空間に描いていた。
 松子の顔は菩薩にも夜叉のも変化
(へんげ)するのである。私は病んでいたのだろうか。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法