運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
旅の衣・前編 1
旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
旅の衣・前編 8
旅の衣・前編 9
旅の衣・前編 10
旅の衣・前編 11
旅の衣・前編 12
旅の衣・前編 13
旅の衣・前編 14
旅の衣・前編 15
旅の衣・前編 16
旅の衣・前編 17
旅の衣・前編 18
旅の衣・前編 19
旅の衣・前編 20
旅の衣・前編 21
旅の衣・前編 22
旅の衣・前編 23
旅の衣・前編 24
旅の衣・前編 25
旅の衣・前編 26
旅の衣・前編 27
旅の衣・前編 28
旅の衣・前編 29
旅の衣・前編 30
旅の衣・前編 31
旅の衣・前編 32
旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
旅の衣・前編 35
旅の衣・前編 36
旅の衣・前編 37
旅の衣・前編 38
旅の衣・前編 39
旅の衣・前編 40
旅の衣・前編 41
旅の衣・前編 42
旅の衣・前編 43
旅の衣・前編 44
旅の衣・前編 45
旅の衣・前編 46
旅の衣・前編 47
旅の衣・前編 48
旅の衣・前編 49
旅の衣・前編 50
旅の衣・前編 51
旅の衣・前編 52
旅の衣・前編 53
旅の衣・前編 54
旅の衣・前編 55
旅の衣・前編 56
旅の衣・前編 57
旅の衣・前編 58
旅の衣・前編 59
旅の衣・前編 60
旅の衣・前編 61
旅の衣・前編 62
home > 小説・旅の衣 > 旅の衣・前編 45
旅の衣・前編 45


不動明王は火炎を背負い、大日如来が教化し難い衆生を救うために忿怒(ふんぬ)の姿をした仏である。
 一面二臂で、右手に降魔の剣を持ち、左手に羂索を持ち、大日如来の使者として登場する。



第七章 対決




●対決前夜──義によって助太刀もうす!

 数日前、ちょっとした事件に巻き込まれた。
 道場生の一人が、街のチンピラに絡まれ、喧嘩
(けんか)を売ってしまったのである。
 喧嘩をした道場生は、及川英治
(おいかわ‐えいじ)と言う十九歳の大学生で、喧嘩慣れして手が早く、私もこの学生には以前から、何か問題を起こさなければと警戒し、喧嘩早いことを注意していた。
 それが事もあろうに、広域暴力団系の安田組
(仮名)の息のかかるチンピラ相手に、五人斬り(1対5の喧嘩)をやらかしてしまったのである。

 奴ら数人を叩きのめし、重傷を負わしたという“言掛り”をつけられたのである。
 及川の言によれば、以降、奴らから陰湿な嫌がらせを受けているという。斯
(か)くして、窮鳥(きゅうちょう)が扶(たす)けを求めて、私の懐(ふところ)に飛び込んで来たのである。
 だが相手が悪い。偽被害者である。これから理不尽な口実を設けて、人を困らせている事は明確であった。
 さて、これをどう受けるか。

 私のモットーは『覚有情
(かく‐うじょう)【註】仏語で、梵語はSattva/生存するものの意で、情である心の働きと感情を持つもののさす。生きとし生けるものの総称であり、衆生(しゆじよう)の、愛憎の心をいう)である。
 原因が何であれ、弱い者苛めをされては、安易に放置することは出来なかった。
 彼からこの相談が持ち掛けられ、その始末をどうすればよいかという策
(さく)を求められた時は、些か困惑したが、扶けを求めて来た以上、聞き捨てには出来ない。「窮鳥に入れば、猟師も殺さず」である。救出すべきだろう。
 門人が救いを求めて来れば、見殺しにするわけにはいかない。
 そこで、及川の師匠として、私が話をつけねばならないと思った。

 しかしこの相談以来、及川は道場にすっかり姿を現わさなくなった。そうかといって、放っておけないのである。喧華を売ってしまったことが、その後、種々の禍
(わざわい)を来たしているのであろう。これは明白だった。
 こうした事件を起こせば、個人レベルでは解決し難い。
 話をつけようと思えば思うほど、逆手
(さかて)に取られ、揚げ足を捕られて難癖をつけられる。疵(きず)は益々深くなる。堅気の話術では、遠く筋者には及ばない。
 陋規
(ろうき)を理解していなければ、解決できないのである。話が噛み合う、噛み合わないかが、陋規を知るか否かにある。
 これに絡んで来たのは、獰猛
(どうもう)な肉食動物であった。人を啖(く)う輩(やから)である。啖ってそれを飯の種にする。これが暴力団と侠客の違いだった。

 昨今は、暴力団とヤクザの違いが釈然とせず、その境目も曖昧
(あいまい)である。また堅気が暴力団と交わって“侠客擬き”の筋者を自称する。“筋道だ、何だかんだ”と言って、訳の分からない難癖をつけるようになった。
 世の中が複雑になったからである。
 時として公務員やサラリーマン、更には政治家の中にも、この種属が居る。そのくせ陋規を知らない。似非
(えせ)であり、擬きである。
 私自身も、かつて政治家から脅されたことがある。政治家自身は脅して来ないが、その秘書と名乗る者から「後々のことをよく考えて……」などと迫られたことがあった。この種の御仁
(ごじん)も陋規を知らないからである。ために理不尽な横槍を突く。間接的な脅しである。

 「事を議する者、事の外に在
(あ)らば、宜(よろ)しく利害の情を悉(つ)くすべし。事に任ずる者、事の中に在らば、当(まさ)に利害の慮(おもんばか)りを忘るべし」
 これは有名な『酔古堂剣掃』の一節である。
 意味は、事件と関係のない外部に居て、調停役を恃
(たの)まれたときは、関係者の利害関係を克明に調べた上で、調停に乗り出せということである。しかし、事件の渦中あったときは、自分の利害関係は一切忘れて事を起こさねば、話は巧く纏(まと)まらないという意味である。
 そこで陋規が必要になってくる。

 単に、清く、正しく、美しくという清規一点張りでは、裏街道には全く通用しない。この世界は表向きの道徳は無用であり、この世界では常に裏取引が成立しないと、手打ちにはならないのである。結果的に一件落着とはならない。後で必ず拗
(こじ)れて遺恨を残すのである。仁義なき戦いが始まるのである。これがダークサイドの世界の特長である。
 例えば、賄賂
(わいろ)には賄賂で立ち向かい、その賄賂すら取り方に仁義がある。しかし堅気は、賄賂の取り方を知らない。そのために官職にある小役人や、ノンキャリアの官僚らが贈収賄などを働いて検挙されるのである。
 「知らない」ということは、また犯罪に通じてしまう盲点が、この世には存在している。
 それはまた、喧嘩においても同様である。喧嘩には喧嘩のルールがある。この世界特有の裏街道のルールである。そして、このルールを「仁義」という。筋道を立てなければならない。

 このルールの中には過失を犯した場合の「詫び料」あるいは「詫び入れ」というものがある。過失に対しての戒めである。自身で重大な過失を犯しながら、そのままでは済まされない。これには何らかの処置をして、仲介者を立て、仲介者を調停役として「詫び」を入れなければならないのである。この処置を怠れば後で、とんでもないことが起こる。放置すれば、相手は「顔が潰された」となるからだ。
 面子
(めんつ)は、この世界では立つようにして遣らねばならないのである。そこで、詫び料の場合は、賄賂が必要になる。但し、これは半端なものでない。


 ─────賄賂について語ろう。
 日本では清規
(せいき)のことを知る者は多いが、陋規(ろうき)となると知っている者は少ない。
 清規とは、儒教圏で言われる「親孝行をせよ」とか「兄弟姉妹仲良く」とか「礼儀を糺せ」あるいは「他人の者を盗むな」とか「姦淫するな」などのことであり、これを一般には道徳と称している。中心は『論語』の世界のことである。
 この清規に対して、陋規というものがある。陋規とは、例えば賄賂には「賄賂の取り方がある」とするルールである。この世界特有のルールである。裏街道の仁義と言うものである。

 儒教圏の大本の中国では、古来より陋規が崩れると革命に入ると言われて来た。
 例えば「○○の乱」というものである。
 その中でも、最も有名なものが、後漢・霊帝
(れいてい)の和光七年(184)の甲子(こうし)の歳に起こった「黄巾の乱」である。
 昔から「甲子の歳は革命が起こる年」と、中国人民は信じて来た。甲子とは、黄土の色で「黄色」である。黄巾党と「黄」とはこれに由来する。このとき首謀者は、これを機と捉えて革命に突入する。
 では、なぜ黄色なのか。なぜ黄色を選んだのか。
 これは中国の春秋戦国時代の、この国の知識人が編み出した『陰陽五行思想』に由来する。この宇宙は天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気をいい、これを万物組成の元素とする。
 つまり木から火を、火から土を、土から金を、金から水を、水から木を生じるを相生
(そうしょう)という。
 また、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に剋かつのを相剋
(そうこく)という。
 万物は陰・陽二気によって生じ、五行中、木・火は陽に、金・水は陰に属し、土はその中間にあるとし、これらの消長によって、天地の変異、災祥、人事の吉凶を説明しているのである。
 土は「土の徳」である黄色である。
 黄巾革命軍が「黄色」を用いたのはそのためである。土の徳は大陸の「黄土」を指す。この黄土に農民王国を造ろうとしたのである。衰退に瀕した後漢王朝の火の徳に打ち勝つために、「土の徳」をもって打ち勝とうとしたのである。それが甲子
の歳であった。

 太平道の首領・張角は「蒼天
そうてん/後漢王朝の意)(すで)に死し、黄天当(まさ)に立つべし。歳は甲子に在(あ)り、天下太平とならん」と檄を飛ばし、36万人の結社に属する農民信者が蹶起(けっき)した。
 この号令に、更に40万人の農民革命軍が呼応した。農民の新国家建設に、武器を取って蜂起
(ほうき)したのである。同時にこれは、『三国志』を形作る三国時代の始まりであった。
 この転機となったのは、水面下の闇の世界に潜む、陋規が崩れたからである。火の徳の衰退は、また陋規の崩壊であったからだ。斯くして四百年続いた漢帝国は崩壊する。

 では、この崩壊の側面に何が存在したか。
 端的に言えば、スリや泥棒や犯罪者らの裏街道を歩く者が、これまで厳守されていた仁義と裏道徳を破り、好き勝手を遣り始めたと言うことである。こうなると、世の中は危険信号のシグナルが点滅し始める。
 この裏世界で言う仲裁・調停は、清規と陋規のすれすれを遣らねばないから難しく、これをこなす人物は相当な人格者でなければならない。つまり仲裁役、調停役を恃
(たの)める人物は両方の世界に通じだ人でなければならないのである。そして重要なことは、交渉において賄賂が遣われるということだ。
 仲介のための必要経費である。同時に後始末料である。此処にこそ、陋規が働く所以
(ゆえん)である。そこには当然これまで集積されたノウハウがある。巧く機能させるには、このことを熟知する熟達者でなければならないのである。
 そもそも話が噛み合ないことが起因して、「いちゃもん」がついているのである。これに対して、適切な処置は効果的で、脱線しない賄賂術を心得ている熟達者が必要なのである。
 なぜ後漢王朝が崩壊したか。
 これを調べるには漢王室と宦官
(かんがん)との関係を調べれば一目瞭然となる。
 官僚として、王室に仕えた宦官は、陋規を全く無視していたのである。あたかも今日の政治家が、自分を物差しとして計るようにである。政治家が、自分を物差しとして考えると、どのような弊害が起こるか、想像に難くない。

 日本人が想起する賄賂の類
(たぐい)は、最初から「穢い物」と決め付けている不正な金である。潤滑油であることを知らない。清規しか知らなければそうなる。この考え方が一方的になると恐ろしい。
 この世は、清濁併せ呑み、善悪綯い交ぜなのである。この、多くが見逃しな盲点を、かのフランスの哲学者パスカルは、次のように言う。
 「人間にその偉大さを示さないで、人間がいかに禽獣
(きんじゅう)に等しいかと言うことばかりを知らせるのは危険である。また、人間にその下劣さを示さないで、その偉大さばかりを知らせるのも危険である。
 更に、人間のその何れをも知らせずにおくことは一層危険である。
 だが、人間に両面を示してやるのは非常に有益である。
 人間は自分を禽獣に等しいと思ってもならないし、天使に等しいと思ってもならない。その何れを知らずにいてもいけない。両方ともに知るべきである」
 パスカルの言の最後にある「両方ともに知るべきである」の締め括りは、総てのことに対しても言えることであろう。
 一方だけを取り上げて誇大宣伝する“片手落ち”こそ、公平を欠くからである。

 真面目で正直で、清く正しく美しくを指標にする善人の世界では、清規が厳守すべき事柄である。それは決して否定されるべきものでない。だが一方で、陋規こそ清規の世界より最も重要な原理規則なのである。
 巨大なものを動かそうとすれば、賄賂なくして人は動かないものである。許しも請えない。
 賄賂は、確かに贈収賄で世間に発覚する。今日でも日常茶飯事であろう。
 しかし現実は違う。一口で片付けられない。現に。国際政治もこの輪の中で動かされている。
 そこで必要なのが、かのニッサン・コンツェルンの鮎川義助が「日本の大学でも、国際賄賂術の特設科をつくれ」とした提案である。
 鮎川の言によれば、国際政治には賄賂が憑き物であると言うのである。そこで、外交音痴という現象が起こると指摘したのである。鮎川の人物は別にしても、この見解は正しいだろう。

 外交音痴。
 これは賄賂の授受に陋規の筋を踏んでいないからである。あるべき筋を平然と犯すからである。これは日本社会の病巣といえよう。陋規を知らない所以である。

 人間と動物の違いは、その根本的相違として「相手を尊敬する気持ち」と「恥を知る心」である。
 このうちの一つでも喪失していてば、もう人間として失格である。昔から言われた「廉恥」である。
 この「廉」の感覚が失われて利己的になれば、社会には反社会的な現象が起こる。その発端は賄賂の授受における受け渡しの手違いから起こるものである。
 つまり収賄や役得に奢
(おご)り、権力を横暴に揮ったときに「発覚」という現象が起こる。
 高級官僚として高い官職に就く者は頭脳明晰で、最高学閥の大学を出て、最難関と言われる国家I種試験公務員試験を合格し、その結果、豊かな俸禄と特別待遇で、一年間に得る収入は、一般人より非常に多いと言わねばならない。それなのに賄賂を受けと角は何故か。
 誰が考えても不可解なのは、喩
(たと)え賄賂を貰ったとしても高が数十万円とか数百万円である。
 それが一朝露見すれば、免職となって俸禄も特別待遇も一切剥奪されて、以降、犯罪者として汚名を被ることになる。
 この元兇には、「貪人
(たんじん)は財を愛するを解せざるなり」の、かの有名な『貞観政要(じょうがんせいよう)(論貪鄙第26・第二章)の一節が思い出される。つまり、「これで、どうして財産を愛することを理解しているといえようか」と記載されている嘆きである。更に『貞観政要』は言う。
 「小利を得ようとして、大利を失う。何と馬鹿げたことであろうか」と。
 陋規を知らない故である。
 洞察すれば、これは賄賂を貰ったことを嘆いたのでなく、賄賂の受け取り方を知らないことを嘆いているのである。額面通りにとっては、藕糸
(ぐうし)が見えて来ない。藕糸の要点は「受け取り方」なのである。


 ─────話を戻す。
 仲裁とか調停とかは、清規と陋規とのすれすれで、事の解決に当らねばならない。だが、このこと事態が非常に難しい。
 その器量が、果たして私にあったのかと反芻
(はんすう)する。仲介者としての政治力である。

 さて、及川が巻き込まれたのは、堅気か筋者かはっきりしない集団であった。こうなると話が付け難く、問題も拗
(こじ)れる。これが暴力団と日本土着のヤクザの違いである。任侠の世界では陋規があるが、暴力団では表面はそれを装っていても、中身は異なる。厳密には両者は全く違うのである。
 暴力団が暴力故に犯罪組織の傘下に入っているが、任侠の士は、任侠道を全うする人達である。暴力団と一蹴されるべき人でない。
 暴力団対策法で両者は一緒くたにされているが、両者は決して交わらない水と油である。
 任侠はあくまで任侠である。前者は暴力と犯罪だが、後者は任侠と言う「道」である。一般素人はこの違いが分らない。そのために任侠道が誤解されて認識され、両者は一緒くたで、綯
(な)い交ぜにされているのである。それに草食と肉食の違いもある。

 この物語は時代背景が昭和47年前後のことであるが、昨今は暴力団と任侠も境目がなくなり、前者の犯罪組織は巧妙になりつつあった。それは陋規が崩壊してしまったからだ。決して笑い話では済まされない。これは人心が荒廃していることを雄弁に物語っている。
 現代社会は、一般人が思うように、いい方には傾いていないのである。遣り口が巧妙化しているからだ。そのため官憲の網にも掛かり難い。
 更にカモフラージュが巧妙になった。
 例えば、企業舎弟という組織形態に変わり、あたかも「遣り手の銀行員」を彷彿
(ほうふつ)とさせるようなことをしている。
 姿形も一変した。
 髪の毛を七三に分け、ダークスーツにビジネスマン然としたネクタイという出で立ちで、エリートと見間違うばかりのスタイルをしている。ヤクザとか、極道の匂いや跡は、もう何処にも感じられない。善良なサラリーマンに映る。

 余談だが、特に最近急激に成長を続けているのが、保険会社を模した“見ケ〆料”の徴収である。保険料集金会社となっている。見ケ〆料は暴力団が、飲食店などから監督・保護の対価という名目で取る金銭のことをいう。しかし近年はこうした徴収も露骨ではない。実に紳士的な徴収の仕方をする。
 この見ケ〆料は保険金として集金するのである。それも有名無実な口約束ではなく、正式な契約書を用いて保険契約をするのである。契約の体裁を採
(と)ったものである。
 つまり、“見ケ〆料”を集金して廻るのは、損保保険会社の正社員と言うことである。正社員としての企業舎弟の末端が保険料を集金して廻り、外交員の役割を果たすのである。考えたものである。そして給料も決して悪くない。

 また、こうした損保の正社員は妻帯者であり、どう検
(み)ても堅気である。極道の匂いすら微塵(みじん)も漂わせていない。前から見ても後ろから見ても、また横から見ても堅気である。銀行マン然としている。それなりの教養すら感じさせる。但し、これは表向きの顔である。
 こうした“銀行マン然”とした男達が働いている会社は、どこかの暴力団の傘下にある企業舎弟の繋がりがあって、飲屋街で営業する大半の店は損保会社と契約をし、安全保障の意味で、ちょうど日本がアメリカの傘の下に入り、日本の安全保障を守って貰う変わりに、それに対して多額の“見ケ〆料”と軍事基地を提供するという構図と酷似するのである。
 損保会社の掛け金は掛け捨てであり、損保と契約すると契約書が交わされ、それは一般の損保会社のそれと全く同じもので、万一トラブルが生じた場合、直ちにある筋の者が派遣され、話をつけたり、客の暴力などで店が破損した場合は見舞金を出すと言う対策がとられているのである。表向きは一般の損保会社の殆ど同じなのである。

こういう建物からイメージすることは、かつての損保会社の華やかし、戦前のよき昔を髣髴とさせる。偶然の事故によって生じた財産等の損害を填補(ほてん)する目的を持つものだが、また近年は酷似した奇妙な損保会社も登場した。

 この保険の加入者は契約を交わすと自動的にその会社の親睦会員となって、万一トラブルが生じた場合、その保証が約束され、月々保険料を支払う。だが、これは暴力団の巧妙な仕掛けによる“見ケ〆料”に他ならないのである。
 そして保険外交員は、かつての地回りで、自社の損保加入者の店舗を見て廻ったり、まだ加入してない店に加入の話を持ち掛けたりして保険の営業を遣るのである。しかしこうした外交員は暴力団の組員ではない。
 立派な堅気の男達で、いつも背広姿で保険会社の外交員らしい物腰で、昔の極道のように刃物やチャカなどの武器は携帯していない。彼等の武器と言えばアタッケースに損保会社のパンフレットや契約書などである。
 したがって店側も、彼等が来たからと言って、これに眉を顰
(ひそ)めたりしない。決して不快な顔をすることはない。損保の掛け金は、健康保険税のようなものと思って快く支払うのである。
 市町村の国民健康保険は、保険と言う名目より、正しくは保険と言うなの税金である。正しくはこれを健康保険税と言う。相互扶助の形を取り、病気に罹った場合はその医療費の70%から80%を市町村が負担するとなっているが、その金額はその年の固定資産税額によって毎年変動する。自営業者などはこの対象であり、保険税は確定申告の結果決定される。
 この経緯から考えれば、店舗側は健康保険税と同じだという感覚で、“見ケ〆料”が変形した損保金を支払うのである。

 つまりである。
 納める相手が日本国と言う国の中にある、更には、飲屋街の暴力団の縄張り内にある市町村の出先機関と思えば、大した額でもないし、万一の場合は損保会社がケリ突つけてくれるということで、飲屋街の空気が平和で何事もなく暮らして行ければという、あたかも日米安全保障条約を彷彿とさせる形体の中で考えてみれば、損保に掛け金を掛けることは、決して悪いことではないと考えてしまうのである。短絡的であるか、どうかはあまり考えない。
 そして銀行マン然とした外交員は、自分の会社が何処の暴力団に繋がっているかも知れない。また、知ろうとも思わないし、むしろ知らない方が身のためなのである。
 だが人間は、余程のバカでない限り、こうした組織に属すると、自分の会社の上層部は裏の世界に繋がっている……という危険な匂いを感じ取ってしまうものなのである。愚者でない限り、別の何処かに鞍替えしたいと考えているのである。
 昨今は巧妙になっても、また別の意味で、一部の現代人には「裏の匂い」を嗅ぐということができる敏感な者もいるようである。

 話を戻す。
 昔、何かの本で「仇討ち」の物語を読んだことがある。
 そして武士と言うものは、腕に覚えのない、弱い筋から、“仇討ち”の助力を頼まれると、「義によって、助太刀
(すけだち)もうしつかまつる」と、カッコいい台詞(せりふ)を吐いて、自らの命を賭(と)して死地に赴いた。そんな内容の物語を、子供の頃に読んだような覚えがあった。

 「義によって」とは、理不尽に対して仇を討つことをいう。
 いまどき、こんな考え方がはやるか、はやらないかは知らないが、弱きを助けて、強きを挫
(くじ)く、真実・正義に与(くみ)して、弱い者を助けることは、これこそが「義」だと解釈していた。
 節義を堅く守り、義理を約束を果たす。裏切らない。
 こういう繋がりは血縁の肉親でないでも、血統以外に霊統的に繋がっているからであろう。時として、私はそういうことを感じることがある。
 「義」が廃
(すた)れば、この世は闇と化すのである。助太刀は、こんな無邪気な逞(たくま)しさの解釈の結果からだった。多少、稚拙(ちせつ)な蛮行の観があった。
 私は溜息
(ためいき)混じりに「義か……」と口にしてみる。
 「義」とは如何にも、大時代的なものを感じさせる色褪
(いろあ)せた発想であるが、及川に“助け舟”を出すならば、その大義名分は「義」に求める以外ないのである。
 もう一度、「義か……」と口にして、苦笑しながらその理由を求めたが、一言で「義」といっても、そんなに単純なものではなかった。しかし、やはり「義あって助太刀もうす」旨を及川に代わって、実践するしかなかった。


 ─────それから一週間が経
(た)った時のことである。
 一向に姿を現さない及川のことが気になり、私は及川の家を訪ねることにした。
 及川の家は母一人、子一人の母子家庭であったが、母親が遣
(や)り手で理容院を経営していて、生活は意外に裕福であることを小耳に挟んでいた。
 私は道場が終わった後、由紀子の待つアパートには戻らず、直ちにその足で及川の家を訪ねた。何かの事件に巻き込まれていることを知られたくなかったからである。危ない綱渡りと罵倒されるのが、オチである。
 (確か、及川の住所は中央町と思ったいたが……)そんな独り言を呟
(つぶや)きながら、疎(うる)覚えの記憶を辿(たど)り、中央町(北九州市八幡東区)の方に足を向けていた。及川の家は直に分かった。
 既に、夜9時半を回ったというのに、店には明かりが明々
(あかあか)と灯(とも)され、数人の店員が忙しく後片付けをしていた。

 『及川理容室』と書かれた入口のドアを押して店内に入ったら、若い女の店員が、
 「御客様、もう当店の営業は終わりましたので、明日おこし下さいませ」と言って、私を外に丁重
(ていちょう)に外に出そうとしたが、これに及川の母親が私に気付いたらしく、
 「まあ、先生じゃ御座いませんか。英治の母で御座います」といって、深々と頭を下げた。
 「及川君は、いま居りますか?」
 こう訊
(き)くと、この母親は不信そうな顔をして、
 「英治は今日も道場に行くといって、今日は6時頃に家を出ましたが……」という。
 それを聞いて一瞬首を捻った。それを先回りしたかのように母親は、
 「今日、英治は道場に行かなかったのですか?」その顔はまさかという顔であった。いったい彼は何処に出掛けて行ったのだろうか。

 私も正直に話すしかなかった。
 「彼は、一週間程、道場に姿を現さないので、病気でもしているのかと気になって、今晩お訪ねした次第ですが」と訪問の理由を述べた。しかし、喧嘩に巻き込まれて、ややこしい事件を起こしたことは黙っていた。
 「いつも、ご迷惑ばかり掛けて申し訳ありません。あの子は先生の言うことだけはよく聞くと見えて、てっきり今日も道場に行っているものばかりと思っていました。毎日出かけているので、道場に行っていると安心しましたが、一週間程、道場に姿を現さないということは、あの子は良からぬ仲間に誘われて……」というような調子で語り始めた。心配の尽きない話が、永遠に続きはしないかと、一先ずここで、口を挟んだ。

 「いいえ、彼に関してそんなことはありません。何か、僕にも言えないことがあって、出掛けているのでしょう。ところで及川君は最近何時頃、戻ってきますか?」
 「そうですね。いつも深夜12時過ぎに戻ってくるようですが、道場か、何かの付き合いで遅くなるのではと思って、気にも止めなかったのですが、実はそうではなかったのですね」
 母親は念を押すように喰
(く)い入った。
 「いいえ、それは誤解です。明日にでも彼と会って、事情を確かめてみますから、何事も悪い方に考えないで下さい」
 この返答に対して、母親は「あの子は一人息子なので、そこのところは、お含みおきして頂いて、どうか宜
(よろ)しくお願いします」と言って頭を下げたが、後はその事の繰り返しであった。

 私は何か、この母親に責められているような気持ちになった。わが子が、道場に通うのは、“あんたが悪いのだ”と言うふうに指弾されているような感じであった。しかし、この程度の言い種
(ぐさ)で済むのは、商売人としての物腰の低い及川の母親であればのこそであり、もし、これが他のサラリーマン家庭の親であれば、こうなった事は私の責任であり、さも罪人呼ばわりしたに違いない。
 私は、個人的で勝手な行動の、それも喧嘩の責任まで取らされては、迷惑だと言う気持ちになった。
 その上、この後始末は割りに合わないと思った。道場主はそこまで責任はない。喧嘩をしたのは及川の若気
(わかげ)の至りであり、その責任が私にあるとするのはお門違いである。しかし、弟子の受難をこのまま見捨ててもおけなかった。斯くして、私は自らの購(まかな)いで、“落し前”を付けさせられようとしていた。



●図太さの養成

 私は元来、小心者である。臆病者である。脅されれば震え上がってしまう。気の弱い惰夫
(だふ)である。
 しかしその反面、“図太く”もありたかった。図太いことが私の理想であった。この理想を追い掛けても、またそうなろうとしても、大抵の場合、なかなか巧くいかない。無理な場合が多い。
 だが諦めずに、これを追うことにした。粘り強く、その機会を窺
(うかが)った。
 実際に図太くありたい……ということは、一体どういうことなのだろう?と思う。
 生まれつき図太い人間が居るとしたら、その人間は鈍感だろう。鈍感だから図太いのだろう。本当は図太い人も、単純に、鈍感にやり過ごしているわけではないようだ。

 本当は感じているのであろうが、いろいろな事を考え、じたばたしても始まらないから、デーンと腰を据えているのだろう。窮地
(きゅうち)に陥った時こそ、落ち着くべきなのであろう。下手を打って、軽挙妄動(けいきょ‐もうどう)に趨(はし)るのは愚の愚である。そうした経験から、危急の時は浮き足を立てず、焦らず、落ち着き、腰を据えるべきなのである。
 あるいは至った経緯
(いきさつ)について覚悟を決め、ある程度の損害も考え、居直ることが、あるいは図太くするのかも知れない。そういう肚(はら)の坐った所が図太くするのであろう。だが、私には肚が欠けた。その器量がない。

 例えば、繁華街の夜道を歩いていて、ワルの二、三人に囲まれ、路地に連れ込まれて、ナイフで脅
されたとしよう。そして「金を出せ!」と刃物で強請(ゆす)られたとき、云うまま金を出すか、あるいはこれを拒(こば)んで、奴らと一戦交える方法もある。二者択一の中で、どちらを選ぶかは本人次第である。
 殺されたり、傷つけられたりするのが嫌だったら、素直に金を出すしかないだろう。
 しかしこの場合、素直に随
(したが)ったからと云って、殺されたり傷つけられたりしないとは限らない。その保障はない。
 また、財布を出して、二、三千円の金を出したからと云って、そうした端金
(はしたがね)で許してくれるとも限らない。財布は丸ごと取り上げられ、時計や指輪などの貴金属やその他のアクセサリーも全部召し上げられた挙げ句、着ている物や、履いている物が良かったら、それらまで総て取り上げられてしまうだろう。
 その上に、「貌
(かお)を見られた」という理由で殺されるかも知れない。その典型が強姦である。犯人は顔を見られたと言う理由で、被害者を殺す場合が多い。

 こうした時に、普段から護身術でも習っておけば良かったなどと後悔しても遅い。だが、ちゃちな護身術程度では、実戦に全く役に立たない。むしろ、いらん護身術を知っているばかりに、刺し殺されると言う例も多くある。結局、呑気な無抵抗主義では、最後は金品を取られるばかりでなく、命までもを取られるということなのである。
 そうであるならば、残された道は戦うしかない。烈しく抗
(あらが)うしかない。
 さて抗う場合だが、ナイフで脅す連中は、普段からナイフ術などを練習しており、その遣
(つか)い方は無気味なほど静かである。「静か」ということは、それだけ遣い馴れていると言うことだ。
 一旦ナイフを抜いて、手練
(てだれ)が躍(おど)り掛かる場合、決して荒々しい気合いなど掛けずに、息遣いだけで静かに襲って来る。ナイフ捌きは実に軽やかなのである。遣い方があざやかである。それはあたかも動物を捌くときを髣髴とさせる。そして眼に映る限り、烈しい殺気のみが強調され、恐怖と魅惑の入り混じった手慣れた戦い方をする。
 更に特記しておきたい事は、「ナイフ上手」という手練は、単に指先と手頸
(てくび)でナイフを巧妙に遣うだけでなく、投擲(とうてき)武器にして、これを投げることも出来るのである。間合が遠ければ、必ず投げることを目論むのだ。離れれば飛んで来ることを覚悟しなければならない。

 したがって、「○○道○段」などの“紙切れ”は、全く役に立たないのである。
 特に素手で競う試合形式での格闘技や、それに準ずるスポーツ武道をしてる選手は、試合と刃物との戦い方が違う為、簡単に刺されてしまうのである。これは正面から対峙
(たいじ)するためである。正面から対峙した構え方では、簡単に刺され易いのだ。したがって半身になる必要がある。それも構えては役に立たない。単に構えると上半身だけの動きになり、下半身が疎かになる。併せて恐怖から足の歩幅が狭くなり、防禦としての腕だけの動きとなる。
 則ち、構えると構えた両腕で、脇腹がガラ空きになるからである。

 ナイフの熟練者は、このガラ空きの所を襲って来る。急所を一突きにして来る。
 この一突きを、構えて無傷で生け捕る事は非常に難しい。だいいち刃物を遣っての渡り合いは、実は「命の遣
(や)り取り」なのである。こうした時には肩の力を抜いて、“無構え”の方がいい。これが試合とは、大きく異なる点だろう。
 したがって「命の遣り取り」には、半分以上「刺される」という覚悟が必要なのだ。
 刺される覚悟が出来れば、相手の刃物の動きは良く見える筈
(はず)である。また、相手の意図も読みとることができ、何よりも落ち着きが取り戻せるのである。動転する気持ちが失(う)せるのだ。

 私は常日頃から、真剣や匕首
(あいくち)などの刃物で、山村師範から厭(いや)と言うほど、しごかれ、追い回された経験を持っていた。これを基盤に、小心の自分を奮い立たせる原動力を持っていた。それが図太さを教えてくれる切っ掛けになったのであった。恐れてばかり、怕(こ)わがってばかりでは、一歩も前に踏み出せないのである。刺される覚悟を50%にして、相手の懐(ふところ)に飛び込めば、あるいは無傷のまま、難を逃れるかも知れないのである。
 この場合の間合は、出来るだけ接近して詰めておく事が肝心であり、「一歩」で、深く飛び込める位置に居なければならない。間合をジリジリと詰められて、それを恐れ、後に後退する事こそ、愚かな行動はないのである。懐に飛び込めば済む事なのだ。

 古い悟道歌に、

斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み見ればあとは極楽

 とあるではないか。「一歩」踏み込めば、楽なのである。
 つまり、真剣勝負を闘う上で、刺される気持ちが50%あれば、後は極楽なのだ。
 恐れを抱いて、嫌なものから逃げ出してはならないのだ。
 太刀合いにおいても、間合ばかりを気にして、後ろに詰められるばかりでは駄目なのである。一気に踏み込み、懐に飛び込んで腹に喰
(く)らい付くか、肩と腕を不自由にして、そこを噛み付くか、頸(くび)を絞めればよいのである。

 刺される覚悟でこれが出来れば、無傷では済まされないであろうが、電光石火
(でんこう‐せっか)の早業(はやわざ)は、万一の場合に50%の確率で、功を奏するのである。刺されると観念した事で、肩の力が抜け、無駄な力みがなくなるのである。また力みがなくなるから、外界の様子がよく見えるようになるのである。
 普段の“平常心”を取り戻せば、腕がなくても、生き残れる確率は要するに、生死を半々で別けているのである。50%の生還率がある。
 確率は50%というが、金品を奪われ、身ぐるみ剥
(は)がされた上に、100%滅多突きされて殺されるよりは増しだろう。
 但し、複数である場合、対峙した相手のナイフ術の力量が、それぞれに異なっているが、その中でもリーダー格と思える者だけを相手にする事だ。雑魚
(ざこ)は放っておいてもよいのである。これを間違うと、とんでもない事になるのだ。普段から人物や物事をよく観察して、観察眼や見識力を持つことだ。
 それは経験を積み、体験を通して、躰で知る以外ないだろう。

 精神的にも脅威を受ければ、人間は妄動から混乱を生じる動揺が起る。それは自分自身への動転の心境であるばかりでなく、苛立ちを覚えるものである。その為に、苛立ちで乱れてしまうのである。窮地に立たされて乱れる人ほど、案外ヤワなのである。
 乱れれば呼吸が浅くなり、行き詰まるような苦しさを感じるようになる。息苦しさを感じて、呼吸が乱れる人は、心身共に普段から鍛えてない人である。だから、人間の真価はその一点に顕われる。

 刃物に脅されて、動揺を覚える人は、自分が「無傷で助かりたい」と言う気持ちがあるからだ。そう言うものは直ちに捨てるべきなのである。捨てれば楽になるのである。命さえも、捨てれば楽になるのである。
 喩え50%でも、刺される気になれば、随分と楽になるのである。
 “落し前”をつけられそうになった当時、私はこの時、もう命を捨てていたのかも知れない。
 一切を捨てれば、惰夫
(だふ)でも途端に勇者になるのである。


 ─────元から喧嘩師を気取っていた。
 ひとたび戦えば、自分自身にも被害が及ぼうが、相手の方も「タダでは済まない」という気魄
(きはく)が、自身を気丈にさせるのであった。
 “一匹狼の喧嘩師”を気取っていた私は、この話の決着を付けに、一人で、及川の被害者になったと自称する組員の事務所に乗り込んだのだった。それは「義」によって、である。あくまで「義」である。
 「義」を掲げている以上、怕
(こわ)いものはなかった。また「義」は、その精神力の背景に、人間を気丈にさせる何かがあった。
 訪ねた事務所には、及川から暴行を受けたと、口を揃
(そろ)えて自称する末端組員数名が、頭や手や足に包帯を巻いて、行儀よく勢揃(せいぞろ)いしていた。その勢揃いを見て、一瞬ハッと竦(すく)んだ。それには威圧があったからだ。
 この日、組員が負傷したと云う事を理由に、難癖をつけるのは明らかであった。執拗
(しつよう)に絡みつくだろう。ねちねちと遣られるだろう。どんだ災難だった。しかし、自分で飛び込んだことであり、逃げずに果たして行く以外なかった。

 「あんたが何者かは知らんが、要するにワシらは、怪我人の治療代と慰謝料を払って貰えれば、それでいいんじゃ。傷害事件として警察沙汰にする気はないから安心しろ」
 奇妙な言い掛かりである。
 この事務所のナンバー・ツーらしき、凄
(すご)みのある男が、黒の長襦絆(なが‐じゅばん)のようなダボシャツから青刺(いれずみ)をちらつかせながら、私の鼻先で口を突き出すように囁(ささや)いた。そして私を睨(にら)み据えた。
 私も、おいそれとは眼を反
(そ)らすわけにはいかず、陰険なこの男の眼と戦う羽目(はめ)となった。その絡み付くような眼の睨(にら)みは、明らかに私を傷つける意志がはっきりと見て取れた。一目検(み)ただけで、素人を啖(く)う闘争心が窺(うかが)われ、その相貌(そうぼう)は肉食獣の、それだった。
 それにつけてもこの男は、今日の昼食に、餃子
(ぎょうざ)と、キムチを食べたとみえて、口臭は吐き気のするような大蒜(にんにく)の匂いに包まれていた。
 私も餃子やキムチは嫌いではないが、こう鼻先で、口臭となった大蒜の匂いを直
(じか)に浴びせられると、気持ちの悪いことを通り越して、逆に腹立たしくなってくる。

 私はもともと小心者である。脅しに弱い小人である。
 表面だけは冷静を気取って強がっていたが、相手が暴力団ということもあって、私の心臓は恐怖に戦
(おのの)き、萎(しぼ)んでいた。しかしである。
 この小心者を激怒させる、大蒜の悪臭
(あくしゅう)は、一瞬、何もかも、周りの小綺麗に飾られた大紋の装飾品や横一列に飾った提灯類、更に模擬の居合刀の大小、それに所狭しと並べられた調度品や機材を目茶苦茶にして、この場で大暴れしたいような気持ちに駆られていた。
 人間には辻褄
(つじつま)の合わない滅茶苦茶な、大暴れをしてみたいと言う無謀(むぼう)なところがある。追い詰められれば誰でも窮鼠(きゅうそ)になる。また、こうしたところがないと、精神は萎縮(いしゅく)するのである。うずうずする大乱闘したい気持ちを必死で抑えた。

 「兄さんよォ〜。今、兄貴が言ったこと、素直に聞いた方が得だとよ。後で取り返しのつかないことになっても知らないよ」と、安物のサングラスを掛け、腕に包帯をして、三角巾
(さんかく‐きん)を首から吊った男が言った。この三角巾の大袈裟な恰好からして、この男は及川と闘って簡単に叩きのめされたのであろう。
 これを私は聞いているような、いないような、そして、ふてぶてしい態度で、不屈な笑
(え)みを浮かべながら窓の遠くを眺(なが)めていた。
 話は、さっきの男が言ったことの蒸し返しであった。また横から、頭に包帯をした別の負傷者擬きが割り込んで来て「後で取り返しのつかない事になって、後悔しても遅いんだよ」と、私に促すのだった。それは促すと言うより、敵意をもった脅
(おど)しだった。この脅しに戦慄し、屈しなければならないのだろうか。
 結局、堂々巡りの様相を深めていた。
 この男も、包帯をしているからには、及川から叩きのめされた一人なのだろう。
 私は恐喝
(きょうかつ)されていたのである。矢継ぎ早に繰り出される言葉は、「タダで済まない」という繰り返しの脅しだった。

 私がもう、奴らの講釈はうんざりだという顔をして苦笑し、天井を見上げていると、
 「ねえ、兄さんよォ、何がそんなに可笑しいのかよ!真剣に人の話を聞いているのか?!」と、サングラスを掛けた男が、貌
(かお)をめい一杯歪め、巻き舌の呂律(ろれつ)に凄味(すごみ)をきかして息巻いた。
 この男は、私の不屈で不可解な冷たい笑いと、そして無視したような、ふてぶてしく、かつ毅然
(きぜん)とした態度が癪(しゃく)に触ったらしい。
 この手の人間は、素人衆が弱々しく怯
(おび)えず、自分の吐いた言葉が効果薄だったと知ると、ますます腹を立て、口数が増えるのだった。凄みを利かせて、脅しの文句を一通り並べ立てるのである。
 奴らの家業は基本的には「口による脅し」であるからだ。暴力は二の次である。だが、口での脅しに効果がないと知ると、青筋を立ててガナリ立て、口数が殖えて来るのである。意地でも負けられないからだ。

 「聞いていますとも。それにしても、あなた方は随分と派手にやられましたねェ。実はね、あなた方をヤッた男は、うちの道場では右も左も知らない駆出しの下っ端
(ぱ)で、初心者並みの技の下手な奴でしてね。それにこの頃、やっと八級になったばかりのズブの素人(初心者)ですよ。つまり100%ド素人です」
 この一言は、奴らを黙らせるのに充分な威力があった。
 恐らく奴らは「八級」という級位と「ズブの素人」あるいは「100%ド素人」という言葉に虚
(きょ)をつかれ、狼狽(ろうばい)したに違いない。そのためか、暫(しばら)く目が点になったような唖然(あぜん)とした沈黙が続いた。
 しかし奴らの態度は、これくらいの虚仮威
(こけ‐おどし)しでは容易に崩れそうもなかった。

 むしろ幸
(さいわい)なり、という態度を続け、高飛車な態度はついに崩れなかった。横柄(おうへい)の極みに達したまま、交渉を複雑にし、話は振出に戻ってしまった。奴らは無理難題から再び蒸し返し、結局譲歩の意図がなく、交渉は決裂(けつれつ)したのだった。その結果、一方的に多額の慰謝料を強引に要求された。
 請求内容は奴ら流の流儀に則って、何もかもが高めに設定されていた。
 突き付けられた請求書を見て、なおも苦笑した。
 「こんなに高いんじゃ、破産してしまいますよ」と、捨て台詞
(せりふ)を吐いたのだった。
 それに対して、“だったら破産したらどうだ”という無言の威圧が漂っていた。

 奴らは弱肉強食を演じながら面子に拘
(こだ)わる人種である。金も取上げたいが、面子にも比重が掛かっていた。面子を潰され、穢されると、また、男の沽券(こけん)に疵(きず)を付けられたして死に物狂いで挑戦してくる。ただこの一点だけに、死を賭(と)して戦うのだ。
 とは言っても、見栄と虚栄で覆
(おお)われているから、要するに奴らのそれらの欲求を満たして遣るような形で話を付けなければならないのである。だが、奴らの主張する仁義とやらを、私は理解する心理状態でなかった。無理難題を押し付けられても無理だからだ。これ自体が馴染めないのである。
 だが、これは最悪の事態を意味していた。

 素人衆を、有無も言わせない、奴ら独特の弱肉強食の世界を思った。弱肉強食を思わせる為に、奴らは精一杯悪ぶっている。この世界特有の残忍さが、その表情と物の考え方に克明に顕
(あら)われていた。
 要するに、私は奴らから「猟られた」と思ったのである。
 私流
(わたし‐りゅう)に、一言で云えば、“相手が悪かった”と言う他なかった。
 負傷者が三人で、一人百万円を払えという無茶苦茶な要求を吐かれた。何よりも請求書の要求内容が、それを雄弁に物語っていた。驕慢
(きょうまん)を通り越して無茶苦茶である。理不尽である。
 奴らは何食
(なに‐く)わぬ顔をして、無理難題を押しつけ、弱肉強食の陰険な本性を現し始めた。
 この交渉は、とにかく決裂した。

 そして勢揃いしたメンバーの中に一人だけ、私に対して牙
(きば)を剥(む)く狂犬病のような十代後半の少年が居て、その少年は周りの男に抑えられているが、一度(ひとたび)その抑えが解かれれば、今でも飛びかからんようなポーズをして、私を睨(にら)み据えていた。かなり若い、修行中の博徒少年だった。それに中々の美少年である。色白で躰の線が細い。妖しい昂(たかぶ)りが漂っていた。それだけに狂気である。
 その少年は周りの男から取り押さえられ、取り押さえた男が、手を離しさえすれば、直にでも飛びかからんと言う態度を見せていた。
 手には、長さ10cmほどの缶切りや鋏など諸々が併用になったキャンピングナイフを握っていて、今にも襲い掛からんとする咆哮
(ほうこう)を放って、盛んに、忠実に、吼(ほ)えているのである。よく飼い馴らされた噛ませ犬だった。獰猛だけで頭が弱いのか、それとも性格粗暴者なのか、判明は付け難かった。要するに鉄砲玉に改造された少年だった。
 このナイフを握った噛ませ犬は、まだ少年の域を出ていなかった。頭の程度も低いように思われ、ただ飼い主の言葉だけを聴く、まさに噛ませ犬の鉄砲玉だった。

 鉄砲玉は手にナイフを握っているだけに、その風体からして獰猛極まりないことは一目瞭然であった。しかしナイフで遣り合った形跡は感じられなかった。更に注視すると、握られているナイフは、人を簡単に殺すという刃物でなく、対峙した相手を切り刻んで、片輪にするためのナイフであるように窺
(うかが)われた。単に血に興奮するのかも知れなかった。こういうのが纏(まつわ)り憑けば、煩(わずら)わしいだろう。
 時と場所を選ばず、昼と言わず、夜と言わず、繰り返し反復して来るからである。人格が半分崩壊しているからである。

 その鉄砲玉を取り押さえている男はニタニタと嗤
(わら)い、それを貌一杯に綻(ほころ)ばせ、私にこう云うのであった。いかにも粘着性の嗤いであった。
 「こいつは、わしらも手を持て余す獰猛なやつなんだ」
 さあ、どうするという言い方だった。
 そして駄目押しは続いた。
 「こいつの無鉄砲には、常々さんざん手を焼いているんだがなァ。放し飼いしてもいいんだぜ」
 口先だけの脅しではないらしい。蛇のような執念深さだった。
 その一言は「止め」の意味を持ち、私への形を変えた恐喝であったろうが、この陰湿な威圧は、後になればなるほど、解決の糸口は失われ、“取り返しがつかなくなるぞ”という風な含みがあった。私を混乱の極致に落し入れ、心理的に崩壊させる、お得意の巧妙な試みと思われた。
 とにかく交渉は決裂したのである。
 私は仲介者としては失格で、調停の一つも纏めることが出来なかった。むしろ逆撫でしてしまった。逆鱗に触れたようなものだった。そのうえ私の介入によって問題を複雑化してしまい、更に拗
(こじ)れさせてしまったのである。私の行動は、愚行を通り越して、蛮行の域であった。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法