運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 30

道場という屋内を離れて、深山幽谷の中に「山稽古」の醍醐味がある。函物の道場は大自然に結びついて、はじめてそこに宇宙観が具現する。
 単独で隔離された函物は建物であっても、大自然との繋がりを持つものでない。単なるスポーツジムである。


●間合

 開眼(かいげん)の成就も空しく、悟り切れない心境は、元の振り出しに戻っていた。
 悟ったと思ったものは、結局は生悟
(なま‐さと)りだった。
 この日、山村師範と木刀を握って向かい合い、会津自現流の剣術の教えを乞うていた。物が平面に見えて、さっぱり今までの間合いが掴めなかった。
 心眼が開いていないためか、間合いや動きの勘
(かん)も、実に掴み辛い。距離を測る遠近感に問題があるらしい。それは肉の眼に頼っているからであろう。
 肉の五官では、この程度の威力しか持たない。感覚を生ずる眼・耳・鼻・舌・身はこの程度のものである。かつて左目横を棒で突かれて以来、左側の視力が低下しているために、何とも遠近感が掴み難く釈然としないのだった。

 山村師範の打ち込んだ木刀が避け切れないために、容赦
(ようしゃ)なくビシビシと躰(からだ)に当たる。巧みに捌(さば)いて避けたつもりであったが、肩や背中を尖先(きっさき)が鋭く擦(さす)る。躱(かわ)して、外したと思えた右小手に木刀が打ち込まれて、自らの木刀を落とすという無態(ぶざま)な醜態まで演じた。
 再び、拾って木刀を構えたが、同じ処に、故意に木刀を打ち据えられた。二度同じ処に打ち据えられて、右腕が馬鹿になり、握っている感覚がなくなった。眼に頼って周囲を見ているため、平面に映し出された景色からは、間合
(まあい)の勘(かん)というものが、全く掴み取れない。それは平面の戦闘ステージで闘っている為であった。二次元的なやり取りをしているに過ぎなかった。
 これでは追い詰められれば、それまでだ。

 私が、困惑している隙
(すき)に、同じ処(ところ)を叩かれ、右腕の骨が折れた。篭手(こて)を打たれたのである。
 既に勝負がついていたので、山村師範はこれ以上の無用な打ち込みはしなかった。
 右腕の骨が折れたことは、私にとって非常に良い薬であった。
 それは考える時間を与えてくれたからである。考え続けることは大事である。考えることにより、新たな打開策が見つかる。骨折のこれは、そうした打開策の為の休養だったかも知れない。考える時間を与えたのだ。

 考え、そして工夫する……。
 これこそ人間のとるべき行動率だ。
 考えて工夫する。
 この試行錯誤の悪戦苦闘から“一つの手”を編み出す。それがまた、思わぬ「奇手」にも通じるのである。これが自分だけの特異な奇策となる。敵に付け入られないための「術」である。
 おそらく「秘術」なるものは、こうして編み出されて行くのであろう。

 兵は詭道
(きどう)なり……。
 これは『孫子の兵法』にある言葉である。単純明快である。
 詭道とは、単に欺
(あざむ)くだけでなく、追い詰められ、最後の最後になって「もはやこれまで……」という絶体絶命に遭遇しても、“ここ一番”というときに、ただ敵から好きなように料理されるのではなく、それを覆くつがえ)し、某(なにがし)かの反撃の奇手を指すのである。奇手は、普段から研究し、考え出し、非常の場合に対応できる方策を準備しておかなければならないのである。
 “備えよ常に”だ。常在戦場。そして日々戦場だ。
 こうした非日常を忘れるべきでないだろう。人間は始終考え続けなければならない。考え続けることが秘策を編み出す。

 ネバー・ギブ・アップ。
 これは敵に勝たなくとも、自分が負けないための境地なのである。“負けない境地”は、ここに回帰する。不屈の精神である。不朽の見込みがある場合を言う。
 そして、それこそが武術の上達法なのである。
 勝つことより、負けないことなのだ。負けを認めず、何度でも挑戦する。負けを認める場合は、心より服従に値する敵対相手が現れたときである。服従する場合、決して暴力に服従してはならない。暴力は何処までも跳ね返し、闘志を失わない限り何度でも挑まねばならない。
 一時的に、わが肉体が傷付いたとしても、その傷を癒し、癒えたら再び挑むべきだろう。これこそが屈しないネバー・ギブ・アップの精神である。
 わが術の未熟をも顧みず、不屈で押し通すことが人生の最大のテーマであろう。
 頭を下げるのは暴力でない。
 人が心から敬服し、深々と頭を下げるのは、その御仁が培った哲学であり、思想であり、『陽明学』で云う不言実行の「知行合一」が実践されている場合に限りである。
 それ以外の暴力に対しては、不屈の精神を持つべきだろう。
 私の闘志は、こうしたときに一層燃え上がるのである。

 闘志は失われていなかった。不屈の意気込みがあった。
 人は、こうした意気軒昂な人間に対し、支援の手を差し伸べるものである。そうしたところに、温情を抱くものである。人情の機微も、こうしたところに働くようだ。それが積み重なって、人生の機微となる。
 右腕に添え木をつけ、折れた骨が動かないように包帯で、要所をしっかりと固定した。その治療を山村師範がしてくれたのである。
 今まで腫
(は)れて痛んでいた腕が、山村師範の接骨でピタリと止まった。実に見事であった。
 普通骨折は、腫
(はれ)が引くのに約24時間かかる。しかしこの間が使い物にならなくなる。
 そこで、古来より考え出された独特の野戦接骨術で、あまり時間をかけずに癒
(なお)す方法であった。これが山村師範の行った野戦接骨術なのだ。【註】西郷派大東流合気武術には接骨の仕方に特殊な添え木を遣い、骨折箇所の当て方に口伝がある)
 数カ所の要所を固定するだけで、手が自由に動かせるのである。この辺が、現代の整形外科の治療法とは根本的に異なっていた。
 此処から帰る時、山村師範がぽつりと言われた。

 「動物じゃよ。動物になれ!」
 これは野性の意味である。

 (うン?……動物か……)と考えてみるのだが、その意味がよく解らない。だが“獣になれ”という意味ではないらしい。動物の動きを真似せよということだろう。
 況して、暴力で女を手込めにするような、穢らしい野獣ではない。動物の眼になって考えてみよということらしかった。
 鳥居
(とりい)を抜けて、階段に差し掛かった時、一匹の猫が蝶(ちょう)を追って遊んでいる。ふと、その光景に眼を投げた。
 (解ったぞ、これだ!)山村師範の言葉が、これで初めて理解できた。

 肉食動物が獲物を追い込んでも、直に飛びかからず、一旦、飛び罹り易い位置に体
(たい)を沈めて、間合(まあい)を取ってから攻撃しているのに気付いたのである。実に巧妙な間合をとっているのである。充分に力を溜めて……。
 その間合の取り方は、単に眼の感覚だけで判断しているのではなさそうだ。全身を駆使し、その上にちゃんと「勘」を使っている。これまでに得た経験からなる思考の組み立てである。それらを総動員した後に、運を天に任せ、他力一乗を何の意識することもなく自然に使い、一切を任せているのである。
 一切を任せる……。
 それは他力である、天に任せるということだろう。
 つまり、努力した後は、一切を任せているのである。天命を尽くせばいいのである。
 これは“知”に頼らず、「無」に任せることを言う。これはまた同時に、“知”を捨てることであり、その立場を超えることをいう。これを換言すれば、「無」と言う事になるのである。
 無か……。
 しかし、一言で「無」というが、これはなかなか難しいものである。

 物事において“知”は、有の立場を顕わすものである。
 頭の中で思念するものである。思念されたものは有であり、頭で観念を形づくるものである。形づくられたものは総て有である。頭で思い浮かべたものは、総て形相
(ぎょうそう)を持っている。これは総て有である。“知”は有の立場のものである。腹積もりである。腹に一物がある場合の「作為」である。だが作為では何もならぬ。腹に一物を抱え、それによって巧妙な善後策を考えるのは賢明でない。そうした作為は、天に任せた状態では無用の長物となる。逆に自らを滅ぼすことになりかねない。
 有から生まれたハイテクなどの作為から起こる知識も、やがては滅ぶ運命にあろう。滅びからは解脱しなければならない。超越しなければならない。これを解脱という。

 一方、頭で思念し、「無」を意識しても、それはやはり有の立場を取るものである。頭から出て来る「無」は何処までいっても、有の立場を捨てる事は出来ない。観念されたものは、みな有である。
 無を観念しても、それはみな有である。
 だが「無」とは、そう言うものではない。
 だいいち“知”の立場で論ずる有とか、無は結局“知”の延長上にある。したがって、これを捨て、これを超えなければならない。捨てたことを「無」と言う。超えたことを「無」と言う。
 この「無」は、「信」と同じ意味である。これこそ『陽明学』の説くところである。

 「信」は信ずることを言う。『陽明学』ではそう教える。
 則
(すなわ)ち、「信」とは“任せる”と訓(よ)む。任せきったところに「信」がある。任せることが出来ないのは、自分にしがみついているからである。自分の“知”を充(あ)てにし、自分の力を充てにしているからである。それは自分以外の「他力」すなわち“神仏”の威力を信じていないからである。“神仏”を無駄な頼みと一蹴しているからである。
 しかし「他力」に任せてこそ、はじめて自分が捨てられるのである。自分を捨てた他力を、「他力一乗」という。
 「わたくし」が無い自分を、こう呼ぶ。「わたくし」を捨てれば、自分について思い悩むことはない。

 “思い悩む自分”は「小我
(しょうが)」の自分である。小我が未練を引き摺り、金・物・色に固執させ、形ある物にこだわり続ける。こだわりこそ、滅びのモードである。
 小我の自分では、肉の感覚に頼ることしか出来なくなる。ゆえに肉の感覚に頼った人間に「他力一乗」は働かない。藕糸
(ぐうし)の隠れた部分の糸が断ち切られる。天から隔離されて自我旺盛となる。そこに天の働きは起こらない。
 則ち、肉の眼に頼れば、「他力」が費
(つい)える。つまり、人間の思考は総て「眼的」なのである。
 観念と言えば、何かを頭の中で形描くことである。形を描くこと、形にこだわることは、則ち、形を思考することは有であり、「物」である。固執した「物」である。これを拘泥
(こうでい)という。

 人間の眼は、まことに便利な器官であるが、不幸にもそれは“外”だけしか見えない。つまり何かを見ようとする時、その物を、外に置くことになる。
 肉の眼で“見られた物”は、総て外の物である。
 その上、外の物が見える為には、その外の物を空間に何かの形をもった「物」でなければならない。肉の眼は「物」しま見えない。それ以外のものは見えない。
 「物」しか見えない肉の眼は空間化する。空間化して形を持っていなければ見ることが出来ない。
 肉の眼では、精神の働きを観察したり、生命の働きを捕らえることがことが出来ない。肉の眼の不自由さは此処にある。これが肉の眼の不便なところである。
 そしてこの“不便”は不自由を齎し、不自由は人間を不幸に陥れる身動きできない状態に縛り付けてしまうのである。

 私は、肉の眼の視力を失い、肉の眼に頼っていた為に縛られていたのだ。見える物だけを信じようとしていたのである。愚かなことだった。
 見ずして信ずるものこそ、実は本当に信ずべきものだったのである。肉の眼を超越しなければならないのである。かと道元禅師も言うではないか。「汝、眼に誑
(たぶら)かされる」と。
 “眼につく”とは、心が外に囚
(とら)われていることなのである。それでは自分自身の自由自在を失うのである。
 真の自由人になるには肉の眼を超越しなければならないのである。したがって、間合も眼に頼るような間合であっては、“囚われた間合”であり、そこから勝利を導き出す事は出来ない。囚われれば、命も囚われ、間合から起こる読み違いは生命までもを危うくする。避けねばなるまい。

 間合とは、即ち、二、三歩近寄られても、直に攻撃されない守りの位置であると同時に、また、直に攻撃できない位置でもあるのだ。
 これが“心の間合”であり、付け入る隙を敵に与えないのだ。そうなれば、敵はわが間合に飛び込もうにも、飛び込めない。身動きならぬ状態となる。間合は、自他ともに近未来の攻防と、境界線を敷いた、双方の「背水の陣」だろう。
 まさに、これは両刃
(りょうば)の剣(つるぎ)の様相を持つ。互いが制空圏にいて、一進一退の、攻防の姿が間合なのである。それを眼で追ってはいけないのである。心を不自由にしてはいけないのである。
 私は、これを切っ掛けに“囚われない間合”を習得したのだった。双方の背水の陣を感知し、自らが攻めることも、敵から攻め入られることも出来ない微妙な拮抗を会得したのである。犯さず、犯されずである。だが修練を積まねば、この境地は分からない。心を遊ばしていては分からない。

 心は常に働かせていなければならないのである。
 耳を澄ませることによって、相手の呼吸の吐納
(とのう)を読み、この呼吸の中から、相手の殺気と動きと位置を勘(かん)で検討つけることを身に着けたのである。為手(して)の心の変化まで解り、その動揺まで読み取ることができるのである。
 これに「捌き」を合体させることで、球体運動の『転身之足
(てんしん‐の‐あし)』を会得したのだ。
 つまり、突撃の前の“力を溜める”ことを学んだのであった。そのためには間合が必要なのだ。
 今まで能
(よ)く見えなかったことが、天は私に「間合の勘」を授(さず)け、また相手の呼吸を巧みに読み取って、一歩 の捌きで、剣を躱(かわ)す「転身之足」を授けたのである。
 開眼は、意外な形で訪れたのだった。

 肉眼がよく見えていた時に見えなかったものが、距離感のある鮮明な現世の肉眼を失うことによって、新たに見えるようになった。時にはこれが霊眼
(れいがん)となって、屈折して見えたり、物理的には存在しない不思議なものすら見えることがある。人間はこうしたことを、自然の中で学ぶように出来ているのである。
 わが流が「山稽古」を大事にするのは、こうした意味からだった。

 肉の眼に依存すると、これまでの経験の肉化の延長のみに頼らねばならなくなる。筋トレだけに頼り、腕力は眼の支配下に入る。これこそが“肉眼的”なのである。肉体反応的である。
 霊的反射神経は、肉体反応で起こすものではない。心の動きから発するもので、その根本には霊眼がある。肉眼的に見るのでなく、霊眼的に検
(み)て、はじめて真物(ほんもの)が朧(おぼろ)げながらに見えて来る。
 「眼は心の窓」ということを忘れていたのである。内観の意味が分りかけて来たのである。物を外に置かず裡において観察する。『内観法』という。
 心の領域を探るために、自身の内的な面を体感するのである。


 ─────折れた腕を、大事に抱えるようにしてアパートに戻ってくると、玄関前に由紀子の車が止まっていた。赤のニッサン・フェアレディZである。いつ見ても派手な車である。
 車の中には誰も居なかった。私が居なかったので退屈紛
(たいくつ‐まぎ)れに、何処かに少しの間出かけたらしい。私が部屋に入って10分程経ってから、由紀子が大きな紙袋を抱えて戻ってきた。何処かで買い物をしてきたようだ。
 狭い入口の三和土
(たたき)に靴を脱ぎながら、「あなた、お食事まだでしょ。今日は腕によりをかけて美味しいお料理作ってあげますわね。あらッ、その腕どうなさったの?」と、私の怪我に気付いたようだ。
 「ほんの掠
(かす)り傷ですよ」
 「怪我したの?……、ねえ、あたしによく見せて」
 また彼女のお節介が始まった。何とも余計なお世話であった。

 ちゃっかりと猫のように摺り寄って来て、私の腕の表と裏の関節を返し、外科医のような診察をする。
 これえは診察というよりも“捏
(こ)ねくり廻す”と言う感じだった。
 彼女はこうすることによって、何らかの安心と、自分なりの確信と、ある種の満足を示し、母性的な愛情を注いでいるようであった。有り難迷惑という感じもしないではないが、この場合、好きなようにさせるしかあるまい。お節介は最後まで好きなようにさせて成就する。途中で中断させては、不完全燃焼の煽りを受けることになる。そして、余計なお世話は、それを起点に十倍も二十倍も担って跳ね返って来る。好きにさせるのが一番だった。

 「名医のご診察のほどは如何でしょうか?」と、私は惚
(とぼ)けたふりをして、この外科医ならぬ、小児科医に鎌手を掛けてみた。
 「ヤーねェー。何だか野蛮、この治療の仕方……」
 「これで痛みはピタリと止まっているからいいんです」
 「でも、何だか不衛生な感じ。汚い包帯だし、何処かの道端で拾ったような板切れが当てられていて……」
 山村師範の衛生観念は、彼女から手痛い批判を浴びている。
 おまけに、私は私で、腕の裏と表を散々扱い回されている。捏ねくり廻された上に、極めつけの“捻り
”が入る。捻りの“超ウルトラC”だった。
 思わず“うッううう……”と無声音を洩らしていた。
 彼女の診察はなおも続く。いじるだけ、いじられたという感じだった。
 そして最後に“極めつけ”的な、捻りが入った。それも、超ウルトラCの捻りが……。
 だいたい彼女は医者のくせに、人間の骨格の稼動方向の順と逆を知っているのだろうか。下手をすると亜脱臼を起こすような捻りであった。

 「あッ、痛い!」我慢できずに声を洩らした。
 「えッ!」驚いたように手を引くのだった。
 「骨が折れているんですから、乱暴に触らないで下さい」
 「まあッ!骨が折れてるの?」
 「大したことありませんから、これ以上触らないで下さい」
 「痛かったでしょ、ごめんなさいね。でも、病院でちゃんと治療した方がいいんじゃありませんこと?」
 「下手な外科医よりは腕は確かです。接骨は外科医以上です。この儘
(まま)、二週間もすれば、元通りになりますから構わないで下さい」
 確かに山村師範は衛生的とは言い難いが、しかし日本武術の伝統ある野戦接骨術を「野蛮な治療」といわれたので些
(いささ)かムッとした。
 だが、彼女の心遣いには勿論有り難く感謝していたが……。
 ただ、「捻り」の超ウルトラCは怪我人相手に如何なものか。



●通い妻

 あの骨折から三週間位で、骨が何とか繋
(つな)がったようだ。もし、整形外科などに行っていたら、まだギブスがとれずに、恢復(かいふく)も遅れていたであろう。
 しかし野戦接骨術は、現代外科医学を遥かに上回る接骨の技術が隠されていた。実戦医術を集積した戦場での智慧
(ちえ)である。戦場を戦った古人の智慧である。そして現代は、こうした古人の智慧を真剣に研究する医学者などは、殆ど居ないと云うのが実情である。
 また現代は、医師法ならびに医療法と云う法律がどこまでも付き纏う為、医師や柔道整復師以外これを行い事が出来ず、明治以降の医師法に絡
(から)めとられて、こうした「秘伝」は益々忘れ去られる一方にある。
 当然こうした秘伝が忘れ去られれば、「呼吸で治す」という、タイミングを計ることも消滅してしまうであろうから、呼吸の駆け引きも忘れられ、やがては消滅することになる。接骨を行う「刹那」も消えてしまうのである。

 例えば、野戦接骨術を「骨を接ぐタイミング」と、武術における「業
(わざ)を掛けるタイミング」は酷似するのである。このタイミングを「呼吸」という。刹那であり、一瞬のことである。
 だが、現代医学では「呼吸」が分からなくなってきている。呼吸が分からないから、力に頼ろうとする。
 しかし人間の肉の力には限界がある。どんなに怪力を持った人でも、ブルドーザーと真っ向から渡り合ってはひと溜まりもないだろう。


 ─────今日は由紀子が女房気取りで『帆柱荘』に訪ねて来た。
 彼女は今、掃除の最中で、殺風景な私の部屋の中を片付けて回るのに余念が無かった。時に消毒も加わる。
 そのお陰で部屋の中は、次第にさっぱりと片付いた。
 これをどう考えるべきか迷っていた。喜んでいいいのか、悲しんでいいのか、決め難いことだった。

 好事魔が多し……。私はこの諺
(ことわざ)から未だに解放されていなかった。
 私の赤信号のシグナルは、いつもこのように点滅するのだった。
 赤信号の警報が鳴っているのである。何か不穏な未来を予告して鳴り響いているのである。それが自分でも今は分からない。

 由紀子が通い妻然として、私の襤褸
(ぼろ)アパートに遣ってくる。内心は、やはり男であるので嬉しい。彼女の顔を見るたびに喜々とする。好みが傍(そば)に居ると嬉しいものだ。
 そして、あまりにも似つかわしくない彼女の背筋を伸ばした凛
(りん)とした姿に、ひどく心を打たれる。
 だが、それだけに恐ろしい未来が控えていることは確実だった。そうした未来が朧
(おぼろ)げながらも、薄らと分かるのである。そもそも、この構図の人生舞台に、私は場違いなのである。登場してはならない登場人物なのである。その側面に、赤信号が不吉の警報を点滅させるのである。
 これはひと時の、夢の中の出来事なのであろう。夢はやがて消える。そうした運命にある。
 好事とは、そうしたものでなかったのか……。
 恋愛は不幸の始まりという。恋愛が始まった時から不幸は始まるのである。まんざら嘘でもあるまい。

 私の部屋の中には、生活の匂いのするものが殆ど無い。置物や額
(がく)や花瓶すらない。喰いちらかした出前の丼や皿などの器を除けば、差し当たり散らかる程の物がないのだ。
 私の場合は“清貧”ならぬ、「濁貧
(だくひん)」なのだ。赤貧を通り越して濁貧なのである。
 清貧を強調する訳ではないが、同じ貧乏でも銅臭芬々
(どうしゅう‐ふんぷん)というのは、余り頂けたものではない。貧乏でも徳があれば、それは清貧である。しかし徳がなければ、赤貧であろうか。私の場合は不徳の限りだったので、濁貧というべきか。
 濁貧者は垢
(あか)に塗れ、汚れ回って、とにかく貧しいのである。この垢は世間の垢でもあり、人間の垢でもあり、また私自身の心の垢でもあった。垢以外、何もなかった。
 粗末な衣服を着ていても、洗濯が行き届いていれば清潔感を失わないので、それは清貧といえるだろう。
 女性でも幾ら粗末な衣服を着ていても、それが洗濯されて清潔感が溢れていれば、それだけで美人の部類だろう。更に綺麗に髪を洗い、櫛が通っていて、洗い髪を束ねていれば美人はやはり美人なのである。いや、却ってその洗い髪こそ、いい女の魅力で一層際立たせるのである。
 だが濁貧は頂けない。
 私は最低の濁貧者であった。素から消毒されても文句は言えないのである。

 ただ財産と言えば、第一に“コーヒー党”の私には欠かせない、コーヒー・メーカーのコーヒー豆の処理をする器具とアルコール・ランプセット。次に山頭火の俳句集と、刀剣類の書籍や剣豪小説の類
(たぐい)。父の残しくれた、レコード・プレイヤーとは言い難いが、旧式の蓄音機【註】phonograph/音波を記録したレコード盤から音を再生させる装置。レコード盤上には、音に対応する横ぶれを有する溝を刻み、溝に当たる針の振動を機械的に増幅して振動板に伝え音とする。1877年エジソンが発明)に、数十枚のクラシックのレコード盤、と順に続くのだ。
 そして前の入居者の放置していった古いベットと、私愛用の煎餅蒲団
(せんべい‐ぶとん)、台所の流しの上にある食器類数枚、棚にある、いつ買ったかは忘れてしまった飲み残しの洋酒の安酒の瓶(びん)、二、三本に合わせて、既に空けてしまった数え切れないぐらいのビールや、洋酒の空き瓶が隅の方にゴロゴロと転がっているだけだった。
 また忘れてはいけないのが、古箪笥
(ふる‐たんす)の奥深くに隠された四刀(よんふり)の日本刀だった。
 それに最も厄介なのが、相変わらず放置された儘
(まま)の、高々と積み上げられた皿や茶碗等の食器類であった。私には、食器は洗うものではなく、汚れたらまた新しい器を買うという、世間の通念とは違うところがあった。この点は由紀子を呆れさせたに違いない。
 彼女は食器の山を見ながら、さて、何処から手をつけたものだろうか、と思案にくれているようであった。

 私は、売卜者の言に遵
(したが)って、『帆柱荘』に引っ越してきたが、このアパートの所在地を、努めて人には知られないようにひっそりと生活していた。それは己(おの)が棲家(すみか)が、他人に自慢するような場所ではないし、散らかし放題で無態(ぶざま)を極めていたからだ。そんな棲家を人に紹介できない。
 しかし酔いに任せて、一ヵ月程前、由紀子を此処に連れて来てしまったのだ。連れて来たというより、送り届けて貰ったという方が正しいかも知れない。不覚だった。
 そしてこのアパートに送り届けて貰った時に、此処には何も無いということが見当つけられていたらしい。
 彼女の一存で用意周到に不足の調理器具や食器類が取り揃えられていた。
 殺風景な部屋は、いきなり御祭りの飾り付けのように賑
(はな)やかになった。果たしてこうしたことが、やはり赤信号の点滅を齎すだろう。

 腕捲
(うでまく)りをし、気忙 に動く、エプロン姿の由紀子が眩(まぶ)しかった。
 これが危ない綱渡りをしている私の結末か、と込み上げてきた笑いにある種の苦笑を覚えた。あるいは、かつて売卜者がいった、これこそ正真正銘の“女難の相”か。
 これから先どうなっていくのか見当がつきかねた。刻々と刻まれる時間に対して、恐れと、不安のようなものを抱いた。この儘
(まま)何事もなく無事に過ごせる筈がないのだ。
 不思議と何処かで胸騒ぎがしてならなかった。
 由紀子に近付き過ぎたせいなのだろうか。あるいは魅入られたのだろうか。由起子と言う美しい妖怪に。
 これこそが美しきものの妖艶に魅入られた“女難の相”と思った。

 由紀子の物を片づける手際は、実にうまいものだ。
 適材適所に物が納まる。
 昔、母から茶道の嗜
(たし)みのある人は、物を片付ける際、無駄なく、ムラがなく、手際(てぎわ)よくやると聞いていたが、どうもその心得があるらしい。その動きに無理が感じない。
 母は、第二十九代平戸藩主・松浦鎮信の創始した鎮信流茶道の師範をした人で、私は子供の頃、些
(いささ)かだが、この指導を受けたことがあった。

閑雲亭(松浦資料館内) 閑雲亭/茶室 閑雲亭より遠望す

 小さな台所には、彼女の一存で買いつけられた包丁やマナ板、杓文字や桶、鍋や電気炊飯器までが、新しい仲間に加わった。
 私は冗談混じりに、「そんな物まで買い込んで、此処に住み着く気なんですか?」と訊いてみた。
 「そうして欲しいの?」
 この冗談とも取れる返事は、私を狼狽
(ろうばい)させた。本気で云っているのだろうか。
 「えッ?……」
 正直言って度胆を抜かれた。
 いつも一枚上手の彼女に、何処かで揚げ足を取られていまうのだ。
 私は悲哀と歓喜の、綯
(な)い交(ま)ぜになった気持ちに襲われていた。
 このプラトニックラブの“恋愛ごっこ”は、次に飯事
(まま‐ごと)となり、益々拍車が掛かるのである。このままでは行き着くところまで行き着かなければ、終焉はないだろう。
 この日から由紀子は、私のアパートの部屋の鍵を持った「通い妻」になったのである。
 そして女が手鍋
(てなべ)をさげて尽くすような、私にそのような魅力があるのだろうか、と苦笑せずにはいられなかった。私の運命を操る者の、質(たち)の兇(わる)い悪戯(いたずら)だろうか。

 だが、これは何となく気持ちが落ち着かず、不安定な感じがして怕
(こわ)かった。いつか必ず、火薬庫に火が点(つ)いて、途轍(とてつ)もない大爆発が起こるような気がして、気が気でならなかった。
 由紀子が怕いのではなく、突き進む時間が、そしてその運命の結末を見るのが怕かった。
 この儘、一人娘の由紀子を生け捕るようなことをして、親が黙っているわけがない。何事もなく無事に済む訳がないのだ。
 これ以上由紀子に深入りしてはいけないという自制心と、これ以上彼女の好意に甘えて、世話になり続けれはいけないという歯止めが掛かり始めていた。私の未来には不透明な重荷が、音もなく確実に伸
(の)し掛かろうとしていたのである。
 それはあたかも、嵐の前に突然現れる静かな凪
(なぎ)であり、台風が通過する時、その目の中にすっぽりと嵌(はま)った、あの明々と輝く“偽りの晴天”であった。いま、それが偽りの晴天となって、此処に顕われているのである。好事魔が多し。
 自分に自問したのは、これだけであった。
 しかし一方で誇りだけは高くなければならない。

 (誰の世話にもならず、自分の足で確(しっか)りと立つていろ!)これが今日この頃の自問自答であった。私の心の中には、新たな苦しみの葛藤(かっとう)が始まろうとしていた。

 それは漠然とした不幸の予感だった。
 由紀子とこうなって以来、やがて襲ってくる筈であろう不吉現象の想像から、いつも目を反
(そ)らそうとしていた。いい面ばかりを見て、その裏側を見ないでおこうとした。そうしているうちに、目の前に不吉な予感のする未来が突き付けられていることが脳裏から離れなくなるのである。益々そうした未来が殖えていく幻想を抱くのだった。不幸は直ぐそこまで忍び寄って来ているのである。
 しかし、私が幾らそうしたことから目を反らそうとしても、その未来は確実に不幸の種を発芽させているのである。その芽は着々と育ちつつあった。


 ─────ある日の日曜日、由紀子は休みを利用して部屋の掃除に来てくれた。
 昼過ぎまで寝て居たので、彼女の急な来訪は、寝込み襲われた冬眠中の蛙
(かえる)という感じであった。
 「男鰥夫
(おとこ‐やもめ)に蛆(うじ)が湧く」とは、よく言ったものである。
 私は男鰥夫ではないが、こうした私のグウタラな生活からはカビ臭い匂までが、何処からともなく漂ってくる。殆ど掃除をしないためである。といって、自分から進んで掃除をやるような人間でもなかった。一人暮らしの憂愁
(ゆうしゅう)は、埃(ほこり)のように降り積もるばかりだった。

 《人間はもともと怠け者である。怠けて、はじめて自分が怠け者と気付く。一生懸命に掃除ばかりしていたのでは、その汚さすら見えてこない。結局、ボロの中に身を置いてこそ、新品が見えると言うものだ。そして人間は襤褸
(ぼろ)の中に居て、はじめて苦しみと言うものが分かってくる。苦しみによって人間は考えさせられるんだ》私の独り言であり、勝手なこじつけだ。

 私は当時、何かにつけ、独り言を言う癖があった。傍に相手が居ようと居まいと、そんなことはお構えなしだった。また一人活計
(ひとり‐ぐらし)では、こうした独り言が、自分のスタイルを決めているようであった。
 しかし、これからはそうもいかなくなっていた。お節介が加わったからだ。
 思っても見ない監視役が登場したからである。
 「まだ少し時間がありそうだ。もう一回、寝て見るか」
 これもグウタラの独り言である。
 この言葉を掛け声のようにして、再び万年床の中に躰を横たえ、蒲団に潜り込むのである。
 そして一時間でも、二時間でも、また半日、一日と微睡
(まどろ)む事が出来、やがて総(すべ)てを忘れたように深い眠りに就くと、《自分だけが特別な拾いものをした》というように感じるのであった。
 道場に顔を出す一時間前、二時間前もの微睡みは、何とも言えない快感があった。起きようと思って起きない転
(うた)た寝は最高である。

 ときどき締切の雨戸を開け、外気を取り込むと明るい光が部屋中に溢れてくる。空気は一変して黄金に耀
(かが)やき、辺りが金粉(きんぷん)でまぶされたように眩(まぶ)くなる。
 由紀子は私に部屋に入ると、直ぐに南側に面した窓を開け放してしまうことが癖であった。この日も幾らか乱暴に窓を開け放ち、窓際で深呼吸するような仕種
(しぐさ)をするのだった。
 この深呼吸は私の部屋に罩
(こも)っていた息苦しい男臭さを、嫌ってする癖の一種であると思われた。
 あるいは締め切った部屋の中に、幾許
(いくばく)かの邪気の穢(けが)れを感じて、その癖を繰り返したのだろうか。
 そして無為
(むい)にして、「怠慢」が、私の今日この頃の活計(くらし)向きであった。
 しかしこの活計向きは最近になって、破られていた。それは通い妻の所為
(せい)である。
 「いつまで寝て居ますの!」の、叱咤
(しった)から始まり、事細かに不摂生を詰(なじ)る。尻を叩く。そしてあッと言う間に、蒲団は剥(は)ぎ取られる。
 この異変?の中、私は我
(われ)に返って、のろのろと起き上がるのだった。
 台所の流しで顔を洗っている途中、殆
(ほとん)ど押し入れに片付けたことのない万年床が跡形もなく、押し入れに仕舞われてしまうのである。

 (ああ、何と言う早さ……)と驚かせ、取り付く島さえ与えて貰えなかった。とにかく速い。
 私はいわば趣味的な活計をしている。だ私の生活習慣を、彼女は容認しない。直ぐに片付けられてしまう。

 「雨戸くらい、ちゃんと開けて下さいね。掃除も一日に一回は、きちんとやらなきゃ駄目ですわよ」などと叱言
(こごと)混じりの罵声が飛ぶ。私のグウタラの側面を、次々に指摘し、厳しく改善を求める。
 これがいいことか悪いことか。
 雨戸を開けて風を入れ、畳の上は持参した掃除機を掛けてくれる。陽が傾くと雨戸を閉めるなどして戸締まりまでしてくれる。何処から何処まで、上げ膳据え膳である。
 これは世話を受ける身からすれば、喜ばしいことであろうが、何故か出来過ぎた運命の構図が不気味さを感じさせるのである。
 好事魔が多し。いつまで経っても、この呪文が解けないのである。私には呪の言葉なのである。

 世間には押し掛け女房という言葉がある。しかし彼女は押し掛け女房というより、押し付け女房である。
 一見、腹立たしくもあり、また嬉しくもあった。未知の生活が珍しいからである。異次元生物が何処かで接点を持つと、こうなるのかも知れない。
 彼女がいると悪くないと思う一方、
(何と言う事態が起こったのだ。何と言う羽目になったんだ)これが正直な私の感想であった。
 この間、部屋中に彼女が持ち込んだ掃除機の音が響きわたった。
 それから数時間か過ぎた後である。台所でブラウスの袖を腕捲りをした彼女が忙しく洗い物をしていた時であった。そんな時、私は由紀子に言葉をかけた。

 「あのッ……」
 この怕々
(こわごわ)とした最初の細い声は、水の音に掻き消されて届かなかったようだ。
 「あのッ!……」次は一段大きな声であった。
 「何ですの?」
 彼女がやって来て、私の前に来て、かしこまって正座した。
 私もかしこまって、居住まいを正し、恐る恐る切り出すしかなかった。
 「あのッ……、僕は叩けば埃
(ほこり)が出る躰です」
 「それで?……」
 彼女の莫迦
(ばか)に落ち着いた切り返しに、たじろぎながら、「えーッと、実は……」と切り出しにくい言葉を繋(つな)いでいた。
 これを聞いた彼女は小さな笑い声を上げた。
 私は顔色を変えて、「何がそんなに可笑しいのですか?」と突きかかった。
 「だって、突然かしこまって、変なこと言い出すんですもの……」
 「変なことですか、これが……」
 「変なことじゃァありませんの?」
 「極めて真剣なつもりですが……」
 「それで、何がおっしゃりたいの?」と切り返した言葉は、一層の冷静さを保っていた。
 唇の冷笑から洩れる、冷ややかさすらあった。

 どう話せばいいのだろうか、と思案しながら、
 「つまりです……、叩けば埃
(ほこり)が出る躰と言っているのです」と言い繕(つくろ)った。
 「人には、各々触られたくない傷や、叩けば埃の出ることが、一つや二つはがありますわ」
 彼女は意に介していないようだった。
 「しかし、ねェ……。僕の場合は……、つまり……」
 「だからと言って、あたしが愛想を尽かすとでもお思いになって!?」
 狼狽
(ろうばい)して言葉に詰まった。ややきつめの叱責だった。
 そして彼女は彼女で、再び流し台に戻った。あたかも何事もなかったように……。
 彼女の好意に、このまま甘えてもいいものなのだろうか。
 そうかと言って、彼女の好意に、この儘
(まま)甘え過ぎても、男が廃(すたる)るのではないかと言う変な意地があった。だいいち彼女の両親にこれを、どう言い訳すればよいのか、説明できる状態でなかった。
 これこそまさに“女難の相”ではないか。
 「知らないよ、とんでもないことになっても……」これも独り言であった。
 「えッ、何が言った?……」と切り返されたが、私は黙った儘であった。その先きの接
(つ)ぎ穂を失ったからである。
 これまでの一切が、天に導かれて成るようになった、成り行きなのだろうか。運命の悪戯なのだろうか。それとも単に、彼女の気紛れなのだろうか。
 “女難の相”は、益々深く、ゆっくりと進行する進行ガンのように忍び寄っていた。やがて、私の至る所をボロボロに蝕んで食い付くすに違いない。これこそ不吉な予感を思わせた。漠然としたものが、やがて形を帯びてくるようだった。
 懐疑的穿鑿
(せんさく)は、やがて自己嫌悪に陥るのだった。

 これが気紛れに近ければ近い程、私は彼女に惨めな醜態を曝
(さら)け出しただけでなく、自尊心が盲目になりかけていた。貧者が富者に恵んで貰っていると言う側面が、露(あらわ)になりだしたからだ。

 《乞食ではない》と咽喉
(のど)まで出かかったが、それは音声にならなかった。
 世間一般では、好きな女から尽くされて、タダで何もかもしてもらい、上げ膳、据
(す)え膳の至れり尽せりを非常に得をしたように思う男どもが多いと思うが、私はこれを損得勘定で考えて、決して「思わぬ得」をしたとは思わない。むしろ逆である。
 何故なら、これは“おもらい”の構図であるからだ。“乞食根性”である。
 “タダ”は自尊心が傷つけられるのである。得をした気にはならないのである。
 こんなことをされては、“人生の貸借対照表”の帳尻が合わなくなってしまう。

 「資産の部」がどんどん目減りして、「負債の部」ばかりは増えてしまう。
 “人生の貸借対照表”はきっちりと最後は清算させられるのである。この清算を甘く見てはならないのだ。貸し借りの結末は、きっちりとしているのだ。
 まず、絶対にこれは訝
(おか)しいのである。
 自分は何もせず、喰
(く)わせてもらっていると言う行為が、絶対に訝しいのである。こうしたジゴロのような生き方をする事は、自らの人格の否定となり、それは第一、身分の否定にも繋(つな)がるのである。その身分とは、人間としての身分であり、この身分が確保できなければ、人間以下に成り下がってしまうのである。
 ここでも“人生の貸借対照表”は、確
(しっ)かりと働いているのだ。

 よく「身分」とは、階級において遣
(つか)われるような言葉であるが、この場合の身分は、一個の人間としての身分である。その身分は、格が低ければ、人の好意を得と受け取るであろうし、逆に身分が高ければ、人の好意を受ける事を長々と甘んじて、それを続けようとは思わない筈である。

 上げ膳据え膳は、一見“得”のように見えて、実は“一個の人間”と見た場合、大変な損をしている事になるのである。更に、人格否定にも繋
(つな)がってしまうのである。
 “人生の貸借対照表”は確かに働いている。
 この働きによって、これまでせっせと溜め込んだ「資産の部」はどんどん目減りして、「負債の部」ばかりが大きくなるのである。
 「負債の部」が膨張するばかりで、どうしてこれが得と言えるのか。もし、これが得なら、全く帳尻が合わない。これこそ大きな負債なのである。
 まるで大借金して、豪邸を建て、高級車を買うようなものではないか。
 世の中には、大ローンを組んで家を建て、高級車を買ったこれらの物質を“自分のもの”と思い込んでいるバカが多い。この“自分のもの”を「資産」と思い込んでいるバカが多い。
 これはバランスシートの意味が分からず、身分違いの“愚”をしているためである。自分自身で、今の身分を確りと把握する必要があろう。身分確認である。

 身分確認とは、人の世話はしても、人の世話にはならないとことである。この確認がしっかりして、人間ははじめて「人」になれるのである。“人生の貸借対照表”は、これによって、「プラス・マイナス・ゼロ」という、貸し借り無しの図式が出来上がるのである。
 私は一日も早く、彼女との間に「貸し借り無し」の“人生の貸借対照表”を「プラス・マイナス・ゼロ」にしたかったのである。
 脳裏には、吹き切れない、わだかまりが吹き荒れていた。心の片隅に枯れ葉のようになって降り積もり始めていた。これを一種の「悩み」とでも表現しょうか。
 苦悩の種子である。
 この降り積もった種子は、やがて発芽がするだろう。
 あるいは心の火薬庫への点火だろうか。いま初めて、私の心中で発火したことが確認できたのである。
 それは一方で赤字決済の焔
(ほのお)だった。
 また、それは丁度、火の不始末に疎
(うと)い人間の、安易に捨てた一本の煙草が重大な山火事を引き起こすように、始末の悪い現場を見たような気がした。この私の恐れは、やがて現実となって、何もかもが焼き尽くされるような大火事になるかも知れない。
 悲惨な結末に終わることは、結局、時間の問題と思われた。



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