●開眼
ある日、眼の焦点が合わなくなっていることに気付いた。
食事の時、食卓に載った食べ物が、自分の思うように掴(つか)めない。全て、物が平面に見えてしまう。立体感がないのである。左眼が失明寸前で、右眼だけで見ているためである。
そして、見ている物への距離感が殆ど掴めない。
恐らく、かつて山村師範から左眼下を棒で突かれた外傷のせいであろう。その外傷が眼球の内部まで侵入して、悪化させているのだと思った。
自らを鍛えるために万難を待ち望んだ、戦国の武将・山中鹿之助(しかのすけ)ではないが、「我に万難来たれ」と豪語していたら、本当にその洗礼を受けたらしい。これも天命だとさっぱり割り切った。
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▲ 万難我にと三日月に祈る山中鹿之助像。
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しかし武術家の立場から言いうと、遠近感がないことは、飛び道具に対して非常に不利となる。視覚の遠近を失うため、矢や手裏剣が受けられなくなるばかりでなく、制空圏を持つ剣や拳すら、受けたり、躱(かわ)したり出来ない状態になるのである。
もし、そのような事態が発生したら、後は自らの第六感に頼るしかない。間合いについても同じことが言える。
相手との距離感を探るにも眼以外の、勘(かん)に頼るしかないのである。
これは武術家として、致命的な欠陥を背負ったことになり、余生は廃人同様となる。
これを不運な人生と取ればそれまでだが、天命と捕らえて、天が、吾(われ)を試さんとして、火と水の試煉(しれん)を与えていると捕らえれば、差し当たり、悔(く)やんで嘆くこともない。こうした時、その切替は早い方がいいのだ。何も「こだわる」ことはない。
天は、吾に何事かの大役を与えんとしているのだと、頭から、私はそのようにこじつけた。とは言うものの、内心は、そう単純に割り切れるものでなかった。不安で複雑な動揺が脳裏を翳(かす)めていた。そして私の開眼への模索は、この時から始まったのである。
私は旅の決意をしていた。出発真際(まぎわ)して、由紀子に逢(あ)って行こうと思ったが、逢えば悲願を成就して思い立った旅が、途中で挫折(ざせつ)してしまいそうな気がしたので、逢わないで行くことにした。私の行動の源は、彼女に逢わないことで、その意地が保たれているのである。由起子は、今は脳裡に置くべき人でないのである。
自分の手短な荷物を纏(まと)め、五日程の旅を決意した。道場は各曜日ごとの担当の指導員に任せることにして、直に帰る予定でいた。兎(と)に角(かく)、一人ぶらりと旅に出ることにしたのである。
旅先は差し当たり決まっていなかったが、学生時代、訪れたことのある熊本県南阿蘇(みなみあそ)の垂玉(たるたま)温泉渓谷に行くことにした。
八幡駅から午後の急行列車に揺られて、一路熊本へ。そこからローカルの垂玉線(今は第三セクターになっている)に乗り換えるのである。
渓谷の山間(やまあい)を縫(ぬ)って走る、二両編成のディーゼル列車は新緑の山並みを縫い、長閑(のどか)な春風を車内に齎(もたら)せてくれる。午後の陽差しが、心地よい春風とともに頬(ほほ)を撫(なで)る。景色は数年前と殆ど変わっていなかった。違っていたのは、その景色が遠近感のない平面に見えたことだ。
しかし、暮れ泥(なず)む春の気色は、実にいいものであった。そして、長閑(のどか)でもある。
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▲ 暮れ泥(なず)む春の山間。
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垂玉駅は、深い山間(やまあい)と渓流の流れる傍(そば)にある。此処から曲がりくねった山路をバスに揺られて、30分ほどで山口旅館に着いた。既に辺は、仄暗(ほのぐら)かった。夕闇が迫り、辺はぼんやりとしていた。
学生時代、此処を訪れた時は、二人の若い住み込みの女中さんが居たが、この時彼女たちは此処を去って、もう居なかった。結婚でもしたのであろうかBその代わりに、五十年輩の女性が、通いで働きに来ていた。
この人は、如何にも農家の働き者という感じの女性で、まめまめしくよく動き回る。シーズン・オフで客が少ないせいか、この女性が一人で、旅館内を切り盛りしているようだった。今回は全く女気無しの、地味な滞在になりそうである。そう思うと、不純なことは頭から一掃されたようであった。
客は私の他に、福岡県大牟田から来たお遍路(へんろ)さん老夫婦と、熊本の行乞僧(ぎょうこつそう)らしい人の、合わせて四人であった。
此処は寂(さ)びしい山の中である。夕飯を済ますと囲炉裏端(いろりばた)へ話し込みに行く。夜は当然人恋しくなるので、お互いが一つの集団になって、火の入っていない囲炉裏端に集まり、自然とそこに世間話しの花が咲く。私は聞き役に回って相槌(あいつち)を打ち、話に趣(おもむ)きを添える。
そして程よい頃になると、誰からともなく身の上話が始まる。
最初はお遍路さん老夫婦の、旦那さんの若かりし日の軍隊時代の話であった。次に復員してからの夫人との馴(な)れ初(そ)めであった。
お遍路さん老夫婦は、その夫人が脳卒中の後遺症からか、両手が中気(ちゅうき)のような状態で半身不随であるらしい。下半身にも軽い症状が出て思うように歩けず、いつもその旦那さんが付き添っていて、入浴や食事、便所の行き来まで面倒を見ていた。
慎(つつ)ましく食事を自炊し、食事の時は旦那さんが、老夫人の口までスプーンで食べ物を運んでいた。長年連れ添った夫婦ならではのことであろう。実に、ほほえましい光景であった。
夫婦とは、歳老いても、かくもこうあるべきだと言う教えを受けたような気がした。私はこれらの光景をこの旅館に到着した時、それを遠くから見てそう感じたのである。そして、この老夫婦の旦那さんの語り口は中々雄弁であった。
もう一人の客は、僧侶で五十歳くらいの曹洞宗(そうどうしゅう)の行乞僧(ぎょうこつそう)であるという。話してみると中々の博識(はくしき)である。社会情勢や風俗に至るまでのことを、よく知っていた。
聞くところによると、その人は、元は熊本市内で、小さな鉄工場を経営していた零細企業の社長であったと言う。
この人の話によると、鉄工場の工作機械に腕を挟まれて、腕を切断したらしい。この僧には右腕が肩の付け根から無かった。入浴の際、私と一緒に入った時に、このことを話してくれた。それ以来、人の世の無常(むじょう)を感じ、人生を模索したその選択の結果、曹洞宗の行乞僧になったという。
─────湯槽(ゆぶね)の中での話である。
「君は何をしているのですか?」
岩風呂の石に背を持たれ、湯の中で手足を伸ばし、のんびりと寛(くつろ)いでいる私に僧侶は唐突に訊(き)いて来た。
「僕ですか。僕は一介のしがない武術家です。それで細々と生計(くらし)を立てています」
「今時、その道で生計を立てているとは、実に珍しいですね」
「食えない毎日が続きます。困窮(こんきゅう)することも屡々(しばしば)です」
「ところで、君はどういう目的で此処に来たのですか?」
「開眼(かいげん)です」
「何を開眼するのですか?」
「闇夜にも見える眼が欲しいのです」
「ほうー、迷いを解こうという訳ですか?」
この僧は察しが早く、実に鋭いところを突いてくる。私がどうする事もできない柵(しがらみ)に纏(まつ)わり着かれて、苦悶(くもん)していることを見抜いているかのようであった。
「君は、凡夫(ぼんぷ)の悲しみは、一体何処から起こると考えますか?」
「肩書きや財産や家族などの重荷を担っていることが、その原因と思いますが……。つまり人生の柵です」
「君は随分とこの道の事に詳しいですね」
「だだ詳しいだけで、その真意は量り兼ねることが多々あります」
「それが、即ち君自身の迷いではないでしょうか?」
この切り返した言葉に、一縷(いちる)のキラリと炯(ひか)る希望のようなものを感じた。
《知っているだけで行動が伴わないのではないか》と言いたかった様である。確かにそうかも知れないと思った。
僧は更に話を続けた。
「暗ければ道が見えない。明るければ見えるというのは、即ち、俗世の心の迷いではないでしょうか?」
「仰(おお)せの通りです」
「暗い、明るい等と、俗世の可視現象に迷わされることなく、一点に定めた道を見通すことが、真理というものではないでしょうか。拙僧(せっそう)はそう思いますが、君はどうですか?」
「全く、同感です」
私は、この僧の一言で目から鱗(うろこ)が落ちた。
迷い続けて生きることの愚に気付いたのである。
禅では、迷いや動揺を感じて、それに振り回されることこそ煩悩(ぼんのう)、という心の汚れを戒めると同時に、それに一々振り回されないことが真理として最高の教えと説いている。
真理とは、他人が持ち去ったり、自らが失ったりするもので無い。いつも自分の裡側(うちがわ)にあるのである。あるが儘(まま)の自分こそ、真理そのものである。いかなる万難も、あるが儘に受け入れ、それに捕らわれないことが本当の悟りではないかという私流の結論が出たのだった。
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▲垂玉の滝行。滝行は、落水に打たれて、日々の喜怒哀楽の迷いをなくす。ところが、「無」になろうとして、『般若心経』などの経を唱えれば、忽(たちま)ちのうちに妄念(もうねん)が趨(はし)り、旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に引き戻されてしまう。修行は無ではなく、「空」なのだ。
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そんな思いでこの僧から貴重な教訓を得ていたが、この僧は囲炉裏端では決して禅問答のような話はしなかった。専(もっぱ)ら世間の俗っぽい、かっての若い頃の艶話(つやばなし)を面白可笑しく聞かせてくれた。この僧は飄々(ひょうひょう)とした気さくな人物であるが、中々鋭い一面を持った人であった。
私は湯槽(ゆぶね)での話が頭から離れず、私の番が廻ってくると、此処では自分の自己紹介程度の簡単な話で済ませた。
私は次の日から、自炊して食事を作ることを止めた。あらかじめ用意した蕎麦粉(そばこ)を水に溶いて、コップ一杯を一日三回摂ることで、糊口(ここう)をしのいだ。
日に何度も垂玉の滝に打たれた。岩を縫(ぬ)って、轟轟(ごうごう)と流れ落ちる清らかな清水の滝に、己の迷いを洗い流す事が急務なのだ。
滝に打たれることで、一週間の満願成就(まんがんじょうじゅ)を祈願した。日増しに、これまで身に染み込んだ穢(けが)れと迷いが落ちていくような気がした。
滝に打たれる時の注意は、以前から何度も山村師範に注意されていたので、邪道の愚は侵すことが無かった。
滝に打たれる時は、後ろ首の『唖門宮(あもんきゅう)』で受けなければならない。ここで受けることで、唖門宮が開き、水の精気(せいき)が躰(からだ)を浄化するのである。
邪道の愚とは、滝の水を直接頭で受けてしまうことである。頭には泥丸(でいがん)と云う、天・人・地の、天と人を結ぶ経路があり、ここを滝の水に打たせてはならないのである。泥丸に位置する「神(しん)」を冒されて精神分裂状態になるからだ。また神を冒されれば、霊的抵抗力が失われて憑衣(ひょうい)され易い霊体構造になってしまうのである。
一口に「滝行」というが、これは非常に危険な行法の一つであるのだ。
よく、お滝場に行くと、新興宗教の信者と思われる人達が、周りの迷惑も考えず、「般若心経(はんにゃ‐しんぎょう)」を声高らかに唱え、頭から滝に打たれている光景を見る事がある。彼等は自己流で偏見(へんけん)に満ちた、霊能力の修業と称するものを行っている集団である。そして、彼らが声高らかにして唱えるお経に、耳障りな騒音を感じ、またそうした愚行に、不愉快を感じるのは果たして私だけであろうか。
私は、ついに一週間の満願成就を果たした。
五日で終える予定が十日に伸びた。日程は伸びたものの、ここでは難なく「行」を終えて、再び八幡に戻って来た。
以前、見えなかったものが見えて来たような気がする。これは単なる気のせいであろうか。
●蕗の薹
数日して由紀子に遭遇する羽目になった。私を捜していたという。半分心配して、半分苛々したように怒っていた。不思議なことに、十日間だけ由紀子のことがスッポリと頭から消えていた。そんな由紀子が夕方近く、売卜者(ばいぼくしゃ)の奨(すす)めによって引っ越した私のボロアパートを訊ねて来たのである。
誰かが、ドアの木の扉をノックした。最初は誰だろう?と思った。しかし、ドアを少しばかり開けて覗くと、そこには由紀子が立っていた。そのために、焦りに焦り、ひどく慌てた。
危うく、部屋の中を覗かれそうになったので、「待った!待った!待った!」と三回連続して、「待った」を掛けた。覗かれては非常にまずいのである。ドアを閉めて防衛するしかない。由紀子がドアをドンドン叩く。なぜ閉めてしまうのか、抗議している。私は仕方なくドアを開けた。由紀子は、眼を三角にしていた。
「なぜ、あたくしが来てドアをお閉めになるの?!」物凄い剣幕だった。
「あのーッ、初めての人には、何かと刺激が強いと思いまして……」照れながら応えた。
部屋の中が全く片付いてないのである。整理しきれないものが、ゴミのように堆(うずたか)く積み上げられていたからである。
此処で問答しても仕方がなかったので、一先ず外に出ることにしたのである。この時は、久しく食事らしいものを食べていなかったので、夕方由紀子を食事に誘った。近くの繁華街の『川仙』という料亭の奥座敷の一室に、彼女を招待した。
よく磨き込まれた黒光の廊下を通って、十畳程の座敷に案内された。通された部屋は、青畳で清澄な空気に溢れていた。床の間があり、そこには恐らく偽物であろうと思われる雪州(せっしゅう)まがいの山水幽谷(さんすいゆうこく)の掛軸が掛けられていた。
座敷から庭が一望できる、静かで落ち着いた部屋であった。
そこには古風な造りの日本庭園があった。広くはないが、池もあり築山(つきやま)もあった。捻じれた松が、海辺の風雪に耐えた力強さを連想させる。庭の石灯籠(いしどうろう)の灯が、池の中に揺らいで、仄(ほのか)に浮かびあがり、小さな山水画の情緒を醸(かも)し出していた。
池を浄化する竹筒を形どった浄化機から飛沫(しぶき)を上げて、渓流(けいりゅう)を思わせる豊かな水が滔々(とうとう)と流れていた。
その音は、山中の静かな渓流の細流(さいりゅう)を連想させる水の流れであった。恐らく池の中には鯉(こい)でもいるのであろう。水銀灯にほんのりと照らされた池の銀盤の水面には、波紋(はもん)が広がっていた。時折(ときおり)、水を叩くような音が跳ね返ってきた。
しかしその音は決して邪魔にはならなかった。
私はこの料亭の定食を食べに来たのであるが、カウンター席が混んでいてそこには座れなかった。会社帰りの客で長いカウンターも、多くのサラリーマンで溢れていた。しかし私は持ち前の図々しさと、強引な螺子(ねじ)込み押しで、カウンターが駄目なら座敷に上がらせろと、この店の主人に掛け合ったのだ。
それも懐石(かいせき)ではなく定食をここに運んでくれと、強引に螺子込んだのであった。主人は渋々これを了解した。
しかし定食といっても千円以下では食べられない。何故ならば、刺身の小鉢一つ上げても、スーパーで売っている水っぽい鮪(まぐろ)等は使わず、真鯛(まだい)や鰤(ぶり)や烏賊(いか)等の新鮮なものが出される。私は刺身定食を頼み、彼女は天麩羅(てんぷら)定食を頼んだ。
「随分静かな処ですのねェ。この街に、こんな処があるなんて知りませんでしたわ。本当に静かだこと……、何だか落ち着くわ」
「僕は騒がしい処は嫌いなんです。特に大衆でごった返す処が……」
暫く、その細流を思わせる水の音に聞き入っていた。
「……ところで、あなたは今まで何処へ行ってらしたの?」
私はこう訊かれて、改めて座り直し、
「個人的なところです……」と徐(おもむろ)に答えた。
「黙って居なくなったものだから、また、収監でもされて、何処かの警察の留置場にでも入っているのではないかと思って、随分と捜しましたわ!余り、無駄な心配ばかりさせないで下さらない」
突然、切り出した由紀子の口調は、何処となくお説教調だった。
(どうしてここまで、彼女は私のことに構うのだろうか?もてるわけのない私が……)そんな疑問が頭を持ち上げ始めた。
兎(と)に角(かく)この場は、脇役の私としては、彼女の御機嫌を損なってはならないのである。私は柄(がら)にもなく、にこっと笑って、彼女にお猪口(ちょこ)を勧め、徳利を手にした。
「まあまあ、そう目くじら立てず、一杯いかがですか」
こう、自然に差し出したつもりであったが、彼女は私を遮って、
「あたくし、手酌(てじゃく)がモットーですの!」と皮肉な言葉で切り返して来て、自分で酒盃(さかずき)に酒をなみなみと注ぎ、一気に口に流し込んだ。そしてどことなく、その目が三角だった。
こうした彼女に取り付く島がない。どうすれば御機嫌が戻るのかと混迷した。
仕方ないので、「いい飲みぷりですねェ」とお追従(ついしょう)のつもりで云ってみた。
しかし彼女の目は、まだ三角の儘だった。そして手酌で、ついに二杯目を呷(あお)った。
「女性がそんな呑み方をすると、みっともないですよ」と云ってやった。
「どうせ、あたくしはみっともない女です!」と、まるで喧華でも売っているようだった。
「そんな、はしたないこと仰(おっしゃ)らずに……」
「はしたなくって結構よ」
ああ云えば、こう云いとい感じであった。彼女の心に内で、何が荒立っているのであろうか。
恐らく、心の何処かで、私への憎悪?というか、苛立たしさというか、そのへんの感情が自分自身でも始末できないのであろう。
「僕は、あの仕事から足を洗いましたよ。金で動かされる一生では、自分に誇りが持てないからです。つくづく飼い犬の惨めさを悟りましたよ……」
「惨めさはいいんだけれど、黙って何処にでも行かないで下さらない!」
「あなたこそ、僕に足枷(あしかせ)を嵌(は)めないで下さい」
やり返したつもりであったが、少し言い過ぎたと思った。そして彼女との会話は途切れてた。空白な状態が数分続いただろうか。
この沈黙を破って、八寸(はっすん)や炊き合わせ等の最初の付け合わせ料理が運ばれて来た。そして本命の刺身と天麩羅(てんぷら)が運ばれて来た。これで定食の一切が揃った訳である。
刺身は真鯛(まだい)と縞鯵(しまあじ)と烏賊(いか)であった。そして天麩羅は車海老(くるまえび)と烏賊と穴子(あなご)、それに銀杏(きんなん)の実と獅子唐(ししとう)であった。その上、これらにご飯と、蕪(かぶら)の糠漬(こうじづけ)に、蜆(しじみ)の味噌汁が付くのだ。これだけ揃って千円程であった。千円では安かった。
由紀子と向かい合ったお膳一杯に定食の一切が並べられた。それを見ていたら、やはり遠近感の焦点が合わない。精々50cm手前がいいところだ。
箸(はし)を持つ手に自信がない。同じ処を何回かつつくが箸が届かない。これに由紀子が気付いた。
「眼をどうかしたの?」
「いいえ、別に……」
「でも、何だかおかしいわ」
「心配いりませんよ。遠近感の焦点が合わないだけです」
「まあ……、一体どうしたの?」
「別に、さしあたり困ることはありません」
「いつからそうなったの?」
「この頃でしょうか。元はといえば、数年前、僕の不注意と心の隙(すき)からこうなったのですよ。
但し、今は開眼の修行を満願して、これを見事に克服しました。心の眼だけはしっかり開くようになりましたので心配いりません。暗闇でも歩ける位にはっきりと……」
わざと強気を言ってみせた。ハッタリもここまでくれば大したものだ。
私の眼の異常を楯(たて)に、彼女を心配させて同情を買うこともあるまい、と思った。
私はある事を突然切り出した。それは以前、一緒に乗馬をした篠田氏の事が頭の片隅にあったからだ。あれ以来、由紀子はまだ篠田氏と何らかの関係を維持し続けているのであろうか。そんな穿鑿(せんさく)が脳裡(のうり)を過(よぎ)った。
「あの……、一つだけ質問をしてもいいですか?」
「どんなこと?」
そう言われて、私は恐る恐る言葉を切り出した。
「……あの、ですね。……以前ですね。一緒に乗馬をした篠田さんの事なんですが……」
「ああ、あの方。……あたくし、あの方、一向に好きになれませんの」きっぱりと撥ね付けた。
私は深く穿鑿する気持ちはなかったが、つい、その真相を探ってみた。
「篠田さんは歯科外科医としても将来性もあるし、中々感じのいい人じゃありませんか」
「そう、あたしを本当に大切にしてくれるわ。でも、それだけなの。それだけに一向に心が弾まないの。
彼を見ていると、安穏な、安定した人生設計の何もかもが見えてしまって、つまらなさが一番先に見えてしまうの。そんな彼との将来のことを描いてみても、本当に幸せかどうか、疑問ですの……。更にあなたと比較すれば、彼はあまりにも安定し過ぎてつまらないの……」
(嬉しいことを言って呉れるではないか)と、寧(むし)ろ私の顔が綻(ほころ)びはしないかと、それを押さえながらながら、
「では、どうして、外道(げどう)の僕に付き纏(まと)うのですか。将来を医者として周りから嘱望されるあなたが、……一体どうして僕なんかに……?」と、至極(しごく)真面目くさったことを訊いてみた。
「あなたが危なかしくって、見ていられないからですわ!」
彼女の突慳貪(つっけんどう)と言い放った言葉は、一見屈託(くったく)のない口調であったが、何処となく憤(いきどお)りが感じられて尖(とが)っていた。
「僕が危なかしいて……?」
「そうよ!綱渡りの下手な曲芸師が、危ない綱渡りをしているようで……。強(し)いて言えば見ている観客を、無鉄砲で無思慮な行動で、ハラハラ・ドキドキさせる不安定性とでもいうのかしら……。
それを見ている観客のあたしとしては、この儘(まま)呑気(のんき)に傍観(ぼうかん)して、じっとしていることが出来ませんの」
それが自分の性分とでも云いたいのだろうか。断定的に、よくもここまでぬけぬけと云ったものだと思った。由紀子からこう云われて、一瞬躰が電気に打たれたようにビリビリと慄(ふる)え始めた。彼女の母性本能が敏感に反応しているのである。
「危ない綱渡りって……?」
「そこまで女のあたしに言わせるつもりですの?」
「……………」
(後は言わなくても分かっているでしょ)という無言の叱責があった。これを聞き返すことは、焼かれた鉄板の上で煎(い)られている、まさにあの大豆のような心地だった。
彼女は、家柄や遺伝等の、古い観念に捉らわれない新しい型の人間なのだろうか。そしてこれが、私に恋心を伝える無言の告白であったのだろうか。
それにしても、してやらた感があった。これから先の質問に絶句した。露骨に、この先を訊くことが怕(こわ)かったし、憚(はばか)られた。おそらく彼女は、不安や苦しみや嫉妬が、かえって相手に対して情熱を掻き立たせ、更に執着を強め、火の中に油を注ぐような、恐ろしきものを覗こうとしているのではないかと思われた。
変な期待を持たないように、分相応に出来るだけ冷静になろうとした。この儘(まま)でいると息が詰まりそうなので話題を変えた。
「これから他で飲み直しませんか?パーッと派手に……」
「あら、もう食べませんの?」
「もう、十分に食べましたよ」
「だって、まだこんなに残しているじゃありませんか?」
「いや、僕の得意技で食べてしまいましたよ」
「得意技って?」
「目で食べることですよ」
「まあ……」
この強がりのような言葉で、由紀子は些か呆れているようであった。
此処を出てから、由紀子とスナックをハシゴした。
何処の店に行っても、私の得体(えたい)の知れない風体からして、不思議な生き物を眺めるような眼付きで見られた。おまけに由紀子を同伴しているものだから、このアンバランスな取り合わせは、差し詰め、掃き溜めのゴミ箱の中に、一羽の華麗な鶴が舞降りた観があった。彼女の容貌からして、低級な飲み屋では、更に際立つ、非常に目立つ存在だった。
何処の店へ行っても、もの珍しそうな好奇の眼が走り、じろじろと見られた。
ドアを開けて店に入るなり、安物の整髪剤を塗りたくって頭をセットした、カウンターに直列に並ぶ男どもが、一斉に私たちの方を振り向く。その振り向いたどの眼も、(何で、あんな奴がいい女を連れているのだ?)と言うような嫉妬と、愚かな探り合いをする穿鑿(せんさく)の眼がギラついていた。
これらの客たちの殆どは、今日一日の不満や憂さ晴らしを、細やかな酒席で行い、愚痴を零(こぼ)して安酒を呷(あお)る、言わずと知れた連中であった。
私は、酒の相手として由紀子を、此処に連れ込んだことを一瞬後悔した。
いつしか私自身の心の中に燻(くすぶ)っていた劣等感が、ついに爆発して吹き上げた。その結果、何処の店でも、ダブルの水割りを注文し、直接胃袋に流し込むようにして、呷(あお)るように呑みまくった。呷ると胸も腹も灼(や)け付くようであった。
何故、このような行動に駆り立てられるのだろうか。
自分自身もはっきりとした理由は分からなかった。しかし由紀子の存在が、私を訳が分からない行動に駆り立てているのは確かであった。
《由紀子との、このような関係はいつまで続くのだろう》そんな不安が脳裡を翳(かす)めると、日頃の鬱積(うっせき)が溢れ出て、更に呷るピッチが早まった。その一杯一杯には、各々に濃度があり、酩酊(めいてい)が始まろうとしていた。
やがて訳の分からない恍惚(こうこつ)と酩酊に陥り、見苦しく酒品(しゅひん)を失い始めていた。もう完全に酒に呑まれていた。
そんな私に彼女は、文句一つ言わず最後まで付き合ってくれた。
彼女は何処かで、私のこのやり場のない気持ちを察していたのであろうか。そして依怙地(いこじ)な私は、我が儘を言って、彼女に何処かで甘えていたのかも知れない。
結局、私だけがベロンベロンで、へべれけになり、酒品を失い無態(ぶざま)にも、彼女からタクシーで、私の安アパート『帆柱荘』に送り届けてもらうという醜態を曝(さら)した。午前三時を過ぎていたろうか。
酔うと、いつも躰(からだ)の力がぐにゃりと萎(な)えて、そのくせ大声で悪態(あくたい)をついて喚(わめ)きまくる悪癖があった。溺酒(できしゅ)状態で足には自信がなかったので、私の腕は彼女から支えられていた。
木製の階段の手摺(てすり)をぎこちない手で掴み、床板を軋(きじ)ませながら、大きな靴音を立てて上って行った。近所迷惑も顧(かえり)みず、深夜大声で歌を唄い、聞き分けのない子供のようなことをして、由紀子を散々困らせた。
酩酊の極みにいた私は、鍵を納めたポケットの場所すら思い出すことができず、これを取り出すのには一苦労だった。
酔ったことをいいことに、由紀子に何度も抱きついてやった。そして胸元から彼女の甘い香りがした。酔っていても、女に匂いには敏感なのだと思い、流石に売卜者から“女難の相”ありと揶揄された、わが人生に苦笑せずにはいられなかった。酔っているには酔っているが、心まで酔い潰れてしまった居たか、甚だ疑問であった。
しかし酔った時くらい、多少の理性を失っても、この程度の少々破廉恥(はれんち)な悪戯なら、許されて当然だろうと甘い気持ちでいた。
「こら!ドサクサに紛(まぎ)れて、いったい他人(ひと)の躰の何処、触わっとるんじゃ!」
髪伐(かんばつ)を入れずドスの効いた、彼女の“はしたない言葉”が飛ぶ。お嬢様育ちの彼女が、一体こうした“はしたない言葉”を何処で覚えたのだろうか。
(それはないぜ。ちょっとくらい、いいだろ。別に減るもんじゃないし。単なるプラトニックラブで永久に押し通すつもりなのかよ)こんな感想を以って抱きつき、その度に何度も罵(ののし)られたが、そんなことお構えなしに、胸や尻を触ってやった。その内、この天罰が、わが身に降り掛かった。
呑めない酒を急に飲んだのもだから、急性アルコール中毒のような状態になり、一晩中ゲロを吐き続け、朝まで彼女に背中を摩(さす)られて介抱された。
どうやら由紀子は一晩中此処に居てくれていたらしい。彼女を家に帰さないで大変なことをしでかしたと思った。両親に、このことをどう言い訳するのだろうか。
由紀子は、過去に付き合った他の、どの女性の種類にも属さない女であった。知的な職業に似合わず、驚くほど素朴で、しかも少女のようなところがあった。
彼女の例えようもない、アンバランスな精神構造が、私の好奇心を惹(ひ)き、そして私の心を占領し始めていた。
彼女は小さな流し台に向かって、何かの洗い物をしていた。私が今まで散々洗わずに溜め込んだ食器を洗っているのであろう。
私には一つに性癖があった。それは食器は洗うものではなく、買ってくるものだと思っていたからだ。
汚れた食器は、つい、洗うのが面倒になり、積み上げた儘、次から次へと放置して、次々に新しいものを買うという愚行を繰り返していた。
また近くの食堂から出前を頼み、返さずにその儘になった丼(どんぶり)や皿等の食器も沢山あった。
私は重い頭を持ち上げ、寝ぼけ眼(まなこ)で由紀子の後姿を見た。そして私の眼を醒(さ)ました気配に気付いたらしい。
「ご気分はいかが?」
(いいわけねいだろう)という気持ちで、
「はあ、何とか生きています……」声も細々だった。
頭がガンガンするのである。
「それは結構でしたわ」
これは皮肉なのだろうか。
「……………」
「ねえ、お手伝いさん、いつ来るの?」
まだ彼女の整理の手におえない、汚れた食器や、ビールやウィスキーの空瓶の山を指差した。
「そんな人、頼んではいませんよ」
「お手伝いさん、いないの?」
それは、えッ?真逆(まさか)、ウソーという顔つきだった。
(どうしてこの超貧乏人の俺が、お手伝いなど雇えるのだ。あんたの家とは違うんだよ)と反論を試みようとしたが、もうこれ以上、一言でも拙(まず)いことを言うと、彼女は煙のように消えてしまうのではないか、と思われたので反論を控えた。
この日は丸一日間、酷い宿酔(ふつかよい)で、寝込むという羽目になった。この日、私は謙虚な誓いを立てた。
《これから一切酒は、絶対に!飲まない》と。
しかし、この猛反省にも似た、ある意味でいい加減な安っぽい誓いなど、長く続く筈がなかった。数日後には直ぐに破られるのである。
この日の夕方、彼女は私の様子見と、食事の用意を兼ねて来てくれたが、実を言って食事どころではなかった。頭の中で、一寸法師(いっすんぼうし)のような小人(こびと)が、軍団を組んで駆け回っていた。自業自得であった。
一体開眼とは、私にとって何であったのだろうか。そのような反省が脳裡を交差し始めていた。
次の日も同じような状態で、昨日由紀子が作ってくれた食事も殆ど手つかずの状態であった。ただ冬眠中の蛙のように手足を折り曲げ、胎児のように蹲(うずく)って蒲団(ふとん)の中で不摂生(ふせっしょう)でグウタラな一日を、今日も決めこもうとしていた時であった。早朝からドアを敲(たた)く者がいた。
寝ぼけ眼 で、ドアを開けると由紀子であった。私の様子を見に来たのだろうか。容赦(ようしゃ)なく中に踏み込まれ、事情聴取を受けるような質問が飛んで来た。
「ご気分はどう?まだ宿酔が続いていますの?」
「そのようです……」
私は、ただ眠くて答えるのが面倒であった。宿酔いを口実に、今日もグウタラを決めこむつもりでいた。
そして直に臆病な小動物が、巣穴に潜るように蒲団の中に潜り込んだ。酔いはとっくに去っていたが、無精(ぶしょう)から酔った振りをして、グウタラな習性が表面化しただけのことであった。本来ならば、もう少しシャンとするべきであろうが、彼女から愛想を尽かされても、それはそれで良いではないかと言う、負け惜しみの賭(か)けをしているような気持ちがあった。
果たして彼女は、私に愛想を尽かしてしまうのだろうか、そんな危ない綱渡りのような賭けをしていた。
「二日酔い(宿酔)て本当ですの?」
「本当です。僕の場合は二日酔いが恢復(かいふく)できずに、つい三日酔いになってしまうのです」
私の馬鹿馬鹿しい惚(とぼ)けた返事に、由紀子は反論もせず、
「あら、そう。じゃぁ、今日は三日酔と云うことですか……?」
そう云った儘、台所で何かを作り始めていたようだった。
しかしそれを確認しようとは思わなかった。習性である巣穴への逆戻りが、今私に残された最後の行動ではあるまいかと思っていたからだ。暫(しばら)くすると、えも言われぬ香りが部屋の中を漂い始めた。
「お食事ですよ」
その香りに誘われて、むっくりと起き上がと、粗末なお膳に、一人分の朝食が用意されていた。味噌汁の立ち上る湯気の中に、はっきりと美味の一つである蕗(ふき)の薹(とう)が確認された。春の旬(しゅん)の時期を少し過ぎたとはいえ、実によい香りを漂わせていた。
勧められる儘(まま)に箸(はし)を取り、立ち上る湯気に顔を埋めて、御椀(おわん)の味噌汁の香りを嗅ぎながら舌鼓を打った。
私はこの時、女というものの存在の大きさを知った。朝の味噌汁の味など下らぬ事だと思っていた。
朝、味噌汁が飲みたければ、早朝から行(や)っている定食屋に行けばいいと思っていた。しかし、定食屋に行ったところで、どれほど、その味噌汁がうまく出来ていても、そこからは何も語りかけるものが感じられない。
ところが、由起子の作った蕗の薹の入った味噌汁はどうだ。これは、実にそこから様々な言葉を語りかけて来るではないか。
《お酒も、ほどほどにしないと駄目ですわよ》
《はあ、仰せの通りで……》
《それで今日のご気分は?》
《何とか頑張れそうです》
私は、つい食が進み、味噌汁を三杯もお代わりをしてしまった。
由紀子は私の横に居て、
「二日酔いが、三日酔いにならずに本当に良かったですわね」と、一見皮肉とも取れるような言葉を洩らした。
この興醒(きょうざめ)するような言葉は少々鼻についたが、口に言えないような感謝で一杯になり、不思議な命が吹き込まれて来たような気がした。
「ごちそうさまでした」
私はこう云って、自然と由起子にお辞儀をしていた。
そして由紀子の人心収攬術(じんしんしゅうれんじゅつ)の巧みな技に、まんまと引っ掛かったような、それでいて上機嫌をたっぷり味あわされたような、不思議な気分になっていた。
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