●真剣御試水
私は山村師範を訪ねていた。
「お前、警察で大分(だいぶん)しぼられたそうじゃのう」
「はあ、ちょいとしたことで」
「ふん、ちょいとしたことか……。ところで別荘生活は楽しかったか?」
「まあ……、その……中々のもので……」
「人間は、万難を経験し、窮地(きゅうち)に追い込まれた方が、時には人生が一層楽しくなる。少しは薬になったじゃろう。毎日微温湯(ぬるまゆ)に浸かっていては腑(ふ)抜けになるからのう」
「はあ……、御尤(ごもっと)もで……」
「元気しとったか?」
「はあッ、何とか。先生も、いつもお元気そうで……」
「明治生まれの儂(わし)、と戦後昭和生まれのお前とでは、端(はな)から鍛えからが違うわい!」
「……はァ、全く仰(おお)せの通りで……」
「まあいい、……儂の後を蹤(つ)いて来い。いいものを見せてやる」
押入れの中から縦長の、大きな風呂敷(ふろしき)包みを取り出して、その中を開いた。中に十数振りの大刀があった。私の知らないうちに、よくぞ、これだけの刀を集めたものだと感心した。
この中から折れない刀を選んでみよという。実地を兼ねた日本刀の目利(めきき)きをさせるらしい。
私は、悪い物を順に外していく方法をとった。
一番最初に手に取ったものは、無銘(むめい)の錆(さび)た刀であった。よく見ると少し曲がっている様に見える。いいものではなさそうだ。これを安易に外した。しかしこれは錯覚か、あるいは未熟から、目利きが出来ないのかも知れないが、私には、そのように見えたのである。
二番目は、昭和軍刀で、旧陸軍が大量生産した見習の士官か、新任将校用に作られた軍の配給品であった。
この刀は、昭和の初期大量生産されたもので、刀としての価値も、美術品としての価値も殆どない。全く鍛えておらず、即席の似刃(にせば)といわれる物が付けられている。刀屋の間では「素延べ」と呼ばれるものである。斬れば、直に曲がる代物である。要するに下級将校や下士官の指揮刀のようなものだった。
そして次に五振り程選び出し、在銘(ざいめい)であったが、殆どが偽物(ぎぶつ)の様に思えた。そうして弾き出していって、最後に二振りだけ、自信を込めて山村師範に差し出した。
「この二振りは、ほぼ間違いありません。私は、この二振が折れたり、曲がったりしないと思います」
「ほーッ?」と声を上げた。一見、そうでわないという言い方であった。
「では、その証明はどのようにやってするのじゃ。さあ、如何!?」この質問の答えに困った。
暫(しばら)くして、
「試し斬りをして証明してみてはいかがでしょうか」
「試し斬りの得物は何じゃ」
「濡れ藁(わら)ではいかがでしょうか」
「どのような方法で行う?」
「据え物台に、縦に濡れ藁を五束重ねておきます。そして正面真っ向斬りで討ち据えます。ナマクラは、この時点で曲がりましょう」
「尤(もっと)もらしい事を抜かしおる。しからば、お前えに訊く。濡れ藁を五束を見事斬り据えたものは折れぬのか?」
「曲がらないものがどうして、折れましょうか!」
「本当に、その通りかな…?では、早速、濡れ藁を据(す)え物台に用意せい」
「畏(かしこ)まりました」
私は、早速この用意に取りかかった。
畳茣蓙(たたみござ)を巻き上げ、人間の首くらいの太さにする。それを紐(ひも)で縛り、盥(たらい)に水を張り、その中に浸ける。本来は一昼夜浸けるが、この日は時間がなかった。即席仕立てである。据え物台に濡れ藁を五束を載せた。この用意に二時間程かかった。
「先生、支度ができました」
「お前が、自ら斬り据えてみよ」
「はッ!」
濡れ藁は、十分に水を吸わせておかないと、斬る時に刀の引く。それは意外に斬れないものだ。そして刃毀(はこぼ)れや曲がる原因を作る。
これは刀の鞘(さや)を傷めるばかりでなく、刀身そのものも、鉄の金属疲労で、やがて折れる原因をつくることになる。然(しか)るに斬り据える経験の力量と手の内の茶巾(ちゃくん)絞りの要領が重要なのだ。
実際に数千回以上の「立ち木打ち」を、五年以上やったことがある者でなければ、不可能である。
さて、先ず私の選んだ一振りを打ち据えることにした。その刀の中子(なかご/「中心」あるいは「中茎」とも)に、試し切り用の柄(つか)をはめる。そして、刀身は飛んでいかない様に、目釘穴(めくぎあな)に油抜きをした竹の目釘(竹の油を抜くために火で焙(あぶ)ったもの)を打つ。その刀には銘(めい)が入っており、『備前長船胤景(びぜんおさふねたねかげ)』とあった。
私の見るところ、胤景(たねかげ)二代の作であるらしい。備前刀上作の業物(わざもの)である。五の目丁字の焼刃(やきば)が入っている。
据え物台の濡れ藁(わら)に、狙いをつけて上段に振り被り、一点に集中して、一気に斬り据えた。
三番目の藁のところで止まった。二振り目は、新々刀で在銘(ざいめい)ではあるが、本物ではあるまい。何と入っていたかは、忘れたが裏表に行らしい偽銘(ぎめい)はついていた。しかし斬る分には申し分ない刀で、これは斬れると思っていた。
実際に新撰組局長・天然理心流の達人近藤勇昌宜(こんどういさみまさよし)の持っていた『虎徹(こてつ)』(【註】長曾禰(ながそね)虎徹)は、偽物でありながらよく斬れたという。この事から考えて、新々刀の偽物は斬れると思った。
これも狙いをつけて上段に振り被り、一気に斬り据えた。これは思った通り、流石(さすが)によく斬れた。五番目の藁の部分にまで達しているではないか。
「先生。全て終わりました」悠々と胸を張って言った。
「馬鹿者!まだ終っとらん。残りはどうなったのじゃ?」
「残りは全部駄目です」
「果たして、そうかな?これを見よ!」
私が一番先に弾き飛ばした刀を持って、据え物台に濡れ藁に斬りつけた。濡れ藁を五束を全部斬り据え、しかも据え物台を斬り込んでいた。それを手で抜こうとしても、抜けないくらい深く食い込んでいた。
更に、大盥(おおたらい)に張った水に向かって、私が最初に扱った刀の刃を横にして、水に叩きつけた。その瞬間、刀は板ガラスが割れるように三つに折れた。驚きであった。刀などの刃物の「打物(うちもの)」と謂(い)われる武器の脆(もろ)さは、こうした側面にある。
たかが水に、打物は破壊される。鉄で出来た刀が、水に折られたのである。こうした、水で試すことを《真剣御試水(しんけんおためしみず)》という。据え物斬りの術の中には、こうした試す為の秘伝が存在するのである。
この《真剣御試水》で、業物(わざもの)と看做されていた刀を失ったのである。買えば二百万円は下だらないと思われる業物『備前長船胤景』が、物の見事に折れてしまった。これは所詮(しょせん)美術品でしかなかったのか。美しいだけの価値しか満たして居なかったのか。
刀の一番弱い処は、反(そ)りのついた棟(みね)であり、次に弱いところは左右側面である。
次に、偽物の新々刀も簡単に折れた。次々に叩き折っていく。昭和軍刀だけは折れずに曲がった。そして、私が鈍刀と見て侮った無銘の錆びた刀は数回叩いても、曲がらず折れなかった。
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▲ 無銘、伝加州清光
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山村師範は、これを天に掲げて、「お前に遣(つか)わす」と言って、これを私に呉(く)れたのである。
賜(たまわ)った刀を良く見てみると、少し曲がっている様に見えていたのは、刀身が「竹の子反り」であったためだ。ここに、達人の聖眼と凡夫(ぼんぷ)の凡眼の相違を見てしまった。
●売卜者
「もし、そこの人」
私は夕方6時頃、街を歩いて居て、こんな声に後ろから呼び止められた。その声に振り向くと四ツ辻に小さなテーブルを出し、その上に「易」と書いた灯籠(とうろう)に蝋燭(ろうそく)を灯(とも)し、易を生業(なりわい)とする売卜者(ばいぼくしゃ)だった。今風で云えば、易者である。八卦見(はつけみ)ともいう。しかし、占い師ではない。大きく分ければ、占い師の類(たぐい)だろうが、単に占いを生業する者と、売卜者とは根本的には違う。
一般に占いは、九星気学や四柱推命、その他、水晶占い、魔術カード占い、トランプ占い、霊感占いなどがあるが、売卜者は算木(さんぎ)や筮竹(ぜいちく)を使い、易によって八卦見(はつけみ)をする。八象(はっしょう)を基本に置くところは、どこか地理風水(ちりふうすい)に近いところもある。
また、八卦とは、陰陽の爻(こう)を組み合せた八つの形象を指す。そこに神仏のようなものは持ち込まない。あくまでもシビアで、容赦(ようしゃ)のない現実的な暗示を告げる。被見者が、もし死ぬような運命が、直ぐその先に控えていれば、それをそのまま、包み隠さず告げる。この点は容赦もない。自然の摂理を、自然のままに告げていると云うところもある。
「何か……?」私は振り向き、一旦足を停めた。易者は私に、筮竹(ぜいちく)を握って手招きをする。
(何だ、売卜者か……)と、軽い気持ちで振り向き、再び意に止めず歩き出そうとした。そうすると再び、声が懸(か)かった。
「もし、そこの人」もう一度、呼び止められたのである。
(何だ、うるさい売卜者だなァ)と思う気持ちで振り返り、もう一度易者を見据えて、「なんか用か!」というふうな貌(かお)をして鋭く睨(にら)んだ。しかし易者は、この睨みを意に介さない。どこか飄々(ひょうひょう)としていた。
私には、剣難の相でもあるのかと思っているのか。仕方なく易者に近寄ったが、この易者は何と私に、「貴殿には“女難の相”が出ておりますぞ」と、徐(おもむろ)にいうのであった。そして、その言い回しが、何か勿体(もったい)を付けたようなところがあった。
私は、「何……?女難の相?」という、その女難の貌(かお)で、この易者の顔をまじまじと覗き込んだ。易者は自分の顔を覗かれていることも意に介さないふうだった。
もう一度、「女難の相?」という言葉を吐いて、その真意を聴いてみたくなった。それは一種の興味半分であった。
女難の相とは、男が、女との関係で災難を受けることをいう。世間でも、一般によく知られた女性関係の禍(わざわい)を云う。
この易者は、七十歳ぐらいの八卦見帽を被った老人だった。一見、飄々(ひょうひょう)と見える老人である。他人の事を意に介さないところは、何か超然(ちょうぜん)として、掴み所のない人物のようにも見える。ある意味で、飄逸(ひょういつ)なるものを感じ、この老人は、人事や世間の事を気にしないで明るく呑気(のんき)に生きているような人物のようにも思えた。だから易者なのだ。完全に、人の幸不幸を見て、傍観者になり得るのだ。そんな気持ちで、易者を見た。
私は、まず「見料百円」を支払った。易者の座っている前のテーブルに、百円札をバーンと叩(はた)いた。それでもこの易者は、別に驚く様子もなく、飄々として、何故かこの易者が信頼できる筋の八卦見をするのではないかと思った。
「その女難の相とやらを、是非聞かせてもらいましょう」
(さて、その真意は?)という貌で迫った。
「わしは永年この商売をやって来たが、貴殿のような、後ろに、女衆(おなごしゅう)をぞろぞろ引き連れた人を見たのは初めてじゃなァ。賑(にぎ)やかというか、派手と言うか……、まあ、その……、呆れると言うか……」といきなり、見料百円を払った客に向かって、こんな事を言い出した。
その言葉に釣られて、一瞬自分の後ろを振り返った。
そして更に言葉を続けるのであった。 「貴殿は、生きた女やら、死んだ女やらを、ぞろぞろと後ろに引き連れておる。これはまさに、“女難の相”の典型的な禍(わざわい)を暗示しておる。おまけにその生きた女やら、死んだ女に、また、何かが憑(つ)いて、肉愛や情愛に引き摺(ず)り込もうとしている。これでは、貴殿は、身も心も、くたくたじゃろうて」
この易者は、自分が、ささも現場で見てきたような、妙な事を言い方をしたのである。
「では、私の後ろに何が見えるのですか?」と戯(おど)けた貌で訊いてみた。
「そうさなァ、まず、二十歳(はたち)前後の髪の長い女子(おなご)が見えますなァ。この人は事故死じゃ。それも自殺!」まさに断定的だった。
私は、「うーッ」と唸(うな)った。それは(千代のことか?……)と問い質(ただ)したかった。この易者は、何を根拠で、そう云うのか、それも訊いてみたかった。
また、易者の云った、「生きた女やら、死んだ女やらを……」というこの言葉にも、興味をそそるものがあった。今度は、その「生きている女」のことを訊いてみたかったのである。
「さて、そこでじゃ」と易者は、勿体(もったい)付けて次の事を切り出した。
私はそれを興味津々、ある意味で面白半分に窺(うかが)おうとしたのである。
一瞬身を乗り出して、易者の次の言葉を待った。しかし、この易者の云う「女難の相」など、端(はな)から信用してないのである。私は易や占いを信じるほど、そんなヤワな人間ではない。ただ、易者が「女難の相」にかこつけて、私を呼び止めたのが、私の好奇心を逆撫(さかな)でしたのだった。それに、生きた女やら、死んだ女やらの、その表現が面白かったのである。こうまで面白く語られて、これを訊かない手はない。
「宜(よろ)しいかな、わしの云うことを忠実に実行なされ。そうすれば、女難の相は、必ずや消えましょう」
この言葉を、興味半分に聴いていた。況(ま)して、それを訊いて実行する気など、毛頭ない。しかし、語り口は面白いと思った。
「ここより先に、神功皇后(じんぐう‐こうごう)が朝鮮征伐の際に、船の帆柱を切り出したと言う帆柱山という山がある……」
「うんうん、それで……」
「さて、神功皇后は、恐れ多くも、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后。名は息長足媛(おきながたらしひめ)と申す。また、開化天皇第五世の孫にあたられ、息長宿禰王の女(むすめ)である。仲哀天皇とともに熊襲(くまそ)征服に向い、天皇香椎宮に崩御の後、新羅(しらぎ)を攻略して凱旋(がいせん)した。この新羅攻略が、俗に言う朝鮮征伐である」まるで講釈師のようなことを言い出した。その語り口は、矢継ぎ早といってもよかった。
私は、そんな歴史の前置きはいいから、ズバリ本題に迫ってもらいたかった。
(その先を、早く言え)というせっかちな気持ちで、若干の苛立ちがあった。この易者は、人の気持ちを見抜く読心術にも長(た)けていたようだ。
「まあまあ、そんなに慌てなさんな……」
「うぬッ……」
「さて、その帆柱山の中腹に、霊験あらたかな帆柱権現がある。その権現において、来る四月一日から十日に懸けて、幸甚祭(こうじんさい)が行われる。この幸甚祭は、人々の何よりの幸せを願って催される祭りである。貴殿は、その祭りに四月一日から十日まで、毎晩夕方6時から出かけ、そこで女難退散の祈願をする事じゃ。これは“無言”でする願掛(がんか)けじゃ。“無言参り”ともいう。無言で一心に願を掛ける。行って帰る間では、一言も口を訊いてはならぬ。だから“無言参り”という。無言であることのみが、神との契約を遂行していることになる。そこに霊験あらたかな御利益がある。その御利益をもってすれば、貴殿の女難は消滅し、幸せが転がり込むやもしれぬ。だが……その後が問題じゃ」
最後の言葉がやけに気になった。
「その後とは、いったい何ですか?その後に何か起こるのですか?その後、私はどうなるのですか?」
「そうせっかちに、質問攻めで訊かれては返事のしようがないではないか。まあ、落ち着いて」
「……………」一瞬黙るしかなかった。
「一時的には、貴殿に福が転がり込む。それはそれは大変な福じゃ。しかし、この福を継続させる事は難しい。難しいが、努力により継続できるやも知れぬ……」
「では、それにはどうすればよいのですか?」
「先ず、幸甚祭に行き、女難退散の願を掛け、一心に福が転がり込む事を念じることじゃ。ただし、宜しいかな、この幸甚祭に出向く時は、沐浴斎戒(もくよく)し、目と鼻と口と耳の四箇所を清潔にし、特に口は清水で濯(すす)ぎ、帆柱権現に向かう際は、絶対に誰と遭遇しても口を聞かぬことじゃ。行って帰ってくるまで、喋ってはならぬ。一言も口を訊いてはならぬ。宜しいかな、一言もじゃぞ」
易者は徐(おもむろ)に言い放った。
「……………」私は神妙だった。
「そしてじゃ。帆柱権現は八幡地区の、ほぼ南にあり、“天子北面に坐し、南に向かう”の喩(たと)えから、帆柱権現に向かう際は北方から南方に至る位置に住居を構えなければならない」
「南方に至る位置に住居とは……?」
「つまりじゃ、方角が“災方”を避ける為、南北の方位線上に住居を構えなければならぬ」
「では、南北の方位線上になければ?」
「その方位線上の場所に引っ越すことじゃ」
「なぬッ……」
(なんと、引っ越せとぬかしおった)そんな顔で私は易者を睨み付けた。
「何も、そんな怕(こわ)い貌をせんで宜しい。簡単じゃ、ただ引っ越せばよいのじゃ。それとも福が転がり込んで来ると分かっているのに、この福をみすみす逃がす、お積もりか」
「うんーん……」唸る以外なかった。
「人間には人生で、三回だけ福が転がり込んで来る絶好の好機がある。それは周期的に遣って来る。しかし、この好機到来を知る者は少ない。多くは好機を神任せにするか、戯言(たわごと)と考えて、鼻も引っ掛けぬようじゃが、結果的に、それで大切な福を取り逃がす。貴殿もその口かな?」
これを聴いて、尤(もっと)もでもあり、あるいはそうでないようでもあり、しかし、何か心に響くものがあった。少し、「この遊びにでも、ちょっと乗ってみるか……」そんな気持ちで易者の言に耳を傾けたのであった。当たるも八卦、当たらぬも八卦なのだ。
「では、南北の方位線上とは?」
私は思案後、開口一番これを訊いてみた。
「国鉄の八幡駅周辺が宜しかろう」
「なぬッ……、八幡駅周辺?」
「さよう」
─────こうして私は八幡駅周辺に引っ越すことになり、帆柱権現の幸甚祭に出かける羽目になったのである。
しかし、よく考えてみれば、此処に引っ越せば道場にも、ほんの数分で歩いていける距離であり、易者の云った南北の方位線上の八幡駅周辺は、別の意味で新たな新天地を拓く場所でもあったのである。
そして、私は八幡駅周辺にある、家賃九千円の『帆柱荘』という木造十世帯くらいの安アパートに引っ越すことになるのである。第一、道場にも近いという理由で此処を選んだのである。実家の大蔵から此処に引っ越してきたのは、三月も下旬の頃であったろうか。
●幸甚祭
愈々(いよいよ)幸甚祭(こうじんさい)の日がやって来た。
私は朝からそわそわしていた。直ちに沐浴斎戒を済ませていた。別に売卜者の言に従ったわけではなかったが、しかし、「大変な福が転がり込んで来る」というこの話は、何となく心が浮き立つものである。あるいは「大変な福」とは、由紀子の事を指すのか。
しかし、「待てよ」と思う。今日は四月一日、世間風に云えば四月馬鹿の日。「あれッ?」と思う。もしや、売卜者は「四月馬鹿」に絡めて、私を嵌(は)めおったのか。
しかし、「嵌まる」のも何かの因縁。これに「嵌まってみようじゃないか」と、こんな気になったのである。運命に流されるのも、また一興。
私は、道場に貌を出す前に、帆柱権現に行ってみようと思った。八幡駅前のバス停から帆柱ケーブル行きのバスに乗り、帆柱町のケーブル駅前で降りるのである。
辺は夜桜見物の人で、たいそう賑(にぎ)わいであった。所々に夜店なども出ている。人込みの合間を縫(ぬ)って、帆柱権現に辿り着いた。水の流れていない神殿に通じる石橋の上に立ち、此処でまず、「ごほん」と咳払いをした。今日は無言参りの為か、夜桜見物をかねた参拝者達は、殆ど無言のまま、宮詣でをしようとしていた。
石橋の上で、ひとまず立ち止まり、唇を固く一文字に結び、神殿の正面を見据えて歩き始めた。周囲は沢山に人で行き交っている。社殿に入ると肩が触れあい、背中が後ろから押される。この幸甚祭に詣でている中に、知っている貌はなさそうである。参拝客は男よりも女の方が多いようであった。おそらく恋愛絡みの願掛けであろう。
桜並木の道筋に沢山の提灯がぶら下げてあり、夜桜見物の雰囲気を盛り上げていた。社殿の奥には、両端に大きな奉納と書かれた提灯が据えられ、その下には沢山の奉納札が並んでいた。そして形式通りの二拍手一礼をして、合掌した。
心の中で、(恋の争奪戦に勝利しますように)と願を掛けた。何とも奇妙な願いであった。私は、自分を試す積もりで願を掛けて居たのである。そして女難の相は悉々(ことごと)く退散して欲しかった。消滅して欲しかった。更に願わくば、福が転がり込んできて欲しかった。
しかし、こう念じれば念じるほど、心はしだいに怪しくなり始めた。それは心からの無垢(むく)な願いでないからだ。私の願い事には、幾つかの分裂が生じていたからである。しかし、それでも、まず初日の四月一日は無事に終了した。
それから三日を経た四月三日には、何となく、こうして毎日願を掛けに来るこの作業が、些か負担になり始めた。毎日通い続けると言う馬鹿馬鹿しさが、何とも滑稽に思われたからだ。そしてこの日は、一雨来そうな天気だった。
四月の生暖かい風が吹き、桜は益々満開の様相を極めた。最初に詣でた初日より、実に賑わいだ感じがあり、人出も更に多いように思われた。
通り一遍の儀式的な祈願をして、帰ろうとした時、ふとその先に目を向けた。その先の10mくらいに、何と由紀子が微笑んで立っているではないか。私は慌てて貌を背けた。もし、無言参りに詣でて、ここで彼女と口を訊けば、昨日までの無言参りは、一切が御破算になるからだ。とんでもないところで、とんでもない人間に遭(あ)ったものだと思った。
私は、くるっと踵(きびす)を返す以外なかった。そして再びもう一度、社殿に向かおうとした。しかし彼女は、この後を追ってきた。
「どうして、あたしを避けるの?」
私の真横について歩き始めた。私は、それに構わず歩き続けた。いま、彼女と一言でも口を訊けば、これまでの努力は無駄になる。何としてでも、振り切らなければならない。相手が由紀子であっても、彼女の問いかけに答えるわけには行かない。しかし、この場面で振り切ることは可能か。
「ねえ、あなた……」
由紀子は甘い声で呼び掛けてきた。
「ねえッたら……」
この声に私の足取りは一段と早くなった。追い付かれそうになると、一瞬駆け足になる。
しかし、彼女はこれで諦めようとしない。
「何処へ行くの?」
こう問いかけて、相変わらず蹤(つ)いて来る。
「……………」何とか無言で押し通していた。
彼女は一瞬立ち止まったようだ。そして大声で怒鳴った。
「おい!岩崎健太郎!」
「はい!」
フルネームで名を告げた以上、返事するしかなかった。一瞬「しまった」と思った。誘導尋問に懸かったのだ。これで旧(もと)の木阿弥(もくあみ)に戻ってしまったのである。
しかし、「はい!」という返事は、私にその後、解放感を与えた。一旦喋ってしまった以上、もう黙っていることはないのである。
「すみません、無言参りをしていたものですから」と言い訳のようにいった。
すると彼女は、唇に指を当てて「しいッ」と妙なことをする。
「駄目ですわねェ、あなたは試されたのですよ」
「誰に……?」
「神さまに」
「神さまって、声を懸けたのは、あなたではありませんか」
「だからそれは、あたしが神さまに成り代わり、あなたを試したのです」
「そんなの“有り”ですか。そんな理屈通るんですか?」
「ええ。あたし、神さまの代理ですもの」 「参ったなァ」
「ところで、あなた。無言参りに何を祈願にいらしたの?」興味津々に訊いて来る。
「それは言えません。僕個人の、極めて個人的な、僕の祈願で、秘密です」
「そのボクの祈願は、神さまに試されて、挫折したじゃありませんの」
「それはですねェ、あなたが真逆、こんなところに姿を顕(あら)われるとは思いもみなかったからですよ。僕を挫折させたのは、あなたなのです。挫折の張本人はあなたです」
「いいえ、あたしは神さまの代理で、あたなを試しただけです」
「まいったなァ、ああいえば、こういうで」
「それを云うなら、試されて、返事をした、あなた自身をお恨みなさい」
「えッ?孫悟空から返事を要求されて、瓢箪(ひょうたん)の中に吸い込まれた金閣・銀閣の大王のようにですか」
「でも、無言参りに詣でた方が、知り合いに遭(あ)ったからといって、うっかり返事をするなどとは、まだまだ修行のほどが浅いですねえェ」
思わず、「う……ッ……」となって、「そんなに僕を孤独にさせないで下さい」と、ささやかな反論をした。
私はまるで釈尊(しゃくそん)の掌の上で、踊らされている孫悟空だった。あるいはこれが売卜者のいった“女難の相”であったのか。おまけに僅か三日目で挫折したのだから、女難の相は、今後も永遠に憑(つ)き纏(まと)うだろう。
●看板泥棒
夕方の五時半を過ぎた頃、私はある交差点で車の来るのを待っていた。そこを車で通りかかった勤務帰りの由紀子が、私を見つけて車を止めた。
この道は由紀子の通勤路なのである。車の左の片側車輪を歩道に載り上げ、助手席の窓を開けて話しかけて来た。
「何なさってるの?」
「車を待っています」
「何処か、お出かけになるの?」
「まあ、そんなとこです」
「では、あたしの車にお乗りになったら?」
「いや、いいんです」
「どうして?」
「個人的なことですから……」
このやり取りをしている時に、大型ダンプカーが、ディゼル・エンジンの大きなうなり声を上げてやって来た。
ダンプカーの荷台には、道場生が五、六人程隠れていて、停車と同時に、全員が素早く忍者のように降りて来て、軽やかな動きで近くの電柱に掛かる看板を、七つ道具で外しにかかる。実に手慣れたものだ。看板を止めているワイヤーをペンチで切り、釘抜きで看板の頭と横の釘を抜く。私の仕込んだ通りに、実に巧(うま)くやる。自負だが、見てて惚(ほ) れ惚れする。
これを見ていた由紀子が、
「あの人達、何をしているのかしら?」
「さあ、何しているのでしょうか……」
「看板外しているのかしら?」
「そのようですね」
「違法看板撤去の市役所の人達なのかしら?」
「さあ、どうですかねェ……」
そして、看板は手際よく機敏にダンプカーに積み込まれるのだった。
その時、道場生の一人が私の方を向いた。私は(まずい)と思って眼を反らしたが遅かった。
「先生も、このダンプに乗っていかれますか?」
(馬鹿者!こんな所で、何てことを訊きやがる)と思った。よりによって、一向に有り難くない問いかけをされたのである。
「歩いて行くから、皆先に行ってくれ」と言って彼らを先に行かせた。
何となく、この場が拙(まず)かった。
「お乗りになったら?」助手席のドアが開けられた。
私は一瞬躊躇(ちゅうちょ)した。
しかし彼女の眼は、「ぐじゃぐじゃ云わずに、早く乗れば」というよに急(せ)き立てている眼だった。私は観念して乗った。
「へーッ?今の人達、あなたの道場の方たちでしたの?」皮肉の隠(こも)った口ぶりだった。
「そのようです」
「看板外して、何かなさるの?」
「修理するんです」
「どのように?」
「壊れているところを修理りして、また使います」
「あなたはいつから空手に変わられましたの?」
「空手になんか変わっていませんよ」
「でも今の看板、空手道清流会と入っていましたわ」
「あれはですね……」
疾(やま)しさに煩悶(はんもん)し、こじつけと弁明で逃げきろうとしたが、適当な言葉が出てこない。もたついている間に、由紀子が先手を取った。
「つまり、泥棒なの?」と揚げ足を取ったのだ。これには私も聞き捨てがならなかった。
「あのですね。そう言ってしまえば身も蓋(ふた)もないじゃありませんか……」
「そう、ムキにならなくてもいいでしょ」
「あれはですね、元々北九州市の条例違反の不法看板なのです!」
辛うじて弁明し、逃げきったつもりであったが、
「だから、書き換えて、あなたが、また使うって筋書き?」
由紀子から完全に読まれていた。
─────そういう彼女が、日曜日、看板塗を手伝ってくれた。
寺の敷地の中に建つ、この道場は、昔の如来堂(にょらいどう)を改造したもので、古くて建物が傾いていた。雨が降ると雨漏りがしていた。その度にバケツを持って、あちらこちらと走り回らねばならなかった。最近修理をしたが、代金を値切ったためか、完全には直っていなかった。
由紀子には此処がどう映ったかは知らないが、しかし私にとっては安住の良き棲家(すみか)なのである。看板の塗り替えの作業は、この中で行われるのである。
看板を外して来て、それを塗り替え、こちらの名前を書く、それをまた路上に立ち並ぶ電柱に張りつけに行く、と言う作業を繰り返すことによって、道場生を募集していた。
これはいわば食って行く為の、私の生命源であった。
これを実際、看板屋に頼めば五千円かかるが、この方法だとペンキ代を入れて三百円程度で出来上がる。勿論、不法看板を採りに行く車の油代と、貼り付けに行く車の油代は別だが。
だから、そう易々(やすやす)とは看板泥棒が止められないのである。単的に言うならば、これは実に浅ましい貧乏人の発想から生まれたものなのである。
この日、由紀子は豪華かな弁当を作って来てくれた。
正午頃に一休みして、昼食を取ることにした。
その時、由紀子が、
「お手洗い何処なの?」
「そこの流しの奥にあります。でも、言っておきますが、凄(すご)い処ですよ」
お嬢様育ちの由紀子に気兼ねして、此処が雨漏りのするボロ屋であることを強調して、少しでもその期待外れと失望を和らげなければならなかった。
「凄いって……?」
「兎(と)に角(かく)凄い処ですよ。此処はね、昼間から時々、幽霊が出るので有名なんです」
「幽霊?」
「そう、幽霊。昔ねぇ、この便所の中に落ちて死んだ、盲で唖(おし)の子供がいたんです。盲の為に足を踏み外し、唖の為に助けが呼べなかったんです。そして、この中に取り憑(つ)いて、地縛霊(じばくれい)になったんです。だから助けを求めて、入ってくる人に見境なく取り憑くんです」
「まあ、怖いわ……」
「この前も、道場生がこの中で子供の幽霊を見たそうですよ」
「また……?」彼女は(嘘でしょ……?)という顔をした。
「そしてね、下から手が出てきて、入って来た人の、アソコを撫(な)でるそうですよ」
「真逆(まさか)……?」
「本当ですよ」
「嫌だ……怖い」
「怖いのだったら、蹤(つ)いて行ってあげましょうか?」
「いいえ、結構よ!」
「おまけに便所の扉は節穴だらけだし」
「まあ、困ったわ……」
「大丈夫ですよ、覗きませんから」
「まア、嫌だ。あなたって覗きもやるの?」
「あのですね!僕はあなたがトイレに入って、余りの凄さにびっくりしないよう、予(あらかじ)め予告しているんです。変な想像はしないで下さい!」ムキになって言い返した。
渋々、由紀子はトイレに行ったが、中々戻ってこない。どうしたのだろうと思って様子を見に行ったら、念入りにトイレの扉の節穴に、チリ紙を詰め込んで、私からの覗きを防止していたのである。全く彼女から信用されていなかった。
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