運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
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旅の衣・前編 10
旅の衣・前編 11
旅の衣・前編 12
旅の衣・前編 13
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旅の衣・前編 17
旅の衣・前編 18
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旅の衣・前編 23
旅の衣・前編 24
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旅の衣・前編 27
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旅の衣・前編 30
旅の衣・前編 31
旅の衣・前編 32
旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
旅の衣・前編 35
旅の衣・前編 36
旅の衣・前編 37
旅の衣・前編 38
旅の衣・前編 39
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旅の衣・前編 42
旅の衣・前編 43
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旅の衣・前編 49
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旅の衣・前編 60
旅の衣・前編 61
旅の衣・前編 62
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旅の衣・前編 25

人の行動は、たいてい世間の声に影響されている。評判を得れば得意絶頂になって驕り、悪評や苦情が出れば沈黙する。
 自身に自主性があると自負している人でも、その自主性が世間に対しての名誉とか知名度によって支えられている。純粋に自身の必要性から行動をする人は稀である。
 もし、そのような人が居れば、その人は大変な賢人か、あるいは愚者かの何れかだろう。
 中途半端の実態……。
 自分を「普通」と信じている人の実態は、常に世間の評に左右されているのである。


●不起訴処分

 それから二日経っても、拘留延長は続き、まだこの中に居た。
 はっきりとした起訴する極め手がなく、疑わしいだけで、いい加減な収監をされると、容疑者には無罪を有罪と認めてしまう妥協が生まれ、恐怖心と苦悩が色濃
(いろこ)いく滲(にじ)んで来るものである。
 その結果、白を黒と言うような軽率な自白さえすることがある。
 希望のない暗澹
(あんたん)たる現実の中で、私の頭もそのようになりかけていた。

 監房の隅
(すみ)で毛布に包まり、由紀子のことを考えていた。彼女は、一体どんな存在だろうと思う。私に関与してきた接点は何だったのかと思う。
 しかし、それを懸命に追求しても、何も帰ってこない。短い間に様々な事があったと思うが、そこに残っているものは“何か”と考えた場合、改めて残っているものは何もないと思うのである。過去の想い出は空洞化しつつあった。色褪
(いろ‐あ)せたものになりつつあった。何もかもが、遠い過去のことだった。

 綾羅木
(あやらぎ)海水浴場で遭ったあの日から思えば、今日までの時間は長いようで短かった。その場、その時には様々な、鮮明な想い出がありながら、いざ思い返してみると、漠然とした事しか思い出せない。所々に、確かに幸せな時間はあったと思うが、それが総てが瞬間的なもので、何の克明な記憶も残さないほど、朦朧(もうろう)としていて捕らえ所がなかった。確実に記憶は薄らいでいるのだ。
 それは私の「スクリーン投影術」の威力が薄れているのかも知れなかった。念じる威力が薄らいでいるのである。
 しかし薄らいだ中にも、これまでの一切のことが走馬灯
(そうま‐とう)のようになって、幻想を加えながら再び回り始めるのである。各々の人の顔が思い出され、優しく微笑みかけてくる。
 過去の想い出が逆回転を始める。
 再び、克明なスクリーン投影術が始まった。
 想い出が逆回転を始めた。過去にどんどん引き戻されて行った。
 その想い出の中には、まず猿渡明子が登場した。あの世話焼きの明子がいた。明子は私が幼稚園の頃、裏の警察官の官舎に棲んでいた幼馴染みである。また寄しくことに由紀子と中学から高校の間、M学園のクラスメートだった。幼い頃の記憶が浮かんだ。幼稚園の頃の記憶が蘇った。
 そして一旦過去に引き戻された記憶は、時代を追って順回転を始めた。

 そこには小学校低学年の頃の平戸
(長崎県平戸市)での幼馴染(おさな‐なじ)み、樋口美代子がいた。彼女は旅館の娘だった。
 舞台は次に姉の置屋に飛ばされた。そして嬉野温泉では、少年時代の想い人だった千代
がいた。
 北九州に戻った後の中学時代には島本千鶴がいた。高校時代には岩田信子がいた。
 大学時代、Y研究室のゼミで一緒だった紅一点の岩渕真智子がいた。
 教員時代、愛くるしく付き纏
(まと)った私の受け持ちの女生徒だった佐藤みどりがいた。
 道場では、泣いたような睫の長い沢田道子がいた。
 そして艶
(あで)やかに振袖を天女のように着飾り、装った桜井由紀子がいた。私の記憶の中では、彼女が克明に記憶を占領していた。女性像が次から次へと現れた。みな女の影であった。女の影を引き摺っていた。
 前半の漁色人生のオンパレードだった。
 色情が吹き出した“四分の一”世紀だった。色と血に狂った世紀だった。

 こうした女性達の幻想が回転し始めるのである。訳もなく回転するのである。
 彼女たちの当時の想い出が蘇
(よみがえ)る。そして、ついに「来たか」と思うのである。生死間隔が縮まったかと思うのである。
 女遍歴の多い私の脳裡には、こうした女性たちが、あたかも回転を繰り返す、走馬灯の幻影となって廻りはじめたのだった。それはあまりにも早い回転数で高速化されていくのである。
 こうなると、この回転数に追い付けない私は、「もう、ついていけない」と思うのだった。
 このまま狂うのでは?……。
 そして「いったい俺は何者だろうか」と思うのである。
 俺は何者か?……、暫
(しばら)く反芻(はんすう)してみた。何で、こんなところにいるのか?……、何で収監されてしまったのか?……、と次々に繰り返してみた。
 あれはたしか……と想い出の冒頭を振り帰りながら、由紀子と出逢ったことから、「俺の運命はこのように畸形
(きけい)したのではないか?……。畸形してその後どうなったのか?……」という最初の出遭いを思い返していたのである。それを出来るだけハッキリ思い出そうとする。だが、何かは明白でなかった。
 由紀子に魅入られ、そして博奕に狂った。博奕で崩壊感覚を味わっていた。レースが終わるごとに、競艇場内には、舟券を拾って番号を確かめる男は一人や二人ではなかった。もっと大勢居た。その大勢の中に、私も入っていた。
 更に最終レースが終わった後は、もっとこの大勢が殖
(ふ)えていた。金を失った者達である。
 その大勢は、もしや当り券が落ちているのではないかという一縷
(いちる)の望みを託して舟券拾いに奔走しているのである。藁をも掴む気持ちだったのだろう。敗北者の、うらぶれた光景だった。

 一体あの光景は何だったのかと思う。
 あの光景の中から、私はヤクザものから声を掛けられたのではなかったか。そして官憲から選挙違反容疑が懸けられ、こうして収監されているのであった。
 何故こうなってしまったのか。何処で狂いが生じたのか……。
 悲痛な悔悟だった。
 だが、これが悔悟だとしても、まだ分らないことがあった。明瞭でない、思い出せない何かがあった。その思い出せない場面は何だろうか。内面に照応するのは、競艇場の光景だけではなかった。もっと別の何かの光景があった筈だ。それだ一体何だったか……。
 しかし、誰もが漠然としていて、ハッキリとしない。またスクリーンの映像がぼやけ始めた。ピント外れが起こり始めていた。
 愛され、愛し、そうした想い出であっても、それは抽象的で曖昧であった。ハッキリとした形は残らないものであった。模糊としたものであった。ぼやけているのだ。
 朦朧とした輪郭
(りんかく)だけが姿を顕わすが、やがて虚しさだけを残して消えて行く。最後はぼやけて見えなくなる。
 そして、それが終わると、何とも言えない、投獄の辛
(つら)さが襲って来る。
 隙間風と倶
(とも)に寒風が吹き付けて来るのだった。寒々とした寂寥(せきりょう)が襲ってきた。
 どうしようもない寂しさが、吹き付ける風と共に何処からともなく襲って来るのだった。まるで山から沖へ吹きおろす地嵐のように……。

 ときどき寒さと寂しさに負けて、頭を抱え込む程、辛い幻影が襲い掛かって来るのである。何とも言えない切ない幻影である。罪への呵責の幻影である。
 他愛もない……とは、言い切れないないのである。そんな軽々しいものとは、言い切れないのである。辛い私への呵責だった。良心への呵責だった。

 何処からともなく声がして、《お前は何をしたのだ?!》と叱責する。
 《何て態
(ざま)だ!見るがいい、お前のその姿を》とかの、ありもしない幻聴が聞こえ始めてた。罪の呵責を命じている何者かの叱責の声である。それは詰(なじ)る幻聴である。
 そうした責めに喘
(あえ)ぐのだった。一瞬自分でも、とうとう狂ってしまったのか?……と思わずにはいられない程だった。
 我が精神、危うし……と思った。いつまでも責め立てられる。次から次へと矢継ぎ早である。
 これには耳を塞
(ふさ)いで抵抗するしかなかったが、塞いでも聞こえて来るようであった。
 外からではなく、中
(うち)から聞こえて来るのだった。それは外側からではなく中に居た。中に居て、もう一人の人格が私を支配しているそのようなものだった。あるいは裡側(うちがわ)に潜む魔物のようなものであった。そして再び反省が込み上げて来た。

 一方において、道を説き礼儀を尊ぶ人格陶治
(じんかく‐とうち)の武術を試みながらも、糊口(ここう)を潤すために富者の意の儘(まま)になって操られ、犯罪を働く。金の奴隷となって、魂を売る。果たしてこれでいいのだろうか?……そんな自己の自問との鬩(せめ)ぎ合の葛藤(かっとう)が起っていた。余りにも言うことと、することが違うではないか。
 そもそも人間は矛盾に生き物という。
 しかし、ここまで矛盾していれば、それは確かに既に『陽明学』で言う「知行合一」から逸脱し過ぎているではないか。矛盾も甚だしいと言わねばならない。まさに愧
(は)じであった。
 何処からか「恥を知れ!」と罵倒されたような気がした。果たして空耳だったのだろうか。

 釈放の夢空しく、絶望感と寒さの中で、毛布に包んだ躰
(からだ)を監房の隅の壁に預(あず)け、膝を抱えたまま、身を震わせていた。私の心は、あたかも白蟻(しろあり)に食い尽くされた住居のように、ぼろぼろに蝕まれていた。腐敗し、至る所が穴だらけだった。応急処置でどうなるというものでもなかった。修復不可能なくらい、蝕まれ、腐れているのだった。
 何て羽目になったのだ……と叱咤しても、それだけだった。無間
(むけん)地獄のように叱咤だけが繰り返されるのだった。阿鼻(あび)の底に堕(お)ちて行くのだった。


 ─────そんなとき横にいた男が、妙に躰を震
(ふる)わせ始めた。病的な震えだった。どうやら、寒さのために発熱しているらしい。そのように見えるのだった。
 私は看守を呼んだ。
 「看守!看守!」
 「何事だ!」
 看守の警官が面倒臭そうに檻の前に姿を著わした。
 「病人が出た。医者に見せてやれ!」
 「どうせ仮病
(け‐びょう)だ。この男はこの前にもこの手で、脱走を図った」
 「しかし容態
(ようたい)が悪そうじゃないか、悪寒で震えている。これは明らかに病気だぞ」 
 「今夜は担当医がない。朝まで待て」そう言って戻って行った。
 半分人権を失った容疑者の戯言
(たわごと)など、一々気にしていられないという態度であった。

 男が「えろう、すんまへんなァ、兄さんに気を遣
(つ)わせしもてェ。儂(わし)やったら大丈夫やさかい、心配せんでおくれやっしゃ」この男に、どこか人の良さを感じた。
 夜の12時を回った頃だったと推測するが、この男の様態
(ようたい)は益々酷くなって奇声を発して呷(うめ)き出した。
 私は見ていられず、「おい看守!この人の様態が益々酷くなっている。医者見せてやれ!」と怒鳴った。
 こんな私にこの男は、《構わんどってくれ》という素
(そ)振りを見せた。盛んに自分に構わないようにと遠慮しながら、私に「すんまへん、すんまへん。儂やったら大丈夫さかい。ほっといておくれやす」と仕切りに謝るのだった。遠慮気味に謝るのだった。それだけに捨てておけないのである。
 再び看守が苦々
(にがにが)しい顔をしてやって来た。
 「明日の朝まで我慢しろ。これ位のことで、人間はそう簡単に死にゃあせん」
 「何を言うか!お前は看守だろ」
 そう言い放つと、看守はムッとして表情になった。
 「……………」
 返答は抑えているようだったが、私を睨み付けたまま鋭い目を反
(そ)らさないのだった。
 「看守は被疑者の生命と人権を守る義務がある筈だ。早く医者を呼べ!」

 看守は私の言葉にムッとしながらも、ついに折れたのだった。現憲法下の“基本的人権”というやつには弱いようで、仕方なしに緊急電話から医者に連絡を取っていた。
 15分位して、医者がやって来た。診察の結果、悪性の感冒という。今日で云うインフルエンザだった。この男は此処から直に連れ出されて、二度と戻ってこなかった。
 男が立ち去ってから数時間たった。
 早朝、私も発熱したようだ。躰の震えが止まらず、満足に歩くことも、立ち上がることもできない。震えとともに身を丸めて朦朧
(もうろう)となり始めた。感染したのかも知れない。
 (このまま斃(たお)れて死ぬのもよし)と、そんな囁
(ささや)きが脳裡を疾(はし)った。

 一瞬、脳裏に山頭火の、

(しも)しろく ころりと死んでいる

 と言う、行き斃
(だお)れで、病死した旅人を詠んだ句を思い浮かべた。貧困の放浪者が、旅に果てに斃れたのだろう。
 私もそのうち、ころりと死ぬのだろうか?……そう思っているうちに、意識不明のような状態に陥った。今度は我が身に病魔が取り憑いたのだった。

 それからどれだけ時間が流れたか分からないが、気が付いた時は、何処かの病院のベットの上に寝かされていた。
 長らく夢の中で微睡んだようだ。明白ではないが、随分と夢の中に居たような気がした。
 腕には点滴が施され、鼻には酸素吸入器のビニール製のような管
(くだ)が差し込まれて、如何にも急病人の集中治療をしたような措置のとられたが窺(うかが)われた。頭が重くて身動き一つできなかった。天井を見つめながら場所を穿鑿(せんさく)していた。いったい此処はどこなのか……。

 暫
(しばら)くすると、由紀子が入って、
 「お気付きになった?」と私に訊ねた。
 また、まさかの事が起こっていた。
 私は何処に居るか、まだ把握できないでいる。何処に居るか、それが分からないのだった。記憶の時系列が完全に途切れていた。そしてこれは夢なのか。まだ夢の延長に居るのか?……。そう思うしかなかった。
 何故、由紀子が此処に居るのか。そんな混乱の最中
(さなか)にいた。
 糠
(ぬか)喜びさせる、悪い夢でも見ているのかと思った。あるいは夢の中の悪い冗談か。況(ま)して由紀子がいるなんて……。在りもしないと否定に掛かる。
 由紀子が夢の中に登場するようになったのか……、遂に来たか……という、更に悪い夢を見ているような錯覚に囚われた。それが錯覚なら錯覚でいい。幻覚なら幻覚を見続けさせてもらいたい。
 私の運命に関与する「天」は、実に味なことをするではないか。
 何と気の利いたことをするではないか。こんな夢を見せてくれるなんて。
 私の意識の中では、夢と現実が相半ばしていた。

 「此処は何処だろう?」と微睡
(まどろ)みながら訊くと、
 「此処は中央病院よ。もう大丈夫だわ、どうやら峠は越したみたいだし……」と由紀子が答えた。
 その声は割合とはっきりしていた。
 私は、もはや案ずる様態ではないらしい。
 何処で、どうなったか全く憶
(おぼ)えていなかった。しかしこれが夢でなく、確かな現実の中に居たのである。
 「今日は何日ですか?」
 「今日は一月十四日よ」
 「あなたは東京に戻らなくっていいのですか?」
 「明日帰ります。あなたが一段落したから……」
 「そんなに長いこと休んで大丈夫なのですか?」
 「でも、元気になって本当に良かったわ。少し、お眠りになったら……」こう言って、暫
(しばら)く由紀子は此処の病室に居て、私の看病をしていたようであったが、いつ帰ってしまったのか気付かなかった。
 そしてその後、彼女に会ったのは、それから二ヵ月後のことであった。
 私は結局、この入院した状態で、証拠不十分の儘、不起訴処分になった。警察と検察は、結局私を起訴するには、有力な証拠が揃
(そろ)わなかったらしい。これを私の勝利といっていいものか……。



●闘病生活

 集中治療の個室から、大部屋に移されたが、二月に入っても、この病院からは退院できなかった。安静を必要とするほどではなかったが、健康上の理由で私にはドクター・ストップが掛かっていた。
 留置場生活で体調を崩したのかも知れない。あるいは心身共の疲弊したのかも知れない。
 私はヤワだった。大した根性はしていなかった。
 収監されて、たった十日前後で、このような態
(ざま)に陥ったのであった。ヤワと云われても仕方ないであろう。

 大谷がある日、見舞いにやって来た。彼はいつもになく元気だった。私のことを心配したようだったが、至って意気軒昂だった。
 彼も、私が収監されたことは既に知っていて、道場を切り盛りしていたのである。気の利く男だった。それを訊いて随分気が楽になった。
 彼はニコニコしながら、「おめでとう御座います」という。
 「何がだ?」と、訊いてみたら、不起訴処分になったからだという。不起訴処分と云う言葉が出た以上、彼も私の裏家業に気付いたものと思われた。しかし私の裏の正体を知ったからと云って、逃げ出すような男ではなかった。男気があったのである。それが気丈にしていたのである。
 彼は言った。
 為
(し)て遣(や)ったり……と言うふうな顔で、「先生の粘り勝ですよ」と嬉しそうに喋った。その顔の奥には、私が「大した役者だ」と言わんげな、畏怖(いふ)の念が窺(うかが)われた。

 “俺は役者などではなく悪党なのだ”と云ってやりたかった。
 “お前のような善良な市民ではないのだ”とそう反論したがったが、これは敢えて口にしなかった。
 ついに勝ったという気がした。官憲との根比べと智慧比べに勝ったのだった。
 口を割らなかったことが、幸いしたのである。天が福を齎した。
 これは一つの勝利だった。
 しかし勝ち逃げである。穢
(きたない)いと言われても仕方ないが、勝ちは勝ちだった。
 世の中は勝てば官軍なのである。それまでの奮闘の過程や、努力の跡に価値があるのではない。勝つことこそが、最終勝利なのだ。先で負けても、最後に勝てるかどうかが問題である。先に勝っても意味は薄い。存在価値は後になるほど薄れる。努力した結果は世間では認められない。勝たなければ認められない。
 最終戦で勝ってこそ、官軍になれるのである。
 だが、悪党であることには変わりなかった。
 別の形で天罰が訪れるだろう。この世は作用と反作用の現象界である。必ず反作用が起こる。反作用で償わされる。それは覚悟しなければなるまい。
 その予測通り、私の躰は衰弱していた。ひと周りも、ふた周りも縮んだ。
 以前、64kgあった体重が、55kgになっていた。二十日程の投獄生活で、体重が10kg近くも減ってしまったのだ。これから回復していくように思えたが、益々体重が減り始めた。一時は食事を受けつけないため49kgまで落ちた。体調は芳
(かんば)しくなかったのである。何かに蝕まれて行くようだった。何かに啖(く)われて行くようだった。別の形で天罰が訪れているのである。その形跡があるようだった。

 世の中には作用と反作用の法則が働いている。
 自分のしたことについて、それは必ず代価を払わされる。勝ち逃げすれば、勝ち逃げした分だけ、それ相当の代価が請求されるのである。その代価請求が、いま行われているのかも知れなかった。あるいは後で大きな反動となって襲うかも知れない。それだけの覚悟は要ろう。


 ─────時々、いろんな人が見舞いに来てくれた。
 母も来てくれた。私の収監された一ヵ月位の間に、母はめっきり年老いたような気がした。不肖
(ふしょう)の息子を持つと、親はどうも老け込むらしい。白髪が一段と増えたようだ。人の子にとって、「おふくろ」と言うのは、どうも人間の“泣き処”であるらしい。

 見舞客は、多方面にわたって彩りを揃えたが、ただ、由紀子だけは来る筈がなかった。
 彼女に逢いたかったが、来れる筈もないのだと自分に言い聞かせて諦めた。
 三月も終わろうとする頃、石田が舎弟分を数人従えて、大きな花束と超特大の果物籠
(くだもの‐かご)を二下げ下げて、やって来た。私の入院していた大部屋が、ヤクザの集団で占拠されたのだ。

 ヤクザ映画顔負けの、親分への見舞いのような状態になった。恐れをなした病室の同居者は、何らかの用事を作って、鼠
(ねずみ)が逃げ出すように、次から次へと外へ逃げ始めた。御同宿の面々は蜘蛛(くも)の子を散らすように霧散した。
 大部屋の病室は、一時個室に早変わりした。
 「やあー、おつとめ、本当にご苦労やったのう。見舞いに行こう、思いながら、つい遅れてしもうて申しわかなかった」深々と頭を下げてお辞儀をした。それに釣られて舎弟衆も一列に並び、一斉に「おつとめ、ご苦労さんでした」と合唱し、深々と最敬礼した。
 「あんたは本当に偉いやっちゃのう。男の鏡やァー」と盛んに褒
(ほ)めちぎった。
 彼は私を褒めそやすというより、私が彼等の素性を喋らなかったということに感激しているらしい。私が一言でも喋れば彼等も、また選挙違反の容疑が掛けられるからである。自分の身の安泰を考えて、彼等は私を褒めそやしたに過ぎなかった。現金屋である。

 「一体、何がですか?」
 「一言も、儂
(わし)らのことを喋らんやったからのう。うちのおやっさんが褒めとったで」
 「これ少ないけど、納めといておいてくれ。うちのおやっさんからの見舞いじゃ」と言って、御見舞いと書いた祝儀袋
(しゅうぎぶくろ)を私にくれた。
 受け取らない理由もないので、黙って受け取った。この金は此処の病院の入院費に化けた。


 ─────三月も下旬になっていたが、体調は相変わらずであった。体重は、55kg程度に回復したが、まだ闘病の最中
(さなか)だった。
 外に出られない辛さと、娯楽のない病院では、毎日が単調すぎて退屈でならなかった。

 ある日、道場生の高田が、たこ焼き五パックを買ってやって来たが、食べる気がしなかったので、私の前で「全部これを食べて見せてくれ」と命令して、苦しそうに食べる彼の顔を見て楽しんだ。これは私の小心者なるが故の、残酷な一面だったのかも知れない。小心者は、他人の不幸を見て喜ぶ残酷な人種らしい。
 しかし、娯楽施設のない病院では、こんなことでもして楽しむしか楽しみがない。ついでに石田から貰った果物が残っていたので、この上に林檎
(りんご)五個を食べさせた。一時(ひと‐とき)の、久々の彼の役者的ギャグを楽しんだ。私には、こんな残酷な愉(たの)しみしか残されて居なかったのである。

 彼はわが道場きっての、宴会専門の幹事長なのである。
 私はこの男に、ただの幹事長ではつまらないので、「北部九州方面総幹事総長」という仰々
(ぎょうぎょう)しい渾名(あだな)をつけてやった。
 彼はこれを聞いて、「なんで“総”が二つもつくんですか?」と首を捻っていた。彼は道場生から「ソウチョー」と呼ばれていた。
 高田の腹は、蛇が、兎
(うさぎ)か、何かの動物を飲み込んだ時のようなボッコリとした、ボテ腹になり、彼自慢のとっておきの「一発芸」が待っていた。
 それは予
(あらかじ)め、「人間の尻(ケツ)って、真後ろから眺(なが)めると、桃の割れ目に似ていませんか?」と聴くことから始まった。
 彼がそのように訊くと、「そのように見えるかも知れないな」と返事する以外なかった。そして、彼は何を思ったのか、まだ果物籠に残っていた一個の桃を取り出し、それを盆の上に載せて、おもむろにハンカチを被せたのである。

 私は、何か手品でも始めるのかと思っていたら、ハンカチの端を、どこか艷
(なまめ)かしく捲(まく)り上げ、まるで女性のスカートを捲るように「ケツ!」と一声発したのである。
 私はこのギャグに一瞬戸惑たが、何故彼が「人間のケツって、真後ろから眺めると、桃の割れ目に似ていませんか?」と訊いたことがはじめて分かったのである。そう言えば、そうだと思い当たったからだ。
 この一発芸は、周りにいた同居者たちをも巻き込んで、大いに爆笑させたのである。御同宿たちにも受けが良かった。
 この他愛もない一発芸をかませて、私を喜ばせた後、宴会専門のソウチョーはボテ腹を抱えて帰って行ったが、その後、彼は更に大爆笑の一発芸を次から次へと編み出すのである。宴会係としては打ってつけだった。人間にはそれぞれに才能があるものだ。

 彼の考案したこの一発芸は、酒に酔い痴
(し)れて、意識が朦朧(もうろう)としている時に、引き合いに出される「無礼講」の時だけに通用するものである。それ以外は、(はばか)られるのだ。
 素面
(しらふ)のときは、一瞬躊躇(ためら)われ、流石(さすが)に万人向きではない。恥ずかしさも付き纏い、赤面する。非常に下品であるからだ。
 だが、この下ネタの下品さが、酒の席では受けるのである。酔えば上も下もない。この辺は平等に人間に内蔵されている。内蔵されているものを知らずに過ごすのも人生だが、これを引っ張り出して惹き合いに出すのも人生である。

 さて、その一発芸。
 その一発芸は、二人の男が客席に対して、まず最初深々とお辞儀をする。
 次に、くるっと180度回転して、また床の間か、神棚に対して深々とお辞儀をするようなポーズを見せ、ここで一旦間を持たせるのである。
 二人を見ている客席側は、一体何が始まるのだろう?……と充分に期待を持たせ、勿体をつけるのである。この「勿体をつける間」が非常に重要なのである。じらすのがミソ。
 そして“何だろう?”と訝
(いぶか)しい貌(かお)でこれを見ていると、いきなり二人はズボンを脱ぎ、尻を出して、それぞれが大声で「すもも!」「毛もも!」とやらかすのである。何とも下品な、バカバカしい下ネタを題材にしたものであった。
 これは決して女性の道場生の前では遣れないものであった。絶対に恥ずかしい。実にバカバカしい、一発芸を思い付いたものである。
 要約すれば確かに、尻の毛が一本も生えていなければ、それは桃に見立てて「すもも」であろうし、毛むくじゃらの尻では「毛もも」に見えるだろう。こうした下品な一発芸を編み出したのである。
 見ている方は、この下品さに爆笑するであろうが、遣
(や)っている方は、絶対に素面(しらふ)では遣れない一発芸である。何よりも、これをやるには人格を捨てなければならない。「われ」があってはできない。しらふでは憚(はばから)れるものである。
 無礼講に限り、宴会の席全体が酔い痴れた状態に陥らなければ、流石に身を引く一発芸であった。
 宴会専門のソウチョーは自分の道場での腕を磨くより、一発芸の“芸”を磨いていた。彼は“下
(しも)”の芸道に励んでいたのである。腕の方はさっぱりだったが、一発芸には益々磨きがかかっていた。


 ─────そうこうして毎日を送っているうちに、少しづつ元気になっていったが、元気になると困るのが性欲の抑止方である。
 毎日、朝、自分の一物が熱
(いき)り立ってしょうがない。天を突くようになっていた。怒張は恢復(かいふく)の兆(きざ)しだった。過剰な欲求が、現実と空想の間を行き来する。
 この日も丁度いいところにソウチョーの高田が来たので、エロ本を買わせに行かせた。彼は手当り次第に選んだと思える、十冊程の表紙の派手なやつを買ってきた。
 表紙が派手な割りには、中身は実につまらない。それでも無いよりはマシだと思って、四流五流の記事を読み更けった。

 親しくなった看護婦からは、いつも、「嫌らしい!」とか、「変態!」とか、罵倒
(ばとう)され、変態視される程、この病院では風紀を乱す不貞な入院患者として悪名が高くなっていた。そして全てが、順調に恢復(かいふく)しているように思われた。
 露骨な言葉で、顔馴染の看護婦たちをからかった。頭の中が、女のことで一杯になり、寝ても覚めても女体がちらつく。頭は単純化され卑猥
(ひわい)な空想に汚染されていた。
 やがて空想の悉々
(ことごと)くが、あたかも久米仙人(くめ‐の‐せんにん)の失態ように、清らかな瀰漫(びまん)から一挙に墜落して、そんな色香(いろか)に惑わされるような、露骨(ろこつ)一色になっていた。
 私の脳裏には、久米仙人が見た、あの、女の太腿
(ふともも)が支配し始めていたのである。女の脚は妖怪なのである。これに見入られると恐ろしい。
 そして、その露骨を引き裂くような事件?が起こった。それは珍事件と云っても良かった。

 三月の医師国家試験受験
(当時は)を終え、六月の合格発表までの三ヵ月のブランクの間、此処の病院に、由紀子がインターンとしてやって来たのだ。
 【註】現在は医師国家試験の受け付けは、二月に受け付け、三月に試験、四月に発表である)
 わが国における医学者のインターン制度は、昭和21年に導入されたが、一旦昭和43年には廃止されていたので、彼女の場合、インターンというよりは、この病院の無給で医師見習いをする医局員というような形になるだろう。



●退院

 私は、彼女がこの病院にやって来た事を、全く知らなかった。
 顔馴染の看護婦を、冗談と露骨な言葉でからかい、馬鹿なことを言って、下品な色情狂いとなっていた。
 露骨一色の坩堝
(るつぼ)の中で喘いでいた。それ以外することがなかったからだ。
 毎日を卑猥
(ひわい)な動物のような状態で暮らしていたのである。
 日増しに色に狂い、軽薄の一途を辿る馬鹿な人間になっていた。それは久米仙人
(くめ‐の‐せんにん)の比ではなかったろう。久米仙人も私を見たら呆れるだろう。

 この日はいつものように、表紙の派手なエロ週刊誌を読んでいた。表紙は実に派手であるが、中身はその期待を裏切って、極めて落胆させる、例の拍子抜けする駄作のアレである。
 この時、運悪く此処の病院に由紀子が白衣を着て現れた。
 そんなことは露程
(つゆほど)も知らず、何処にでもあるその手のバカバカしい有り触れた、別に驚くに値しない猥褻(わいでつ)な記事を読みながら、「うあっちゃ〜、嫌らしかァー」と独り言の博多弁を云いながらニヤけていていた。例の如く一人芝居を演じていたのである。自作自演で、日々の退屈を凌(しの)いでいたのである。まさに馬鹿丸出しだった。

 表紙だけが派手で、中身がその期待を裏切って、派手でないのなら、せめて私だけでも派手を装って、迫力のない記事に力をつけて盛り上げるしかない。こんな下らん記事が、よく書けるものだという言う感想に添えて、期待外れのピンク週刊誌編集者への負け惜しみをぶつけていた。
 週刊誌で顔を覆って読んでいたので、誰か人が立っているとは思ったが、その白衣からして、いつもの看護婦だろうと思って、例の如く、知らない振りをして惚
(とぼ)けていた。その時、この静けさを裂いて、突然声がした。この声には、流石(さすが)の私も慌(あわ)てざるをえなかった。

 「あなたって、嫌らしい本を読むのねェー!」由紀子の恐ろしく尖
(とが)った声であった。
 (アレっー)その言葉を云う間もなかった。この奇襲のびっくり仰天した。
 それは突然であり、全く予想していなかった私の油断を突いたものだった。この声で反射的に週刊誌を放り上げた。
 エロ週刊誌を読んでいる最中に、自分に気がある女から突然声をかけられ、咄嗟
(とっさ)の行動として、これ以上の方法が他にあるだろうか?

 由紀子が仁王
(におう)立ちになっている。
 軽い苛立ちにも似た表情が彼女に漂っていた。こんな時は一言も出てこない。私は拙
(つたな)い現場を見られた現行犯なのである。こんな時、言い訳をして、これにとりつくには案外難しいものだ。実にタイミングが取りにくい。現行犯としては、全く弁解の余地もない。もう、逃れられないのだ。
 況
(ま)して相手が、男の細やかな楽しみ事を理解してくれない女だったら、差し当たり、これをどう恰好付ければいいのだろうか?

 私は、間の悪さを隠す術
(すべ)を知らなかった。
 私は無言でいた。
 同室の同胞たちは、何の助け船も出さず、私の痴行
(ちこう)を、口に手を一杯に覆って、くすくすと笑を燻(くすぶ)らせていた。ご同胞たちは、これから起こるであろう、悲劇の結末を楽しんでいるのだった。周囲からこうした嗤(わら)いが洩れていた。
 由紀子の顔は微かに笑っているが、その真意は怒りのようなものが漂っていて、実に不気味だった。顔は笑って、眼は三角だった。
 (ヤバイなァ、これは)と私は思った。
 この予感は的中した。
 ベットの下にあるエロ本が、一冊残らず見つけ出され、由紀子によって抱え出された。それを同室の同胞たちは、気の毒そうな目?で見ている。誰もが、今からどういう事が起こるか、固唾
(かたず)を呑んで見守っていた。

 「どうなさったの、これ?!」
 由起子の手によって一冊の雑誌が取り上げられた。なにか穢
(けがわ)らしいものでも、指先で摘(つま)むように、私の面前に突き立てた。
 これには頭を掻
(か)いて、何か言い訳をしなければと思ったが、そう簡単に出てくるものではない。何しろ現行犯逮捕だからだ。言い逃れができない。抗(さから)うことの出来ない証拠を突きつけられたような気持ちに陥って、私は苦笑いに顔を引きつらせながら、
 「いや……そのッ……、そこの隣の人に借りました」と指を指し、往生際
(おうじょう‐ぎわ)の悪いことを云った。
 この返事に彼女は、
(万事知っているのよ)と言わんばかりの顔で、
 「嘘でしょ!」と、声を昴
(たか)ぶらせてやり返した。1オクターブ、声が裏返っていた。
 彼女のこの一言で、大部屋203号室は大爆笑の渦に包まれ、御同宿の中にはベットから転げ落ちる馬鹿笑いした者までいた。退屈で娯楽の少ない入院生活は、ナマでこうしたドタバタ悲喜劇が演じられるので、これこそ最大の娯楽だった。滅多に見られるものではなかった。
 由紀子の眼が鋭く炯
(ひか)る。彼女の眼光は炯々(けいけい)と、といっていいほどだった。まさに監視の眼であった。
 私は蛇に睨
(にら)まれた蛙(かえる)であった。後は呑まれる以外なかった。
 この事がまた、将来、私が彼女から尻に敷かれる原因を作ることになる。ベットの上に正坐して、有り難いお説教を聞く羽目になった。頭を垂れ、神妙に聴かされるのだった。蛇に睨まれた蛙は、有り難いお言葉を長々と拝聴するのだった。


 ─────とうとう、大部屋203室は、これから清潔一色となるのだった。
 部屋にあったエロ本というエロ本は、彼女によって完璧に撤収
(てっしゅう)整理され、入院病棟に本を持ち込む際は、部屋の全員が、一々彼女の検閲(けんえつ)を受けなければならないという事態になった。私のお陰で、他の入院患者も、とんだ飛ばっちりを食ったものだ。

 当時、検閲によって、彼女が合否判定を下した書物を分析してみよう。
 合格したものとして、基準は色が絡んでいなければ何でもいいのである。文藝春秋、週刊新潮、朝日ジャーナル、諸君!、山と渓流、旅と歴史、NHK英会話、四柱推命学、月間太陽、趣味の園芸、金魚の飼い方、毛沢東語録etcなど、女の裸が一切出てこないものに限られた。
 不合格だったものは、週刊実話、プレーボーイ、薔薇族
(この病室の中にも、その方面の同好者がいたらしい)、朝日フォート(ヌード写真があるのでバツ)、猟奇物語、うわさのチャンネルetcなど精神的肉体的不健康なもので、これらは即ゴミ焼き場直行となった。

 誰かが病院長にこのことを告げ、撤回
(てっかい)するように求めたが、逆に由紀子から逆螺子(さか‐ねじ)を食らわされて、悪書摘発?の検閲が、病院上げての合法的な習慣行事となり、当然の如く実施される事になった。戦中のファシストの思想検閲並みの取り締まりに、同胞の入院患者達は舌を巻いた。
 しかし私は同時に、ある種の満足感に浸っていた。それは由紀子が病室に花を活けてくれる事であった。

 「素敵ですね」と声をかけると、彼女は顔を輝かせて「でしょう?」と返事を促すのだった。
 その活け方が、何かの流儀を顕
(あら)わすものかのか、否かは分からないが、しかし定石に添って活けられたようにも思われる。私は寧(むし)ろ生け花のことより、毎日彼女が此処に来て、花を活けてくれるというのが嬉しかった。
 彼女は勤務中の時は母親じみた、あるいは“姉御
(あね)さん”じみた態度をとり、非番で遊びに来た時は、何処か甘えたような、少女のような態度さえ見せた。そしてその落差が余りにも極端ななのであった。

 私は曾
(かつ)て、鉄棒から落ちて足を怪我し、入院したことがあったが、あの時見舞に来てくれた由紀子と、今の由紀子を重ねて見ていた。そして陶酔のようなものを屡々(しばしば)感じ、今までの心の空虚の中に彼女が入り始めていたのに気付くのだった。
 彼女は何故、私に世話を焼くのだろうか、それは一種の隣憫
(りんびん)と同情のためだろうか。
 あるいは……と思いかけて、それでやめた。


 ─────それから数週間後、私の退院の日が来た。
 同胞達の居住する大部屋203号室の人達に、私がして遣
(や)れたことは、せめてもの健全で、清潔な療養生活の切っ掛けを作ったことぐらいであろう。決して、彼らはこのことを、心の底から有り難いこととは思わないだろうが……。
 兎
(と)に角(かく)これで、私をくすくす笑い、あるいは爆笑した、この部屋の同胞達に、細やかな恩返しができたわけである。幸か不幸か、それは私の知るところでないが……。



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