運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
旅の衣・前編 1
旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
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旅の衣・前編 13
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旅の衣・前編 17
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旅の衣・前編 24
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旅の衣・前編 31
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旅の衣・前編 23

人間の肉体の中で「舌」と言う箇所がある。
 だが、この舌をよく考えると、舌ほど狡く、また恥知らずな部位はない。もし、舌を完全に制御できる人が居たら、その人は既に成人の域に到達した人であろう。少なくとも非凡に域に達した人といえる。


●根比べ智慧比べ

 収監の日々が続いた。取り調べも受けた。
 写真も撮られた。しかしこの時、さすがに野仲のように、「はい、チーズ」とは言えなかった。
 指紋、手形、写真、前科歴を確認された後、護送車でT警察署の中にある特別留置場に護送された。
 そこに着くと、看守の警官が全ての金銭、時計等の貴重品、ベルトや紐
(ひも)のようなものは全部取り上げてしまう。ベルトや紐(ひも)の類を取り上げるのは監房内での自殺を防止するためであるらしい。取り調べ途中で容疑者に自殺されては、世間から避難も浴びるし、留置所を総括する署長責任にもなるからである。
 金銭、時計、その他の貴重品を袋に入れて、自分で封をして、左手の“人差し指”で割り印を押す。貴重品簿にも署名、拇印を押す。履物も一旦留置所内の保管庫に仕舞われ、此処では監舎用の薄いビニール製のスリッパに履き替える。

 この留置場の監房の中には、既に先客がいた。
 当時流行の長髪で、二重瞼の痩せ型の40歳位の男であったが、その男の眼は茶色で、疑い深く、刺すような目付きが何処となく根っからのワルを思わせた。しかし大物ではない。小悪党である。その目付きは小悪党の眼だった。俗にいう“犬目”である。
 茶色の眼である。おどおどとした眼である。狡猾
(こうかつ)な眼である。そして、それは既に濁(にご)っていて、決して優しくなかった。

 「兄さん、何やらかしたんかねェ?」
 入ったばかりの私に、気楽に声をかけてきた。黙っていることもないと思って気軽に返事した。
 「選挙違反の重要参考人です」
 「重要参考人ということは、容疑者ということか?」と傲慢
(ごうまん)に畳み掛けてきた。
 それはまた《お前が、間違いなく100%真犯人だろ……》と云わんばかりの言い方であった。
 「……………」
 それは的を得ているだけに、この男の云う「容疑者」という言葉に一瞬狼狽
(ろうばい)した。私は被疑者なのだ。犯罪の容疑を持たれているのである。脳裡には、容疑者イコール真犯人という図式が成り立っていたからである。
 「そうか。儂
(わし)は強盗じゃ」と、一見根性の据(す)わったような態度をちらつかせ、それを自慢そうに言った。此処への留置も、今回が初めてではないらしい。
 こんな所では、犯罪にもランクがあって、殺人や強盗の容疑者は、留置場内で幅を利かす。それに比べコソ泥や強制猥褻
(きょうせい‐わいせつ)等の痴漢の類(たぐい)は、軽犯罪法の適用に落ち着く者は馬鹿にされる。
 私はそのどちらにも着かない位置にあるらしい。選挙違反が重いか軽いか釈然としないからだ。

 傲慢
(ごうまん)に、「強盗だ」と云い放ったこの男は、扉の無い便所に立ったが、そこから戻ってくると、やがて毛布を被って転がるように寝た。
 この男が「強盗だ」といった言葉がいつまでも耳に残った。そしてふっと、この男の歩き方に気付いた時、「おや」と思った。
 跫音
(あしおと)を立てずに歩く、あの歩き方は、果たして凶悪犯罪にランクされる強盗の歩き方だろうか、とそのような穿鑿(せんさく)が趨(はし)った。あの歩き方は強盗というより、コソ泥のそれではないか。この男は、度々このような場所の世話になっているに違いない。留置所に犯罪ランクのあることも熟知していると思われた。
 そのために、ちんけなコソ泥の分際でありながら、強盗と息巻いて、私を威圧したかったのかも知れない。

 だが、世間には某
(なにがし)かの犯罪が存在する限り、実はこの男のような臆病風に取り憑(つ)かれている男が、意図も簡単に人を刺したり襲ったりするのだ。強盗だ、といった、この男の言も、満更(まんざら)嘘ではあるまい。
 しかしこんなことは、私にはどうでもいいことであった。が、このような状況にありながらも、人を観察する観察眼が未
(いま)だに衰(おとろ)えていない自分に苦笑せずにはいられなかった。やはり、何処に居ても人を観察しているのである。

 監房の壁の上の方には小さな窓があり、そこに鉄格子が嵌
(はま)っている。部屋の広さは六畳程で、便所には扉がなく、床はビニール製の柔道畳のプラスマットが寒々と敷き詰められていた。ここには暖をとる火のようなものは一切ない。廊下に面した側は、太い鉄格子が嵌っていて、何処からともなく、隙間風(すきま‐かぜ)が吹き込んでくる。そして、その隙間風が、わが身が囚われの身であることを再度認識させるものであった。
 何度、留置場の監房に来ても、「ブタ箱」とはよく言ったものだと、その言葉の語源に感心する。
 そして私も、このブタ箱の中で、この日は寝た。寒々とした落日であった。何処からとも吹き込んで来る隙間風に身を震わせる落日であった。
 この落日は、私の没落を暗示しているような落日に思えるのだった。

 今日の、この日までに至るまでの反省は、困窮する生活を支えるために、選挙ブローカーに身を窶
(やつ)したことだった。矛盾に満ちた卑しい私心が、実に情けなかった。
 濡れ手に粟
(あわ)の暴利の欲に取り憑(つ)かれ、無態(ぶざま)な自分の醜態が情けなかった。そして、こうした醜態を曝(さら)しつつ、然(しか)もそれで糊口(ここう)を凌(しの)ぎ続ける自分が情けなかった。
 こんなことが正義である筈
(はず)がない。収監されている事態が、それを物語っていた。これでは、ただの金で買われた政治屋の飼い犬ではないか。

 僅かな金の力で、動かされているような人生では、自分の一生に誇りがもてないではないか。自尊心すら、金で売った観があった。
 魂を金で売ったのだった。その反省は深い。
 金の奴隷に成り下がっていたのだ。これを責められても仕方ない。大局的に検
(み)れば、国を売る売国奴と似たり寄ったりだった。利敵行為を働く売国奴と罵(ののし)られれば、それは否定することが出来ない。決して人のことは言えなかった。
 そんな自縄自縛
(じじょう‐じばく)に襲われ、自分を叱れば叱る程、段々惨めになった。そんな反省が、頭の中を交錯(こうさく)し、それが空転して、更に、一層の悲壮感(ひそう‐かん)を加速させるのであった。


 ─────次の日は、夜の寒さで熟睡できない儘
(まま)、朝を迎えた。不快な目醒めだった。
 時計は既に保管されていたので、はっきりとした時間は分からないが、辺りはまだ暗かった。午前6時前後ではなかったろうか。
 落ち着かない心境の中で、微睡
(まどろ)みと、寝苦しい寝返りとを交互に繰り返し、その狭間(はざま)を行き来しながら、寒さで寝つかれない感想を持った朝であった。小心なるが故だろう。これだけで、もう心身はかなり疲弊(ひへい)していたのである。
 こんなことで長丁場を乗り越えられるのか、と自責するのだった。先はまだまだ長い、と自身を叱咤するのだった。

 鉄格子
(てつ‐ごうし)の向こうの廊下側の電灯が、まだ薄暗く絞(しぼ)られて灯(とも)されていた。寝苦しい目醒(めざ)めは、起床とともに悪夢を思い出させ、天井のコンクリートの滲(し)みを、呆然(あぜん)と眺(なが)めならがらの呪(のろ)われた目醒めであった。
 夢の中の悪夢は、眠りから覚めても、それは延長されていた。疑心暗鬼を掻
(か)き立たせ、心を陰鬱(いんうつ)に陥れて、不安と恐怖が共鳴し、無限に膨張する何かが私の心を騒がせていた。そして此処は「悪夢」という名の牢獄(ろうごく)であった。娑婆(しゃば)から隔離された世界だった。
 その時、房の奥から「点呼!」という大きな声がかかった。
 房
(ぼう)に繋(つな)がれた者は、ゴソゴソと床から出し、直ぐさま毛布を畳み、廊下側の鉄格子に向かって正坐(せいざ)しなければならない。
 点呼の時は「正坐」と決められていた。巡回中の看守から氏名を問い掛けられたら、大きな声で「はい」と返事をしなければない。

 朝7時丁度に朝食が出された。
 当時、学校給食用に使われていた真鍮
(しんちゅう)か、アルミ製のアルマイトという軽金属製の食器茶碗に「麦4」対「米6」混じりの飯がつがれ、その上に沢庵(たくあん)が二切れ載り、それと味噌汁と、冷えてしまったお茶が添えられていた。
 これはグルメとは言い難いが、この「麦」対「米」の配合は、中々絶妙なバランスである。
 麦4に対し、米6と言うのが、この絶妙さを維持しているらしい。
 俗に刑務所は、胃腸病院であるとも言われている。

 この根拠は、食事の際の「麦」対「米」の巧妙な配合にあるらしい。公費節約と言う意識が受刑者の胃腸に貢献しているという訳である。これはまんざら嘘でもないようだ。
 胃腸病に悩まされていた受刑者は、刑務所の食事をすることで、病気が治ったという話が数あるようだ。
 しかし、警察の留置所では刑務所のような食事は余り期待できない。取調べ時間も不規則だし、刑務所のように決まった一日のメニューがあるのでない。多くは、外からの出前である。あるいは署内の調理場で、特別に雇われた老婆の料理人が気ままな食事を作っていた。これが刑務所に比べ、留置所の食事の落ちる理由だった。刑が確定されておらず、容疑だけで収監されているからだ。不規則であることも仕方なかった。

 この時、ふと死刑囚のことを思い出した。
 何かの本で読んだことがあるが、昭和30年代の死刑ラッシュの時、死刑執行の日の朝には沢庵
(たくあん)が三切れ載っていたという。その日に刑の執行を受ける死刑囚は、「生」に執着するあまり、ろくに食事が咽喉(のど)を通らなかったと書かれていた。
 世間で云う、「沢庵三切れ」が縁起の悪いとされたのは、これに由来するらしい。
 私の茶碗に載っていたのは、二切れであった。どんなに最悪な状態になっても、死刑にだけは免
(まぬが)れるという変な安心感があった。第一まだ刑すら決まっていない。罪状も不明である。裁判も受けていない。不安定な身の上だった。
 だが先客の男は、レシピ不明のその食事を待ちかねたように貪
(むさぼ)りついていた。
 私は食欲がなかった。一口だけ食べて、後はそのまま残した。

 それを見た、先客の男が、
 「兄さん、その飯
(めし)食べんのなら貰ってもいいかね?」と訊いたのだった。
 「お望みならどうぞ……」と言って渡したら、喜んで食べた。
 その食べ方はガッツいていて、食器のアルマイトの底まで削
(けず)りとってしまうのではないかという食べ方であった。味噌汁が多少辛めであるのか、この男は看守を何度も呼んで、「おやっさん、お茶くんねい」と言って、看守の警官を鉄格子の前に呼びつけていた。

 留置場では、看守の警察官を、「おやっさん」と呼ぶ。
 この“おやっさん”の階級は留置所勤務の巡査であるが、これが警察機構の最下位に属しながら、留置された容疑者には中々手強
(てごわ)い存在であった。
 そして、この“おやっさん”の胸三寸
(むな‐さんずん)で煙草や身内からの差し入れが決められるのである。容疑者の態度が大きかったり、ふてぶてしいと、これらのものは容易に手許(てもと)に届かない。届いたとしても、食べ物であれば腐っていたり、着替えの下着などの差し入れは、何処かで故意に汚されて届くらしい。
 また“おやっさん”は、房を巡回中、ご希望とあらば少々の時間だが、世間話の話し相手にもなってくれるのである。刑務所と違って、のんびりとしたものだった。

 面会は、警察で48時間、検察庁で24時間の拘束時間が終わらなければ許されない。手紙を書くことも、電話をかけることも一切禁止される。外部とは一切遮断され、完全に隔離されてしまうのである。
 食事が終わった後、再び護送車に乗せられ、Y警察署に連行された。
 Y警察署は、留置場が改修工事のため、このような面倒なことをして護送を繰り返していた。取調室に着くと、再び長々と同じ調書が取られる。

 私は取調官が犯行の核心を突いてくると、貝のように口を閉ざし、その頑
(かたく)な態度を崩さなかった。それがまた取調官の機嫌を損(そこ)ね、何度も悪態をついた厳しい罵声(ばせい)が飛んだ。
 沸
(にえ)をきらした取調官は、苛(いら)付いた様子が隠せない儘、間を置くためであろうか、それとも“突っ込み”の糸口を変えるためであろうか、訊(き)きもしない誰かの身の上え話しを始め、私に煙草を一本勧めた。
 喫煙の習慣がないというと、少し不機嫌そうな様子を見せながら、元の煙草箱の中に戻し、しんみりと身の上話しを始めた。
 しかし今日では、このような煙草等の、物を勧める行為は“利益誘導”になるため、原則としては絶対にやらないようだ。
 したがって、テレビの刑事ドラマなどで、取り調べの最中、容疑者に煙草を奨めたり、カツ丼や、その他の食べ物を奨めることは絶対にあり得ないのである。公費の無駄遣いを指摘されるからだ。
 ただ、1970年代は煙草を奨める程度の、「人情泣き落しの策」はよく使われていたようだ。

 口を割らせることに手慣
(てな)れたこの取調官も、どうやら私には“お手上げ”のようであった。
 取調官は自白術の手練である。自供に追い込む独特に術を習得している。
 だが私に関しては、今まで使って来た通り一遍
(いっぺん)の、他の容疑者と同じような遣(や)り方では落せないと思ったのか、今度は紙と鉛筆を私に押しつけ、手に嵌(は)めてあった手錠を外し「暫(しばら)く待ってやるから、これにお前の犯行を正直に書け。きっとだぞ!」と念を押して取調室から出て行き、何時間もそのまま放置された。
 これは一種の心理作戦のように思われた。
 こうした中、容疑者はこれまでの過去の事をいろいろと回想するらしい。そして、その後の自分の身の振り方を、どのようにしたらよいか、一通りの損得勘定に則って、身の処し方を決めるらしい。
 そのために、情状酌量
(じょうじょう‐しゃくりょう)を狙って、これまでの犯罪の一切を吐露(とろ)し、自分の裁判での立場を少しでも有利なものへと画策するらしい。それは特に刑事裁判に於ては、裁判官が被告人に有利な情状を酌みとることあるからだ。少しでも有利に働くよう、損得を天秤に掛け、しても居ないことまで「自白」という形で誘導されてしまうのである。
 私も過去の事が、何度か断片的に脳裡
(のうり)を交錯した。

 私の座ったテーブルの前には、幾つかの未解決事件の発生日時と事件名が記入されたファイルが山積みされていた。取調官も、余罪で検挙する場合、余罪の方から攻める事もあるのだ。そのための、一時退室であったのかも知れない。それは間を取るためだった。巧妙に計算された心理作戦だった。
 余罪ファイルを検
(み)ただけで、しても居ないことまで自白するという誘惑と、格闘しなければならないのである。実によく出来た心理作戦だった。私も御多分に洩(も)れず、その誘惑と闘っていた。

 夕方の5時近くに再び戻って来て、私が何も記載していなかったのを見ると、机を叩いて烈火
(れっか)の如く大声で怒鳴った。そして「時間切れ」となり、昨日と同じような時間帯で、再びT警察署の留置所に護送されて帰って来るのである。
 この日は、護送されて帰って来た時間が早かったので、夕食は此処で取ることになった。
 麦飯混じりの飯の上にカツ丼の具が盛られていた。豚肉を包んだ小麦粉の衣は、下手な調理で酷
(ひど)く焦(こ)げ、味は極めて不味(まず)かった。食材選びやレシピの手順が間違っていると云うより、砂糖と塩を間違えたのではないかと思う位に食えない味だった。
 更にその不味さに拍車を掛けたのは、それが冷えて、脂分がゼラチン状に凝固していることだった。一口、口に入れると、不味さに加えてくどい味がした。油脂に混じって安物の食品添加料が使われているのだった。官費でまかなっていると言えばそれまでだが、なにやら丸ごと脂肪の固まりを食わされているようで、見るだけでも食欲は減退するのである。私は半分食って、後は残した。

 これを見た昨日の男が、
 「兄さん、それ、もう食べないの?貰っていいかなァ」と催促するのだった。
 「いいですよ、どうぞ」
 男は常に腹を空かせている様子であった。空きっ腹に不味いもの無しである。見るからに育ちが悪く、片方を立て膝のまま貪
(むさぼ)りついて、掻き込むような箸(はし)使いで食事をしていた。そして、この日も終わった。


 ─────次の日は、朝の食事が終わって暫
(しばら)くすると、検察庁の私服を着た警務官のような大男が二人きて、私をF検察庁K支部に護送された。大層な護送であった。
 私の手に手錠を掛け、腰縄を掛けるのである。そして全く逃げる気配のない私に、両脇からカッチリと組付いた。強引に組み伏せるという感じだった。
 その不快感に身をよじると、更に強く抑え込むように組付いて来た。その不愉快で何ともいえない違和感は私を苛立たせた。
 おそらく柔道で鍛えた腕力と思われた。役所ではアマチュアの重量級の選手であるかも知れなかった。それだけに違和感は益々エスカレートするのだった。
 ふとこうした、強い組み付きも、果たしてこれまで会得したと思える「合気」で、振り解
(ほど)けるか、そしてこれから脱出できるか、そんな途方もない事が一瞬脳裡(のうり)を翳(かす)めた。
 もし、柔剣道で鍛えた警察官の猛者にこれが出来れば、今まで教わった「合気」は真物
(ほんもの)となる。毎日、驚異的な練習をする大相撲の力士やプロレスラーすら、“外し”“去(い)なし”かつ“倒す”ことが出来るだろう。

 よく、大東流や合気道の演武会などで数人の素人の観客を舞台に上げ、演技者の師範が「合気」と称して、数人相手に技を掛けることを遣ってみせるが、あれは相手が素人であるから、それらしい技が掛かったように見えるのである。
 実際には、柔道や相撲、アマレスなどで鍛え抜かれた相手であれば、“微動だにしない”ものである。
しかし、この「微動だ」にしない相手を外すことが出来たら、それは本物であろう。
 果たして外せるか。
 護送される途中、一瞬こんな途方もない事を考えたのである。しかし、それは行動にならなかった。
 一先ず控えることにした。

 私が抗
(あらが)う度に連行者は腕を捻ったり足を踏んだりして、盛んに服従を強制するのである。連行者二人が自分らの型に、私を嵌(は)めようとしていることは容易に分かった。多くの容疑者達が、こうした強制に服従したのであろう。一種の屈辱(くつじょく)であった。私も彼等二人に、服従し、平伏(ひれ)されなければならないのか。そういう屈辱を感じながらの連行であった。
 連行に罪の軽重はない。
 万引きのような軽犯罪でも、複数殺しの残忍な殺人犯でも、扱いは同じである。手錠に腰縄である。そのうえ両脇から押さえ込まれるような圧力を受ける。この圧力が不快感を感じるのである。何ともいえない違和感を感じるのである。
 こうした時、これを撥ね返そうとして、反射的な動きが出る。私も例外ではなかった。凶悪な殺人犯のような扱いをされて、不快感は絶頂に達していた。
 思わず「撥
(は)ね臂(ひじ)」の技を使っていた。臂で両脇の二人を撥ね返すのである。
 両脇をカッチリと掴まれながら連行される途中、反射的に無意識に、「撥ね臂」の技が出てしまった。
 二人の大男は、撥ね飛ばされて、前につんのめった。あわや顛倒
(てんとう)という状態になった。

 「貴様、抵抗するか!」
 両脇の一人が、大声で怒鳴った。
 「私は官憲の暴力を避けただけだ」
 「なんだと!」
 怒鳴った大男が声を荒立てたが、もう一人が「まあまあ」と宥
(なだ)めように制したのだった。
 それでも怒鳴った大男は、「後でこっぴどい目にあわせてやる。覚えていろよ!」と、また撥ね返され、顛倒しそうになったことを恨みに思っていた。
 官憲と雖
(いえど)も人間である。
 人間である以上喜怒哀楽の感情は持っている。一般人を見下す感情もある。それが、虎の威を借りて、つい傲慢になることもある。
 ところが、宥
(なだ)めた方は違っていた。
 「お前、面白い技、使うな。それ、どこで習った?」
 「いや、そういう者ではない」
 私はその質問を避けたのだった。

 狭い取調室に連行された。そこには検察官と筆記官の二名の男がいた。検察官が正面の机に座し、筆記官が脇の机に座していた。幾分机の大きさに、階級別の差が現れていた。
 検察官の取り調べは、警察の取調官の比ではない。
 尊大であるばかりでなく、融通
(ゆうづう)もきかなければ、また人情味も温情味も無く、こうした人情の機微(きび)の配慮の無さは、遠く警察官には及ばない。一般に想像する以上に恐ろしい。これこそ国家権力の象徴であった。

 司法資格
(司法権の行使に関与する立法・行政資格者で、裁判官をはじめとして、検事や弁護士がこれに入る)を持つ彼等は、頭脳の構造が他の法律関係者と些(いささ)か違うためか、話術での脅迫と拷問(ごうもん)が、実に巧みである。憶(おぼ)えがない等と空惚(そら‐とぼ)けると、皮肉たっぷりの激しい罵声(ばせい)が飛ばす。容疑者に人権など全くないのである。
 惚
(とぼ)ける度に、何度も誘導尋問(ゆうどう‐じんもん)のような質問方法で切り返して来て、自らの培ったこれ迄の個人的な人格を潰(つぶ)しにかかる。既に罵倒により、容疑者の人格の破壊が始まっていた。
 罵り、侮辱
(ぶじょく)し、軽蔑の限りを尽くして、汚らしく、頭ごなしに「お前」という。
 検察官の遣う場合“お前”は、明らかに人を見下す階級的・人格的底辺を揶揄
(やゆ)する「目下(めした)」の意味を持っていた。

 「そこに座れ」
 検察官が傲慢に言い放った。
 私を連行した大男の一人は、そばで監視役として脇で待機し、もう一人はドアの外で待機していた。おそらくこうした配置も、逃走を防止するための取り調べの手順として定めているのであろう。
 私を連行した多いとこの一人が、検察官のところに行って耳打ちするように何かを囁
(ささや)いていた。そしてその後、検察官は私に、キッとするような鋭い目を向けた。
 「お前、連行中の抵抗したそうだな。これは公務執行妨害である!」と言い放って、机の上を掌でバーンと叩いた。告げ口されたのだ。
 「撥ね臂」の技が無意識に飛び出したことで、これ自体が咎
(とが)められたのだ。故意ではなかったが、無理矢理抑えられたことへの反動が起こっただけのことだった。屈辱を受けたことの単に軽い反動であった。
 これが公務執行妨害で咎められたのだった。しかし考えれば、全くの言い掛かりだった。難癖だった。

 「後でこっぴどい目にあわせてやる。覚えていろよ!」と怒鳴った男の恨みの言が、言葉通りに実行されようとしていた。
 蒸し返すような訊き方をされ、それまでもが調書に事細かに記載されたのだった。それを私の口から聞き出すのでなく、連行した男の言が証拠として、一方的に記載されるのだった。不条理この上もなしだった。
 そして長々と喋られた後、今度は私自身に選挙違反のあったことの検事調書が作られることになった。
 気の遠くなるような浩瀚
(こうかん)な検事調書は、安易な逃げ場を許さない。

 告白したことが事実であろうとなかろうと、法的権力階級の描いた表現能力に劣っていれば、新たに「反省の色なし。情状酌量
(じょうじょう‐しゃくりょう)の見込みなし」という冷たい烙印(らくいん)が押されてしまう可能性があるのだ。罵倒されても、自分を失わず、耐えるしかなかった。
 また、此処で逆らえば、身に覚えの無い汚点が付けられるのである。しかし私の場合、汚点があった。
 官憲に逆らったとして公務執行妨害が記載済みだったからである。それ自体が、容疑者を犯人らしくさせてしまう。罪人に作り上げられてしまう。そうした凶暴性を持った犯人像が捏造され、ついに遣
(や)ってもいない犯罪でも、罪状が決定されてしまう。無実でも犯人となる。白も黒になる。

 重要参考人や容疑者はそれを嫌って、譲歩し、改心の意を認めながらも、検察側有利の軽薄な自白さえしてしまうことがある。誘導尋問の巧妙な罠
(わな)に引っ掛かったり、早く楽になろうとして、自分の罪ではない事まで安易に認めてしまうのだ。

 「これはお前が殺
(や)ったのだろう!?」と迫られれば、「はいそうです」と応えてしまうのが、冤罪(えんざい)を生む元凶となっている。
 検察官に追い込まれたら、最後は白が黒になる。
 検察官自身、自らの頭脳をひけらかし、国家権力という組織に、その身分が保証され、それに胡座
(あぐら)をかいた検事の鋭い問い詰めには、実に厳しいものがあった。
 取調室には、検察官の他に一等低い書記官が居て、検察官が頭の中で整理し直した文章を、書記官が改めて筆記し直すという方法で調書が記載されていく点は、警察の取調官の不能率なやり方と全く違っていた。

 それは刑事より検事の方が、その頭脳も地位も高いためであろう。それだけに難関を突破した司法試験の合格者は、一目も二目も置かれる。
 しかしこの検察官に、知性の面において、恐るべき能吏
(のうり)に相応しい、高等な冷静沈着さを読み取ることは出来なかった。
 公益の代表者として、一定の権限を有する行政官という国家機構の役人としては、実に幼稚で俗人ぽく、世間知らずで、法の上級機関の官吏と云うイメージではなかった。難解な司法試験に合格し、司法権の行使に関与する官吏の官名である「検察官」という呼び名は、絶大な権力を持っていた。その一方で、頭脳と地位と身分を保証する高級官吏は、人間的なアンバランスな一面が隠せないわけでもなかった。その点においての稚拙
(ようせつ)さは、警察官以下であった。人情の機微は微塵(みじん)ほどもない者が多い。

 “検察官どの”が、昼食に食べたと思われるレバーニラ炒めの口臭は、想像を絶する酷いもので、異常に不愉快だった。その口臭と共に、ひしひしと伝わってくるのは、耳を疑いたくなるような、社会正義を振り回す愚痴
(ぐち)であり、何という愚鈍(ぐどん)、何という非常識な、滑稽と苦笑したくなるような説教じみた言葉の連続であった。味噌も糞(くそ)も一緒くたにし、そして糞の位置に焦点を定め、事件をほじくるらしい。重箱の底を、徹底的にほじくるのである。
 半ば脅迫的に尋問
(じんもん)を繰り返す検察官から滲(にじ)み出ているものは、形式的な、然(しか)も単純な、明治以来の伝統的官僚機構に代表された官憲特有の、カントからヘーゲルに至るまでの畸形(きけい)的なドイツ流の観念論や国家哲学の社会秩序の厳守であった。
 万民を正義の名の下
(もと)に厳守させるような通り一遍(いっぺん)の、滑稽で、耳障(みみ‐ざわ)りな説教以外に何も喋らなかった。恐らく彼は、民間社会の下々(しもじも)に課せられている荒波の実体など、凡(おおよ)そ想像出来ないのではあるまいかという、狭義的な世界でしか生きていない人種のように思われた。

 法曹界を代表する法学者の端
(はし)くれを気取るこの検察官は、現実社会が、死と苦痛の誘惑が稀(まれ)でない社会、あるいは不正が中枢の核心に渦巻いている現実を知らないのではないかという、安易な幼稚ささえ感じたのである。そこに法律と人間社会のジレンマが併(あわ)せて存在している現実性を、この検察官は見落としているのではあるまいか。
 どうやらこの検察官の思考の一部には、道徳的白痴
(はくち)という一種の不幸現象が蝕んでいるように思われた。

 私は、そしてこの検察官に、些
(いささ)か反抗的な態度を示した。またそれが検察官の敵愾心(てきがい‐しん)を煽(あお)ったようだった。
 話の所々に、私に対する敵意のようなものが漂っていた。
 恐らく検察官の脳裡
(のうり)には、私の罪を一等でも、二等でも重くするような画策を巡らせているのかも知れないという、不穏(ふおん)なものが感知された。兎(と)に角(かく)私は、検察官の問い詰めに苦悶(くもん)しながら、此処で24時間拘束されることになった。
 警察と検察庁で合計72時間を拘束され、私は国家権力の前にその身を屈したのである。
 そして次の日、再捜査続行のためにT警察署に戻されていた。

 なお最後に特記しなければならないことを一言申し添えておくが、私は検察官の全てが、これまで記述したこのような人格の持主であると断言しているのではない。この点を間違わないようにして頂きたい。
 同庁内には立派な人格を持たれ、人情味厚く、人の手本になるような優秀な検察官も居
(お)らると思う。この物語で登場する検察官は、私に対して以上のような感想を抱かせた人物であり、全検察官や検察庁を批判するものではない。


 ─────Y警察署の捜査二課も、些
(いささ)かお手上げの状態であるらしく、私の別件容疑を洗っているようであった。選挙違反容疑を、別件の傷害罪で埋(う)め合わせる気でいるらしい。しかしその“洗い出し”は、かなり手間取っているようだ。
 同室の男は、既に他に移されていて、もう此処には居なかった。
 この日は、食事が終わっても何の取り調べもなかった。実に退屈な一日であった。

 食事が不味いので、殆ど食べないで、看守に見られないように水洗便所に流した。食事を摂らずに栄養失調になることだけを考えていた。あるいは看守の隙
(すき)を見て醤油を“がぶ飲み”し、心臓発作を起して、その儘(まま)、病気になって病院行きになることを期待していた。実際に、醤油を“がぶ飲み”して果たして心臓発作を起したかどうかは知らないが、選挙ブローカー間では、半ば常識として信じられていた。

 退屈な日々が三日程過ぎたであろうか。
 私は72時間の拘束を受け、更に三日以上も収監されて、尚も釈放されなかった。どうやら別件で拘留延長をして、再逮捕する気でいるらしい。
 司法警察員、つまり取調官は都道府県の公案委員会から特定の資格を与えられ、同時に彼等は、裁判官に対して逮捕令状を請求できる資格をも与えられている。
 しかし逮捕令状を得て容疑者を逮捕しても、その身柄を拘束できるのは48時間でしかない。つまり国家権力が容疑者を拘束するのは警察が48時間、検察が24時間、合計72時間なのである。

 しかし通常の場合、それ以上拘束しなければ捜査できないのが現状である。そのために拘留期間の延期を申し出るのであるが、この延期拘留を請求できるのは、取調に当たった警察官には権限がなく、警察官は検察官に頼んで拘留請求をしてもらうのである。
 つまり検察官の胸三寸で、容疑者は身柄を拘束されたり、あるいは「この事件は立証不足で駄目だ」といわれれば、即座に釈放が命ぜられ、解き放たれたりする。身柄を拘束する場合、これらを「検事拘留」という。

 検事拘留の期間は十日間であるが、これより更に延期拘束が認められれば十日が追加され、これらを合計すると、警察での留置、検察での留置を加えて結局容疑者は二十二日間の身柄を拘束されることになる。そして捜査機関が、容疑者の身柄拘束の限度日数は二十二日間なのである。
 私は検察官の胸三寸で検事拘束が適用されたらしい。
 検事取調の際、敵愾心
(てきがい‐しん)を煽(あお)り、何かしら敵意を抱かれたことが、この請求の原因になっているらしい。だが、こうなっては諦(あきら)めるしかない。
 此処に居ると段々時間と日付けの感覚が失われる。今の年月日が分らなくなるのである。ただ空白な時間が意味もなく流れていた。

 いつも身奇麗
(み‐ぎれい)を心掛けていた私であったが、収監を三日以上も上乗せされて、この中に留められると、不精髭(ぶしょう‐ひげ)をだらしなく伸ばし、段々世間と隔離されていくような状態に陥っていくのに気付き始めた。
 風呂に入る場合は、看守がいつも付いていて、一人僅かに15分以内と決められていた。私は着替えを差し入れてくれる者がいないので、風呂場で自分の下着や衣服の洗濯もした。剃刀
(かみそり)はT字型の安全剃刀だけが許可の出る剃刀で、他の横一文字型式の剃刀は許可が出ない。自殺を防止する為であろう。
 私には面会者の差し入れはおろか、T字型の剃刀を持ち合わせないので、伸び放題の髭も剃ることが出来なかった。もうここでの生活は拘置所や刑務所の、私の代用監獄として当てられていた。

 次の日も退屈であった。
 もう何日入っているか分からなかった。恐らく世間は正月の真っ只中であろうと思った。
 務所帰りの者から、冬の刑務所は寒いと聞いていたが、此処も、とにかく寒い。獄舎の中で、何が一番辛いかというと、太陽の拝
(おが)めない冬以外に、それを上回るものはない。
 一日中留置場の中に閉じ込められていると心身ともに腐ってくる。青鼻がズルズルと垂れきて、鼻をかんでもかんでも、それを抑えようがない。ただ、寒さの中で孤独に耐えてじっとしているしかない。
 散歩も運動も、外の外気に触れることもできないのである。

 少年の頃、春の公園でのんびりと手足を伸ばし、日向
(ひなた)ぼっこをする老人を見かけたことがあるが、私はあれを、当時自分とは無縁のものと思っていた。
 しかし、こうして獄に繋
(つな)がれ、太陽の光から一旦遮断(しゃだん)されてしまうと、その温(ぬく)もりが一番貴重なものであることを思い知らされる。
 ある意味で、此処は拘置所や刑務所より残酷な場所であった。

 刑も執行されずに、だらだらと留め置かれ、動物が檻
(おり)の中で、一生閉じ込められて生涯を終わるような状態になるのではないかという恐怖感が、脳裡を翳(かす)める場所でもあった。
 収監される被疑者については、警察署の留置場が代用されることが多いからだ。
 一旦刑が決まれば、その刑期を模範囚
(もはん‐しゅう)として過ごせば、いっかは裟婆(しゃば)に出られる機会があるが、刑の決まらない留置場暮らしでは、だらだらと伸びることがある。
 刑の確定されない拘置監が設けられている刑事施設に拘置所があるが、此処にも同じような容疑者が収監されている。

 日本の現行法は、基本的には疑わしきは罰せずであるが、それを裏から解釈すれば、疑わしきは別件に持ち込んで逮捕状を用意し、徹底的に罰すると言うことなのだ。それが一つの恐怖だったのである。余罪を洗い直されるだけでなく、余罪を捏造されて別件逮捕という冤罪も起こるのである。この冤罪こそ、恐怖の最たるものであった。
 毛布に包まって、高い格子の付いた窓から、空の様子を窺
(うかが)った。外は霙(みぞれ)混じりの冷たい雨のようだ。そして私の眼は、この小さな窓越しに見える雨の中に投げられていた。


 ─────今回の選挙違反容疑の決定的な弱点は、誰かが事前に手を打って、保釈金を積んでくれるという保障は何処にもなかった点であった。
 したがって、この儘
(まま)ここから裁判所の公判を受けて、実刑を食らい、刑務所行きになる恐れが十分にあった。もし、そういう羽目になった場合、事は最悪となる。

 今回の場合、欠点は幾つかあった。
 弁護士費用がないため、弁護人は当番性の国選弁護人となる。
 国選弁護人は、その殆どが司法研修習生を了
(お)えて、弁護士なりたての人達である。
 彼等が数人集まって費用を出し合い、合同で法律事務所を開いたばかりの所に当番制で国政弁護人の依頼が回って来るのである。
 彼等の多くは若い経験不足の弁護士のため、判例経験が実に乏しい。その上、裁判官にも検察官にも顔が利く知り合いが少ない。これらは皆無と言ってよい。
 経験の乏しい彼らが、敏腕
(びんわん)検事を相手にして、有利な裁判を展開できるわけがないのである。国選弁護人では裁判に勝てないのである。

 国選弁護人という制度は、刑事事件に限り、国が当番制で新米弁護士に回って来る。
 弁護士費用の払えない容疑者や弁護の引受手がない容疑者のために、弁護人となり、その弁護に当たらせるもので、裁判の正当性を厳守するための「形式的なもの」に過ぎない。
 また裁判実験の、彼等の“実習の場”にも使われるのだ。
 したがって検察側の主張する強引な求刑を覆
(くつがえ)すような、弁護側の有利な公判審理の展開は殆ど期待できないのである。これはただの形式であり、明治以来の裁判上の儀式である。
 この儀式に、ただ一縷の望みを感じるところがあるとすれば、遣ってもいない犯罪でも検察側の起訴理由を認め、素直に遣ってと認めて、軽減するように弁護人の言を借りて、裁判官に情状酌量も認めさせることくらいであろう。
 しかし、金があれば別である。裁判に勝てる弁護人を付けることが出来る。
 地獄の沙汰だけではなく、裁判沙汰も金次第とは、この事である。

 よく、推理小説に出てくるような凄腕弁護士の出現で、公判審理を覆
(くつがえ)す逆転判決など、全く期待できないのだ。
 同じ有罪になるにしても、負け方が上手でなく、下手をすれば検察官の求刑通りになって、執行猶予の付かない場合すらあるのだ。そうなると事態は最悪となり、実刑判決を食らうことになる。
 それは弁護士を雇えない苛立ちと絶望感から起こる、私の辛い空想であった。
 一人で孤独な監房の中で考えることの恐ろしさは、「杯中の蛇影
(はいちゅう‐の‐だえい)」の恐怖に負けてしまうことにある。

 杯中の蛇影とは、『晋書楽広伝』
しんじょ‐らくこう‐でん/晋代の正史で、唐の太宗の時、房玄齢らの奉勅撰)に記された、「蛇の姿が見えた杯中の酒を飲んで、重病になった人物が、その蛇が壁にかけた弓の絵が映ったものだと分ったとたんに治った」という故事に由来するものであり、疑えば、何でもないことでも、神経を悩ますもとになることの喩(たと)えである。
 ありもしない巨大な影に戦
(おのの)き、疑心暗鬼(ぎしん‐あんき)に陥ることである。それが長期化することによって、やがて不安は苦悩に変わり、苦悩は更に絶望感へと変わっていくのである。
 そして此処には、一縷
(いちる)の希(のぞ)みすら断たれた観(かん)があった。
 私はこの日、酷く、末期症状的な考えに陥ってしまっていたのだった。
 今から経験するであろう、根比べ智慧比べは、まだ始まったばかりだった。



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