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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 2
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旅の衣・前編 4
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旅の衣・前編 20

単に思慕の想いは、情熱から発した感情である。ある女性がある男のことを考える続ける。これは明らかに情熱から起る恋慕の想いであり、決して愛などではない。誰もが持っている本能の気持ちである。
 これは丁度、蝶が花を慕うように本能から起る気持ちであり、本能的な欲望なのである。また自然の中から起る動作である。こうした感情から起る熱病は、熱病に罹
(かか)ればそれが恋なのであり、別に努力も意志も忍耐もいらないのである。情熱を掻(か)き立てるに充分な相手が眼の前に顕(あら)われれば、それで済むのである。
 しかし一方、愛とはこのような生易しいものではない。また、誰もが出来ると云うことではない。
 愛とは、まずある程度の覚悟した意志が必要である。
 更に忍耐も、努力も要る。


●人恋初(そ)めし始めなり

 恋愛を単に、肉欲あるいは愛欲の範疇(はんちゅう)に、必ずしも止め置かれるものではないと思っている。持論である。肉よりも、心の繋がりを大事にしたい。そういう考え方もあっていい。
 何も欧米に迎合して、犬や猫のようにべたつくような絡み合う恋愛を否定するものでないが、公然にあっては毅然を保ち、夫人の凛としたところがあっていいと思うのである。欧米とは異なり一面があっていいと思うのである。

 かつての武士たちは、肉は遊女屋で、心は「忍ぶ恋」で想い人に託したものである。
 男女の最初の出逢いは、単に、その場、その時のフィーリング的なものがあるかも知れないが、容姿や貌
(かお)立ちの、見てくれから始まる肉欲あるいは愛欲は、決して一生涯に連れ添う、良き伴侶(はんりょ)となるべきものでない。容姿端麗だけを相手にした恋愛感情は脆(もろ)い。脆い相手とは長続きしない。
 貌や形で選んだ場合、より良き伴侶を得ることは極めて稀
(まれ)である。恋愛結婚の離婚率が高いのはこのためであり、アメリカ風の恋愛術の影響が、また昨今、日本の離婚率をアメリカ並みにしている。シングルマザーはその最たるものであろう。

 容姿や貌立ちだけで、人生の伴侶を求めた場合、それが飽きないのは知り合っての、一年程度であり、その後は“馴れ”から倦怠期を伴った「腐れ縁」となる。惰性が伴うからだ。
 特に、男女の何
(いず)れかに、教養などの人生を語り合う上での大事な要素が欠け落ちている場合、ただ可愛いだけの相手では、直ぐに飽きてしまうからだ。これでは人形と一緒にいるようなものであるからだ。どんなに美しい人形でも、心がなければただの人形である。
 人間は容姿や貌立ち以外の“何かに”惹
(ひ)かれる魅力があるからだ。

 また、恋愛と云うものは、肉欲や性の問題にしても、肉を通じて愛情を確かめ、その確かめた結果、心が通い愛と云うものでもなかろう、と思っている。
 愛は何も、肉を通じての愛ばかりではない。例えば男同士の友人関係にある者は、ホモ関係により肉を通じてのみ、その信頼関係が確保できると云うものであれば、何とも、肉は汚らしいものになってしまう。
 したがって、友人関係イコール男色主義者同士という図式が成り立たないはずである。肉の関係を通じ、男色に奔
(はし)らない男同士の友情は、人類の歴史上多く存在している。信頼関係は、何も肉を通じさせなくても出来るのである。

 したがって、肉欲ならびに性の問題は、性欲を蔑視してそれを罪悪の最たるものと決めつけたり、逆に今日の進歩的文化人が唱えるように、愛欲や肉欲こそ、男女の心を通じ合う唯一の方法と考えるのは、甚だ賛成し難いのである。恋愛に一方的なものはなく、いろいろな形で、十人十色であっていい。決まった「ワンパターン式」の恋愛はないのである。決めつけることが間違いである。
 しかし、今日の多くの恋愛小説や歌謡曲には、肉による愛を取り上げ、“肉欲”イコール“心の疎通”としているのは、何とも不可解な男女のあり方と云わねばならない。そして“不倫”までもを奨励し、自由恋愛を持て囃し、謳歌しているのである。

 例えば恋愛を通じて、知り合った数日後、あるいは数週間後、数ヵ月後、一旦許してしまった肉の関係は、その関係が深まれば深まるほど、その事後は虚しいものがある。徐々に身も心も、くたくたになって行くのは、恋愛を通じて、肉欲に奔
(はし)った男女であれば、誰ももが経験することであろう。
 その上こうした事が相手に対して疑心を抱き、悩みを抱き、憎しみを抱き、嫉妬を抱き、悲しみを抱き、苦しみを抱き、こうしたものが相乗効果を為
(な)して、虚しさのドン底に叩き落す。
 自由恋愛の成れの果ては、大方こういうものである。実りのあるものでない。

 何度、肉を交えても、それは永遠に持続できるものでない。一瞬の絶頂で終わる。性的興奮の最高潮は刹那
(せつな)のことである。
 「欲」というものは、これで満足できる状態には辿り着けないのである。
 それだけに“空しいものが”ある。
 特に婚前交渉を重ねた男女ならば、このことは切実に迫って来ることを、既に経験済みであろう。肉だけを通じて、男女が絡み合う行為は、その事後が、実に空虚なのである。大変な空しさを感じるのである。
 そして、それは想い出だけに、後味の悪さが残るものである。

 また、男女の愛において、口先だけで、愛し、愛されたと言う事実は存在しても、時間が経てばそれは一種の「想い出」に成り下がる記憶の中での過去の出来事でしかない。更に実体を追求しても、それは極めて抽象的で、ハッキリとした形で残ることはない。
 恋愛を通じての、肉を交わした歳月は、それなりの意味があるであろうが、それを通じて、「幸せを感じる時」というのは、瞬間的で、実に刹那的なものであろう。むしろ、苦しんだり、悩んだりする方が大きなウエイトを占めるのではないか。
 ここには、肉に絡む“腐れ縁”が、尾を曳く虚しさがある。
 それは、「肉愛」を通じての男女の愛情交換は、結果として、要するに引き摺
(ず)り回される側面が存在するからである。そして、一度、肉の絡んだ恋愛の中に突入すれば、頭で考えていた事と、肉体が求めようとする事は、同一性を持たないようになり、統一的な思考が崩壊してしまうのである。

 恋愛を通じての肉の交わりは、統一性や同一性を欠くところに、多くの男女はそれによって苦しみ、悩み、悲しみ、離したくないとする独占欲と、その一方で嫉妬し、憎悪する不可解な現象が入り交じって、混乱を起こすのである。肉を交えることを「愛している」と錯覚することだ。
 進歩的文化人の北村透谷や高村光太郎らは、“思い込み恋愛”の方向に日本人を誘導した。現代も、その延長上にある。
 この結果、身も心も、くたくたとなる。
 それは恋愛と云う「愛」の根源に、肉体を通じて深く絡み合ったものは、それが深ければ深いほど、複雑さをまし、雁字
(がんじ)(がら)めの“腐れ縁”の状態になることを顕わしている。
 これは則
(すな)ち、愛憎という「愛」の根源に潜む魔物に、人間は支配されると言う現実があるからだ。

 したがって、肉体の交わりという一線を超えれば、後は倦怠期と云う、馴
(な)れによる腐れ縁が派生するのである。それは長年連れ添った夫婦の多くが、馴れにより、性を軽々しく弄(もてあそ)んだ代償として、倦怠感の中に突き落とされるのである。これは夫婦関係だけではなく、恋人関係でも同じだろう。その代償は、高くつく。肉の絡み付きは根深ければ根深いほど、大きなものを払わされるのである。

 私は、これまでの多くの失敗を通じて、性は軽々しく弄ぶべきでない、と思う。これをやらかせば、とんでもない火傷
(やけど)をする恐れがある。その火傷の始まりが、肉に絡めた恋心である。これは一種の錯覚である。
 恋愛を通じた矛盾は、結果的に二律背反
(にりつ‐はいはん)の恐ろしい牙(きば)に懸(か)けられることだ。
 しかし、恋愛行為にこうした牙が潜んでいる事を知らず、安易に容姿や顔貌
(がんぼう)から入って、腐れ縁状態に遭遇する男女は少なくないようだ。
 その意味からすれば、由紀子は、単に在
(あ)り来たりの、鑑賞用の美人ではないのだった。とびっきりの実力を備えた、滅多に居ない、特異な女なのだ。
 これは私の安易な結晶作用が齎した結果に於ての評価ではなく、魂に触れて、これが判明したのであった。由紀子を肉の塊と視るよりは、肉の内部に躍動する魂の根源に、そうした崇高
(すうこう)なものが潜んでいる事を、私は見て取ったのである。
 たからこそ、おめおめと指を銜
(くわ)えて、ここで由紀子を篠田氏に奪われることは、何とも口惜しい限りであった。しかし策を弄(ろう)しても、おいそれと、いい案は浮かんでこなかった。


 ─────『シラノ・ド・ベルジュラック』というエドモン・ロスタン
Edmond Rostand/フランスの劇作家で初め詩人となるが、後に軽快な韻文劇で知名を得る。1868〜1918)の著わした有名な戯曲がある。
 この中の主人公シラノ・ド・ベルジュラックは、十七世紀半ばに実在した人物であり、パリのガスコン青年隊と称する貴族で組織された戦闘隊の隊員であった。彼は、文武両道に優れた剣士で、パリでは無双の遣い手として知られ、また同時に詩人であり、哲学者であり、音楽家でもあった。
 ところが彼には、人並外れた大きな鼻の持ち主で、その容貌は不様の一言に尽きるものだった。
 人が、シラノの鼻を見て、少しでも嘲
(あざ)ける者がいれば、容赦(ようしゃ)なく打ちのめし、さもなくば得意の哲学的毒舌ならびに鋭い舌峰(ぜっぽう)をもって、相手を完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめすのであった。剣の才能に恵まれ、豊かな教養の持ち主であったシラノだが、自分の貌(かお)が醜いと云う事だけは、何とも残念でならなかったのである。
 その為に、身分の高い貴族でありながら、女性から一切ちやほやされず、また、女性から、愛される幸せにも遭遇しなかった。

 そんなシラノにも、長い間、心の中に密かに想う、従姉妹
(いとこ)のロクサーヌという美貌(びぼう)の女性がいた。しかし、シラノは彼女に対しての思慕の想いが傾けば傾くほど、自分の貌を思い、自らの醜い巨大は鼻が、総てを一切帳消しにするのを知っていた。
 一方、ロクサーヌは自分の従兄弟
(いとこ)のシラノが、自分に対して、これほどまでに烈(はげ)しい恋心を抱いて、情熱を傾けているとは、全く気付かなかったのである。ただ、シラノの事は、顔貌(かお‐かたち)は醜いけれど、心根は優しく、包容力のある兄のように考えていたのである。
 こうした、その頃にガスコン青年隊に美男なるクリスチャン・ド・ヌーヴィレットという貴族の青年が入隊してきたのだった。彼のマスクは均整がとれ、その面貌
(めんぼう)は、まさに美男子の形容に相応しい、そんな青年であった。

 ところが、クリスチャンは美男子と言うところを除けば、教養や才智にかけては並の凡夫
(ぼんぷ)の域を出らず、然(しか)も剣の腕前も、そこそこの凡庸(ぼんよう)な男だったのである。つまり、外形的な顔貌や容貌はそれなりに見栄えのするものの、その精神面や気質である、この分野に於ては、今日で云う、「可もなく不可もない善良な小市民」という、この程度の分別知(ふんべつ‐ち)の持ち主であった。
 このクリスチャンが、ある日、ロクサーヌを見初
(みそ)めて、彼女に恋をしたのである。また、ロクサーヌはロクサーヌで、自分の前に顕われたクリスチャンは、颯爽(さっそう)として恰好よく、処女の彼女はクリスチャンの容貌に、一目見て心を惹(ひ)かれたのである。

 シラノはロクサーヌから、クリスチャンを恋している事を告げられ、一瞬狼狽
(ろうばい)して大変なショックを受けるが、しかし、ロクサーヌはシラノを兄とも慕う間柄であり、彼はロクサーヌのために一肌脱ぐ事を決心するのである。
 しかし、シラノの本心は、自分もロクサーヌを愛していて、非常に苦しむのである。そして苦しみ、悩み、悲しんだ末に、遂に到達した心境は、自分がロクサーヌを想う、その恋に殉
(じゅん)じようとしたのである。
 この心境は、まさに『葉隠』を彷佛
(ほうふつ)とさせるものであり、『葉隠』の、「忍ぶ恋」に匹敵するものであった。
 シラノは、それからというものは自らの恋に殉じる為に、積極的にロクサーヌとクリスチャンが結ばれるように働きかけ、奔走するのである。
 その奔走の第一は凡庸で凡人レベルのクリスチャンに、ロクサーヌへの恋文を代筆してやる事であった。
 わが憧
(あこが)れのロクサーヌに、まるでわが心をぶつけように、美しい語句をふんだんにちりばめて、愛の籠(こも)った手紙をクリスチャンの代筆者として認(したた)めたのであった。それはあたかも、自分がロクサーヌに恋の告白を打ち明けるが如くの烈(はげ)しいものであり、熱烈たる恋文を書き上げたのであった。
 次にその第二は、二人の中を、出来るだけ積極的に接近させ、仲を取り持つ事であった。その為に、様々な機会をつくり、二人の恋仲を成就させる為に、脇役に徹したのであった。

 ロクサーヌは、恋文を貰った時、それがシラノの代筆による恋文とは知らず、これを受け取り大喜びするのである。「わたしのクリスチャンさま」と、天にも登る気持ちだったのである。
 しかしロクサーヌは、自分の受け取った愛の告白が、誰の手によって作られたか、誰の口から吐露
(とろ)されたのか、全く知らないまま、それがクリスチャンの唇から出たものだと、固く信じて疑わなかった。そして二人は、烈しい恋仲の恋人同士となるのである。
 この当時のフランスは、ドイツならびにハンガリーと砲火を交えて居たので、ガスコン青年隊は、やがて最前線へと派遣される事になる。シラノもクリスチャンも、戦士として隊列に加わり、最前線へと赴
(おもむ)いたのである。

 最前線での戦闘は激しさを増し、その戦場は激戦地と化していた。この激戦地では次第に兵糧
(ひょうろう)にも困るようになり、戦闘も日増しに激しくなり、やがて死を決意しなければならない状態に陥って行く。
 この時、クリスチャンはシラノに向かって、これまでのロクサーヌに対する慕情を訴え、またシラノは自分のロクサーヌに対する恋慕の思いを告白するのである。
 こうした中、ロクサーヌは戦場に赴いた恋人のクリスチャンに、益々想いを募らせ、ついに一大決心して、ガスコン青年隊が戦っている陣地へ馬車を仕立て、大変な危険を冒して、戦場まで出向くのである。この戦場は、俗に言う「アラスの戦い」といわれるものであった。

 クリスチャンはロクサーヌが戦場までやってきたことに大変驚くが、ロクサーヌにこうした思いを決意させた背景には、シラノの助けがあって、シラノが自分のために恋文を書いてくれたからだと知るのである。彼は自分の力で、ロクサーヌを射止めたのではなかった事に激しい衝撃を受けるのである。
 ロクサーヌが此処までやって来たのは、シラノの書いた恋文が自分の心の打ち明けではなく、シラノそのものの恋の打ち明けであった事に、計り知れない衝撃を受けるのである。結局、ロクサーヌを此処まで連れ出したのは、シラノの恋の打ち明けが、彼女をこうまでして危険を冒させ、激戦地までやってこさせたと考え、これに耐えられなくなるのである。

 こうした最中、敵弾の一発がクリスチャンを貫き、彼は倒してしまうのである。
 クリスチャンの死を知ったロクサーヌは酷い悲しみに暮れるが、この機を利用してクリスチャンに変り、ロクサーヌに付け入る事をシラノは、しなかったのである。シラノは、ただただロクサーヌへの“忍ぶ恋”を貫いたのであった。
 ロクサーヌはクリスチャンの戦死後、めっきり気力が衰え、次第に老け始めた。それから十五年の歳月が流れ、初老を迎えたロクサーヌは、未亡人としてある尼僧の修道院に身を寄せていたのである。目は衰え、躰は日増しに弱って行くロクサーヌであった。シラノは毎日此処を訪れ、ロクサーヌのために新聞を読んでやるのであった。
 しかし、シラノはロクサーヌに、自分の心の裡
(うち)は、一言も打ち明けるものではなかった。ただ、彼は毎日の習慣に従って、新聞をロクサーヌに読んでやるのだった。

 ところが、ある日、シラノは修道院に向かう途中、ある家の二階から落ちて来た材木により、頭にそれを受けて重傷を負うのである。それを知ったロクサーヌは、直ちにシラノを見舞うのである。シラノは既に重傷のため、もう、そんなに長い命ではなかった。
 そして、シラノは最後の願いとして、ロクサーヌが肌身は出さず持っているクリスチャンの恋文を見せて欲しいと頼むのだった。一字一句、間違いなく暗誦しているシラノは、ロクサーヌが読む声に合わせて、自分の諳
(そら)んじた声を重ねるのであった。
 その時、ロクサーヌの顔色が突然変るのである。彼女は自分に恋を囁
(ささや)いた男は、クリスチャンではなく、実はシラノだったと気付くのである。
 しかし、彼女がそれを読み終えた時、既にシラノの息は絶えていたのである。
 シラノは、自分の生涯を賭
(か)けて、男の心意気を貫いたのである。男の意地を通したのである。見上げた男と云うべきか。
 私はエドモン・ロスタンの著わした有名な戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』に、『葉隠』の「忍ぶ恋」を重ねていたのである。



●すれ違いの恋の方程式

 乗馬クラブで別れた後、由紀子は何度か道場に電話を掛けて来たらしかったが、彼女から電話が掛かって来ることを事前に予知していた私は、他の者を電話口に出させ、「俺だったら、いま所用で出掛けているので居ない」と言え、というふうに指示しておいた。
 由紀子は私と連絡が取れなくなるのである。故意に「音信不通」状態を捏造
(ねつぞう)するのである。この状態を作り上げておいて、少しでも私に気を掛ける気持ちがあるのなら、音信不通は必ず何かの胸騒ぎを覚えるはずであった。
 何か、私の身の上に異常事態が起こったのでは?と、そのような心配が高まるのである。
 母性本能が強い女ほど、実はまた心配性であり、“心配”という文字が「心を配って世話をする」意味から異常事態が起これば、不安に陥れられるのは必定であった。

 これで彼女は、私への気掛
かりな何事かの心配を募らせ、私の術策(じゅつ‐さく)に落ちるのである。
 これは外れているかも知れないが、私にはそんな、変な自信があった。今度は、彼女の方が私にのぼせる番なのだ。心配し、あるいは気掛かりとなり、ついにのぼせるのである。この術中に誘い込むのである。

 自分自身の自負と言うか、自惚
(うぬ‐ぼ)れと言うか、そんな自信があったのである。
 これによって彼女は「不測の出来事」を心に思い、それを予期し、その心配を今一層募らせるはずである。彼女の泣きどころは“母性が強い”ことである。
 先天的かつ本能的な愛情は、危ない者を保護しようとするこの愛情でもある。由紀子は人一倍母性が強いのである。今までの経過から考えて、こう分析したのである。彼女は決して薄情ではないのである。ある種の温情を持っている。その温情は私のようなアウトローには、異常な保護心を燃え立たせるだろう。
 私はこのような、他愛のない“計算”と“策”を巡らせたのである。

 私は、「すれ違いの恋の方程式」を画策したのだった。
 「すれ違い」こそ、恋愛には大きな演出効果を生むのである。小道具はこれだけで済む。
 それは、戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』が云うところの、「安定は情熱を殺し不安は情熱を掻
(か)き立てる」恋の方程式だったのである。
 恋愛と云う情熱の焔
(ほのお)の中には、魔物が潜んでいる。その魔物は、男女がお互いに相手のために、苦しみを与え、傷つける行為に及んだ時、「却(かえ)って燃え上がる」という働きをするものだったからだ。
 私はこれを「すれ違いの恋の方程式」と名付けた。我ながら、いいネーミングだと思った。

 恋人関係に、総ての障害物や不安が無くなった時、その恋の焔
(ほのお)は沈火に向かうのである。
 一方逆に、次から次へと心配事と不安が派生する心理状態の構造こそ、ここには焔となって燃え上がる要素を持つ。つまり容易に逢えない状態を作り出すことこそ、恋の方程式は有効に働くのである。
 不安となり、互いが離れ離れにある環境の時には、今にも況
(ま)して、恋の焔は激しく、赫々(あかあか)と燃え盛るのである。
 人間の心中には、こうした「すれ違いの魅力」に惹
(ひ)き付ける魔物が棲(す)んでいる。この魔物の眠りを醒まさねばならないのである。

 由紀子は無視されたことで、ひどく自尊心は傷つけられたのだろうか。あるいは不安に陥るだろうか。
 そんなしつこさが、私への電話の応酬
(おうしゅう)であると思われた。必ず、電話が掛かってくる。しばらく音信不通状態が続けば、その可能性は大だった。
 一端は捨ててみたものの、実は気掛かりなのである。
 女とはそういう生き物である。母性の強さから来る、母親のような性格が、一方で“泣きどころ”となっていたのである。私はそのように、背後から彼女を値踏みしていたのである。
 恋愛は“愛のかたち”を形作る以前の「情熱」に他ならない。その実体は愛情ではなく、愛情以前の「情熱」なのだ。したがって、情熱を秘めた恋は、簡単には色褪
(いろあ)せないが、一旦安定に落ち着くと、恋の焔は沈静化に向かうのである。

 不安と不安定と、離れ離れになる「すれ違いの構図」は、この時、私の術策により仕掛けられたのだった。
 しかし私は、自らを顧みて、自分とは……つくづく考えてみて、自惚れの強い男だというのも事実だった。自惚れが強いからこそ“策”を用いたというべきであろう。しかし、同時にこの“策”には、自信がないことも事実だった。

 殊
(こと)に、女に好かれる自信はない。
 虫酸が奔ると形容されるくらいだから、容姿の才能はない。
 鏡を見ても、そんな貌
(かお)はしていない。鏡の中に映る自分の貌は、どう贔屓目(ひいき‐め)に見ても、恋などをする貌には見えない。見れば見るほど、僻(ひが)みたくなる。そんな貌だ。
 しかし決して私は役者になる訳ではないから、それに絶望することはなかった。貌に自信がなくとも、世間的には有能な頭脳の持主で、将来有望であったり、親から巨額な資産の相続人であったりすると、その方面で自信が持てる分けである。男は貌でないことが、これで分かろう。
 頭脳、才能、有望性、資産家などのこうした条件が、男の貌に匹敵するからである。
 だがしかし、私の場合は、どの方面から検
(み)ても、自信が持てない材料ばかりが転がっていた。これをどう克服するべきか、頭を悩ましていた。


 ─────そんな次の日、特攻隊の、とうとう『半日、百万』の裏仕事の日がやって来た。
 私はこの仕事を、由紀子と篠田氏の関係を半分嫉妬
(しっと)したような、そして、半分自棄糞(やけくそ)のような気持ちで請け負った。おそらく、これは貴公子の篠田氏への僻(ひが)みであろう。
 自分の中には、心を弄
(もてあそ)ぶ魔物が棲(す)んでいた。それが動揺を与えるのだった。
 周囲の反応によって直に腹を立てたり、あるいは状況によって嬉しくなったりして、いつも揺れ動き、利口でないことは明白だった。それこそ軽薄な人間の標本なようなものであった。
 しかしこれは拭い切れない事実だった。そして人間は、誰でもこのように作られているような気がするのだった。
 私の場合は、この程度が強いと言うか、酷いと言うか、感情で動くところがあったように思われる。したがって、これには用心して掛らねばならなかった。軽薄な面が突出するからだ。

 この時の、“半日で百万”という裏仕事も、軽薄な面が突出した、自らの愚かしさを剥
(む)き出しにしたものだったかも知れない。しかし、もう引き返すことは出来なかった。
 もし、これを請け負ったことで、私自身が滅びて了
(しま)うのなら“それはそれでいいではないか”と思っていた。
 (毒を食らわば皿まで……。あとは野となれ山となれ……)だった。そんな寂しさから、頭が馬鹿になりかけていたのだ。麻痺していたのである。
 この麻痺によって、頭から足の先まで恋に病み、疲弊していたのである。その疲弊が、また考えを集中させるだけの元気を失わせていた。

 “なるようになれ”という気持ちで、惰性が働いていた。その惰性が投げ遺りな気持ちを作り、安易に白黒の決着がつくまで、行き着く所まで行き着かなければならないという気持ちを抱かせた。ここまで来たら、後には退
(ひ)けず、もう誰も止められないのだ。采(さい)は投げられたのだ。
 それが守備よい結果に終わるか、悪
(あし)き結果となるか、それは天のみが知るという気持ちだった。私はわが心を殺して懸(か)かった。
 百万円がこの半日で転がり込んで来れば、小我
(しょう‐が)を殺して、大我(だい‐が)の道場運営資金の、肥(こやし)程度にはなるであろうと踏んでいた。資金に窮(きゅう)する貧乏人の考え方であった。それが貧し過ぎようが、既に請け負ったことに貧富の差は生じず、守備よく終わるか、それが外れるかの、ただのそれだけであった。

 この仕事の相棒として、大谷と言う忠実な道場の指導員を選んだ。彼に午前8時、道場に来てもらった。大谷は自分の仕事を途中で放棄して、会社を無断で抜け出して来たと言う。
 予
(あらかじ)め背広を着てくるように指示していたので、彼は背広で来てくれた。
 私も成人式の日、母に作ってもらった一張羅
(いっちょら)の背広を着ていた。
 背広の色は紺が好きだったので、それを着たら、彼も同色系統の色の背広を着て着た。そして大谷の車で、黒崎の江川組の事務所まで行った。指令を受ける為である。
 組事務所に入ると、若頭の石田という、今度の仕事の世話人が、札束の入った大型のアタシュ・ケースを持って来て、私たち二人に説明をし始めた。そのケースの中には、全部五百円札が入っていて、枚数は全部で千枚、合計で五十万円という。これを投票場の前で、選挙投票通知票と交換に配れという指示であった。不正投票の依頼である。

 当時の選挙は、今と違って一種のお祭りであった。
 このお祭りには、選挙ブローカー達が一堂に会する。海千山千の有象無象どもが集まる。
 選挙事務所にはそれぞれの選挙ブローカが出入りし、悪党達のオンパレードとなる。互いに巧妙な智慧
(ちえ)比べが始まる。
 したがって選挙ブローカーや選挙事務所の運動員は、したたかな上に、これを犯罪だとは微塵も思っていなかった。裏では賄賂術の妙があり、更に陋規
(ろうき)があった。実に民主主義的であった。今日のように社会主義的でなかった。
 私の時代は田中角栄の時代であった。角栄こそ、近年の政治家で、民主主義を熟知した人物は居なかった。この政治家は裏に陋規があることを知っていた。今日の口先ばかりで民主主義を標榜する政治屋とは天と地の差があった。

 この時代、選挙違反で捕まっても、直ぐに出られた。
 多くは病気を装って釈放されるケースが多かった。
 特に留置所で食事の時に配られる、醤油を飲んで病気を装うのは、よく知られた手口であった。
 しかし、こうした手口も見破られるようになってしまった。取締も年々きつくなり、もうこの頃になると、警察は検挙の手を緩めなかった。びしびし検挙された。
 マスコミが民主主義を熟知する角栄の政治を破壊したからである。御用聞きである筈の角栄政治を、マスコミが社会主義に作り替えてしまったのである。斯くして、真のデモクラシーは死んだ。
 私の時代は、まだデモクラシーの欠片が残っていた時代である。
 その欠片が底辺に僅かばかり、恩恵を与えていた。
 票取りは政治家の御用聞きのポーズから始まる。デモクラシーは実に金の懸かる政治システムなのである。
 一口に金脈政治というが、必ずしもそういう一面ばかりでない。

 選挙に勝てば、開票と同時に官軍になれる。少々の悪事は不問に付
(ふ)されるのであった。
 そして依頼主は、選挙ブローカーの悪智慧で、必ず勝つと信じていた。だから勝たねばならないのである。
 猿は木から落ちても猿だが、国会議員は選挙で落ちれば、“唯の人”なのである。議員の威厳は一夜にして崩壊するのである。
 指定区域の選挙投票整理票が、どういう手段で集められたかは知らないが、兎
(と)に角(かく)千枚集められていた。この千票は大きかった。確実に次点票を引き離せるのだ。そして、その横に百万円の入った紙袋が置かれていた。
 車も用意されていた。74年式の紺色のキャデラックである。この車を大谷に運転させた。
 左ハンドルで、しかも車幅が広いので運転し辛かったようだった。特に細い道に入った時など、車に傷つけないように、かなり気を使っていたようだ。

 彼の運転は、元タクシー・ドライバーだけあって、この車にも直ぐに慣れ、操車は見事なものだった。キャデラックは衣擦
(きぬ‐ずれ)の音をたてて、静かに進み行く貴婦人のような気高さがあった。そして輻輳(ふくそう)する車の間を滑るように走って行く。
 端から見れば、背広を着込んだスマートな近代ヤクザが、高級外車の乗り回しているように見えるだけである。したがって、他の車は必然的に道を開けるのである。そんな他愛のない優越感に浸っている時、彼が私に声をかけた。

 「先生。大きい車はやはりいいですねェ。こんな凄い車乗ったの、生まれて初めてですよ。先生も中々顔が広いですねェ」と、まるで子供がはしゃぐような声を上げた。
 しかし彼は、今からどんな仕事をするか、知らないのである。私の裏の貌が分からないのである。法に触れることを知らないのである。
 また彼は、私の本当の正体を知らないようだ。アウトローであることを知らないようだ。
 知らないからこそ、この仕事の依頼に同意したわけで、知っていたら同意する筈
(はず)がない。今から犯罪を犯そうとしているのである。彼にとっては、“ただキャデラックを運転している”ことだけが問題なのであろう。私の裏家業など知る由(よし)もないのだ。
 だからこう訊
(き)かれた時、再び後ろめたさと、憂鬱(ゆううつ)さが込み上げてきたのであった。
 堅気を巻き込んでいる。これが私の後ろめたさであった。

 私の裏家業は、“しがない選挙ブローカー”なのである。
 道場主が表か、選挙ブローカーが表か、あるいはその逆か、彼はこのことを知る由もない。私の反省は、このような純真な青年を犯罪に巻き込んだことに、何らかの後味の悪さがあった。
 この不正投票とも言うべき依頼主の親玉は、A競艇場の警備をしているB警備保障株式会社の代表・佐多慶太郎の政治派閥の親分筋に当たる、当時、保守党衆議院議員、保守党政調会長の木村源治であった。
 私たちは、この代議士の秘密特攻隊員となったのである。

 秘密特攻隊員は、現行犯で逮捕されても、任意出頭を命じられ、あるいは逮捕されて、精神的あるいは神経的な拷問
(ごうもん)されても、絶対に口を割らないというのが、この家業の意地であり、誇りであった。
 私と大谷は、自分たちの貌が覚えられないようにと、前金としてもらった20万円の金で、近くのメガネ屋で2万円もする金縁の高級サングラス二つと、靴屋で3万円の白と黒のツートンカラーの高級革靴二足を買った。各々一方は大谷の分であった。

 ついでに財布が朽ち果てていたので、鞄屋に寄り、鰐皮
(わに‐がわ)の高級な札入二つを値叩きして2万5千円で買って、一つを大谷にやった。貰った金が天から降って湧いた泡銭(あぶく‐ぜに)である以上、痛い出費をしてしまったという金銭に対する感覚が全くなかった。もう既に、金の桁(けた)が分からなくなる程、金銭的な麻痺が始まっていた。
 鏡の前に立った二人は、その姿を見比べた。やがてお互いに向かい合ってニッコリ微笑した。どう見ても傍目
(はため)は、ヤクザである。そして再び車に乗り、ゆっくりと車を走らせ、指定された投票場に向かった。そこで車を止めて暫(しばら)く待っことにした。

 車のボンネットに、五百札の入ったアタシュ・ケースと選挙投票通知票を乗せた。やがてこの車の周りに、烏合の衆と化した老人たちが、金の匂いに釣られて、まるで密に集
(たか)る蝿(はえ)のように寄って来た。当時の五百円札は今日の3,000円から5,000円くらいであろう。年金暮しの老人には、いい小遣い銭稼ぎだった。
 外車に乗って行った理由は、この老人たちを凄
(すご)みで脅(おど)し、柔順な下僕(げぼく)にして威圧するためであった。この当時の投票会場では、この手を、保守系の運動員たちや、裏で選挙工作を依頼された選挙ブローカーたちは、よく使ったものである。

 こうした手法は、今日の選挙ではとんと見られなくなったが、これと同じ事をやっているのが、街金の借金取立であり、彼等がベンツなどの高級外車で押し掛ける理由は、下層階級の庶民に対し、威圧を与えて、従順な下僕
(げぼく)に仕立て上げるためである。
 もし、こうした威圧を与えなければならない時に、1,000ccクラス程度のファミリー・カーで押し掛けでもしたら、直ぐに嘗
(な)められてしまうからである。

 来た順に名前を確認し、金と選挙投票通知票を渡し、投票用紙には、「きむら」と書け、と念を押した。
 この単純に思える仕事は、何処かで警察の目が炯
(ひか)っていることを覚悟しなければならないので、実は相当な度胸と肚(はら)構えがいるのである。
 警察の監視の目が何処かで炯っていないかを背中に感じながら、大胆不敵に、悠々
(ゆうゆう)と実行しなければならない。度胸がなくなり、びくついたり、おどおどした様子を少しでも見せれば、老人たちからは、こうした心の動揺を直ぐに察知されてしまうのである。
 更に筋金入りの肚の据
(す)わった欠如が疑われれば、直ちに嘗(な)められてしまうのである。双方は互いに騙(だま)し合いの、“腹芸”を披露するのである。
 老人は弱々しそうに見えながら、実は人間の心を読み取る、狡猾
(こうかつ)な生き物なのだ。
 したがって、ここには手慣れた素早さと、何処かで誰かに見られている二重の警戒が必要なのであった。
 当然、手慣れた者しか出来ない、専門職だった。

 素早く捌いた為に、千人分の金と選挙投票通知票は意外と早くなくなった。午後2時頃には、ほぼその全てが終わってしまっていた。これで一気に、千票は確実に基礎表の上に、上乗せされるであろう。選挙ブローカーとしての私は、その“票読み”に確信があった。
 仕事が一段落したところで、この車を八幡中央町にあった高級料亭『むらさき』に走らせた。此処で、この日の仕事の報告をするために指定された所であった。此処に到着したら、密談の特別室で酒席の用意がされていた。既に特攻隊の依頼主のB警備保障の社長・佐多慶太郎が来ていて、私たちに温泉にでも行って、一時、身を隠すように勧めた。

 「どうだね、暫
(しばら)くワラジを履(は)いてみないかね」
 「はあ?……」
 「旅に出てみる気はないかね」
 「旅ですか……」
 「選挙結果が出て、政局が落ち着くまでだ。その間ワラジを履いて、官憲の目を眩ますことだな」
 「旅ですか……、旅は、いいですね……」
 「そうか、これで決まった」
 「しかし何処へ行ったらいいんですか?」
 「何処でも、君の好きな所に行けばいい。取りあえず温泉にでも行って豪遊し、一ヶ月程、姿を眩
(くら)ませることだ」
 「いいでしょ」
 ワラジを履く……。
 早速そうしようと思った。しかし何故か、後ろ髪を引くものがあった。
 そして今日の報酬
(ほうしゅう)とは別に、30万円のボーナスをくれた。
 佐多は、さっさと此処を去ったが、私たち二人は、ここの高級料理に舌鼓
(したつづみ)を打った。暫(しばら)く美味を堪能した。

 それが終わって、黒崎に車を返しに行った。最初からの口約束であった今日の仕事料5万円を大谷に渡し、彼とは、ここで別れた。
 私の手元には、僅か半日ほどの荒稼ぎで、一気に百万円以上の金が転がり込んだのである。不正選挙の依頼者も悪党であったが、私も悪党であった。
 こうした選挙用の秘密の裏金は、直接代議士から出るものではない。代議士に献金する企業が一切を持つのである。また、こうした裏金造りも、最初から帳簿に上げた金でないので、誰の腹が痛むと云うものでもなかった。こういう時に備えて、政治献金をする企業は、せっせと裏金造りに励むのである。
 企業は個人名で借りたマンションかアパートに、裏金専門の金庫番を会社から一人派遣して、その社員に金の子守をさせるのである。企業は各支店から掻き集めた上納金を、独自の帳簿で処理し、溜め込んで行くのである。

 毎月毎に、A支店は100万円、B支店は150万円、C支店は75万円、D支店は90万円、E支店は85万円、F支店は120万円、G支店は110万円、H支店は95万円という風に、会社の計上利益とは別の上納金を出させておいて、これを毎月管理して行くのである。そして、1,
000万円集まると、これを銀行で封緘のついた古い札に換金し、1,000万円単位を「レンガ一本」という言い方で呼ぶのである。
 各支店から上納されて来る金は、支店が仕事で直接利益を生んだ金でなく、下請や孫請会社から無理やり出させたリベートであった。

 当時でも、一つの企業が二、三年の間に、数億円から数十億円は下らない裏金を蓄えていたであろう。そうした金が、選挙の度に、「レンガ一本」ずつが、現生
(げんなま)でばら蒔(ま)かれるのである。政治が金権政治と云われるのは、こうした時に、秘密に遣われる金が動くからで、投票日前日から投票日に掛けて、これが浮動票の掻(か)き集めに大きな効果を持っていたからである。宗教団体もこの手法を遣っていた。掻き集めた金の出所は、もちろん貧しい底辺の一般の平信者からであった。
 この方法は、日本共産党を除く、どの政党でも、どの政治団体でも遣
(や)っていたことである。
 金権政治の主体は、政治家と云う国民の御用聞きを走狗に遣うことだった。政治家は世話人だった。国民の御用聞きだった。当時、政治家は偉い人ではなかった。御用聞き程度の人だった。御用聞きは客から注文を取り回り、その要望に応えるのが仕事である。それ以外に仕事はない。したがって、高潔でなくてもいいのだ。
 政治家が偉くなり、清潔が叫ばれ出したのは近年である。

 したがって私が選挙に関与したこの当時、選挙は一種の「お祭り」で、今とは大分違っていたのである。
 選挙事務所は、毎日がお祭りであり、そのお祭りを後援会や支持者が詰めかけ、そこで出された食事を平らげ、“タダ飯”や“振る舞い酒”をかっ食らう一種のお祭りだった。用もないのに選挙事務所に詰め掛け、三度三度のタダ飯とタダ酒を飲みに出向く支持者も少なくなかった。昭和40年代中頃までの選挙は、こうしたお祭り騒ぎのような、娯楽の一種だった。ところが近年は一新した。
 ドングリの背比べ的な、ドングリ政治屋が「清潔・清潔……」を口にし出したのである。こうして政治家の御用聞きは終焉
(しゅうえん)した。これは同時に国民の御用聞き的な活動をする政治家の民主システムも崩壊したのである。

 政治家が、みな偉い人になり、威張り腐る人になった。もとは「政治屋」のくせに、である。
 御用聞きが、客に対して威張り出した。民主主義の日本人の無理解はこのように民主主義デモクラシーが、あたかも規則一点張りの社会主義体制下の高潔選挙になってしまった。
 日本は、民主主義を模倣した奇形化した、一種の社会主義国である。その「奇形」に民主主義の危機の自覚症状がなく、ただ分けも分からず、民主主義だの、デモクラシーだのと気勢を上げているのである。
 この盲点に、ねじれた畸形
(きけい)を気付く人は少ない。
 民主主義が危ういというのなら、政治家が高潔になることこそ危険な国家が誕生するのである。しかし、だからといって金脈政治を奨励しているわけではない。

 ただ、御用聞きには御用聞きの付き合いがあり、それで金の掛かる分は仕方がない。何故ならば、民主主義は非常に金の掛かる、不経済な政治システムだからである。この不経済で、金の掛かる政治システムこそ、民主主義の特徴なのである。


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