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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 19

現代の世は、衣食住を最大限に享受し、その上で性の享楽を満足させ、文化や恋愛を放逸することにより、それが幸福という名の定義になっているようだ。人一倍、より豊かに摂取することこそ、それを幸福と言うらしい。
 確かに人生の目的は、幸福を追い求めることに尽きよう。
 これを「自然人的幸福」と言うらしいが、この欲求を最大限に満たそうとして、誰もが、日々奔走しているのである。


●恋敵

 約束した次の日曜日が来た。この日は、篠田氏の案内で乗馬が始められた。
 私は篠田氏の指定したW乗馬クラブに、列車とバスを乗り継いで出向いた。時間に余裕をもたせて出かけた私は、W乗馬クラブに約束の時間よりも30分程早く着いてしまった。

 恋の勝利は既に、私の手から離れ、篠田氏に転がり込んでいるように見えた。
 肘鉄砲を食らった敗北者が、お人好しにも、おめおめと蹤
(つ)いて行き、恋人同士の雰囲気を盛り上げるために一役買ったという感じだった。
 脇役の私としては、間抜けなピエロ劇の道化を演じるのである。そんな悲しい気持ちに振り回されていた。私が“除
(の)け者”になるのは明白だった。あるいは除け者にされなくても、主役のダシにされることは充分に考えられた。多分そうなるだろう。
 そして心の中では、そんなに卑屈
(ひくつ)になるなら、(最初からよせばいいのに)という反目する自分があった。更に(お前はお人好しだよ。馬鹿だよ。間抜けだよ)と叱責(しっせき)する自分の声もあった。お人好しとバカを叱責する声が交互に錯綜し。不協和音になっていた。
 しかし心の何処かで、まだ全面敗北を認めていなかった。
 何処かに付け入る隙
(すき)がある筈だと思っていた。
 99%駄目でも1%くらいの可能性があるのでは?……。こうなったら、後は土壇場
(どたんば)の逆転劇しかなかった。しかし何処か、自分が見苦しく思えた。卑しく思えた。
 往生際
(おうじょう‐ぎわ)悪く、こう考えている時、由紀子は篠田氏の車に乗って颯爽(さっそう)とやって来たのである。
 車はシルバーのジャガーであった。
 これだけで、私の完全な敗北を思わせた。由紀子に好かれているのではあるまいかなどと、虫のいいことばかりを考え過ぎた罰であり、こうした自分に嘲笑
(ちょうしょう)せずにはいられなかった。

 かつてハイクラスの高額所得層を相手にした、あるグラビア雑誌に、「年間所得が3000万円を超えたらジャガーに乗ろう」という宣伝コピー
(キャッチ・フレーズ)が掲載されていたが、そのジャガーだった。
 ジャガーを乗り回す篠田氏と比較して、階級的な立場から考えると、私のような安定した職を持たない社会不適合の素浪人は、所詮
(しょせん)勝てる筈がないのである。
 由紀子は、既に彼の手中に揺るぎのない状態で、ほぼ完璧に納まっているようだった。何らかの、婚約のような約束事を取り交わしているに違いない。そんな気がしたのである。

 この世の中は階級社会である。民主主義の唱える、自由・平等・博愛など、どこにもない。平等にしても、これは法の上での平等であり、民主主義の精神には階級的な平等は一言も謳
(うた)っていない。それを見逃して民主の言葉に狂奔しているのが、戦後教育下で民主主義を教え込まれた日本人である。この世はろくでもないところで、不平等極まりないのである。
 したがって底辺の人間は、常に立場の逆転を狙って下から上へと攀
(よ)じ登ろうとするものである。これこそが人間の欲望であり、またこれが階級闘争の偽らざる姿である。
 しかし上から下へと反対の立場をとる者は、そう、“ざら”にはいない。あるいは皆無と言っていい。
 もし、由起子が私のものになるならば、彼女は上から下へと降りて来ることになる。それはあたかも、水が下から上へと流れるようなものであった。あり得ないことである。

 常識的な考えを持っている者ならば、常に上昇指向を目指すのは当たり前の事である。果たして由起子が、上から下に降りて来てくれる人間であるかどうか、甚
(はなは)だ疑問である。むしろ、そうでない事の方が当然なのだ。何を好きこのんで、上から下へ、降りて来るだろうか。

 車のフロントグラス越しに窺
(うかが)える彼等の表情や仕種(しぐさ)は、実に楽しそうであった。相思相愛の恋人同士と言っても過言ではない。似合いの夫婦だろう。二人の上品な身の熟しは、相思相愛という形で完全に拮抗(きっこう)し、つり合っていた。
 私は一層孤独感と悲壮感が込み上げてきた。何も言えない敗北感が付き纏
(まと)ったのである。
 これ以上、彼らと行動を伴
(とも)にして何になろう。自尊心は深く酷く傷つけられ、もう、心はへこたれていた。闘う前から“敗軍の将”の心境を味わった。

 エリートで完璧主義者の篠田氏は、世間の通説である、欠点が個性の一つであるという通常概念を度外視しして、何一つ欠点を持ち合わせず、それでいて、彼には個性的な魅力がちゃんと備わっていた。つまり階級の違いと、生まれの良さだ。それに医学博士で、歯科外科医師という職業が、それを象徴していた。
 彼はおそらくスポーツ万能だろう。何事も万能という意識を、今更
(いま‐さら)鼻にかけるまでもなく、自然体的な無意識を装って、しっかりと自分のものにしているように受け止められた。その容姿までもが、何処か垢(あか)抜けていて、映画風の描写にぴったり収まるような西洋馬術のライデング・スタイルであった。

 そして私は、持参した馬術用の稽古着に思い当たった。
 私の持参した日本馬術用の稽古着を、彼らは見慣れないせいで、もしかしたら笑うでのではないか。馬鹿にするのではないか。
 特に、日本馬術の稽古着を見たことのない人だったら、その古風で滑稽
(こっけい)な時代遅れの出(い)で立ちが、実に古くさくて、機能的でないということに侮蔑の目を投げるのではないか。
 そんな笑殺されることが、私にはどこか苦痛に思えた。この儘
(まま)顔を合わせずに、黙って帰りたかった。しかしそれは、姿を見られた以上行動にはならなかった。やがて車を降りた由紀子と篠田氏は、にこやかに笑いながら、私の方に、肩を揃えて歩いて来た。まさに、疑いようもない恋人同士であるかのような観があり、未来のお揃いの夫婦と映ったのである。私は敗れた気がした。歯が立たないものを感じた。
 どうにかして感情を表に現らわさないように、平静を装って懸命に持ち堪えているのであるが、心は打ち拉
(ひし)がれていて、立っているのがやっという感じだった。果たして、彼ら二人の始める、楽しい遊びの輪の中に、私のような部外者が、加わっていいものなのだろうか。そんな皮肉めいた思いが込み上げていた。

 当初の計画にはなかった事は、単に彼女の心を射止めるだけではなく、その恋敵
(こい‐がたき)の葬り去らねばならないという、ややこしい難儀(なんぎ)な難事業が残されているように思われた。そして、優勢を誇る大兵力の敵に勝てるわけがないのである。
 この敗残兵は、篠田氏の案内で、彼等の後に蹤
(つ)いてクラブハウスに入って行き、更衣室で見慣れない和式馬術着に着替えねばならぬと思うと、心と足どりは一層重たくなった。

 男として、美しい女と二人きりで歩くのは、何かしら誇らしくもあり、頼もしく思えるのだが、美女と美男の貴公子の後ろを、おずおずと挙動不審
(きょどう‐ふしん)の犯罪者のように蹤(つ)いて歩くのは、まさに道化師のそれであり、何処か自分が惨めに思えてくるだった。
 クラブハウスの更衣室に案内されて、私は持参した和式の馬術の稽古着に改めた。
 この稽古着は山村師範と馬術の稽古をする時、いつも着用していた物である。この姿を更衣室から出た時、由紀子と鉢合わせになった。
 「まあ、古風な恰好
(かっこう)ですこと。まるで時代劇みたい」と驚いたような揶揄(やゆ)と、そして半分侮(あなど)ったような声を彼女は上げた。
 (やっぱり……)と思った。
 私は自分の恰好
(かっこう)が、言われる程可笑しなものでないと思ったが、始めてみる人にはそう見えるらしい。まさに前時代的な時代劇であった。何で、日本人は日本古来の文化を古臭いと極め付け、欧米のものばかりを有り難がるのだろうか。

 それに反して、篠田氏は西洋馬術の引き締まった、洗練された乗馬服を身につけていた。凛々
(りり)しくて実に恰好いい。全てが自前のようだ。
 白い乗馬ズボンのキュロットは、彼の細い脚にきっちり食い込んで、見るからにスマートであり、上に着込んだイギリス製と思える黒のブレザーの襟の首元には、白い絹のスカーフ・マフラーが、何かを象徴するように輝いていた。乗馬用のヘルメットを凛々
(りり)しく小脇に抱え、手には革製の鳥の羽のついた特注と思える高級な鞭(むち)を持っていた。私の手に持つ竹製の「和鞭(わ‐むち)」とは大違いであった。
 そして何よりも、彼が上級者と思わせる決定的な証拠は、細い脚によく似合った、黒い皮のエルメス製のピカピカに磨かれた長靴
(ちょうか)であった。
 それには踵
(かかと)の部分に拍車が付けられている。これが何よりも上級者の証拠である。まさに貴族のそれであった。
 由紀子もここのビジター用のキュロットとブーツとヘルメットを借りたのであろうが、初心者用の、何処の乗馬クラブにもよくあるような、貸出品を応急的に装着したという感じであった。

 私は自分の装備を振り返ってみれば、今までこんなに古風だとは感じたことがなかったが、彼らと比べて、見劣りのするのは確かであった。
 厚手の帆布
(はんぷ)で作られた藍染(あいぞめ)の道衣上下であり、袴は野袴というズボンのように細くなったもので、その袴は内側が、乗馬用に特別誂(あつら)いした鹿の皮が張られている。その上に、足の外側を守る毛皮で出来た行騰(こうとう)を巻つける。

 足許
(あしもと)は、エルメス製の乗馬ブーツのように恰好良くない。
 革製の地下足袋
(じか‐たび)のようなもので、毛沓(けぐつ)を履く。そしてヘルメットの代わりに、漆(うるし)で固められた陣笠風の射笠(いがさ)を被る。
 両手には弓を射るのではないが、両手に騎射の際につける鹿の皮で出来た手袋を填
(は)めていた。そして極めつけは、手にした竹製の房(ふさ)の付いた和鞭(わむち)であった。
 この全てが、先達の日本人の智慧
(ちえ)によって編み出された日本式馬術の全貌だった。

 篠田氏の服装が西洋馬術の粋
(すい)を集めたものとするならば、私の乗馬装束は日本馬術の智慧(ちえ)を集めたものであった。
 この姿を流鏑馬
(やぶさめ‐ば)や騎射挟物の姿に重ねて、由紀子は想像し私を「古風」と表現したのかも知れない。ただ違っているのは、鞍などの馬装具等が違っているが、この違いのために、和式の鞍を、わざわざここまで運ぶわけには行かなかった。乗る人間と稽古着は日本式のものであるが、鞍などの馬装具は、ここの乗馬クラブで借りる洋鞍・洋式のものである。

 篠田氏は早速乗馬を始めた。彼は馬をいきなり走らせずに、乗馬したまま馬を止めて、その上でゆっくりと乗馬体操を始めていた。馬の扱いもかなり上手な方であった。後で分かったことであるが、彼はこの乗馬クラブに自分の馬を預けており、毎月飼馬料と予防注射や各々の諸経費を納めているという。これだけで、車一台のガソリン代と維持を軽く越えるのである。趣味もここまで来れば高尚
(こうしょう)と言う他ない。
 私は、彼ら二人から一等離れたこところで騎射体操をした。
 これは乗馬して、両手を離すための体操である。両手を離すためには、『鞍っぱまり』が大切であり、これによって足腰は安定する。

西郷派大東流馬術の軽騎武装束。(写真は、わが流の馬術助教の山口泰弘四段)

 脚を四股
(しこ)立ちにして、出尻鳩胸(でっちり‐はとむね)にして腰の構えを安定させる。四股立ちにしている関係上、膝が大変苦しくなる。両手の指を組んで頭上にまで上げて、ゆっくりと呼吸に合わせ、その手を段々下の方に移動する。
 これを二、三十回ゆっくりとした速度で繰り返していくのである。そして四股
(しこ)立ちになりながら、内股(うちまら)をきつく締めつけるのである。

日本馬術の乗馬に大切な股割・尻割の鍛練図

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 これを端
(はた)から見ていれば、何をやっているのか分からないが、これが乗馬の前の最も大切な基礎運動的な体操である。これは何も、その辺の平地を並足(なみあし)で馬を走らせるのならば、こんなことをやらないで、直にでも乗馬出来るが、坂道を走行したり両手を離すとなると、これは必要不可欠の体操である。寧(むし)ろ体操と言うより、呼吸法と言った方が正しいかも知れない。人馬一体の呼吸を、意識の中で反芻(はんすう)するのである。

 由紀子は遠くから、「何をやっているのかしら」というふうな眼で私を見ていたに違いない。今は訳の分からぬことをやっているように見えるが、この威力はやがて分かる筈である。そんな自信が私にはあった。
 この体操は一呼吸やるのに2〜3分はかかる。これを仮に20回やると40〜50分かかってしまう。私はその時間が惜しいとも思わず、ゆっくりと辺りを憚
(はばか)らず繰り返していた。既に篠田氏は丸太を斜め十字に組んだ大障碍(だい‐しょうがい)を飛び越える練習に入っていて、軽やかな手綱(たずな)捌きで馬を右へ左へ操っていた。

 さて、私もこれに反撃しなければならない。しかし、ビジター用の乗り回した馬は、いわば自家用の飼い馬と違って、人馴れしていて思うように乗りこなせない欠点がある。そのうえ、これらの馬は、一癖
(ひとくせ)あり、意地悪で狡(ずる)賢く、人間の気持ちをよく読み取り、騎乗した者の不慣れな恐怖心を直に読み取ってしまう。そんな馬を厩舎(きゅうしゃ)から引っ張り出してきて、いよいよ私の腕の見せ所となった。

 乗馬に際し、由紀子と眼と眼が合った。
 その眼は、「本当に大丈夫なのかしら」と言う心配と疑心の眼であった。私は、彼等にチラリと一瞥
(いちべつ)を投げて、鐙(あぶみ)を踏まずに一気に飛び乗った。飛び乗った後に鐙を足で探すのだ。
 そして、鐙に爪先が掛かると、いきなり掛け声とともに“早足”で馬を走らせ、篠田氏の大障碍
(だい‐しょうがい)練習の後に続いた。
 二、三度、篠田氏の後に従って丸太飛びをやったが、私にはすっきしないものがあり、馬術練習場を出て、海岸の方に馬を疾走させた。馬の肚
(はら)に蹴りを入れての疾走である。馬の肚への蹴りは、車のアクセルと同じであり、蹴りを、強く入れれば入れるほど速く疾(はし)るのである。
 ビジター用のこの馬は、何か私の勢いに押されて、堪忍
(かんにん)したように忍従(にんじゅう)していた。思い通りに、まるで私の持ち馬のように動いてくれるのである。頭の良い馬だった。私は絶えず馬の首筋を叩いて撫でてやった。こうすることで馬とスキンシップをするのである。双方の意思を通わせるのである。

 馬は優しい生き物である。
 しかし、何かしら傷つき易い心を持ち、時には勇敢
(ゆうかん)な行動を示し、同時に怠(なま)け者の心と狡(ずる)賢さと交互に顕し、一方で臆病な心を持った生き物である。
 馬術の未熟な乗手に対しては、敵意や蔑
(さげす)みの心を露骨にすることすらあるが、しかし、一端忠誠心を誓った騎士(きし)には、人間の主従関係にも及ばぬ、誠一筋の、献身的な行動を示すことすらあるのである。

 此処の馬術クラブは、海岸線に沿って馬を走らせることが許されていた。以前からここの勝手をよく知っていたのである。
 二人に黙って、海岸へ馬を進めてみた。
 見渡す限りの水平線が何処までも続いている。波は静かに進退を繰り返していた。いよいよ騎射体操の威力を見せる時が来た。
 とはいっても、海岸には私一人しかいない。あの箱崎
(はこざき)の海岸で見た野稽古は、今度は私一人で、この海岸での稽古をやる羽目になったのであった。
 そして、ときどき小雪の舞っていた雪の中で、傘を差し掛けてくれた由紀子は、もう既に遠い人のように思われた。益々遠ざかって行くようだった。

 まず、何処までも続いている海岸線に沿って馬を走らせた。
 人馬もろともの真前面に向かって、ちらつく雪に目がけて突進である。“馬追い”の掛け声とともに鞭
(むち)を呉れて疾走した。矢のように、人馬もろとも疾走する。これを私は、「弾丸疾走」と名付けていた。
 人馬もろとも疾走すると、身体中に、何とも言えないような快感が走る。ある程度の所まで来ると、そこから再び折り返し、元の所まで戻ってくる。それを何度か繰り返していた。
 馬も、私に馭
(ぎょ)されているせいか、素直にこの行動に従っていた。時々、馬の鼻息が水蒸気となって雪と風の中に消えていく。
 そんな所に、二人が馬に揺られてやって来た。遠くから見ていて、お似合いのカップルだと思った。それを疑う余地はなかった。

 もう由紀子は、私に興味を示さなくなったのだろうか。そんな悲しさが、二人を見る度に込み上げてきた。由紀子にとって篠田氏が本当はどんな存在なのか、果たして結婚の約束を交わした相手なのか、その真相も知りもせずに、嫉妬
(しっと)から、彼女を黙殺するような態度になっていた。
 別に意識して試みた訳ではないが、つい、そうなってしまうのだった。次第にそれは、他人行儀な意識に変った。
 彼女が私に眼を向けると直に下を向き、何処か遠くの海岸線でも見ているような無関心な眼を装った。これで彼女の自尊心は傷つけられるだろうか。そんな計算高い仕返しを、戦略の一つに加えるようになっていた。
 「思い知らせてやる」こんな気持ちが、由紀子に向けて放たれていた。
 篠田氏はこの場を『由紀子争奪戦』の決戦場と考えているに違いない。そうであるならば、私もこれに受けて立つしかない。私にとっても、この場は決戦場だった。
 何処までも冷ややかに、無関心を装う。問われても無視し続ける。
 これが自らの感情を鍛えることであった。
 戦争をしているのだ。戦争をしている以上、甘い考えでは勝ちは覚束無
(おぼつか‐な)い。

 私は小学校時代、一つの彼女の欠点を垣間
(かいま)見ていたことがあった。学力優秀で、同学年からは美人の噂が高く、近寄りがたい彼女は、恐らくクラスの男子児童全員の注目を惹(ひ)いた筈である。
 もしかするとクラスだけではなく、同学年の男子児童全員から注目を浴びていたかも知れない。
 その彼女がちやほやされることを、その心の何処かで意識し、有頂天になっていたことは充分に考えられることであった。その優越感を、自信でくすぐっていたに違いない。美人の誉れの高い女は、必然的にそうした意識を持つようになる。
 そして裕福で、幸運な家庭に生まれたことを、心から誇りに思っていたかも知れない。その思い上がりを、叩き潰してやる。私は、そう決心したのだった。
 戦争をしているのだ!……自分のそう言い聞かせた。
 だから無視され、黙殺されることは、彼女にとっては一種の屈辱
(くつじょく)であり、到底我慢できるわけがないのだ。私のこの読みは、当たらずとも遠からず、であった。
 無視する……、これが私の作戦だった。

 最後に、二人の見ている前で手綱
(たずな)を放し、全力疾走で馬を突進させ、両手を大きく真横に開いて、掌(てのひら)を前方に向け、風の中を突っ走った。
 (あれはまぐれだろう)と言われないために、これを何度か往復しながら試みた。
 人馬一体で一条
(ひとすじ)の箭(や)のように疾走する、その妙技を見せつけてやった。
 やがて馬が口から泡
(あわ)のような涎(よだれ)を垂らし、汗をかき始めたので、今日の所は、この辺で御仕舞いにして引き上げる段取りをした。
 クラブハウスに戻る際も、由紀子を黙殺した。
 これは嫉妬から起こった私の負け惜しみだったかも知れないが、もしそうでなかったら、彼女の自尊心は今まで以上に傷ついている筈だ。そう言いう気がしていた。
 クラブハウスに戻って行く時も、二人は片時も、お喋りを止めなかった。しかし風に紛
(まぎ)れて聞こえてくる由紀子の言葉の端々(はしばし)は、決して楽しそうでなかった。私にはそのように思えた。

 更衣室で着替えをする際も、篠田氏は危なかしい曲芸師の変な曲芸を見てしまったと言うような顔をして、一段と無口になり、全く話しかけてこなかった。私も話すことがなかったので黙っていた。
 着替え終った後で、クラブハウスの小さな喫茶室で、私たち三人はお茶を飲むことにした。
 白い丸いテーブルを囲んで、三人が席に着くと、篠田氏が気を利かしたように、同席の各々に何を注文するか、聞き回った。
 由紀子がコーヒーを注文したので、私もコーヒーと言ったら、
 「岩崎君は何から何まで和式なので、緑茶の方がいいのではないかなァ」と、皮肉のような言い方をした。その時、由紀子は私の顔色を見たようだった。助け船を出そうと言う顔色であった。しかし、私は篠田氏の言葉を皮肉と取るより、親切だと取りたかった。

 「実は僕も、そのような飲み物がないかと思っていたんですよ。出来たら、コーヒーよりもお茶の方がいいですね」
 こう言ったが、この喫茶室には生憎と緑茶は置いておらず、結局コーヒーを注文することになった。
 彼は知っていたのだ。この喫茶室の緑茶のないことを。
 そして彼に出来る精一杯の皮肉を、私にぶつけてきたと言うわけであった。
 この露骨な皮肉から窺
(うかが)うと、由紀子獲得のための争奪戦に、彼も一枚加わっているのである。あるいは私など、蹴散らすことは分けもないことと、高を括(くく)っているのかも知れない。あるいは勝ったとも同然と思っているのかも知れない。
 これに由紀子は助け船を出した。
 「岩崎君て、乗馬がとてもお上手ですのねェ。感心しましたわ。両手を離して疾走する、あのような凄い乗り方ができるなんて。驚きましたわ」と感嘆調子の声を上げた。それは私に対する同情のようにも思われた。

 しかし、この評価に篠田氏は良い顔をしなかった。彼の私に対する皮肉はこれからであった。
 「ところで、岩崎君。最後にやった、あの曲芸のような乗馬の仕方は、あまり感心しないなァ。君は恰好よく乗ったつもりだろうが、実に危険過ぎる。ああいうのは正統でない。自分勝手な、我流の危険な乗り方は大怪我のモトだし、今後は止めた方がいいと思うよ。正しい乗馬の基本を一からやり直すべきだ」
 気障
(きざ)な間合いを保ちながら、一見冷笑か、笑殺するように、篠田氏は私に注意事項を幾つか告げたのであった。
 「……………」私は沈黙した。
 「ああいう曲芸師崩れの芸当は止めた方がいいと思うな。下手な曲芸師の芸当は、危なっかしくて見ていられないからなァ」
 篠田氏の口調には、歓迎の情が全くなかった。敵愾心
(てきがいしん)が剥き出しになっていた。彼の私に対する気持ちが、想像できなくはなかった。
 彼も私を警戒していることは確かだった。彼も闘っているのだ。敵対意識を持って当然である。

 この言葉を、彼は更衣室で言わず、態々
(わざわざ)由紀子の前で言いたいがために、最後までこの言葉を暖めて、この時のために取っていたのだとしか思えなかった。そして今由紀子の前で、私の無謀?を、欠点を、指摘するように述べたのであった。
 それは指摘と言うより、私への糾弾
(きゅうだん)であったのかも知れない。一種の敵意だったであろう。
 これを聞いた時、篠田氏は「こんな安っぽい男なのか」と言う、がっかりしたものがあった。そんな男の安っぽさが顔色にちらりと出たのを、私は見逃さなかった。
 生まれと頭の良さを鼻にかける、国家一種試験を合格して、霞ヶ関や上級の官公庁に居る高級官僚どもと何ら変わりがなかった。モラルが低く、中身は薄っぺらだった。

 由紀子は、こんな安っぽい男に目を奪われる筈がないという、彼女への信頼が高まった。
 万一、彼女が、この気障
(きざ)で巧妙に画策する篠田氏に熱を上げるような女であるのなら、私は願い下げだった。彼女に、忍ぶ恋の誓いを立てて、想い続けることは、これ以上しまいと思っていた。また、由紀子も、その手の同類項となるからだ。こうした心の安っぽい手合には、近付きたくなかったのである。貧しい私にも、相手を選ぶことくらいの権利はあるのである。
 篠田氏は歯科外科医というからには、階級社会での職業ランクや格式も異なり、私とは比べものにならないくらい頭もいい筈だ。運動も万能選手に違いない。その上に美男子ときている。
 しかし彼の長所を上げるなら、ただそれだけであった。あとは何もない。中身がないのだ。富者の優越感で凝り固まっているのだ。

 職業一つ取り上げても、歯科医療の中でほんの一握りのエリートしか従事できない、歯科外科医師として、頂点に君臨しているのである。一種の、その世界に於ての最高権威である。この権威は経済的にも生活的にも、安定していて、その基盤は揺るぎないものであろう。
 ところが、この揺るぎない安定の欠陥を、まだ篠田氏は自分でも気付いていないのだ。

 由紀子の性格からして、こうした安定は好まない女のように見える。そう思いたい。
 私は、これまでの由紀子と接した側面から彼女を観察したが、彼女は「安定は情熱を殺し、不安は情熱を掻
(か)き立てる」という言葉を地で行くような女である。その彼女が、どうして、安定の上に胡座(あぐら)をかいてしまったような男を求めるはずはなかった。こう考えると、“私にも望みがある”と安堵(あんど)するのだった。
 不安や苦しみに掻き乱され、離れ離れに、数奇な運命を辿る、そうした運命的な不幸の中に、本当の恋愛的な意義を見い出しているのではないかという気がしていたのである。

 篠田氏を観察すれば、彼は紛
(まぎ)れもない臆病な、善良過ぎるほどの善人である。だが富を失えば、その正体が顕われる。その上、自分の生活にも満足し切っている。
 また、欲っぽいところも、彼の行動の端々
(はしばし)に漂って、それを垣間見る事ができる。由紀子の性格からして、言いようのない焦燥感を感じ始めているのであろう。その焦躁が、別の世界に棲(す)む、私に向けられたのかも知れない。やはり、私にも望みがあるのだ。

 将来の見えてしまった安定よりは、彼女は心の何処かで、ハラハラドキドキの、不安と苦しみを追い求める「美」の中に生きる、愛の狩人を模索していたのかも知れない。その、狩られた人間が、実は私だったのかも知れない。そんな確信を渡し映えていた。これから面白くなりそうだ、そんな予感を感じたのである。

 何から何までが、完璧過ぎる篠田氏に焦躁を抱いている事は間違いなさそうだ。しかし、私は由紀子を試そうとしていた。それは見せ掛けの、見た目をとるのか、あるいは精神面の気
(け)高さをとるのか、それを試して見たくなっていた。
 何故ならば、私には、見た目は卑
(いや)しくとも、精神だけは気高いという自負心があったからだ。甚だ不安定である事は言い逃れ出来ないが。

 果たして彼女は、巧妙に装った魔法使いの篠田氏を信じるのか、あるいは素顔の私を信じるのか、その答はやがて近いうちに結論が出るのでは……という予感がしていた。
 だが、篠田氏には何処か自信のようなものが漲
(みなぎ)っていた。
 あらためて彼の顔を見直すと、その冷たく、美し過ぎるような顔には、未
(いま)だ貴公子としての表情が崩れていなかった。一体この自信は、何処から出ているものなのだろうか。やはり格式と育ちの良さか。
 そう思うと、篠田氏と私の間には、千里以上の距離の隔たりがあることを感じられずにはいられなかった。そんな穿鑿
(せんさく)が、いつまでも私を悩ませ続けていた。

 喫茶室を出て、篠田氏は車で送ると言ったが、そして、由紀子も一緒に同乗することを薦めたが、私は頑
(かたく)なにこれを拒んだ。私には、由紀子を試す為に、拒否する以外になかったのである。
 そして由紀子に、俯
(うつむ)き加減の淋しい眼を向けた。その眼が彼女と合った瞬間、私はさっさと彼等に背を向けて踵(きびす)を返し、この場を急いで立ち去った。
 由紀子は、こんな私をどんな気持ちで見送っていたのだろうか。
 私の術策は果たして彼女に某
(なにがし)かの同情を与え、あるいは心配させ、不安がらせることの目的がちゃんと達せられたのであろうか。

 私の背中には、戦いに敗れた敗北感のようなものが漂っていたに違いない。自分が、ただただ惨
(みじ)めだった。私はこの儘、家にでも帰って、頭からスッポリ蒲団(ふとん)を被(かぶ)って、直ぐに寝てしまいたいような心境だった。私の心は、たいそう傷付き、苦しんでいたのである。



●席替え

 あれは確か、小学六年生になったばかりのことであったろうか。
 嬉野から転校して来た私は、六年生になっても、これといった友達が出来ず、クラスでは孤立していた。
 これは私が鉄棒から落ちて、足を怪我する前のことである。

 同級生には殆どといっていい程、遊び仲間もおらず、いつも教室の片隅
(かたすみ)で、たった一人、百科事典から写取ったツーサイクルのエンジン等の内燃機関の精密画を描く無口な少年であった。
 誰からも相手にされない孤立が、私を無口にさせていた。
 運動と言えば、野球などの球技はからっきし駄目で、器械体操は皆無で、辛うじて水泳と相撲以外、これたいった取り柄はなかった。小学校低学年時代は平戸で育ったので、泳ぎは達者で遠泳が得意だった。
 相撲も、腰の粘りを鍛えられたことから、「二枚腰」擬いの腰のキレがあった。相撲部には入っていなかったが、相撲部の同級の児童より強かったことを記憶している。しかし、だたそれだけだった。
 私は友達など、どうでもよかった。級友からも相手にされなくても結構だ、と居直るような気持ちでいた。心の中には、しっかりと千代ことだけを想い続けていたのである。この当時、寝ても覚めても千代だった。千代に取り憑かれていたのである。

 そんな時、一学期の席替えが行われたのである。
 今まで男子は男子、女子は女子という席並びで座っていたのだが、誰かの言った、変な提案が採用されて、男女が一緒に座るという席交えが行われたのであった。
 担任も小学校最後の思い出を作る、記念行事の一つとしてこれに賛成した。男子からは、照れるような野次が上がったが、私はこのようなことは、どうでもいいことであった。

 やがてクジが作られ、順番に引いていって、席順と男女の組み合わせが決まった。クラス全員が全てのクジを引き終わり、そのクジに従って席に座ることになった。男子の一部は、まだブウブウと不満らしいものを洩らし、女子はキャーキャーと悲鳴を上げていた。しかしその不満も、その悲鳴も、自らは、心の何処かで男女同席の、それ望みながらも、半分は照れ隠しのようなものであった。
 私は定められた通りの席に着いた。横を振り向くと、大して器量の良くない女の子が座っていた。その子は私を見ると、「フン!」とそっぽを向いた。
 (何だ。こいつ……)私はこのような感想を持った。大した容貌も持たない癖に“お高い”のだった。世間にはよくいるタイプである。

 「さあ、みんな。席は決まったかな」
 机や椅子の移動でゴトゴト騒然としている中、担任がこのように切り出した。
 ようやく、この声で、席の騒がしさが静まった。
 「小学校生活も余すところ、後一年になった。一人一人が小学校での楽しい思い出を作るように」
 「はいーッ!」一斉に全員の大合唱が起こった。
 「……ああ、それから、今決まった席を替えて貰いたい人は申し出なさい。どうかな、誰もいないかな」担任がこう言って、暫
(しばら)くすると、私の席の隣に座った女の子が手を上げて、
 「この席替えて下さい」
 「どうしてだ?」と優しい口調で問いかけた。
 「だって、この人嫌いなんです。見ただけでムシズが走ります」
 この言葉で全員が大笑いした。
 ムシズとは、虫酸
(むしず)のことをいい、一般には「虫酸が走る」という。この言葉の意味は、口中に虫酸が出て吐気をもよおすことをいう。多くは、酷く人を嫌う時の喩(たと)えに遣われる。

 「そうだな。そういわれれば、岩崎は見ただけでムシズの走るような顔をしているな」
 これは何らかの敵意があるように思われた。その証拠に全員が笑った。私はこの時、分かったのである。嬉野からの転校生は、クラス全員からも、そして担任からも嫌われているのだと。余計者だった。それをはっきり認識したのであった。
 そしていつしか、この担任にも徹底的に反抗してやろうと心の中で思い初めていた。そうした心の鬱積
(うっせき)が、反抗的な行動を取らせていたのかも知れない。

 私は悔
(くや)し紛(まぎ)れに、全員に向かって舌を出し、“あかんべー”をして薄気味悪く「へへ……ッ」と笑ってやった。それが私にできる精一杯の抵抗であった。
 その笑いに気付いた担任が、
 「岩崎!なんだそれは。何が可笑しい。お前のことを言っているのだぞ!」血相を替えたように怒った。
 私は、
(それがどうした)という気持ちで聞き流していた。
 「前に出てこい、岩崎!」大声で怒鳴った。

 また、いつものピンタか、と言う気持ちで素直に頬
(ほほ)を差し出すと、左右を数回張られた。軽い脳震盪(のうしんとう)を起して頭がぼーッとなっていた。何発目かが鼻に当たって鼻血を出した。
 戦後生まれこの時代、教育委員会の通達で体罰は禁止されていたが、教育現場では、この手の体罰が、平然と行われていた。日常茶飯事のことだった。ビンタ有りなのである。小学校でも中学校でも教師がビンタを張るのは日常茶飯事であった。
 また戦前・戦中に育った親達も、この程度の体罰で、学校や教育委員会を相手に訴え出るような、大それた行動を取る事は殆ど無く、「先生」という、一種の権威に対し、頭が上がらないと言う有様だった。
 親達の頭の中には、戦前・戦中の、「学校の先生は聖職」と云う、古い考えがあったからである。そのために、学校でのこうした体罰については沈黙を守ったのである。
 担任は以前、私から水泳の競争で負けたことを、まだ根に持っているらしい。このようなことは教室では日常茶飯事であった。ビンタを張られない時は、担任が独自に開発した竹の鞭で、ミミズ腫れが出来るほど尻を叩かれるのである。これらの過酷な体罰は、私にとっては序の口で、免疫化していたのである。

 「女子の中で、岩崎の席の横に座ってやれる人、出を上げて」と担任が問いかけた。
 その問いかけに一瞬静寂が保たれた。そして誰かが手を上げた。
 「はい!」
 振り替えると学級委員をしている由紀子であった。
 「桜井。お前が座ってやるのか。まるで豚に真珠だな……」
 嘲罵
(ちょうば)と自分自身が取って代わりたいような、失望したような、揶揄の籠(こも)った担任の言葉であった。この言葉に、また笑いがどっと上がった。
 (俺は豚か?)と苦笑いした。
 横目で何度か、彼女の方を盗み見た。噂通りの目鼻立ちのくっきりした、まさに子供離れした、大人の美形を秘めた少女であった。
 彼女を至近距離から、これ程間近に見たのは、その日が初めてであった。話に聞くと、彼女は歯科医の娘であるらしい。

 (そうか、PTAの会長は、こいつの親父なのか……)そんな驚きと共に、由紀子を見ていた。

 どうやら、格式から言うと、私などとは縁遠い存在であるらしい。私の知らないところでは、想像もつかない儀式によって、雲の上での生活がなされているのであろう。彼女は良家のお嬢様なのだ。
 最初に見た、彼女への印象はこうであった。
 私が鼻血を手の甲で拭って席に着いたとき、「はい、ちり紙」と差し出し、最初に交した言葉が、これであった。それ以来、先に述べたように親しくなっていった。口を聞く、唯一の級友だった。


 ─────そして今、こうして由紀子と些
(いささ)かなりとも、成人として親しくなる機会を得た。
 小学校の時のような、淡い飯事
(まま‐ごと)遊びの情愛ではないのである。彼女を争奪する、私も一人の戦う兵士であった。
 はっきりとした篠田という強力な恋敵
(こい‐がたき)がいるのである。それを、どう押え込み、彼女を、どう攻略すればよいのだろうかと模索した。私の課題は、次から次へと脳裡に襲いかかった。
 目の前で、篠田という気障な歯科外科医に由紀子を、まんまと奪われてしまうことは、何とも口惜しい限りであった。一矢
(いっし)報いたい。これで尻尾を巻きたくなかった。

 もし、彼が生まれながらの『徳』に包まれているという毛並みを武器にするならば、私は自らの生まれの悪さの『不徳』を武器にして、彼と戦わなければならないと思った。私の取り柄
(え)は『不徳』なのだ。
 「人生は長いようで短い」これは父の言葉である。そして父の口癖は「人生わずか五十年、夢幻の如し」であった。
 これには私も同感である。たかだか人生五十年。一生の間に、どれ程の女性と出会えるであろうか。
 殊
(とく)に惚(ほ)れて、惚れて、惚れ抜いて、心から愛(いとお)しいと思えるそんな女性はそうざらには居ない筈である。私のとって、由紀子はそういう女性であった。
 人生は短い、だからこそ由紀子は、何が何でも奪い取りたいという心理が働くのであった。


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