運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 18

フランスの哲学者・パスカルの「人間は考える葦である」は、現代では完全に死語になっている。もともと弱い葦は、考えないから益々弱くなる。万物の霊長が他の動物より、退化を著しくしているようである。


●遠い想い出

 過去のほんのりとした想い出を回想し、それが新たな悲しさとなって脳裡(のうり)を過(よぎ)っていた。
 私には多くの別れがあった。
 悲しかったと言うより、私には余りにも別れが多過ぎて、辛かったと言うべきであろう。私には「別れの運命」が付き纏
(まと)っていた。おそらく生涯を通じてその運命は免れないだろう。
 そういう過去の辛い経験から、自問自答しながら未練と恋慕の想いだけは、由紀子に持たないように自答し続けていた。私は「別れの運命」が付き纏う男であるからだ。
 結局、最後に辛い思いをして、貧乏クジを引いて苦しむのは、私の方であるからだ。その意味で、由紀子は妖艶
(ようえん)で危険な妖怪だった。近付いてはならぬ存在だった。
 もし、私に勇気があれば、こんな恋の真似事
(まね‐ごと)は、これで終わりにしていたであろう。
 この日限りで……。
 これから二度と合わないと宣言したいのだが、果たして私にそんな勇気があるのか。いや、とてもそんな勇気はあろう筈がない。要するに妖怪に魅入られたのだ。もう、魂は奪われていたのだ。

 それだけに不思議な予感に襲われていた。そしてこの“予感”は、予感にだけに面白いと思うのだった。
 それは私の人生に何か一大転機が行われているのではないか?というような、子供じみた予感が疾
(はし)ったからだ。確かに私の身の上には何かが起ころうとしていた。

 由紀子の性格は、はっきり言って、些
(いささ)か量り兼ねるところがあった。意外性は、特に度を超えていた。これが計算を狂わせてしまう。
 彼女は元来が、無邪気な性格なのか、生真面目
(き‐まじめ)なのか、人を啖(く)っているのか、それとも世間知らずなのか、正直言って全く見当がつきかねた。それでいて歯に衣(きぬ)を着せない性格で、はっきりものを言う。
 時として、単刀直入の、目まぐるしい饒舌
(じょうぜつ)に即答できなくて、返事がたじたじになることも屡々(しばしば)だった。これも偏(ひとえ)に住む次元が違っているせいであろうか。そして私は、人を啖った由紀子に啖われていたのだ。
 ただし、外道
(げどう)の私を、今のところ嫌っている様子のないのは確かだが……。
 しかしこれは、ほんの一時の気紛れの、ちょっとした彼女の“雨宿
(あまやど)り”なのだろうか。それとも奇(く)しき運命に、他愛もなく弄(もてあそ)ばれているのだろうか。
 こう思うと、深入りしたいのはやまやまだが、同時に、“いざ”と言う時機
(とき)、逃げ道も確保しておく必要があった。

 ともあれ、彼女の中の母性的な愛を目覚めさせるような特殊な効能?が、私にはあるのだろう。
 だとすると、その効能は何であろうか。
 それはあたかも、昆虫の性フェロモンが体内から分泌されて、同種の他の個体の行動や生理状態に影響を与える、ミツバチのように……。
 そんな思いを馳
(は)せている時、赤いコートを手にした由紀子が、ボックスの横から声をかけた。

 「お待たせしました」
 私は突然、きゅうっと胸が引き締まるような状態になった。直に振り向き、そう問いかけた由紀子の、少し首を曲げて微笑むような彼女独特の仕種
(しぐさ)に、また何処となく可愛らしさを感じていた。
 「随分前から、お待になっていたの?」
 時計を見ると時間ぴったりであった。
 「いや、今来たところです」
 私の心は、こんなふうに、直に彼女に譲歩してしまうのである。惚
(ほれ)れた男の弱味である。
 もう既に、待ち合わせの時間より30分程早く来ていたのだ。それはあたかも、入学試験か、面接試験を受ける時のような指定された時間より、早く到着するという、あの時のような心構えで。

 「そう……。遅れて、ごめんなさい」
 この返事は、いかにも心許無
(こころもと‐な)かった。既に随分前から来ていると、彼女からは悟られてしまっていのである。
 「いいえ、遅れてなんか、いませんよ。時間ぴったりです」
 「あたしも早めに来る事を心掛ければよかった。本当にごめんなさい」
 覚束無
(おぼつか‐な)いと言うか、既に心の中(うち)を読まれたと言うか、心理戦では敗北した観(かん)があった。それだけに、皮肉って意地を張ってみせる以外なかった。
 「何事も早めに心掛けるのは僕の趣味です。気にしないで下さい。僕はねェ、時間に間に合わずに面接審査で落ちるのではないかと、《今》を常に“30分前”に合わせることにしているのです」
 これを聴いた彼女は微笑とも、苦笑とも分からぬ笑みを泛べて、「岩崎君って、随分面白い考え方をなさるのですね。あたくし、そんな考え方する人、好きですわ」と、私のつまらぬジョークに相槌
(あいづち)を打ってくれた。
 「えッ?」
 この“好き”という言葉に、一瞬狼狽
(ろうばい)を覚えたからだ。驚くというか、やはり慌てざるを得なかった。一体どういう意味だろう。穿鑿(せんさく)は募るばかりだった。

 「だって、そうでしょ。今どき、岩崎君のような人、鐘や太鼓で探しても、金の草鞋で全国を放浪して尋ねても滅多に居るもんじゃありませんわ。これだけユーモアがあって、面白さが整っているんですもの」
 《えッ?そうかな……》と思うのだった。
 そしてこの場合、どう返事したらよいか迷うところであった。しかし、それは型通りの社交辞令のような返事を返すのが無難と感じたのであった。
 よくとればユーモアの持ち主、悪くとれば社会不適合。それ以外にない。
 「これは光栄です」
 「本当に、鐘や太鼓で探しても、金の草鞋で尋ねても、滅多に見つからない現代の珍種ですわ」
 「いいえ、どういたしまして」
 《現代の珍種》には些
(いささ)か閉口したが、こう返事を返すのも愛嬌だろう。

 「何を考えていらしたの?随分
(ずいぶん)深刻な顔をしていらしたわよ……」
 「いいえ、別に……何でもないんです」
 「今日一日、私に付き合って下さる?」
 「何も予定がありませんから構いませんが……。時間だけはたっぷりあります」
 「では、宜
(よろ)しいのですね」
 だが最後の「ね」の、この「ね」が何だか決め付けているようで、これを私流の解釈で判断すれば、まさに運命の女神がにやりと薄笑いを浮かべたように感じたのである。結末には、皮肉な偶然が俟
(ま)っているようだった。
 「はい。しかし今日一日つき合うといっても、さてと。……喩
(たと)えば音楽会に行って、その後、食事をすると言うのも、何だか古めかしいし……と思いませんか」

 「では、お芝居でも観
(み)に行きませんこと?」思い当たったのか、始めから計画していたのか、そんな切り出し方だった。
 「芝居ですか……」
 「ええ。いまF文化劇場で、《芝居噺
(しばい‐ばなし)》が公演されていますの、三遊亭乙丸(仮名)の。あたくし、今このお芝居のチケット、二枚もっていますの。本当は芝居噺、父が大好きでねェ、父と母が行く予定になっていたのですけれど、それが父の学会の関係で、今日のお芝居行けなくなってしまったの。それで私が、そのチケットを貰ったと言うわけですのよ。芝居噺って、御存じ?」
 「芝居噺……?」
 《それでか、道理で……。余りにも準備がよ過ぎると思ったら、こういう事だったのか》という気持ちで、今日、私が彼女から誘われた、些
(いささ)かの事情が分かるような気がした。
 実は私が、“事の序
(つい)で”だったのである。彼女の景品の“おまけ”のような存在だった。

 「芝居噺ってのはねェ。落語で、歌舞伎調の台詞
(せりふ)を入れてね、“身振り”や、鉦(かね)、太鼓、笛などのお囃子(はやし)の“鳴物”を使って、芝居通りにして聞かせるものなの」
 「えッ!歌舞伎調ですか。困ったなァ」
 「どうして、ですの?」
 「僕、歌舞伎とか、歌舞伎調とうのは、駄目なんです。《能》でしたら、お付き合い致しますが……」
 「歌舞伎がどうして、駄目ですの?」
 「だって、落語で歌舞伎を演じるにしても、落語家が歌舞伎役者の真似をするのでしょ。見得
(みえ)を切ったり、よよと泣き伏したり。そうすると、つい笑ってしまうのです。アクションが余りにも大袈裟(おお‐げさ)だから。分るでしょ」と同意を求めた。
 しかし直ぐに撥ね返された。
 「いいえ」
 「あちゃー。問題はですねェ。幾ら、落語とっても、芝居噺の公演中、落語家が見得を切ったり、よよと泣き伏したりしたら、絶対に我慢できなくなって、大笑いしてしまうと思うんです」
 「どうして?」
 「本当はこういう場面、決して笑ったりしたら行けないと思うのですが、僕は大笑いしてしまいます。バカ笑いしてしまうと思うんです。それが怕いんです。病気かも知れません」
 「まあ」
 「根本的に人と逆なのです。他の観客から顰蹙
(ひんしゅく)を買われるばかりでなく、傍(そば)に居るあなたも同罪と看做(みな)されて、きっとあなたも顰蹙を買われますよ。そうなると、あなたも困るでしょ?
 幾ら落語が笑いを得る商売だといっても、見得や泣き伏す場面は、笑っては行けないと思うのです。
 もし、僕が馬鹿笑いしたら、演じている落語家も怒るし、傍に居るあなたも同罪と看做されて、きっと困ると思います。歌舞伎調の芝居噺だけは、どうかご勘弁下さい」
 「?…………」
 これを聴いた由紀子は、その場で途端に固まったようだった。
 「僕が馬鹿笑いするのは、これだけじゃないんです」
 「?…………」
 「だって、考えてもみて下さい。僕が、どうして可笑しくなるかと言うと、歌舞伎役者の女形に、髭
(ひげ)の剃(そ)り跡とかがあると、どうしても女に見えず、オヤジに見えるんです。このオヤジがですよ、事もあろうに、声高(こわだか)に、よよと泣き伏すのです、もうそれだけで駄目なんです。笑い上戸(じょうご)ですから絶対に我慢できないんです。髭オヤジの女形を想像して、きっと大馬鹿笑いしてしまいます」
 私は真面目腐って、こんなことを言っていた。

 私は、歌舞伎の見得が余り好きではなかった。大袈裟すぎるからだ。現実離れしているからだ。
 その証拠に、役者が動作または感情の頂点に達したことを示すために、一瞬静止して、両手を広げ、特に頭まで振って、大袈裟な目立つポーズを執
(と)るからだ。
 芝居は芝居で、それで結構なのだが、最近は、ある大東流の指導者が、武道と芝居を混同したのか、武道の戦闘場面で、「見得を切る」というバカバカしいことを遣
(や)り、これを武道と称しているから、片腹の痛いこと、此の上もなしである。こんな演武芝居を観たら、身のほど知らずの態度に馬鹿笑いするだろう。これこそ笑止だった。千万極まりなしである。その上、隙(すき)だらけだ。

 いったい《命の遣り取りをする》厳粛な、「死を嗜む」臨死体験を体験する武術を、どう考えているのだろうか。
 万一である。もし見得を切るタイミングに合わせて、手裏剣、短刀や脇差、貫級刀、小柄、飛礫
(つぶて)、弓矢、吹矢、吹針、ナイフ、アイスピックなどを打たれ、また射られたら、どうなるのだろうか。
 そして見得の行為は、決して「残心ではない」ことを断っておく。
 刺客
(しかく)なら、見得を切った瞬間をベスト・タイミングと付け狙い、この隙を絶好のチャンスとするだろう。狙撃者は、この隙を見逃す訳がない。

 ある大東流の指導者は、見得を「何処からでも掛かっていらっしゃい」と、一人二人を抑え、掛け捕った後に、両手両腕を広げて、このように豪語するが、それは演武芝居において、攻撃する相手が、手頸
(てくび)を取ったり、袖(そで)を取ったり、襟(えり)を取ったり、あるいは拳でついてくる、蹴りでくるなどの、打ち合わせがあり、それに人体構造の四肢の制空圏内のことであり、圏外の攻撃である、投擲(とうてき)武器の攻撃に対しては、全く無力であることを物語っている。そして刺客にとってはベスト・タイミングなのである。

 「やはり、岩崎君て、想像以上の珍種ですわ。それも天然記念物並みの……」
 「いやー、そのように言われると困るなァ」
 「これは褒
(ほめ)め言葉じャ、ありませんのよ」
 「……………」《なぬ?》という気持ちになった。
 「やはり岩崎君って、現代の珍種ですわ」
 「僕に珍種とか、天然記念物並みと言われても困るのですが……」
 「でも岩崎君だって、《宝塚》というご趣味では御座いませんでしょ?」完全に皮肉られていた。
 「いえ、《宝塚》だったら構いません。僕、少女趣味ですから……」
 「そこまで仰
(おっしゃ)るのだったら、やはりスーパー珍種ですわ。博物館か何処かに、展示標本にしたいくらいの天然記念物ですわ」
 彼女の皮肉は、更に1ランク上がっていた。私への揶揄
(やゆ)に余念がなかった。
 《天然記念物もの……、ご冗談を》と言いたかったが、歌舞伎が駄目といい、宝塚が好きという。私に彼女は怒ったのだろうか。
 そして、考えるのだった。いったい人は、こう言う時、何処に行くのだろうか。パチンコ屋、デパート、映画館、あるいはホテルのレストランで食事。そして時間浪費のおしゃべり。どれも、月並みだった。

 「では、こう致しましょう。僕が案内しても宜しいでしょうか?」
 「ええ」
 「お金の掛からないところですから、心配無用です。お誘いするコースが一応脳裡にあります。そこでは、どうでしょうか?」
 「あたくしとしては、お芝居以外にいい案も泛
(うか)びませんし、では、お願いしようかしら」
 「僕は大学の頃、博多に棲
(す)んで居たから、博多ではどうでしょうか?」
 「いいわ、そこへお願いしますわ」

 下手物
(げて‐もの)(ぐ)いの性癖?がある由紀子は、この日も私に、くっつくことになった。私はひと時の粘着性の快さを味わっていた。
 彼女は私をスーパー珍種と揶揄
(やゆ)して、些(いささ)か興味があるらしい。しかし、私の毒成分は、人畜無害と思っているようだ。あるいは私の毒成分を解毒する解毒剤でも、持っているのだろうか。
 内心嬉しい反面、別れる時の辛さを予想して、薄々それを感じ始めていた。何
(いず)れ彼女から捨て去られるという不名誉な恐怖心を噛み締めながらも、私は実に情に脆(もろ)く、それに縛(しば)られ易い、お人好しな人間なのであった。愚行が、音を立てて鳴り響いているようだった。
 そう云う一方で、
(ズルズルと虎口に引き込まれないようにしなければ……)と警戒心を抱いていた。身も心も、魅入られてしまわないような、未知の警戒心だった。
 そして心が弾んでいる反面、捨て去られることまで思い悩むと、もう、これ事態が何となく億劫
(おっくう)だった。


 ─────由紀子の車で、私が道案内をしつつ、国道三号線から香椎バイパスを抜けて箱崎
(はこざき)海岸へやって来た。
 此処は博多山笠の御潮斎
おしおい/海の潮を汲み、家の内外にまき浄め、神前に供することで、福岡では「おしおとり」と称す)取りで有名な所である。学生時代、親戚筋に無理に頼んでもらって二度程山笠を担いだことがあるので、今どうなっているか、この海岸を見てみたかったのである。

 空はどんより曇り、外は小雪がちらついていた。車のフロントグラスから、不図
(ふと)海岸線に目をやると、白い道衣を着た数人の若者たちが、凍(い)てつくような海水に膝まで浸かりながら、冬の寒さをものともせず、師範の号令に合わせ、拳突きや蹴りを連打させ、その目標を遥かに臨む、沖合いに向けているようであった。
 それは見えないものを相手にするシャドウ・ボクシングのような修練法であった。あるいは悠々
(ゆうゆう)たる大海原をその相手として立向かい、それに一撃必殺の突きや蹴りを連打させているのだろうか。それは大自然を呑(の)み込んでしまうような透明の雄叫(おたけ)びのように思われた。
 やがて二人づつに別れ拳法独特の拳套
けんとう/組手)が始まった。これが本日の、この寒中稽古のメインイベントなのであろう。
 ある者は打たれて、海中に斃
(たお)れ、またある者は、手首を捻られて投げ飛ばされて海中に没し、そして更に起き上がって、誰もがその闘志を失わない。
 寒空の中、実に豪気だった。未
(ま)だ未だ、世の中には『侍』がいるのだな、と思った。
 「ちょっと、僕はあれを見てきます」と、断って車の外に出た。外は綿雪
(わた)が渦を描いて風に舞っている。
 左胸には『少林拳』と入っていたので、護国神社に本部道場を構える森実芳啓師範
(宗家二代)のところの少林拳法の人たちであろう。
 この寒中を突いての、珍しい彼らの豪気な稽古に惹
(ひ)かれ、私は知らず知らずのうちに、彼らに近付いていた。そして防波堤の上から、その稽古の一部始終を見ていた。
 今はどうなっているかわからないが、この当時の少林拳法は稽古が荒々しく、初代宗道臣
(そう‐どうしん)管長率いる日本少林寺拳法に比べて、個人戦では、局部的にではあるが実に強かった。
 私は彼らの稽古を興味深かげに見ていた。ただ、防波堤の上からの高処
(たかみ)の見物は、彼らに対して失礼と思い、俄(にわか)に傘を畳(たた)み、履(は)いていた下駄を脱いで素足となった。そして彼らの稽古の一部始終を存分に見せて貰った。

 私が見始めてから30分程で稽古は終わったが、その指導をしていた黒い道衣を着た師範が、私に気付き会釈をした。私も会釈を返した。私も武士であったが、彼らもまた武士であった。
 私が傘を畳み、素足になって見ていたことを、その師範はちゃんと知っていたのである。言葉こそ交わさなかったが、無言の中で血の通った心の疎通
(そつう)を感じたのだった。実に嬉しかった。
 そしてふっと後ろを見ると、由紀子が綿雪
(わたゆき)の舞う中で傘を差して、静かに立っていた。
 寒風の中、コートを着ていないことが驚きであった。当時流行だったミニスカートを風に翻
(ひるがえ)し、薄いセーターの儘であった。車の中で待っているとばかり思っていた由紀子が、意外にも、そこに居た。
 そして、私に近づき傘を差し掛けた。

 「有り難う。もういいですよ、自分の傘を差しますから」
 「寒かったでしょ?」
 私は下駄を履き、車に戻った。

 心の中で、
(この女は中々よく出来た女だ。ちゃんと人としての礼儀の何たるかを知っているではないか)と、思った。
 だが、これが情の絡んだ恋慕の思いに発展しないように自制心を働かせていた。あくまで彼女とは顔見知りの知人のような、あるいはもっと距離を隔てた、軽い、話し相手程度の間柄でなければいけないのだと念を押し、一期一会
(いちごういちえ)としきりに自問を投げかけていた。そしてその結論は、「深入りするな」だった。「虎口に近付くな」だった。それ以外に思い浮かばなかった。

 車の中は、外に比べて暖かく、何とも言えない安堵感
(あんど‐かん)があった。やがて手足に暖かい感覚が戻ってきた。車のフロントグラスには、ぽつぽつと雪が降り積もり、それが解けて、点の滴(しずく)を作りはじめていた。
 「岩崎君て、獰猛
(どうもう)なだけでなく、意外と礼儀を心得た紳士なのですね」
 「僕の何処が紳士ですか?」
 「だって、傘を畳み、素足で稽古を見ていたではありませんか」 
 「あれは、彼らに対して、高処
(たかみ)の見物は失礼と思ったまでのことですよ」
 「でも、中々出来ないことですわ。あたしは武道のことは分からないけど、礼儀にかなっていると思いますわ。本当に岩崎君の良い一面を見たような気がしますわ」
 「当たり前のことですよ。子供の時から師匠に仕込まれているのですから。それに僕自身未完成で、未
(いま)だに真剣に『道』を模索しているのです。そこに『道』があるのなら、進んで教えを請うのは当然です」
 「随分謙虚な態度ですのね……」
 「士は己を知る者のために死す、という言葉があります。ともに己を知る者のために、不毛の現代社会を質
(ただ)さんと己一身も顧(かえり)みず、憂国(ゆうこく)の情を以て社会に貢献し、奉仕できたらどんなに幸せか、そして、自らもそうありたいと考えているのです。人から身の程知らずといわれて冷笑されても、僕は死力を尽くし、情熱を傾けて、己の志を切り開いていきたいと思っているのです。いつの時代か、僕を必要とする時機(とき)が、必ず来ると自負しています」

 この時とばかりに自分を売り込み、私は口が滑ったかのように、吐き出すように喋っていた。
 「身を殺して仁
(じん)を成すということですね。人を想う労り、哀れみ、慈悲、そしてその根本に惻隠(そくいん)があるということですね。いいことを聞きましたわ。是非、その志、実現させて下さい」
 由紀子の励ましに似た言葉が嬉しかった。そして私は逆に、人としての彼女の魂に触れたような気がした。
 しかしその後、暫くして、彼女は言葉を繋
(つな)いだ。
 「でもねェ……」
 何かを覆すような言い方だった。何だか歯切れも悪い。
 何かを予感して、私はハッとした。
 「でも、……何ですか?」こう訊ねた私の言葉に、
 「いいえ、何でもありませんわ」彼女は頭
(かぶり)を振った。

 彼女は歯切れの悪さは、裡
(うち)に篭(こも)ったような批判を抑えていたと思われた。私はこの先が気になっていた。
 『身を殺して仁を成す』という言葉の意味を敏感に捕らえた彼女は、もしかしたら現実主義者ではなかろうかという気がしてきた。男のロマンや理想などは、糞食らえ考え方の持ち主ではあるまいか、と言い知れぬ不安が、一瞬脳裡を翳
(かす)めた。
 (まさか、今日の飯を捨てて、自らの理想に燃えた主義主張のために自己陶酔して、餓えようとする私のナンセンスを、彼女は察知したのではあるまいか)などと一時の空想が生まれた。
 しかし楽天家の私は、この一抹
(いちまつ)の不安を直に忘れてしまった。

 私はこの時、一人孤高
(ここう)を持(じ)して、我が道を行くという一種独特の個性を選択していた。誰もが模索する既存の力に頼ることなく、自らの力量と胆力で、自らが生きていく道を切り開いき、柄にもなく、気宇壮大(きう‐そうだい)な野望に取り憑(つ)かれ、その野望の実現を目指して、新たな模索を始めていたのである。自力主義である。自力で物事に挑む。
 如何に生きるべきか。何を以ってその志とするべきか。何を以てその大旆
(たいはい)を掲げるべきか。
 そして世に貢献し、奉仕し、誇りある生き方の主張を模索していたのである。
 こつこつと積み上げていくそれは、私にとって小さくても楽しい苦労であった。

 綿のような小雪のちらつく、どんよりとした一日であったが、心は実に爽やかであった。
 この後、由紀子と博多中洲
(なかす)で食事をしたが、心に残る一日であった。やがてこの後、由紀子にも気宇壮大な志を打ち明ける時が来る。
 この時、私は現実を忘れて夢想した。
 彼女が一時の気紛れで、巧
(たく)まざる優美な態度で、幻惑(げんわく)する私へ、自らを魅せ付けるようにして、細っそりとした白い手を差し伸べたのではないかと。
 そしてここまでは、全て順調に運ばれているように思われた。
 しかしそれは「好事
(こうじ)魔が多し」の予兆に過ぎなかったのである。

 「好事魔が多し」の経験は、今までにも何度か経験していた。巧
(うま)くいきそうなことには、とかく邪魔が入り易いものである。(警戒しなければ!)こうした反芻(はんすう)が繰り返されていた。
 由紀子は、よく出来た夜叉
(やしゃ)なのだ。この世の者が見抜くことができない夜叉なのだ。あの美貌の裏には夜叉が潜んでいるのだ。実は、あれは妖怪なんだ。仏に化けた妖怪なんだ。
 見た目は美しい貌
(かお)をしているが、その下には妖怪の本性が隠れているのだ。
 あの美しい貌は仮面だ。本物ではない。作り物だ。俺のような凡夫
(ぼんぷ)には全く歯が立たないのだ。やがて取り殺されるぞ、近付くな。近付くと、啖われるぞ。夜叉であることを忘れるな。
 こう、無理に思い込もうとしていたのである。


 ─────博多から戻る由紀子の車での私の貌
(かお)は、これまで以上に深刻であったに違いない。それは私が、由紀子の事を「夜叉だ、夜叉だ」と思い込む事に余念がなかったからだ。
 そんな心を読むように、由紀子は穿鑿
(せんさく)してくる。
 「何か、心配事でもありますの?」
 ふと、こう訊
(き)かれて吾(われ)に戻るのだった。
 「いえ、別に……」と、はぐらかす返事をする以外なかったが、この「別に」だけでは由紀子が納得しないと思って、次のように付け加えた。

 「僕は前々から、“現代宇宙物理学”というものが、盲点や死角を確認しつつも、また同時に、この学問の信憑性にも懐疑しいるのです。
 そしてこの懐疑はやがて、絶望に変わり、学者集団の象牙の塔に、絶大なる懐疑を益々深めて行ったのではないでしょうか。僕はいま、そんなことを考え付いたのですよ。これは前々からの疑問だった。それを脳裡で反芻
(はんすう)していたのです」
 これは口から出任せのようなものであったが、由紀子の穿鑿を狂わせるのには、もってこいの論評材料だった。これで暫く煙に捲くしかなかった。

 由紀子は「いえ、別に……」という返事の延長が、まさか“現代宇宙物理学”についてという、こうしたものにあるとは思いもよらなかったようだ。私はかつて大学院の物理数学科を受ける時の論文に、この事について没頭していたのを思い出した。盲点を見つけ出そうを藻掻いていたのである。
 「岩崎君って、突然変なことを言いますのね。あまりにも深刻な顔をしていたから、どうしたのかなと思ったら、あたしが想像もし得ない、予期しない次元の事柄を平気でおっしゃいますのね。驚きましたわ、あまりにも次元が違いますもの……」
 「いえ、昔、大学院の物理数学科の受験を目指して勉強した事があったのですが、見事に落とされてしまいましたがね。なぜ落とされたか?と。自分の論理をずっと整理していただけなのですよ、その“結論”が見つからなくて……」
 「それにしても、深刻の次元が、あたしには全く及びにも尽きませんでしたわ」
 「突然、変な事を口走って申訳ありません。何か心配事は?と訊ねられたから、つい、昔の自分の腑甲斐なさが、思わず口をついただけです。当時、僕は“エーテル”存在の実験証明に情熱を燃やし、それに没頭していたのです」
 これで彼女は、私が深刻に何かを思い続けても、それから先の穿鑿はしなくなるだろう。そう、高を括
(くく)ったのである。

 しかし、この思い込みが外れて、由紀子が、「エーテル存在の実験証明って……?」と切り返して来た。そこで終わる話が、後を曳いたのである。
 反射的にその先を口走るしかなかった。
 「エーテル存在の実験証明において、マイケルソンとその弟子モーレーは、その存在自体を見逃しました。本来ならば、もっと積極的に探究しなければならない筈の実験結果が空振りに終り、以降これを受けてアインシュタインも相対性理論だけを発展させて、現代の宇宙物理学に繋
(つな)げ、今日のような光速度不変の原理が誤って伝えられています」
 「アインシュタインが間違っているとでも?……」

 打ち切りにしたかった話が、また蒸し返され、次の質問を生んでしまったのである。
 「はい、光よりも早いものが宇宙には存在しないとした点です」
 誘導尋問
(ゆうどう‐じんもん)に引っ掛かったように、つい、こんな事を口走っていた。
 「エーテルって、物理学では存在しますの?」
 「では逆にお窺
(うかが)いしますが、光を媒介するものは一体何でしょうか?」
 「でも物理学では、例えば水がなくても波は生じる、大気がなくても音は伝搬するという物理現象を根幹に置いて、光を物理学上特別扱いするのは常識になっていますわよ。これは光だけではありませんことよ。
 例えば重力場や電磁場というものも、場理論の観点から、空間には電磁波や重力を伝える未知の媒介があるとしていますわ。
 しかしこれはエーテルでは、決してないはずですわ。もしエーテルの存在があるものとして、これを数学的な数式として現わすには、一体数学的に、どのような数式が提示できますの。先ずこれに答える事が、先決問題じゃありませんこと」
 「?…………」
 何と云う事だ。
 とんでもない方向に、話が持って行かれているではないか。それに彼女の、数学的数式とは?について、何を私に応えさせようとしているのか。馬鹿な。“やぶ蛇だ”と思う。
 「岩崎君。ソビエトのガモフという数学者を御存じ?」
 さて、ガモフを切り出されてとんでもないことになったぞ、と思い始めていた。

 今日の物理学が数学を以て、その数値を表わすようになったのは、ガモフ
George Gamow/1904〜1968年)以来の近年の伝統であり、このウクライナ生れのアメリカの理論物理学者は、原子核のアルファ崩壊に初めて量子理論を応用し、恒星の進化、天体の構造、元素の起源を研究した第一人者であった。
 彼女は、何故この数学者の名前まで知っているのか。
 まさに《恐るべし、妖怪変化》と思った。
 「確かに現代の物理学は、数学的思考によって物理理論が構成されています。
 だが物理学は数学と異なり、自然界の現象を説き明かす学問です。なぜ自然界を説き明かすものの中に、数学を導入しなければならないのですか?!」率直に疑問点を訊いてみた。

 「岩崎君って、直ぐに熱くなるタイプの人ですね。もう、これ以上、ご質問致しませんわ。第一、あたしの専門外だし、到底、岩崎君の論理には、及びも尽きませんもの」
 これから先の話に、彼女は“降り”た観があった。
 「……………」
 私は沈黙した。
 先の質問を続けないのは、私にこれ以上、熱くなって欲しくないのだろう。同時に、彼女は私の性格をも即座に読み取ったのである。やはり、彼女の心因性の中には、夜叉的な何かが存在するのか。まさに“恐るべし”だった。
 そして私の過熱は遂にはメルトダウンを起こし爆発することまで予期しているのである。
 このとき私は当時の反芻
(はんすう)をした。
 私の云う懐疑
(かいぎ)とは、不可知論的な懐疑であり、客観的真理の認識可能性を疑い、断定的判断を原理的に差し控える態度をとるもので、哲学的には、意識に与えられる感覚的経験の背後にある実在は、論証的には認識できないという説を支持するものである。

 それが、「何か、心配事でもありますの?」の問いかけから、訝
(おか)しな方向へと脱線してしまったのだった。しかし、由紀子の質問は鋭かった。
 彼女の、その頭脳の良さが克明に披露されたのだった。私は、もう負けていた。いや、負かされていた。


 ─────由紀子の車に乗せて貰って道場に向かう途中、時間の少し早いこともあって、“ちょっと自宅に寄って、お茶でも飲んでいかないか”と彼女が誘った。無下にも断れないが、当然言われる儘に彼女の家に寄れば、あの威厳のある彼女の父親と鉢合わせになり、顔を会わす羽目になるかも知れない。私は由紀子の父親が苦手だった。
 資産家としての貌も嫌いだったが、歯科医師で、それも歯科でも時代の先端を行く歯科外科医で、医師特有の尊大な側面はもっと苦手だったのである。こう言う人とは永遠に平行線なのである。
 そして「何しに来た?!」と頭ごなしに怒鳴られれば、怖
(お)ず怖ずと後退(あと‐ずざ)りし、退散するのが“落ち”であろう。尻尾を巻いて逃げ帰ることになるだろう。私はそれを恐れて気後(きおく)れした。

 この場はこの儘、そっとして退散するべきだ。そう思っていた。
 しかし彼女は皮肉にも、自分の家の玄関前を通過しようと試みていたのようだ。
 通過して行く道は以前来たことのある、桜井歯科医院への道だった。何処か見覚えのある風景だった。

 (もしや?)と思ったら、まさしく自分の家に彼女は向かおうとしていたのである。こうなったら肚(はら)を据えるしかない。私は観念していた。彼女に“臆病だ”と思われたくなかったのである。
 「上ってください」といわれれば、素直にそうするしかあるまいなどと、起ってもいない不安が次から次へと脳裡を翳
(かす)めた。既に爼板(まないた)の上の鯉(こい)であった。しかし「恐れるものは皆来る」を警戒しなければならない。
 そしてそこで見たものは、顔の皮を突き破るくらいの衝撃であったのだ。

 桜井歯科医院と併設して立っている、彼女の自宅の前に車が着くと、偶然にも、そこから一人の背の高い青年が出て来た。好青年の印象が強烈だった。長身の爽やかな印象を与えるその人は、実に堂々としたスポーツマンを思わせる秀才エリートタイプの青年紳士であった。
 スマートな体躯に白晢
(はくせき)な美貌(びぼう)を持っていた。
 イギリス・カレッジ風の紺色のブレザーにグレーのズボン、赤と青のストライプのネクタイを締め、何処もかしこも、全て高級品で上から下まで覆われているように思われた。
 白晢だが、健康そうな引き締まった顔だち。眼が明るく輝き、口許
(くちもと)の印象は理知的で、何もかも清潔感に溢れていた。

 由紀子は車のドアを開き態
(ざま)に、その青年に駆け寄り、彼を私に紹介した。私も慌(あわ)てて車外に出て、ぎこちない会釈をした。
 「こちら、父のT医科歯科大の後輩で篠田さんというの。あたしと同じM学園
(この学校は男女共学でない。男子部と女子部が分かれている。男子は此処から他の有名私立を受験し、女子は高等部まである)の中学時代の先輩にも当たりますのよ。そして医学博士でもありますの。今はK歯科大の医局員をなさっていて、専門は歯科外科学で来年同大学の講師になられるのですって」
 こう紹介された時の、私の衝撃は激しかった。単なる嫉妬どころではなかった。激しい衝撃であった。由紀子に男友達がいても不思議ではなかったが、そうしたことは敢えて確認したくなかったのである。
 このように系統立てて紹介されると脳裡
(のうり)に、明確なエリート人間像が出来上がり、彼の“毛並みの良さ”から、貴公子(きこうし)の姿を連想したのだった。
 そのハンサムな彫りの深い、甘い美男の顔だちから、育ちの良さが感じられ、何処から何処までエリートだった。
 この育ちの良さを感じさせる彼の仕種
(しぐさ)には、イギリス紳士を思わせる、徳に包まれた感じを漂わせていた。欠点だらけの私と違って、何一つ欠点が無い、完璧主義者のように目に映った。何処を比較しても、私とは天地の開きがあった。
 既に由紀子には、こういう人たちで取り巻かれているのかという、諦めのような気持ちが走った。
 由紀子が彼に話すその姿は、随分前からの知り合いのようであり、その語らいの中で、恋人のそれではないかと思えるようなところが窺
(うかが)えた。
 何処か、彼女と彼は、言葉に表現ができない程、馴れ馴れしいのだ。「恋愛進行中」という真っ只中にあるように思われた。一瞬、片思いが破れたような気がした。そして嫉妬心が込み上げていた。到底、私の及ぶところでないと思った。

 「こちら、岩崎君。あたしの小学校の時のクラスメートなの。えーと、今は何をしているんだっけ?」
 彼女から、そう問われた時には、非常に悲しく辛いものを感じた。ひどく自尊心が傷つけられたような気がした。職業を尋ねられたのだ。
 もう、既に感情の鍛錬が無駄になっていたのであった。余りにも違い過ぎる異次元人種に、近寄り過ぎた気がした。私は黙って、この場を立ち去るしかなかった。しかしこのような行動に出れば、私の心の内は見透かされ、そこに淀
(よど)んだ感情は露(あらわ)になる。「腐っても鯛」でいたかった。しかし“腐った鯛”は誰からも敬遠される。

 私はそれを恐れて、快活を装って取り澄まし、「岩崎健太郎です。一騎当千
(いっき‐とうせん)の気魄と、その志(こころざし)に燃えて、プロの武術家として、道場経営をしています」と、作り笑いを添えて答えた。
 この一見誇張した言葉に怯
(ひる)みもせず、「ほッー、何の道場ですか?」と切り返した。
 彼は一瞬好奇の目を向け、次に侮蔑
(ぶべつ)の意味合いを含めて、私に訊き返したのだった。彼は人を見下す意識があった。
 「でも、岩崎君って、恰好に似合わず博学ですのよ」
 変な助け舟を、由紀子が出した。
 「ほーッ、博学?……」
 それは一見馬鹿にした口ぶりだった。見下している事が、ありありと窺
(うかが)われた。
 彼女の助け舟は私のとって有り難迷惑だった。貴公子の心証を悪くしたのは一目瞭然だった。私は博学などではない。
 別に、これといった博識があるわけではない。大した学問も持たない。医学博士には遠く及ばない。貴公子の目は、私を見下すことにエネルギーが使われていた。
 そしてその目は《お前などに、ひろく学問に通じていることは一欠片
(ひとかけら)も窺えない》という冷ややかな目をしていた。その顔は嘲笑しているようでもあった。
 「僕は博学などではありません。ただの一介の道場経営者に過ぎません。正直に申しますならば、いまもなお困窮の学徒であり、まだ、修行中の身です。したがって博学などと言う、ひろく学問に通じている博識などは持ち合わせません」
 由紀子が篠田氏に私を紹介するときに遣った「博学」の意味は、ついさっき、博多から帰る途中の車中で話した“現代宇宙物理学”の質疑応答から、先日のボートレース場へ誘った下品なものまでが、彼女の頭の中に未だ長々と尾を引いている為なのだろう。

 「では、博学と、学徒という、遣う意味を誤ったとでもいうのですか?」
 これは実に無礼な侮蔑
(ぶべつ)であり、腹立たしい切り返しであった。
 言葉尻を捉とらえて、相手のささいな“言いそこない”につけ込んで、攻撃するつもりのように受けとめられた。私は、酷く敵愾心
(てきがい‐しん)を感じていた。最も厭(いや)なタイプの、好きに慣れない人間の一人だと思った。
 これに何と答えようかと迷ったが、「まあまあ」ここは一つ落ち着いてという、大らかさを装って、「総合的な古武術です。日本の武術の原点に通じるものです。古典的なものですから、科学至上主義の現代には余りマッチしませんが……」と、やんわりと話の鉾先
(ほこさき)を躱(かわ)すようにしむけた。

 「どんなところがマッチしないのです?」
 彼は、まだ好奇の目を崩さない。むしろ相半ばして、侮蔑に近いものがあった。
 「何しろ、総合古武術は戦略的な兵法ですから、一技、つまり剣道とか柔道とか空手というような一種目的一技でなく、操船術や馬術までを含んだ武術ですから、それを全部習得することが、不可能に近いからです」
 私のこういった多少誇張した言葉に、彼は更に興味を示し、それを畳み掛けるように、
 「馬術ですか。僕も大学時代は馬術部にいました。ただし四年間だけですけどね。五年六年の時は専門課程に入って忙しく、中々暇がなくて、クラブに顔を出すのはタマにでしたがねェ」
 彼は程よく微笑みながら、好人物を思わせるような歯切れのいい受け答えをした。何かを、目論む魂胆
(こんたん)があっての事だろうか。

 これを訊いていた由紀子は、私を今まで、まだまだ、些
(いささ)か甘く見ていたようであったが、その感想を取り消し、少し驚くような顔をして、
 「岩崎君って、馬に乗れるの?」
 「はい、多少は……」
 小学校低学年時代、平戸で育った。その頃、祖母から馬術を教わったのである。
 祖母は馬術教授には厳しい人だった。馬に乗ると人が変わったようになる。普段は仏の祖母が夜叉に急変するのである。
 私は、よく鞭で叩かれてばかりいた。小学校一年のときである。
 とにかく間違うと叱られて、肩となく、頭となく、腕となく、脚となく鞭で叩かれた。よく泣いた。
 だがそれで、今日では何とか恰好だけは保てるようになっていた。祖母は女学校時代、長崎県を代表するような女流の馬術の選手だった。
 「あたしも乗馬をやってみたいわ」
 由紀子は好奇心を高鳴らせながら、乗馬への期待を膨らませて言った。
 こうした話のやり取りの中、次の日曜日、乗馬に行かないかという話になった。次の日曜日とは後三日もなかった。そしてビジターで乗馬するという話が、即刻この立ち話の中で決められてしまったである。

 私は彼女が道場まで送るというのを無理に断って、公営の交通機関を使って道場に向かった。
 穿鑿
(せんさく)と絶望が交互に入れ替わり、道場までの道程(みちのり)を、この考えに取り憑(つ)かれどおしだった。それがまた虚しくさせた。
 私の脳裡
(のうり)には篠田氏についての推理が趨(はし)っていた。問題は彼の育ちの良さであった。この育ちの良さに、どの程度の筋金が入っているかが、私のとっては、未知なるもので、それが問題だった。
 しかし私はこの日、意外なほどの空白感を覚えた。それは既に勝負は着いたという、「敗北」という名の失望であった。由起子は遠く及ばない人なのである。こんな貴公子が登場してきては……。



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