運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
旅の衣・前編 1
旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
旅の衣・前編 8
旅の衣・前編 9
旅の衣・前編 10
旅の衣・前編 11
旅の衣・前編 12
旅の衣・前編 13
旅の衣・前編 14
旅の衣・前編 15
旅の衣・前編 16
旅の衣・前編 17
旅の衣・前編 18
旅の衣・前編 19
旅の衣・前編 20
旅の衣・前編 21
旅の衣・前編 22
旅の衣・前編 23
旅の衣・前編 24
旅の衣・前編 25
旅の衣・前編 26
旅の衣・前編 27
旅の衣・前編 28
旅の衣・前編 29
旅の衣・前編 30
旅の衣・前編 31
旅の衣・前編 32
旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
旅の衣・前編 35
旅の衣・前編 36
旅の衣・前編 37
旅の衣・前編 38
旅の衣・前編 39
旅の衣・前編 40
旅の衣・前編 41
旅の衣・前編 42
旅の衣・前編 43
旅の衣・前編 44
旅の衣・前編 45
旅の衣・前編 46
旅の衣・前編 47
旅の衣・前編 48
旅の衣・前編 49
旅の衣・前編 50
旅の衣・前編 51
旅の衣・前編 52
旅の衣・前編 53
旅の衣・前編 54
旅の衣・前編 55
旅の衣・前編 56
旅の衣・前編 57
旅の衣・前編 58
旅の衣・前編 59
旅の衣・前編 60
旅の衣・前編 61
旅の衣・前編 62
home > 小説・旅の衣 > 旅の衣・前編 8
旅の衣・前編 8

現代は欲望第一主義に奔(はし)った時代である。悪しき個人主義真っ直中である。
 一方で「科学的」と称する論理に入れ揚げ、可視世界と不可視世界の有機的繋がりを否定して、体系のみを重視し、誰もが中途半端な無神論者の道を奔り、神の捧げることを忘れ、捧げれば頂くという根本を見失ったのである。“神は死んだ”の世界を造り上げた。

 現代こそその時代で、現代は神に変わって、スポーツタレントや映画やテレビの芸能人や時の権力者が崇
(あが)められる時代である。この崇拝が、そもそも神に取って代わった“民主”である。
 人民が主体である。だがそれは人民に選ばれたその代表の一握りのエリートを指す。
 したがって人民全体と、一握りのエリートは同義でなく、また同一でもない。両者は全く異質のものである。
 民主と言えば聞こえがいいが、現代は人間が人間を崇める世の中なのである。斯
(か)くして本来崇められるべき筈の神仏が死んだ。

 民主というこの社会システムの枠内では、誰もが一廉
(ひとかど)の人物と言う。そこにいる人間の命は地球よりも重いという。
 だが、この社会の下では、一人ひとりが皆、一廉の人物であると言う定義には、裏に大変な皮肉がも籠っている。
 つまりである。
 この社会を裏から観れば、人民の中に誰一人として、重要な人物はいないと言うことなのである。重要なのは、一握りのエリートである。民主の言葉の裏に巧妙なるトリックが潜んでいることが分るだろうか。
 民主政策が左右何れかに極端化すれば、最も危険な民主独裁になりかねない。


●運命の悪戯

 少年時代の想い出は幾つになっても残留するものである。仄かに淡く残るものである。
 しかし、ただ淡いだけでなく、回想そすれば切ないものである。その切ないものが、巡り廻って再び24歳のときに遣って来た。
 しかしそれだけに、その頃の描いた未来像を少しでも成長させ、その現実に迫っていると、人から見て貰いたいのが、また人情である。
 況
(ま)して落ち目の自分など、見せたくないのである。運命の何と言う悪戯だろうか。
 したがって、綾羅木
(あやらぎ)でのこの再会は、突然のことで慌(あわ)てたが、それと同時に少し引け目を感じたていた。
 由紀子から此処で何をしているのかと訊
(き)かれて、返事に困っているとき道場の子供がやって来た。

 「先生、ご飯がゴッチンでした。どうしましょうか。もったいないから、お粥
(かゆ)にしましょうか?」と、道場の子供二人がやって来たのだった。
 (何て時に来たんだ)と思った。どうせ会うのなら、もう少し恰好の良い巡り会いをしたかったからだ。こういう出遭いは惨め過ぎはしないか。何か裏側を見られたような感じだった。
 手品で言えば、その種明しを道場の坊主どもが明かしているのである。それも底の見える浅い、貧弱な種明しである。
 心の中で、
(この馬鹿ガキめ。こんなところで、何て言うことを訊きやがる。このお方を誰だと思っておる。お嬢様なのだぞ!頭が高い)と言いたかった。
 彼女の世界は、此処に来ている私たちの、庶民の世界とは程遠いお方なのだ。やがて“とてもお偉いお医者さま”になるのだ。下々とは“身分が違う。頭が高い。下がれ下がれ”と言いたかった。この事を彼らに強調したかったのだ。下々とは違うのである。

 背後に展開する山陰
(やまかげ)も、人込みで汚れていない海水浴場の砂浜の磯を洗う波も、映っているものは同質のものであっても、私と彼女の目に映るものは違って見えている筈だ。
 ふと、そんな感想が過
(よぎ)った。
 彼女は、私たちが野宿同様の、蚊帳
(かや)でのキャンプ生活の実態を知る由(よし)もない。彼女が宿泊する小綺麗で清潔な旅館とは、所詮(しょせん)天地の隔たりがあった。
 実に見窄
(みすぼ)らしいのである。

 「岩崎君。今、何していらっじゃるの?小学校の先生?……」と訊かれた。
 「まあ、そんなものですよ」
 「これからお食事?」
 「そんなところです」
 「もし、よければ、あたしたちと一緒にやりませんこと?」
 「大変有り難いのですが、子供たちがおりますので……」
 「何処にお泊まりなの?」
 「いや、この近くですよ」
 「後で遊びに行ってもいいかしら?」
 「はあ……」と、一瞬返事に困り、気の抜けた返事をした。何とも冷や汗が出る思いだった。
 蚊帳を吊っただけの野宿である。場所は出来るだけ知られたくないのである。
 それは見られて彼女を失望させるというだけでなく、私個人の自尊心と痩せ我慢だった。
 枯れても腐っても、武士は武士……。そういう痩せ我慢だった。

 そして、いつの間にか彼女との会話が、よそよそしい返事に変わっていた。落ち目の自分を、意外な所で見られてしまったという劣等感に支配されたからである。
 私はとんだ所で、とんだ人間に出遭ったものだと思った。世間はつくづく狭いと思った。
 一口に奇遇というが、この奇遇は特異点的に襲って来るから、構えるにも身構えが出来ないのである。
 運命の原理原則がある。
 だが普通、この原理原則は見逃しがちである。仮にそれを知っていても、まあまあということで放置してしまう。だが、それを放置すればどうなるか。

 シンギュラーポイントというものがある。特異点のことである。
 例えば、フラスコで湯を沸かしたとしよう。
 ところが初期段階では殆ど変化が見られない。しかし暫くすると、泡が立ち始める。湯気が出て来る。しかしこの状態に至っても、殆ど注意を引かない。だがこの先である。この状態を更に放置する。そうすると急に沸点に達し、湯が溢れ、酷いときはフラスコが爆発する事がある。この危険な点を、シンギュラーポイントという。
 これを社会学的に、運命に当て嵌め、「運命の特異点」と解すれば掛かり易いだろう。
 時勢にも、このような特異点が働いているのである。
 ところが多くはこれを見逃す。放置しておいても、今は状況に変化無しとしていまうのである。
 だが、特異点に到達するのは瞬時である。刹那と言っていい。あっという間に、シンギュラーポイントを突き崩し、一気に浴びせ掛けて来る。気付いたときには混乱の只中にあり、一挙に爆発へと突っ走るのである。
 私の場合も、予想にもしない、特異点に遭遇したのである。

 子供の一人に買いに行かせた缶ジュースを手にしながら、私は彼らのゴッチン飯を、お粥
(かゆ)にする作業を暫(しばらく)く眺(なが)めていた。御数(おかず)は毎度の、ふやけて伸びきったインスタント・ラーメンである。

 私は、此処で五日程の合宿をする予定であった。各自から一万五千円の金を集め、この中から交通費と食事代を捻出して、残金を浮かそうと考えていた。この一万五千円の内訳は、単純にこの金額を五で割り、一日の指導料、食事代、宿泊施設、その他を含めて、一日三千円という数字を弾き出し、決定されたものであった。子供の父母達が即座にこの合宿に応じたのは、この破格の一日間の値段にあったといってもよい。実にセコイ考えであった。この辺が小心者の“細かさ”であろう。

 いつも私は“金に穢い”といわれるが、この辺の細かさと言うか、“こすさ”と言うか、こうしたところが指摘されるのだろう。私に「徳」がないためである。
 徳がないと些細
(ささい)なことを指摘されても、その指摘が、やがて指弾になるのである。そして最後は糾弾となる。私は屈辱に満ちた糾弾の人生を歩いてきた。生まれながらの、不徳の人間だったのである。

 しかし指導料は兎
(と)も角(かく)として、先ず宿泊施設は海の家のような気の利いたものではなく、松の枝に蚊帳をぶら下げたものであり、食事は凡(おおよ)そ、日に三度がインスタント・ラーメンであった。
 だが私個人の資源としては時間であった。これが唯一の資源だった。時間だけは定職を持った就業者に比べて、たっぷり有る事であった。時間がなければ、こうして子供たちを引き連れ綾羅木
(あやらぎ)くんだりまで来られる筈がない。
 これといった仕事に就かず、時間だけを持て余している人間にとって、人生そのものが“時間潰し”の連続であり、この合宿は言わば、私の小銭儲けと閑
(ひま)潰しの一つであった。
 もしかすると、この頃、私は駄菓子屋のオヤジのようなことをして子供相手に“騙し”を遣っていたのかも知れない。あるいは、もっとそれ以下の愚行か……。いや、蛮行と言ってよかったであろう。

 閑を持て余した者が、近所を歩いたり、雑誌や新聞や、テレビのチャンネルばかりをいじって退屈凌ぎに行なう、あの閑潰しの愚行であり、私の閑潰しはこの愚行と類似していた。私の退屈な日々が、この合宿を計画したと言っても過言ではない。そして小銭を“こすく”儲けることであった。小心者の標本のような人間であった。

 子供達の様子に気付くと、年長の子が、年下の子に色々と指図をしている。私は座って缶ジュースを飲みながら、彼らの子供同士の吹き出したくなるような会話を黙って聞いていた。
 「ラーメンはふやかして、たっぷり汁の吸った伸びきったものが、美味いんだぞ」等と言って、火の点
(つ)け方、米の研ぎ方、飯盒(はんごう)の水加減や火の掛け方、更に炊き上がったとき飯盒をひっくり返して、底を叩き、巧くいったかそうでないかの見分け方などを偉そうに説明しているのである。だが、炊き上がってみると、いつもゴッチン飯で、それが最後はお粥(かゆ)に化けてしてしまうのである。まともな、ふっくらとした飯は、此処に来て未(いま)だに食べたことがなかった。毎日お粥と伸びたラーメンであった。
 私も貧しいが、引率した坊主どもも貧しかった。だいいち発想が貧しい。メニューも選択の余地がない。お粥とラーメンしか出て来ないのである。
 そもそも金がないのだから献立を考えることも無理な話だった。飢えないだけでも増しと思う以外なかったのである。

 もう、そんな状態が二日も続いていた。ポリバケツに水を汲んで帰ってくる子供や、燃料の松の枯れ枝を拾って帰ってくる子供を見ると、何となく惨めさを感じる。そんな中で、更に惨めな食事が始まるのである。子供たちは、それを楽しくやっていて、私の意見とは違っていた。子供と大人の見る視線の違いだろうか。
 私は貧しいと感じているのだが、逆に子供たちは、これが日常にはない非日常であることに大変な喜びを感じているのである。その違いを楽しんでいるのである。
 だが、私の場合は日常も非日常も、常に同一線上にあり、その区別がないのである。
 その食事の最中に、こともあろうに由紀子のグループがやって来た。

 その時である。子供の一人が、
 「先生を訪ねて、女の人が来ています」と指さした。一瞬の混乱が起こり、ギクリとした。
 (まずい!)とも思った。来る筈がないと油断していたのだ。
 彼女たちは、近くの交番で私たちの場所を訊いたらしい。そういえば、ここに着いた初日、海岸を警邏
(けいら)中の警察官から、名前や住所等を訊かれ、早く届けを出すようにと言われていたのである。多分そのことから此処が分かったらしい。私は慌てるしかなかった。食べているものを必死で隠したかった。しかし、今となっては、既に手遅れだった。

 「よく此処が分かりましたね」私は空惚
(そら‐とぼ)けて、平然を装って返答した。
 「あそこの交番で訊きましたのよ」と由紀子が、少し反り返った嫋
(たお)やかな指をその方向にさした。
 彼女の何処となく上品さを感じさせる会話を聞いた子供たちは、口にラーメンやお粥を放り込んだ儘、キョトンとした顔で、この会話を聞いていた。私は貧困に喘
(あえ)ぐ、荒れ果てた、極貧のボロ家を覗かれてしまったような気がした。

 由紀子が、「君たち、何処の学校?」と訊くと、
 「俺、枝光小」「俺、枝光北小」「八幡小」「尾倉小」「中央小」「天神小」と、あちらこちらから元気のいい声えが上がる。
 「へーッ、君たち。みんな学校が違うの?」と由紀子が驚きの声を上げた。
 そして、彼女が、
 「岩崎君て、変わった学校の先生してるのね。どんなこと教えていらっしゃるの?岩崎君。ねぇー?」と訊かれて、私が返事に困っていると、子供の一人が、これを真似して、
 「岩崎君。ねぇー、教えてよ」と言ったので、ドッと笑い声が上がった。完全にガキどもからなめられていた。

 「話が複雑ですから、後でゆっくり説明しますよ」
 「そう……」と彼女から気のない返事が返ってきた。それ以上穿鑿する気持ちもないらしく、またそれ以上の興味も示さなかったようだ。
 「君たち、差し入れを持ってきてあげたわよ。皆で食べなさい」と言うと、
  子供たち全員が、「ごっつぁんです!」と息の揃った大合唱した。嫌な言葉だ。
 何故なら、これは私の情事時の淫語であるからだ。ふと、千代の貌を思い浮かべてしまった。一瞬時間が逆回転した。思わず、過去に時間を引き戻されてしまった。

 そして何か分からないが、変な空気に振り舞わされているのを感じていた。しかし子供たちは、その予想外の差し入れに大喜びし、これを機に、いきなり食事が豪勢なものになる。これに女気が加わって、更に華やかになった。変な勢いに呑まれた観があった。
 隣に居た私たちと同じ、蚊帳
(かや)を吊って野宿していた同宿連中が、羨(うらや)んで、時々「それに比べて俺たちは……」と嘆きの溜め息が聞こえてくる。私はそんな彼らにも、細やかなお裾分けしてやった。
 次の日、買い出しから戻ってみると子供たちが居ないのである。そのうえ米も研いでないし、食事の準備もしてない。何と言うことだ。

 (あそこだな)と検討つけて行ってみると矢張りそこに居た。坊主どもは由紀子たちから大判振舞を受けているのである。
 私に気づいた由紀子が、
 「岩崎君。こちらであたしたちとお食事しましょうよ」と誘うのである。
 私が呆気
(あっけ)にとられていると、再度これを勧める。由紀子の勝手なお節介に、少しばかり腹が立って来た。
 今度は子供の一人が、「岩崎君。そんなに遠慮しないで、こちらにいらっしゃいよ」と嘗
(な)めた口のきき方をするのである。これですっかり頭に来てしまった。
 心で、
(あの糞ガキども、帰ったらどうしてやるか見とれ!)と思いながら、一先ずこの場を黙って立ち去り、私一人が蚊帳吊り宿舎所に帰って行った。

 この年の合宿は誤算に継
(つ)ぐ誤算であった。
 この哀れな蚊帳を吊っただけの合宿には、いやしくも稽古することが課題であった。ところが、此処に来て以来、持参した道衣には全く手を通さずじまいだった。稽古らしい稽古を、まだ一度も遣ったことがないのである。道衣持参はあくまで「道場合宿」という表向きに過ぎなかった。
 私は、天女のように現れた由紀子の機知
(きち)に、終始翻弄(ほんろう)され通しだったのである。そのうえ生まれも、出来も、発想も、考え方も違っていた。大きな開きがあった。そもそも頭の構造自体が違っていたのである。
 果たしてこの違い、隔たりの差は埋められるのか。違った運命は変えられるのか。

 算命学などでは「宿命は変えられないが、運命は変えられる」としている。
 しかし、私としてはこれまでの経験から、運命は変えられる、つまり「変えたい」とする行動原理には、それを変えるとして、「いい運命に変える」と、もう一つ「悪い運命に変わってしまった」と考える両者間の区別があるのではないかと思うのである。
 だが、運命は変えられるとするなかに、なぜ「いい」と「悪い」があるのだろうか。
 そして「いい」とするのは、人生の目的を富や地位、名誉などに置いて、それを手に入れられれば、それはいい運命であり、そうでない場合は悪い運命と決めていることなのだろう。
 しかしである。
 運命のテーマを富や地位、また名誉以外に設定している人にとって、人間的な成長や意識の進化において、このような考え方は却
(かえ)って邪魔になるのではないか。むしろその種のものがあることによって、個人主義的なエゴが拡散し、自惚れた優越感が露(あらわ)になり、思い上がりも甚だしくなる。低次元の毒に侵される危険もある。その可能性も当然懸念するであろう。そうなると顛落(てんらく)である。
 運命の善し悪し。果たして運命の法則は、良い兇
(わる)いで区別できるほど、単純だろうか。
 こうなると、運命の善し悪しにレッテルを貼ってそれに固執する解釈が正しいか、総てを好運と捉え、そのように割り切ってしまう方がいいか、こういう結論に至るのである。

 雲の上の人……。
 普通、こうした人間はエリートを鼻に懸けて、俗人は滅多に近付けないのであるが、由紀子の場合は違っていた。気さくなのである。物事にこだわらないのである。打ち解ける性格をしているのである。
 しかし、これはそれだけに始末が悪かった。危険を知らずに近付いてしまう危険があるからだ。
 お高くとまって、「頭が高い」と威嚇
(いかく)し、私のような愚者を追い払わないだけに、愚者は花の蜜に惹(ひ)かれて、群がる蝿のようになる。知らず知らずに近付いてしまうのである。
 もし彼女がお高くとまっていたら、また私に尊大な態度を示していれば、私の人生のその後も、もっと違ったものになっていたであろう。何と言う皮肉であろうか。
 もう既に、人生全体からすれば、悲劇のモードの軌道を踏んでいたことになる。




●由紀子との付き合いはじめ

 由紀子と私は同
(おな)い年である。
 彼女が六月、私は八月の生まれである。九星気学
(きゅうせい‐きがく)で言うならば星回りが七赤金星で、女から主導権と取られた男は、どうなるか。少なくとも幸福とは言えまい?何故なら、同じ年に生まれながら、彼女とは生まれの次元が違うのである。

 ここで生まれの違いを定義づけるとするならば、差し当たり環境の違いであろう。双六
(すごろく)のゲームで言うならば、スタート地点が違っているのである。
 そして彼女は私の生涯の天敵であった。
 では、その天敵である証拠を八門遁甲
(はちもん‐とんこう)の『命術』(めい‐じゅつ)から、実際に割り出して証明してみよう。

 ここに、「十干
(じっかん)」の出し方と「八門」の出し方を上げているので、この表から読者はその割り出し方をご理解していただきたい。
 【資料・表1】は十干の出し方である。また【資料・表2】は八門の出し方である。
 ここに上げているのは十二支
(じゅうにし)である。
 所謂、子
(ね) ・丑(うし)・寅(とら)・卯(う) ・辰(たつ)・巳 (み)・午(うま)・未 (ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)である。
  その生日支の十二支と生月支の十二支から八門を割り出すのである。

 【資料・表3】は暦であり、例として、昭和23年生まれの暦をあげている。
 ここに八門遁甲「先天の命術」割り出し方を示してみた。
 命術の先天の気割り出し式は、次の式から求めることができる。

 私は昭和23年8月1日生まれである。
 昭和23年は
【資料・表3】から分かるように「戊子」の年であり、昭和23年の8月は、同表から「庚申(かのえ‐さる)」の月であり、その日の1日は、「戊午(つちのえ‐うま)」の日にあたる。
 「十干」は、生まれ年の「戊」と、生まれ日の「戊」から
【資料・表1】を参考に十干の割り出して、「癸儀(はつぎ)」と決まり、八門は、生まれ月の「申」と、生まれ日の「午」から【資料・表2】を参考に八門の割り出して、配当盤から「驚門(きょうもん)」と決まる。即ち、昭和23年8月1日生まれの私の先天的な生まれ方は、「癸儀」と「驚門」の基本性格から、消極的で無気力な性格であり、それに加えて、臆病で小心者となる。

生年干 生日干
 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 









乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 甲
丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙
丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙
戊 己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁
己 庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊
庚 辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己
辛 壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚
壬 癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛
癸 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
【資料・表1】十干の出し方


生年干 生日干
景門 休門 生門 死門 開門 驚門 傷門 驚門 開門 生門 驚門 杜門
休門 景門 驚門 驚門 景門 開門 生門 死門 生門 開門 死門 驚門
生門 驚門 景門 杜門 驚門 死門 開門 驚門 死門 驚門 開門 休門
死門 驚門 杜門 景門 驚門 生門 生門 開門 驚門 傷門 休門 開門
開門 景門 驚門 驚門 死門 生門 生門 杜門 開門 休門 傷門 驚門
驚門 開門 死門 生門 生門 景門 杜門 生門 死門 開門 生門 傷門
傷門 生門 開門 生門 生門 杜門 死門 休門 驚門 驚門 開門 驚門
驚門 死門 驚門 開門 杜門 生門 休門 景門 生門 生門 死門 開門
開門 生門 死門 驚門 開門 死門 驚門 生門 景門 杜門 生門 生門
生門 開門 驚門 傷門 休門 開門 驚門 生門 杜門 死門 生門 生門
驚門 死門 開門 休門 傷門 生門 開門 死門 生門 生門 景門 驚門
杜門 驚門 休門 開門 驚門 傷門 驚門 開門 生門 生門 驚門 死門
【資料・表2】八門の出し方


昭和23年(1948)戊子
境目 月干支 日干支
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
酉6日
卯5日
子5日
卯5日
亥5日
寅5日
未7日
子7日
丑8日
酉8日
亥7日
未7日
癸・丑
甲・子
乙・卯
丙・辰
丁・巳
戊・午
己・未
庚・申
辛・酉
壬・戌
癸・亥
甲・子
乙・酉
丙・辰
乙・酉
丙・辰
丙・戌
丁・巳
丁・亥
戊・午
己・丑
己・未
庚・寅
庚・申
【資料・表3】(昭和23年/1948


 甲尊 
乙奇
丙奇
丁奇
戊儀
己儀
庚儀
辛儀
壬儀
癸儀
 上品で気高い。
 穏健でおとなしい。
 強引で押しが強い。
 知的で、知恵で勝負。
 要領がよく交際上手。
 人気があり異性にもてる。 
 決断力が強い。
 精神面に重きを置く。
 行動的で実行型。
 消極的で無気力。
 休門 
生門
傷門
杜門
景門
死門
驚門
開門
 落ち着きがあり、温和。 
 積極的。
 冒険好きで無鉄砲。
 陰日向があり嘘つき。
 派手で表面的。
 保守的。
 臆病で消極的。
 明朗で開放的。
十干先天命の基本性格の読み方 八門先天命の基本性格の読み方


 私は、占いの類(たぐい)を信じる程、ヤワな人種ではないが、八門遁甲(はちもん‐とんこう)が下す命めい/五術の命・卜・相・医・山の一つ)は別扱いであり、これは方(まさ)に的中といわなければならない。これは弱点を衝く歴(れっき)とした兵法であるからだ。
 したがって、先天的な生まれ方自体の基本性格は、余り良い生まれではないということが分かる。更に先天の気の生まれ方から起こる行運の基本暗示の割り出し方は、生まれ日が、「戊・午」で、昭和23年の年の行運は、「戊子」の年であり、「戊」の日と「戊」の年で、これは「癸儀
(はつぎ)」であり、「子」の年と「午」の日で、「傷門(しょうもん)」と言う先天的な暗示に定められた行運を辿(たど)るわけである。即ち、生まれた年の行運の暗示は、死亡するか脆弱(ぜいじゃく)で非常に弱々しく、万一生き残ったとしても、病気などの健康上の障害を起こす暗示を持っていたことである。

 一方、彼女の場合は、昭和23年6月15日生まれで、昭和23年は「戊子」の年であることは既に述べたが、昭和23年の6月は、「戊・午」の月であり、その月の15日は、一日が「丁」であるので、「丁」から数えて15日後の「1日目の丁から始まって、戊
(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)・甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊・己・庚で、15日目が辛にあたる」は、「辛」であり、その月の15日は、1日が「巳」であるから「巳」から数えて15日後(1日目の巳から始まって、午・未・申・酉・戌・亥・子・丑・寅・卯・辰・巳・午で、15日目が未にあたる)は「未」である。したがって生まれ日の干支は、「辛・未」である。

 彼女の「十干」は、生まれ年の「戊」と、生まれ日の「辛」から十干の割り出し表を見て、「丙奇」と決まり、八門は生まれ月の「午」と、生まれ日の「未」から八門の割り出し表を見て、「休門
(きゅうもん)」と決まる。
  即ち、昭和23年6月15日生まれの彼女は、先天的な生まれ方は、強引で押しが強く、冷静で洞察力があり、温和で諂
(へつ)らわない性格で、合理的な考え方をする成功を暗示させる星の許で生まれてきたということがわかる。
 更に、先天の気の生まれ方から起こる行運の基本的な暗示の割り出し方は、生まれ日の干支
(かんし)が「辛・未」で、昭和23年の年の行運は「戊子」の年であり、「辛」と「戊」で「丙奇(へいき)」と決まり、「子」の年と「未」の日で、それは「驚門」となり、先天的な出発は、幾分の不安定な要素を生まれた年には持っているが、金銭に困ることがなく、先天的な生まれの良さと、良い家庭に支えられて育った暗示を持っていたことが窺(うかが)える。
 つまり生まれによる「格」の違いである。この「格」の違いは埋めようにも埋まらないものである。その星回りの要素を含んでいるからである。
 この要素は自由意思のある人間にとって、人生は選択の余地があると言いながらも、ある人にとっては簡単であるが、別の人にとっては凄く大変なことなり、仮に一つのことを克服するにも非常に長い歳月を要するのである。これが「格」の違いである。「格」が上にある人には簡単だが、下にある人は大変な努力を要するのである。

 だが、「格」が下であるからと言って、悲観することはない。上に向かって進もう、そう考えて進み始めればその足取りは遅々としたものだが、必ず前に進んでいるのである。途中で諦めればそれまでだが、少しでも前に進む。問題なのは途中で頓挫することである。

 参考のために、十干と八門の組み合わせ表を挙げてみた。
 以上あげた各資料の内容から、私は彼女の天敵にされる他なかった。これは幸運な事でなく、実はこれが不幸の始まりだった。
 このように、彼女とはだいいち先天的星回りの生まれ方、即ちスタートラインがそもそもが違っていた。
 更に良い家庭に生まれ、経済力も違っていて、資産家の裕福な歯科医の一人娘でもあった。こういう高嶺の花が、何処を探しても幸せになる要素は転がっていなかった。
 この条件のもとで、平等とは程遠い、「生まれ」の“人生双六”が始まっているのである。
 これらの要素は貧者の劣等感であり、また主導権を彼女に握られる原因でもあった。
 ここから「優越感」対「劣等感」の鬩
(せめ)ぎ合いが始まるのである。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法