運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 2
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旅の衣・前編 6

光溢れる希望に満ちた前途にも、何故か翳りが……。
 順風満帆のときこそ殆
(あや)うい。
 好事魔が多しという。
 順風満帆に有頂天になると、後でとんでもない“どんでん返し”を喰らう。巧くいっている時こそ、危ないのである。


●道子との出会い

 道場の折り込みチラシの広告を見て、沢田道子という当時二十一歳の女性が入門して来た。
 最初は、
(うちの道場にも、中々の美人が入って来たな)くらいにしか思っていなかった。安易に捨て流し、別に気に留めるほどの注意を払わなかったし、特別な感情も抱いていなかった。
 ところが、ある時期を起点に、勝手に恋慕の思いに火が点
(つ)いたのである。彼女が矢鱈(やたら)目につくのだった。気に懸かるのだった。私は、女に惚(ほ)れ易い質(たち)であったことを正直に告白する。
 考えてみれば、それだけ軽薄であったと言えよう。
 正直に言って、感覚的に、本能的に、冷静に物事を考慮する思考のなさが、こうした異性執着に拍車を掛けるのかも知れなかった。

 ほとほと、自分でもそんな性格だと思う。色情の因縁を持って生まれてきているのか。
 仕方がないと思うが、過去世
(かこぜ)からの習気(じっけ)である事を思えば、あるいは異性に眼が曇る、損な性格をして生まれて来たのかも知れない。
 私はこれを深刻に考えず、気楽に考えようとした。根っからの、生来が“極楽トンボ”であったのかも知れない。処
(ところ)構わず飛び回るのである。その害、甚だ迷惑極まりなし……。

 彼女は容姿端麗
(ようし‐たんれい)で、稽古の時には美人の故(せい)か、一際(ひときわ)目立っていた。それが最近は特に目立っていたのである。遠望しても目立つ。それからは彼女に、次第に目が行くようになり、その存在に気付き始めていた。
 いつしか、彼女の優しい人柄に魅
(み)せられていった。あるいは魅惑されたのかも知れない。
 稽古が終わっての道場からの帰りの道も、同じ道筋だったし、そういうことで、帰りの僅かな時間を伴
(とも)にし、歩きながら、よく語らった事があった。

 この時は、私は大学の卒業を目近
(まじか)に控えた四年生の後期で、私は就職をせずに、道場経営を職業にしようと考えた時である。まだこの時には、私には新緑のような溌溂(はつら)とした、希望に燃えている時期であった。翌年の三月中旬頃に大学を卒業し、一切の就職を断って、道場経営に打ち込もうとして居た時であった。
 そんな時に、道子を心に留めるようになっていたのである。人生の伴侶として、共に助け合って、愛を育てられる事ができると思ったからである。

 彼女の家族構成は、五人兄妹の下たから二番目が、彼女であった。
 彼女の母親の話では、子供の頃からの大変な甘えん坊であったともいう。母親っ子なのである。そうした話を聞く為に、よく来訪に通ったものであった。
 物静かで、琴と日本舞踊を得意とする女性であった。私の趣味とも適合していた。
 当時、彼女は地元では屈指の県立高校を卒業して、大手のH製作所八幡支店に勤務していた。
 道場の帰り、夜道が暗いからという理由で、家まで送っているうちに、段々心が通い、深い間柄になっていった。

 ある日、舞いを舞う女性を形取った博多人形を、彼女にプレゼントしたことがあった。
 彼女は、その人形の人形ケースの背後に、自分の舞扇を入れていた。それがとても粋
(いき)で、人形がよく引き立っていた。調和が取れて、中々のセンスであった。そんな日本の粋を知る淑(しと)やかな女性であった。私が惹き付けられないわけがなかった。

 何度も彼女の家を訪ね、着物姿の彼女を相手に、夜遅くまで将来の展望を話したことがある。既に結婚を申し込み、彼女の両親からその了解を取り付けていた。この時は、トントン拍子に事が運んだのであった。それは、実に恐ろしいくらいの早さだった。何もかもが順風満帆
(じゅんぷう‐まんぱん)なのである。結婚を前提とした交際は、約五ヵ月ほど続いただろうか。

 翌年の正月には彼女の父親から、元旦の年賀の酒席に招待を受けたことがあった。大変厳格な人で、恐ろしい程の威厳と格式を重んじる人だった。この家には、まだ日本古来の厳しい程の家長制度が残っていたのである。
 長男は京都の、かの日本でも屈指のK大学を卒業して、県立高校の数学の教師をしていた。長女は小倉のTデパートに管理職として勤務していた。次男は北九州市戸畑区のY製作所の設計技師。彼女の下の妹は県立看護学校の学生であった。なかなか遣
(や)り手ぞろいの、頭のよさそうな兄弟姉妹が揃っていた。

 ときどき彼女の家に訪れて、彼女の部屋の炬燵
(こたつ)の中で、何時間も彼自身の未来像を話したり、あるいは他愛のない日常会話を楽しんだことがある。そして結婚の約束を取り付け、やがて彼女と婚約とり交わしていた。
 しかし彼女の両親は、私の道場師範という職業を余り歓迎してはいなかったようだ。
 また、道場経営に乗り出す事が、彼女自身余り好きではなかったようだ。
 門人から月謝を貰って、その金で生活をするのは、非常に心苦しいと言うのだ。
 道場経営を、ビジネスと考えず、月謝は必ずしも商行為から派生する対価とは思っていなかったようだ。
 したがって人から金銭を貰い、その謝礼によって生活するのは心苦しいというのであった。
 そして、私に口癖のように、「ちゃんとした職業に就いてね」というのであった。

 私は彼女のこの言葉だけに、いつも引っ掛かり、躓
(つまず)きを見せていた。彼女の持論は、普段はサラリーマンか何かをしていて、その余暇を利用して道場を遣(や)ればいいと言うのであった。道場師範を職業にしてはいけないと言うのである。
 道場はあくまでアマチュアの線を超えず、職業はサラリーマンなどの別の職業があり、会社勤めで生活費を稼ぎ、それに徹するべきだと言うのであった。主体はサラリーマンで、道場は副業にせよと言うのであった。
 既に彼女は、道場では「飯が食えない」ことを知っているかのようであった。
 しかし私は、些
(いささ)か彼女の考え方に抵抗感を抱いていた。無意識に、抗(あらが)いたい気持ちになっていた。生来の極楽トンボに、箍(たが)を嵌められることを嫌っているように感じるのであった。
 思えば、私は宮仕えが出来ない人間であった。
 所謂
(いわゆる)社会不適合である。敢えて言うなら、自由人業の世界の人間であった。

 私のような人間に対して彼女の両親も懸念する筈である。おそらく両親も、自分の娘が、貧乏で困窮
(こんきゅう)することに、些(いささ)かの懸念(けねん)を抱いていたようでもあった。
 それでも私は粘り強く、将来の道場経営の展望を熱っぽく語り、力説した結果、何とか婚約まで漕ぎ着けたのである。私に説得負けした観があった。
 婚約に漕ぎ着けたのは知り合ってから、約一ヵ月後のことであった。だが周囲からは「手が速い」と揶揄
(やゆ)された事もあった。

 彼女は私が以前、女遊びが盛んであった事を知っていて、手紙に、「もう、これ以上、色を好んではいやですよ」と書いてきた。私の道場経営に対しても、反対とはいかなくとも、消極的で、お互いの持論の食い違いもあり、そこに亀裂が入り始めた事を、私はまだ正しく把握できないでいた。しかし、事は崩壊へと向かっていたのである。

 彼女は霊感が強い人であった。
 彼女も私の背後に、女性の霊を感じると言っていた。恋の終わりに、水を指すとうな発言であった。もう、この頃からぎくしゃくし始めていた。
 それから数日後、ふと、「もしかしたら、あたしたち結婚できなくなるかも知れない」などと、訳の分からぬ事を言い出したのである。そして、これが五ヵ月後には、これが見事に的中する事になる。
 それに怒って、「俺を愛してないのか」と訊
(き)くと、そうではないという。この時、彼女には、何か、先の事が見えていたのであろうか。あるいは愛していながら、添え遂げられない理由が、他にあったのだろうか。

 人間の「性
(さが)」というものは、本能だからと言ってしまえば、それまでである。もって生れた性質や宿命であるといえば、それまでだ。
  しかし、私は女性を性欲を充
(み)たす為の道具だと片付けてしまう気にはなれなかった。精神的な、心の繋(つな)がりが必要だと思っていた。

 人間が単なる動物ではない以上、仮に性
(せい)の営みをする事はあっても、他の動物と同じように、性欲や本能的な衝動だけで、人間の男女は異性が好きになるとは思えなかった。愛の名を借りた動物の交尾を、愛だとは信じたくなかった。異性を愛しく思う心と、肉欲に狂う卑猥(ひわい)な心は同じものでない。
 そこには異性の期待を自分の思い通りにすると言う以外に、何か別の他のものがあると考えていたからだ。だから婚約は取り付けても、婚前交渉と言う、肉の繋がりを、道子には持たなかったのである。それは紳士を気取ったわけでない。愛
(いと)しき者へ、自然にそう言う気持ちを抱いたのである。
 当時もちえた私の個人的な紳士道観である。


 ─────その頃、道子と同じ頃に入門した高嶋という男がいた。この男は、Y大学の少林寺拳法部に属していて、矢鱈
(やたら)に覚えた技を掛けたがり、少々軽薄なところがあった。
 彼女の予言を、この男が見事に的中させたのだった。
 こともあろうに、この男が、受け身の取れないような、へんてこな技を自分で編み出し、私の居ない時に、彼女を相手にして、無理やり投げたのである。そして彼女は足を捻挫してしまった。
 この捻挫はなかなか治らなかった。それ以来、彼女はビッコのような状態になり、段々それが酷くなっていった。投げた男は無知なためか、何の責任も感じていなかったようだ。

 それから暫
(しばら)くして、彼女から手紙が来た。
 「これ以上、あなたのお傍に居ると、わたしは足手纏
(あしで‐まと)いになります。あなたのお役には立てません。でも、愛しています」という内容だった。
 その手紙を書き残して、彼女は何処かに姿を消してしまったのである。全て、結婚までのお膳立が順風満帆
(じゅんぷう‐まんぱん)に運ばれ、あんなにうまく行っていた彼女との関係は、一挙に急変して、辛いドン底へ叩き落とされたのである。青天の霹靂(へきれ)だった。
 この現実が、実際に信じられなかった。現実に起こった事として、目を、耳を疑わずにはいられなかった。
 「好事
(こうじ)魔が多し」とは、この事だった。まさに、我が耳を疑う、「寝耳に水」であった。

 彼女の家に行って、その行き先を家族の全員に訊
(き)いても、口裏を合わせたように、「何処に行ったか分からない」という。これは私への、遠回しの、婚約を解消したい旨の言い方だったかも知れない。
 家人は、本当は知っているのであろうが、私には教えてくれなかった。「知らない、分からない」の一点張りで押し通された。彼女の母親も、一見申訳なさそうに、沈鬱
(ちんうつ)な表情をして知らないという。そして会社も辞めてしまっていた。
 私は一人で、狂ったように夜の巷
(ちまた)を捜し求めた。辛かった。何処を、どう歩いたのか、彼女の失踪(しっそう)の謎は、容易には掴めなかった。

 寒い二月のある日、投函場所が明記されていない手紙が、彼女からまた届いた。切手に押された消印は松本局だった。松本とは、一体何処の松本なのだろうか。私は捜索の為に焦っていた。捜さねばと思った。第一、私から去った理由を、どうしても聞き出さねばならなかった。婚約まで誓って、これが裏切り行為に思えたからだ。何故こうした痛めつけ方をするのだろうか。ある種の憎悪が疾
(はし)った。

 内容はこうであった。
 「捜さないで下さい。辛いのはわたしも同じです。いずれ、時が解決するでしょう。いつもあなたのお傍に居て遠くから見守っています。心から愛しています。あなたの道子より」となっていた。
 私は呆然
(ぼうぜん)となった。裏切られたと思い、自己嫌悪が湧いた。裏切りと思う、自分自身が嫌でたまらなかった。
 彼女は何処か遠くへ旅に出たようである。彼女は私一人を置き去りにして、いつ果てるとも知れない旅に出たのだろうか。何故このような道を選択したのか。疑心の余りに、私はそう断定せずにはいられなかった。裏切られたような空しさを感じた。
 そして、幾日かして、私は躰を悪くした。余りにもショックが大きかったのだ。油断している時に、思わぬ不意打ちを喰
(く)らったのであった。その不意打ちは大きかった。

 生まれてこの方、幼少の時期を除いて、病気を殆どした事がない私は、運命の残忍な傷跡の辛さのせいで突然斃
(たお)れた。道場に行けない日が何日も続いた。卒業を目近に控え、大学にも行けない状態だった。一日中、床の中で、悪夢を見ていた。勿論、山村師範のところにも姿を出せない日が続いた。
 床の中で、明けても暮れても、行方の分からない、道子の事ばかり考えていた。ある日、往診した医者から鎮静剤を打たれて、深い眠りに落ちた。

 これを、道子は霊感のようなもので知っていたのであろうか、突然、私の家に現れ、母に五万円を預けて、
 「治療費の一部にして下さい」と言って、去って行ったという。

 私はこの時、道子との肉の繋
(つな)がりは、一切なかった。
 婚約をしているのだから、そんなに慌
(あわ)てることはないと思っていた。早々と、婚約を勝ち取っていたので、そこには一瞬の驕(おご)りがあり、女心の豹変(ひょうへん)の速さに気付かず、疎(うと)いところがあったのかも知れない。こうした、一種の油断を衝(つ)いた、失踪だった。誰が悪いと言うのでもなかった。私一人が、お人好しで“独り相撲”をしていたのであった。

 眠りから覚めた時、これを母から聞いた。何で教えてくれなかったのかと、母に喰って掛かっても、後の祭りだった。
 時間が経つにつれ、この傷が少しすつ癒
(いえ)えて行くのを感じていた。いつしか気の抜けた哀れな蝉(せみ)の抜け殻のような自分に変わっていた。魂を抜かれた山林木石の魑魅(すだま)のようなもので、無機物のようになっていた。腑抜けとなっていた。

 街で、ときどき道子に似た女を見かけたことがある。そのように感じたことが何度かあった。
 そして、ふと道子ではないかと思い、傍に近付くが、いつも人違いで謝ってばかり居た。道子も千代と同じような、私の亡霊になってしまったのだだろうか。
 それ以来、もう女はこりごりだと思った。二度と接近しまいと思った。
 だが、それは酒呑みが「明日から酒は絶対に止めた」と豪語する、まさにそれであった。酒呑みは死ぬまで酒呑みなのである。永遠に解放されることは難しい。直ぐに旧
(もと)の木阿弥に戻るのである。私も御多分に漏れず、その種の人間だった。
 しかし、こういう場合、嘆いてみせるのが浮世の義理ではないかと、馬鹿で勝手な気持ちを抱いていた。
 こういう場合、一応嘆くだけ嘆かないと、義理は立つまい。
 天に向かって、「何で、俺はこうまでに女運が悪いのか。どうか聴こえたら返事してくれ」と嘆いたことがあった。
 だが天は返事などしない。それは虚しい遠吠えだった。義理もここまで来ると、何故か悲しい。
 そして、ただ一人、取り残された私が居た。



●女に逃げられたと思い違いした、もう一つの恋愛論

 私の前から、道子が去った事の心の疵
(きず)は徐々に癒(い)えかけていたが、要するに、早い話が、「女に逃げられたのだ」という結論に達した。当時はそう思ったのである。
 うまく断られ、よい想い出の一頁にでもすべきものだったのだろうと思った。
 結局、女に惚
(ほ)れ易い習性が、墓穴を掘ったのであろう。「間抜けだった」とでも言ってもよかろう。
 そのように思い込むことによって、去った女の残像を消去しに懸かったのである。

 しかし道子に去られた後で、よくよく考えて見ると、その理由は「私の勘違いにあるのではなかったか」という事が次第に頭を擡
(もた)げて来たのである。本当に嫌って、私の許(もと)から去ったのだろうか。こんな悔悟(かいご)が、度々私を襲って来るのだった。果たして嫌われたのか。今以て謎だった。

 それは、陶酔した悲劇が齎
(もたら)したものではなかったか、ということに気付いたからだ。
 些か、こだわり過ぎたのでは……。その懸念があった。
 陶酔し過ぎた悲劇に、有名なフランスの作家スタンダール
Stendhal/社会批判と心理分析とに優れた作家で、その著書に、小説『赤と黒』『パルムの僧院』のほか、また『恋愛論』、更には自伝の『アンリ・ブリュラールの生涯』などがある。1783〜1842)の『恋愛論』がある。
 この『恋愛論』の中には、繰り返し「結晶作用」という言葉が使われている。この結晶作用とは、炭坑の中に持ち込まれた枯れ枝が、塩分などにより、結晶作用を受けて、枯れ枝だの結晶体の中心に、まるで花を付けたような小枝に変貌
(へんぼう)する事から、こう呼ぶそうだ。

 スタンダールによれば、人間は恋愛をすると、女性では、相手側の男性の欠点も時には長所に映り、粗暴で粗野な性格も、男らしくて勇敢と映るわけである。また男側から恋する女を見れば、惚
(ほ)れれば、菊石(あばた)もエクボで、実に美しく見えると言うのである。男女とも、美化された環境に陥ってしまって、そこから抜け出せないというのである。
 つまり、恋愛の心理は相手を美化して考える結晶作用と言うのである。そうかも知れないと思う。
 要するに、執拗
(しつよう)にこだわり過ぎたのである。こだわりこそ、とんでもないことであった。こだわって墓穴を掘ったのかも知れない。あるいは相手を苦しめたのかも知れない。
 こだわることは決していいことではなかった。こだわれば凶事と裏替えなっていた。人間現象界の構造が見抜けなかったのである。
 それを端的に指摘したのが『狭き門』だったのである。これを一読すれば、その絡繰り大まかが分る。
 もし、この物語を知っていたら、このようなドジはしなかったろうに……。
 だがドジを履
(ふ)んだ。知らない故に履んだ。
 私の場合、学ぶべきことが遅過ぎて、手遅れになることが多かった。今回も遅過ぎた。人間勉強が足りなかったのである。

 また、フランスの小説家で評論家のアンドレ・ジード
Andre Gide/人間性の諸問題に関与した小説などで有名で、20世紀前半の文学に指導的役割を果した。小説『狭き門』を始めとして、『贋金つくり』、評論『ドストエフスキー』『ソビエト紀行』などがある。ノーベル賞受賞者。1869〜1951)によれば、その著書の小説『狭き門』からも分かるように、この小説仕立ての著書は、外見的に甘美な、然(しか)も純愛な恋愛を描いているもので、出版された当時「余りにも美しすぎる」と評価されるものであった。また、この小説を読むと、恋愛することに惑わされて、うっとりとして感化もされ易いようである。
 しかし、真意はそこにない。
 内容を深く掘り下げて数回読み返すと、そこには数々の結晶作用が存在する事に気付かされる。陶酔による危機が、この恋愛小説の中にはあり、これが徐々に破綻
(はたん)していく様子が描かれている。結晶作用の恐ろしさである。
 恋の始まりから、恋が破綻するまでの過程を、恋の為には心乱れ、とんでもない結末を迎える凄まじい描写が描かれている。恋は決してハッピーエンドにならないことを論じている。その究極は破綻である。
 まさに“恋は曲者
(くせもの)”だった。

 さて、『狭き門』の粗筋
(あらすじ)を要約すると、次のようなものである。
 小説の主人公ジェロムは、幼い時から躰
(からだ)が弱く、その一方で勉強や文学に興じる青年だった。彼には従兄妹(いとこ)のアリサがおり、この女性を、この世で一番美しい、然(しか)も一番優しい女と思うようになっていた。

 一方、アリサは何処となく物悲し気な、憂
(うれ)いを含んだ女性だった。それは彼女が、家庭的には余り幸福ではない環境に育ったからである。こうしたアリサにジェロムは同情を寄せ、この同情は、やがて思慕の思いに発展していくのである。
 ジェロムはアリサを幸せにしたいと思うようになる。
 また、彼自身、アリサに相応しい立派な人間になろうと努力するのである。そして二人で手を繋
(つな)ぎ、神の世界に行く事への憧(あこが)れを抱くようになる。
 特に、ジェロムはこの気持ちが烈
(はげ)しく、また、始めの頃は、アリサもこうしたジェロムへ好意を寄せるようになる。このことが、彼の愛に応えたかのように映ったのである。
 ところがアリサはいつの間にか、ジェロムの余りにも陶酔し切る愛が、重荷に感じるようになる。そこが総
(すべ)ての人生の躓(つまず)きだった。ジェロムの考えに蹤(つ)いていけなくなったのである。
 もう以前のように、美酒に陶酔する甘美は味わえなくなっていた。すっかり酔いが醒めていた。

 そのうえアリサの妹のジュリエットが、ジェロムに恋していることを知るのである。アリサは妹のために身を退
(ひ)こうと思うようになる。
 また、妹は妹で、姉のために、好きでもない商人の男と見合い結婚をして、自分の身を退いてしまう。こうして『狭き門』の第一部が終わるのである。
 そして第二部の始まりは、ジュリエットが結婚後、寄り添っては、再び離れねばならない姉アリサの奇
(く)しき運命を見らねばならないところから始まる。
 描写は如何にも文学小説らしく、北フランスの風景が見事な描写によって美しく書き顕
(あら)わされ、この風景の中で、アリサとジェロムの恋愛が展開されていく。その描写は、甘い情緒や感傷を好む絵のような風景だった。

 ところがアリサは、ジェロムの、自分と一緒に手を繋
(つな)いで人生を進もうとする、この立派過ぎる生き方に、辟易(へきえき)を感じるようになる。ジェロムの立派過ぎる人生観が、アリサには馴染(なじ)めなくなって来るのである。それは余りにも理想主義的な生き方に近く、アリサにとって重荷であり、ジェロムが過大評価して、アリサを愛している事を知るのである。
 これこそスタンダールが指摘した「結晶作用」の最たるものであった。愛が美化されて、まるで仏教が指摘する「渇愛
(かつあい)」の世界に迷い込もうとしていたのである。
 渇愛とは、往々にして未熟な凡夫
(ぼんぷ)が陥る、渇(かつ)して水を欲しがるような愛着(あいじゃく)のことである。愛情に惹(ひ)かれて思い切れないことであり、愛欲の溺れることをいう。
 小説『狭き門』の悲劇は、此処にあると言えよう。

 余りにも高過ぎる理想主義を貫き通そうとするジェロム。それに対して、自分を一等卑下して、そんなに立派ではないと思い込んでいるアリサ。アリサの不安は、実は此処にあった。
 この二人は、高い世界に向けての、考え方の違いに大きな隔たりがあった。しかし、ジェロムはアリサのこうした不安に気付かず、一方的に、アリサを益々心の中に引き入れ、恋い焦
(こ)がれてしまうのである。
 ジェロムの心の中に描いたアリサ像は、まさに聖女であった。見事に美化された、一点の曇りもなく、一点の落ち度もない美しき、優しい乙女であった。
 こうした乙女へ、ジェロムは益々、恋い焦がれていくのである。そして、この場合の最大の悲劇は、ジェロムがアリサの美化された、聖女のような幻
(まぼろし)を追い掛けている事であった。彼は間違いなく幻想を追っていた。

 宗教的には天国に至る門を「狭き門」と称するようだ。高い理想の世界に通じる門を「狭き門」という。
 この門は、「ラクダが針の穴を通るよりも難しい」とされている。こうした「狭き門」に、ジェロムはアリサの手を曳
(ひ)いて、突き進んで行こうとするのである。

 一方、アリサはジェロムの突き進んでいる道が、余りにも「狭き門」に通じる、現実的には不可能に近い門であると知る。これを知ったアリサは、ジェロムを愛するが故に、ひとり身を退き、彼と別れて旅に出るのである。そして、アリサは孤独な旅の果てに死んで行くのである。
 しかし、ジェロムはアリサが死んだ後も、彼女だけを、より一層美化して、アリサの聖女の幻を追って、慕い続けながら生きていくのである。

 この物語は“純愛物”の傑作とされてるが、繰り返し読むと、清らかな純愛の裏の、「二人の男女の悲劇」を何処かで揶揄
(やゆ)し、嘲笑(ちょうしょう)しているのではないかと、とれるのである。つまり、陶酔から起こる恋愛が、実はその背後に、こうした落し穴が控えている事に、警告を与えているかのように思われて来るのである。
 恋をした人間の誰もが罹
(かか)る熱病の一種の、相手を美化する結晶作用が、アンドレ・ジードの小説『狭き門』にはあり、作者は恋愛が仮面舞踏会のような、愛する人に、よく思われたいという願望と、等身大以上に美化する恐ろしい一面があるという指摘に気付されるのである。

 仮面舞踏会なみの恋愛は、誰もが実物大以上の、また等身大以上の仮面を付け、分不相応なマスクを付けて登場する。その仕種
(しぐさ)は尊大ぶっているために、気取ったり、強がったり、学のある振りをして、出身大学の学閥(がくばつ)を自慢したり、あるいは仕事が順調にいっていることに自信ありげな口調で相手の女性に対応する。そして、自分をこの世で一番頼もしい男のような素振りを見せる男が少なくない。
 そのくせ例えば、回転寿司などに彼女を誘うと、握鮨
(にぎりずし)に付ける“口直し”に添える薄切りにした花生姜(はな‐しょうが)の「がり」は、「タダだから、幾ら取ってもいいんだよ」などと浅ましく、見苦しく、恥知らずのような事を言う。また、こうした「タダだから幾ら取ってもいい」とする、自分勝手な、男の卑劣さを見抜けない女性も少なくないようだ。この手のバカを、結構頼もしいと思う同類項の女もいる。

 少しでも、理知的な女性であったら、こうした男は、人生の伴侶に不適当ぐらいは、簡単に値踏みできる筈
(はず)であるが、恋愛の煙りに姿を曇らされている女性は、尊大ぶる男の貧しい見窄(みすぼ)らしさに気付かないのである。仮面を付けた同士の、愚かな似合いのカップルと言うべきか。あるいは現実以上に、背伸びをした者同士の、憎からず思う同情の応酬(おうしゅう)か。
 しかし、マトモな神経の持ち主ならば、長い間の背伸びのし過ぎは、息切れがしてしまう筈である。
 小説『狭き門』は、極端な美化作用と結晶作用が悲劇を招く事を、裏側で鋭く批判しているのである。
 そして恋人アリサを、悲劇に追いやったのは何を隠そう、その主人公のジェロムであると糾弾
(きゅうだん)しているのである。だから、アリサは愛するジェロムの許(もと)から去って、ひとり旅に出るのである。

 この物語を読んだ後、なぜ道子が、私の傍
(そば)から急に居なくなったのか、分かるような気がした。
 もしかしたら彼女は、私を心から愛していて、『狭き門』のヒロインのアリサではなかったのだろうかと思う事がある。そして、居なくなったアリサの幻を追う、アリサを悲劇に追いやった張本人のジェロムが、実は私ではなかったかと思うのである。
 どうやらこの結末には、私の無智と、無感覚が、いつまでも夢を見させる元凶をつくり出していたと言えるようだ。狭き門へ入ろうとする、夢や憧れを追っていたのだった。

 確かに、恋愛には陶酔や美化する意識が必要であろう。しかし、これに溺れ過ぎれば、命取りになるのである。私は人間として一番大切な、「眼を覚まさなければならない」という行動原理の大事を見落としていたようだ。
 そして、道子を愛ではなく、情熱で追い回していたような気がしてならないのである。
 この恋の破綻
(はたん)は、愛と情熱を混同させたところにあったようだ。単刀直入に言えば愛と恋は一緒くたにならず、もともと違う次元だったものである。
 恋は盲目であるという。恋慕も盲目から出発している。
 だが「愛」となると全く次元が違って来る。

 本当の愛の実体を知らず、愛じゃ恋じゃと喚
(わめ)いている時は、人間、自然のままに繁り、自然のままに移ろう。そしてその後はひっそりと消える……。こうした心境がなかなか気付かないものである。
 だが大自然は人間に教える。
 自然こそ春・夏・秋・冬の四季の中に、美しく老い、美しく死んで逝くことを最も明確に訓
(おし)えているではないか。

 フランスの哲学者で『幸福論』で有名なアラン
Alain/人生哲学者でモラリスト。理性主義の立場で芸術、道徳、教育など多様な問題を取り上げ、これを哲学的に論じた。1868〜1951)は、このように言うではないか。
 「青年は恋愛を欲しがり、壮年は地位を欲しがり、老年は貪欲になって、地位も金や物も、名誉までも欲しがる」と。そして老人の背景には、老いらくの恋が挙げられていることは言うまでもない。果たして、老人の恋愛は自然の摂理に逆らうものでないのか。
 死の準備は如何!……。
 ゆえにアランの言う通りに、疾風怒濤の青春時代にこそ、恋はすべきである。青年期の恋はおそらく打算の一欠片もないであろう。
 それを人は「盲目の恋」と言って馬鹿にする。しかし馬鹿も、ロマンがあってのことである。命を燃やしてのことである。
 野望への掛値があってはならぬ。
 だが人間は歳を重ねるごとに野望への掛値を作る。打算が働く。段々現実的になっていき、様々な野望が頭を擡
(もた)げる。
 だが老齢期、老子的に生きることが出来れば幸いである。
 まさに現代の貪欲な老人像を予言的に顕している。

 生来、暗愚な私はこのとき「学の鍛錬」という人間としての肝心なものを学んだような気がした。
 つまり、愛と恋の違いを知るには学ばねばならないと言うことである。
 賢人曰く、学問によって鍛錬されていない愛情は盲目の愛で、また愚人の愛である。例えば恋愛は理性以前のものである。しかし、一歩でも理性的なものに近付けようとするところに愛の美しさがある。恋でも同じように採れるが、愛には及ばない。
 真の愛情とは思慮を伴わねばならないのである。

 若山牧水は、後世の人間に向けて謎掛けをした短歌がある。しかし一読では難しい。

 やわ肌のあつき血潮に 触れもめで 寂しからずや 道を説く君

 毒の香(こう) 君に焚(た)かせて もろともに 死なばや春の かなしき夕べ 

 牧水の言わんとする恋は、一切の打算を排した盲目の恋にこそ、命があると断ずる。
 そして「盲目の恋」の背景には、いつでも、どんな場所でも相反する二つのものが対峙して、愛憎の渦を作り出している。
 形成する渦の根は一つだろうが、そこから異和も生じて、遠心的に拡散膨張するかも知れないし、あるいは中心に向かって求心的に収縮帰一の働きを見せるかも知れない。虚と実が顕われる。何れにも変化する。
 つまり、「恋」と言う意識も、一つの有機体であるから、矛盾を孕
(はら)みながらも、盲目と言う条件下に限り、“虚”の形で盲目の恋は存在する。そこに虚像が顕われる。
 それが「うたかた」であり、「泡沫」である。儚
(はかな)く、消え易い意味を持つ。その気高ささえも、もろともに……。

 もし当時、私が若山牧水を知っていたら、道子の気持ちは痛いほど理解していたであろう。しかし学ぶことが遅過ぎた。結局“後の祭り”になったのである。
 これはあたかも、箪笥の中に仕舞っていた宝籤の「一千万円の当選籤」を一年以上経って気付く、あの間抜けぶりであった。



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