●千代の死
中学一年の晩秋の午後、姉から「チヨ、シス」の電報が突然私宛に届いた。
目を疑って、片仮名(かたかな)で書かれた電報を、何度も読み返した。何度読み替えしても、読み間違いではなく、それは変るものではなかった。
「そんな馬鹿な!」と愕然(がくぜん)とし、内心あのことが原因ではと、ドッキとした。それは自殺ではないか、と言う死因を思わせたからである。恐ろしい胸騒ぎが起こった。
一瞬脳裏に、千代との記憶が鮮(あざ)やかに蘇(よみかえ)った。今年の夏休みに会ったばかりの千代が、突然死んだのである。交通事故などの事故死や急病死である筈がない。何か、突発的な事態が起こったに違いなかった。
最初は、千代の躰が目当てであったが、いつの間にか、私の哀願(あいがん)する想い人になっていた。私は、肉の世界から抜け出して、純潔の中に自分を取り込もうとしていた。そんな過度期に、千代が死んだのであった。「なぜ、おれ一人を残して」という気持ちが、先走るばかりだった。
「俺が大人になったら、お前と必ず結婚してやる。俺は男だ、嘘(うそ)は絶対に言わん!」と胸を張って言っていたが、それが彼女には苦痛であったのか、その度に悲しい顔をした。そしてその悲しみは、最後に「死を思いつかせたのではないか」と想像出来るのであった。
今までの、裸の千代が、目の前を走馬灯(そうまとう)のように駆け巡る。私の見ていた、今までの千代は、果たして死屍(しかばね)の幻(まぼろし)であったのか。私は人形を抱いていたのか。
そんな謎が、脳裏を翳(かす)めた。
手にした電報は千代の死が、半ば私の責任でもあるかのような内容である。
一瞬、千代との秘密が、「既にバレていたのではないか」と勝手な想像が、頭の中を駆け巡った。勘(かん)のいい姉のことだ、何かを事前に見透していたのかも知れない。
このショックは少年の私には大きかった。一時的に怖くなって、釘付けになり、その場を動けなかった。ガタガタと震(ふる)え、怖くて頭の中は混乱の極致(きょくち)にいた。兎(と)に角(かく)電報の意味は、私にしか分からなかったのである。この時、家には電話がなかったので、電話のある店屋まで出かけて行った。
姉は、ただ一言、「いいから、嬉野に直(すぐ)きんさい(来なさい)」と言って、それ以上話してくれなかった。死因が何であるかも話してくれなかった。
家に帰って父に、「姉ちゃんが、葬式があるので、嬉野に来いと言っとる」と言ったら、事情の呑(の)み込めない父は、自から姉のところに電話を掛けに行った。
慌てて帰ってきた父は、
「直にいっちゃれ(行け)。政子が武雄駅で待っとる」とだけ言って、八幡駅までタクシーに乗せて連れていってくれた。父は何を聞いてしまったのだろうかと不安に思ったが、今では、その真相は分からない。
私のような子供には分不相応な、急行列車の一等車の往復切符を買ってくれ、余分に一万円持たせてくれた。何か特別な重要事態でも起こったのだろうか。
佐賀県武雄(たけお)駅に向かう列車は憂鬱(ゆううつ)だった。千代の死んだことだけが頭から離れなかった。「どうして死んだのだ」という自問自答の繰り返しを空回りさせていた。
武雄駅に着いた時には、姉がエンジンのかかったタクシーを止めて待っていてくれていた。私は思わず姉を見て、作り笑いの用意をしたが、姉の顔にはそれを跳ね返す、どことなく厳しいものがあり、歪んで、余りにも悲しげであった。気のせいか、姉の眼が潤んでいるように見えた。
嬉野は、ここからタクシーで30分程かかる。
山合いを抜けて走るタクシーの中で、
「姉ちゃん。千代、どうして死んでしまったんや?」と姉に訊くと、一瞬ためらったように後れ髪に手を当てた。その仕種(しぐさ) からして、言い出しぬくいことを何か言おうとする時、姉は決まって後(おく)れ髪を掻(か)き上げる癖があった。
姉は重い唇を切った。
「自殺したんや」
「自殺?……」
「庭の柿の木に縄をかけて……」
(庭の柿の木……)この言葉に思い当たるとがあった。
そして『自殺!』いう言葉は、私を恐怖の淵(ふち)に叩きつけた。
「姉ちゃんにも責任あるんや」と言った儘(まま)黙ってしまった。
《もしかしたら》と恐れていた予想通りの返事が返って来て、俯(うつむ)いた姉の横顔は、何かに責任を感じているような沈鬱(ちんうつ)な表情で、顔を強張(こわば)らせていた。
姉の家に着いた時、千代は蒲団に寝かされ、顔には白い布が被せられていた。白い布が、いきなり眼の中に飛び込んできて、足が震えた。足が地に着かない。そんな軽挙妄動(けいきょもうどう)に陥っている私の気持ちとは裏腹に、千代の遺骸に焼香(しょうこう)するよう強制された。何が何やら、さっぱり理解出来ない儘(まま)、言われる通りに従うしかなかった。そして見知らぬ別世界の出来事を、遠くで見ているような感じであった。
身寄りがないせいか、千代の親族らしい人は、まだ誰も来ていなかった。弟が一人居て、両親は居なかったと記憶している。此処では姉が、常に彼女の親代わりであった。
私は、暗くて重い雰囲気に包まれた通夜(つや)を脅(おび)えながら過ごした。
その夜、中々寝付かれず、怖くて震えながら、生前の千代を偲(しの)んだ。千代が死んだという悲しみより、千代の死体が、目の前にあるということの方が本当に怖かった。
─────その晩、あの柿の木のことを思い出していた。
私は千代に悪戯(いたずら)をして、庭の大きな柿の木に登って避難したことがあった。
「こら、健太郎!降りてこい!あたしをこれ以上、怒らせると、ただでは済まなんからねェ」
千代は大声を張り上げて、木の上を見上げながら怒っている。
私は昼食の時、食堂で座る千代の椅子のクッションの下に、放屁(ほうひ)の音を出す玩具(おもちゃ)を入れておいたのである。先日、夏祭りの縁日で買った、その玩具の威力を試してみたくて、その実験台に上がったのが千代であった。
姉の家では、昼食だけは全員揃って食堂に集まり、食事をするという習慣があったので、昼食時には福籍の芸者衆は、ほぼ全員揃って食事をするのだった。
特に日曜日は、この習慣が大切にされ、普段は各々がまちまちだったので、日曜日だけはこれが徹底させられていた。嬉野に来たばかりの私は、つい最近、千代と口を聞き、ある意味で馴れ馴れしくなっていた。そして月日が流れていた。
そんな私が思いついた悪戯が、放屁の音を出す玩具であった。
芸妓というこの世界も、年功序列の世界であるらしく、経験の多い方から順に席につき、千代は若年のため給仕の支度などをして、一番後に座ることが多かった。
先輩格の芸者衆が全員座り終った後、千代が座る番となった。千代は私の仕掛けた秘密兵器があるとも知らず、いつものように無防備の儘(まま)、席に着いたのである。途端に放屁の音がした。
しーンーと静まり返った食堂に、一瞬の沈黙が走り、次に軽蔑的な笑いが洩れた。席に着いた他の芸妓衆が、口を着物の袖で抑え声を殺して笑っている。
千代は真っ赤な顔をして、自分を云い繕(つくろ)い、
「あたしじゃないわよ。やあーね、姉さんたち、そんな目で、あたしを見ないでよ」と、恥じらったような言い訳をした。
そして椅子の下から、私の隠した玩具を発見された。
この時、姉が私の顔を見て、
「こら、健太郎。お前がしたっちゃろが!」と、叱咤(しった)するような言葉と、叱責するようなきつい目を向けた。
私は実に可笑しかった。千代に、してやった、と思った。一瞬の噛(か)み殺したような笑いが、躰中を駆け巡った。
千代はこんな私を許す筈がない。千代が私を鋭い目で睨(にら)む。目と目が合って、私は、はッとして肩を窄(つぼ)め下を向く。こんな繰り返しが昼食の間続いた。
姉が午後、外に出かけるのを機に、千代の怒りは頂点に達して爆発した。
台所の後片付けをした千代は、今までの恥辱(ちじょく)を晴らさない筈がない。私もそれを予期していた。(とうとう来るな)と思った途端、仔猿(こざる)のようにして柿の木の上に逃げた。
「この小僧。よくも、あたしに恥じをかかしたな!」と千代はそういって追い掛けてきた。
この追いつ、追われつの、小さな騒動はこのようにして始まったのである。
「口惜しかったら、ここまでおいで」
「ようーし、見てなさい」
千代の普段着は着物の方が多かった。着物が高低の上下運動に不向きであるということは熟知していた。いつもの芸者衆の動きを見ていて、横の動きについては別段支障はないが、もし、あれで木に登れとか、あるいは山道を駆けろとか言ったら、恐らく遣り辛いであろうと、値踏みしていたのである。
千代が私の悪戯を咎(とが)めて追っかける時は、幾ら彼女がお転婆でも、着物の裾を絡(から)げなければ、行動が起こせない事を知っていたのである。
「ようーし、見てなさい」と言って、一度姿を引っ込めた千代は、これで諦めたかと思ったが、今度はスラックスに着替えて、私を徹底的に追撃しようとする構えだった。私が避難している柿の木に裸足で、挑戦して来たのである。捕まりたくないから上へ上へと登って行く。枝が段々細くなった。下を見て随分(ずいぶん)高い処まで来たと思った。枝の細さと比例して、段々心細くなった。
千代はそれを察したのか、
「もう止めた。あたしは怒ってないから、さっさと降りて来なさい。許してあげる」と、気の抜けたようなことを言い出した。
私はこれを、一時の隙(すき)を与えるフェイント的な手段と見て、その手には乗るかと言うふうな、気持ちで降りようとしなかった。
その時である、私の捕まっていた柿の木の細い枝が、ミシミシと音を立てて折れ始めたのである。柿の木に逃げ込んだ仔猿の悪あがきは、此処までであった。
そしてその儘、動くことが出来ず、後は落ちるだけという状態になった。
それ気づいた千代は、「健ちゃん、すぐ横の枝を握りなさい。早く!」と大声を上げた。
私は分けが分からず、混乱の余りに躊躇した。
「なんばしとるとか!その直ぐ横の木の枝たい!」
千代の声は荒くなり、興奮して些(いささ)か、悲鳴のように黄色み懸かった。
私は指図され、言われる儘に、その枝を握ったが、怖くてそれ以上動くことが出来なかった。高い処がこんなに怖いとは、この時始めて思ったのであった。随分と気付かないうちに、高い処へと登っていたのである。
「健ちゃん、じっとしてなさいよ」
千代は下から声をかけ、私の居る処に向かって、登り始めた。そして千代が私の手を掴んだ。やっとの思いで、千代から助けられたと言うのが、この柿の木であった。
そして、千代はこの柿の木で首を吊ったのである。何かの因縁であったのだろうか。
─────次の日の朝、千代の亡骸(なきがら)は裸にされ、姉が丁寧に湯で体全体を拭き、口と鼻の穴、それに肛門と性器に綿(わた)を詰め込み、既に死後硬直が始まっていた。首の縄痕(なわあと)が、実に痛々しい。その部分を見て一瞬目を背けた。
千代の肉体に襲い掛かった時間という不条理な刃(やいば)は、その肉体を変色の色で冒し始めた。生前に、はっきりと見覚えのある美しかった唇は紫色になり、また白い躰全体は、腐敗しかかったピーマンの緑色を、ある種の染料で色付けしたように薄緑の鉛色に変ようとしていた。
曾(かつ)て私が狼のように貪りつき、愛撫(あいぶ)に委ねられた千代の、あの美しい躰は見る跡もない程の無慙(むざん)な残骸だった。遅かれ早やかれ、人間にとって確実に死は訪れるものである。
その必然的な遭遇を、ここで議論してもナンセンスなことは十分に分かっている。
しかしその無意味な命題を覆(くつがえ)して、千代には、まだ生きていて欲しかったというのが私の正直な気持ちであった。生きとし生けるものにとって、死は免れない宿命である。
曾(かつ)ては、権力の頂点に立ち、栄耀栄華(えいようえいが)を極めた者たちですら、未(いま)だ死神の手から、一瞬たりとも免れた者は居ないのである。この結末も、千代に定められていた宿命なのか!そんな思いで膝に置いた拳を握り締めていた。
仲間の芸妓衆から、美しかった千代の長い髪が丁寧(ていねい)に解かれた。
何処からともなく彼女の甘い髪の匂いが漂ってくる。やがて白い着物が、姉の手によって着せられ、逆さ帯が結ばれた。顔に化粧が施され、最後に唇に、千代がいつも愛用していたと思われる口紅の一条(ひとすじ)が鮮やかに引かれた。
そこには、形のいい唇に、接吻したいような衝動に駆られる瑞々(みずみず)しさがあった。生気が蘇って来て、静かに寝息を立てて寝ているようであった。心に仄(ほのか)な明かりが灯(とも)った。蒲団に横たわった、この病人は帰って来たのだ。そんな気がしたのである。再び持ち直して、千代が生き帰ったように思われた。
しかし、それはほんの一瞬の錯覚でしかなかった。呼べど叫べど答えない、無表情な屍(しかばね)は、仰向きの儘、痛ましく横たわっていた。そして、私はその作業の一部始終を怖々と見ていた。
その作業が終わって、千代は棺(ひつぎ)の中に納められた。
この家には、男手がないので、入棺の際には、私も手伝わされた。千代の躰は、魚の干物ように硬直し、まるでマネキン人形でも抱えている感じであった。もう既に、千代の魂は抜け去り、物体化しているのである。入棺が終わって、それから数時間が過ぎた。誰もがやりきれない表情で、無言のままで葬式の準備作業をしていた。
太いローソクがゆらゆらと揺れて、それが印象的だった。
葬式が終わって出棺の時、仲間の芸者衆から、「千代ちゃん!」と大きな泣き声がドット上がった。少年の私の心には突き刺さる声である。身を忍ばせて来た、お訪ね者のように、おどおどした私は、罪の呵責(かしゃく)に責められているようであった。その声に耐え切れず、思わず耳を塞いでいた。
姉が、「千代ちゃんに、最期のお別れいんしゃい」と云って、棺の蓋(ふた)を取ってくれた。心の中で、(嫌だ!俺は見たくない)と叫びたかったが、周囲の鋭い叱責の目が、それを許さなかった。恐る恐る棺の中を覗いた。白装束に身を固め、周りに菊の花が飾られていた。
二十一歳という、若い身空(みそら)の痛ましい死であった。
私はこの時、始めて人の死と言うものに遭遇したのだった。千代の死化粧が施された顔を、よく見ていると、まだ生きているのではないかと思う程、生気を漂わせていた。首を吊ったにしては、実に安らかな寝顔であった。首の縄跡は、再度化粧がやり直されたのであろうか、化粧でうまく誤魔化(ごまか)されていた。
人の死に直面して、何とも言えない怖さと、曾(かつ)ての千代との二人だけの情事の秘密が、複雑に絡み合って、表現の出来ない戦慄(せんりつ)に躰を震わせていた。本当に怕(こわ)いと思った。
出棺の時、私は知らないうちに千代の位牌を持っていた。千代の柩(ひつぎ)は近所の男衆が担いでくれた。
霊柩車に乗って、火葬場までついて行った。棺桶が火葬場の老職員の手で窯(ろ)の中に入れられ、点火のスイッチが押された。一体この窯の中で、千代の屍はどうなっているのだろうか。子供心にその状態を探っていた。
窯の中の熱き火に、その屍はスルメ烏賊(いか)のようにそり返っているのだろうか。それとも細やかに寝返りを打っているのだろうか。果たして千代の屍は、いくら魂が抜けたからといって熱くないのだろうか。などと、幼稚な感想を持ちながら、小さなその状態の見える耐熱ガラスの小窓から窯の中を覗き込んでいた。
恐らく焼却窯の中では、煮物を焦げ尽くすような音がしていたかも知れないが、頑丈な密閉した潜水艦のハッチのような鉄製の窯(ろ)の扉が、それを遮断しているようであった。
その焼却作業中、参列者の喪服を着た芸妓衆の殆どが、すすり泣いていた。この湿っぽい空気に、息が詰まりそうになったので、私は外に出た。
暫(しばら)くして、不図(ふと)空を見上げると、火葬場の煙突から、千代を焼いているのであろうと思われる煙が上がっていた。
白い仄(ほのか)に淀(よど)んだ煙が、魂のない生き物のように弱々しく、空へ翔(か)け昇って行く。そして時折(ときおり)吹いた風に、その煙は逆巻いて、霧が掻き消されるように消えていった。
素肌に、晩秋めいた寒い風が当たって、悲しい郷愁(きょうしゅう)をそそった。
落ち葉のこぼれる晩秋の空に、一本の弱々しい煙が天に向かって昇って行く。何ともいえない悲しさが込み上げてきて、やがてポロリと一条(ひとすじ)の涙が流れた。
焼き終って、火葬場で骨を拾う作業に参加した。
強い火力で焼かれたのであろうか、頭蓋骨や肋骨(ろっこつ)をはじめとする骨などがボロボロに焼け崩れて、生前の千代の美しい面影(おもかげ)は何処にもなかった。作業が終わると小さな素焼きの骨壺に納まった。その余りにも少ない千代の遺骨は、(たったこれだけか)という感想を私に齎(もたら)した。何と軽い骨壷だと思う。たったこれだけか、と思う。
当時この軽さを表現する言葉は見つからなかったが、後に俳人・種田山頭火の句集に出ていた、その句の中に、
焼捨てて日記の灰のこれだけか (山頭火)
というのがあった。
まさに、その軽さは「これだけか」という寂しい重量であった。後で分かったことであるが、千代は結核を煩(わずら)っていたらしい。
当時結核は、まだ不治(ふじ)の病であった。また、結核患者の傍にいると、移るという結核菌の感染も指摘されていた。長期の療養を要し、死亡率も高く、肺に開いた穴が中々塞がる事が少ないといわれていた。恐らく千代も肺に穴が開いていて、時々彼女の胸に耳を着けると、風を切るようなヒュウヒュウという音が聞こえていた。そして濁音の混じって変な咳をしていた。
きっと、あれがそうだったのだ。そんな過去を反芻(はんすう)しながら、もしや千代が自殺したのは、結核菌の感染が私に及ぶのを懸念したのか。
焼き場係の話によると、肺病を煩(わずら)った人は骨が脆(もろ)く、骨の組織が粗(そ)になって壊れ易くなるという。骨がボロボロになったのは、このせいであったかも知れない。
千代の親族としては、弟と言われる私と同じ年くらいであろうか、学生服を着た少年が私の方を見つめていた。私は見つめられている内に、心の中で(俺が何をしたと言うのだ)と叫びながら、衝動的に(ごめんなさい。許して下さい)と謝りたい気持ちで一杯になった。
この夜、姉から和紙に束ねられた、千代の髪の毛を貰った。美しい髪である。仄(ほのか)に千代の優しい匂いがした。その晩、いつも千代と散歩した嬉野川の川の辺(ほとり)に腰をかけ、千代の一握りの髪を見詰めていた。それに頬擦(ほほず)りをしたら、思わず涙が込み上げてきた。
それには在(あ)りし日の彼女の甘い髪の匂いがした。美しい香りである。懐かしい香りである。優しい香りである。その香りを嗅いでいたら、更に涙が込み上げてきて、号泣したいような錯覚に囚(とら)われていた。
葬式が終わった明くる日、千代の居た部屋で、千代の後ろ姿を見た。思わず声をかけようとしたら、何処かに消えてしまった。私の見た千代の姿は幻影であったのだろうか。
そして、千代のものであると思われる有徳稲荷(ゆうとくいなり)神社のお守袋が、箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)から出て来た。千代は一体、私に何が言いたかったのであろうか。
死を選ぶ動機に趨(はし)らしたものは、一体何であったのか。私との罪の呵責(かしゃく)の軋轢(あつれき)に耐えることができなくなっていたのだろうか。
その真意・真相を明かさない儘、早まった自らの死に、未(いま)だに成仏できずに、千代は辛い苦界を彷徨(さまよ)っているのだろうか。
そのお守袋に、千代の数本の髪の毛と、「千代」と書いた小さな紙切れを入れて、それを首から架けることにした。
この時、子供心に、辛くやりきれない気持ちであったことを憶(おぼ)えている。何処かで、三味線の音色が聞こえて来ると、不図(ふと)、千代ではないかと思えてくる時がある。
千代という女性には、そんな悲しい想い出がある。それが今でも深い心の傷跡(きずあと)となって、私の脳裏の片隅の何処かで、忘れ難き幻影となって焼きついているのである。
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