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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 1






 ご注意!

 この小説は、急いで読んではなりません。いったん読み始めると止まらなくなります。止まらなくなって、気付いたら朝になっていた……。
 あるいは会社に遅刻してしまったではないか……。その種の苦情があり、よく読者の方からご注意をうけます。
 どうか急いで読まないで下さい。
 毎日こつこつ、ゆっくりと、酒呑みの人は酒でも呑みながら、甘党の人はお菓子でもつまみながら、昭和四十年代半ばを、しみじみ味わいながら読んで下さい。
  



第一章 会津自現流


●臥竜

 私は予々(かねがね)、「臥竜(がりょう)」という言葉に、深い畏怖(いふ)と尊敬の念を抱いていた。
 蛇を神格化した想像上の動物「竜」は、雲を得て、いつしか天に躍
(おど)り上がるとされているが、用意周到(ようい‐しゅうとう)に雲を得る、天の時機(とき)をひたすら堪(た)え忍んで待ち、密かに実力を蓄えて、野に潜(ひそ)んだ臥竜に、その天賦(てんぷ)の底力を感じるのは、決して私だけであるまい。
 そして、臥竜の響
(ひび)きは、そのまま三国時代の蜀(しょく)の宰相(さいしょう)諸葛亮孔明(しょかつ‐りょう‐こうめい)と重なり合ってしまうのである。

 孔明は、荊州
(けいしゅう)の地・隆中(りゅうちゅう)において、晴耕雨読(せいこう‐うどく)の生活を続け、昨今の世情を複眼的に冷静に見つめ、政治や世論に鋭い批判精神を罩(こ)めて、大志を抱きつつ、自らの力を密かに蓄えながら、天下に躍(おど)り上がる時機(とき)を窺(うかが)っていた恐るべき臥竜であった。
 その臥竜孔明は、自らの清流孤高
(せいりゅう‐ここう)を持(じ)して、「天下の奇才」と讃(たた)えられた人物である。生涯を「無私」むし/私心のない公平な自分)に徹して、わが一命を憂国(ゆうこく)に捧(ささ)げた人物でもあった。粉骨砕身(ふんこつ‐すいしん)して、蜀の覇業(はぎょう)に奔走した臥竜孔明の足跡は、凡夫(ぼんぷ)の私に一縷(いちる)の希望を与え、その見事なまでの生き態(ざま)に、いつしか心が惹(ひ)き寄せられ、ついには触発させられてしまう不思義な魅力が備わっていた。

 苦悶
(くもん)の淵(ふち)に立たされる逆境を、瑞兆(ずいちょう)の好機と捕らえ、自ら死力を尽くし、才知を傾倒して苦慮(くりょ)しながら、一国の国運を切り開いていった宰相(さいしょう)としての孔明の痕跡(こんせき)には、掛(かけ)替えの無い夢があり、人類共通の理想があり、ここには男の壮大なロマンがあった。
 そして壮大
(そうだい)にして、美なる華麗な世界が展望し、深遠な奥行きを以て広大な宇宙観が拡(ひろ)がっていた。憂国の情から、自らの生涯を、それに捧げ、憂国に身を窶(やつ)した孔明は、まさに三国時代の英雄であったのである。

 吾
(わ)が身を殺して仁(じん)となす……。
 唯
(ただ)この一点の体現に、燃え尽きた臥竜孔明の足跡は偉大である。世の大旨は権力者が陥(おちい)る、私益を求め、保身と享楽に身を委(ゆだ)ねて、一身の利害に固執(こしゅう)する私心こそ、その、紛(まぎ)れもない正体である。わが身、ひとりが可愛いと言うのだ、そもそもの人間の実体である。
 わが背負う重い荷物をわざわざ降ろして、誰が他人の重い荷物など背負おうであろう。私心をもって奔走する姿こそ、人間の偽らざる姿である。
 しかし、孔明には、その私心の一片
(いっぺん)の欠片(かけら)もなかった。孔明の粉骨砕身こそ、彼自身の人間性を顕わしていた。
 私は、そんな孔明の、私心を捨てた心の佇
(たたずま)いと、国を思う愛国者としての壮烈(そうれつ)な生き態(ざま)に、爽(さわ)やかな共感を覚えてならない。
 そして、私自身も、それに準
(なぞ)えて、いつの日か、時機(とき)を得て、天に翔(かけ)あがる臥竜でありたいと願い、困窮(こんきゅう)の青春時代を送ったことがあった。
 この物語は、困窮を重ねながら、必死に駆
(か)け抜けた若き日の、私の青春の群像(ぐんぞう)である。



●七度襲って七度敗れる

 話は私が十五歳の時に遡
(さかのぼ)る。
 ある日曜の午後、武術の師匠
(ししょう)である山村師範の所を訪ねた時のことである。
 秋酣
(あきた)けなわで、辺りの景色は、紅葉から落ち葉へと変わっていた。穏(おだ)やかな木漏(こも)れ陽(び)が差し込み、あちらこちらで秋の深い吐息(といき)が息づいて、銀杏(いちょう)の葉が、はらはらと落ちてようとしていた時だったと記憶している。
 今、記憶の中を回顧
(かいこ)すると、全てが何かも、もの悲しい郷愁(きょうしゅう)で覆(おお)いつくさんばかりの一日であった。時折(ときおり)吹きつける風は、冬支度への気配を思わせ、辺りの空気は紅葉で赤く色付き、やがて茶色へと、移行の季節だった。この、もの悲しい落ち葉時雨(しぐれ)の中に、やりきれない過去の辛い幻影(げんえい)がちらついて、訳もなく、これと重なるのだった。そしてその幻は、顕(あらわ)れては、また消えた。
 私は、そういう過去の古傷を無慙
(むざん)に引き摺(ず)った男であった。
 この一瞬の追憶
(ついおく)の中で、センチメンタルな感情に浸った後、山村師範の依拠(いきょ)する神社の階段を五十段ばかり上り、端然(たんぜん)とした白木の鳥居(とりい)を潜っていた。
 この日、拝顔した山村師範には、だだならぬものを感じた。

 部屋の中に入るやいなやいきなり、山村師範は、
 「隙
(すき)があれば、何処からでも掛かってこい。矢で射(い)ろうが、剣で斬ろうが、槍で突こうが構わん!」と、一見、豪胆(ごうたん)とも取れる言葉を突如吐いたのである。
 それを聞いた私は、心の中で、
(爺いに、そんなことしたら、一巻の終わりじゃないか。死んだらどうするんだ?)と、この言葉を軽く考えて聞き流していた。

 私は少年時代から山村師範を師事
(しじ)し、会津自現流(あいづじげん‐りゅう)という古武術を修行していた。
 この流儀は、『やわら』を中心にした剣術、手裏剣術、飛礫
(つぶて)、小太刀術(こだち‐じゅつ)、耶和良(やわら)、柔術、水中柔術、拳法、棒術、槍術、杖術、居合、居掛(い‐か)け、弓術、馬術、古式水連などからなる近代稀(きんだい‐まれ)なる総合武術であった。習い始めて十数年を越えたころから、人に教える程の腕になり、二十歳そこそこで、ある寺の如来堂(にょらいどう)を借りて、道場を開くまでの腕でになっていた。しかし山村師範の域には到底及ばなかった。
 山村師範という人は、福島県会津若松市の東北出身で、もうじきに八十に手が届く年齢で、昔風の風貌
(ふうぼう)を備えた武術家であるが、高齢にも関わらず、心身ともに強靭(きょうじん)で近代稀(まれ)にみる達人であった。


 ─────山村師範の指導法は、常識を超えており、実に手厳しかった。過去において、私は自らの躰
(からだ)を通じ、躰で、その教えを仕込むという手厳しい洗礼を、三回受けたことがある。
 第一回目は、私が中学三年の時であった。
 中学三年の夏休みも終わろうとしている八月下旬、急病で父が死んだ。五十歳の突然の死であった。父は酒好きであったので、死因は脳卒中
(のうそっちゅう)であったという。
 常々、「人生わずか五十年、下天のうちをくらぶれば、夢みな幻
(まぼろし)の如し」が、父の口癖(くちぐせ)であった。死期を予告したその口癖の、「人生わずか五十年」の予告は、その通りになったのである。しかし、私はその時、山村師範の処(ところ)にいて、父の急死を知らなかった。

 いつものように、夜11時を過ぎて家に帰り着いた時には、父の顔には白い布が被
(かぶ)せられ、既に息を引き取った後であった。枕許(まくらもと)に線香が立てられ、煙が真っ直ぐ昇っていた。手は合掌(がっしょう)を組み、腹のところに、我が家の先祖伝来の家宝の脇差し、『青江(あおえ)』が置かれていた。
 何処かで見た、武士の見事な最期
(さいご)を重ねて見ていた。この唖然(あぜん)とした急変の中で、父の死に際しては、不思議と涙が出なかった。鈍感だったのかも知れない。何のショックもなく、平然と葬式を迎え、その席に列席した。

 父の口癖、「人生わずか五十年、……夢みな幻
(まぼろし)の如し」は、そのまま現世の、僅かな夢を追いかけ、それを幻のように駆け抜けた五十年間の人生の足跡(そくせき)に、エネルギッシュな雄叫(おたけび)びを感じていた。あるいは「老成」からきた覚悟であったのかも知れない。
 「人生わずか五十年」は、老成でなければ吐露
(とろ)できる言葉でない。また、老成でなければ死は見えないだろう。死の見えない者に、人生わずか五十年。寔(まこと)に短きものなりなどと、胸中にあるものを見通しを立てて論ずる事は出来ないだろう。故に、老成から来た覚悟は、死を一層清々しくするのである。
 その死は丁度、終着点の死ではなく、その死の向こうに、何か安らぎに似た、清らかな泉のようなものが流れていて、極楽に似た場所ではなかろうかという、清々しい生まれ変わりを暗示する明るさを持っていた。そして、この世の果敢
(はか)なさは、全てが幻に思えてくるのだった。

 死ぬも幻、生きるも幻……。
 所詮
(しょせん)、人の世は、根底の無い、浮草のような幻なのかも知れない。人の命は、土台と為(な)す足場が無く、無い足場を求めて奔走する、そういった一時的なものであるかも知れない。そこに人の世の無常観があるように思う。だから、この世を「現世(げんせ)」というのだろう。また、現世と書いて「うつしよ」と読むのだろう。更には、娑婆(しやば)世界というのだろう。
 ふと、雲の透き間から垣間見た現世は、人は皆「絡繰
(からくり)人形」であり、現世自体は全て夢の世界ではないのかと、錯覚にも似た果敢(はか)なさを感じるのは私だけではあるまい。
 男は五十から、また新たな、今までとは違う人生が開けると言うが、その意味で、父は新たな夢の世の絡繰を見ることもなく、現世の裏返しの世界へと旅立った。そこには、清い泉のようなものが絶えず湧き出ていて、時折
(ときおり)現世へ注ぎ込んでくる不思議な錯覚を、イメージさせる安らぎの世界であり、理想境であるようにも思える。私はそのような幻想に包まれていた。


 ─────翌日からは、何事もなかったように、いつもの通りに山村師範のところに顔を出した。
 立秋
(りっしゅう)は過ぎたとはいえ、八月の終わりといえば、まだ暑い盛りで、夏の暑い日照りの中を汗を拭って、蝉時雨(せみ‐しぐれ)に覆(おお)いつくされた神社の階段を黙々と上って行く。途中、階段の踊り場のようになったところに、長年風雪に耐えたと思える二対の阿吽(あうん)を形取った石の狛犬(こまいぬ)が置かれていた。この狛犬の台座(だいざ)は、石の風化が酷いため建立者(こんりゅう‐しゃ)の名前すら読み取ることができないものだった。その阿吽の口許(くちもと)が、うっすらと苔(こけ)むしていた。

 太陽は燦々
(さんさん)と白熱し、陽(ひ)の光りに反射した木々の葉が強烈な光となって、私の眼を襲ってくる。耳は耳で、蝉の声が焼き付く。蝉(せみ)の声だけが、耳鳴りのような和音となって、躰(からだ)の芯(しん)まで滲(し)み込んでくる感覚を覚えた。
 そして、それが父の死の追悼
(ついとう)の言葉ようにも聞こえた。彼らもまた、残り少ない夏を、果敢(はか)ない幻(まぼろし)に託しているようだった。
 今一層、過ぎ行く夏の終わりを謳歌
(おうか)しているようにも感じられた。私も、その蝉時雨の幻の中に染まろうとしていた。その余韻(よいん)が、躰(からだ)の中に籠(こも)っていつまでも離れなかった。生前の父の幻影が、一瞬交錯(こうさく)して目の前をちらつく。父の存在も、実は幻影であったのか……。そう思いながら、私は父の幻影をいつまでも追いかけていた。

 この時、幻影に取り憑
(つ)かれ、生気(せいき)の失(う)せた私の姿を見逃さなかった山村師範は、これを逸速(いちはや)く察知したらしく、突如、棒の一撃を『喝(かつ)』として、私に打ち込んできた。凄まじく、なんとも速い。受けきれない。ハッとしたが、避(さ)けるのが、一瞬遅かった。躱(かわ)し切れずに左目横を打ち砕かれていた。不覚を悟ったが、既に終わっていた。
 頭が灼
(や)け付くように熱くなり、一瞬よろけて、その場に斃(たお)れた。
  一時的に、これで気合いが入ったものの、しかし、内心は父の死と混ざり合って、複雑な葛藤
(かっとう)を繰り返していた。
 今なお残る、私の左目横の傷は、この時に打ち込まれた棒の痕
(あと)である。これがもとで左目の視力は段々落ちていき、極度の弱視(じゃくし)になって、今では殆(ほとん)ど見えない状態になっている。ゆえに私は物を見るとき、右半分の片目で見ていいるため、全てが平面に見える。遠近感がないのである。距離感が掴めないのである。武術家としては、致命的な欠陥を持っているのである。

 山村師範の躰で仕込む、最初の洗礼を受けたのは、この時であった。
 稽古が終わって帰る時、
 「お前、親父が死んだそうやの。その屍
(しかばね)を乗り越えていかんと、親父の気宇壮大(きう‐そうだい)な志(こころざし)は継(つ)げんぞ」と私を叱咤した。
 この山村師範の叱咤の言葉が、一体何を意味するのか、この時には分からなかった。
 父の壮大な志とは何であったのか、兎
(と)に角(かく)生まれつき頭の回転が悪く暗愚な性分(しょうぶん)のためか、この時期の十五歳という年齢の私には、物事を冷徹(れいてつ)に見抜く、洞察力に怠(おこた)りがあり、無知に近かった。
 この日、ふらつきながら家に辿り着いたが、鏡で自分の顔を見ると赤黒く腫
(は)れていて、顔が化け物のようになり、醜(みに)く歪(ゆが)んでいた。そして私の家は、父の死と共に衰退し、没落の道を辿っていく。私の困窮の人生は、此処から始まる。

 山村師範から撃たれた、棒の傷跡はかなりの間長引いて、中々治らなかった。腫は退
(ひ)かず、化膿し、貌(かお)全体から左右の対象が失われ、醜く歪んだことがあった。その度に、女友達からは、「まるで四谷怪談にでてくる“お岩さん”みたい」と言われた事があった。


 ─────第二回目は高校一年の時である。
 女友達と遊び惚
(ほう)けて夢中になり、稽古に遅刻したことがあった。
 一時間半も遅れ、平然として稽古に顔を出した。
 山村師範は、この事で立腹し、激怒の頂点に達していた。
 それは丁度、ある種の化学薬品が、起爆剤と混ざり合って、化学反応を起こし、今にも爆発せんという危険な状態に似ていた。そして鷹
(たか)のような鋭い目付きで、私を叱咤(しった)するのだった。

 「今まで、何をしとったとか!儂
(わし)の剣を受けて見ろ!」と、この危険な化学薬品は、化学反応を起こして、大爆発したのは言うまでもない。
 山村師範の怒りは、私への体罰となって現れた。近くにあった丸太を掴んで突如
(とつじょ)斬りつけて来たのである。
 心の中で、私は丸太を見て、
(何が、儂(わし)の剣だと。この爺じじ)いも、耄碌(もうろく)しおったな。激怒の余り、気が動転しているぞ。タワケ。その証拠に、木剣と丸太を取り違えているのではないか。この馬鹿者め……)と思い、これ甘く考えていた。
 しかし攻撃は鋭かった。
 躱
(かわ)し切れずに、手足や、頭にボコボコと当てられ、頭はたんこぶだらけになった。
 (待って下さい。これにはちゃんと訳があるんです、話を聞いて下さい)と言っても聞く人ではないが、いっしか私は、その言葉を必死で吐いた。
 「お許し下さい!」と悲鳴を上げながら、部屋の中の応接台を挟
(はさ)んで、土足で逃げ回った。
 私が土足で逃げ回っているのが、更に癇
(かん)に障(さわ)ったのか、そのことが、この爺さまの激怒に一層の拍車(はくしゃ)をかけたようだ。

 心の中で、
(血迷っている。正気の沙汰じゃない。この爺じいは、唯の気違いだ)等と慌(あわただ)しく考えながら、必死に逃げ回り、遂に追い込まれて、とうとう逃げ場を失った私は、鼠(ねずみ)のような小動物と化していた。
 その時、私の脳裡
(のうり)には、最後の手段として、窓の外に飛び出す、アクション映画の、あの一場面が、はたと頭に浮んだのである。
 これを初めて試みるのに、何の躊躇
(ちゅうちょ)も伴わなかった。それだけ単純であった。
 単細胞は窓枠
(まどわく)の中央をめかけ、思い切りジャンプした。木枠(きわく)で作られた窓ガラスの中に飛び込んで外へ逃げたのである。
 ところがである。飛び込んで受身をした迄はよかったが、手と顔をガラスの破片
(はへん)で切って傷だらけになった。
 映画でやるようには、中々うまく行かないものだとつくづく思った。
 その後、室内の後片付けと弁償
(べんしょう)をさせられて、こってりと油を絞られたことは言うまでもない。
 しかしこれだけでは終わらなかった。これは単なる次の災難への、細
(ささ)やかな序曲でしかなかった。


 ─────数日たったある日のことである。
 この日は、酷い下痢
(げり)に悩まされていた。どうも、昨日食べた豚肉に当たったらしい。
 便所を借りて何度も通った。稽古中も、これが付き纏
(まと)い、腹具合は散々であった。周期的に腹痛が起こり、下しているのである。15分に一度の割で便所に入った。そのことが山村師範の機嫌を損ねたのか、便所から出てくる私に至極(しごく)不機嫌であった。そして、再び、また便所に行く破目となった。

 内心、
(生理現象です、仕方ありません。ここで垂れ流してもいいのですか。垂れ流したら臭いですよ。掃除は一体、誰がするんですか?)と言いたかった。
 そんな私の心を読んだのか、「武人はいかなる場合にも、隙
(すき)を作ってはならん。八方に眼を光らせておれ」と呟 (つぶや)いた。
 私はこの言葉の意味が何の事やら、よく分かっていなかった。便所に入り、水のような大便を垂れ流した。
 すると同時に、便所の扉を突き破って、槍が飛び出して来た。
  「馬鹿な!……な、なんと……」と思った瞬間、その槍先は右太腿に突き刺さり、大腿骨を避けて貫通した。私は突然の出来事に慌
(あわ)てふためき、下半身丸出しのまま、便所から転がり出た。冗談にしては度が過ぎていた。

  「うあー!」と大声を上げ、太腿部から拭き出した血を見て、動転の局地にいた。
 次の二手の槍が飛んで来て、私の咽喉元
(のど‐もと)でピタリと止まった。凄じい勢いの一突きであった。これには心の底から震(ふる)え上がった。
 この恐ろしさのために、へたり込んだ儘
(まま)また大小便をその場に、垂れ流していた。自分でも青ざめた蒼白(そうはく)な顔色が想像できた。
 内心、
(この爺い、何てことをしやがる。俺様の排便中に槍を突くとは無礼ではないか。覚えておけ、馬鹿者!)と、言いたかった。私はこの爺さまの異常な性格に、腹が立ったことを憶(おぼ)えている。

 ゴリラは人間に見られて不機嫌になると、ウンチを投げつけると言う。
 私もウンチを投げつけようと思ったが、水のような下痢便を投げる術
(すべ)がなかった。仮に、もし投げつけていれば、その時はその時で、この爺さまのことだ、また一騒動あったであろう。
 この時、私は太腿部に重傷を負った。更に、大小便の跡片付けをさせられたことは言うまでもない。


 ─────第三回目は高校三年の時であった。
 ある冬の寒い晩で、その日は、急な寒波
(かんぱ)到来で、木も草も、全てが凍りつく程、寒い日であったことを憶えている。
 こんな寒い日は、野山にいる獣
(けもの)たちも、人家に逃げ込んでくるという、いつか子供の時に聞いたことのある、遠い北国の民話を思い起こすような、北九州には珍しい寒い冬の一日であった。

北九州にも珍しく寒い冬の一日が襲うことがある。

  野や山には、雪がうっすら降り積もっている。風が特に冷たかった。時折、雪混じりの烈風
(しっぷう)が辺り一面を駆け抜ける。
 空を見上げると垂れ込めた雪雲の隙間
(すきま)から月が、うっすらと見え隠れし、見るからに寒々しい風景であった。
 この日は冷たい風の吹き荒
(すさ)む野外で、会津自現流の拳法を習った。拳法の素振りに始まり、素振りに終わった。稽古が終わって家の中に入った。暖をとろうとしたが、火鉢の炭が切れていたので、七厘しちりん/物を煮るのに価七厘の炭で足りる意から、また「七輪」とも呼ばれ、多くは土製の焜炉)に豆炭で火を起こすことにした。
 火が点
(つ)いて暫(しばら)くすると、それに手を翳(かざ)し、暖をとった。

 漸
(ようや)く私の躰(からだ)に暖かさが戻った頃、山村師範が、
 「儂
(わし)の手を掴んでみよ」と命じたので、注文通り、その手を掴(つか)んでやった。
 私は、『力
(ちから)止め』という秘術を習得していたので、その技で掴んで来いと言うことかと勘違いしたため、力止めを掛けてやった。
 山村師範にも一瞬の油断があったのであろうか。私の手をなかなか抜くことができないでいた。少なくともそうでないかと勘違いした。相手の真意を読み取る事に疎
(うと)かった私は、そう思った。
 (この爺さん、歳のために随分耄碌(もうろく)したな)等と甘く考え、一瞬愉快な気分になった。しかしこれがいけなかったのである。
 力止めを掛けた時間は、僅かに5〜6秒程であったが、私にはこれが随分長い時間のように感じられた。そして、やっとの思いで、私の掴んだ手を抜いたように思えた。 
 『力止め』は、相手の力を制して止められる時間が、約10秒程度とされている。その止めた隙に反撃するのである。これは別に5〜6秒でもいいのである。相手の力を止めた僅かな瞬間を狙って、反撃に転じ相手を制するのである。

 『力止め』?に嵌
(はま)った山村師範に、
 「私も中々腕を上げたでしょう?」と、つい無駄口を叩いてしまったのである。その途端、豹変して不機嫌そうな顔になり、
(しまった)と思ったが、既に遅かった。
 『易経』
(革卦)には「君子は豹変す」とあるが、この爺さまは悪しきに急変した。本来“豹変”は、あたかも豹の如く、斑紋(はんもん)が華やかに美しくなることを指すが、爺さまは悪しきに一変した。顔に激怒が漂っていた。

 「では、もう一度、儂の手を掴んでみよ!」と言ってきた。
 同じことを二度やらせるのかと思った。何かが起こると思いながら、掴んだ瞬間、跳ね飛ばされて、土間に叩き付けられた。
 「思い上がるも、甚
(はなは)だしい。所詮(しょせん)、お前はその態(ざま)だ!」と怒鳴られ、また、例の有り難いお説教混じりの講釈が、次から次へと始まった。
 いま考えると、嵌ったのは私の方であった。
 これが延々に続き、やっと終わったかと思えた時に、火箸
(ひばし)を突きつけて、私の目の前で、ピタリと止めた。私は微動だにしなかった。
 (これが不動心か!)と目の覚める思いがした。とうとう会得した思った。
 即ち、山村師範は、私の小心者の慌
(あわ)てぶりを期待していて、それを楽しめなかったのである。

 一瞬、ムッーとしたようだった。私の頭は、山村師範の次の手を穿鑿
(せんさく)していた。穿鑿する頭の回転が遅いと、酷(ひど)い目に遭う。次の手を早急に読まなければならない。
 それで、次の手の読みを考えていた。爺さまは何お思ったのか、今度は豆炭で火を起こしたばかりの七厘
(しちりん)を、私の目の前で、大きなゼスチャーをしながら、抱え上げて、こちらに今にでも投げつけるようなアクションをするのである。嘘だろ。真逆(まさか)、そのようなことはあるまい思っていた。
 (あれは、どうせ脅しだ)と軽く考えた。私は、本当に投げつけるとは、全く予想していなかったのである。これが奇手とは知らなかったのである。そして、何が起ころうと微動だにせず避けないで、度胸一番、堂々としていればいいのだ、と覚悟を決めていた。これがその時、本当に飛んで来たのである。

 (それはないだろ、ヤマちゃん!)と言いたかったが、既に遅かった。受けそこなった私は、まともに頭から、それを被(かぶ)り、二、三個の火の着いた豆炭が、道衣の襟首(えりくび)を潜り抜けて、背中の中に転がり落ちて来た。
 こんなものが入ってはたまらないと、大慌てで中に入った豆炭を外に出し、
(何て、ことしやがる。このクソ爺い!)と思った。
 背中の至る所を豆炭の火で火傷して、ズキズキと痛んだ。
 山村師範は、仕組まれた受難とも言うべき私の不幸を見て、肋骨
(ろっこつ)が折れんばかりに笑い転げ、いつになく上機嫌になった。後先を考えても、私は孰(いず)れこうなる運命にあったのだ。

 私の会得したと思った不動心は、これで無慙
(むざん)に崩れ去り、この修行は振り出しに戻った。
 私はこれを期に、七厘や火鉢の類
(たぐい)は棚を作って、その上に置くことにした。これが七厘を投げ付けられたことへの抗議であり、せめてもの山村師範へのお返しであった。

 「何で七厘や火鉢を棚に載せるのか!」と文句を言われたが、涼
(すず)しい顔で惚(とぼ)けていた。
 このように山村師範から、手厳しい受難とも言うべき洗礼を受けた経験を持っていた。
 これらの三回の洗礼は、何れも虚をついた奇襲攻撃によるものである。だから、「隙
(すき)があらば、何処からでも掛かって来い」と言う山村師範の言葉を無視し続けるわけにはいかなかったのである。下手をすると四回目の洗礼を受けるかも知れないからである。


 ─────このような過去の体験を回想しながら、数日が過ぎた時だった。
 前回と同じように知らん顔をしていると、私に子供が挑
(せが)むように、また同じことを言うのである。
 心の中で、
(よしよし、わかったがな、爺ちゃん。今からこってりと可愛がってやるから、そんなに慌(あわて)なくてもいいがな。首でも洗っておとなしく待ってなよ)と侮(あなど)っていた。
 山村師範は、私の侮り半分、冗談半分に斬りつけた二尺二寸の真剣を軽く躱
(かわ)して転身し、意図も簡単に避けられてしまった。
 (やるなー)と心で思った。
 暫
(しばら)く斬りつけないで、じっくりと隙(すき)を窺(うかが)い、ある種の油断を与えておいて、また素早く斬りつけた。それでも簡単に躱されてしまった。そして最後は、例の如く、手足を抑え付けられ、猪(いのしし)のように生け捕られてしまった。

 「お前の心には、儂
(わし)を年寄り扱いしている侮(あなど)りがある。それが上達を遅らせている最大の原因じゃ」などと悪しきざまに言われた。
 老人には老獪
(ろうかい)なところがあると言う意味である。長年生きて来た“老智”とでもいおうか。あるいは狡猾(こうかつ)な意味であろうか。単に老練であるばかりでなく、悪しき老獪だった。世故に長け、悪賢いのだ。

 二度目は、次の日、真後ろから、お茶をすすっている時に、上段から斬りつけた。
 この時も全く勝負にはならず、私は亀のように取り押さえられて、もがく羽目となった。そして、次々と襲撃の場所を考えて襲った。
 入浴の最中、排便排尿の最中、食事の最中、祝詞
(のりと)の最中などの隙(すき)の多い時期を見計らって襲ったが、全て悉(ことごと)く返り討ちの憂き目に遭(あ)った。そして最後に考えついたのが、睡眠の最中であった。
 今度こそ、一突きに串刺しにしてやると思っていた。しかし内心、刺して本当に死んでしまったらどうしようか等と、余計なことまで考えていた。この家の床の下に穴を掘って埋めてしまおうかなどと起こりもしない出来事に、真剣に心を悩ませた。


 ─────北風が音を立てて吹き荒れる夜、夜陰
(やいん)に乗じて、山村師範の家に近付き、音を殺し息を殺して野に潜んでいた。黒覆面(くろ‐ふくめん)をして、息を殺しながら、この家の床に潜り込むことにした。
 頭部につけた懐中電灯を頼りに床下に入つた。
 この時、袋槍
(ふくろ‐やり)を改造した二尺(約60cm)の手槍(てやり)を持っていた。山村師範の寝ている部屋の下に行き、そこで息を殺して暫(しばら)く潜んだ。
 山村師範は、鼾
(いびき) をかいて寝ていた。往復鼾(おうふく‐いびき)で、わざわざ自分の居所を、ご丁寧(ていねい)に知らせているのだ。ある意味で豪傑(ごうけつ)とでも言おうか。

 (何て、間抜けな奴だ)と思った。狙いを定め、床下で身を潜めること30分。
 (よし、いまだ)と思って、下から思い切り、床板ごと突き上げた。
 しかし、思い上がった自信過剰な一突きは見事に躱
(わか)され、私はいつものように、山村師範の玩具(おもちゃ)にされた。渾身の一撃は無に帰した。格と桁が違っていた。
 必死でもがき、逃げ回る鶏
(にわとり)のようになって弄(もてあそ)ばれた。
 山村師範は、私を玩具にしたことで、大変気を良くし、この日は頗
(すこぶ)る、ご機嫌が良かった。結局のところ、七度襲って七度敗れたのである。

 これと同じようなことを教える教訓に、『牡丹下
(ぼたん‐した)の猫』という挿話(そうわ)がある。
 一匹の猫が牡丹の花の下で、気持ちよさそうに昼寝している。そこに武芸者が近付き、一刀の下
(もと)に猫を斬り付けた。猫は、この刃(やいば)をひらりと躱(かわ)して逃げて行く。

 さて、この時の猫の心理だが、猫は本当に気持ちよさそうに寝ていたのか、それとも寝た振りをしていて、咄嗟
(とっさ)の危機に対して、最初から対処していたのではないかという、二つの推理が成り立つ。
 前者が事実とすれば、猫は本当にぐっすり寝ていて、その咄嗟の攻撃に刃
(やいば)を躱したということになる。
 後者は本当に寝ていたのではなく、常に危険に対して、身構えていたということになる。この二つの仮説の相違点は、寝ていたのか、寝ていなかったのかということである。
 寝ていたのであれば、咄嗟の出来事のみに対処して、その瞬間、危険を回避したということになる。そして、猫の心は寛
(くつろ)いでいて、寝ていながら、寝てなかったということだ。

 もう一つの考え方は、最初から寝ていなくて、常にいつ何かが起こってもいいように、起きていたと考えれば、猫は常に寝ることができない。やはり、寝ていたと考えるのが常套
(じょうとう)であろう。
 そして本当に寝ていたが、心は常に危険に対して、遊んでいなかったということなる。

 この挑戦をして感じたことは、私に襲いかからせて、実は山村師範自身も、『牡丹下の猫』の修行していたのではないかということであった。寝ていながら、心は遊んでいなかったということになる。
 悠々
(ゆうゆう)と寝ていながら、その危険が察知でき、万処(まんしょ)の出来事に対処できる「無」の心を、教えようとしていたのではあるまいか。
 山村師範の「体伝
(たいでん)」という指導方法の真意は、実にここにあったのである。そしてこれこそが「他力一乗(たりき‐いちじょう)」という、出た所(とこ)勝負の、運を天に任せた人間の生きる因縁であった。

 自分の無私は、相手を立て、かつ相手の行動を阻害しない。
 譲る事が、礼の根本であることが分かるようになる。
 好きなように遣らせて、納得させ、その後に解らせればいい。敢えて力を誇示してみせる必要はないのである。好きにさせればよい。
 思う存分、好きにさせる。
 暴れたい時には暴れさせ、泣きたい時には泣かせればいい。ただそれだけをさせて、納得させ、解らせればいい。そうすることにより、後腐れは消える。その後に、結末がどうなろうと、これは人間側の知った事ではない。遣るだけのことを遣るだけである。
 これは「他力一乗」に関することである。
 任せればいい。
 他力一乗は、そう教える。

 他力とは、天と言う意味であり、運命と言う意味である。
 総ては天に任せ、運に任せる。それは人間の知った事ではない。
 だが、「任せ方」が問題になる。
 努力せずに、安易に任せてはならない。努力する「他力」である。努力は目一杯する。とことん遣る。人間側のする事は、此処までである。
 後は任せればいい。

 努力する他力に、身を投じたとき、そこには不思議な力が働く。これは天の力である。
 この場合、通じれば天が力を貸す。
 人間はその力を、貸し与えれば遠慮なく遣えばいい。貸し与えられなくとも、天より見放されたと嘆く必要はない。そういう末路が自分には用意されていたと飽きらめればいい。人間側の問題ではない。
 人間の遣ることは他力一乗に任せるまでである。



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