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支配層が企む食のコントロール
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憑衣現象改善法 2


●食生活の誤りを正せ

 第二に、食生活の誤りである。
 日本人の食生活は、昭和三十年代の起点として、その後は、大幅に西洋化される路線に転換された。
 つまり日本人の食生活の西洋化である。その為に、食生活は欧米化され、動蛋白を多く摂取する「食の乱れ」が生じた。この「食の乱れ」が様々な現代の災いを今なお、拡張する悪循環を繰り返しているのである。

 食肉や乳製品の、動蛋白の摂取過剰は、血液を汚染させ、自律神経調節機能を狂わせた。こうした「狂い」が、今日では神経症
(心理的な原因によって起る精神の機能障害で、病感が強く、不安神経症・心気神経症・強迫神経症・離人神経症・抑鬱神経症・神経衰弱・ヒステリーなど種々の病型がある。一般にはノイローゼと言う名で知られる)となり、この神経症は自律神経失調症の範囲に留(とど)まらず、精神分裂の世界にまで拡散・膨張すると言う現実を招いた。

 憑衣現象を上げた場合、この「第二のケース」である場合が少なくない。
 食の誤りと乱れと慎みを忘れた姿は、血液を汚染させ、それが「感性」にも及んだ。つまり「感性」の発達に悪影響が及び、「慎み深くあること」や「工夫する創造力を養うこと」などを総
(すべ)べて欠如させてしまったのである。

 この為、自立心が失われ、忍耐力が失われ、我慢する、堪忍すると言う、人間への思いやりが薄れ、これは悪想念となって、自他離別を作り上げたのである。また自他離別意識は、精神世界に大きな悪影響を及ぼし、それは感覚機能を狂わせることになってしまった。

 自動調節機能の失われた多くの人は、先ず運動機能に障害が顕われてくる。それは極めて反射機能が鈍くなり、判断力に欠けることだ。動作が鈍重になるのである。反射機能の判断力が鈍くなれば、同時に平衡感覚も鈍くなってくる。
 運動機能は、精神と大脳及び脊髄神経と密接な関係を持っている。運動機能が鈍いと云うことは、同時にこれは、精神構造の未熟さから来ることで、脳神経の未発達に由来している。

 つまり、自分で分かっていながら、前方から襲って来る外圧の脅威を避けたり、躱
(かわ)したりすることが出来ず、もろに受けてしまうことである。肉体的な反射神経が鈍っているだけではなく、霊的反射神経も極度に低下しているのである。霊的反射神経が鈍れば、外邪や邪気に対して、その猛威を躱すことができない。つまり憑衣されるわけである。

 人間は親の保護下にある、乳幼児期、幼児期、少年期、少年期後半の思春期に、親から過保護にされて育った、成人の多くは、自立心を失い、精神構造の発育が阻害されて育った人である。こうした乳幼児から少年期までの、母親と共に製作した悪癖が、やがて自律神経失調型の病因へと進展するのである。

 そして憑衣現象の多くは、こうした進行状態に或る時、或る日、突然に襲って来る。病因は既に仕掛けられているのであるが、それが、いつ吹き上げるか、解らないだけである。
 これが一旦吹き上げると、その進転は早く、即座に自動調節機能を狂わせてしまう。自分で制御できなくなるのである。大半の人生を憑衣で苦しめられて過ごす人も少なくない。

 こうした病因の総
(すべ)ても、団塊の世代や団塊の世代ジュニアの、物の考え方の誤りから始まっている場合が少なくない。

 また、親の考え方は、次の世代に必ずしも通用するとは限らない。時代は大きく変化し、それは流転
(るてん)して止まることがない。しかし流転する方向は、物質過剰の方向であり、こうした環境で育った子供達は、大人になってもこれを直ぐに修正することができない。習性には大変な時間が掛かるのである。

 時代を彩
(いとど)る背景は、その時代特有の価値観を作る。この価値観は、時代によって各々異なる。物質過剰時代や、飽食の時代に育った子供達は、贅沢が当たり前だと思い、親達の人生観を正しく理解できない。この人生観が理解できなければ、センスやフィーリングの違う子供にとっては、容易に理解出来るものではない。またこうしたものが、「断絶」のシコリを残した。

 この時代に育った子供の多くは、学校教育の中でも「知育」だけが重要視され、特色のない「暗記型人間」が大量生産された。昭和三十年代から、四十年代にかけて、多く造りだされた人間は、そのエリートと言われる多くが「暗記型人間」である。

 今日の日本の官僚にはこのタイプの人間が非常に多い。いわゆる、解答のある答案用紙には、正確に答を書き込む事が出来るが、解答のない、創意と工夫を要する問題に対しては、何一つ答えられないのである。


 日本人の大きな誤解は、暗記型の人間を、「頭がいい」とか、「秀才である」と定義付けてしまったことだ。ここに、戦前・戦中・戦後を通じての学校教育の誤りがあった。

 当時の教育の特長は、暗記型人間を大量生産し、教育の掛け橋であった「先生と生徒」の関係が崩れた時代でもあった。この掛け橋が崩壊すれば、これを修復するのに「故障した部品」の取り替えと云う発想が生まれたが、部品を取り替えただけでは、病気は現実問題として治すことが出来なかった。

 部品と取り替えたお陰で、新たな二次的な病因を作る結果にもなっていった。そして今日では、二次的な障害が進展し、三次的な障害をも派生するようになった。これが精神世界への侵蝕である。昨今の精神病者の急増は、以上の事が要因にもなっている。

 病み疲れた脳は、幻覚に浮ぶ幻影と化しつつある。この幻覚は、神経の疲弊
(ひへい)にまで進展する。神経の疲弊は、ある限界線まで到達すると、特異点を形作り、自分の依存を別の者に転換させてしまおうとする変化が起る。その変化こそ、憑衣の始まりである。

 特に、動蛋白を多く摂取し、中庸
(ちゅうよう)体質が保てなかった人は、感覚が敏感になり過ぎ、更には自律神経の自動機能が失われて、霊的な現象に影響され易くなった。また、食品や食材の陰陽を無視して、自己流の食生活観を実行し、偏食に明け暮れた人は自律神経失調症と云う病因を背負い込む結果を招いた。

 殊
(とく)に、人間関係に苦労して神経をすり減らし、このすり減らした後には、必ず体内に毒素が溜まり、この堆積が疲労困憊(こんぱい)状態を作り上げる。こうした状態は、肉体的な疾患に発展した場合、胃潰瘍(いかいよう)や膵臓炎(すいぞうえん)といった慢性病に転移するが、ストレスとなって、精神に転移した場合、殊に精神分裂病や躁鬱病(そううつびょう)といった二大精神病の病魔に冒される病因となった。

 最初は調節機能の障害程度であったものが、この時点に移行すると、かなりの重傷になる場合も少なくない。目に見えない水面下では、憑衣現象が起っていることは言うまでもない。



●ガン発症も、また憑衣現象の顕われ

 また肉体的な病変であっても、慢性的な内因性のものも含めて、表皮であると考えられる。その最たるものが「ガン疾患」などであろう。ガンも一種の憑衣現象である。

 ガン疾患は、動蛋白摂取過剰と、その過剰を要因として、血液が汚染された場合に起る病気である。
 『腸造血説』の見地から考えると、人間が取り込んだ食物は、腸によって吸収され、それが張り巡らされた血管を通じて、体内を循環する。循環した赤血球は、各々の組織の部位で細胞に変質する。
【註】一般に中学や高校で教えられている理科1や生物でいう細胞分裂は、組織の各部位では行われていない。赤血球が各部位に留まり、組織細胞を組織するのである。ガンという疾患は、正常細胞が異常細胞として「ガン化」した細胞である)この細胞に変質する場合、赤血球に異常が生じると、そこで炎症を起こし、その炎症はやがてガン細胞へと変質するのである。これが『腸造血説』から述べる簡単な、ガン疾患へのメカニズムである。

 一方、精神障害を齎
(もたら)す精神的な憑衣は、陰陽の自動調節機能の異常によって起る。陰陽調節の不自由は、各々の圧力によって、陰圧や陽圧をコントロールしている為、陰圧が高くなってしまった場合は、憑衣・憑霊され易い状態となる。
 陰圧が下がっている状態を、如実に顕
(あら)わすものが、「肩凝り」や「腰痛」であり、人体がこうした状態にある時、憑衣・憑霊される隙(すき)をつくる事になる。

 その隙
(すき)をつくる時間帯は24時間のうち、最も多いのが午後10時以降であり、昔はよく、「女は午後10時までに寝れ」という諌言(かくげん)があったくらいである。
 それは午後10時以降に、邪気が憑衣・憑霊することを如実に物語った諌言であったからであり、同時に、男性より女性の方が感性的な感覚器が卓
(す)ぐれている為に、憑霊されるのは圧倒的に女性の方が多かったようだ。

 また、男性が憑霊される場合は、女性的な内向型に人に多く見られる現象であったが、昨今は食生活の欧米化の為、男女に顕われる憑衣の差は、そんなに開きを見せていない。男性も、女性並みに憑衣される時代に突入したと言える。

 陰圧が高まれば、負の磁気流は外邪の侵入に対して無防備な状態となる。この無防備の隙をついて、外邪は背後の「風門
(ふうもん)」に忍び寄り、此処から侵入して頸椎を昇って「唖門宮(あもんきゅう)」に到達する。唖門宮を占領した後、人体の温度調節機能を破壊して、麻痺(まひ)状態を齎し、痺(しび)れ、熱感、冷感、圧迫感等の様々な意識を憑霊した相手に派生させるのである。

 こうした症状が、ノイローゼを含む神経症であり、不安定な情緒は益々激しくなる。更には、ガン疾患や生理痛
(月経に伴って、下腹部に起る疼痛は一種の憑衣・憑霊現象)等の症状も併せて余痛を齎(もたら)すのである。

 特に、女性の場合の生理痛は、陰圧や陽圧のコントロールが不充分な為に起こる病気であり、骨盤痛・腰痛・下腹痛・悪心・嘔吐・下痢・不快感などが派生し、月経に随伴
(ずいはん)する疼痛が起る。この意味で、女性は、かつては憑衣の対象であった。

 これが更に進行すると、月経困難症となって、骨盤内に器質的変化のない原発性が見られ、これを本態性月経困難症と言う。また困難症の中でも、悪質なものは子宮内膜症、骨盤内炎症、子宮筋腫
(しきゅうきんしゅ)、あるいは子宮内避妊具の使用等によって起こる続発性月経困難症がある。そしてこれらは、陰圧が高まったから、外邪の侵入を許し、憑衣・憑霊現象の一種と考えられる。

 第三に不安と不信から起る憑衣現象が考えられる。
 世の中の先行きの見えない不安。求人難から派生した定職を持たない不安。フリーターの増加。そしてこれ等に絡む人間不信。更には、つい最近まで常識と思われていた事が否定され、非難される事により、将来の見通しが立たない不安などが、憑衣される隙
(すき)を与える要因となっている。
 「不安」を抱いた瞬間に、割り込まれ、憑衣を赦してしまうのである。

 現代人は「今」を満足できない人種へと変化しつつある。足ることを知らないのである。明日へと向かう希望を確約させ、明日の安定や幸せまでもを貪欲に吸収し、更には一ヵ月先、二ヵ月先、あるいは一年先までの安定と幸福を得ようとする。
 そして、今の生活が安定していればしているほど、不幸や災難を懼
(おそ)れ、不安と不信に戦(おのの)くのが現代人の心情となっている。こうした不安材料や、不信材料が憑衣される現象を招いているのである。

 多くの現代人は、もし今、自分に苦労がのしかかっていれば、今日できないことでも明日がくれば何とかなり、いつか今日の苦労が報われ、その報われる日を目指して、希望を胸に抱き、頑張り通している。今日出来ないことは明日に先送る、「先送りの論理」だ。
 悲しい時、苦しい時には、じっと我慢し、歯を食い縛
(しば)ってさえいれば、この苦労は、いつかは報いられると信じている。耐え忍ぶうちに、安らぎが沸き起って来るものと信じている。

 ところが、現代という時代は、まさに高速回転を続ける遠心分離器であり、こうして歯を食い縛って、努力を重ねている人間が、遠心分離器から弾
(はじ)き出される現象が起り始めた。
 それは「不安」や「将来の保障」が、空しい心の迷いであったと言う事を知らない為に起った現象だった。

 したがって、現代人は「今日一日」という、この現実に直視しなければならないのである。
 かつて、二宮尊徳は、

  この秋は雨か嵐か知らねども 今日のこの日を田草とるなり

 という句を詠
(よ)んでいる。
 これは明日の事を思い煩
(わずら)うなとの諌言である。今日一日を精一杯、悔いのないように働くことが人間の務めであるとしているのである。

今日一日の労働。かつて日本人は、借り終った田圃の光景を見て、自分は今日一日の道々を精一杯やったのだという自負があった。

 多くの現代人は、今日一日を精一杯生き、今日一日が充実していれば、もうそれだけで立派に人生を全うしていると言う、実際を忘れてしまっている。今日一日の充実は、今日と言う善き日への満足感である。この満足感が得られれば、もう立派に人生を生きたことになる。

 今日という日は、「今日一日」しかない。再び巡ってくることはない。今日の、この日を大事に生きる事ができれば、必ずや、その夜はぐっすり寝る事が出来るであろう。安眠間違いなしだ。

 ところが今日一日を蔑
(ないがし)ろにすれば、明日の事が不安になる。悔(く)いが残る今日一日に対し、不安材料と不信材料が浮上してくる。この種々の諸条件をもつ悪の因果関係が、また憑衣を招いてしまうのである。

 したがって、こうした諸条件の悪因縁と、悪想念から逃れる唯一の脱出法は、今日一日という、「今」を大事にして生きるという事である。今日が大事にできれば、明日も必ず大事にしなければならない「未来の今日」がやって来る。そして未来の今日が連続すれば、死ぬ日まで楽しく、生き生きとして生きて行けよう。

 昨日は今日の為の反省材料であり、明日は今日の生き態
(ざま)の結果である。これを充分に理解出来れば、今、何をするべきかも当然、浮かび上がって来よう。
 したがって、今まで思い悩んでいた「不安」や「未来への保障」は空しい心の迷いである事が分かる筈
(はず)である。

 今日一日を精一杯生きたことは、素晴らしい喜びであると同時に、感謝への祈念となり、これまで自他の間に境界線を作っていた垣根は取り払われる筈である。この垣根が取り払われれば、自他の境目はなくなり、これまで他人に向けて伸ばされていた触手の悪想念は消滅していくものなのである。そして、これが「愛する想念」に変わるのである。

 この事が理解出来れば、死ぬ日も、今日と同じ、精一杯生きる、きっと「善き日」に違いないのである。したがって、ありもしない妄念に振り回される事はないのだ。
 その事が分かれば、憑衣も自然に消滅の方向に向かうものなのだ。



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