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相術と八門古典物理学 1
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八門人相術 2


●「倍数律」の法則

 人間には年齢に応じて、「倍数律」なるものがある。
 子供は6歳になると、子供なりに社交性を示し、小社会の中で集団生活の様式を学んで行く。次に、両親から受け継いだ先天的なものに加えて、社会人としての人格や原形をこの頃に作り上げて行く。性的発育の開始が伴うのもこの時期である。
 将来、大人として活動する基礎固が、この頃にほぼ出来上がることになる。そして12歳までを振り返ると、「倍数律」で、人間は成長している事が分かる。


 【註】親から授かったものと、訣別する準備をはじめる時期は、女子ならば14歳の月経が始まる頃であるが、現代人は動蛋白摂取過剰なので、12歳頃に肉体的には親の体躯と訣別するようだ。
 また、男子は15歳前後で精通現象が顕われ、男子特有の体格と容貌が顕われはじめる。
 健康な女子ならば、21歳戦後に敢然な母としての体躯
(たいく)を備え、男子は24歳前後に異性を求めて恋愛期に入る。
 そして、生理的かつ精神的な倍数律は、女子の場合、7の倍数で進んで行く。7歳、14歳、21歳、28歳、35歳、42歳、49歳、56歳、63歳、70歳、77歳、84歳、91歳、98歳であり、男子の場合は8の倍数で、8歳、16歳、24歳、32歳、40歳、48歳、56歳、64歳、72歳、80歳、88歳、96歳である。

 
 また、親から授かったものを、この頃に訣別する準備が始まり、顔貌(かお‐かたち)が成人に向かって変化を見せ始まる。
 女子は14歳で、本来は月経を迎えていた。
(昭和30年代初期までは)
 
しかし、欧米食盛会の現代にあっては、その時期が次第に早くなり、それだけ老化も早くなったという事である。

 特に平成の時代に生まれた子供の多くは、12歳前後で月経を迎えているようだ。またそれだけに、乳癌に罹
(かか)る確率も、その他のガン疾患を煩う危険性も高くなり、月経が早く訪れると言うことは、運動不足などで躰(からだ)を動かさず、動蛋白摂取過剰となり、異常性腺刺戟となり、したがって月経が早くなると言うことだ。
 月経が早くなれば、成長はそこで止まるという事だ。成長が止まった時点で、ガン保菌者の病院を持つ女子は、まず乳癌でその洗礼を受ける事になる。

 女子の成長は
7の倍数で始まり、7歳、14歳、21歳と進み、男子の成長は8の倍数で8歳、16歳、24歳となる。このと、8の倍数年齢ごとに、生理的、精神的変化が顕われる。そして、その後も一生続くのである。

 女子では、
4の倍数の28歳から、いよいよ女として円熟する時期である。性欲がピークに達するのもこの年齢であり、したがって間もなく厄年に近付く年齢となり、危険時代に突入する。この時期に入ると、躰に潜り込んでいた邪気や邪霊が一斉に正体を顕わし、精神分裂病や躁鬱病(そううつ‐びょう)を表面化させ始めるのである。女性が狂う時期は、ほぼこの時期に集中している。

 一般的に女性は、
5の倍数の35歳になって落ち着きを見せ始め、精神生活の扉(とびら)はこの時に開かれる。6の倍数42歳で精神的生活の深みを増し、更年期の近付きを思わせる、7の二乗の歳の49歳で閉経し、女として、妻としての性生活に訣別(けつべつ)を告げ、これ以降は本来ならば、精神的な平和な生活に入って行くのである。
 ところが現代では、こうした精神生活に入る女性は少なく、閉経後も、「食」と「色」に目がないようだ。

 男の場合は、
8の四倍の32歳で、男子としての活躍期に入り、30歳前後を機転として一生涯の運命の基礎工事が完了する事になる。家を構え、妻子を養い、基礎工事はこうして完成する。
 次に
5の倍数の40歳になると、壮年期に突入して精神生活に落ち着くが見え始め、一方、血気盛んで働き盛りの年齢であり、この年に顕われる兆候としては、これまで不摂生で乱暴な生活をして来た者は、既に衰え始め、また生死に関わるような病気を発病する。

 6の倍数の48歳になると、落ち着きを定着させ、不惑(ふわく)の精神状態に至るものである。そして精神生活は、益々円熟する。
 7の倍数の56歳で一生の収穫を始め、8の倍数の64歳で、性生活から解放されて、平静な生活に入る。

 男女とも、特有な生活の周期を持ち、その生活期間は八年か七年であり、
6倍の年齢までが、肉体的な生活期間であり、その後は精神的な生活期間となる。
 即ち、男子は48歳であり、女子は42歳である。この年に至って、正常な人間は色欲の強力な支配から解放されるのである。



●階梯区分と倍数律

 さて、人間の老若の年齢区別は、古代より人生を各年齢で階梯区分する。その各期間において、個人の義務や役割を果たし、各々の期間に、食事量、性交回数などを定め、これに準じたものである。そして、各々の年代には独自の名称があった。
 【註】以下は『ウエツフミ』による年齢区別であるが、現代では「初老」は老境に入りかけた年ごろの40歳を指し、これを「初老の異称」にしている)

名  称
年  齢
ワラワ(童)
7歳まで
ウナビ(幼年)
8〜13歳まで
イカシ(少年)
14〜20歳まで
ハヤリ(青年)
21〜30歳まで
マスラ(壮年)
31〜50歳まで
ス ゲ(初老)
51〜70歳まで
マスゲ(中老)
71〜90歳まで
チ ヌ(大老)
91〜百十余歳まで
マチヌ(白老)
百十余歳〜150歳まで
サ キ(寿老)
151歳以上

 『ウエツフミ』【註】『上記』を指す)では「スゲ」と掲げ、これを「初老」とし、この「老」の異称で呼ばれる頃から、人間は肉体に固執することを離れ、これより精神領域に入る事を示唆(しさ)している。
 肉体的、物質的な有限生活から解放されて、精神的な無限な生活を求めるようになるのである。

 また、肉体から離れるということは、それは長寿を意味していたのである。つまり、人間は、倍数律で定める48歳を機転とし、また『ウエツフミ』で定める「初老
(スゲ)の51歳」を機転として、此処から先は精神領域に入る事を示唆していたのである。
 ところが、精神領域に入る世界を忘れてしまった現代人は、古代人のように精神領域に入る事が出来ず、朽
(く)ち果てた肉体を引き摺(ず)りつつ、やがては苦しみながら病死すると言う結末を選択したのである。

 限られた肉体の楽しみから解脱して、無限で限り無い、永久
(とわ)の精神的な世界へと転向するのである。この世界こそ、人間が入らねばならぬ世界であり、この精神生活に至れば、永遠の命が約束され、平和と自由、喜びと光に満ち溢れているのであるが、多くの現代人は不幸にも、この世界に入れず、歳老いても、金銭や物質を追いかけ、「食」と「色」を追いかけ、その追い回すことで、一生を没落していくのである。

 物質的な欲望は、色食の変形であると言えよう。また、この色食が見得へと趨
(はし)らせ、金銭欲へと趨らせるのである。そこに人間の、齢をとっても迷い続ける現実がある。色食に振り廻され、運命の陰陽に支配される現実があるのである。
 しかし「倍数律」は、人間が死ぬまで付き纏
(まと)うものであり、人は、これと共に朽ち果てるまで生きて行くことになる。

 繰り返すが、肉体期の基礎固は24歳である。
 この歳は、社会に本格的に参加する時期であり、これまで培った基礎が応用されることになる。この年齢こそ、試される年齢であり、幼児期に獲得した優性が受け入れられ、劣性が矯正
(きょうせい)される。

 更に、
24の倍数律の48歳になると、社会活動に適応した結果の集大成が図られる。この時期から、次の96歳までの第二の人生が、48歳でスタートすることになるのである。
 世間一般には「四十、五十は洟
(はな)垂れ小僧」とか「四十八歳の抵抗」などの言葉があるが、この時期が、人生前半の終点と考える事が出来る。

 しかし、48歳のスタートを切り、第二の人生に突入する時、人はこの時期に様々な厄病神を背負い込むことになる。ボケの始まりもこの時期であり、短命な人は、第二の人生のスタートを切ることもなく、この時期に病没する人も少なくない。
 特に男子の場合の48歳は、不惑
(ふわく)に近付き、精神生活をはじめる時期なのである。そして、この時期は、6の倍数の頂点に達する時期でもある。

 しかし、この時期を上手に通り抜ける者は意外と少ない。多くは、傷らだけになり、精神を破壊したり、病気を背負っての関門通過である。
 それは、「現代人」という人種が、今なお、「進化の途上」にあるということだ。

 人間の脳には爬虫類
(はちゅうるい)時代の感情が住み着いている。
 爬虫類時代の記憶に悩まされ、哺乳類時代の感情に振り回されている。自分を見詰め、自分を成長させる意志力を用いて、霊長類の領域に達しなければならないのであるが、幼児期に前頭葉の発育の為の躾
(しつけ)を失ったものは、この時期に至って、様々な箇所に病魔が姿を顕わすことになる。

 そして、この病魔は、人間が倍数律が始まる、第一回目の3歳の時期に、薄らと、既に顔に書き込まれているのである。倍数律を重ねるごとに、病魔の姿は明確になり、48歳の第一の人生の終点の時期と、第二の人生のスタートの時期が重なるこの時期に、病魔は猛威を振るう。そして、これを無事に通過し、最終的な倍数律の終点である96歳まで生き続けるか、否か、このスタートの時期に決定されてしまうのである。

 此処で取り上げた「倍数律」は、八門遁甲では、敵方の運命や運勢を知る時に用いる、基礎的な数字を挙げているが、この数字は、策
(さく)をもって、敵を攻める場合に敵大将の「命(めい)」を弾き出すもので、これを用いられれば、一溜まりもなく殲滅(せんめつ)されてしまう恐ろしい仕掛けが組み込まれている。
 また、倍数律は攻
(せめ)の遁甲で用いる「軍立(いくさだち)」にも使われ、これで日取りを割り出されれば、敵の思うように運ばれてしまう。
 そして「命」は、「相」と複雑に絡め合わせて用いるものである。
【註】これには複雑な古典物理学の計算式がある)

 人間を観る場合、その観る処は、まず顔である。
 人間の顔は脳の延長であるから、顔貌
(かおかたち)と無関係ではない。その人の思考は、そのまま顔に顕われるものである。前頭葉のトレーニングが顔貌となって表現されるのである。病気も、憎しみも、争いも、総(すべ)て顔に顕われ、同時期に、果たしてその人が人間の形をした獣人(けだものびと)なのか、霊人(たまびと)なのかが分類されるのである。
 獣人に落とされれば、やたら動蛋白に貪
(むさぼ)り付き、苦悩と疾病の種を抱えて生きて行かなければならないであろう。

 さて、人相を研究すると、顔に各々の持って生まれた性格を記している。その性格は大方の基本形がある。観相で言う「基本形」の上に、周期ごとに人間の顔の変化を顕わしているという事である。




●人間の顔を形作る三つの基本形

 
人の顔には、大きく分けて三つの基本形がある。
 人間の顔の美醜は、目と鼻によって決まる。目の形や、その大小。また鼻の形やその造りにバランスなどによって美醜が決定されるが、運命の陰陽支配を見る場合は、美醜とは異なる人間の顔の土台となる、基本的な「顔の形」によって、その運命支配がなされる。

 顔の形は、台形、菱形、三角、逆三角、四角、丸形、五角など、人は各々十人十色であるが、単純に整理して逆三角・四角・丸と、この三つに分類できよう。そして人の顔は、この形によって、性質も大きく分れている。



【逆三角顔】
 まず、逆三角の顔を見て見よう。
 この顔は、額
(ひたい)が発達し、下に行く程、貧弱になっている。顎(あご)は額に比べて細くなり、辣韭(らっきょ)を逆さまにした顔である。こういう顔は、知の勝る顔であるが、晩年運は、顎の細さから寂しいものを暗示している。老後は孤独な生活が待ち構えていると言えよう。

 逆三角の顔から窺
(うかが)えるものは、心性質なるものを持ち、知的面で優れたところを見せる。顔の上から順に行くと、髪の毛は極細か、それに準じて細く、しなやかで、軽く少ないように見え、多少赤味か、茶色掛かったの色をしている。額は幅広く、高い。脳の容積の大きさを顕わしているとも言える。また、米噛の筋肉がよく発達し、物を咬む場合は、この箇所がよく動く。

 眉
(まゆ)は細く、美しく、柔らかな線が出ていて、三日月眉で、観相学上では「柳眉(りゅうび)」という眉の人が多い。この眉の人は、女性ならば「柳の葉」のように細く美しい眉であり、「美人の眉」ともいわれ、「柳の眉」ともいう。高貴な血統を持つ人に多い。

 目は切れ長を顕わし、女性ならば、色気があり艶っぽい。
 また目の細い人
(一重瞼)は冷血的な心を持つが、目が大きな人(二重瞼)は心が優しい。また細い目を持つ人で、吊り上がっていれば、残忍な一面を持っている。この目の持ち主は、人に厳しく、自分に甘いタイプである。丁度、パンダのように、吊り上がった怖い目をしている人は、このタイプと言えよう。

 耳は逆三角形の耳を持ち、耳朶
(みみたぶ)が小さく、金銭的には狡(ずる)い所があるか、損得勘定に対し、非常に計算高い。但し、理財を溜め込む方ではない。
 鼻は上品で小さく、細くて、高い。口は小さく細く、唇
(くちびる)は薄い。顎(あご)は下窄(したすぼ)み型で、尖(とが)っていて、肉も薄く、運命的には寂しい晩年を迎える人が少なくない。
 この顔の持ち主は、先ず繊細な一面を持っており、知覚神経が発達している為に、鋭い勘
(かん)を持っている。「先見の明(めい)」なども持ち合わせ、株式相場などで度々、大儲けする。但し、口煩(うるさ)い一面を持ち、あれやこれやと口出しをし、「気難しく、口煩(うるさ)い」と言われる人である。

 頭脳的には、記憶力に優れ、暗記の能力も人並み以上である。論理的に物事を考え、かつ批判的であるが、学究的な姿勢と、持ち前の頭脳をフルに使って、新しい感覚を取り入いれ、これに順応する能力を持っている。
 ところが、自らが指揮権を持った大将になるよりは、補佐役として策を巡らす参謀となれば、脅威
(きょうい)の能力を発揮する。


【丸顔】
 次に、丸顔の人を観(み)ると、この人は、まず栄養質であり、情を持ち合わせている。「人情の機微」などというが、こうした人は、厚い人情を持ち合わせ、自然に備わる愛情を豊富に持ち合わせている。しかし、慈しみの範囲に止まれば、感情は波立てることはないが、肝臓などを冒されていて、哺乳類脳の支配を受けている人は、激怒するタイプの人である。
 また、度々激怒する人は、前頭葉の発育が未発達な為、知性面での成熟段階が低く、これが感情の波立ちを抑えられずに、その反映として、高血圧や動脈硬化に陥っている。

 一方丸顔で、然
(しか)も縄張り意識や、管轄外・管轄内の問題で争う人は、爬虫類脳のR領域の活動が活発で、その反映の病状としては、胃潰瘍や膵臓炎、あるいは消化器系の疾患を持っている。このタイプの人は、温情も豊富だが、怒りの感情も多大である。

 また、丸顔で辺縁系やR領域の制御が充分でない人は、先ず自律神経が冒され易く、神経症や心身症を煩
(わずら)う人である。
 これは子供の時の環境が引き摺
(ず)ったもので、幼児期に母親から、甘やかされて育った経験を持つ人である。こうした人は、時として鬱(うつ)状態に陥り易く、30代の前半頃に二大精神病に罹(かか)り易い。
 ちなみに、二大精神病とは、主として、内因性および器質性のもので、殊
(こと)に、精神分裂病と躁鬱病である。

 丸顔の人を、髪の毛から順に観て行くと、毛は多く、軟らかい方である。しかし中年過ぎから天辺の方からハゲはじめる。額
(ひたい)には弛(ゆる)やかなカーブがあり、これは他人の面倒見のよさやリーダーシップを顕わしている。
 眉は濃く、弛やかなカーブを持っている。目は多少細いか、丸みを帯び、暖かさを感じさせる目をしている。また、目にも愛敬のようなものを持っている。耳は丸耳で理財の才がある。鼻はそれほど高くなく、幅広で先端は丸い。小鼻も柔らかく、よく発達している。これは金運と、リーダーシップのあることを顕わしている。

 口は唇が厚く、やや大きめである。これは性力旺盛であり、精気が漲ぎっている事を顕わしているが、唇に締まりを持たない丸顔は、精禄
(せいろく)を浪費し、男ならば睾丸癌、陰茎癌、前立腺肥大症などに罹(かかり)り易く、女なら子宮ガン、子宮筋腫、その他の性病に罹り易い。
 顎は丸みを帯びて、肉付顔よく、盛り上がって顎先が左右に割れている人は、性交好きを暗示している。いわるゆ性力家で、好き者といえよう。実力者ならば、複数の妻妾がいても不思議ではあるまい。

 性格的には、柔らかい表情を持ち、円満なムードで、統率力を持ち、協調性もある。議論や腕力決着をつける等の、人と争うことを好まず、一方に於いて、几帳面な面を持ち合わせず、更にはエネルギッシュな面を持っている。但し、遊び好きで、感情家であり、情緒などにも流され易い。
 また、感動によって行動を起こすタイプでもある。



【四角顔】
 次に、四角顔を見てみると、意地型あるいは根性型と言え、その顔付きは筋肉質である。髪の毛は太く、額は小さい。また額の生え際は、晩年から禿(は)げはじめ、あるいは白髪になり易い。眉は一直線に伸びて太く、濃い。目は窪(くぼ)み目で、やや上目付きの癖持ち、顴骨が高ければ異常な闘志を持ち、凄(すご)みと、きつさを感じさせる目を持っている。
 耳は角耳で、肉が厚い。鼻は鼻筋がしっかりしていて、小鼻は肉付がよく、張っている。
 口は大きく、唇は大きくもなく、小さくもない。顎か角張っていて、顎骨がしっかりし、骨張っている。

 性格的には喜怒哀楽の感情表現が下手で、優しさを感じさせる表情に欠け、その反面、粘り強さを持つ。闘志があり、勇敢で、困難に直面しても、何とかこれを克服しようとする。頑張り屋でもある。信念を曲げることがなく、逃げる事もしない。意地と体力で押し通し、何事も、一人でこなそうとするのが欠点。

 しかし、顴骨
(かんこつ)の張っている者は、好戦的なところがあり、意地の張り合いで命を落とす事もある。とにかく弾性的な要素が強く、勇敢だが、感情に激し易い人は、大局を遠望する世界観を持たない為、智者に利用されることが多い。肉体を酷使(こくし)するボディーガードなどをして居る人は、このタイプの人である。
 結論的に言えば、四角顔は逆三角顔から、利用される運命にあるとも言える。


蒋介石/龍姿
毛沢東/鳳容

【龍姿と鳳容】
 中国観相術には、顔を更に単純化し、二つに分ける場合が多いようだ。
 それは「龍姿(りゅうし)」と「鳳容(ほうよう)」である。
 龍姿というのは、額
(ひたい)が美しく盛り上がり、発達した顔で、智慧(ちえ)と才略に優れた顔を言い、いわゆる逆三角顔のことを指す。知性型であり、知謀の将である。例えば、蒋介石(しょうかいせき)がこれに当たる。

 一方、鳳容は、頬(ほほ)から顎(あご)にかけてふくよかで、顎骨(あごぼね)がしっかりしたタイプを言う。このタイプはその名の通り、包容力があり、権力と富を握ることを生涯の目標に掲げ奔走する。あるいは実業家として成功するタイプの人である。例えば、毛沢東(もうたくとう)がこれに当たる。



●顔には心身が連動した形で反映される

 人間は運気の盛衰によって、大胆になったり小心者になったりする。それは運気の持つ、陰陽の作用から起る。人間が総て運命の陰陽に支配され、それは顔までも、あるいは体躯全体までもが支配されている。その支配下に収められた人間は、繰り返される陰陽に周期によって、盛衰が顕われる。

 小心で気性が激しく苛立ち易い人、反対意見や敵対関係にある者に対し我慢ならず他人の種々の性格に順応できない人、人の言葉に素直に耳を傾けることができない人、このような人の多くは、その深層部に性格としての「我
(が)」が巣喰っている。「我」の強い人は、人間を生き物と看做すことが出来ず、物として考える場合が多い。一種の消耗品である。

 現代は、まさに生体としての人間が、一種の消耗品として扱われる時代である。そして消耗品として扱われる過程の中に、良く扱われるか、悪く扱われるかの違いがあり、未だにその思考は「物」的な領域から抜け出していない。この意味で、顔相や人体を「物」と観れば、物の価値でこれを観ていることになる。現代とは、「物」のみに固執して、生き物を「物質」として扱い時代である。

 しかし、「物」に置き換えられた媒体にも、運気が働き、それは周期的に盛衰を繰り返し、陰陽の支配下にある。
 これは「幸運」というプラスの運であれ、非運・不運・凶運というマイナスの運であれ、総て「運」から派生するものは、天が定め、支配たまうという現実がある。これに誰も異論を唱えることは出来まい。

 だがしかし、「運は天だけが定めるものか」あるいは「自分の努力は問題にされないか」となると、実はそうでもないようだ。

 かつて『親を見りゃボクの将来知れたもの』
(矢野壽男著・三笠書房)には、中学生の女子生徒が作った次の狂歌が掲載された。

  人生は要領しだい運しだい
    父の教えはいつもそれだけ

 「要領」しだい、「運」しだいという、果たして「人生はそれだけ」のものであろうか。
 現実の世のかなを生き抜いていく為には、確かに要領も必要であり、運にも恵まれなければなるまい。
 しかし人生を、厭世観
(えんせいかん)で眺(なが)め、しらけた心で見渡せば、その人の人生観は「それだけの人生」であるといえよう。

 だが「生き甲斐」や「人生感情を豊かにする人情に機微」は、どこにもないことになり。また、努力する目的意識も失われる。もし、人生が「それだけ」というのであれば、人間の存在自体が危ぶまれるのである。つまり、マイナスの想念で見れば、人間の存在は「ただのそれだけ」となってしまうのである。

 では、これをプラスの想念に転換させ、先天的に定められたレールのポイントを後天的に切り替えることができないのか、それが八門遁甲の説く「相術」なのだ。

 人それぞれには過去世
(かこぜ)の習気(じっけ)として存在する「気質」や「性格」というものがある。それが顔に顕われる。顔が千差万別であるように、「気質」や「性格」の千差万別である。また、これらは同時に、人それぞれの生き方を象徴し、運勢すらも、決して同一ではあり得ない。

 人間の持つ顔は、他の動物の顔と異なり、人間生活と云う人生ステージの中で非常に重要な役割を果たしている。喜怒哀楽の表情はもとより、快適や不快までもを色分けし、その上、健康か不健康までもを歴然と顔に顕わして来る。
 つまり人間の持つ「人相」は、時間と共に刻々と変化しているのである。顔には感情と生活状態が露骨に顕わされるのである。

 また、顔に顕われる表情は、心身の同居状態が克明に顔に顕われ、あるいは体型に顕われる。運勢の盛衰も、顔と体型に顕われる。これは心身が表裏一体であることを顕わしているからである。
 則ち、人相は心身の顕われであり、そこから表出するものは「心」であろう。その人の心の持ち方次第で、人相は良くもなり、兇くもなる。更には、人相は修養によって変化するものなのである。

 人相は内的な側面を、その時の精神状態として表出するものであり、そのまま外側に顕われたものが、その人の「容貌」を形作っている。つまり容貌は、精神的な内容が、表現する反射運動を相まって、表出された「今」の結果なのである。

 したがって、人相は兇
(わる)いが、人物は良いなどということはあり得ないのである。心身は常に連動した形で表出され、一方が良くて、一方が兇いと云うことはあり得ない。こうしたアンバランス状態が生じるのは、検(み)る側の見識眼が疎(うと)いからであり、これに優れれば、顔や体型からその人の総(すべ)てを読み取る事が出来るのである。

 顔には、人の運命が顕われる。その運命には、偶然はない。総て必然的な結果として、運命として顕われて来る。したがって、偶然なり、突然変異などの、宇宙法則を逸脱した「畸形
(きけい)」は起こり得ない。
 人間は、ある運命に出会う以前に、過去世からの習気によって、必然的にそうした運命を作り出しているのである。

 2000年以前の中国に於ては、種々の書物の中で「自分の蒔
(ま)いた種は、自分で刈り取らされる」という意味合いの物が多く見られる。
 例えば、『春秋左氏伝』には、「禍福
(かっぷく)に門なし。ただ、人の召(まね)くところなり」とあり、『史記』には、「禍(わざわい)は妄(みだ)りに至らず、福(さいわい)は徒(いたず)らに来(きた)らず」とある。

 このことは、既に「偶然はない」という必然から起る因縁を説いたものであり、真理と云う永遠性の認識が、古代からあったことを窺
(うかが)わせる。つまり、偶然と思えるような現象であっても、それは必然の中に組み込まれた現象が具現しただけのことなのである。
 「禍」というマイナス想念から発した「マイナスの運」も、「福」というプラス想念から発した「プラスの運」も、決して偶然がら訪れないと云うことを説いているのである。
 したがって、顔にもプラス想念の顔と、マイナス想念の顔がある。

 人間には、「五官」というものが備わっている。則ち、触覚、視覚、嗅覚、味覚、聴覚の五つであり、それに第六感として備わる、直感が宿る「勘」である。五官は第六感とともに連結されており、しかし、人によってその働きが異なる。これには形や色彩や、その時機
(き)の状態によっての「気」が働いており、この気が顔に顕われる。
 そこに「運気」というものが、表出されるのである。それは心身と連動した方で反映されているのである。



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