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| ▲極楽蓮華の世界。『日本霊異記』によれば、極楽とは「庶(ねが)はくは、地を掃はらひて共に西方の極楽に生れ……」とあり、ここは心地よい空間である事を記してる。 |
●不能はあり得ない
性不能にインポテンツ(Impotenz)という、陰茎の勃起不全または不能のため男子が性交不能に陥った状態がある。この原因は、性医学上は脳脊髄障害にあり、また睾丸機能不全、あるいは精神的かつ心理的原因によるものといわれている。
しかし、真言立川流は、本来不能はあり得ないと説くのである。
多くの場合不能状態に陥るのは、性器の清浄化と歪んだ性知識から起こったものが起因していて、これを機能修正すればよいと去れている。つまり性機能を矯正し、それを図る修行が真言立川流の修法なのである。
更に、性器は始終清潔にしておかねばならないところであり、修法に入る前には肉体の部分的四肢のみならず、特に性器に対しては念入りに清潔に保っておく必要がある。何しろ、性器こそ、「神さま」「仏さま」なのである。
また、性器は肛門に至るまで清潔にする必要があり、痔疾は治しておくべきで、肛門およびその近接部分の疾病は矯正しておくべきだろう。痔の畸形は二根交会の際に呼吸法などに傷害を起こすので、痔瘻・痔核・肛門裂傷・脱肛などの痔疾は早急に治すべきであろう。性器が穢いと、仏罰そのものを絵にしたようなものである。
さて、早漏とかインポという男を苦しめる病気がある。これは病気と言うより、一種の一時的な現象かも知れない。しかし、この状態を放置すると、「恐妻家病」という病気になるので要注意である。
一般に恐妻家と言う男の種族は、早漏であるかインポである。こうした現象に陥っている時、必ず妻は鬼女の面のような姿に変貌しよう。その象徴が般若面だ。
般若面には、女の妬みや苦しみ、怒りをそのまま男に投げ付けて来る、実(げ)に恐ろしき形相(ぎょうそう)である。
では、なぜ妻女が鬼面になるのか。
それは不能に由来する。また、恐妻家の男どもは、普段から日常において性器を礼拝しないところにこの元凶がこびり着いている。無神論者の男どもは、総じて不能者か恐妻家が多い。
真言立川流の修法を実践するに当たり、上記は不動尊像隠行の大切な呪文である。
男女二根の自他の性器への尊厳は厳粛かつ神聖なもので、これを決して軽視してはならない。諌言に曰(いわ)く、「健全なる精神は健全なる身体に宿る(mens sana in corpore sano)」ことを想起して、これを敬いたいものである。
そして更に追言するならば、「健全なる性器は、健全なる精神に宿る」となるのであるから、本来インポはあり得ないのである。
いざ本番となって緊張し、緊張の余り半勃起であったり、逆に浮ついてしまって風船が破裂するがごとく、本番前にパチンと割れるようではお話にならず、内気が飛び出さないように修練しておくべきである。真言立川流で言う、性器礼拝は不能に陥る予防薬なのである。
●性交時の憑衣のメカニズム
性交は賤(いや)しむべきもの、蔑(さげす)むべきものではないが、紛(まぎ)れもなく、これは「淫(みだ)らなもの」であり、その為に、男女の二根交会には、性交中の周囲に様々な霊的意識体が派生する。邪は「淫らなもの」に群(むら)がるのである。
それは、将来の父母となるべき親を探す為に寄って来る中有(ちゅうう)であるかも知れないし、あるいは邪気(じゃき)や外邪(がいじゃ)の類であるかも知れない。淫らなものには、こうした霊的意識体が集まって来るので、この事を充分に認識し、精禄を無駄に浪費させてはならない。
特に、男の射精コントロールがまずく、早漏気味に洩らした場合、憑衣され易い状態になる。二根交会は、本来は女性の胎内から陽気を貰うのが目的であるから、女性の絶頂を待たずに早漏で洩らすと言う状態に至った場合、射精と共に霊的意識体が即座に憑衣する。
霊的体質で、体力がなく、病気がちで、神経質で、「こだわり」が激しく、ナイーブな人は、精神集中の不安定さに加えて、こうした精神的病弱な身が先行している為、射精コントロールがうまくいかない。そして、「接して洩らした」時、同時に、一瞬にして憑衣されるのである。
中には、自分が霊的体質である事を有り難がり、その事を得意満面になって話す人がいるが、霊的体質者は男の場合、その多くは早漏か、もしくは遅漏である。精神の集中が不安定であり、しかも霊的防禦のフィルターが貧弱な為、常に憑衣状態にあるからだ。
霊体質のチャンネルは正流ばかりに向けて開かれているのではなく、邪霊や邪気に向けても開かれているのである。その為に、こうした物が一度憑衣して取り憑(つ)くと、長期に亙り精神を病む事になる。
たかが性交であると、軽視してはならない。
男の場合、霊体質者が憑衣されるメカニズムは、正上位(正常位とも)の状態で、男が女性の上にいる場合である。
正上位と言っても、その体位は種々のポーズがあり、密教房中術では「浄法界之印(じょうほうかいのいん)」といって、性技四十八手のうち基本的な「手解き八手」の中の、「前つけ」という姿勢である。二根交会に於ては、「露払い」の体位であるが、この体位で射精コントロールが失敗して早漏に至った場合、射精とともに憑衣される。
次に、密教房中術では「勝願之吉祥・法螺之印(しょうがんのきっしょうほらのいん)」といって、「手解き八手」では「向こう突き」である。交会に際して、男は女性を自分の膝の上に乗せ、互いに抱き合うポーズで性交に及ぶが、深く入れ過ぎて、早漏(そうろう)気味に射精コントロールを過った場合、射精とともに憑衣され、また、女性も霊体質である場合、憑衣される事になる。
更に、「大慧刀之印(たいえとうのいん)」といって、いわゆる「手解き八手」のうち、「本間どり」というもので、ぐいと差し込むポーズであるから、男の気力が劣る場合、陰気の精気が安定せず、その不安定から射精もしくは遅漏(ちろう)に陥って性的異常にある状態の時は、射精とともに、やはり憑衣され易くなる。あるいは、遅漏状態にあり、遅漏に心が奪われ、それを一瞬でも気にかければ、射精がなくても憑衣に至る。
「本間どり」は、一般的に言う正上位であり、女性が男の胴体に脚を絡ませれば、「松からみ」となり、密教房中術では「満願之印(まんがんのいん)」という。この「松からみ」は、男上位に対し、女性は脚を開いて受け入れる姿勢をとる為、房中術の秘伝に照らし合わせれば、その種字は「アク」「ハク」であり、この意識に欠けると霊体質者は憑衣の災いを受ける。
この場合、男の射精は、同時に女性から陽気を受け入れる事であり、ともに望みを満たす形で本懐を遂げなければならない。ところが男の早漏(そうろう)や遅漏(ちろう)はこれに密接に関わり、射精コントロールを失敗して女性の絶頂より先に放った場合や、遅漏で、女性は絶頂に達しているのに男だけは放てずに射精に時期を逸する遅漏である場合、女性から陽気を受け取ることができないので、陰気のみが充満して、その陰気の条件下で憑衣する。
これ等の状態を論ずれば、何(いず)れも背中が男女とも抱き合っている為、後ろ向きであり、外邪は背中から憑衣するという事である。
憑衣に至るメカニズムは、背中の真中寄りの「風門」(ふうもん/足之太陽膀胱経の経絡線上にある経穴)より、スウーッと体内に侵入する。潜り込むと、まず本人は「何か、背中がゾクゾクとする」ような悪寒が疾(はし)り、その後、外邪は唖門宮(あもんきゅう/この宮は精気を呼び込む場所として行法者に知られ、閉じたり開いたりする)へと上昇する。
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| ▲ 憑衣・憑霊のメカニズム。マイナスの磁性の陰圧が高くなると、憑衣・憑霊体質のなってしまう。最初は左手の「労宮(ろうきゅう)」から侵入する。労宮は掌(てのひら)の中で最も特異なツボで、気は足の裏の「湧泉(ゆうせん)」から大地の気を吸収し、それが昇って、貌(かお)と掌から放出されている。しかし陰圧が高くなると、負の陰圧磁気流は左手の労宮から侵入し、経絡を経て意識体である想念波動を狂わせる。 |
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唖門宮は東洋医術では「唖門(あもん)」と言う名前で知られ、督脈(とくみゃく)の経絡線上の経穴で、ここは後頭部の温中枢(おんちゅうすう)や冷中枢(れいちゅうすう)を司さどる処である。ここに邪気・外邪(がいじゃ)が侵入すると、体内の温度調節をするサーモスタット(thermostat/温度に応じて熱源を制御し、自動的に調節する装置)を破壊してしまう。
ここが壊されると、まず反射的に毛穴の立毛筋(りつもうきん/皮膚の中にあり、毛根に付着する筋肉。収縮すれば皮脂腺(ひしせん)を圧して分泌を促進し、また、毛髪を直立させ、粟肌を生じさせる)が収縮して、鳥肌が立つような状態が起こり、体内より気が逃げる阻止する。命の門が「命門」(めいもん/《督脈》の経絡上にある経穴で、まさに命の門であり、腰冷え現象をを起こす。これはやがて頑固な腰痛となる。腰の悪い人は憑衣されていると観(み)て差し支えない)、外邪の風の門が「風門」(ふうもん/東洋医術で言う《足之太陽膀胱経》の経絡上にある経穴)、毛穴の門が「気門」(きもん/毛穴を開いたり閉じたりする「門」で、自律神経系の支配下に入る)なのである。
外邪が侵入すると、これらの三つの門の中枢機能が破壊されて、バランスを失う。初期の状態であれば自律神経失調症であるが、深刻な状態になると神経症から「鬱病(うつびょう)」へと病変する。体内の温度調節をするサーモスタットを破壊されているから、体温がどんどん上昇したり、あるいはどんどん下がったりもして、体温調節が出来なくなるのである。精神分裂患者が、暑い日に毛皮のコートを着込んだり、寒い日に半袖一枚でいるというのは、体温調節が出来ないからである。
こうした状態にある人が、男女二根交会の及んだ場合、特に女性の中では静脈の細い人は、絶頂感に達する事が出来ず、中途半端でセックスは辛い行為となる。セックスを辛いと感じる女性は、直ぐに肩が凝(こ)るとか、頭痛がするとか訴える。こうしたタイプの女性も憑衣されやすい。
静脈の細い女性で、こうした状態を改善するのは男であるが、男が房中術の智慧(ちえ)がなく自分勝手で無能な場合、このての女性のセックス観は改善されないまま、更年期障害に向かい、憑衣されたまま、歳を取るのである。
これを改善するには、月経が行われている年齢までに、男が女性を頭の天辺まで、あるいは髪の毛の先まで痺(しび)れさせるエネルギッシュな交会で、女性をリードし絶頂に導かなければならない。しかし、術を心得ていないとこれも叶わない。
女性は一度絶頂感を覚えると、これまでの静脈の細い、か細さからは一転して朗らかになる。とにかく明るくなる。だが、この事を知らない男は、女性を従える場合、理屈で分からせようとする。口で言って、理解さしょうとする。しかし、これは無駄だ。
口で言う事を聞かせるよりも、男女の和合は躰(からだ)をもって、介入する行為であるから、男はそれを知るべきである。そして、男は女性の躰を知り、その生理を知る事が大切である。
また、統計的に見て、女性の場合、十九歳までのセックスは遊戯恋愛であり、この遊戯恋愛を十代の早い時期に覚えた女性ほど、中年になって憑衣され易く、また狂い易い。
精神科や神経科に殺到している女性の多くは、遊戯恋愛によって、早期に性行為に及んだ女性である。
さて、憑衣を確認する証拠は、性交に及んで「風邪(かぜ)をひく」ということだ。悪寒を催し、寒気がしたら、それは憑衣された証拠である。霊的体質者ほど風邪をひき易い。これは霊的防禦のフィルターが貧弱な為に、その感受性の敏感さから、どうしても憑衣を免れない。特に、体調の不安定な時に性行為に及べば、必ず憑衣される。
人が風邪をひくと言う現象は、寒さ等によって風邪をひくと言う事よりも、憑衣されて風邪をひくと言う場合が多く、風邪をひいた状態が、罹(かか)って直ぐに治る場合は問題ないが、長期間、二週間も三週間も、あるいは一ヵ月や二ヵ月も風邪をひいた状態が続くのは、明らかに「憑衣」である。
そして、こじらせれば肺炎にまで発達し、不運な場合は回復する事なく死亡する場合もある。これは因果関係が憑衣であるからだ。躰が弱って死に至るのではなく、要するに「取り殺される」ことである。生きた人間の恨みである場合は「生霊(いきりょう)」が、死者の不成仏霊から起る怨念(おんねん)の場合は「死霊(しりょう)」がである。
セックスを、単に男女の性交と甘く見てはならない。「淫らなもの」あるいは「淫らな時間」というものには、必ず「邪」が群(むら)がる事を忘れてはならない。
しかし、こうした現象を起すのは、その根底に何らかの魔力が働いている。それは恨みから来るものであるかも知れないし、あるいは「魔物」を使っての、意図的な「調伏(ちょうぶく)」であるかも知れない。
したがって、真言立川流では男女の性交を営むベットや寝床を、単に寝る道具とは考えず、そのものを「道場」と見立て、ここで「破魔(はま)」の修法をするのである。
●金剛三昧耶の理
真言立川流では、女体は「大地」であると教える。したがって、大地には当然、四季が備わる。息を吹い始める時は「春」であり、吸い切った時は「夏」である。また、吐き始める時は「秋」であり、吐き切った時は「冬」である。
男は、こうした女体の四季を味わいながら、様々な修法を行うのである。大地を味わう男根は、まず睾丸、陰茎、亀頭の三つに分かれる。それと同じように大地である女体も、胸にあるふくよかな二つの乳房があり、これは男根に例えれば二つの睾丸であり、しなやかな背中は陰茎部にあたり、尻部の丘陵(きゅうりょう)のそれは、まさに亀頭を観じるのである。女体が、それ自体で「性器」と呼ばれるのはこの為である。
つまり、女体の胸から背面を、一本の男根と見立てるのである。
そこで、睾丸である乳房へ精を吹き込み、男根が力強く勃起すれうように、女性の背面へと精気を送り込み、そこを張りがあるように漲(みなぎ)らせるのである。尻部の丘を刺戟(しげき)すれば、男根の亀頭がはち切れんばかりに膨らむように、女体の尻部も撫でる事により、充血膨張するのである。
この修法を「金剛三昧耶(こんごうざんまいや)の理(ことわり)」と云う。
女性のふくよかな二つの乳房は、男根の二つの睾丸に相当し、真言立川流ではこれを「天宮宝蔵(てんぐうほうぞう)」と云う。
天宮宝蔵は、仏道ではお経をしまう「経蔵」のことであり、これは男から見れば、女体の乳房は確かに天空にあるような、神々しく、美しく、非常に魅力的な宝物である。また、女体を魅力的な宝物にするには、両手を組み合わせ、臂(ひじ)を挙げ、肩と水平にし、力強く合掌をする。これは丁度、滝に打たれて一心に呪文を唱える修法者のスタイルとなる。
この時の修法者のスタイルは、息を吸う時に合掌を弛(ゆる)め、息を吐く時に両掌を強く押し付けるのである。これを10回から20回程度行い、指と指を絡み合わせて、左右に引っ張るのである。息を吸う時には強く引っ張り、息を吐く時には弛めるのである。
この時の呪文は、「おん・あ・ふん」を唱え、朝晩毎日、実践するのである。
自然の大地も、また女体としての大地も同じであるが、そこには必ず呼吸があり、伊吹(いぶき)があり、生命の躍動するリズムがある。
したがって男女の呼吸にも、生命のリズムと同じように、ゆったりとした息遣いがなければならない。
仏道では、こうした呼吸を「息念(そくねん)」という。つまり、呼吸を数える事で精神統一を遣(や)り、この法として「数息観(すうそくかん)」や「持息念(じそくねん)」の観法がある。
人間にとって呼吸は、大事なガス交換の一つで、生物の生命活動は此処に集約される。生物が外界から酸素を取り入れ、二酸化炭素を外界に放出する現象である。特に動物が、そのために行う筋肉運動であり、息を吸ったり吐いたりするガス交換である。
しかし、呼吸をする事を、一々習わなくても、息の仕方くらいは分かっているという人が居るか見知れないが、呼吸法は、酸素を吸収し二酸化炭素を吐き出すと云った、単に息の吐納をするだけではなく、その吐納の仕方を学ばなければ、呼吸は正しく行われないのである。
そして、呼吸のうちで最も重要なのは、男女が二根交会をしている時の、性交時の呼吸法である。
この性交時の呼吸法ほど重要なものはない。安易に性交を重ねている男女には、単に性器のみの快感に酔い痴(し)れて、局所を貪るだけの息の粗い呼吸で、鴉(からす)の行水的なもので終らせようとするが、これでは髪の毛の先までが痺(しび)れるような極楽の境地は味わえない。
本当の快感とは、「髪の毛の先まで痺れる」という極楽の境地であり、未熟な性交では、中々極楽の境地まで辿り着けない。則(すなわ)ち、女体を抱く男は、男の責任において、女性を髪の毛の先まで痺れさせ、しっかりと極楽に送り届ける義務があるのである。
そこで極楽に送り届ける修法として、「金剛三昧耶の理」があり、また「息念」という観法があるのである。
二根交会の際、息を入れ、息を出すが如く、男は男根を挿入し、女は出産をするが如く陰根を出す。入れる時は吸気、出す時は吐気である。この呼吸法をリズミカルに、途切れる事なく、脈を打つが如くに出し入れをするのである。吐く時は重たく、吸う時は軽く、何処までも吸い上げ、軽い気が頭の中を突き抜けるようなイメージを持つ。真言立川流はこの呼吸法をもって、歓喜地(かんきじ)に達し、菩薩が修行によって煩悩(ぼんのう)を断じ、心に歓喜を生ずる位に至るのである。
つまり、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)であり、肉体を通じての歓喜は、即、悟りなのである。そしてこの「悟り」こそ、極果(ごっか)を求める、修行の結果得られた究極の悟りなのである。これを「欲天極処(よくてんごくしょ)」という。
欲天とは、欲天五淫(よくてんごいん)であり、これこそが真言立川流の奥儀なのである。
欲天五淫を成就する為に、日々の修法を怠ってはならず、また、男は肉体労働に向いている体躯をしているのであるから、種々の修法により精力絶倫状態に自己を鍛え上げる必要があり、特に早朝のシゴキを喰(く)らわせ、活を入れる行法を怠ってはならない。
したがって本来は、男がインポになると言う現象が起らないのである。
勃起不能あるいはインポと云う肉体現象は、精神状態やストレスが絡む一種のノイローゼで、雑食を避け、正食をすれば、まず、動蛋白から来る勃起不能現象が解消される。体質が変わるのである。体質が変われば、当然、腰骨がしゃんとしてくる。また、仙骨(せんこつ)や尾骨の関節の弛みが解消されるから、力ぬ抜けた男根は早起と共に、直立不動のものとなる。
不能状態にある者は、まず、冷水をかけて活を入れる事だ。更に「冷水で良く洗う」という行為を繰り返せば、一ヵ月ほどで、どんな力の抜けた男根も見事に蘇(よみがえ)り、カチンカチンに固まり、毎朝早朝のシゴキや冷水で活を入れて、再起をさせる修法は効果は絶大である。
女性の大地すら、四季に合わせて呼吸をするのである。したがって男もこれに合わせて、呼吸をし、まず、腰骨の関節を弛めないという事である。此処が弛めば、当然、力の抜けた状態になり、男の義務が果たせなくなり、恐妻家になっていくのは当然の話である。
男は、大地から栄養を吸収すべし。また、男は大地から精気を吸い取り、太く、長く、生長するように、生まれながらにこれが備わっているのである。しかし、自分にこうした優れたものが備わりながら、これを知らずに死んで行く男達の、何と多い事か。
女も男によって元気を貰い、髪の毛の先まで痺れて、精気を吹いのであるから、男も女体から精気が吸い取れるのである。
つまり、房中術で云う呼吸法は、難解で難しい修法をするのではなく、男が女体である大地の呼吸と同調し、これに合わせて「呼吸をする」ということなのだ。
ちなみに、世間が誤解して考えている房中術は、男根をピクピク動かしたり、女根の奥から女性ホルモンをグングン吸い取ったり、接して漏らさずなどと称して、吐き出したものを再び吸い上げるような奇術のようなものを房中術と思っている節があるが、これは誤解も甚だしい事である。
本来の密教や真言立川流で云う「房中術」は、基本は男女二根が、お互に呼吸を合わせると云う一言に尽きるのである。呼吸により、性器の摩擦で終ったり、あるいは髪の毛の先まで痺れて、完全なる快感を得るか、それは修法者の努力によるものである。
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