|
 |
|
▲ 美女比初紫恋
|
●男女二根の世界
男根・女根は尊い生きる証のシンボルである。自分の尊い性器を眺める事によって、また新しい人生が開ける事も然りである。自分の性器を眺める事は、自分の人生を見つめ直す事であるからだ。
だが、享楽や快楽遊戯から無闇に精気を浪費する事は、自殺行為になるので絶対に慎まなければならない。
精禄を養うには、自らの体内に気としての形態の「玄気」を取り入れる事が肝腎であり、それは気力源であり、これは一種の性命エネルギー塊である。
この気力によって培われた性命エネルギー塊は、「天の気」と「地の気」である精気と結ぶ役割があり、経絡の調律を行う役目を果たすのである。
この状態に至った場合、その脳波はα波であり、精禄の浪費的な精液放出に歯止めを掛ける役割がある。
性力増強秘法、密教礼念秘法、歓喜体位秘法などを紹介し、男女から発生し合うエネルギーを主体として、人間に秘められた肉体的修法を公開する。
仏教の伝来は、鎮護国家という名目で、日本に輸入された。特に王朝の装飾品的な形で取り扱われ、僧侶は国の庇護を受けて必要以上に優遇された。
弘法大師は、こうした鼻持ちならない僧侶達に対し、「あらゆる然僧尼は頭を剃って欲を剃らず。衣を染めて心を染めず。仏の戒めを守る者は麒麟(きりん)の角のように少なく、不法乱交行を働く者は龍の鱗(うろこ)よりも多い」と、次第に驕って、墜落して行く仏教指導者を嘆かれた。そして、人間の肉体の大事を忘れて、哲学的論理に耽ることは馬鹿げたことだと喝破(かっぱ)したのである。
 |
|
|
▲夢のたまくら
|
|
さて、人間の躰は実に複雑であるばかりでなく、かつ非常に精巧に出来ている。
かの有名なバルザックが(19世紀前半のフランス社会を形作る多種多様な人間の気質を描出したフランスの小説家。1799〜1850)、その社会派小説の中で、披露する近代リアリズムは、まさに人間模様の中にその縮図があるのであるが、彼は女性を楽器に喩え、この音色を奏でるという思想は密教房中術にも通じるところがある。
夫婦生活では、よく「相性(あいしょう)」という言葉が用いられる。この「相性」という語源こそ「性」での「相」であり、世間では「性格」の事を指すようであるが、これは誤りである。夫婦は性格が同じ男女が、人生の伴侶(はんりょ)として互いに寄り添っているのではない。むしろ正反対の性格の者同士が寄り添い、お互いの欠点を補うとするのが本当の夫婦である。性格が同じであれば、やることなすこと同じであり、互いは自分を観ているようで実に不可解なものであろう。
男女は性格が違うし、気質が違うからこそ互いの欠点が良く見え、それを助け合って補おうとするのである。たがらこそ、男女は結婚するのであって、結婚の最大の意味は夫婦生活にある。
つまり結婚とは、互いの「性器の型」の交換であり、男女二根が異なっているからこそ、性的興奮を覚え、それを讃え合い、あるいは礼念して、男女は互いに尊厳しあうのである。ここにこそ、密教の説く本当の平等観があるのである。
更に、精禄を養うには、自らの体内に気としての形態の「玄気」を取り入れる事が肝腎であり、それは気力源であり、これは一種の性命エネルギー塊である。
この状態に至った場合、その脳波はα波であり、精禄の浪費的な精液放出に歯止めを掛ける役割がある。そして、人間の肉体の大事を忘れて、哲学的論理に耽ることは馬鹿げたことだと喝破したのである。
「精」を司る肉体の本性は「性」であり、性力が、人間のあらゆる本能を支配しているのである。性力増強秘法、密教礼念秘法、歓喜体位秘法などを紹介し、男女から発生し合う数々の修法を公開する。
 |
|
▲勝川春英『男女風俗図巻』(大英博物館蔵)
|
●性を貪る現象人間界
真言立川流には「ドクロ譚」なるものがある。
この「ドクロ譚」の説くところは、「髑髏(どくろ)本尊」について、文永三年(1270)に誓願房心定(せいがんぼうしんじょう)が著わしたとされる『受法用心集』に記され、これによると、「この秘法を修行して大悉地(だいしっち/密教の修行によって成就した大いなる妙果)を得んと思わば、本尊を建立すべし。女人の吉相のことは、今注するに能(あた)わず。その御衣木(みそぎ/仏像彫刻に用いられる木材のことで、檜・白檀(びやくだん)・栴檀(せんだん)・朴(ほお)の類を指す)というは髑髏なり」とある。
誓願房心定は健保三年(1216)に、現在の石川県豊原に生まれ、後年、円福寺心定上人と号した密教僧だった。
真言立川流は「二根交会(にこんこうえ)」を、“悟りの道”とするため、本来ならばその本尊を美女に求めるのであるが、本尊は皮肉にも「髑髏」である。したがって御衣木(みそぎ)も木材ではなく、人骨の髑髏(どくろ)なのである。
 |
|
▲髑髏本尊
|
髑髏秘法。これこそ真言立川流が説く、男女二根のエネルギーを主体とした人間に秘められた恐るべき魔力開発なのである。
その意味で、真言立川流は、男女二根交会の「夜の宗教」なのである。
真言立川流の教えは、仏道を念仏宗のように地獄観の陥れ、死の準備として諦めの精神を説くだけが宗教ではないと教える。自分の肉体を信仰せよと教えるのだ。
性のエネルギの飽くなき活用が見られ、世界の宗教の戒律には屡々(しばしば)こうした禁欲主義が漂っているのは、宗教的恍惚感の裡側(うちがわ)に性的エクスタシーがあり、それを昇華させる為に、厳しい戒律が設けられているとも言える。
修行僧が、夢幻のうちに、観音菩薩と性交した話は『日本霊異記(にほんりょういき)』などにも記され、一方、これに対し、第二の性エネルギーの利用法として、男女交合を通じて変成(へんせい)意識状態に自らを導く方法であり、この修法は屡々、呪術や魔術と結びついた。こうした歴史的背景の裏側に、真言立川流が興ったのである。
そして、真言立川流の本尊建立は、まだまだ続きがあるのである。
真言立川流は、男性原理と女性原理の結合を意味し、タントラ性魔術の実践が、万物の一体化を顕わすとしている。そのこは男性原理と女性連理が一体化した時に、生じる生命力が物質変成を成就する原動力になると説いている。
大いなる物質変成を成就する為には、「王」と謂(い)われる原理と、「王妃」と謂われる原理の「結婚」は必要であり、タントラの男性原理と、女性原理の結合は生命力を作り出す象徴的な意味合いを持っていた。これを象徴したものが、真言立川流では「ドクロ譚」であり、「ドクロ学」であった。
●恐妻家をつくる直接の原因は何か……男の甲斐性を知る
男の甲斐性と言われるものは、言い古された言葉だが、「女の、“上の口”と“下の口”を満足させる」ことにある。
“上の口”とは経済力であり、“下の口”は性力の有無を指す。そして念頭に置いておかねばならないことは、女と言う生き物は、少々貧乏であっても、本当に自分の良人が良き伴侶と心から傾倒している場合は、どんな事があっても、必ず蹤(つ)いてくるものなのだ。
女は、金や地位、年齢や容貌に、そんなに簡単に騙される生き物ではないのである。もし、それに迷わされる女が居たとするならば、それは間違いなく尻軽女である。
 |
| ▲ 恐妻家から脱する勃起角の目安図。男根には第一膨張と第二膨張がある。また男根は、単に弱々しく勃起するだけでなく、その膨張は、第二膨張するのが、完全勃起であり、ここに至って女性を髪の毛の先まで痺れさせる事が出来るのである。
|
人間は、運勢が下降線を辿っている時、“守護神さま”は力の抜けた状態になる。したがって、こうした“守護神さま”は、早朝に風呂場で冷水をぶっかけ、荒縄で叩き、ビンタを喰らわせて、シゴキ上げ、「活」を入れておく必要があるのである。この努力を怠らないものは、常に自信に満ち溢れ、運気が上向きとなる。
そもそも男と言う生き物は、もともとが肉体労働に耐えられるように出来ている。体力仕事は、女より男の方が得意であり、このいみで男と女は平等ではない。つまり、肉体労働に耐えられる男の躰は、交会の修法において、その修行の如何では、立派な精力絶倫男になる事が出来るのである。男根も肉体の一部であるから、鍛えれば鍛える程、強く、逞(たくま)しく、太く、大きくなり、自分自身の“守護神さま”を鍛えて行く人生に「男の自信」という物が備わって来るのである。
また「男の自信」は、わが女房が閉経まで、男は性力絶倫でありたいという事である。男にこうした自信があれば、当然、運気も勢いを増す。また、女房もそれに応えて、良き伴侶として付き随(したが)おう。
当然、夫婦間の会話の中からは、愚痴が消える。何事も、「はい」と言う返事が女房から返って来る。こうして夫婦関係は健全となる。(本文より)
|