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無抵抗主義の愚 2


●無抵抗主義では、無慙に殺される

 さて、こうした現実社会の中で、一方的に、無抵抗のまま、無慙(むざん)に殺されてもいいものであろうか。
 事件が起これば、犯行を犯した加害者には、進歩的文化人や人権擁護関係者から人権なる擁護のアピールが湧き起こって、保護と弁護で護られるが、一方、殺された被害者側の人権は、意外と無視されがちである。結局、最終的には加害者の粘り勝ちで、無罪放免になる場合が少なくない。殺された被害者は殺され損になる。

 戦後教育の中で、平和主義の一貫として、盲信的に信じられている妄信的な「無抵抗主義」なるものがある。無抵抗主義に徹すれば、如何に横暴な覇者と雖
(いえど)も、最後は無抵抗主義に屈するという考え方が、一般的な意見として定着した。
 果たして、無抵抗主義なるものは、本当に犯罪に遭遇した場合、効果のある行為であると言えるのだろうか。

 近頃、NHKの『その時、歴史が動いた』
(平成15年11月19日放映)という番組放映で、非暴力不服従主義運動を展開した、ガンジーの足跡を辿る、インド独立運動の番組が放映されたが、これを見て、感動された方も多いと思う。
 しかし果たして、インド独立運動は、ガンジーの非暴力不服従主義運動で独立が成ったものであろうか。

 アメリカの戦後政策の中で、アメリカが日本国に要求したのは、憲法第九条からも分かるように、「戦争の放棄」であった。
 かつての日本人が戦った「大東亜戦争」は、アメリカの勝手な歴史解釈から「太平洋戦争」と改められ、同時に平和主義が強調され、日本に戦争を放棄させ、日本が軍隊を持つ事は、「犯罪に等しい」という国民意識を作り上げた。
 そして、こうした民主主義体制下に、この平和主義に飛びついたのが、日教組であり、日本共産党あるいは社会党などの革新政党であった。

アメリカの原爆投下と言う、非人道的な行為が、日本人を無抵抗主義に趨らせた。どうして日本人は、こうした大虐殺に沈黙し、一言も抗議する事なく忍従するのだろうか。それとも、済んだことは、既に水に流してしまったのだろうか。「無抵抗主義」の言葉の裏に隠れる、欧米の本当の目論みを見抜き、暴くべきである。

 現憲法下で、敗戦の年の昭和20年9月上旬から、G・H・Q(占領軍総司令部)の意向の下で創案され、昭和21年11月3日公布され、翌年の5月3日に実施された、今日の日本国憲法は、その主体が平和主義と、背後に隠れた非暴力ならぬ、無抵抗主義たったのである。

 現日本国憲法はこうした経緯
(いきさつ)の中で、一方的に創案され、アメリカから、白人主導型の民主主義を押し付けられたものであった。この憲法内容には、徹底した「平和主義」が唱えられ、それに続いて、「国民主権」や「基本的人権」が高らかに謳(うた)われているいる。エゴイズムと平等意識。

 そして、これを哲学的に追求すると、どこまで行っても、相容れない、自由
(エゴイズムと個人主義欲の追求)・平等(階級も地位も否定して全てが平等)・博愛(なんびとも平等に愛す)の「三つの大きな矛盾」を抱えていることが分かる。その最たる矛盾こそ、アメリカが抱える、紛争地域に介入する、形を変えた帝国主義ではないか。

 「帝国」とは、強大な軍事国家、あるいは他民族を支配する国家の事である。十九世紀から二十世紀半ばまで、海外に植民地としての領土を有し、それを保有する国または世界経済における支配適性力と言う意味において、「帝国主義」と言うイデオロギーが用いられて来た。この意味で、アメリカは今日でも、充分に「帝国」の範疇
(はんちゅう)に入るであろう。

 二十一世紀初頭、時代は代わり、イデオロギー的な思想もこれまでとは一変した。海外に植民地を持つ国家はなくなってしまったが、しかし文化的な侵略行為は今もなお続けられている。
 あるいは敗戦国日本は、今日ではアメリカ追随型の政策を頑迷に守り通し、アメリカ軍の極東戦略の為の軍事基地をアメリカに提供し、御丁寧に思い遣り予算までくっつけて、まさに「強盗に追い銭」の観がある。

 こうした軍事基地を世界の要所要所に設けていることは、それだけで植民地支配に等しいではないか。
 今日、アメリカは自国が「帝国でない」と嘯
(うそぶく)く。民主国家だと嘯く。しかし、アメリカの正義を支えているのは、軍事力であり、戦いこそ正義、強者こそ正義と言う考え方は一行に変わっていない。軍事大国として地球の上に君臨している事実は、誰も否定できるものではない。

 先の大戦で、日本は完膚なきまでに叩かれた。無能な高級軍人達は勝手に戦争を始め、日本を隅々まで焦土と化した。この、本当の「焦土」の意味を知っている人が、果たして何人居るだろうか。

 よく聞いて頂きたい。
 ます、新築の家やビルをたてる場合、更地
(さらち)の上にしか建てられない。そこに古い家やビルがあっては建てられない。だから古い家は崩すしかない。

 これと同様に、若い男女が結婚し、幸せな新婚生活に始めるには、過去の異性やセックスフレンドを清算し、すっぱりの未練を切り捨てて訣別
(けつべつ)し、更には、母親離れを徹底して実行し、この生活に入るしかない。過去の恋人に未練を引き摺ったり、結婚後に、子離れの出来ない母親の度々の訪問があれば、樂しい蜜月の筈の新婚生活も、やがては破綻(はたん)を生じよう。
 この意味で、「幸せ」を追求すれば、過去との訣別と言うことになる。

 過去との訣別。それは東京の街を歩いていると、その意味が克明になる。
 1945年3月10日、アメリカ陸軍のB29の大編隊が夜間の東京市を襲った。
 カーチス・E・ルメイ少将率いる、アメリカ陸軍重爆撃機隊所屬のB29
(Boeing B-29 Superfortress超空の要塞の意味で、ボーイング社製の米陸軍大型超長距離重爆撃機。自重は47,500kg。爆弾搭載量9屯)爆撃機344機が、東京下町を襲った。世に言う東京大空襲である。
 東京への夜間の焼夷弾
(しょういだん)爆撃であり、死者約10万人以上、焼失戸数約27万戸、下町地域を中心に全都の約40%に当たる40平方キロメートルが焦土と化した。
 その結果、地上はすっきりと更地になった。

 しかし、東京は更地ばかりではない。
 東京の街を歩いて分かることだが、幅広い道路が碁盤の目のように走っていて、都市計画がちきんと徹底された場所がある。こうした一方で、ごちゃごちゃと入り組んだ、迷路のようになった街があり、この街は不揃いの家並みと、袋小路になった迷路で交叉する街がある。
 どうしてこうした、二局面の街が出来上がったのか。
 これ¥は東京大空襲で爆撃され、焼け野原になって更地になった場所と、戦火の被害にあわず、焼け残った街があるからだ。焼け残これば、再整備など施しようもあるまい。
 焼かれた方も、焼け残った方も、この土地の国民は無能な軍事が始めた戦争によって、大敗したのである。

 先の大戦の敗北を、多くの歴史家や進歩的文化人は、日米の国力の差、生産能力の物量の差を上げるが、大戦当初は、アメリカの武器保有数と軍事教練の戦闘能力は、遥かに日本の方が上回っていた。それなの短期決戦に於て勝利を得られず、だらだらと何故、日本は3年8ヵ月に及ぶ戦争をしてしまったのか。
 問題は此処にある。要するに、当時の日本軍人の軍隊官僚に、「戦争目的」が不在だったからである。何の為に、日本はアメリカと戦争をするのか、全くこの事が理解し得なかったのである。此処に日本の大敗の原因がある。

 そして、敗戦国は戦勝国の論理や文化を押し付けられる。
 また一方、戦勝国の横暴を赦
(ゆる)すことになる。この戦争で勝ったアメリカは、軍事力をもって世界を牛耳り、その中枢には軍需産業が控えている。戦争で負けた日本は、平和路線で世界に貢献し、経済大国の道を歩まされ、その殆どを貢物として外国に流すシステムに組み込まれた。支援や援助と云う言葉を使えば体裁は良いが、実は大半が無償援助であり、タダ取りされているのである。

 そのタダ取りの名目に、屡々
(しばしば)「無抵抗主義」が使われる。
 そして恐るべきは、日本人の潜在意識に浸透しつつある、憲法第九条の「戦争放棄」の一コマが、禍根
(かこん)となって、私たち日本人や、次の世代の子供達に、この悪癖(あくへき)を培養しようとしていることである。

 アメリカの仕掛け多戦争放棄の、この項目は非常に巧妙である。日本人はこの項目を解釈する場合、先の大戦の反省から、憲法第九条によって、武装も戦争も放棄したと考えている。これこそ巧妙な瞞
(まやかし)であり、一方的に信じ込まされた形跡は否めない。多くの日本人は、日本が戦争を放棄したのであるから、もう、戦争は二度と起るまいと考えている。また、何処かの国で戦争が起こったとしても、日本は無関係だと考えっている。

 ところが、日本国憲法第九条の「戦争放棄」の一コマは、そんなに単純なものではない。日本人が考えるほど、生易しいものではないのである。実の「戦争放棄」とは、相手が暴力に訴えて来ても、専守防衛の立場から、「これに一切抵抗しません」ということなのである。

 専守防衛とは、聞こえがいいが、日本人が解釈するような単純なものではない。
 多くの日本人は、次のように解釈する。
 専守防衛とは、「他を攻撃することなく、もっぱら守りによって自国を防衛すること」あるいは「武力行使を禁じた日本国憲法下における自衛隊の今日のあり方」を想像する。しかし、これは裏を返せば、「何をされても文句は言わない」ということであり、要するに「泣き寝入りしなさい」ということである。

 敗戦国日本の社会には、度々、理不尽な凶悪犯罪が多発して、今日もその延長上にある。北朝鮮の拉致事件もそうであろう。
 もし、「戦争放棄」の観点から、こうした理不尽な行為を論ずるならば、何をされても、文句は言わないと云うことであり、これが諸外国につけあがらせる要因を招いた。戦争放棄とは、要するにこういうことなのだ。つまり、この根底には、体裁だけの無抵抗主義が働いているのである。

 しかし、日本人が戦争放棄しても、現実世界には、戦争が今もなお、存在するのは何故であろうか。

 日本人が戦争を放棄しても、世界は日本に戦争を放棄させない現実があるのである。これは今日のイラク問題を見れば明白であろう。未だに解決されず、その災いは拡大する一方である。
 世界には依然として、黄な臭い戦争の火種
(ひだね)が消える事なく、各地の至る所で燻(くすぶ)っている。これらは日本人の戦争放棄と無関係ではあり得ず、私たちが戦後、教え込まれた平和主義の中に、アメリカの政治政策が見て取れる。

 そして、戦争放棄と交錯するように、ガンジーを賛え、彼の説いた「非暴力不服従主義」という美辞麗句が、時として崇高な理論として、公共の電波を使い、テレビで放映されいる。これこそマスコミ操作と、思想工作の最たるものではないではないだろうか。
 だか、これに酔い痴
(し)れる日本人は少なくない。



●日本人ほど「非暴力不服従主義」に酔わされた民族はいない!

 日本人ほど、「非暴力不服従主義」という、この美辞麗句に酔わされた民族は、世界にも例がないであろう。
 そしてこの非暴力不服従主義は、いつの間にか、ガンジーの崇高
(すうこう)な態度が、インドの、イギリスからの植民地解放政策を断念させ、インドの独立が成ったと、多くの日本人に先入観を抱かせる結果を招いた。何という、マスコミ操作。何という思想工作なのであろうか。

 したがって、進歩的文化人達は口を揃
(そろ)えて、「我々日本人は如何なる有事に遭遇しても、絶対に戦争はしてはならないのだ」と力説する。諸手(もろて)を挙げて、万歳しろと、進歩的文化人の権威の名を借りて力説するのである。果たして、この選択は間違っていないと言えるだろうか。また、こう豪語する彼等は、いったい「戦争」が如何なるものか、本当に理解しているのであろうか。

 例えば、降伏者の殺傷、無防備都市の無差別攻撃、禁止兵器の使用などは、国際条約で定められた戦闘法規を犯す行為であり、これらは「戦争犯罪」と定義されている。しかし、戦争が展開される激戦地で、こうした国際条約は守られるだろうか。

 また、一般人民に対し行われた大量殺人や奴隷化、政治上・人種上・宗教上の迫害など、人道に対する、戦争犯罪による罪は、侵略した国家が違反しないと断言できるであろうか。
 戦争とは、かつてヒトラーが定義したように「欺瞞
(ぎまん)」である。相手が弱いと分かると、徹底的に痛めつけられるのである。

 侵略して来た敵兵によって、自分の棲
(す)む家は焼き払われ、親兄弟たち男は鏖殺(みなごろ)しにされ、妻や姉妹や娘ら、女性は悉(ことごと)く陵辱(りょうじょく)されて犯され、その挙げ句、セックス奴隸として売り飛ばされるであろう。それとも、進歩的文化人らは、敵の侵入と侵略を容易にした廉(かど)で、特別な優遇を受けるのだろうか。

 そしてこうした文化的権威の、国民意識の誘導が、非暴力不服従主義の虚構を作り上げ、この主義さえ貫いていれば、喩
(たと)え侵略国が北朝鮮であっても、日本を攻撃することはないと断定しているのである。

 果たして彼等は、こうした無抵抗主義に感動するであろうか。あるいはこの崇高?な意識が理解できているのできるのであうか。
 もし彼等に、こうした理解力があるならば、北朝鮮の、日本人拉致問題などは、絶対に起こらなかったはずである。「ならず者国家」を、地上の楽園などとは称さなかった筈である。現在でもこの国が、果たして地上の楽園なのだろうか。

 家に、強盗に入られ、金品が奪われ、妻や娘や、実の姉妹が、自分の前で強姦されたら、一体どう言う行動に出るだろうか。
 もし、その家の家長が無抵抗主義に徹し、何もせずに、暴力を好き放題にさせ、強盗が退却する際に「赦
(ゆる)す」などと言ったら、この人は、親戚や近所の人から一生涯「笑い者」にされよう。戦うべき時機(とき)に戦わず、怒るべき時機に怒らなかったからである。昨今は、こういう手合いの大人が増え続けている。本当の意味で、「戦争を知らない世代」である。

 戦後の平和主義は、日教組を背景に、徹底した戦争放棄と、それに準ずる平和教育が、小・中学校の教育現場で実施された。平和主義と平等主義こそ、正義の代名詞であった。
 また、高等学校では、民青
(民主青年同盟)指導の下に、ソ同盟礼賛とその正義性、そして、自由主義国家の帝国主義論が実(まこと)しやかに論(あげつら)われた。
 つまり、「ソビエトだけが正しくて、他は総て間違いである」という考え方を、当時の「団塊の世代」の純粋な頭に培養したのである。進歩的文化人のこうした罪は、決して少ないものではなかろう。

 当時、世は、上から下まで、平和教育の赤化工作に染められていった。そして、この平和教育の正義理論が、アメリカ帝国主義者
(マッカーサーを中心とするユダヤ系アメリカ人のニュー・ディーラー達)のでっち上げられ、「ガンジーの非暴力不服従主義」は不動のものであった。

 非暴力不服従主義は、一見、「崇高な思想」と思われがちである。この思想の中心課題は、暴力を揮った「敵を赦
(ゆる)す」ということが含まれている。そして「敵を赦す」ということは、敵を罰することより、「気高い」あるいは「崇高」なイデオロギーとしているところに注目したい。

 しかし裏を返せば、非暴力不服従というのは、「無抵抗による服従」ということであり、「抵抗せずに、ただ打たれなさい」ということであり、結局、「ただ打たれる」だけの不服従では、一方的に「打たれる」ことでは、暴力を肯定する服従であり、非暴力不服従主義は則
(すなわ)ち、無抵抗不服従主義であり、これはとりもなおさず、「無抵抗服従主義だ」ということになる。

 戦争における侵略者は、勝ち戦の時、傲慢
(ごうまん)となる。横暴で横柄で、奢(おご)り高ぶり、猛々(たけだけ)しいこと極まりがない。これはスポーツ選手が、トーナメント戦で勝ち進んでいる時などに、よく見られる光景である。また、相撲の世界でも、白星を続けている力士の傲慢と勝ち誇り方は、一種異様な態度ではないか。

 また、歴史からこうした光景を探すとしたら、1931年9月18日、奉天
(今の瀋陽)北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機とする日本の中国東北侵略戦争であり、満州事変を経て、太平洋戦争の開戦時の1941年12月7日(日本では8日未明)の真珠湾攻撃から、太平洋戦争の敗北までの日本人の蛮行に見る事が出来る。

 この当時、アジア各地で行った日本人の蛮行は、ヨーロッパにおけるナチス・ドイツの蛮行と並んで、歴史上類を見ないほどの極悪・非道なものであった。
 男は悉
(ことごと)く殺し尽くし、女は悉くレイプして犯し尽くし、家を焼き尽くすこの行為を「三光政策」といった。
 日中戦争当時、日本軍が行なった苛烈で、非人道的な掃討・粛正作戦などを、中国側から呼称した政策である。そして
三光とは、殺光(殺し尽くす)・搶光(奪い尽くす)・焼光(焼き尽くす)ことをいう。

 こうした事実を日本の若い世代は知らないが、中国側の教科書には、日本人が犯した蛮行を事細かに掲載されているが、日本の教科書にはこの事が、一行も触れられていない。当然、教科書というのは、一方的な、その国の国家政策で検定されるものであるから、片手落ちな捏造
(ねつぞう)もあり、事実と反することを載せると言うのが、その国のとる戦争での歴史の態度である。

 「戦争とは何か」と定義すれば、かつてヒトラーが単刀直入の述べたように、一言で言えば「欺瞞」である。欺瞞には、「捏造
(ねつぞう)」という画策も含まれる。人目を欺(あざむ)き、騙(だま)すことをいうのだ。最早こうなれば、罵声の応酬合戦になる。狡猾な者達は未来永劫に亘り、自分達の行為が真実であり他は間違いであると宣伝するであろうし、大衆の無知に付け込んで、欺瞞の事柄を培養し、植え付けて行くであろう。

 その挙げ句、大衆は、仕掛人の編み出した虚構理論に載せられ、心無き方へ誘導されて行く。これこそ、人民を巻き込んでもの、戦争へのメカニズムではないか。
 そして、近代の大衆誘導の原動力になったものは、金を総ての価値観の基準に置き、それによって、金銭を中心に置いたシステムで社会が作動するようになり、金銀本位主義の虚構が今日の社会を席巻している。また、これが社会的混乱を招いたとも言える。日中戦争も、日本軍部の企てた瀰漫であった。

華北戦線での日本軍。(昭和12年7月)

 しかし、三光が中国大陸の全域で本当にあったかどうかは、疑わしいところがあるが、小数の激戦地や最前線で、絶対になかったとはいえないだろう。
 つまり、戦争と言うのは、自国の聖戦ぶりを過大評価し、敵国の小さな罪を極悪非道だったと宣伝するのが常である。そして、この事実は戦勝国と敗戦国で、克明に色分けされ、「負けた」という負い目は末代までに蹤
(つ)いて廻る。

 欧米の国々は、この事を熟知しており、最後の一兵卒になるまで、陣地を死守して戦い続けるのである。しかし、戦略や本当の戦争の意味が理解できない日本人は、追い詰められれば、死守を選ぶより捕虜
(ほりょ)の道を選んで、直ぐにギブアップしてしまう。ギブアップするくらいなら、最初から負けるような戦争はせずに、力を蓄えて、戦機が訪れるまで、耐え忍んでそれを待ち続ければよいのである。打たれ続け、それに耐える、気魄と誇りがない為であろう。だからこそ、安易に、無抵抗主義の転ぶと言った状態に傾くと言える。

 無抵抗主義は日本人が考えるほど、そんなに甘い物ではない。総
(すべ)てを赦し、奪われ、犯され、最後には殺されることなのである。
 また、欧米人が意識する非暴力・非服従の無抵抗主義は日本人の考え方とは異なる。
 日本人は安易に考える、非暴力・非服従は恐らく、打たれ続けても、「心は簡単に屈しないぞ」という意思かも知れないが、これは容易なことではなく、また、こうした不屈の心を持っていても、相手に少しでも「良心の呵責
(かしゃく)」がない場合、これすらも伝わることはないのである。

 それは、外国と日本の治安の違いによる。
 例えば、夜の渋谷界隈と、アメリカのニュー・ヨーク市マンハッタン区の中央部にあるセントラル・パークとは異なる。昼間は園内に森林などがあり、公園内にはメトロポリタン美術館などがある、非常に美しいところであるが、これが夜間ともなると一変する。その為、勿論女性の一人歩きは危険である。複数からレイプされ、最後は殺されるかも知れない。

 しかし、日本人男性の中で、「オレは男だから大丈夫だ」という人が居るかも知れない。だが、男でもゲイ相手に、複数の強姦魔から取り押さえられ、ホモセクシャルの相手にさせられて、肛門は精液に塗れ、直腸まで裂けて切れ上がってしまうだろう。レイプマンは、何も女性相手に出没するのではないのだ。そして、その後のエイズの発症は確実だろう。
 この事からしても、日本人が考える治安と、外国での治安は大きく違っている事が分かる。

 つまり、お国柄の違う民族間を対比させるのであれば、無抵抗主義に徹することを甘く見ない方がいいということだ。
 一方的に打たれ、殴られたのでは、益々当事者をつけあがらせることになり、この現実は、言いなりにならないという不服従というより、最初から打たれるという暴力を肯定したものであり、暴力のなすがままに、自分の身を委
(ゆだ)ねるということになる。打たれ続け、身も心も傷だらけになり、金品や財産を奪われ、レイプされ、我が身を切り裂かれて「赦(ゆる)す」と断言できる人が、果たして今の日本に何人居るだろうか。
 これこそ、不等な暴力への泣寝入りではないか。

 マハトマ・ガンジーの、歴史的な偉業とされる400kmに及ぶ「塩の行進」は、イギリス側領事体制の暴力の連鎖の断ち切りを狙ったものであるが、これは当時の国際世論が、イギリス側の横暴を暴いたのであり、これが闇で葬り去られるような方法が用いられたのであれば、この偉業すら、歴史に、その足跡を止めることはできなかったはずである。

 このイギリス側の横暴を、世界に逸早く報道したのは、『ニューヨーク・タイムズ紙』
New York Times/ユダヤ系新聞で、傾向は中立的というがエスタブリッシュメントの影響が大きく、国際的にも大きな影響力を持つ)だった。そして『ニューヨーク・タイムズ紙』といえば、あの極悪非道で日本の柳川旅団(軍司令官・松井石根大将麾下)が南京大虐殺をしたという、この記事を報道した新聞社でもあった。
 こうして歴史は、何者かの意図によって、作られると言う現実がある事だ。

 事実が捏造
(ねつぞう)れる真っ只中にあって、呑気でお人好しのウサギが、エサを握ってライオンの口先に差し出したら、一体どうなるだろうか。
 獰猛
(どうもう)なライオンは、ウサギのエサだけに食い付くだろうか。それとも、腕ごと齧(かぶ)り付くだろうか。あるいはウサギごと、呑み込んでしまうだろうか。
 日本人は、外国人から見て、よくウサギに喩
(たと)えられるではないか。それもお人好しのウサギに。

 況
(ま)して無銘(むめい)な一般人である、権力者から見て、微生物同然の底辺の一般庶民が、こうした無抵抗服従主義を実行すれば、おもしろ半分に嬲(なぶ)り殺され、犯罪のあった証拠すら発見されないまま、迷宮入の事件で終わってしまうことであろう。これにより、被害者は無念の涙の儘(まま)、失意のうちに人生を閉じることになる。

 非暴力不服従とは裏を返せば、無抵抗のまま、暴力の脅
(おど)しに、我が身を庇(かば)って服従するということであり、不服従であるならば、一方的に殴り続けられるという考え方である。
 平和主義、非暴力主義は、言葉の上では美辞麗句の類
(たぐい)なのであろうが、現実問題としては、「何をされても文句を言わない」という考え方であり、残忍な、言語に絶する悪戯(いたずら)をされ、その挙句に殺されるというプロセスの中で、こうした残忍な殺され方に、果たして何人の人が耐えられるであろうか。

 また、あなたの大事な家族が、このような虐待
(ぎゃくたい)に遭(あ)っていたら、あなたは果たして簡単に、犯人を赦(ゆる)すということが、言えるであろうか。



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