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死に方が選べない時代 1


死に方が選べない時代

人は生きる時代を選べない。それはまた、死ぬ時も、死ぬ場所も選べないという事実が横たわっている。
 しかし、いつの時代も、人の生と死は存在する。生まれる事、あるいは生命の神秘を真摯
(しんし)に模索するならば、死ぬ事も、死後の事についても、真摯に模索しなければならない。

●横死する背後には不成仏霊の苦悩がある

電気椅子。アメリカの一部の州で死刑に用いる刑具で、現在でも使用されている。高圧電流を通ずるようにした椅子で、これに処刑者を座らせる。目が飛び出る為に、処刑者の目にはガムテープが貼られる。

 国家や社会の都合で、犯罪者を処罰する手段として「死刑」というものがある。法治国家では、個人の自由、人間的な平等、基本的な人権としての人格の尊重の原則は、等しく重視されている。

 しかし一方で、社会の秩序、福祉、安全といった国家社会の利益尊重の思想も重んじられている。この事から、個人と社会は、時として、相容れない行動に直面する。

 民主主義国家は、個人主義を基調としていても、社会的約束事には誰でも従わねばならない。もし、これに違反し、法に触れるような事をすれば、法的に制裁を受ける事になる。ここに「必要悪」としての刑罰の存在理由がある。
 但しこれは、国家社会の仕組みが、正しいと仮定した場合に限ることだ。もし、これが正しくなければ、国家社会の便益の為に、個人を国家の名において処罰する事は正義に反する事であり、法の理念にも反する事になってしまう。

 しかし一方で、ある人を自由に放置しておくと社会が迷惑するから、その者の自由を奪うのだと言う事だけの理由で、収監【註】法令により監獄に収容することで、「収監状」という、収監を命ずる検察官の令状が執行する)し、処罰すると言うのは納得できない事柄であろう。

 特に、「政治犯」といわれる理由で収監された人は、これに当たる。
 また、こうした収監理由や処罰理由の裏には、民主主義の標榜
(ひょうぼう)が、実は人間の尊厳を害する「落し穴」があるという事も同時に曝(さら)した事になる。
 しかし、こうした側面は、法の素人には中々見抜けるものではない。現行法は法的な複雑さと専門用語で絡
(から)め取られているので、この方面の素人には理解が難しい。昨今は陪審制が発足の見込みになったが、それでも法的解釈の難しさは、一方で複雑化する為に、よい事尽くめとは限らず、旧態以前の現象が予想されるであろう。現象界と言うのは、一方で簡素化されれば、他方で複雑化される相関関係にあり、双方は連動して影響し合う作用関係にあるのである。

 多くの人は、善良な市民を装い、兇悪な犯罪に出ないのは「罰される事が厭
(いや)だ」という打算的な理由が働いていることは否めないようだ。その一方で、人が見ていなければ「この程度の事なら」と、他人の眼のない事をいいことにして違反を繰り返すし、どうしようもない権力に対しては、「長い物には巻かれろ」と言う刹那(せつな)主義があり、小賢(こざか)しい分別主義は、ここに起因する。
 しかし、こうした打算を覆
(くつがえ)し、制裁を恐れない人もいる。刑罰がどんなに重くても、切死丹(きりしたん)殉教者のように、自己の信念に忠実な為に、甘んじてその極刑を受けた人達もいた。果たして彼等は、極刑に処せられる行為を、どれほど犯したと言えるであろうか。

1890年、史上初の電気椅子処刑による受刑者のフランシス・ケンムラーの処刑。電気椅子刑の特徴は、目玉が飛び出さないように、しっかりガムテープを張り付けておいてから高圧電流を流す。
 一見、電気によるショック死で、苦痛はそんなに大きくないと一般には考えられているが、「眼球が飛び出る」ことから、その苦痛は想像を絶するものであると思われる。


 刑罰や処罰と言うものを考えた場合、犯罪者の刑事責任は、結局「道義」に、その根拠を求めねばならないのであろうか。
 これを理想的に追言するならば、人間は等しく自由と人権が尊重されると言う大前提に立ち、犯罪者の行為を社会的に評価し、その道義責任を追求するというのが刑罰の本質でなかろうかと考える。

 つまり法的に処罰されるにしても、法に照らし合わせて、一方的に処罰を押し付けるのではなく、その道義責任を明らかにし、犯罪者に納得させた上で、処罰を課せると言うものでなければなならない。

 しかし、こうした道義的責任を追求した場合、多くの国家ではこうした事が有耶無耶(うやむや)にされ、道義的責任追及よりも国家の利益を考えて、意図も簡単に犯罪者を処刑してしまう。
 特に社会主義を標榜する北朝鮮などの社会主義国家
(この国は社会主義と言うより、封建主義国家と言える)では、政治犯の処罰を重く、公開処刑等という、十六世紀なみの時代錯誤の刑罰が実行されている。

 こうした刑罰の裏には、その究極の目的が不明確であり、要するに国家を標榜
(ひょうぼう)する王朝に対し、何らかの不利益が働くと言う防止策としてこうした処刑法が取られているのであり、本来の、現世から犯罪を追放すると言う法的な目的が不明確であることが否(いな)めない。

 法社会の中で「処刑」という行為は、一体人間に何を齎
(もたら)したのであろうか。
 法治国家は近代市民社会を構築する上で、重要な法社会を造る国家体系であるが、その法の精神はさておき、感情的に思い浮かぶことは、未
(いま)だに復讐(ふくしゅう)劇の要因であるハムラビ法典的な仇討(あがう)ち思想が、法の根底に流れていると言うことである。
 仇討ち思想は、被害者の身内に変わって、国家が法を執行し、復讐者あるいは報復者になってくれるということである。

 あるいは別の解釈として、社内の枠
(わく)から食(は)み出してしまった者は、不要な存在として、完全に切り捨てると言う考え方が働いている。
 昨今の法解釈において、死刑制度に対する賛否は様々であるが、人道的に許し難い犯罪者に対して、死刑擁護論者は、建前として、犯した罪を償わせる為に、最後の切り札として「死刑止むなし」の措置を提言している。しかしこの裏に隠れる本音は、死を以て購
(あがな)わせる社会的制裁の報復あるいは復讐の意図が色濃く漂っている。

 近代市民社会では、個人が個人に対して仇討ちをやることは禁じられている。したがって殺人事件が発生して、事件の被害者は、殺された側の遺族らの身内に代わりその報復として、国家に依頼し、加害者を殺してもらうという復讐劇の報復措置がある事が否めない。

 一方、死刑反対論者は、喩
(たと)え許し難い犯罪者であっても、闇雲(やみくも)に死を与え、殺してしまうことによって、果たしてその罪は償えるのか、と反論する。そしてむしろ、死を以て償いに充(あ)てられる受刑者が、罪を償うどころか、逆に報復的な処刑によって、その恨みの念を強く意識して、逆効果になると言うのである。
 こうした場合、むしろ生命を剥奪
(はくだつ)する前に、犯した罪に匹敵する重労働を課せて、「なぜ重労働をしているか」その反省を求め、労働を通じて改心に向かわせる方が有益ではないのかと言うのだ。

チェチェン紛争。未だに戦争の火種消えず。敵と看做されれば、問答無用で銃殺される。

 しかし、いずれの考え方も、容疑者が、犯人であるという動かぬ証拠が出て、誘導による自白でなしに、自らが犯罪のあったことを認め、それに見合うだけの措置を取られても止むを得ないと言う場合に限ろう。況(ま)して冤罪(えんざい)の疑いなどがなく、完全に無関係である場合に限るであろう。

 ところが不可解な事件は、冤罪がつきものであり、万一、冤罪が何らかの霊的作用
【註】霊障による犯罪と言われるもので、普段は温和しくて、善良な市民としての生活を営み、しかも小心者が大胆不敵な事件を起こした場合、これらの多くは霊的誘惑により事件を起こす作用。しかし、精神錯乱によって起こしたのか、精神異常により起こしたのか、この三次元顕界での判定は非常に難しい)による憑衣物(つきもの)によって引き起こされている場合、犯人に仕立て上げられた容疑者は、まさに断末魔の叫びの中で命を断たれることになる。そしてここで、次の怨念(おんねん)が派生する。

 こうした派生の巡り巡っての恨みが、現代社会には漂っていて、こうした事実を認める法学者は、余りにも少ないのである。
 どういう理由にしろ、殺人事件で殺される、死刑で殺される、戦争で殺されるという想念は、かなり長い間残るもので、こうした死に際する怨念は簡単に消えるものではない。

 死刑は、単に犯罪者を殺す事だけを目的にしているのではない。
 人間の死を考えた場合、死と言う受刑者に課せられた死刑の儀式は、まだ決して完成されたものではない。死刑の儀式の裏には、「見せしめ」という、犯罪者をつくらない為の権力者の思惑ならびに権力体制に楯
(たて)をつかせない意図が含まれている。社会主義国家の政治犯の公開死刑等は、これに当たる。

 そして政治犯を含む犯罪者に対して、如何に苦しめ、如何にして死に至らしめるかの、
「死出(しで)に向かう」ストーリーが、この中に含まれている。人間は死を選べない。また、生きる時代も選べない。ここに人間の世の、人間のして生きる「無常」がある。人生の果敢なさが此処にある。

 即ち、死刑に関しては、どのような方法を用いて殺すかを巡って、人間はありとあらゆる能力の限りを尽くして、多様で、残酷な処刑法を思い付いて来たと言うのが、偽わざる法社会の歴史であり、この歴史の中には、様々な道具を生み出した旺盛な想像力によって導き出された処刑具が存在する。



●刑罰の持つ意味

 死刑に匹敵する刑罰に「重労働」の刑罰がある。
 かつて中国では、刑罰の一つに「石を運ばせる」という刑があった。これは一切の建設的な要素を持たず、一旦運び終わると、また元の場所に運び返させる刑である。
 まるで「賽
(さい)の河原の石積み」に似ている。

 一つずつ石を積ませては、それを鬼が来て壊し、その壊れた後を、また「父の為……、母の為……、兄弟姉妹の為……」という、積み直すと言う気の遠くなるような作業である。
 仏道では、小児が死んでから苦しみを受けるとされる、冥途
(めいど)の三途(さんず)の河原では、石を拾って、父母供養の為に塔を造ろうとする。小児が小さな手で、石を拾って来ては一つずつ積み上げていく。すると鬼が来てこれを壊す。これを地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が救うという筋書きの、あの卑劣で陰湿なまでの作業を彷佛(ほうふつ)とさせるのである。

 石運びの重労働の刑は、何かを築くと言うのものではないから、運び終わったら元に戻してしまう。これは最も卑劣かつ陰湿な刑であろう。そして、この刑が執行されている最中、たいていの囚人は、発狂すると言われる。

 刑罰の背後には、人間の考えるあらゆる思考が集積されており、「残酷」が存在する。人間は有史以来、数々の残酷を繰り返して来た。
 そこに私たちの先祖を振り返る時、確かに残酷の数々が存在し、何百年にも亘
(わた)って、それが繰り返されて来たことに気付かされる。

 私たちはこうした血の中に、先祖の心を思い浮かべ、時代を超えて流れ続けている「残酷」の源流を、誰の心の中にも認めないわけにはいかないだろう。更には、現代の私たちが、その源流をどのように受け継ぎ、養っているか、それに思いを馳
(は)せないわけにはいかない。
 そして時代は変わっても、歴史の中に刻まれた「残酷」は、再び新たな残酷として蘇
(よみがえ)り、現代人の心を蝕(むしば)みつつある事に気付かなければならない。

 現代でも、形を変えて拷問
(ごうもん)は繰り返されている。借金地獄、交通地獄、公害地獄、地球破壊、テロの脅威など、その一つ一つを上げれば切りがない。この、いずれも、人間性否定と言う点で、私たちの先祖が繰り返して来た「残酷」と何等変わるところはない。

 天下太平。それに平和惚(ぼ)けに至る、このプロセスの裏には、過去にも勝る残酷の芽が現れ始めている事に、如何程の人が気付いているのだろうか。
 これが一歩進めば、忽
(たちま)ち血を血で洗う殺し合いに発展する危険性を、現代という時代は孕(はら)んでいる。こうした危険性は、日本史並びに世界史を見ても、決して未経験な事ではない。

 日本にはじめて近代的な民主主義の思想が花開いて、日本人がこれに満喫し始めたのは、大正時代のことであった。大正デモクラシーと共に、大正ロマンが香り、当時の人々は、夢や空想の世界に憧
(あこが)れ、現実を逃避し、甘い情緒や感傷を好む傾向に趨(はし)った。しかしこうした最中に、関東大震災が起こり、人々を震憾(しんかん)させた。それ以降、大震災に纏(まつわ)る大不況に悩まされる事になる。

 大正デモクラシーはあッという間に過ぎ去り、不況をベースにした様々な事件が発生した。昭和の幕開けはこうした形で開幕したのであった。スーパー・アウトローによるテロが続出し、やがて日本は、ひと握りの軍部勢力によってファッショ化の道を辿る事になる。その時勢を反映した暗殺と流血事件。そして戦争と言う大殺戮
(だいさつりく)の歴史が繰り広げられた。
 一つの民族を蝕み、食い物にした「残酷の魂」は、そう易々と消し去る事はできない。しかし、残酷の魂こそ、悪想念であり、この悪想念が、結局は我が身を滅ぼすと言う事を知らねばなならい。

 複雑多岐化した現代社会は、様々な事件や事故が起こる中で、加害者と被害者の区別がはっきりしなくなって来ている。人権擁護の圧力が猛烈であるからだ。
 自分が被害者だと主張していたら、いつの間にか、今度は自分は他人を苦しめる非人間的な立場に立たされていて、悪想念組織に加担させられている事が珍しくない。
 そしてこうした、恨みの憎しみが渦巻く
「怨念の世界」に、苦裟婆(くしゃば)を苦しみながら、私たち現代人が、現世に生きていると言う現実がある。



●目には目を、歯に歯を

大革命当時のジャコバン党の領袖・ロベスピエール(Maximilien de Robespierre)がギロチンの餌食となった時の版画。パリ市政府に絶大な勢力を持ち、公安委員会による恐怖政治を実行し、自らも処刑される。

 横死は、報復措置に関与する。報復であるが為に、その罪に値する犯罪者は命を奪われねばならず、その生命剥奪(はくだつ)は、処刑具の発達によって、文字通り、受刑者の命を一瞬にして奪うことに成功した。
 その死の刹那
(せつな)、受刑者は、恐らく苦しみに藻掻(もが)く閑(ひま)すら与えられない。
 一見、人道主義のように見えて、その実、何と恐ろしい事なのでしょうか。まるで原爆の放射熱で焼き殺す、あの一瞬の閃光
(せんこう)を思わせるものではないだろうか。

 フランスで考案・発明された断頭台ギロチンは、近代的な処刑具としてフランス革命当時、大いに利用され、次々に人の馘
(くび)を跳ねていった。そして、断頭台の露(つゆ)に消えたのは、ルイ十六世Louis/国民公会により、妃マリー・アントワネットに先立って断頭台で処刑。1754〜1793)やマリー・アントワネットMarie-Antoinett/マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世との末娘。フランス革命の際、ギロチンより断頭台の露と消える。1755〜1793)を始めとして、七万五千人とも、八万人とも言われている。
 ギロチンはフランスの代表的な処刑具であり、受刑者の馘
(くび)を一瞬にして切り落とすものであった。

 現在も各諸国の斬首刑にはこうしたものが使われ、また、それに変わるものとして、斧(おの)や青龍刀せいりゅうとう/中国の、柄の上端に青い竜の装飾を施した薙刀(なぎなた)形の刀)のようなものが使われている。
 しかし、フランスでは逸(いち)早く、こうした近代的な処刑具を考案・発明し、大量処刑の機械化に成功し、フランス革命当時、これが一躍(いちやく)買ったのであった。

 フランス革命のスローガンは文字通り、自由・平等・博愛であり、罪人に対しても、これが波及した。自由と平等は、即ち、身分の格差に拘(こだ)わらず、死も平等であるべきと考えられ、それ故に、王侯貴族も、僧侶も、市民・平民に至るまで、死刑は総(すべ)てギロチンに委(ゆだ)ねられることになる。

 そして、ギロチン発明(本来は農家の屠殺機具を改良したものだが)に伴って、「博愛」という、寔(まこと)に不可思議な思想が浮かび上がって来るが、当時のヒューマニズムとして、受刑者の苦痛も出来るだけ短く、「一瞬の内に」という建前から、ギロチンは大いに持ては囃(はや)されたのであった。
 しかし果たして、どれだけ短縮する意図が含まれていたか、あるいは、どれだけ博愛精神を押し売り出来たか、特に恐怖政治下、投獄と殺戮(さつりく)等の苛烈(かれつ)な手段によって、反対者を弾圧した政治は、一体何処に「博愛」の、その精神が息づいていたか、まことに疑わしい限りである。

ロンドン塔に保存されている断頭台と処刑用の大斧。

 法治国家は、法社会を構成することにより、近代社会の仲間入りが出来たと言う。しかし処刑そのものが、ヒューマニズムと対峙(たいじ)する関係にある以上、その過程に如何なる改善が加えられようとも、罪科を担う受刑者は否応なく恐怖と苦痛が押し付けられ、ここには法的な慰めは一切入り込む余地がない。
 法治国家における、「処刑」と言う報復措置が、あくまで必要悪的なものであるとするならば、もはや死刑の賛否両論を問わず、この問題に対して、建前だの、本音だのと、それを議論する予知は全く無いと思われる。

 近代的処刑具ギロチン(guillotine)の考案者は、サントス生まれの医師であり、政治家でもあったギヨタン・ジョセフ・イニヤースJ. I. Guillotin/パリ大学解剖学教授で、医学博士。父親は初審裁判所の検察官。1738〜1814)であった。
 この処刑具は、死刑執行の斬首台として、2本の柱を立て、その間に斜状の刃のある斧を吊り、その下に受刑者を寝かせ、死刑執行者が縄を引くと、その斧が落下して、受刑者の頸部を切断するように造ったものであった。後に「断頭台」とも言われ、主としてフランス革命時代に大いに活躍する。

 ギヨタン・ジョセフ・イニヤースは、1792年に蜂起したフランス革命(1789〜99年フランスに起ったブルジョア・フリーメーソン革命)で、ロベスピエールMaximilien de Robespierre/ジャコバン党で活躍し、のち山岳派領袖となるも、テルミドール(熱月)反動で失脚、処刑さる)らによって、自分が発明したギロチンによって処刑されたと巷間(こうかん)では流布されているが、これは全くの誤伝である。
 ギヨタンは、パリから国民会議の代議員として選ばれ、1789年の国民会議で、フランス南部やイタリア地方で古くから使われていた屠殺(とさつ)機具をヒントにして提案した迄のことであり、本来は「発明」等という大それたものではなかったのである。

ロンドン塔での処刑。ジェーン・グレイの処刑。

 彼がこの屠殺機具をギロチンなるものに改良し、人間の馘(くび)でも跳ねることができるようにしたのは、国家公認の処刑具として、フランス革命のフリーメーソンのスローガンであった、自由・平等・博愛に基づく精神をアピールするものだったのである。

 その意味で、当時、同じ死罪であっても、貴族階級は斬首刑が用いられ、市民・平民に対しては絞首刑が用いられたので、刑種の身分的差別に関わりなく、平民も貴族も平等である意味合いを含ませたものであった。
 そして更に、もう一つの博愛精神に準ずるものとして、肉体から生命を剥奪する場合、この馘(くび)と胴を切り離す刹那(せつな)に対する時間を、如何に短縮するかという理由で、受刑者の苦痛を出来だけ小さくし、死刑そのものの残虐性を、見た目より、軽減出来るのではないかと考えたからだった。

 最初の提案は、1789年12月1日の憲法会議に提出されるが、この時は嘲笑(しょうちょう)を買っただけで退けられる。ところが、翌1790年10月1日に再び断頭台採用を会議に提案し、これも退けられ、その後、やっとのことで1792年4月25日に断頭台は、最初の人間の血を吸うことになったのである。

 この初の日に、断頭台の露と消えたのは、ニコラ・ジャック・ペルティエという窃盗と殺人の罪を犯した男でした。そして断頭台がフル稼働し始めるのは、1793年に入ってからであった。
 これを機に、熱狂的な革命裁判の嵐は吹き荒れ、罪もない人が密告され、次々に処刑されていった。そしてこの残酷劇は日常茶飯事のものとなり、人民は見慣れた処刑風景に感覚を麻痺(まひ)させて、死に行く者達を遠望することになる。

 フランス革命は、王侯貴族や僧侶(特にカトリック教会)の手から政治を奪い取ることが目的であった。ブルジョア革命を通じて、王侯貴族や僧侶をフランスから駆除することが目的であり、それに代わって、国民会議の名を以て、ブルジョアが頭角を顕(あら)わすと言うふうに仕組んだものだった。

1901年、中国・義和団の首領の処刑。

 さて、処刑に当たり古くから斬首刑が殆どの国家で採用されていた。
 斬首は延髄(後脳と脊髄とを連絡する部分)の同位置か、やや下方で脊髄(脊柱管内の長い円柱状の神経組織)を切断することによって、死を齎(もたら)すとされている。

 十九世紀末、著名な医学者ロイルは犯罪人観察記録と犬の斬首実験に立ち会い、「死は人間と犬も、どちらも同じように齎されるのではない。犬の死因は脊髄の切断と中枢神経への刺戟(しげき)により、頭部切断による結果に生じる出血と窒息死によるものだ」と主張し、「人間では精神的作用によって、齎される管
(くだ)の切断よりも先に致命的になり、したがって人間は馘(くび)の切断に齎される苦痛を脳で感じる時間が無い」と言った。これこそ、非科学的な仮説である。

 これがロイルによる、斬首された人間と犬の、その後の顔付きが異なる理由であった。この実験で分かったことは、人間の顔は殆ど無表情であり、動物の顔は苦痛と悶絶(もんぜつ)を顕(あら)わしていたと言う。しかし動物に於いても、延髄や呼吸中枢の位置で切断すれば、人間と同じように無表情になると言われている。
 そして斬首に立ち会った科学者達の一貫とした意見は、斬首された者が、処刑後に見せる様々な表情や動きは、医学者ロイドによれば、延髄の中枢に起因する反射神経的な行動であり、感覚機能が存続している為ではないとしている。

処刑用の首切り刀。中国・義和団当時の斬首刀。

 しかし斬首された処刑者の馘
(くび)は、どうみても自然死をした人の死とは異なる。一種の「無念首」の形相が漂っている。
 一見無表情と言われながらも、そこには何処となく、無念の恨みが漂っている。斬首の刑で死んだ者の不本意な結末は疑いようがないだろう。

 人間がいつの頃からか、人を処刑することを考え付く。その処刑には斬首による一瞬の処刑もあれば、また鋸(のこ)で股(また)から腹部に向かって切り上げる緩慢(かんまん)で残酷な処刑もある。処刑される時間は、短ければ短いほど脳に残る記憶は少なく、緩慢で長ければ長いほど、その苦しみは非情なものとなる。

 人間が手を下す死刑。動物に食わせる死刑。あるいは人間が道具によって死に至らしめる死刑。人間は、同胞である人間を殺す為に、その処刑の技術は最高域に達したかのように見える。
 しかしこの技術の追求は、人類に何を齎(もたら)したのであろうか。
 人類の歴史の中には、敵対勢力や報復的な手段として、為政者や民衆は死刑に熱中して行く。あるいは娯楽感覚で死刑場へと参集し、苦しむ受刑者を見ながら、その呻(うめ)き声や絶叫(ぜっしょう)に、あるいは飛び散る血飛沫(ちしぶき)に歓喜の声を上げ、受刑者の生命を剥奪(はくだつ)したことで、その報復処置の完了したことを認める。

 それはあたかも、ファリサイ人が姦淫(かんいん)の現行犯として逮捕された女の罪を責め、法律学者とファリサイ人達は、姦淫を犯した女をイエスの前に引き立てて、「師よ、この女は姦通の最中に捕まった者です。モーセはこういう者を石殺しにせよと律法で命じていますが、あなたはどう思いますか」と言ったように……。

 ユダヤ教に於て、当時の死刑執行は、石打ちの刑によって行われていた。役人が執行するのではなく、民衆が自主的に執行するのである。裁判の民衆参加は陪審制であるが、死刑執行に於ては民衆も参加するのである。ユダヤ教やイスラム教に於ては、民衆は喜んで死刑執行に参加する。民衆の死刑執行は、当時の娯楽に一つであったからである。公開処刑会場には多くの出店が出たと言う。

 いつの間にか、「処刑」というこの残酷な行為は、自他離別の、あの動物を屠殺(とさつ)する、果てのない苦しみの中にあって、そこにしか埋没することの出来ない動物への無慈悲と、何ら変わりがない行為ではないだろうか。



●顔に観る人の死相

 1880年9月、フランスの医学者ダシ・ド・リニエレ博士は、死刑者の頭部に、生きた犬の血を注入すると言う、前代未聞の実験をやって退けた。
 殺人罪で処刑された三時間後の処刑囚の頭部に、生きた犬の血を注入したのである。
 処刑囚の頭部に輸血が始まると、顔面に赤味が指し、唇(くちびる)が膨らんで生々しい色が蘇(よみがえ)り、処刑後の弛(ゆる)んだ顔付きが、見る見る間に鋭くなり、「もはや1分前の弛んだ土気色の顔付きでは無くなった」と、その興奮の樣子を記録している。そしてその顔は「今にでも喋り出しそうだ」と綴(つづ)っているのである。

 犬の血の輸血が進につれ、「突然2秒間ほど唇が音もなく動き、眼球も引き攣(つ)ったように動いて、顔の表情も一変して、驚きの表情を示した」と、著している。その結果から、「私は、この実験で瞭(あきらか)になった事は、2秒間くらいは脳が活動したのだと断定出来る」と結んでいる。

ギロチンにより処刑されたポレ・オーガスト、ポレ・アベル兄弟の頭部。果たしてこの顔が、生前から「横死」の死相を感じさせない、穩やかなものと言えるだろうか。
 生前、享楽と快楽を貪った人間には、死に際して、断末魔の絶叫が当てがわれる。また、これは歪んだ悪想念を発し、死して後の死相となるのだ。処刑後、口を痴呆のように開けるのは、処刑者に、劇痛を起して必ず死ぬという断末魔があったことを証明する。


 ダシ・ド・リニエレ博士は、自らの行なった臨床実験から、その後、ギロチンによる処刑に対し、否定的な意見を展開させている。
 人道主義者としての代議士・ギヨタンが改良を加えた断頭台も、刃が人間の馘(くび)を切断する時、その刃が馘を切断し、大鋸屑(おがくず)の籠(かご)の中に落ちる間の、2秒間は少なくとも、切断させる痛みを知り、公開処刑を見ている群集の声も、聞く事が出来るとしたのである。
 「斬首された犠牲者は、刻々と死に至る感覚を持ち、断頭台の気色はもとより、それに映える陽の光りでさえ見ているのだ」と書き記している。

 さて、唯物論者は口を揃えて、「人の死に《死相》など無い」と決めつけるようだ。しかし、こうした人間の五官で死を捕らえ、五官のみの感覚で死を、こうした言葉で一蹴(いっしゅう)する考え方は、果たして正しいであろうか。
 人間が経験する「生みの苦しみ」と、「断末魔の叫び」とは、何か共通するものがある。したがって「生」は顔から始まり、「死」は顔から終わる。人の死は、総て顔が物語るのである。

 例えば、水商売等の女性が不倫を楽しんだ挙げ句に、不義の子供を生む場合、その産む時の苦しみは、臨終の時と相似の断末魔と同じ苦しみを味わうと言われている。天国と地獄は、人間のつくり出した想念の世界のものであり、この想念は、やはり快楽と苦痛が裏返しにされているからである。だから、享楽と断末魔は相対関係にあるとも言われる。

 では、断末魔の叫びとは、一体、何処から起こるのであろうか。
 それは死への苦しみではなく、生への執着の苦しみと言える。生への執着が、また断末魔の叫びを齎(もたら)し、生に縋(すが)り付こうとするから、想像を絶する苦しみを味わうのである。

 死を恐れるのは、生に縋(すが)り付く人であって、死を覚悟した人は、これを恐れない。
 また闘病生活で、病気は苦痛である事を知っていても、死は苦痛でない事を知っている人は、肉体に執着する、鬪う意識をやめた場合は、その苦痛が消え去って、穏やかな死へと向かう。

 末期ガン患者でも、相当な苦しみを味わうのは抗癌(こうがん)剤を投与され、この副作用によって苦しんでいる間のみであり、死を覚悟出来れば、不思議とその苦痛は消えると言われている。
 つまり苦痛とは、生命が盛んな間だけであり、生命活動が衰えると、この苦痛は小さくなる。
 しかし処刑などで死んで行く人は、今なお、生命活動が盛んですから、その苦痛は横死に匹敵するものであり、処刑と同時に、大きな苦痛の唸(ねん)を残す。これが「断末魔」の唸だ。

 死を目前に控えた、ある病院の調査によると、末期ガン患者に於いて、平和に穩やかに死んで行く人25%、悟りの境地に達して死んで行く人35%、そして残りの40%の人は「死にたくない」と繰り返し藻掻き、苦しみ、恐怖と共に、恐ろしい程の苦悩が見られたと報告している。また、その内の、半数以上が精神状態は不安定になり、精神錯乱のまま死んで行ったと報告している。

 多くの女性は、出産に際して様々な育児書を読みあさる。しかし幾ら育児書を読んでも、出産の心構えは分からないものである。それと同じように、臨終の心構えにしても、これを著したものは少なく、多くの人は、「臨終に作法がある」と言う事すら知らない。そうした結果、人の死の直前に、死相などある分けがないと一蹴
(いっしゅう)する中途半端な無神論者も少なくない。

 彼等の言によると、まず「死相は無い」と否定する事から始まり、「生きた脳のないところに、思考がある筈がない」と一蹴する。
 しかしノーベル賞受賞者で、ベルギーのフランス語圏の詩人であり、劇作家のメーテルリンクMaurice Maeterlinck/「青い鳥」等で有名。1862〜1949)は、「予(あらかじ)め与えられた意識、すなわち心は、最初から生きた脳髄にある筈がない。現在、私たちが持っているどんな意識よりも、一層広範囲で、一層複雑な、まだ名前もついていない意識が、人間や動物の脳髄を形作る以前から存在していた」と言っている。

 これは意識が脳髄ができる以前から存在していると言う事を示す言葉であり、脳髄を離れて、独立的に存在する事が出来る意識が、脳髄の滅んだ後も、生き続けていると言う事を如実に物語っている。

 また、ギリシャの哲学者・プラトンですら、「肉体は死すべきもの、物質的なもの、形而下のものであり、霊魂は不死なるもの、非物質的なもの、形而上のものである。この二つは、個人の生涯にあって、ただ一時の間、複合し、重なっているに過ぎない」と言っている。
 これは、霊魂が肉体に宿る前には、その儘(まま)か、あるいは一つの永久的な意識として、観念的に存在していると言う事を示している。

 だとすれば、意識と言うものは「連続性」を持つものであり、現在を境に過去にもあり、未来へも突くと言うものでなければならない。更に、意識は残るものであり、死した後にも、その想念が漂うと言う事であり、これは明らかに、死の苦痛に反応して、前もって「死相」として現れなければならない。

 「死相がない」とする考え方は、死に行く者への観察不足であり、死相はその意識体の表現として、克明に肉体に表示されるべきものなのである。




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