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▲人は生まれ、そして死んで行く。この闇(やみ)の光の空間の中に、何を求め生きていこうとするのか。
この命題に対し、生命の根源の謎があるように思われる。
人は、人生という「道」を歩む。しかし、その道は余りにも苦難が多い。人生は、まさに「苦」である。だが、人はこの「苦難」に直面する事によって、智者となっていく。 |
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▲私たち人間は、見せ掛けの幸福を求めて、一生を迷い、彷徨(さまよ)っている。柵(しがらみ)に絡め捕られ、分けの分からない重荷を背負っている。
捨てれば楽になるのだが、物の固執して、それを中々捨てようとしない。こうした物に絡め捕られる人生の中日本刀の幸福はない。 |
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▲枯れ葉を、海まで運んだ谷川の水は、やがて蒸発して、上空に雲海をつくる。
そして、それが雨に姿を変え、また、いつの日か、元の谷川の水に戻って来る。万物は循環の中で、流転している。 |
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| ▲穩(おだ)やかに、にこやかに、奢(おご)らず、悲観せず、毅然(きぜん)として、「今日一日」を一生懸命に生きると、きっと明日は、また、穩やかな一日が訪れるのである。 |
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▲「瑞穂(みずほ)の国」の象徴は、まさに「米」であった。瑞穂のみのる国。それはまさに日本の美の象徴であった。
そして稲穂を祀る、日本には、そうした大自然への感謝があった。 |
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▲静けさの中に静寂があった。心の安住があった。心の安らぐ空間があった。
そして人の心は、そうした佇(たたずま)いに帰属する事を好む。 |
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▲人間の抱える病気は、花や葉のように、数多くの、様々な形、姿を顕わすが、その根は、どれもこれも、感情の乱れ、気疲れによる疲労、体力の衰え、体質の悪さからだった。
心を病む人が、自らで病気を作り出し、やがて病気により、殺されていく。こうした心の在り方を正しく軌道修正すれば、人生は健康で、朗らかで、生き生きと生きられるのである。 |
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▲黎明期の日本列島は、まさに神話の舞台だった。
その神話の舞台は、瀬戸内海、天の安の河原、伊勢神宮、黄泉(よみ)の穴、斐伊川、日御碕神社、稲佐の浜、出雲大社、国見丘、鵜戸神社、ウガヤフキアエズノ命の陵などであった。 |
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▲断食で難行苦行をする釈迦の像。断食は、全身の大掃除であり「みそぎ」である。
釈迦は六年間の断食生活を繰り返し実行して菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開いて仏教を興(おこ)し、イエス・キリストは砂漠で45日間の断食をして宇宙意識を悟り、人々に神の教えを説いて廻(まわ)った。
断食は、人間の霊肉をリフレッシュさせる、一種の「みそぎ」なのである。 |
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▲健康の為に菜食を心掛ける人は多い。ヘルシーだと言うことで、女性の間ではサラダなどの菜食に徹する人が多くなった。
ところが菜食には守らねばならない原則があり、生野菜については夏場に多く摂り、冬場はこれを控えなければならない。当然冬場に生野菜を摂ると、「冷え症」の病因となる。
冬場は、野菜の摂取や大根や人参などの根野菜の煮た物でなければならず、生野菜は厳禁である。 |
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▲日赤看護婦、水盃(みずさかずき)を交わして戦場へ。写真は昭和13年頃の中国戦線の最前線に向かう看護婦たち。
しかし、彼女達は生きて再び日本の土を踏める人は、ほんの僅かであった。
彼女達は勲章を欲しがる、血に飢えた将軍達の生贄(いけにえ)になったのである。 |
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▲智恩院の経蔵。経蔵は大蔵経を納めてある建物で、経堂ともいわれた。
また経蔵は、現代風に言えば、一種のお経を納めたコンピュータのようなもので、この中には、仏陀一代の教説の集成を納めたものであるとも言う。 |
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▲現代人にとって、「庭」とは何だろうか。
平安時代の貴族達は庭園内に池を巡らし、船遊びをする「池泉庭(ちせんてい)」を造った。これは自然を模して造った人工物であるが、明らかにこの庭は「小浄土」であった。
こうした庭が、鎌倉期を経て室町期に入ると、禅的なものが取り入れられ、魂を表現するものへと変わっていく。枯山水(かれさんすい)を模した庭は、禅の代表する庭であり、この庭により魂の潤いを得ようとした。
現代はどうだろうか。「庭園」と一言で言うが、観賞や逍遥などのため、樹木を植え築山ならびに泉池などを設けた庭は、金持だけの所有物になり、庶民には届かぬ遠いものである。
剣豪・山岡鉄舟が禅の大家としてといた「冷暖自知(れいだんじち)」の世界は、現代人から失われつつある。 |