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菜根譚

教訓の人生哲学
 現代人が生きるこの社会を、一般には文明社会とか物質社会と表現されてきた。そして、現代人の向かおうとしているところは、とりもなおさず経済的価値観の追求である。

 経済的価値の追求は、その恩恵に浴する国家では、これまで世界でも例を見ない程の経済成長を成し遂げ、国民一人一人の生活水準は向上し、豊で便利で快適な生活を享受してきた。
 ところが、その反面、それにより失われたものも少なくない。

 脇目をふらず、利益の追求だけをもとめれば、心に余裕が失われることは当然であろう。
 口では愛だの、慈悲(じひ)だのを口走りつつ、実際には他人に対する思いやりは急速に欠如しているのである。潤いをなくし、息苦しい人間社会が出来上がってしまうのである。

 現在社会での、この社会を生きる現代人の根本的な元凶は、ここにあると言ってもよい。
 つまり問題は、「この人生をどう生きるか」である。そして、私たち現代人に求められることは、「人生観を根本的に見直す」ことであろう。同時に発想の転換が必要ではないのか。

 一口に「発想の転換」と言う。
 しかし、これが難しい。
 人間現象界には二進
(にっち)も三進(さっち)もいかないことが起こるからである。八方塞がりが起こるからである。
 これを解決するには、単に「知識」による発想の転換だけでは難しい。知識に加えて、見識が要る。
 物事を見る見識が要る。また、人を看
(み)る明である。

 知識は本来、大脳皮質に張り巡らされた薄っぺらな作用しかしない。この種の物は学校で講義を受けても、あるいは参考書を読むだけでも身に付くものである。
 ところが、人間の信念とか、行動力には及ばない。もっと根本的なものが要る。これに権威が加わらねばならない。この権威こそ、見識である。

 解決策を導く方法として「斯くあるべき」という判断は、その人がこれまで研鑽した体験や経験による。これが則ち、見識である。
 だが、見識だけでも、どうにもならぬ。
 何故なら、見識が高ければ高いほど、一方で低俗な輩
(やから)が存在するからである。
 低俗な輩は理解力に欠ける。理解し得ないから、何でも反対する。消極的に時期尚早などと言う。
 しかし、この「何でも反対」に対しての妨害や阻止に、これを排除するには実践力を身に付けた胆識である。肚
(はら)の据わりである。

 「肚」とは則ち、決断と実行力を加味した「人間の格」ということになる。利害や矛盾に対抗できるのは、妨害者論理から派生する「いつやもん」を抑え込んで実践・実行する決断力である。それを有する人が、肚の据わった人と言うことになる。この肚にこそ、人格がある。

 世の中には人智で解決せず、腕ずくでも解決せず、手の付けようの無いことが度々起こる。そう言う場合に、これを救うのは「人格」である。人格と言う力は不思議なもので、口先の俚諺や方便が出尽くした後、真に力を発揮するのは人生道を全うし、人間学を真摯に学んだ人格がものを言う。練るべきは人格だった。格の違いは、その人の老練さによる。

 さて、洪自誠こう‐じせい/明末代の儒者で洪応明)によって著わされた書物に『菜根譚(さいこんたん)』がある。
 この書物は、儒教の思想を本系とし、老荘・禅学の説を交えた処世哲学書である。

 前集には仕官や保身の道を説き、後集には致仕後における山林閑居の楽しみを説いている。
 そして人生を見直す上で、この上もない助言と励ましを読者に送っている書物でもある。

 『菜根譚』は昔より、卓ぐれた人生哲学の書として、多くの正財界人に愛読されてきた書物である。
 また、人生を真剣に模索する人にも繰り返し読まれてきた。そういう心境に至らせるのは、やはりこの書物が「心の糧(かて)」として愛読されて来たからに他ならない。

 書物の中では古典に入る『菜根譚』だが、こういう時代であるからこそ、混迷を極める時代に生きる現代人は、真摯(しんし)に「心の糧」を模索して「この人生をどう生きるか」を考えてみる必要があるのではあるまいか。

目次一覧

菜根譚-前集
第一章 現象界の動き
一時のこと 精神的貴族 万物流転 粗衣粗食 なすが儘(まま)の精神 捨て去る真理 戒慎の心 譲る心がけ 徳を養うとは 何事も程々と潔(いさぎよ)さが肝心 動中静、静中動 向上に向かわせる方向 浄不浄(じょう‐ふじょう) (おご)りや高ぶりを捨てる (欲望)を超越する 初心に戻る 独善を捨てる 三分を譲る 侮りと畏敬 餓鬼界へ落ちてはならない 不動の心、惑わぬ心 方‐円、厳‐寛 功労と迷惑 感謝や期待を当てにせず 自己宣伝をする者は侵略者や盗賊に同じ 無為自然の儘に生きる ほか

第二章 何によって生きるか
真の理性と感性 温食の無意味 清廉(せいれん)なる人 表面的な業績のみで判断するべきでない 天命の意向 沈黙を守る 真理の大道と私利私欲の道 浄穢不二(じょうえ‐ふじ) 人情の機微を知る 中央に坐する 実体は空 心の軌道修正 現実逃避の愚 身を捨てる初志 有終の美 因果応報 有識者の偽善 事上磨練(じじょう‐まれん)、逆境と順境 (こだ)わらない心の養い方 世俗から解放される ほどほどに、控えめに 晩年の生き方を考える 公平無私な意見を聞く 無能を装う生き方 躓きを見破る四箇条 雨降って、地固まる 俗人の世界に影響されない毅然とした態度 美醜の超越 善行の日向、悪行の日陰 公正と公平な眼 肉体というカラクリ 精神の永遠性 大自然の壮大さ 本物と偽物 汐時を知る ほか

第三章 捨てて、取る
自信喪失と自信過剰の戒め 誠を以って人に接する 因果報応の原則 人格と身なりは無関係 余裕という潤い 野心家の大義名分 忍耐 正々堂々たる生き態 本当の慈しみと思いやりとは 無駄をするな 偏見や我執(頑固一徹の愚) ◎腰を据える 小人の忌毀、君子の責修 欲望と拡散主義 (が)の見苦しさ 虚心で円滑な人、意地で執念深い人 信念を持つ 有終の美 才能を表に出してはならない 遣り過ぎの戒め 心に隙を作るな 追い詰める危険性 本当の愛 人を得ること 求道とは 元凶 選民意識、エリート意識の怖さ 猜疑心の愚 大器晩成 本当の自己との出会い ほか


菜根譚-後集
第一章 総ては天にある
本心を全うする 大自然の慈悲 大自然の教え 精神の謳歌 世の中の楽しみ事 「無」に帰る 石火の光花、蝸牛(かくぎゅう)の世界 今、この一瞬を全力疾走 俗世を捨てて、俗世を離れず 自由自在を得た達人 清貧の暮らし方 穏やかさ 心の持ちかたを変える 兵站部(へいたんぶ)を考える 足るを知る 名声から逃れる奥ゆかしさ 作為(さくい)を捨てる (こ)り過ぎる愚 俗世間から離れる 淡泊と優雅さ 迷いと我欲 美辞の愚 ほか

第二章 人を生かす
心の動揺、心の不動 差別と偏見 俗世の幻 心中、空 易経を読む 人の浅知恵 我なるもの 流転 勝つことより負けないことを学ぶ 心の平安 外の敵より内の敵 天地の道理を楽しむ 栄華の実体 微生物の有様 唯物的主観の愚 まことの空 心を痛める欲 表面と実体 悟迷同根 俗界にこそ悟りが埋もれている 心が満ち足りているとき 塵境(じんきょう)を離れて真境に立つ 不増不滅の法則 大宇宙と小宇宙 (せつ)を守ることで進歩し、拙を守ることで成就する 隠者の交友 ほか

第三章 生きる事は摩擦である
相対界を越え、絶対界へ 何事も元に戻る 静かな心と、ゆとりある心 山篭(やまごも)りの愚 心像化現象 痼疾(こしつ)の丘山(きゅうざん)を須(もち)いん 自然に習う ありの儘 静坐 順境も逆境も同根 自然への遠望 満ち足りるということの愚かさ 愚かな産物 計略に陥らない 人生とはカラクリ舞台である 何事もない最大の幸福 宗教は邪(よこしま)な人間たちの巣窟(そうくつ)である 物事を超越する客観的な観察 減らすことの大切さ 春風の心境 竹林の七賢人に匹敵する境地 安心立命 ほか


菜根譚-後記集
『菜根譚』に思いをよせて
菜根譚は、これを読む人や、また同じ人が繰り返し読んでも、その時々で全く感じ方が違う不思議な書物である。この書物の不思議さに迫ってみた。

小説・随筆コーナー
 小説『旅の衣』は、『志友会報』に連載された、曽川和翁宗家の自伝をベースにして小説化したものである。
 小説と題し、小説化している関係以上、登場人物の名や出来事はフィクションであるが、ではそれが全くのフィクションであるのかというと、実はそうも言い切れないのである。多少脚色し、小説化したことも否めないが、殆ど作り話などではなく、大方が体験された史実に近いことが書かれている。

 いわばある意味でのノン・フィクションであり、それが100%でないにしても、また100%の空想から創り出されたフィクションでもないことであると言うことだ。
 もし、作り話だったら、こうも身につまされ、臨場感のある迫力は、経験者以外には、決して出せるものでないからである。恐らく体験や経験によるものが多いと思われる。

 この物語の舞台は昭和40年代前半から47年当時の、わずか一年足らずのことが書かれている。全共闘の世代を生きた時代背景にあり、何を考え、何を目指していたのか、そのあちらこちらに共通を見出し、ある種の親しみを覚えるのである。

                  
スポーツライター/宮川修明

目次一覧

小説『旅の衣』前編
第一章 会津自現流
臥竜(がりょう) 七度襲って七度敗れる 千代という女 惜別 千代の死 千代の亡霊 道子との出会い ほか

第二章 想い人
傷痕の癒える頃 由紀子とのつき合いはじめ ほか

第三章 教職時代の回想
当時の時代背景 教職課程事始め 教員免許授与式 嗚呼、花の女子高校教諭 私の道は何処にありましょうか 非情な教訓 依願退職 ほか

第四章 困窮の季節
競艇通い 特攻隊の決意 感情の鍛錬 野稽古 恋敵 席替え 人恋初めし始めなり 収監 ある日の追憶 再会 不起訴処分 闘病生活 退院 真剣御試水(しんけん‐おためしみず) 看板泥棒 開眼 (ふき)の薹(とう) 間合い 通い妻 気を付け!休め! 肉体仕事 綱渡りの果てに ほか

第五章 同棲時代
奇妙な同棲 スナック乱闘事件 ほか

第六章 宿命の因子
太子流平(兵)法と八門遁甲 二人の銀座 テレビ出演 <不吉な予感 黄巾賊(こうきんぞく)の乱 八門先生の遺産 頼みごと 尼僧慧春(にそう‐えしゅん) 秘伝・合気霊術 ロータリークラブでの講話 忍ぶ恋 人接、春風の如し ほか

第七章 対決
対決前夜 画策 藤四郎 観月会 旗師となる 韓国からの密航者 夜戦でのシミュレーション 対決 われはフクロウ 無一物、雑踏離れて蝉時雨 ほか


小説『旅の衣』後編
第八章 望郷
思いは遠く、ふるさとの海へ 暗愚の日々、そして平戸へ 遊び仲間 西瓜泥棒 武術之事稽古始め 岩崎本家の人々 久美子の夏休み 父の帰省 海坊主 裸馬に乗る 玩具 二年目の正月 別れの日 墓参り 遠い日の漂泊 左舷前方異常なし ほか

第九章 山修行
山行き 不思議な光の覚醒・勾玉発光体 沢蟹 夜坐(やざ) 日拝 徒歩禅 風倒木との戦い ほか

第十章 信奉者
志を掲げた男 野望 由紀子の稽古始め 紙一重 へら鮒釣り ほか

第十一章 演武会
寝過ごし 演武会準備委員会 ある老婆の死 柔道一代 演武会当日 嬉野温泉旅行 ほか

第十二章 それぞれの訣れ
注連縄造り 由紀子との別れ 両眼失明傷害事件 病葉の季節 ある新入部員 真理子 運動資金調達作戦 合図を示せ、合図を 追跡者 翳り 斬り覚えよ 晩秋の宴 主導権を取る 別れの朝 不徳な男 師との訣れほか

第十三章 汝、目に誑かされることなかれ
浄穢不二 墨家集団が唱えた「兼愛説」は醜美一如 世情俗事に囚われず 旅の衣をととのえよ 新たな旅立ち 解説


泥酔と流転の俳人・種田山頭火
第一章 移り変わり
流転…歳月人を待たず 無一文 山頭火の人間構造 酔いどれ人生の幕開け 懐疑と絶望 放蕩無頼の深淵の果てに 無為徒食(むい‐としょく) 種田家の没落 離婚、そして再会 懐疑と自殺願望 参禅 奇しき巡り合わせ 遠き道 寂寥(せきりょう) 行乞漂泊の旅 うしろ姿のしぐれてゆくか 孤寒

第二章 行乞
下座行 山行水行 ホイトウ 蚤と虱の日々 月を観る 弧影 行乞記(ぎょうこつき) 喜捨(きしゃ)一杯 今日一日 三八九 きのふけふのぐうたら句 去ろう去ろう川棚(かわたな)を去ろう 其中庵(ごちゅうあん) 結庵なる 一鉢千家飯 歓迎葷酒入庵室 漂泊の思ひやまず 再び苦悶(くもん)の日々 天殺さずして 風来居 三毒の煩悩(ぼんのう)、未だ消えず 放哉(ほうさい)の墓参 句会柿の木会 日記の灰のこれだけか 歩き中の人生の白眉

第三章 うしろ姿が時雨れていくか
禁断の書と山頭火 行乞三昧 山川草木四季風韻、皆仏そして孤独 陶酔と酩酊 自戒 色即是空、空即是色 雲の如く、水の如く けじめを大切にする 釈迦牟尼の戒め みな仏祖と成りし 魂との格闘 出征兵士たち 暗躍(あんやく)の年、昭和七年を思う 吹いても吹いても飴が売れない鮮人の笛かよ 結庵成就の地を求めて 寝床 東上行乞 山頭火の雑草観 水を味わう
嘆きや悲しみ、そして怒りは現世につきものである。
 そして、人間の本性を見据えれば、それは「恥」に満ち、「悩み」に満ちている。それは誰でも自覚できることであろう。

 自分がいくら正しいと言い張って、昂然(こうぜん)と頭を上げるような愚かしさと甘さがあれば、忽(たちまち)ち容赦(ようしゃ)なく反体勢側から袋叩きにされるものである。

 ここに現世に生きる難しさがある。
 人間と言う生き物が一筋縄でいかない難しさがある。

 そして現世は、生きるに難しいばかりでなく、自分が若い時はに持っていた才能や素質も、齢(とし)を取ればなくなることを覚悟しなければならないのである。

 人は喜怒哀楽の中で生活をしている。同時にそれは苦しみでもある。
 苦しみには「四苦」が存在する。人生の四種の苦痛で、生・老・病・死である。
 それに併せて「八苦」がある。
 つまり愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたものが加わる。

 人生道では、これをどう乗り越えるか、常に問われるのである。

朝鮮人参はウコギ科の多年草である。強壮薬として古来有名である。それは肉体的な若返り効果が、あると信じられているからだ。

 しかし、加齢と共に肉体的な老化は、生物である以上、避けられない事である。

 若い時は「老成」して見えるのも、一つの魅力であるかも知れないが、ある程度年齢が嵩むと、こうした老成は人から敬遠されるものとなる。

 しかし、肉体的に若さを取り戻しても、清新に若さを失っていれば、心は病み、それは老化へと一層の拍車を掛ける。

 私たち現代人は、単に肉体的な、表皮的な若さを追い掛けるのではなく、心の若さを失うべきではないのである。

人は生まれ、そしていつの日か、必ず死を迎え、肉体は滅ぶ。
 しかし、霊魂は残り、その営みは、また繰り替えされる。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という「赤い花」がある。
 この花は、よく歌にも歌われる。それは、根にアルカロイドの毒性の性質を持ちながら、四華の一つでであり、見る者の心を柔軟にするからである。

人間は、生きながらにして、「死の影」に怯え、生に執着し、その充足のみに執着する人の終焉(しゅうえん)は、また、威迫に怯える人生である。

 しかし、死と同化した時、人が心に抱く不安は取り除かれる。
 心に安住を得る。

驚くべき秘術や秘儀の修法の世界を説いたのが、密教である。
 そして「阿字観(あじかん)」は、独特の修法の世界を形作っている。

胴や胸を防護する武具を「鎧兜(よろいかぶと)」という。
 平安中期より騎射戦が中心になると、短甲・挂甲に代って堅牢性と伸縮性のある鎧が発達した。

 『日本霊異記』にも、この戦いの道具は出て来る。また『古事記』中にも記載されている。



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