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合気手裏剣術 1

合気手裏剣術





西郷派大東流の房付き鍛練用手裏剣



●《武芸十八般》と合気手裏剣術

 《武芸十八般》の謂(い)う、根本的な戦闘思想は、決して“勝つこと”ではなく、「生き残ること」を根底においている。
 世の勝負のうちで、勝ちとは“一時的な勝ち”であり、これは相対的な次元のものである。
 一方、絶対的な次元のものがある。それは一時の勝ちにこだわらず、生涯を通じて「生き残ること」を修行するのが、本来の戦闘思想であった。その為に、日本武芸が興
(おこ)り、これは「死なずに生きる」と謂(い)うものであった。殺されずに、再生するというのが、武技の根本にあった。そして、これを古人は「負けない境地」と尊んだのである。

 人間は死ねば、その時点で一切が御破算
(ごはさん)になる。殺されても同じだ。あるいは自分で命を絶ち、自決しても終りになる。
 “死人に口無し”であり、寿命の尽きていないのに、“死に急ぎ”は何の抗弁
(こうべん)も出来なくなる。死者は、好き勝手に罵詈雑言(ばり‐ぞうごん)が叩かれ、好きなように悪党にされ、悪態の限り揶揄(やゆ)される。死ねばそれだけだからだ。
 武術の『武』は、“戈
(ほこ)を止める”などという。
 戈を止める以上、わが身にその害が及ばぬようにしなければならない。害を躱し、禍を躱すのである。
 それが出来てこそ、武は、戈を止め、躱したと言える。わが身を危険から回避したと言える。

 この世で、戈とか、刃
(やいば)というのは何も、肉の眼で見えるものだけでない。闇から飛来するものもある。
 投擲武器などがそれであり、不意を突かれた場合、そうした物が眼の視覚から外れて、まさに自分の死角を利用されて飛んで来ることがある。
 これらを躱すか否かで、また死なずに生きる試煉が課せられる。
 人生に試煉はつきものである。
 絶えず、何者からか、自身は試されているのである。
 傲慢になるまい。
 傲慢になれば、奢ってそれで終わりである。
 まさに“死ねばお仕舞いよ”を地で行くことになる。

 わが人生を、その程度の“お仕舞い”で終わらせないためには、絶えず研究と修練が必要であろう。
 武芸十八般とは、そうした試煉の武芸の術を磨くことにある。
 磨いて研ぎ澄まし、肉の眼に頼らない境地を得てこそ、「死なずに生きる」という願いは果たされる。

 不利な状況にある時にこそ、生き残るべきであり、華々しく死ぬことではない。順風満帆
(じゅんぷう‐まんぱん)で、勢力の有を誇っている時は、同調者や賛同者も多く、みな異口同音にして、勢力家の有を讃(たた)えるだろう。
 ところが、人は落ち目になると、こうした同調者や賛同者は去り、やがて悪態の揶揄が出現することになる。
 だからこそ、生き残るべきであり、人生の基本は、過去を決済すると同時に、今を「再生」することである。今を再生することこそ、生き残りの原点であり、ここに「負けない境地」の象徴性を暗示するのである。

 人間の生と死は、命ある限り「最後まで燃焼する」と言うことであって、安易に死に急ぎしてはならない。また、簡単に殺されてもならない。腕を失い、脚を切断され、目を抉
(えぐ)られても、それでも生き残るべきであろう。そして再生する秋(とき)を窺(うかが)うのである。これこそが、日本武芸の教える根本原理である。武技の行動原理であろう。

 だからこそ、ここに「術」が必要になり、術をもって、生き残りを賭
(か)けて戦うのである。殺されずに生き残ってこそ、再生は果たされるのであり、殺されれば、“それまで”だ。
 日本武芸の中には、「術」をもって、生き残った話が山ほど堆積している。「術」で命を繋
(つな)ぐ道が説かれている。命を繋がずして、日本武芸の意味はないだろう。

 命を繋ぐ話の中で、特に有名なのが、宮本武蔵と、鎖鎌の達人・宍戸梅軒
(ししど‐ばいけん)との“果たし合い”である。この果たし合いにおいて、剣術の秘中の秘である『武蔵流手裏剣術』が生まれる。しかし、武蔵は梅軒の巧妙な鎖鎌の術に掛かり、実に危なかったのである。武蔵が、わが小刀を手裏剣に見た立てて、梅軒に打たなかったら、あっさり梅軒に敗れ、殺されていたであろう。
 だが、この時、武蔵は「今を再生した」のである。

 武蔵の考案した手裏剣術は、小刀を手裏剣に打って、敵の戦力を失わせ、太刀で斬ると言う秘法であった。
 この秘法は、秘密裏に伝承され、「飛竜剣」とは「五輪砕
(ごりん‐くだき)」という名で残されている。この秘法は、敵に対し、小刀を顔面や胸元に、直打法で打ち、敵が一瞬怯(ひる)んだ隙(すき)に斬り付けると言うものである。そして武蔵は、「敵の首を取るを手裏剣にて勝つべきなり」としている。また最後に「一切他言いたすまじく」と結んでいる。

 武蔵の編み出した手裏剣術は、門外不出で、秘中の秘とされたものであった。この秘法は、左手の太刀先を敵の目に突き付けて、この剣尖
(けんさき)の向かって右頭上に構えた短刀を一気に打ち込む術である。打つ瞬間まで打剣の態を敵に気付かれぬように気を配り、あくまで右手の短刀を振り上げて防ぐような構えを見せるのである。
 これこそ、巧妙な心理戦であり、本来手裏剣は太刀の術と倶
(とも)に、伝えられたものである。今日のように、手裏剣だけを単独に伝えると言うものではなかった、手裏剣は剣術の奥儀であり、本来は伝書などに記されず、「口伝」によって伝えられたものである。

 さて、古来より日本武芸は、その用いる武器とともに発展し、発達して来た。そして武器と武芸は密接な関係があった。
 武芸は、武器の種類をもって《武芸十八般》といい、武芸と武器は両輪の軸として、切ても切れない関係にあった。昨今は無手による徒手空拳武道が大衆庶民層の巷
(ちまた)で流行しているが、無手の戦闘思想は、そもそも武器の使用から始まり、その修練を極めた結果、無手でも戦えるとしたのが「本来の無手」の考え方であり、日本武術に於いては、最初から一切の武器を使わず、無手格闘と言うのは存在しなかった。

手裏剣乱打の構え

 剣を極め尽くした後に学ぶ無刀之位(むとうのくらい)は、その最初が剣なき後の「格闘組打」に始まる。格闘組打は、矢尽き、剣折れた後の、どうしても素手で戦わねばならない白兵戦における最後の手段であり、ここに素手で戦う「格闘組打」が展開されるのである。

 格闘組打が先で、その後に剣技や弓技が起るのではない。戦いの手順として、敵味方分かれた矢の応酬や、鉄砲の弾丸が、双方の陣から開戦とともに飛び交い、それが出尽くしたところで、次は長槍隊の出撃となる。
 最初は間合の遠いものから始まり、戦いの展開が近付いて行くに従い、双方の間合は縮められ、騎馬武者同士の騎馬戦、徒武者
(かちむしゃ)同士の白兵戦、そして最後は、矢が尽き、刀が折れ、ここで始めて無手の格闘組打が始まる。最初に、武器ありて、次に無手の格闘組だ。この逆はないのである。

 しかし、昨今流行している格闘術の多くは、武器の研究やその操法は二の次であり、最初から無手によって格闘を展開する。したがって武器を知らない者は、武器の脅威に怯
(おび)え、そして敗北する。この、敗北とは、自らの命を失う事である。風雪に鍛えた鉄拳でも、自動小銃を持った敵には、手も足もでないと言う実情がこれを如実に物語っている。

 実戦は、リングや畳や板張りの上とは全く異なるという事である。命の遣
(や)り取りは、試合に臨み、試合展開の駆け引きをして、試合に勝機を追い求めると云った、西洋流の思想とは全く異なるのである。試合に勝つ事と、命を遣り取りして、最後まで生き残ると云うことは、最初からその目指す次元が異なっているのである。

 命の遣り取りは、まず、「己の死」を覚悟しなければならない。死を覚悟するとは、「命を捨てる」ことである。命を捨てることで、死生観を超えた「悟り」に行き着き、ここに生や死とは関係のない悟りの境地がある。生を逐
(お)う者はやがて死に、死を覚悟する者は、生き残る事を意味する、死生観を乗り越えた哲学が背景にあるのである。
 人は死を逃れようとすれば、最後は死に追い詰められる。しかし最初から死を覚悟していれば、鬼神
(きしん)は遠ざかり、死は遠ざかるものなのである。人間の死生観には、こうした不思議な働きがある。

 では、この死生観は何処から派生するか。
 それは人間が武器を手にし、武器によって戦いの気勢を起こすと共に、この武器から防禦
(ぼうぎょ)の技術を企てる時点から、人間の死生観は始まるのである。死を逃れようと考えて防禦した場合、最終的には、必ず防禦に敗れて死を招く。

 しかし、死生観を超越し、武器をよく研究すれば、死は決して最後のものではない。生きるか死ぬか、それは偏
(ひとえ)に死生観を超越することにかかっている。死を超越するには、武器の研究が必要であろう。武器の研究を怠って、肉体を苛め、無手の研究のみで、武技を展開することは非常に危険なことである。

摩利支天像

 仏の世界でも、平和な仏達や神々だけでは成り立たない事を示している。
 仏の慈悲の裏には、必ず、悪を戒める武神がいて、一等上の如来達を守護している。それは不動明王
(ふどうみょうおう)を見れば明白となり、毘沙門天(びしゃもんてん)や摩利支天(まりしてん)を見れば明白となる。彼等は仏でありながら、あるいは武神でありながら、武器を手にしている。仏の世界でも、素手だけではどうにもならない事を、これ等の鎧(よろい)をまとった仏達は顕わしているのだ。

 平和な時代、武器を持って戦う事は「野蛮」のように映る。
 しかし野蛮であり、血みどろの泥臭いところに、平和と武器は表裏意一体の関係を為
(な)している事が分かる。

 平和とは、一方的に「待っているだけ」では、決して訪れる事はない。こちらから「平和の門」を叩き、血を流しながら、一つ一つ、こじ開けて行かなければならない宿命が、人間にはあるのである。無手をもって平和とするのは、実は本当の平和を知らない者が考える早計な思考であり、真の平和に到達する為には、血を流し、苦労を重ね、武器の奥儀を研究する事である。武器の研究にこそ、武術の真髄
(しんずい)は隠されているのである。

 日本では古来より《武芸十八般》と云われたものに、「弓術、馬術、槍術、剣術、抜刀術、短刀術、手裏剣術、薙刀術、砲術、柔術、捕手術、棒術、袖搦
(そでがらみの意味を持ち、「もじり」を顕わす)術、十手術、含針術、鎖鎌術、水泳術、隠形おんぎょう/「しのび」といい、隠形の、呪術によって、身を隠す事を指し、これを隠行法と言うが、真言の行者が、自己の姿を隠して身を守るとされる呪法で、この場合、摩利支天(まりしてん)の印を結ぶ)術」があり、これを武芸十八般と称した。総べて、各々は武器と密接な関係を持っている。

 また中国における《武芸十八般》は、日本のものとは異なる。
 ちなみに中国における《武芸十八般》は、第一が棒術、第二が槍術、第三が刀法
(青龍刀などの打ち物の反りのある片手で用いる柄の短い刀を指す)、第四が剣法(両刃の直剣)、第五が斧(おの)、第六が鉞(まさかり)、第七が矛(ほこ)、第八が楯(たて)、第九が熊手(くまて)、第十が刺叉(さすまた)、第十一が鏈(くさりがま)(鎖鎌の意)、第十二が投げ鉾(銛あるいは、日本で言う「手裏剣」をさす)、第十三が鞭(てつむち)、第十四が簡(じんのおたて)、第十五が鎚(なげつち)、第十六が銃(つつ)、第十七が弓、第十八が弩(いしゆみ)であり、これらを総称して、中国では《武芸十八般》という。日本のものと異なるので、武術研究にはこれらの分類をすることが大事である。



●手裏剣打法

 さて、ここでは《武芸十八般》のうちの一つである伝統武術の「手裏剣術」について紹介しよう。
 手裏剣は、一般には「秘武器」として知られている。人の眼に触れず、外表皮からでは、その存在を特定することが出来ないからだ。

 また、手裏剣の種類には様々なものがあり、「打ち方」
(撃ち方)と「間合」(敵のいる距離)の関係が手裏剣打法の奥儀とされている。更に、「打ち方」と「間合」の関係が、異なる打法を編み出した。
 手裏剣打法に用いる手裏剣の種類は、「棒手裏剣」と云われるもので、この手裏剣の直打法には二種類の「打ち方」がある。

 第一の打ち方は直打法であり、敵との間合が一間
(いっけん)(約2〜3m)くらいの至近距離の場合に適し、第二の打ち方は一回転打法であり、三間(さんげん)から四間(約5〜7m)の中距離に適する打法である。
 第一の直打法と、第二の一回転打法との大きな違いは、まず握り方に於いてであり、一回転打法の場合は、手裏剣の尖先
(きっさき)を逆にして、手の裡(うち)に納めて握るという事である。

  構えや打ち方は、直打法と同じであり、一回転打法の場合でも、右利きの場合は右側頭部上から「本打ち」で打ち、左利きの場合は左側頭部上より「本打ち」で打つ。打ち方と、その飛び方は図に示す通りである。

一回転打法の図

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 一回転打法は、手離れの瞬間に、手裏剣の尖先が下を向いた儘(まま)、斜に立って飛行するが、その後、回転しながら立ち上がり、標的目標の寸前で一回転して、尖先は標的媒体に突き刺さる。この打法で手裏剣を打ち込むと、標的媒体までの回転は一回転半(540度)であり、手離れの瞬間から標的媒体に突き刺さる迄の間に、手裏剣の尖先は一回転以上して打ち込まれる事が分かる。

 手裏剣の回転が始まるのは、全距離の三分の一くらいに達してからであり、手離れから手裏剣が斜に立つまでの飛行距離は、約二間程度である。
 この打ち方をもってすれば、敵との間合が六間から七間であっても可能であり、一間は普通六尺であり、メートル法に直すと約1.818mであるから、六間と云えば約10.908mであり、七間と云えば12.726mとなる。

 但し、六間から七間の飛行距離を打ち込む場合、小型の手裏剣
(小型手裏剣は寸法が短く、重量が軽い為、風に流されたりして標的から反れ、あるいは標的に届く前に落下してしまう)はこれに適さず、大型の手裏剣でなければ正確に的を打ち抜く事は出来ない。そこで西郷派大東流手裏剣術では、大型の三稜(さんりょう)手裏剣(尖先部が三つの稜(かど)をもつ手裏剣のことで、尖先部断面が三角)か、四稜(よんりょう)手裏剣(尖先部が四つの稜をもつ手裏剣で、尖先断面部が四角)を用いる。

 また手裏剣は、標的媒体に刺さるだけでは本来の目的を果たす事は出来ず、尖先部が鋭利な刃物のように「切れる」というのが肝心であり、肉を断ち、骨を割
(さ)くという物でなければならない。
 一般に手裏剣術で用いられる手裏剣は、刃物のように研ぎの入ったものは非常に少なく、多くは断面が円錐形の筒状の物が多いが、わが西郷派大東流では三稜もしくは四稜の物を用い、標的媒体に突き刺さった瞬間に表皮を切り裂いて、さらに標的の心臓部へと侵入するという威力を伴うものを使用する。これが武術の武器を持って戦う、戦闘思想である。

 手裏剣は、標的の表皮や、肉の部分に突き刺さると言うものでは、本来の目的を達成する事は出来ない。中心部深くに食い込み、肉を裂き、骨を打ち砕き、心臓部に達して、完全な致命傷あるいは殺すことのできる、「一打必殺」のものでなければならない。実戦では、人体の表皮に刺さると言うものでは役には立たないのである。その為に、飛距離の長い「大手裏剣」なるものが必要になって来る。

大型四稜手裏剣の全貌

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 三稜手裏剣ならびに四稜手裏剣の尖先部断面は、三角もしくは四角であり、その稜(かど)は鋭利な刃物のように標的媒体に突き刺さった瞬間、鋭く切り裂くようになっている。手裏剣の鍛練は、手裏剣鍛冶が鍛練したものを用い、その稜は焼き入れがしてあり、切り裂く鋼(はがね)となっている。この鋼の「焼刃」が、肉を裂き、骨を砕くのである。

 次に命中率であるが、命中率を高め、飛行距離を延ばすものとしての工夫は、大きく分けて二つある。
 その一つは、棒手裏剣の重量を増やし、若干大型にする事である。また、後の二つは手裏剣の剣尾
(けんび)に、飛行機の方向舵(ほうこうだ)のような細工をして、標的媒体に正確な方向性をもって命中させる事である。その方法として、「房」を付けたり、あるいは「馬の尻尾」を剣尾に部分の孔に付けたり、巻いたりして、命中率を高めた。こうした手裏剣に工夫を凝らした流派に、柳生流などの流派があるが、十字手裏剣などは、柳生流の代表的な手裏剣である。

剣尾の孔に房紐(ふさひも)を通し、「房」を付けた大型四稜手裏剣。房は方向舵の役割を果たし、命中率をを高める。

 手裏剣の重量を増やし、やや大型にすると言うのは携帯には不便であるが、一打必殺の威力を秘める大型手裏剣は、咄嗟(とっさ)の有事の場合の、自分を護る大きな力となる。手裏剣は稽古を積んで「練る」ことであり、その真髄は「一打必殺」にある。数少ない手裏剣をもって、一打必殺の気魄(きはく)が必要である。標的を必ず打ち抜くという、自信である。この自信は、日夜修練を重ねた賜物(たまもの)としての派生である。



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