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内弟子問答集 5

問答 15
内弟子としての稽古事と、物事の学び方の態度について教えて下さい。

 昨今は「武術」や「武道」を標榜(ひょうぼう)していても、その接し方は、極めてスポーツ的であり、例えばスポーツ愛好会のように、自分の都合のよい時間に参加し、自分本意のプランで学び、これまで古人が研鑽(けんさん)して来た「修行」という意識は薄れてきているようである。

 学びの目的意識は、かつてに比べて低いものになり、「趣味」の範囲を出る事なく、愛好者の立場で学ぶ者が多くなった。したがって趣味や愛好者の範囲を一歩も出るものではなく、その範囲内において、ゲームを楽しむといったスポーツ感覚のものが流行している。

 しかし武術で云う「真正」とは、こうした趣味や愛好者の次元を遥かに超越した、「修行」という次元が伴わない限り、成就する事は出来ず、興味から導かれる趣味や愛好者の立場ではどうにもならない事がある。それは「修行」の持つ、厳しさとの背中合わせの世界であるからだ。
 「修行」ならびに「精進」の世界は、スポーツ武道や芸能のそれとは異なる。したがって、そこには「作法」が存在するが、作法が厳格であればある程、その修行は真物
(ほんもの)に近付く事が出来る。

 修行の世界では、まず、師匠が後進の弟子を選択する場合、目的意識がはっきりしている者を選ぶ。また一方、弟子も師匠を選ぶ場合、目的意識とその掲げる大旆
たいはい/旗印とする理想)によって選ぶであろうが、師匠自身が8時間労働以上のサラリーマンなどの職業を持ち、その片手間に指導をすると言う時間制のものでは、後進の目的意識も希薄になる。修行は24時間、常在戦場で、緊張の連続で、ようやく精進できるものであり、成就できるものである。

 したがって内弟子は、四六時中、師匠と共にあり、寝食を共にしてこそ、厳しい、緊張した修行が可能になるのであって、双方が都合のいい時間をやり繰
(く)りして、これを趣味や愛好者のレベルで留めていては、結局進歩がない。
 また、道としての命脈も断たれるであろう。

 趣味や愛好の立場で物事を学ぶと、その態度も歴然と違いが生じ、物事の考え方も、目的意識が希薄になり、根底に掲げていなければならない大旆すら身窄
(みすぼ)らしいものになるだろう。外見のみならず、その裡側(うちがわ)まで身窄らしくなって、ついには理想から遠く離れ、掲げる大旆は貧弱になる。

 こういう愚を犯さない為には、厳格な目で師を選ぶと云う態度を貫くと同時に、己の裡
(うち)には、「切実」かつ「純真」な心構えが必要であろう。そして「内弟子」とは、趣味や愛好の領域を逸脱して、真剣に「修行」と「精進」を模索する一種のスペシャリストでなければならない。
 また、ここが趣味と愛好のレベルで、武道などに取り組む人種と、一味違う厳しさを持っていなければならないのである。
 そしてその厳しさは、「起居振る舞い」に顕われる。そこで尚道館では、次ぎのような起居振る舞いを義務付けている。

尚道館での起居振る舞いと態度


1.入室退出の心得

 入室の際はドアや障子越しに、あるいは襖(ふすま)越しに、必ず声を掛けなければならない。そして応答を得て入室し、また入室後、退(さが)る際は、やはり声を掛けて退らなければならない。また、入退室の度に正坐(せいざ)し一礼するのが作法である。

 師に近付く時は、三歩以内になれば、そこから坐法動作で膝行
(しつこう)で進み、用件が済んで退る場合は一礼して、三歩以内を膝退(しったい)で退り、ドア、障子、襖の開け閉めは静に行う。


2.「摺り足」と「一畳四歩」の教え

 和室にての畳の縁(へり)は、絶対に踏んではならない。
 古来より「畳の縁は絶対に踏んではならない」と教えられて来た。しかし、現在では進歩的な礼法家から「根拠不明な無意味な作法」と酷評が下されるようになった。
 そして「此処
(畳の縁)は大いに踏んで宜しい」などと無責任な作法論が飛び出している。

 しかし、古人の説いた「畳の縁を絶対に踏んではならない」というのは、紛
(まぎ)れもなく正しい答えである。そればまず、畳と縁には段差がある。これが喩(たと)え1mmか、2mmだとしても段差がある事には変わりない。武門の作法の足運びは、能楽(のうがく)と同じように「摺(す)り足」である。

 この摺り足で、畳の縁を踏み付けた場合、果たして転ばずに、引っ掛からずに、段差の厚みを足の裏に感ずることなく、摺り足で足運びができるだろうか。
 また、物を持ち運んでいる場合など、不用意に歩行して、縁の部分を摺り足で無事に通過する事ができるだろうか。

 これを考えてみただけでも、「畳の縁を絶対に踏んではならない」という古人の教えは的
(まと)を得ている。古人は柔術を稽古する時、本来、和室にはない畳の縁を外した「藺草畳(いぐさだたみ)」を用いた。これは以上のような理由によるものである。
 段差があれば、ある程度注意していても、縁に差し掛かった処で、足の裏には何等かの小さな突っ掛かりと衝撃を受ける。この衝撃は、必ず粗相
(そそう)となって跳ね返ってくることは必定である。だから、「畳の縁は絶対に踏んではならない」のである。

 畳の上の歩き方には、「一畳四歩」の教えがあり、これを実行すれば、自分の歩幅がどれくらいか検討して、その歩幅を「一畳四歩」に置き換える事が出来、畳の縁には架
(か)からないで歩く事が出来る。
 「畳の縁を絶対に踏んではならない」という古人の教えは、実は、此処に武術の足運びの得意を表す極意が隠されていて、これを知る者と、知らない者が実際に太刀合った時、知らぬ方が敗れたのである。

 「畳の縁を踏んでも構わぬ」とは、何も、お茶の世界の事だけではない。この言葉の裏に隠れた極意は、「摺り足」とともに、「一畳四歩」を教えを説いていたのである。



3.他人の前を通過する時の作法

 他人の前を通過する時は、その人が顔見知りでなく、赤の他人でも、「一礼する」のが礼儀である。そして腰を屈(かが)め、その前は、足早に通過するのが肝心である。
 昨今は、こうした時の礼儀を知らない者が多くなり、老若男女を問わず、不作法きわまりない人間が多くなった。背広にネクタイを締め、いっぱしの一流商社のようなホワイトカラー族を気取っていても、こういう手合いに限り、通過する時の「一礼の作法」は知らないようだ。

 彼等は善良な市民を気取り、市民生活のルールを守っているように見えても、その実は、人目の憚らぬ処では、例えば、車の運転にしても、抜け道として侵入禁止の細い路地を通過したり、携帯電話を運転しながら掛けていると云う手合いであり、子供でも知っているようなルール違反を、こうした手合いの大人が、平然とやらかしているから呆れる限りである。

 この程度のマナーで世渡りしているのであるから、当然、他人の前を通過する時は、他人の持ち物に接触したり、悪質な場合は、他人の持ち物の上を跨
(また)いだり、踏み付けたりといった不躾(ぶしつけ)をやらかすのである。

 現代人は「跨ぐ」という事について無感覚になっている。また昨今では、家庭でも親が子供に厳しく躾をしないから、例えば母親が、新聞を読みながら父親の寝そべっている父親の上を跨ぎ、それを見て、子供も父親の上を跨ぐと云うような事が平気で行われる時代であり、ここに家長崩壊の現実がある。

 更に、絶対に跨いではならないものに「刀剣」ならびに、それに附随する武器・武具がある。特に刀剣は、魂の拠(よ)り所であり、これは単に人間を殺傷する道具ではなかった。
 刀は、その鍛練の儀式から見ても、西洋で云う、ナイフ製造のそれとは異なる事は明白である。刀匠は斎戒沐浴
(さいかいもくよく)をし、斉舎(さいしゃ)を作って注連縄(しめなわ)を巡らして、現世とは異なる結界(けっかい)を作り、「不浄のもの入るべからず」の旨表示(むねひょうじ)をし、一心不乱の気魄(きはく)でに鍛冶(かじ)を行うのである。

 「跨ぐな」という教えの中には、何も武士の刀だけではなかった。百姓の持つ、鍬
(くわ)や鋤(すき)や鎌なども同じであり、豊穣祭ほうじょうさい/五穀豊穣を祝う祭り)などの「収穫の喜び」は天の恵みと、その耕作によって齎された農作物への感謝を、こうした道具に顕(あら)わす神具の一種であり、これにも魂が宿っており、大工の建築物を作り出す大工道具もこれと同じであり、起工式や棟上(むねあげ)式にも神事の作法が行われ、やはり此処には何等かの魂の働きが行われている事を顕わしている。
 日本では、こうした、単に、道具と思われるものにも敬虔
(けいけん)な意識をもって、大自然と共にそれを敬(うやま)い、事に当って来たのである。

 板前が自分の包丁を大事にするが如く、学者が自分の研究ノートを大事にするが如く、「大事にする物」を跨ぐと言うのは、それが例え不注意であったとしても、人間として卑劣な行為であり、これに非に気付いたら、直ちに「お詫び」すると同時に、自分の非を深く反省しなければならない。

 礼と言うのは、他律的な法令や規則ではない。人間としての、ごく自然な感覚と意識から出て来る態度であり、この態度こそ、「礼」の、「礼」たる所以
(ゆえん)であり、人間として行うべき道の在(あ)り方を教えているのである。

 つまり、「畳の縁は絶対に踏んではならない」と教えは、実は、「物を跨いではならない」という事にも繋がり、同時にこれを知らなければ「一畳四歩」の教えも知らないから、礼法の無知に繋がる事は愚か、吾
(わ)が身一身も守る事が出来ず、狂人の刃(やいば)に傷つけられたり斃(たお)れたりするのである。


4.自分の非は即座に認め、非を認めたら直ちに詫びよ

 尚道館の内弟子の募集評価として、「○○道○段」などの紙切れは全く問題にしない。
 何処で、誰について、何を学び、何を練習したかと云う事は問題ではなく、自分が人間として、どれ程「礼儀を知っているか」ということだけを問題にしているのである。

 「物を跨
(また)いではならない」という教えも、昨今では軽く見られ、試合場や、他武道と混合練習になった体育館では、「○○道○段」と名乗り、その段位の高きを傲慢(ごうまん)に自慢する輩(やから)が、無礼にも、他人の木刀や竹刀の上を跨ぎ、あるいは踏み付けても、詫びの一つも云わず、また踏まれた方も、これに対して抗議する事なく、こうした手合いが「○○道○段」と名乗っているのだから、「底」は見えていると云うべきであろう。
 所詮、この程度の人間が取得する段位など、高が知れているのである。
 だからこそ尚道館では、「○○道○段」という肩書きは、端
(はな)から相手にしないのである。

 人間の価値は、いつ、何処で、誰から学んだか、どんな練習を行ったかと云う過去の経歴は、殆ど関係がなく、「今を精一杯に生きる」という、「今」と云う瞬間を考えた場合、こうした物は邪魔になる。こうした肩書きにこだわる人間は、心の裡側
(うちがわ)に備わっていなければならない「魂」が腑抜けであるから、こうした物を、自分の評価の前面に出すのであって、「弱い犬ほどよく吠える」の例え通り、自分の抜けてる部分を、肩書きで誤魔化しているに過ぎないのである。

 そして「弱い犬ほどよく吠える」だけではなく、「弱い犬ほど、言い訳がましくて、素直に非を認めることが出来ない」のである。
 それはその人間が「能力の乏しい態
(さま)」をよく顕わしているのである。

 人間の修行と精進の価値は、素直に、どれだけ早く非を認め、それに深い反省を抱いて、同じ過
(あやま)ちを二度繰り返すか否かに掛かっているのである。
 言い訳をしたり、自分を弁明・弁護したり、自分だけではないと言う、捨て台詞
(せりふ)を吐くような人間は、それだけ「人間の底」が浅く、中身のない人間である。武道で「○○道○段」を表面に出す人間も、この種の「底」の知れた人間であり、したがって尚道館では、こうした種類の人間を全く評価しないのである。

 そして人間の過失として最も大きな罪は、「過ちを改めざる、これを過ちという」と、『論語衛霊公』にある通り、過失を犯した事に気づきながら、それを改めようとしない事こそ、「真の過失」であると云うことだ。


問答 16
礼儀作法について、尚道館での考え方は、どのようなものでしょうか。

 まず、尚道館では次の五つの事を指導している。

1.「目立たない」と言う態度
 目立たないと言う態度は、武術修行の基本である。
 昨今は、競技武道や格闘技が観戦スポーツとして持て囃
(はや)され、その勝者は英雄視されるようになったが、武術で云う「目立たない」ということからすれば、既に「武」の意味を失い、芸能タレント同様の扱いを受けている。愚かしい限りであるが、その愚かさの特徴として、英雄視されて有頂天に舞い上がった人間は、言動や動作、服装、髪型(特に男女を問わず茶髪が多い)、態度、生活振りが派手で横着に成り下がるという現実がある。これに誰一人として、免れた者は居ない。

 武門の礼法では、こうした手合いを「ことごとし」
【註】事事しいことで動きの中に「水走り」がない雑な動き)として評価は低く、嫌われる対象となった。また、英雄視されている多くに人間は、肩で風を切るが如く歩き、肩肘を張っている。これは礼法の説く「自然さ」とは言い難い傍若無人振りである。

 日本では、昨今の現状を見てみると、殺傷事件などが多発し、一般市民が通り魔などにも襲われる事が多くなったが、それでもアメリカなどの国に比べれば、多少は治安が良い方であるように思われている。しかし肩肘を張り、肩で風切るような歩き方をしていると、アメリカならば命を狙われて、ボディ・ガード無しでは、とてもでないが歩けないのである。この点が、島国日本とアメリカ大陸の違いと言えよう。

 アメリカは民族の縮図であり、いろんな考え方を持った人間が寄せ集まっている。習慣も違えば、宗教観も異なり、多民族国家である。したがってスラムの底辺には、スポーツ格闘技の有名人を殺傷して、自分がこれにとって代わろうとする異端的な考えを持っている人間の少なくない。
 アメリカで興業する格闘家の多くは、自分専用のボディ・ガードを持っていて、稼ぐだけ稼いだら、さっさと目立たぬ田舎に引っ込み、静かに余生を送っているのである。

 ところが日本はこれと違う。
 若干の治安が保証されている為か、アメリカのようにスポーツ格闘家は姿を控えめにする事はない。謙虚とは程遠く、羽手で横柄で、態度も傲慢である。テレビやスポーツ新聞の話題の的になり、これに気を良くしてか、有頂天に舞い上がり、有名人気取りでいる。
 これまでの自然な態度から一変して、服装が羽手になり、肩肘を張って、態度も横柄になる。そして庶民を見下すだけ見下し、その態度は、今流行
(はや)りの政治家顔負けの、極めて傍若無人である。
 いつか彼等も、アメリカ並に命を狙われ、下剋上の的にされるであろう。

 さて、尚道館では「謙虚」を旨とする。横柄な態度は禁物である。自然な物腰を尊び、肩を怒らせない姿勢を徹底的に指導する。公民に紛
(まぎ)れれば、完全にその中の人となるような佇(たたずま)いを指導する。
 人間の肩には、人間の態度が一番先に現れるものである。
 礼法では、肩から手頸
(てくび)にかけての箇所を「水走り」という。この箇所は、人間を形成する人格の現れる場所で、個人の態度を形成する箇所だ。

 次に、起居振る舞いにおいて、その動作は「途切れる事がない」という「流れ」を、動きの中で表現できる事が、最も「自然」として尊ばれる。自然な動きを「よし」とし、途切れを作らない事が、合理性を重んじる武術では、最も大事な要素となるのである。
 またこれが、武術的に云って「隙
(すき)のない動作」に通ずるのである。


2.控え目と謙虚
 慎む事を知ることは、人間として大事な修行の一つである。
 特に武士道を全うする人間は、謙虚さと、常に控え目という姿勢は重要課題で、「脳ある鷹は爪を隱す」の例え通り、目立たぬ事が大事である。

 ところが、昨今は自分が何かの武道を遣っている事を表に出し、これをひけらかす人間が少なくない。本人は風雪に鍛えた拳ダコを人前に曝
(さら)して、強(こわ)持てを狙っているのであろうが、決まってこの種の人間は、性格が好戦的で、必ず喧華に巻き込まれて、何等かの傷害事件を起こす。また、弱肉強食の論理を信奉している為か、態度も、物言いも弱い相手には横柄である。
 しかし、自分の知らない所で「恨みを買われている」という事も知っておかなければならない。アメリカのように、ビルの陰から、いつ飛道具やナイフで狙われるか分からないのである。

 こうして考えて来ると、「控え目」と「謙虚」さを保つと言う武人の行動律は、隙のない態度にも繋がり、これが同時に護身術の役割を果たしている事が分かる。
 この事が理解できれば、謙虚さと控え目から、その動きも、スピードに頼るものから滑らかさに重んじる動きへと変化する。スピードに頼っていなければ相手に負けると言うのは、「未熟」な証拠であり、自分の観察眼が鈍感である事を物語っている。

 達人に達している者の動きを観察すると、決して速くない。観察眼が疎
(うと)い素人目には、「鈍(のろ)い動き」と映る。ところが、決してそうではない。
 達人の動きは決して速いものではない。非常に滑らかなのだ。
 流れるような動きがあるから、素人目に見て、「あんなに遅くて、よく間に合うものだ」とか、「ひどく、のろのろしている」と映るのである。
 そして「動きが遅い」と映るのは、スピードの頼らなくても済むような、時間や空間の「間」の取り方が非常に旨いからなのである。

 一口に控え目と、素人は蔑視するようであるが、実は「控え目」にはこうした形に現れぬ、別の空間や次元で、「動きの余裕」に繋(つな)がる事を教え、余裕のある動きこそ、武術では最も大事にしなければならない行動律であると説いているのである。
 また謙虚に振る舞う事は、観察眼を養う切っ掛けを作る事になり、同時に人間研究にもなる。

 観察眼を養う最初は、自分が謙虚でなければ養う事は出来ない。出しゃばったり、自分が、自分がと、「我
(が)を通していたのでは、こうした眼は養われず、謙虚に、じっくりを相手の言語や動作、服装や態度、生活スタイルや仕事振りなどを観察しなければならないのである。聞き上手になる事も、然(しか)りだ。
 こうして高い見識を養って行く事が、武術の礼法に通じるのである。

 しかしこれが理解出来ない未熟者は、バタバタと騒がしく、スピードに頼る動きに眼を奪われて、それでいて結局肝心なツボを外し、最後は無慙
(むざん)に敗北するのである。この種の愚行を遣(や)やらかす人間に、スタンドプレーを遣りたがる人間が挙げられる。またこれは、未熟さと言うより、生まれながらに性根の腐っている証拠であろう。
 要人物として、この種の人間も、武門の礼法からは外される下衆
(げす)の種類である。

 武門では、「着座」一つにしても「控え目にせよ」と言う教えがある。
 これは自分の分相応と言う位置よりも、一等下位に下がり、席に着く教えである。
 「席」とは、自分のポジションであり、地位や順位であるが、同時にこれば「自分の場」と言う事にもなり、この「場」は万一の場合、敵との間合
(まあい)ともなる。
 したがって武門では、喩
(たと)え上席に薦(すす)められても、これを薦められたからと云って、直ちに上席に昇る事はしないものである。辞退し、引き下がるのが礼儀である。これは武門の礼法に限らず、世間一般で行われている世の中の風習であるといえよう。
 これは「分際を知る」と云う事にも繋がるのである。

 これを語るのに面白い話がある。
 ある暴力団の組長に、カラオケの好きな人が居た。この組長は北島三郎の『兄弟仁義』が十八番
(おはこ)だった。この組長は毎年恒例の忘年会を伊豆のある温泉地で催した。この席には組幹部や正式組員の舎弟達が招待された。そしてこの席には、この程やっと、準構成員から昇格して金バッチを貰ったある正式組員も居た。
 大広間で数十名の全組員が勢揃いし、組長ならびに幹部の挨拶も終え、いよいよ無礼講の酒盛りが始まった。「乾杯」の音頭と共に、司会者役の幹部は、カラオケで各々の「のど自慢」を披露するように皆に告げた。

 そして例年の如く、トップバッターは組長だった。
 司会者役は「是非組長に」とお願いする。組長は「今夜は無礼講であり、若いもんに歌わせろ」と、一応は辞退してみせる。しかし司会者役は更にお願いする。組長は、司会者役の勧めを断って、「若いもんへ」と再び辞退する。

 そしてこの時、この度、正式組員になった若者を見つけ、顎をしゃくって「お前が歌え」と云うようなゼスチャーをした。この正式組員になったばかりの若者は、これまでの忘年会の経緯
(いきさつ)を知らず、組長の勧めに応じ、「では、自分が歌わせて頂きます」と云って立ち上がり、事もあろうに、組長の十八番だった『兄弟仁義』を歌うと、カラオケ係に指定した。辺りは水を打ったように静寂になり、それに反して「お前が歌え」と指示を受けた若者が、イントロに続いて、陽気な歌声を響かせ、辺りは一面にこの組員の歌がこだました。

 これだけで大広間は、恐怖と共に凍り付いた。司会者役は泣き出しそうな顔になって呆然
(ぼうぜん)となった。組長は席を蹴って室外に出て行った。
 カラオケのコードは直ちに引き抜かれ、会はこれで打ち切られたが、その一曲の歌が問題を残した。

 組長は「お願いされる立場」を無理に演出しているわけで、口に出して、自分から希望する事はないのだが、「頼まれれば仕方ない」という、希望とは裏腹な意思で自分を表現するのである。
 ところが組長は、自分の唯一の十八番を、駆け出しの組員にとられ、組長としての面子
(めんつ)を失ったのである。その後、この若い組員が、どのような半殺しの目にあったか想像に難しくない。
 若い組員は無礼講を真に受け、組長の事を考えて、わざわざ古い歌を選んだつもりだったが、これが仇となり、袋叩きにされ、小指を詰めらて、破門された事は云うまでもない。

 控え目を忘れ、箍
(たが)を外すとこのような目にあうと言う、典型的な出来事であった。控え目か否か、これには「人を試す策略」も含められれおり、安易にこの言葉には乗らないものである。乗れば、以上のような目に遭うことも、世間ではよくある事なのだ。
 だから武門では、こうした先を見越した教訓を叩き台にして、「控え目」と「謙虚」という言葉で戒めているのだ。

 武門では控え目を忘れて、上席を薦められ、安易にこれに乗る事を「一人上臈
(じょうろう)」として嫌う為来(しきた)りがある。
 何故ならば、「一人上臈」は、「上臈女房」
(良人(おっと)より身分の高い女官の意)の略の、逆の意味を指すからである。

 上臈とは、身分や地位の高い事を指すのであるが、この他にも中臈
ちゅうろう/修行の年数の多少によって上・中・下に分けた、中の位の者あるいは官位の中位の後宮などに仕える女官)、下臈げろう/年功を積むことが浅くて地位の低いことの意味であるが、普通は「下郎」の当て字が使われ「下種(げす)を指す)という言葉があり、江戸幕府大奥の職名を指す言葉でもある。

 更に「一人上臈」には、知識や才能をひけらかす「前煌
(きら)めき」の意味も含まれ、スタンドプレーを働く者や、目立ちたがり屋は、武門では最も嫌われ、卑しめられる対象である事が分かるであろう。また、控え目を忘れると、とんでもない出来事に遭遇する事がある。


3.途切れのない自然さ
 「途切れがない」という事は、「型が無い」ということである。
 そもそも西郷派大東流合気武術は、「型が無い」武術である。西郷派大東流は、他の大東流と比べ、柔術百十八箇条などと型を設け、型を反復する事でこれを修得すると言う方法はとらない。固定した型を決められ、これを反復練習する事は、型以外の方法で攻撃された場合、全く役に立たないからだ。
 こうした時代遅れの骨董品は、技自体の極めも甘く、単に型を反復する為に、型を覚えるというう事に終始し、詰めも厳格ではない。

 また、見識の備わっていない人間は、とかく「動作」を教条化したがり、この範囲内で形式化したがる。そして、教条化すれば覚え易いと錯覚する。
 しかし、これには落とし穴がある。
 教条化し、形式化すれば、この動きは途切れのあるものになり、「ことごとしい」ものになってしまって、「目立たざる躾」が、逆に目立ってしまうのである。
 「ことごとしい」とは、「事事しい」という文字を書くが、つまり、「おおげさ」であり、仰山
(ぎようさん)」であり、「たいそう」である事を指す。

 昨今の大東流を見てみると、ある指導者が自流の作法に、居合道の進退動作を取り入れ、更に、技の掛け終わりに、「見栄を切る」動作を取り入れているが、これは正に武門の礼法から外れる、「ことごとしさ」で、見る者に大袈裟の観
(かん)を与える。また芝居掛かり過ぎて「猿芝居」の観が否めない。
 恐らくこの指導者は、一通りの辛酸をなめた事の無い、底の浅い人なのであろう。


4.機転
 武術の礼法の基本は、この裏側に、教養と見識に支えられた思想が流れている。この思想こそ、「機転」といわれるものの別称であり、武門では機転を最も大事にする。

 礼法と云えば、堅苦しく、細かな取り決めで縛られているように考えがちだが、基本的には一種の「思想」であり、古人の積み重ねから起った「教訓」を集大成したものである。したがって実地の運用には、これを実践する者の応用力が問題となる。応用力の欠ける者は機転が利かずに、猿真似として、何処かから別のものを持って来なければならないであろうし、訝
(おか)しな、仰々しい、芝居役者顔負けの「大見栄」を切らねばならなくなるのである。

 相手を掛け捕った後に「見栄を切る」あの動作は、必ずしも「残心」とは違うようだ。
 武術では「残心の残せ」という。わが流も残心は煩く言う。もし、腰に脇指を帯刀していれば、これを抜刀して敵に対して残心を残すか、あるいは無刀の場合は、「てがたな」を振り上げ、残心をとっている。倒した後の備えである。

 これは撃突した後に、敵の反撃に備える心の構えを教えたものである。また、その後の敵の反応に応える「構え」をいう。そして闘志を失わない敵は、再度、反撃する恐れがあるからだ。
 しかし、我が西郷派大東流は、一般に行われているような大東流の「見栄」を切る事はない。「てがたな」を敵に対して振り上げるのは、あくまで「残心」である。これは芝居がかった見栄とは異なる。

 また、「型に嵌
(はま)った見栄」は目立ち易く、武門の礼法にはそぐわない。「ことごとし」甚だしい限りである。見識の無さや教養の無さがこうした、平和惚けの国・日本の何処かの、武道演武会で繰り広げられているのである。そして応用力に乏しいから、こうした見栄きり芝居以外に、新たな発想が浮ばないのである。

 倒されたり、抑えられたりした敵の反撃は、単に刃物や拳銃と行った物ばかりではない。時には砂とガラスを細かく砕いた眼潰しを相手に投げ付ける事もあるし、「筒飛し」と云って、藁
(わら)スボ(藁で作ったストローのようなもの)の中にトリカブトなどを毒薬を仕込み、これを相手の眼や口の中に、隙を見て流し込む術も使われたと古典にはある。
 また、着物の裏に縫い合わせた小刀や、鍼
(はり)もあるのである。こうした「隠し物」と云われた隠し武器がいつを襲い掛かって来るかも知れないのである。こうした術者の隙を狙う、卑怯な武器が幾らでも或る武術の世界で、芝居ががかった見栄を切るのは、隙をつくる原因にもなり、要注意なのだ。

 機転の利かない様は、また、人間の発想を乏しくする。更に、伝承と伝統の違いも、武術には克明に現れる。
 伝承一辺倒は、次の時代の伝統を作り上げる事が出来ない。応用力が乏しくては、時代について行けず、臨機応変の発想の転換が出来ない。したがって伝統武術になり得る要素に欠ける。

 一般に伝承と伝統は混同され易く、これを同じものと考える素人は少なくない。そもそも、この辺が見識の無さであろうが、伝承は例えば、江戸時代の形をそのままを現代に残していると言うものであるが、伝統は古いものを研究しつつ、時代に臨機応変して、次の時代に残す為にこれに改良を加えるものである。改良を加えるからこそ、それは「伝統」となりうる。
 しかし骨董品の儘
(まま)では、時代にそぐわなくなり、時代に取り残されるのである。

 機転とは、物事に応じて、機敏に心が変化し、これが機知として働く様を云う。そしてここに人間としての「進化」の現実がある。進化を怠った人類は、次の時代の「亜人類」でしかないのだ。


5.配慮
 人としての配慮や気遣いは、「心くばり」と言う面で、隙を作らぬ心構えを教える。隙を作り易い人間は、配慮や気遣いが欠けるからだ。
 また慎重でない様も、隙を作り易い。

 同時に、配慮や気遣いが欠ける人間の特徴は、「へつらう」人間であると云う事だ。
 こうした人間は、強きに弱く、弱きに強いという面を多く持っている。
 これを如実に表したものが、お追従人間であり、強い者の顔色を見ながら、その事だけを巧みに読みとって、世渡りをし、保身を図る人間である。寄らば大樹であり、強者の気に入るように、自分自身を変態させる事が出来る。
 したがって容易ならぬ、要注意の人間とも言える。

 組織や団体が、何等かの理由で崩壊する時、陰でこうした人間が必ず暗躍
(あんやく)している。こうしや走狗(そうく)が水面下で走り回り、裡側(うちがわ)から滅ぼす側に廻るのである。
 歴史的に見れば、秦帝国の趙高
ちょうこう/〜前207。秦の宦官がそうでなかったかと思う。

 秦の宦官
(かんがん)だった趙高は、始皇帝の崩御の後、末子胡亥(こがい)を二世皇帝に立て、のち丞相(じょうしょう)の李斯(りし)を獄死させ、自ら丞相となり横暴を極めた。
 李斯は秦の宰相で、楚の上蔡の人であり、荀子
(じゅんし)に学び、始皇帝に仕えたが、最後は趙高の策略に掛かり、讒ざんせられて刑死が言い渡され、獄死した人物である。

 李斯なき後の趙高は、自らが宰相になり胡亥に仕えるが、二世皇帝・胡亥に「鹿を献じて、馬といったが、衆怖れて皆これに和した」という、恐れられ振りだった。また、趙高は世界三大悪人のギネスもの人物であるが、劉邦
りゅうほう/前漢の初代皇帝で、高祖と呼ばれ、長安に都して漢朝を創立。前247〜前195)の軍が関中(かんちゅう)に入るや否や、胡亥を殺し、異母兄弟の兄・子嬰(しえい)を立てて帝(みかど)としたが、子嬰は皇帝を名乗らず、一等下がって王を名乗り、悪辣卑劣(あくらつひれつ)な趙高はやがて子嬰によって殺されることになる。

 さて、武門では二本指を旨とする。仁侠の博徒と違って、長刃
(ながどす)の一本刀ではない。また、相撲力士の太刀指し一本刀とも異なる。
 武士が身分や家柄に関係なく、登城してからも脇指の帯刀が許されるのは武門の配慮からであり、上意討ちの場合、処分を不服とする場合は、上士に対して自分の意見を堂々と述べ、それでも不服がある場合は手向かう事が認められていたことを表す。その手向かう武器として、脇指帯刀が城内でも認められ、万一、事がある場合は脇指を抜いて討ち果たし、最後に自決すると言う事が認められていた。
 したがって、意見陳情や具申には命を賭けて居たと云う事が分かる。

 特に、武門の礼法を更に追求すれば、刃向かう相手が君主であっても、敢
(あえ)て刃向かう意地を見せ、お追従(ついしょう)に下るような武士を「下」の武士と賎(いや)しんだ。
 お追従人間はいつの時代も存在するが、武門の礼法では、お追従こそ風上にも置けない卑屈な態度として、たちどころに見透かされ、蔑まれたのである。

 江戸時代も含めて、それ以前の時代を「封建時代」と云い捨てる。しかし主従関係から考えれば、君主にも刃向かう事が許されていたのであるから、単に封建制度下の、滅私奉公的な始終関係は存在しなかった事が分かり、一部の有識者や進歩的文化人の云うように「悪い時代」という酷評は必ずしも正当でない。

 この時代の武士階級は、ある意味で今以上に、「人間は対等」であるという意識が強かったのではあるまいか。「平等」という安易な表現はなかったであろうが、「彼も人なら、吾
(われ)も人」という考え方があり、時代小説や時代劇で勝手に報じられるような、ああしたものではなかったようだ。
 そして当時の武士階級には、「忠義面
(ちゅうぎづら)ということは通用しなかった事が分かる。
 忠義面こそ、お追従の最たるものだったからだ。

 したがって「配慮」を、「心配り」としたり、「あれこれと心を遣う」と解釈するには、余りにも早計な、短絡的な解釈と言えよう。
 「配慮」の解釈は、「見識が育って居ないとする者」や「へつらう者」に向けての、見透かしであり、目配りであり、「見好
(みよ)い態度」というべきものであろう。そしてこれこそが、人間を何処までも「対等」に扱う基本的な行動律ではあるまいか。
 対等という次元では、君主も家臣も、「みな同格」と云う意識があったのである。

 ちなみに尚道館では、教えるが側と教わる側の子弟関係の上下はあるが、人間としては「対等」であり「同格」であり、以上の子弟関係に物を言わせて差別的な扱いはせず、門人の一人一人の人格は、「独立した主体として、これを何者も侵す事は出来ない」と定めているのである。
 師匠も弟子も、人権的には「対等」であるとするのが、尚道館の教えなのである。しかし、これは民主的であると云うわけではない。あくまでも「人権」において対等であり、同格とするのである。

 「道」とは、道統を頂いてこそ、道は極められるものである。道統は、権威の最高位に位置し、その示唆によって、門人は道を学ぶ。したがって「道」は、師弟関係に於ては、「けじめ」をつける事が大事であり、「けじめ」の伴わない意識が強くなると、その道は滅ぶのである。
 武の道の世界は、世界的に見ても特有の「序列意識」で秩序が保たれている。序列とは、道徳や慣習として守らなければならない区別に加えて、発心順
(ほっしんじゅん)に、順序を追って並ぶことが求められる。

 かつての指導を受けた先輩と段位が同じになれば、途端に対等な口を利きはじめる者がいるが、こうした態度は、やがて師を師と思わなくなる傲慢であり、「礼」の感覚も混乱し始め、順序が逆さまになって混迷する元凶を作り出す。したがって「けじめ」は重要な要素であり、そこには「配慮」というこの世界特有の厳しさと格調を維持する心配りも必要になるのである。
 そして俗塵
(ぞくじん)に塗(まみ)れ、崩壊に至る、道の中心を柱とする「けじめ意識」だけは常に忘れたくないものである。



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