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運命転換術 1

運命転換術






運命の「運」という字は、「軍」が「走る」と書く。
 「軍」が「走る」のであるから、それは実に凄まじいものだろう。ぼやぼやしていては、その勢いに巻き込まれて、敢え無く潰えるのである。それが厭
(いや)なら、この凄まじさに抗って立命の法を見つけ出さなければならない。この激動の時代は、生半可な漠然とした心構えでは、生きていくことができない。

 人は定められた運命の星の許
(もと)に生まれて来る。「先天の気」に支配されて生まれて来る。そして「後天の気」の土台となるものは、「先天の気」の習気(じっけ)である。
 性格も、根性も、人間性も、総
(すべ)てこの習気の中に含まれる。人は、過去世(かこぜ)からの因縁を引き摺(ず)って生まれて来るのだ。
 この因縁は、如何に藻掻いても、消しようがない。因縁は必然として現世に顕われるから、例えば、「性格」という習気の因縁を引き摺
ったこれは、如何ともし難い。つまり「性格」というものは死ぬまで変らないのである。

 「性格は変えられる」などとウソをいう運命屋がいるが、この運命屋のウソに嵌
(は)まって騙される弊(へい)を招き寄せる者もいるようだ。
 弊に愚・蕩・賊・絞・乱・狂の六つあり。

 これは心の学の鍛練を怠ると、人間はそこに必ず陥る、偏向の弊
(危険あるいは禍)を六つ挙げているのである。また、その盲目なることを挙げている。
 つまり、その第一には「仁を好みて学を好まざれば、その弊は愚」、第二には「智を好みて学を好まざれば、その弊は蕩」、第三には「信を好みて学を好まざれば、その弊は賊」、第四二は「直を好みて学を好まざれば、その弊は絞」、第五には「勇を好みて学を好まざれば、その弊は乱」、第六には「剛を好みて学を好まざれば、その弊は狂」の六つの弊を挙げて戒めている。
 結局、弊は弊なりの、弊な人生が用意されているのである。運命屋のウソに嵌まるまい!


●人が人生に求めるものは何か

 現象人間界で、人生に対しての考え方は、大まかに分けると二つの考え方がある。
 一つは「人生の目的は幸福を求めること」と、もう一つは「人生に於て、自分を何処まで偉大にしたか」という、二つの考え方である。

 この二つを考えて行けば、後者の考え方は、「人生の幸福」によって、却
(かえ)って腐蝕する恐れも出て来るのである。
 人生とは、自己を偉大にする場合、困難に立ち向かい、怯
(ひる)むことなく日々の精進をもって、奮闘努力しなければならない。
 天の扶
(たす)けを得ようとすれば、当然努力は必要で、努力する他力に「他力一乗」が働くのである。そして鬼神すら力を貸すのである。

 ただ一心に励む。
 一心になって心を他に動かされない。更には、一歳の多情雑想を棄
(す)てる。雑多の類(たぐい)とは縁を切り、忘れ、且つ捨て去る。そうすれば一雑念も起こらなくなる。念頭にその痕跡すら残さない。
 此処で始めて一心は、一点に焦点を当てることが出来るのである。
 一点に下す。これを『混沌開基』と言うのである。これにより、はじめて千差万別の世界、創造の世界の基
(もと)を開くことが出来るのである。

 自己犠牲をものともせず、砕身粉骨し、雑多な人生と迷いの多い現実を、ここに至って超越することにより、自己を偉大にすることができる。

 この場合「身を捧
(ささ)げる生き方」が基本となる。つまり、殉教だ。
 道とともに死ぬ覚悟である。大旆
(たいはい)の旗の下で死ぬ覚悟である。その覚悟が出来てこそ、道は拓かれる。中途半端な覚悟では、成就は無い。
 更には無私に徹する。
 私情を棄てる。自分のことは後回しにする。

 『大学』には「徳は本なり。財は末なり」とある。自分のことは後回しでも、譲ることを会得してその徳を掴めば、財は蹤
(つ)いてくるということである。
 「わたしがわたしが、オレがオレが……」では、他力一乗も働かず、天佑も無いであろう。
 先ずは「徳の養成」であろう。
 そして「才の人」より「徳の人」であろう。
 徳の人に他力一乗が働く。

 徳が付けば、財は集めるのに変な苦労はする必要なないのである。計算高くて、狡猾で、自分のことを先回しにすれば、徳が逃げ、財まで逃げる。
 それだけで、人生の幸福を考えた場合、益々幸福からは遠ざかる。その上、「自己」や「私」というものが濃厚になる。
 これらを捨てねば、『混沌開基』は図られないのである。

 無視……。
 これだと公
(おおやけ)に身を捧げることになる。理想の為に、自己を火の玉のように激しく燃やし、情熱を傾けて、それに突進しなければならない。その中に“生き甲斐”を感じる。生きているという実感が持てる。

 こうした事を考えると、この二つには、理想の根底は二つとも違っていることが分かる。異なる人間観が横たわっていることが分かる。

 さて、「生き甲斐」という観点から見れば、どちらの人生観が幸せであろうか。
 人生の幸福の追求は、多くの場合、それは個人に向けられるものである。一方、自分を偉大にすることに人生の目的を宛
(あ)てがえば、公に身を捧げて、個人の幸福は顧みないことである。そして、どちらを選ぶかは、その人の生き方の選択なので、一概に決定する事は出来ない。
 だだ人間に限り、人間は生物学的な構造では「動物」なので、サル目
(霊長類)ヒト科の哺乳動物として分類されるが、同じ哺乳類でも他の動物とは異なる。

 人間と他の動物の違いは、人間に限り、「自己犠牲」ができるということである。損をするということができることである。自分の身を投げ打って、他人を助けるということができることである。
 それはタイタニック号沈没の海難事故などでも明らかであろう。これに類似する事故は、これまで多く起こっている。その時に、人間だけは我が身を犠牲にして他人を救うことをしている。これは要約すれば「損をする」ことだ。
 この損を覚悟で、人間が他の犠牲になることを自らの意志で選択できる生き物である。これは人間以外の動物にはない。

 人生の生き方の結論として、要約すれば個人主義に徹するか、身を捧げて犧牲精神を発揮するかである。
 特に、後者を選んだ場合、「選ばれた人」あるいは「愛された人」という言い方をされる場合がある。こうした表現は、普段では、あまり聞き慣れない言葉である。
 しかし、《予定説》には、この言葉が度々出て来る。そうなるように、その結果が既に用意され、そのような原因が起こるという意味で、人はそのようになる運命の軌道を辿ると言うのである。

 日本では普通、「人権」とか、人権については「平等」などの言葉しか出て来ない。それは、人権は個人が国家に対して要求するものであるし、愛は自己規制により、自発的に自分以外の第三者に与えようとするものであるからだ。逆に、「欲しい」といって、これらは与えられるものではない。

 運命転換術を試みるに当たり、読者諸氏は、現象人間界は逆因果律である《予定説》が働いていることを念頭に入れて頂きたい。

 つまり、かの有名な内村鑑三
うちむら‐かんぞう/札幌農学校出身。教会的キリスト教に対して無教会主義を唱えた。1861〜1930)との質疑応答を、書籍に顕わした明治期の『キリスト教問答』の中の言葉を借りれば、「(キリスト教の)神は平等ではなく、不公平を強いているではないか」という質問に対し、内村は神は不公平であるが、自然も不公平ではないかと言い訳をした上で、「ある婦人は美人として生まれて、他の婦人は醜婦(しゅうふ)として生まれたか、生来(うまれつき)何の罪ありて、蛇は人に嫌われて鳩は人に愛せられるか、これを思えば天然の不公平もまたはなはだしいではないか」と回答し、「神も不公平だが、天然も不公平である。したがって、何で神を責められようか」と、神が不公平であり、不平等である事を述べているのである。

 この「不公平」で、「不平等」こそ、誰もの運命に関与し、その人の陰陽を支配しているのである。
 物の起こりは、唯物弁証法で考える、原因あって結果が生じるのではない。結果が最初にあり、結果に則した原因が派生するのであって、これこを「逆因果律」の典型的な論理である。つまり、これこそが《予定説》の要
(かなめ)なのである。
 この《予定説》については、折々説明をしていく次第である。



●「孝行」の意味を把握せよ

 最近では「親孝行」という言葉を、日本では殆
(ほとん)ど耳にしなくなった。
 「孝行」とは、子が親を敬
(うやま)い、親によく尽す行為をいう。親に対する「孝」である。
 父母に仕
(つか)え、また父母を大切にすることである。しかし今の日本では、「親孝行」は全くの死語になっている。

 また、戦後民主主義は、「親の老後の為に、子供が犧牲になることは良くない」と教えた。そして、こういう風潮まで、マスコミによって創り出された。
 しかし果たして、親は子の世話になることが、そんなに良くないことか。
 一方、欧米では、親が子供を育てる為に苦労しながら養育した事に対し、それに見合う分だけ、子供が成人した暁
(あかつき)には、「親に世話になった一切の費用」を、就業後の給与の中から少しずつ返済して行くという考え方を採(と)っている。この点が、日本とは大きく違っている。

 同じ東洋人でも、日本人とその周辺国との国民の考え方は違っている。
 特に儒教圏の国々を考えると、島国育ちの日本人と異なる考え方を持っている。日本に儒教が入って来たのは、江戸時代のことだったが、大陸などの文化には、それ以前の古くから儒教的な考え方が優先して生活の中に染み込んでいた。
 親孝行、一つ挙げても、日本と儒教圏の国々とは全く違った考え方になっている。

 日本の場合は、子供が成人し、就業しても、親が支払った学費を始めとする一切の金銭に対して、子供の多くは、それを親に返済すると言う考え方はない。親からも“貰いっぱなし”である。
 日本人の考える親孝行は、年老いた親を老人ホームに入れるとか、あるいは貧困ならば、泣く泣く親を背負って“姥捨て山”に捨てにいくことが親孝行と考えられてきたが、儒教圏の国々からいわせれば、本当の親孝行は、こうしたものをいうのではない。
 日本には全国に「棄老伝説」などの話が多い。
 『楢山節考
(ならやまぶし‐こう)』なども、姨捨山伝説をベースに書かれた、深沢七郎作の小説である。

 日本の場合、「親孝行」といえば、この小説にもあるように、村の年寄りは七十歳になると、“楢山まいり”に行くのが習わしに従うことが多いようだ。
 小説によれば、「六十九歳のおりんは、“楢山まいり”を待っていた」とある。そして、家計
(くらし)のことを考えて、年明けも近い冬の夜、誰にも見られてはいけないという決まりのもと、背中に老いた母を背負って“楢山まいり”へと出かけていくのだ。辛くても、それが古くからの村の掟で、貧者のとる道は、これしかなかった、とある。

 だが、これは遠い日本の昔話ではない。いまでも新手の「棄老伝説」が至る所に目を吹き出している。体裁のいい、近代的な養老院である。これも一種の姥捨て山であろう。
 日本人は、究極的には老後の暮らしを姥捨て山に求める。そのように生活設計された路程に沿って、日本人は若いうちから老後に備えて、せっせと働く。年をとったら働かなくてもいいように、若いうちから働く。つまり働かなくてもいいように働くのである。

 働かなくてもいいように働く……。
 しかし、よく考えれば、何と言う矛盾であろうか。
 若いうちから働いておれば、年をとったら働かなくてもいい。この矛盾に従って、働かないために働くのである。実に奇妙な考え方である。そして、そうした考えに基づいて働いてきた年寄りは、実際に予定通りの自分の描いた老後の生活設計が完了したのだろうか。

 現実を振り返れば、老齢人金は老後を設計するほど、実は潤沢ではなかった。それに大病などをすれば、やっと払い終わったマイホームだって売り払わなければならなくなる。細やかな老後の貯えは、湯水の如く消えていく。その消えていく少ない貯えは、国から所得税としてもぎり取られ、また、年金を宛にした子供からももぎり取られていくのである。老人には二重の苦しみが重なっている。親孝行でない子供を育てたからだ。戦後教育を受けた日本人は「親孝行」と言う意味が稀薄である。

 酷い子供になると、就業年齢に達しても、決まった職業に就いたり、定期的な収入がなく、そればかりか、親の年金のお裾分けで生活をさせてもらっているフリーターまでがいる。定職に就かず、アルバイトを続けることで生計を立てる若者達である。しかしフリーター収入だけではやって行けないので、親の僅かな年金までもを無心する。そして、彼等の多くは、「政治の貧困」を論
(あげつら)い、定職に就けないのは政治が悪いからだと嘯(うそぶ)く。

 また、日本では、「親の老後の為に、子供が犧牲になることは良くない」という宣伝は、マスコミなどを通じて隅々まで行き渡っている。親は親で、出来るだけ子供の世話にならないようにと、涙ぐましい努力が強いられる。介護保険などが出て来たのも、この為である。子は親を見ないと言うのは、広く日本人に行き渡っている。

 晩年は、マンションタイプの養護施設にいくというのが、親の生活設計に最初から組み込まれている。子には出来るだけ手を煩
(わずら)わせないというのが親の配慮である。
 つまり、「介護保険制度」によって、親は自分の老後に手間が懸
(か)かる分だけ、保険が子供の代わりをすると言う訝(おか)しな考え方が蔓延(はびこ)り始めた。そして、これを誰もが訝しいと思わないのである。ごく当たり前の事として受け取っている。

 一方、現代の親達、差し詰め「団塊の世代」と言われた戦後生まれの親達の多くは、自分の子供である「団塊の世代ジュニア」の手を、出来るだけ煩
(わずら)わさないように、涙ぐましい努力を強いられている。子供に迷惑を懸けないで、老後の長寿を全うしようとしている。高齢者の多くは自分の長寿の解決の糸口を、子供の手を借りずに、生きる手段を探そうとしている。それは涙ぐましいほど、必死である。

 こうした状況を、親の側から見れば、「子供への思いやり」である。
 逆に子供の側から見れば、実質的な負担の懸かる親孝行をしなくて気軽になる。また内心では、「親孝行」などさらさらなく、親は親で、子は子で、「円熟できない人間」の実態が此処に浮き彫りになる。未熟な社会である。
 今日の日本のこうした実情は、欧米では余り見られない。特に、中産階級の大卒以上の子弟には、こうした現象は余り見られない。更に上の、上流階級層に至れば、殆ど皆無となる。

 戦後民主主義は、「親に遵
(したが)うことは悪である」ということを学校教育の中で教えて来た。それは、かつて太平洋戦争を引き起こした「忠孝」という言葉からの反省でろう。
 また、天皇制と結びつくことを嫌い、「忠孝一本
(ちゅうこう‐いっぽん)」という言葉を否定して懸かる風潮が、日本には強い。
 忠孝一本という言葉は、戦前・戦中では、日本民族は総
(すべ)て天祖の末裔(まつえい)で、皇室はその直系ゆえ、天皇は日本民族の家長であり、従って「忠」と「孝」とは、本来“一本である”とする説に由来する。そして、これが進歩的文化人に言わせると、軍国主義に繋がったと言うのである。

 また、その当時の日教組の指導をまともに受けた、「団塊の世代達」はこれを鵜呑みにし、「親孝行を否定する」ことは、正しいことだと考えて来た。自分の親達も、そうした考えで対処して来た。動けなくなると、特別養護老人ホームに送りつけ、親を姥捨山に捨てた。そしてその酬
(むく)いが、今度は自らの頭上に降り懸かろうとしている。何と皮肉なことか。

 「団塊の世代」の多くは、自らの口で、「親に遵
(したが)え」とは言えない。自分のした行為にも問題があるからだ。後ろめたいからだ。一言も言えず、また自分も親を粗末に扱い、今度は愈々(いよいよ)自分の番になった。
 そして、親孝行の一言も口に出来ず、失意のうちに、死生観も解決できず、孤独な老人の未来が待ち構えているのが、今日の高齢化社会の日本の実情であり、またこれが戦後民主主義の教育の実態だった。
 しかし、これでは「円熟した人間味」がないのだから、精神的には豊かになれないのは当然である。精神的に豊かになれないのであるから、物質的にも豊かになれず、特に、心の異常であるストレスや生活習慣から起こる「ガン発症」などは、当然の酬
(むく)いとして、我が身に降り懸かって来るのは必定であろう。ストレスの為にガンが発症する、これこそ「定められた運命」ではなかったか。

 人生は、壁に向かってのボール投げであるから、自分が投げたボールは、必ず自分の向かって跳ね返ってくる。自分がやった分だけ、善いことも悪いことも跳ね返って来るのである。ここに因果応報の理
(ことわり)がある。
 因果応報とは、過去における善悪の業
(ごう)に応じて、現在における幸不幸の果報を生じ、現在の業に応じて、未来の果報を生ずることをいう。これでは自分の運命の陰陽を支配する「流れ」は、変える事はできまい。

 何しろ、運命の「運」は、「軍隊」が「走る」と書くのである。
 軍隊が走るのであるから、それは凄まじいことである。ぼやぼやしていては、その走る勢いに巻き込まれて、敢
(あ)え無く潰えてしまうのである。
 病気になったり、怪我をしたりのこうした不幸現象が、軍隊の走る勢いに巻き込まれるからであり、下手をすれば、“過労死”をしたり“突然死”をするのである。
 「恐れるものは皆来る」という言葉から、本当に“恐れるもの”は全て自分自身に向かうのである。これこそ、皮肉なことだが、因果律が自身に適用された顕著な現れといえよう。

 ちなみに儒教圏の「孝行」という感覚は違う。日本人とは全く違うのである。
 “孝行”とは妻が良人
(おっと)に仕えること、子供が親に仕えることをいう。深層には「忠義一本」の形をとる。
 例えば、かの有名な『三国志』である。これは『三国志演義』でも同じだが、この物語には“孝行”というものが出て来る。

 『三国志』といえば、劉備玄徳
(りゅうび‐げんとく)を主人公に、義兄弟の義盟(ぎめい)を結んだ、関羽雲長(かんう‐ちょううん)と張飛翼徳(ちょうひ‐よくとく)が出て来る物語である。
 彼等三人は、『三国志演義』では、義兄弟の契りを“桃園の誓”で結んだことで有名である。
 劉備玄徳は「義の人」として知られている。この「義」をもって、劉備玄徳は諸葛
(亮)孔明を軍師に迎え入れている。“三顧の礼”をもって孔明を軍師に迎え入れ、これを称して「水魚の交わり」(三国志蜀志)としたことは、よく知られていることである。親密で離れがたい友情は、劉備が死に、孔明が死ぬまでこの信頼関係は続けられた。

 さて、劉備が“柳州
(りゅうしゅう)”の知事だった時の話である。
 劉備は義の人であり、公平でよい政治をしていたので民衆から非常に慕われていた。劉備はある時、敵に追われていた。命からがら、逃げている最中だった。

 その時、奇特にも劉備を匿
(かくま)う民家があった。この民家は劉備を匿い一晩泊めた。そして翌日の朝、劉備は異常なことに気付いた。目を覚まし、ふと隣の部屋を覗くと、そこには若い女の死体が転がっていた。女の死体は斬り殺された跡があり、死体の至る所の肉片が切り取られていた。劉備はこの家の主人にこの訳を訊(き)いた。
 主人は、突然さめざめと泣き出した。
 転がっている死体は、この家の主人の妻だという。主人はわが妻を殺して、劉備に最高の持て成しをしたのである。この話は、吉川英治の『三国志』に出て来る。

 実にショッキングな話だが、これこそ儒教圏の中国では、中国人センスからいうと「最高の美談」である。日本人だけが、ショッキングな出来事と思うのである。
 劉備玄徳は三国志の中では、最高の義人。その義人が女の肉を喰ったというのであるから、三国志の読者からは幻滅が免れないが、これは日本人的センスからいう幻滅で、儒教圏の国では最高の美談。
 人を持て成すにも、持て成し方はいろいろあるが、妻子を殺して客を持て成すのが儒教圏では「最高の持て成し」とされている。

 劉備が敵に追われて、一晩、ある民家で匿われた時、その家の若い主人は、心から尊敬する劉備にそこまでしたのである。だからこの話は、最高の美談になり得るのである。
 そしてこの美談の民家の主人公は、劉備にそこまで持て成しをしておきながら、その後、何の対価も受け取らなかったのである。無償で、心から劉備を持て成したのである。したがって、また此処に美談たる美談の所以
(ゆえん)があり、儒教圏の国ではこの話が歴史を超えて長く語り継がれるのである。孝行も、此処まで来れば最高の孝行になるのである。

 吉川英治は『三国志』の中で、このストーリーを掲載することを最初躊躇
(ちゅうちょ)した。しかし、結局載せたのである。それは何故か?
 中国人とは如何なる国の人民か。儒教圏の最高の孝行とは如何なることをいうのか。
 それを徹底的に解明し、理解し、その深層心理を知るのは、掲載することが適切と思ったからである。日本人の、表面的に考える「孝行」とは全く違っているのである。孝行のスケールが違うのである。

 『論語』にも、これに類似した話は多くある。
 春秋戦国時代、“斉
(せい)”の第十五代・君主の桓公(かんこう)に仕えた料理人に易牙(えきが)という名人がいた。易牙といえば天才的料理人で、料理の名人中の名人だった。
 桓公は名君の誉
(ほま)れ高く、鮑叔牙(ほう‐しゅくが)や管仲(かんちゅう)を用いて富国強兵策を行ったことで有名である。

 特に大政治家と表された管仲を宰相
(さいしょう)にして、全国に覇権(はけん)を確立したことはよく知られるところである。また、鮑叔牙も「斉の賢臣」といわれた人物だった。
 もともと鮑叔牙は襄公
(じょうこう)の弟・小白(後の桓公)の大夫としてこれを補佐し、後に小白が斉公となったとき、その知己管仲を宰相に推した人物でもあった。そして、二人を「管鮑(かんぽう)の交り」と表され、『史記管仲伝』の、この一節を以て名高い。
 管仲と鮑叔牙とが互いに親しくして、終始交情を温めたことから、親密な友情で貫かれた仲をこう呼ぶ。

 更にこの二人は、互いに協力しあったために、中国は北狄
(ほくてき)の野蛮人の侵略から免れることができている。これを孔子も高く評価した。このことは『論語』(憲問第十四)に出ている。

 さて、桓公はこの時に、料理名人の易牙も、のちに大臣に取り立てているのである。
 春秋時代というのは、料理人の社会的地位は低かった時代である。その料理人が、大臣に抜てきされたのである。異例のことだった。破天荒のことだった。
 これに易牙は大感激する。

 では、何ゆえ易牙は大臣に抜てきされたのか。
 それは、わが子を殺して蒸し焼きにし、桓公に食べさせたからである。最高の料理を作って、桓公に食べさせたからである。
 日本人なら幾ら何でも……、と思う。
 ところが儒教圏では、これが違う。

 易牙は、君主桓公に最高の料理を捧げる前、わが子と相談した。
 「お前は、わしのために丸焼きになって君主に喰われてくれ」
 すると、子供は二つ返事で了解したという。喜んで殺されたという。儒教圏では、子が親のために死ぬことを最高の親孝行という。

 易牙は、親孝行な子供を殺し、蒸し焼きにして桓公に食させたのである。この料理に満足した桓公は、易牙を大臣にしたというわけだ。
 中国ならびに近隣の儒教圏の国では、此処までしないと“本当の親孝行”とはいわないのである。このことは『韓非子』
(二柄篇、十過篇)にも出ている。
 父親のために、桓公に食された易牙の子は顕彰
(けんしょう)して、その後、石碑が建立(こんりゅう)されたという。最高の親孝行をしたということで、後々まで語り継がれたのである。

 また、同時に「妻は良人に従う」のである。父系社会であるからだ。儒教圏での国の治まりというのは「国治まりて后
(のち)に天下平(たいら)かなり」という平天下(へいてんか)を治国の基本においてきた歴史がある。
 その基本の根底には「斉家
(せいか)の思想」がある。
 「身修まりて后に家斉
(いえ‐ととの)う」という思想だ。
 この思想によれば、確固たる個人は周囲からも祝福を受け、また称賛も受ける。これは家族を良い方向に持っていくという「斉家
の思想」である。父系社会の構造には、「妻が良人に従う」という義務が、社会をおのずから正しい方向に導くという考えが横たわっているからだ。



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