運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
旅の衣・前編 1
旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
旅の衣・前編 8
旅の衣・前編 9
旅の衣・前編 10
旅の衣・前編 11
旅の衣・前編 12
旅の衣・前編 13
旅の衣・前編 14
旅の衣・前編 15
旅の衣・前編 16
旅の衣・前編 17
旅の衣・前編 18
旅の衣・前編 19
旅の衣・前編 20
旅の衣・前編 21
旅の衣・前編 22
旅の衣・前編 23
旅の衣・前編 24
旅の衣・前編 25
旅の衣・前編 26
旅の衣・前編 27
旅の衣・前編 28
旅の衣・前編 29
旅の衣・前編 30
旅の衣・前編 31
旅の衣・前編 32
旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
旅の衣・前編 35
旅の衣・前編 36
旅の衣・前編 37
旅の衣・前編 38
旅の衣・前編 39
旅の衣・前編 40
旅の衣・前編 41
旅の衣・前編 42
旅の衣・前編 43
旅の衣・前編 44
旅の衣・前編 45
旅の衣・前編 46
旅の衣・前編 47
旅の衣・前編 48
旅の衣・前編 49
旅の衣・前編 50
旅の衣・前編 51
旅の衣・前編 52
旅の衣・前編 53
旅の衣・前編 54
旅の衣・前編 55
旅の衣・前編 56
旅の衣・前編 57
旅の衣・前編 58
旅の衣・前編 59
旅の衣・前編 60
旅の衣・前編 61
旅の衣・前編 62
home > 小説・旅の衣 > 旅の衣・前編 21
旅の衣・前編 21

「貧にして楽しむ」という言葉がある。
 貧乏を憎み、貧乏を恨めば、それはとうてい徳とは言い難く、単に“赤っ恥”を晒した赤貧という以外ない。
 だが、この“赤っ恥”を忍んで、克服した後に清貧が顕われるのだと感得するのである。
 つまり「貧にして楽しむ」次元に到達すると言うことである。そうなると、貧乏から逃げ回る自己は失われる。そして貧乏と一体になっているから、自己を追い掛ける貧乏は無いことになる。
 「貧にして楽しむ」この次元に到達すれば、貧富の差は消滅することである。あとは徳があるか、ないかの違いのみ。
 徳があれば、貧乏でも「清貧」となり、また金持ちでも「有徳の士」ということになろう。
 しかし昨今は、清貧も、有徳の士もめっきり減ってしまった。大半は赤貧であり、赤豪である。


●アウトローの果てに

 選挙違反を働いたその夜、街頭の公衆電話で、由紀子を呼び出すという思い切った行動に出た。自分でも驚くくらいの大胆な行動だった。無性に彼女に逢(あ)いたかったからである。
 何故か落ち着かず、気が立って居た。アウトロー的な仕事を働いた後の“小心者の心理”か……。
 口には言えない胸騒ぎを憶えていた。
 もう収拾の付かない、近い将来に不安を抱いていたのである。あるいは私に将来などあるのか。未来などあるのか、そんな気持ちが、一見自棄
(やけ)に趨(はし)らせていたようだ。

 しかし私はある意味で、由紀子に電話を掛けることで、一種の“運試し”を考えていた。それは彼女を慕う為の納得と、断腸の思いからなる“その気持ち”を、何とか解決しようと焦っていたのだ。
 私は賭
(か)けに出た。
 鬼が出るか蛇が出るか、……その運試しの、その何
(いず)れに転んでも、それを運命と考え、これから先の自分の運命を決定しようとしていたのだった。おそらくこれは、虫のいい祈りを捧げるようなものであったかも知れない。
 つまり、その何
(いず)れかが「運」なのである。鬼が出ても、蛇が出ても、である。
 一口に「運」と言い捨てることは容易
(たやす)いが、要するに虫のいい考え方なのである。
 それは電話口に彼女が出た場合と、出なかった場合とでは、その先の運命が大きく狂ってくるからである。しかし、その分岐点において、何れかに転んでも、それが運命と思い、この成り行きを、納得か、断念かで決定しようとしていた。鬼が出ても、蛇が出ても、である。果たして何が出るか……。

 「今夜8時、小倉の魚町で逢って貰
(もら)えませんか?」
 私は電話の受話器を取るのは、必ず由紀子であると確信していた。それ以外の者は誰も想像できなかった。唐突
(とうとつ)に切り出した言葉だった。しかし、それは不躾(ぶしつけ)な切り出し方であったに違いない。
 「一体どなた様でございますか?」少々尖
(とが)ったような由紀子の声だった。
 「ですから、8時に逢ってくれるかどうか、お訊
(たず)ねしているのです」
 私は強引だった。大胆だった。
 自分でも、この強引さは一体どこからくるものだろうかと飽きれるくらいだった。あるいはこの大胆さは、一種の血迷いだったのだろうか。
 また、それは勝手な言い種
(ぐさ)かも知れないが、生きる権利と同じくらい、感情に対する権利を持っているのではないか、という自問だった。

 「その声は岩崎君ね?」
 間違いなく由紀子の声だった。
 「はい、岩崎です」
 「突然で吃驚
(びっつくり)しましたわ。あの……、一言申し添えておきますが、あたくし、うちでは一人暮しでは御座いませんのよ。お手伝いの者も居(お)りますし、他の誰かが出たら悪戯(いたずら)電話だと思って、直ぐに受話器を下ろしてしまいますわ」
 「そんなこと僕には関係ありません」
 自分でもびっくりする程したたかになっていた。大胆になっていた。
 アウトローのような仕事をすれば、当然人間は大胆になり、強引になる。心理的にそうなってしまう。
 そして無性に女が欲しくなるものだ。女でも抱かなければ、遣りきれなくなるのである。
 これは戦地に赴任した兵士に当て嵌
(は)まる心理である。これは最前線で戦っている兵士に当て嵌まる心理である。恐怖感から、無性に性欲が旺盛になるのである。恐怖により、性腺が刺激されるからである。脳から出るアドレナリンは性腺を異常刺激し、性欲だけが高まるのである。
 この心理をよく知っているのが軍隊である。

 軍人は礼儀を正しくすべし、などと軍人勅語を唱えたところで、それは単なるお題目に過ぎない。高まる性欲を抑圧するのに何の効果もない。だから、進駐したり、最前線に派兵されれば、慰安婦が必要になる。高まる性欲の捌
(は)け口として、将兵には慰安婦が必要になる。ホモでもない限り、女なしで、自分をコントロールできるような高潔で純潔な将兵など、一人もいないのである。
 命を賭
(と)して戦ったことがある人間なら、このことは百も承知しているし、理解できるはずである。また怕(こわ)い思いをして、殺すか殺されるかの緊張が高まれば、性欲も同時に高まるのである。
 これこそが兵士の戦場心理なのである。これが分からずに、軍隊は編制出来ないのである。極端な恐怖心が性欲を異常にさせ、性腺を狂わせるのである。

 かつて日本兵は、慰安婦までもを持参した。現地調達ではなく、自前で用意した。
 ところが日本以外の軍隊は、自分の性欲相手を現地調達した。勝手に民家を襲撃し、奪い、犯した。
 地域方面の戦線を占領する軍隊が、こうした強姦事件と無縁であった軍隊は、世界広しと雖
(いえど)もどこにもいない。また、犯罪と無縁であった軍隊も、世界中のどこにも存在しない。

 逆に、そういうことを、軍隊がしないと思い込んでいるのは、よほどの楽天家だろう。
 戦いに、「聖戦」など絶対にないのだ。
 どこの国も、似たり寄ったりの軍隊や軍人を保有しているのである。
 況
(ま)して、自由陣営の軍隊が悪で、共産陣営の軍隊が善ということもない。社会システムの違いで、軍隊に善悪はない。また、共産陣営の軍隊だけが正義の軍隊でもなかったし、聖戦を戦った分けでもない。
 要するに「聖戦」というネーミングは、終戦の後の戦争処理において、戦勝国か、敗戦国の違いで決定されることである。戦勝国であれば、聖戦の名は恣
(ほしいまま)である。勝てば官軍というではないか。

 戦争は、しているときよりも、戦争が終わって、敗戦国になったときからが本当の地獄が始まるのである。平和主義だけを掲げる人間には、この「地獄」の意味が分からない。
 奪われ、襲われ、そして婦女子は強姦されるのである。
 戦争は、「行きがけの駄賃」というのがあるから、暴力が先行する期間、必ず婦女子がその対象にされる。犠牲になる。恥辱を受ける。戦時下では、これが日常茶飯事だった。
 かつては、将兵の性欲の捌け口に苦慮し、その研究を十分にしていたのが日本軍であった。日本軍の従軍慰安婦はここに始まり、また女性の多くはこれを職業として、激戦地まで赴いたのだった。
 昨今、騒がれているように無償で酷使したわけではなかった。十分な手当が支給されていたのである。戦争をしている以上、これを「悪」といえないだろう。むしろ悪と罵るのなら、「聖戦」の名で戦争をしている、その国の軍隊こそ「悪」の名にふさわしいだろう。聖戦とは、虚構の何ものでもない。

 私は、かつて激しい緊張と、心理状態に置かれた人間が、その興奮状態の中で、どういう行動に出るか、十分に知っているつもりだったし、また私自身も例外ではなかった。それは今宵の大胆な、強引な行動に出たのだった。由紀子への電話は、アウトロー的な仕事を働いた結果からだった。
 「まあッ、勝手な方!」驚愕
(きょうがく)したように言った。
 これはきつい皮肉などではなく、文字通りの意味が込められていた。
 まさに勝手だった。言われれば、その通りだった。彼女の言葉に一瞬躊躇
(ちゅうちょ)したのだった。一方で小心者の心理が、躊躇を伴わせたのだった。
 「……………」
 「今日の岩崎君、どうかしていますわ」
 「僕は今夜8時に逢ってくれるかどうか、お訊
(たず)ねしているのです」
 「そんなこと急に言われても、あたくしにだって、都合というものがありますのよ」
 「都合は、あなたの勝手だ。しかし、僕には関係ないといっているのです」
 「本当に勝手な方ね。ちょっと見損ないましたわ!」
 幻滅を露骨に顕していた。また怒っているようだった。
 尖
(とが)った声がして、それから先の返答が急に跡絶(とだ)えてしまった。何と言って返答するかその文言を探しつつ、絶句したのだろうか。
 私はその先の返事を待っていたが、返事は一言も返される事なく、遂に受話器を置かれてしまった。
 しかし、このくらいのことで諦める私ではなかった。
 少し強引
(ごういん)過ぎたかな、という反省を頭の中で反芻(はんすう)しながら、彼女がまだ電話口の傍(そば)にから離れてないことを想像していた。
 いや、絶対に離れずにいる筈だ。もう一度、私から電話が掛かってくると予測しているに違いない。それを心待ちにしているに違いない。
 私には妙な自信があった。今日の自分は確信的だった。アウトローを働いたことは否定できない事実だったからだ。

 再び、畳み掛けるようにダイヤルを回し、電話を掛けた。
 男が女に近付くには、何か秘策がいる。それなりの意図が必要で、然
(しか)も電話で呼び出す理由が適(かな)っていなければならない。それが道理と謂(い)うものだろう。
 だが、私にはそんなものはない。出たとこ勝負だった。
 決定的な要素も、説得力も、何も持ち合わせないのだ。
 それでいて、“いざ”という時の強引さだけは不思議にも残っていた。こうした場合は、圧
(お)しの一手だと思った。
 時に、小心な人間は、大胆な行動を起こすことがあるのだ。小心者こそ、大胆不敵なことをやらかすことである。
そして自らの運命を決定するには、その結果を納得するにしろ、断念するにしろ、人間の意志決定は、要するに反復しなければならないと思った。
 攻撃は反復してこそ、意味がある。
 反復が効果を生む。反復して駄目なら、その時こそが断念する時なのだ。諦める時なのだ。

 もし、由紀子が私と逢おうとしないのなら、少年のような恋の想い出を残す他はないだろう。
 しかし、二十歳を過ぎた今、喪
(うしな)った恋の想い出に浸るセンチメンタルな気持ちはない。明日をも知れない男としては、眼の前の玉(ぎょく)を強引に、掌中に納めたいと思うのが人情だろう。
 私は明日をも知れない突撃に出撃する、特攻隊員なのである。だが明日がなければ、今日にでも攫
(さら)って来て、玉(ぎょく)を無理矢理にも、強引に奪わなければならない。

 私の出撃は今日の仕事で終ったのではない。これからが本当の仕事に入るのだ。
 警察を相手に立ち回らなければならない。これから、警察との智慧比べが始まる。
 被選挙人が選挙で当選するまで、この仕事が続く。つまり選挙違反の事後処理だ。選挙の場合、特攻隊員はここまで遣
(や)る。被選挙人の防波堤になるのだ。罪が及ばないように……。
 今晩の強引な電話は、由紀子と水盃
(みず‐さかずき)が交わしたかったのかも知れない。それが、こうしたしたたかな行動に出たのだった。
 何しろ、私の残り時間は、もう24時間を切っているかも知れないと思ったからだ。
 通常では絶対に遣
(や)ることのない非常手段に出るのは、自滅あるいは破滅への衝動が働いているのかも知れなかった。ある意味で捨鉢になっていたのだろう。時限爆弾の時限装置は、作動しているように思われたのだった。

 再び受話器を握ってダイヤルを廻した。
 「今晩8時は都合が悪いのですか?では、いつだったらいいのです!」
 待った無しの、唐突な浴びせ掛けだった。強引であることは百も承知だった。何しろ残り時間がない。時間が刻々と迫っている。後がないというより、自学を余儀なくされ、未来が無いのかも知れなかった。
 受話器は確かに取られていたが、直ぐには応答が無かった。いま由起子が受話器を握っているのだと言う確信があった。由起子が受話器をとっているから、直ぐに返事が出来ないのである。返事に窮
(きゅう)しているのである。絶句の真っ只中だろう。それだけ、彼女の心も揺れ動いているのである。

 時間は刻々と過ぎて行く。
 5秒か、10秒か、もっとそれ以上か、それくらい経って、「あたくし……ねェ……。そんなこと、いま言われても困りますわ。だって急
(きゅう)すぎますもの……」
 「僕は一向に構いません。しかし残念ながら、僕には時間がありません。時間が無いのです。残り時間が無いのです。正確に言うと、時間だけではなく、明日が無いといった方が正しいかも知れません。僕の時間は終焉に向かっているのです」
 「一体それって、どう言うことですの?」
 「それは言えません、時間もありません」
 「?…………」
 黙り込んでしまったことが確認できた。動揺して言葉が出ないのである。
 「一応場所を言っておきます。小倉魚町××丁目の『ロイヤル・ルナ』というスナック喫茶です。魚町電停の電車通りを平行して、二つ目の商店街から直ぐに入った所ですから、その辺で訊
(き)けば分かります」
 彼女は訳の分からぬ心配の余り、心を混乱させ、その心配は頂点に達しているように思われた。
 時間がない……明日がない……という浴びせ掛けが、混乱を招いたのだろうか。
 だが人間、明日がないとして、いま何をするだろうか。
 明日死ぬとして、あなたは、いま何をするだろうか。それを彼女に間接的に浴びせ掛けていた。

 「もしもし、聞いているのですか?」
 私は受話器の握ったまま問い返した。
 「ええ……」曖昧
(あいまい)な返事だった。釈然とせず、あやふやだった。
 一体彼女は何を戸惑っているのだろうか。何を混乱しているのだろうか。何は他にも掻き乱されるものがあるのだろうか。
 しかし私は、駄目押し的に再度念を押した。
 「今夜8時ですよ!」
 それは“狂惜しい”ほどの気持ちが、そう言わしめたのだった。
 「……………」
 何か、今夜の都合でも考えているのだろうか。彼女は中々即決できないでいるらしい。
 「とにかく待っています!」私は強引に押し切った。
 「……………」
 「聴いているのですか?」
 「……ええ、分かりましたわ」と、あやふやな返事をした。

 本当に分かったのだろうか?……と言う疑念を抱きながら、逢いたい意向を強引に伝えたら、何とか同意してくれて、落ち合うことになった。しかし何処か煮え切らないところがあった。彼女は何を考えていたのだろうか。
 あるいは本来、彼女は社交家であって、誰にでも厚意を見せ、誰にでも直に厚意を持ち、誰にでも嫌われることが嫌なので、つい相手の多くを喜ばせようとして、八方美人的な行動をするのだろうか。それはあたかも映画俳優やテレビタレントが、自分の人気を失うまいとして、誰にでも向けるあの笑顔のように……。あの笑顔に、私の心は誑
(たぶら)かされたのだろうか。

 もし、そうだったとしたら、私はとんでもない思い違いをしていたことになる。どんだ勘違いをしたことになる。まんまと誑かされたことになる。
 歯科外科医のエリート貴公子の篠田氏に見せていたような笑顔を、嫌われまいとして、同時に、私に投げていたのかも知れない。つまり人の良過ぎる、八方美人的な厚意を……私に投げたのだろうか。
 あるいは映画俳優やテレビタレントが見せる、その他大勢へに向けた一般客と同じような、「お客さまは神様です」の商売用の微笑みの中に、私は絡め捕られていたのであろうか。
 こう、結論を出すと唖然
(あぜん)とする以外なかった。

 しかし由紀子を見ていると、どうもそんな気がしないのであった。
 私を心の中で厚意を抱くような仕種
(しぐさ)が見て取れるのである。由紀子が私を見る時の表情は、確かに厚意の象(あらわ)れであった。いかにも信頼を寄せているような表情にとれた。自惚れてはいないが、この点は確かだと思うのである。

 身の程を知らないということは、決して誉
(ほ)めたことではない。必ず思い知らされる時が来る。
 しかし、その時はその時である。
 それでもなお、発奮せずにはいられないのが、私のその当時の心境だった。これは決して誉
(ほ)められるべきものではないだろう。
 しかし由紀子ような女には、生涯のうちで、もう二度と会えないような気がするのだった。だから“今しかない”と思うのだった。
 そして、私がこういう行動をとったのは他でもない。もうこれから、二度と彼女に会えないような気がしたからである。これが娑婆
(しゃば)での“見納め”と思ったからだ。そして、「離れ離れ作戦」の“采(さい)”は投げられたのだ。私の“策”は、いよいよ実行に移されたのだ。

 逸
(はや)る気持ち抑えながら、指定した喫茶店で、由紀子と落ち逢う手筈(て‐はず)を整えていた。
 2万円で買ったサングラスは、内ポケットの奥に仕舞い込み、紳士を気取るつもりで、背広の胸のポケットには、その辺の何処かの衣料品店で買った、上等の絹の白のハンカチをそこに飾った。この堅苦しい背広は、些
(いささ)か着慣れない背広を着た窮屈(きゅうくつ)さがあった。
 苦
(にが)いブラックに、ブランディー垂らしたコーヒーをすすりながら、約束の時間を待ったが、一向に彼女は姿を顕(あら)わさなかった。やがて約束の時間から20分が過ぎて、30分になろうとしていた。段々不安が募り始めた。彼女の身に何かあったのだろうか。それともスッポかされたのだろうか。遂に、このまま来ないのではあるまいか。
 次々に、よからぬ無駄な穿鑿
(せんさく)が脳裡に過(よぎ)った。私の唯一の希望は、脆(もろ)くも崩れ去ったのだろうか。
 憂鬱
(ゆううつ)な気持ちで、自分の愚かさを笑う以外なかった。自嘲するしかなかった。間抜けな自分を笑っていた。

 時間が刻々と過ぎて行く中、
(もしかしたら本当に来ないのでは?……)そんな絶望的な気持ちに陥りながら、待ち合わせの時刻から30分程遅れて、慌(あわ)ただしく彼女がやって来た。
 私の姿を見つけると直に席の前に来て、ダーク・グリーンのコートを脱ぎながら、
 「ごめんなさい、遅くなっちゃって。いつのも近道が工事中で車が渋滞していたの。進むことも退くこともできなくて。そのことを電話をしようと思ったのだけど、何処にも電話ボックスが見つからなくて……、本当にごめんさない」と熱意のこもった言い訳をした。

 彼女の車は渋滞に巻き込まれ、暫
(しばら)く動きがとれなくなっていたのだった。その事情が分かったのである。渋滞に巻き込まれたことは、言い訳がましいというより、思いやりのある、暖かい、何かを感じさせるものであった。これこそ彼女の厚意だろう。私への厚情だろう。
 そしてそれは、待たされた時間を帳消しにするだけの威力があって、満足感と親密感が再び蘇った。やはり彼女は、私に厚意を寄せていたという確信が持てたのだった。
 すっかりコートを脱ぎ終わった彼女は、それを丁寧
(ていねい)に畳み、席の横に置いて、真向(まむかい)のボックス席に坐ると、今まで優しい眼差しを投げかけていた表情が一瞬にして豹変(ひょうへん)した。
 驚愕である。
 なぜか、私の身なりに酷く驚いた様子であった。
 「どうしたの、その背広?」
 「今日の仕事着です」
 「どんなお仕事だったの?」
 何かを穿鑿
(せんさく)する言葉のようにとれた。

 この間、ウェートレスが彼女の注文を取りに来たが、彼女はコーヒーを注文して、注文後、立ち去るのを待って「人に言えるような仕事ではありません。また言えません」と俯
(うつむ)き加減に小声で吐露(とろ)したのである。
 「何か悪いことでもしたの?」
 「まあ、そんなものです」
 「刑法に触れるようなこと?」
 彼女は鋭かった。
 「触れるかも知れませんね、検挙する方が賢ければ……」
 逮捕されたときの留置所と取調官の拷問のような取り調べを想像した。
 当時の選挙は、今と違って、“狐と狸の化
(ば)かし合い”である。一種の“お祭り”である。お祭りは、最終的には賢い方が勝つのである。勝てば官軍だった。どうしても、そうならねばならなかった。

 「えッ?!それはどういうことですの?」
 私の投げ捨てるような言葉に由紀子は驚き、心配そうな顔をした。どこか捨鉢になった気配を悟られたのだろうか。そうした雰囲気が私に漂っていたのだろう。
 彼女の目付きは、母親が、よからぬことをした子供の眼を覗き込むような目付きだった。こんな敏感さが、彼女の母性の強いところであろう。
 彼女の眼が、何処か私を叱責
(しっせき)していた。
 「昨日までは、悪い事をしたと言っても、試験でのカンニング程度のものでした。しかし今日の事は……」と云い掛けたが、そこで言葉が途切れ、その変わりに彼女は激しく切り返してきた。
 「それではまさか?!……」彼女は顔色を変えた。豹変
(ひょうへん)と言っていいような変わり方だった。

 私は図星という表情を覗
(のぞ)かせながら、「そのまさかと言うやつですよ」と云ってやった。これは私の素直な告白だった。小心者のアウトローは、こういう切り返ししか言葉が浮かばなかった。
 彼女の表情が更に豹変
(ひょうへん)して、何処か青ざめたようであった。
 私の“危ない綱渡り”は、彼女に感付かれたのだろうか。
 そしてこれはもう、私の仕掛けた術策などと言うものではなく、本物の「不測の事態」を予感させるものであった。
 しかし今にして思えば、“ほどほどの悪”に係
(かか)わったと言う自覚を持つ限り、私の意識は健全であるといえた。確かに、悪事に係わったことは事実であったからだ。
 しかしそれは選挙という、お祭り程度の悪であった。この時代の、選挙を餌に群がるブローカー達は、その程度の、お祭り騒ぎの意識しか持っていなかった。
 世間が指弾するような悪事を働いたとしても、それは自分の身から出た錆
(さび)であると認識していた。体裁よく謂(い)えば、一種の確信犯である。

 それだけに嘘がつき難い。いまどき“正直”などとは、流行
(はや)らない時代である。
 しかしその反面、政治家の嘘に噛み付き、指弾する、その他大勢の庶民は多い。選挙前の当選政治家の公約に揚げ足を取り、公約違反だと指弾する進歩的文化人や革新政治団体は多い。
 しかし、こうした集団の人達も、正直を趣味として生きている人ばかりではないだろう。人間は嘘をつく生き物だ。嘘を奨励する気持ちはないが、かの明智光秀でも、仏の嘘を「方便」といい、武門の嘘を「武略」というといい、これこそ人間が嘘をつく生き物であることを、雄弁に物語った格言である。

 一方、自称“自分が正直な人間”と自負している人は、自称“自分の正直”を楯
(たて)に、他人にもその道徳を期待する。押し付けがましく強要する。しかし、それはお節介の何ものでもないだろう。
 その癖に、殆どの人は税金を誤魔化
(ごまか)し、隙(すき)あらば妻や夫以外に異性を浮気をして、何れも隠すと言う策を用いるではないか。

 民主主義下では、被選挙人も選挙人も、所詮
(しょせん)この程度の人間の寄せ集まりなのである。
 現に政治権力の世界でも、司法権力の世界でも、賄賂
(わいろ)が横行しているのは暗黙の了解ではないか。歴然として陋規の世界が、裏で存在している。だが陋規といっても、ルールは存在している。ルール無しで陋規は存在しない。そしてその要が賄賂術の妙である。国際政治もこのルールによって成り立っている。
 ここに欲に転ぶ人間の実態がある。そして人間は、両者双方が、誰でもこのように作られていると言う、まさに、これこそ「平等」という名に相応しい「穏当の平等」というものではないか。
 ここにタテマエなどと言う、鎧袖
(がいしゅう)を脱ぎ捨てた人間を見る思いがするではないか。
 人間が裸になれば、最後はこうなる。

 私の場合、悪事に加担したと、確信的な意識がある為、時代に不相応な、間抜けな正直者といえた。この間抜け具合が、危ない綱渡りをする元凶だったかも知れない。
 急にこの場の雰囲気が暗くなった。
 この暗さは周囲の大気まで陰鬱
(いんうつ)に侵し始めたような気がした。由紀子が混乱していることが、よく分かった。そして彼女は、接(つ)ぎ穂の何かを探しているようであった。
 この間、時間は刻々と流れて行くようであった。
 この間隙
(がんげき)を縫(ぬ)って、彼女が注文したコーヒーが運ばれて来た。

 コーヒーカップの縁に、微かに口を付けた彼女は、遂に質問の糸口を探したようであった。
 「岩崎君、お尋ねしても宜
(よろ)しいかしら」
 「はい、何でしょうか?」
 「あたしね、率直に申し上げますけれど……、その……、岩崎君は……」と、言葉を引き伸ばした後、こんなことをぽつりと云った。
 「?…………」
 私は意味不明に苦慮した。
 「つまり下手な綱渡りのような……」
 「?…………」
 私はそれを黙って聞く以外なかった。
 「岩崎君って、人にない怕さがある……。何処か捨身で墜
(お)ちそうな、そのくせ中々墜ちずに、散々に勿体(もったい)付けた挙げ句、周りの他人を巻き込んで、ハラハラ・ドキドキさせずにはおかないような、危なかしい処が……。岩崎君にはそういうところがあるわ……。それが怕い……」と俯(うつむ)き加減の、先細りのような言葉を洩らした。
 それは私を叱責し、また同意を求めるような発言だった。そして、その危ないところが、実は困り者だという指摘のようでもあった。

 由紀子は何か言葉を繋
(つな)ごうとしているのであろうが、抽象的な御託(ごたく)が先行して、彼女の言葉は、あまりも具体性に欠けていた。その真意が計りかねた。
 その「お返し」として、私も抽象的な言葉で対決するしかなかった。
 「僕は運命から呪
(のろ)われて育ったのです。子供のときから呪われていました。運命は何処までも勝者を愛し、敗者を無視します。いや無視するどころか、指弾し、ついには虐待(ぎゃくたい)する。敗者に微笑み一つ掛けません。無視するどころか、憎んでいるかも知れません。僕は憎まれた敗者です。だから、呪われているのです」
 私は確かに呪われていた。その良き証拠が社会不適合だった。
 「どうして、そんな言い方なさるの」
 「この世の中は勝者の世の中で、敗者のための世の中ではありません。だからこそ、多くの人は、勝者になるために奔走
(ほんそう)するのです。誰でも“負け組”に入るよりは、“勝ち組”に入りたいと願うのです。
 この世の中は、まさに勝負の世界です。だが僕は完全無欠には程遠い人間です。未完成極まりない、危ない綱渡りをする人間なのです。生れついての下手な曲芸師です。僕の下手な曲芸で、もしハラハラ・ドキドキしたのなら謝ります」自棄
(やけ)半分で、矢継ぎ早に煽(あお)り立てた。
 「もう少し、素直になったらいかがかしら……」彼女の叱責するような眼があった。その眼が私の心の中まで睨み据えたようであった。

 「僕は自分に素直に生きていますよ、真面目なくらい素直にね……」
 「真当
(ほんとう)かしら……」
 「真当ですよ」
 「無理しているみたい」
 「無理などしていません。素直な眼で見ていただければ、そのことが分かります」
 「それ、断言できるかしら?」
 私は少しばかりムキになって反論を企てた。
 「ええ、断言出来ますよ」
 「どのように?」
 「喩
(たと)えば鴉(からす)が孔雀(くじゃく)の真似をして羽を広げるのは、実に滑稽(こっけい)ですが、孔雀が鴉の真似をして枯れ枝に止まるなどは、全く似合いませんからね。これこそ滑稽といわねばなりません。
 この世の中で、お行儀よく、正直に生きたいと思っている反面、楽しむだけ楽しんで、現世に何も思い残すことはないという生き方もなかなか捨て難いものです。そう思いませんか?」
 「そんな生き方、悲しいわ。何かに自棄
(やけ)になっているようで……」

 由紀子は沈鬱
(ちんうつ)な、それでいて、何処か私に哀れみを投げかけるような顔をした。
 それに対して私は、己
(おのれ)のうちの意馬心猿いば‐しんえん/欲情の押さえ難さ)が、ややともすると狂い出しそうな感覚に囚(とら)われはじめていた。まさに欲情の押さえ難さが憑(つ)き纏(まと)う、煩悩(ぼんのう)の犬なろうとしていた。
  私は急遽
(きゅうきょ)話の矛先(ほこさき)を変えた。
 「ところで、あなたはいつまで北九州にいるのですか?」
 「お正月が終わったら、直ぐに東京に戻りますわ。来年二月の最後の試験や卒業も間近だし、三月には国家試験は控えていますもの」
 「勤務先は決まりましたか?」
 私はやがて勤務先になるであろう、病院の医局名を聞き出そうとしたのだった。
 「まだなの。でも、こちらに決めようかと思っていますわ。父も母も八幡ですから」
 「そうですか。そしたら、また逢えるかも知れませんね……」と返答しながら、言葉が次第に尻窄
(しり‐つぼ)になっていくのが分かった。

 私は、そんな遠い存在になってしまうような口ぶりで、彼女に囁
(ささや)いた。勘のいい彼女は、豹(ひょう)が忍び足で私に近付いて来るような恐怖を逸(いち)早く感じ取り、これから起こることに、何か気付いているように思われた。
 「何処か、遠くに行ってしまいますの?何だかそんな気がしますわ」
 由紀子は何かを確かめるように訊いた。
 私はそれをはぐらかすように、
 「何処にも行きませんよ、僕には会津自現流の道場がありますからね。それに気宇壮大な志
(こころざし)もあります。僕にはこれを簡単に捨てられる程、そんな大それた勇気はありませんよ。根っからの臆病者で、小心ですから」と嘯(うそぶ)いた。
 「でもあたし、岩崎君が臆病者であった方が好きですわ」
 「充分に臆病です」
 「なんだか嘘っぽい。でも、やはり小心者の岩崎君の方が好きですわ……」
 「安心して下さい。正真正銘の小心で、根っからの臆病者ですから」
 「その言葉、簡単に信じられないわ」
 「信じて下さい」
 「でもねえ。あたしの願いは、無理に、下手な綱渡りをする曲芸師になるよりは、臆病で、綱渡りをすることを怯
(おび)える人になって頂きたいわ」
 「その手の臆病者ですか……。綱渡りの綱の前で怖じ気づいて尻込みする。渡らずに引き返す。そういう臆病者もいいですねェ。しかし、もともと臆病者の僕が、これ以上の臆病者になるって、どんな臆病を演じたらいいのだろう……。もう十分に臆病ですが……」
 自嘲するように言い捨てたのだった。
 「そういう物の言い方をする人は、決して自分を臆病などと思っていませんわ。自信があるから、自分を臆病とか小心とか云って偽り、心にもないことを言うのですわ。違うかしら!」と、そう言って鋭く斬り込んできた。
 「……………」
 図星されて、返す言葉がない。黙る以外なかった。
 しかし由紀子は、私の言葉の裏を見抜いているように思われた。その証拠に神妙な面持ちで、
 「でも……、黙って何処かに行っちゃいやですよ。あたし、女ですもの……」と、沈鬱
(ちんうつ)な表情をして見せた。それは蛮勇を侵すなという意味だろうか。
 「えッ?」思わず訊き返した。
 これはどういう意味なのか、そして彼女の真意は何処にあるのだろうか。
 彼女にとって、篠田氏の存在は何処まで進んだ関係なのだろうか。
 それとも、どちらとも決めかねて、三角関係の板挟みになっているのか。
 そんなことを勝手に空想しながら、彼女の最後に云った言葉を思い返してみた。

 空虚
(くうきょ)と焦(あせ)りと不安が、同じ輪の中で三つ巴(どもえ)になって交差し、互いに鬩(せめ)ぎ合いをしながら、一時間程が過ぎた。私はもう帰るべき時機(とき)が来たことを悟ったが、この場の甘美な空気をもっと吸っていたかった。しかしそれは許されないようだ。
 私には後味の悪さが何処までも憑
(つ)き纏(まと)った。一応由紀子に逢えて目的は達せられたものの、何か忘れ物をしたような、言葉に表わせない、すっきりしないものがあった。とにかく今宵は、これで席を立つ以外ないだろう。

 私は席を立った。続いて彼女も席を立ち、私は勘定を済ませて、二人は店の外に出た。
 「それでは此処で……。ご機嫌よう」
 由紀子は微笑んで会釈
(えしゃく)をした。
 もうこれで立ち去ってしまうのかという、呆気
(あっけ)無い別れであったが、果たして私の目論んだ密会は目的が達せられたのだろうか。
 「もう少し付き合ってくれませんか?」
 私は畳み掛けるように切り出した。今日で“娑婆での見納め”と言う未練があったからだ。
 この言葉に彼女は微笑み、ただ頸
(くび)を横に振るだけだった。それは駄目よと言う意思表示であった。
 「では……」と彼女が言って立ち上がった。

 今夜はこれで“お開き”なのだ。そんな直截
(ちょくせつ)な表現だった。
 断られたのだ。無念な思いだった。自棄がいっそう激しくなった。
 そして惨めさがだけが付き纏
(まと)った。
 自身の惨めさを見るのは、もう、これ以上沢山と言う感じだった。私も頸を振ったのだった。汐時だった。
 それは“今夜は駄目”と云う意味なのか、“もう今後、二度と逢いたくない“と云う意味なのか、その何
(いず)れかが計りかねた。私の強引さに呆(あき)れたのだろうか。それとも自暴自棄(じぼう‐じき)に趨(はし)る人間の結末を懸念したのだろうか。
 しかし由紀子のその微笑みは、何なのか……。また、なぜ頸を振ったのか……。
 穿鑿
(せんさく)しかねるものだったが、何処か作られたような、悲しい微笑みでもあった。そして、一瞬の哀切(あいせつ)が脳裡(のうり)を過(よぎ)った。

 私も作り笑みで会釈を返すしかなかった。二人は此処で訣
(わか)れた。
 そして私は、心の中で彼女に《左様なら》を告げた。
 もう、二度と彼女に逢うことはあるまい。そんな《左様なら》だった。また、それが捨鉢な気持ちにさせていた。恋に破れた男のようだった。振られて、怖
(お)ず怖ずと退却する負け犬のようだった。


 ─────突然、突風が吹いた。一瞬のことだった。冷たい風だった。
 寒風が吹き抜け、私の背筋を凍らせた。それは何か近い将来を暗示させるものであった。あたかも、転げ落ちていくような……。
 私はこれから長い人生を、無責任な傍観者
(ぼうかん‐しゃ)として、また外野の野次馬(やじ‐うま)として、何事も深入りせず、広く浅く人生を楽しむつもりになった。そのためには人と関係しないことだ。人間関係を持たないことだ。離人症患者のように、外部世界との関係を断ち切ることだ。
 しかしこの生き方は、果敢
(はか)なくも崩されていた。由紀子の魅入られたからだ。
 そして得体の知れない不安を感じた。
 何事か、得体の知れないものに警戒し、回避した積もりであったが、最も望まざるものが押し寄せようとしていた。それは未知の不安への暗示だったかも知れない。アウトローに憑
(つ)き纏(まと)う、後味の悪さとでも言おうか。

 私は心の中で反芻
(はんすう)する。
 何故、これ程までに急ぐのか。なにゆえ自暴自棄に趨
(はし)るのか。何処から何処へ、何をしに行こうというのか。そして、急いだ先に何があるというのか。
 とにかく何かに急
(せ)き立てられていた。
 そんな反芻が脳裡
(のうり)を過(よぎ)り、それはあの夏の綾羅木(あやらぎ)の海で、由紀子を見た時の、あの時から徐々に成長し始めいたのではないかと思う……そんな偶像が、私の心を支配し始めていた。やはり魅入られたのだった。何処も彼処も占領されてしまったのである。
 もうそして、後戻り出来ない処まで来ていた。行く着くところまで、行くしかない。
 再び風が激しく吹いた。
 一瞬の突風が、それを暗示しているかのようであった。


<<戻る トップへ戻る 次へ>>


  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法