運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 50

人生は「プラス・マイナス・イコール・ゼロ」という人生の『貸借対照表』の辻褄合わせが働いている。
 何びとも、これを逃れることは出来ない。一方的に得をすることもないし、一方的に損をすることもない。必ず最後には、帳尻合わせが起こる。
 要するに最終的にはプラス・マイナス・イコール・ゼロなのである。


●上京計画

 私は同時に二つ以上のことを考える性癖がある。根っからがマルチ人間である。一つのことを、一つずつ解決できない質(たち)である。二つ以上のことをやって、違うことを同時に始めてしまう性癖がある。
 これがいいか悪いか、あるいは人間は巧く行くか否か、人それぞれだからどちらが適応しているか、明言できないが、私の場合は性癖を性癖のまま受け止めて、それを実行した方が巧くいくのである。換言すれば「なんとかなる」のである。
 このときも同時に二つのことを進行させていた。
 その一つが、松子の家庭教師である。しかし金にはならない。間接的な利益は後から訪れようが、当面の路銀とはならない。
 もう一つは戦いを挑むにあたり、松子を「渡りに舟」として手懐
(てなず)け、狼の牙(きば)を抜いて、従順に飼い馴らし、その然(しか)る後に、再教育が終了した時点で敵陣へ放つ。
 勿論、巧妙に変装させて、逆鉄砲玉としてでである。
 だが、返り討ちの可能性も否めない。そうなると最悪だ。
 そのために先駆けて情報が要るし、充分な下勉強がいる。

 作戦の手始めは、まず味方を欺
(あざむ)くことであった。
 味方を欺くことが出来ずして、敵を欺くことは出来ないのだ。詭道を用いてどこまで通用するか、その明暗を占う必要があった。女の勘を騙し終えたら大したものである。
 由紀子を騙し、次に松子を手懐け間者
(スパイ)として再教育する。二段構えだ。
 しかし、二兎追う者は一兎も得ず。同時に二つのことをして、そうそう巧くいくことは無い。むしろ両方失敗する可能性が大である。


 ─────先ず由紀子を欺く策。
 刀剣関係の本を一切持ち帰らなかったことは、まさに正解であった。そして骨董の勉強のために、一週間程を費やしたであろうか。
 しかし骨董の目利きになるのは、これだけでは足りないのだ。日本美術史を、更に深く研究しなければならないのである。目利きの上を行く、目利きにならねばならない。
 私が目を付けた、『三宝堂』の主人も、茶室を構えていることからして、かなりの“目利き”であろうと踏んだのである。これに対抗するには、私自身が、かなりの目利きになる以外ないのである。
 結局、骨董の目利きになるとは、日本美術史にも通じていなければならないということなのだ。
 したがって、日本美術史を研究するには、書画骨董および道具類の範囲だけでは駄目である。茶道にも通じ、茶室やその建築にも、
ある程度の知識を詰め込んでいなければならない。更には、庭園の勉強をしなければならなかった。
 正直言って、古美術を勉強するには、庭園を学ばねばならず、これを避けて通る訳には行かなかった。茶庭も勿論の事であった。
 こうした猛勉強が、また明日から始まるのである。
 まず、はじめに何処かに出かけて行って、庭園からと思ったのであるが、いきなり実地ではその成果も薄く、とにかく今は文献による下地を造りに専念したのである。手始めに茶道全般の下調べに掛かったのである。

 茶道を勉強するには、単に茶道そのものを研究修練すればよいと言うものではない。若い女性が嫁入り道具の一つとして、お茶を習うのとは端から次元が違うのである。茶の湯には、嫁入り前の娘が芸事に一つとして、習う以上の奥深いものが横たわっているのである。古美術と大いに関係があるのである。
 したがって、茶室の勉強が欠かせないのである。
 茶室を勉強すれば、次に「茶庭」というものの構造様式を研究しなければならない。
 茶庭とは、茶室を囲んでいる庭の事であるが、通常はこれを「露地
(ろじ)」と呼んでいる。露地の多くは“外露地”と“内露地”に分かれ、その中程に「中潜(なか‐くぐり)」をつけて、更に内露地の奥に茶室が造られているのである。
 また外露地には「寄付
よりつき/庭園などに設ける簡略な休息所または茶会の待合)」があり、茶会に呼ばれた客達はここで待ち合わせをしたり、服装を改めたりして、中潜を抜け内露地へと入るのである。その後、客は茶室に入るのであるが、入る前に蹲踞つくばい/石の手水鉢を低く据えてあって、手を洗うのに茶客が「つくばう」からこう呼ばれる)で、口を漱(すす)ぎ、手を洗うのである。

 茶道は単に、茶を飲むだけの作法ではない。
 これを大局的に捉
(とら)えれば、一つの宇宙として捉えなければならない。そのために、露地にこれだけの施設を置くのである。そして露地の庭としての意味は、何処にあるのか、それを研究しなければならない。これが茶道のメインテーマなのだ。茶道が「道」と名のつく以上、そこには茶の湯の道があるのである。思考を総動員して求道を模索しなければならない。それだけに奥深い。
 それは“外の世界”からの日常空間から、茶の湯という別世界に導き入れる通路たるべき“通り道”が露地の第一の意味なのである。したがって此処は、日常生活の空間と同じであってはならないのである。外の世界と同じの日常空間の延長であっては、茶の湯の“別世界”へと導き入れることができないからだ。
 また飛石
(とび‐いし)も、「宗易(そうえき)ハ渡りを六分に、景気けいき/景色を景観として添えるもの)を四分に居(すえ)るよし」とあり、これは今日でも“古伝”として伝えられている。
 「渡り」とは、通路としての効用であり、景気とは眼で見る「眺
(なが)め」であり、したがって飛石は意識せず、表現的であってはならないのである。こうして露地の持つ、芸術的隔離性の意味が明白になってくるのである。

 蹲踞
(つくばい)で口を漱(すす)ぎ、手を洗うのも、実は心頭を漱(すす)ぐ為のものであり、ここにも隔離性の意味が、明白に顕(あら)われているのである。
 しかし、こうしたものを研究すればするほど、その奥の深さを思い知らされ、散々これまで図書館にも通い詰めたが、地方図書館の書籍のレベルでは、どうしても限界があることを感じ始めていた。
 地方では駄目だ。もっと大きな、書籍量の豊富な図書館でなければ駄目だということに気付き始めた。それに気付くと、ついに頭を抱え込んでしまったのである。
 『三宝堂』の主人と対決するためには、この程度の狭い知識では駄目なのである。もっと幅広く、もっと深いものが必要であった。それは知識の集積ではなく、智慧
(ちえ)の豊かさが要求されたのである。書画骨董の奥深い智慧が必要なのである。
 必要に迫られて、
(あそこしかないかない)と、そう思った先が東京都千代田区永田町にある国立国会図書館であった。ここの書庫の総収蔵能力は約1,200万冊といわれている。ここで読める限りの日本美術史に関する蔵書を貪(むさぼ)り読むことしかなかったのである。

 さて、こうなると東京にまで出掛けて行くことになり、これを由紀子にどう説明するかという厄介な課題が残された。果たして、二つ返事で行かせてくれるものかどうか……。
 駄目だと言っても、強硬突破で行くしかないだろう。さて、これをどう説明するか、そんな難問が私の脳裡
(のうり)を支配し始めていた。
 兎
(と)に角(かく)、計画を立て、それを実行する以外ないのである。交通手段並びに、滞在する期間や宿泊先も決めなければならないであろう。また、それに掛かる費用も用意しなければならない。
 時間は刻々と迫っていた。悠長
(ゆうちょう)に構えている時間はない。そんな焦(あせ)りが私を覆(おお)い尽くそうとしていた。


 ─────私は“三泊四日”の計画を立てた。
 まず、朝一番の便で、福岡空港
(当時は板付空港と称していた)から飛行機で一足飛びで、羽田に飛び、そこから永田町の国会図書館にタクシーで向かう。まず開館している時間をフル活用し、終日まで集中して日本美術史の研究をする。徹底的に勉強し、これに没頭する。
 夜は、神田神保町界隈の修学旅行相手の安旅館に泊まり、再び翌朝、国会図書館に向かう。
 ここで猛勉強して、知識を吸収し、研究を繰り返す。二日目も三日目も同じであり、通い続ける。
 最後の四日目は、午前中まで此処で研究した後、その研究の成果を京都まで出向き、仙洞御所
せんとう‐ごしょ/太上天皇(上皇)の御所で、仙院ともいわれる回遊式の庭園で名高い)で試してみようと思ったのである。
 その日の午後、新幹線で京都まで向かい、そこからかつての平安京の南北に通ずる、烏丸通りを真っ直ぐ北上して、仙洞御所に行く予定を立てていた。此処までは、完璧であると自負したのである。
 そして更に一つ、どうしても見なければならないものがあった。
 それは雨に濡れると、光沢を帯びると同時に、付着していた苔
(こけ)がはっきりと現われるという天下の名石の「一升石」であった。

 これを観ずして、庭園は語れない。下手に語ると馬脚が出て、付け焼き刃を暴かれる。
 更に、何よりも仙洞御所は回遊式庭園であり、これをじっくりと参観するつもりであった。こうしたことを綿密に計算したのである。これで準備は総
(すべ)て整ったのであった。「よし、これで用意万端!」そんな自負が、裡側(うちがわ)に湧き起っていた。
 ところが出発前に解決しなければならない事があった。それは由紀子への説得である。
 「義あって助太刀
(すけだち)申す」旨(むね)を、由紀子に説明しても、果たして理解してくれるだろうか。
 さて、どうすれば説得出来るか、その思案に暮れていた。
 だが、なんとかなるものだ。
 ちょうどお誂
(あつら)いの出汁(だし)がいた。松子である。


 ─────松子を手懐ける策。
 だが、これが難しい。
 何しろ、交換条件があって、松子が命を張って仕入れて来る情報と、教授料を交換するからである。
 松子を逆スパイとして、安田組に潜り込む。これだけで充分に危険である。その危険を承知で、松子に逆スパイさせる。もし暴かれでもすれば、松子はタダでは済まないだろう。万一そうなれば煮て灼いて、八つ裂きにされて、無慙に啖
(く)われるだろう。
 思えば、哀れである。
 これまで観察していて、松子には何処か翳りがある。今は愉しそうにしているが、何か過去の冥
(くら)い影を引き摺っている。時として、それが鬱陶しく映るときがある。自らの心の奥に、秘められた渇望(かつぼう)の化身(けしん)が隠れているのかも知れない。
 それが哀れで、何故か悲しい。
 敢えて火中の栗を拾い、逆鉄砲玉として、松子はそれも辞さないことを仄
(ほの)めかした。
 危ない橋を渡るのである。それも辞さないと覚悟を決めている。
 それを家庭教師の料金と相殺するという。果たして、東大理科三類を受験する気など、最初からあるのだろうか。この辺も釈然としなかった。欺
(あざむ)くための、何かのカムフラージュか。

 勉強は一人で遣った方が伸びる……。
 個別学習の定義である。個人学習の定義でない。「個別」ということが謳
(うた)っていることが重要なのである。これを理解できなければ、この定義は成り立たない。この定義に基づき、教え過ぎることから、教えないことを徹底する。それは依頼型でなく、自立型の勉学法を学ばせるためだ。自分一人で、学ぶのである。その根本を知り、自立型の勉学法を会得する。
 例えば、水が飲みたければ、飲ましてもらわずに自分で飲む。餌は口を開けて俟っているのでなく、食べたければ、自分の方から餌取りに行く。これが勉学に置き換えれば個別学習とは自立型学習方法なのである。この定義の徹底的な理解であった。指導するのは、方向性だけなのである。
 花咲か爺さんのポチは、「ここ掘れワンワン」以外、何もしない。吼
(ほ)えるだけである。ポチは穴を掘らない。掘るのは花咲か爺さんなければならない。
 だが欲張り爺さんは、欲に転んだ末に同じ柳に下に二匹目の泥鰌は居なかった。花咲か爺さんのように、小判はザクザクとはならなかった。方向性を間違ったからだ。要は何処を掘るかである。したがって「どこ」という場所が肝心である。同じ掘る作業でも、愛犬報恩は、どちらに報いられるかである。
 個別指導は、ここ掘れワンワンならぬ「ここ読めワンワン」なのである。肝心なる場所を示すだけである。

 さて、丸め込み欺くと、手懐けるの、この同時進行策。双方は平行にして進めなければならない。
 どちらかというと、マルチ的と言うより山師的である。だが、どうも最後の詰めが甘い。
 その詰めの甘さを、松子の家庭教師に感じる。何かもっといい効果策はないか。
 そのとき、はたと閃
(ひらめ)いた。由紀子への置き土産だった。彼女に松子を押し付ければいいのである。
 この間、松子の家庭教師をさせる。一石二鳥である。ベストアイディアだった。これでこそ山師の奇策。

 まず上京に先駆けて、準備しなければならないことがあった。
 由紀子の家庭教師見習いである。指導する方が、勉強は一人で遣った方が伸びる……を徹底理解する。これがなければ、個別の定理は成立しない。また個別は、指導の手抜きでもない。「ここ読めワンワン」が理解できなければならない。
 知りたい箇所は、みな教科書に書いてある。教科書に無ければ、類似問題を参考書から探し、その解放を学べばいい。知りたいことは、みな本に書いてある。これ以上の定義はない。だが、これは完全に理解した上で成立する。

 先ずはこの定義に従い、松子の理解から……。
 定義を持ち出した。
 「健太郎」いきなり呼び捨てから始まった。いつものことである。
 「なんだ?」私も呼応して遊んでやる。彼女の癒しになるからだ。
 「魂胆があろう」今度はいきなり腹を読みやがった。洞察力が鋭い。抜け目がないと言うべきか。
 「ひとを格安料金で扱
(こ)き使って、山師的な一石二鳥を企てていないか?」
 「なかなか鋭いな」
 「健太郎って、自己資金出費恐怖症ね。それ、心理分析では、出し惜しみをする自閉症の一種と考えられている。知ってたか?」
 「だいたい、そういうの。いったい何処から仕入れて来るのだ?」
 「言っただろ、特技は立ち読みだと」
 このド根性。大いに利用できる。「ここ読めワンワン」が、既に出来上がっている。願ってもない最高の構図だった。だが問題は、指導を受ける側でなく、指導をする方の側にある。
 果たして堅物の、四角四面で割り切ろうとする由紀子に理解してもらえるだろうか。

 私は、松子と二階の屋根に上がっていた。松子は何故か高いところが好きなのである。
 今日も程よい初夏の陽射しだが、午後の太陽は些か陽射しが強い。松子は、わが家から番傘を持ち出して、これを日傘代わりにしている。そして昨日と変わらず、県立T校の白の半袖の上衣に紺色のスカートの制服である。この制服と二階の屋根の上が好きであるらしい。

 実家は八幡大蔵地区の少しばかり奥まった小高い丘の高台にある。見晴らしがいい。下界が望める。
 土地家屋の敷地は150坪ほど。家屋の建坪が上下併せて60坪ほどであろうか。小さくもなく大きくもなくと言うところであろう。
 旧家の跡を父が生前買い取ったもので、定年退職後は建て直して、此処に棲む予定になっていた。
 ところが退職5年前に父は死亡し、母ひとり子ひとりで残されてしまった。家は古くて、至る所にガタが来ていた。風呂も毀れたままで、便所は水洗でなかった。高台で、径が細いから、バキュームカーが上がって来ない。そこで、畑に穴を堀り、その中に汲み取って肥溜めを造り、肥を畑の肥料にして蒔
(ま)くのである。
 私は当時、此処には棲んでいなかったので、母ひとりでは手が足らず、畑は荒れ放題だった。そこに松子を置いたのである。一宿一飯の恩義として、屋根の修理や肥汲みくらいはしてもらう。そういう仕事を嫌がらずにしてくれることは、大助かりだった。
 また母の話し相手にもなって、母に寂しい思いをさせなくて済む。それに、母も松子を気に入っていた。
 松子と言う小娘、不思議である。何にでも順応する。何にで巧く化ける。特技は変装と自負しているくらいである。妖精のような存在だった。

 さて、由紀子の家庭教師見習い。問題は、由紀子が松子の家庭教師をするのでなく、松子が由紀子の家庭教師役の相手をして遣るのである。この場合、子弟の逆転ならびに下克上があった。
 どう理解させよう。まだ松子を紹介していないし、由紀子の諒解すら取り付けていない。
 さて、どうするが。
 「健太郎、暫
(しばら)く姿を晦(くら)ますそうだな」
 「そうだ。そこでだ。その間、おれの代理を用意した」
 「代理だと?」
 「お偉い女医さまだ」
 「そんなのには驚きはせん」それがどうしたという言い方だった。
 「おまえだったら、そうだろうな。その驚きもしないやつが、もう直遣って来る。交渉して、一発で話を纏めろ」私は松子の話術に一縷の希
(のぞ)みを託した。
 「なんで、そういう厄介なことしないと駄目なのか」
 「おれにも、話せば、辛くて長い事情
(わけ)がある。そこを察してくれ」
 「それを理解せいというのか。少しばかり虫がよ過ぎはしないか、受講者の意見と諒解も取らずに。本来は健太郎に依頼したのだぞ。それでは話が違うではないか。これで、命を張れと言うのか」
 「そこを、なんとか……」手を合わせて拝んでみた。
 「なんとかだと!」
 「そう目くじら立てるな、愛くるしい美少女が台無しだぞ。そこをなんとか、分かってくれ」
 「分からん!」一蹴した。
 「おまえ、その辺になると、急に理解不能となるのだなァ」
 「おい健太郎。下から誰か上がって来るぞ、それも女だ」
 松子は遠くから坂道を上って来る由紀子に指を差した。
 「それが、例の女医だ」
 「おまえの何だ?」
 「それはだなァ……」思わず言葉を濁した。
 「訊くだけ野暮か」
 「そうだ」
 「そう照れるな。健太郎の女であろう、隠さずともよい」
 「隠してなんかいない」
 「だから、苦しゅうないと申しておろう」
 「おまえ、いつからお姫さま言葉になった?」
 「先祖代々」
 「先祖代々だと?……やはりそうだったか、血筋というやつだな」
 「血がそうさせる」
 「ヤッパの俊は?」
 「子平の企てだ」
 「つまり、子平は、おまえの家の家老か執事だったということか?」
 段々事情が呑めて来た。松子が子平を「昔のヤクザ」と表現したのは、俊宮家が今は没落したと言うことだったのだろう。そして「昔のヤクザ」は堅気とは違う意味だろうが、庶民の下々とも違うという「格」からくるものだろう。
 「そのようなものだ」
 「なるほど」
 「感心するな」
 「感心などするか、流石
(さすが)と思ったまでだ。感心とは、ちとニュアンスが違う」
 「ヤッパの遣い方も、指南したのは子平か?」
 「そうだ。子平は中條流小刀の達人だった。しかし歳には勝てん。老衰で弱っていたところを斬られた」
 「誰にだ?」
 「だいたい検討は付いているが、ハッキリとした証拠がない」
 この時はヤクザの縄張り争いで、斬殺されたと言うことで片付けられたという。
 「それは任せろ。心当たりがある」
 私はこの時代に辻斬りをするような人間に心当たりがあった。
 昭和30年から40年代に掛けて、夜中、動物を斬ることをしていた人間がいた。
 現に犬を斬り、斬った犬の首をゴミ箱の投げ捨てて放置した。そして朝、ゴミを捨てようとして近所の主婦がゴミ箱の蓋を開けたら、犬の首が真中にデンと坐っていたという。主婦はその首を見て、腰を抜かすという大騒動があった。そのとき警察の大掛かりな捜査網が敷かれた。
 また時には、人間が辻斬りに遭遇することもあった。

 「さあ、女が来たぞ。どうする?此処まで上がってもらうか。それとも、こちらが降りるか?」
 「おもしろい、上がってもらおう」
 「では招け。しかし貼り紙に気付くかなァ」
 「なにが?」
 「突風に注意」
 「うム?……」

 俊宮松子は何から何まで読み切っているようだった。策士の上を行く、超策士であった。
 若くして炯眼
(けいがん)というべきか。
 「健太郎、チャンスは一度だけだ」
 「分かっている。幸運の女神は前髪はあるが、後ろは禿
(はげ)で、通り過ぎて後ろ髪を掴もうとしても、掴めない。分かっているよ」
 「楽観するな、前髪を掴んでも抜け毛の烈しい女神もいる。その安易さが命取り」
 「なるほど、交通標語的で分かり易い。慎重な考えだ。まさに一利ある。その女神、鬘
(かつら)だな」
 「それって、近視眼的に見ていないか」
 「どういう意味だ?」
 「もっと離れて客観的に眺めろ。つまり突き放せ」
 「深いな」観察眼の深さに驚いた。
 「すると、全体像が見えてくる」
 逆に松子に諭され、感心した。
 「離れると、同じ前髪でも、抜け毛か、鬘か分かるということか。なるほど、説得力がある」
 「健太郎の腹は読めたぞ。要するに、ここ数日間、姿を晦
(くら)ませている間、女を惹(ひ)き付けておくと言う魂胆だな、安全弁代わりに。そうだろ?!」
 「図星だ」
 「相手にしてもらうのではなく、こちらが相手を、相手してやる。逆家庭教師の構図を作ると言う訳か。
 大した山師だ。これ、少々高いぞ」
 これは松子の深読みではなく、先読みであった。機転が利いていた。
 「恃
(たの)めるか」
 「もう恃んでいるだろ」
 「その読み、なかなかなものだ」
 「安心するのはまだ早い、これからだ。昨日根回して、よく口説いて丸め込んでおいたか」
 何もかも見抜いて、得心しているのである。まさに炯眼というべきか。
 「チェック!丸め込みは完了」
 「それが甘いと言うんだ」
 「だが詰めは、おまえ次第だ。巧く丸め込め」
 「この料金、あとで加算するからな」
 「おまえ、それは重加算税だぞ。もう商売人の領域ではなく、税務署員の領域に入っているではないか」
 「山師度にスライドさせた、公正な累進課税といって貰いたい」
 松子と話すと驚くことばかりだった。高が小娘と、頭の程度を軽く見ていたが、果たしてこれが立ち読みだけで理解したとなると、大変な頭脳の持ち主と言うことになる。まさに個別指導の看板娘候補だった。


 ─────昨日のことである。由紀子が仕事から帰って来た。開口一番、こう切り出してみた。
 「あのッ……、明日から三、四日ほど留守にしますが宜
(よろ)しいでしょうか……」遠慮気味である。
 私は畳に両手を着き、深々と頭を下げていた。この場は低姿勢に徹するべきであった。頭を低くして頼み込む以外なかった。恐る恐る切り出したのである。
 「何処かに、お出掛けになるの?」
 「はあ……、それが……そのッ…」まだ畳みに頭
(こうべ)を垂れていた。
 果たして、東京などとは言えるだろうか。この点に疑念があったので、しどろもどろになっていた。
 「一体どうしたんですの、そんなに平蜘蛛
(ひら‐くも)のように這(は)い蹲(つくば)って」見下されている観があった。
 「実はですねェ……、ちょいとした野暮用で……」と言いかけた時、すかさず切り返してきた。
 「やはり、どちらかにお出掛けされるの?どちらへ?」由紀子は、自分の着替えに余念がないと言うような口ぶりで、こう訊ねた。
 「はあ……その……」
 「だから、どちらへ?」
 「東京です」
 「そう」
 「何をなさりに?」
 「ちょっと、調べものがあって」
 「お仕事の関係かしら?」
 「はい、古美術の関係です」
 「じゃァ、行ってらして」
 意外な反応だった。ああだ、こうだと難癖
(なんくせ)をつけられるのではないかと思ったからだ。あまりにも呆気(あっけ)無かった。
 「えッ!行ってもいいのですか?」
 「ええ、どうぞ。お仕事の関係であれば、あたくしは反対する理由がございませんわ」
 こうして由紀子の承諾を取り付けたのである。

 「でもね、羽目だけは外されないようにお願い致します」
 「一体どういう意味でしょうか?」
 「だって、あなたは時々、あたくしの航空管制下から外れると、綱渡り的な、とんでもない曲芸飛行をお遣
りになりますもの」かなりの皮肉が罩(こも)っていた。
 「えッ?!綱渡り的な曲芸飛行?」
 何としっくりとくつ適切適合。
 曲芸飛行と聴いて、絶句しかかり、同じ“曲芸飛行”という言葉を心の中で繰り返して苦笑していた。
 「だって、そうじゃありませんか」
 「随分と皮肉っぽい言い方ですねェ」尖
(とが)って反論した。
 「だって直ぐに、糸の切れた凧
(たこ)のようにコントロール不能に陥(おちい)ってしまいますもの」
 「うッ………」言われればその通りだ。言葉に接
(つ)ぎ穂(ほ)がなかった。
 「ところで、ご予定は?」
 「えッ?………」
 「これ、『外出許可願』及び『旅行日程計画書』です」
 「えッ?それって、何ですか?」
 「つまり『外出許可願』及び『旅行日程計画書』を提出して頂きます」

 私は苦笑しながら、「あのですねェ、小学生が二泊三日の修学旅行に出かけるのではないのですよ。僕は立派に二十歳
(はたち)を過ぎた大人なのです」
 「そのボクが、勝手な自由行動ならぬ、不良行動をするではありませんか」
 「不良行動?……」それ以上は、驚愕絶句である。
 「違うでしょうか」核心を衝いてきた。
 「いいですか、桜井さん。『外出許可願』及び『旅行日程計画書』なんで小学生の坊主じゃあるまいし、可笑しくて書けますか。何処かで遭難したりしませんから心配いりません」と安易に言い捨てた。
 「よくも、まあッ。ではご自分で、羽目を外さないとはっきり誓えるのですか?」
 「はい!」
 「では、提出なさって下さい」
 強く迫られると提出しないわけには行かない。取り消しになるより増しだ。
 それに、その日の「終日ごとに電話する約束」まですることになってしまった。しかし、上京の返事を頂けたのは、願ってもない収穫だった。敵を欺
(あざむ)くには、まず味方からだった。これで第一関門は何とかパスしたのである。
 だが、実情は由紀子の航空管制下に入ったまま、そこから航路が外れることが赦
(ゆる)されなかった。

 そしてこの経緯の上に、重要な頼み事が控えていた。
 かつて由紀子の頼み事を聴いたことがある。今度は彼女が聴く番である。どう回答するだろうか。


 ─────そういう経緯の今日である。松子と屋根の上で、由紀子が上がって来るのを俟っていた。
 気付いたことだが、不思議にも松子と居ると、彼女は初々しい、可愛い表情を作るくせに、なぜか女を感じないのである。それが不思議でならなかった。愛くるしくて、その美形には一見震い付きたくなるような体躯をしているのだが、そういう気持ちが、いざとなると起こらない。萎
(な)えてしまうのである。
 何か遠い先祖の祖霊と向かい合っているような、あるいは先祖の鬼神
(きじん)の傍(そば)にいるようで、女と言うより、神々(こうごう)しくて、神仏に近いものを観じるのである。優しくて厳しい、二面性を持っているのである。
 それだけに、“ヤッパの俊”は、侮れない怕さがあった。いつ隙を突くか分からない。
 そう思うと、胸に烈しい動悸を覚える。これまでゆっくりと、緩やかに動いていた心臓が、突如不規則な鼓動に変わる。何しろ、松子の正体は判らない。
 油断大敵で、隙を作ると一気に猟られてしまうかも知れない。未だに、その恐怖が消えていないのである。
 ひとたび忿怒が襲えば阿修羅のような、人間性が一変して戦闘フェースになるのである。

 「何をびくついている?」
 私の心を読んだのだろうか。
 「おまえと居ると、時として、横に鋭利な刃物を置いているような錯覚に捕われる」
 「ひとを剃刀のように言うな」
 「違うか?」詰問するように言った。
 「もし剃刀だとしても、安全剃刀だ」
 松子はそう言い放ったが、その目付きは、時として鷹の鋭い黄金のような眼になり、何かに鍛えられた独自の眼のようになるのである。だが今は消えていた。おそらく深層部には隠れたものを忍ばせているのだろう。

 「その安全剃刀で、おまえの形のよいお御足の毛脛
(けずね)を剃るのか?」
 果たしてこれをどう採るだろうか。怒るだろうか、笑うだろうか。まさか喜んだり悲しんだりはしまい。
 「いい質問だ。しかし、それを訊くのには随分と勇気が要
(い)っただろう?」
 「ああ、今でも口から心臓が飛び出しそうだよ」
 「分かる分かる。だが残念ながら、そこまで多毛症は進んでおらん」
 「それ、ジョークだろうか、それともユーモアだろうか」
 「同じことを、健太郎の女に訊いたらどうだ?!もう直、上がって来るから、訊くんだったら今がチャンスだぞ」
 「恐ろしいことを言う。恐怖は、おまえ一人で沢山だ」
 由紀子が屋根の下に来た。
 「あらッ」彼女は上を見上げて、幽かな驚きを吐露した。
 「此処、此処」梯子を上がって来いと手招きした。
 「えッ?梯子を上るの」
 「怕いですか」
 「いいえ!」意地になった。そして履いているハイヒールを蹴った。意志表示である。
 「健太郎の女、肚を決めたようだな。上がって来るぞ。健太郎の誘導尋問はなかなか大したもだ。だが、貼り紙の『突風に注意』に気付いたかな」
 「どういう意味だ?」
 「あの短さじゃァ、拙
(まず)かろう、風は吹けば」
 「おまえ、女のくせに悪い趣味だなァ」
 「勘違いするな。同性、相哀れむだ。吹き上げられたら拙かろうが」
 「だったら、モンペ履け」
 「モンペだと、戦時中でもあるまいし」松子の捨て台詞だった。

 無駄な配慮も虚しく、そうこうしている間に、由紀子が怕々と梯子を上って来た。
 「こういう処まで、お呼び立て致して申し訳ありません。実はですね。昨日申しましたと通り、不肖岩崎は暫く留守をするため、代わりといっては恐縮なのですが、こいつの家庭教師をその間、引き受けてもらえまいかと思いまして、お願いかたがた屋根の上までお越し頂いた次第でして。どうでしょ?」
 「あたくしに、どうでしょ?と訊かれても……」
 「こいつなんです。裏表、よく観察して下さい」
 松子を押し出して、彼女の前に立たせてた。
 「まあッ、県立T高校の生徒さんね」県立T高校は県下有数の進学校である。それは由紀子も知っている。
 「はい」俯
(うつむ)き加減で、超可愛い声を出して、しおらしく返事した。
 「何年生?」
 「三年です」
 「それにしても、可愛い生徒さん」
 「ええ」なんと、抜けぬけと相槌
(あいづち)を打ちやがった。
 「決して、お世辞じゃないのよ」
 「ええ。存じております」
 「可愛くて、おもしろい子……」
 「でも、可愛くても食べちゃ駄目ですよ、お菓子じゃありませんから」
 「まあ、おかしい」口を押さえて、くすっと笑った。
 「おかしくても、お菓子じゃありませんから」
 「どこを受験なさるの?」
 「東大理科三類です」
 さすがの由紀子も、このきついジョークには混乱を来たそう。無理もない。
 「えッ?!」
 「そこ、一本です。他は浮気しません。目標はぶれていませんから」
 このジョークには、最後に取って置きのオチがあった。
 こう聞いて、由紀子の顔が引き攣
(つ)って来た。
 「あたくしに、果たして勤まるかしら」
 「大丈夫ですよ。こいつ、滅多に質問しませんから。勝手に勉強を遣る方です。依頼型でなく、自立型ですから、ご安心を」
 「その自立型の生徒さんが、どうして家庭教師の依頼なんかを?」
 「幾ら自立型でも、監督する指導者がいないと、糸の切れた凧のようになります。その辺は、お恥ずかしながら不肖岩崎で、充分に懲
(こ)りているのではないかと……」
 「では、詳しくお訊き致しましょう」
 「おい松子。自己紹介しろ」
 「わたし、俊宮松子
(としのみや‐まつこ)と申します」
 「俊宮って、変わった苗字ですね」
 「ええ。祖母同士が従姉妹で、わたしと健太郎兄さんとは、再従兄妹
(またいとこ)なんです」
 「へッ……ェ、そうでしたの。それで希望教科というか、受講教科は何教科?」
 「数三と物理です」
 これを聞いて、由紀子の眼が点になった。彼女の不得意教科であったからだ。
 「あのッ……、あたくし……、その数三は得意じゃないんです。受験のときも、数三のない大学を選びましたから……。もし宜しければ、数一と数二Bだったら、何とか……」と、怕々と遠慮気味に言った。
 「いいえ結構です!」
 「おい、松子。何てこと言いやがる。頭
(ず)が高い!」叱るように制した。
 「健太郎兄さん?」
 「なんだ」不機嫌に問い返した。
 「わたし、このお姉さんと、もっと話してみたい。もっと頭の中身が知りたい!」
 「あたしくも。こんなに物をはっきり言う子、はじめて。もっと人となりとを見てみたい。右に同じく、頭の中身も覗いてみたい!」双方は喧嘩腰だが、それぞれに興味津々と云う言い方だった。
 私は女同士が、犬と猿の喧嘩で、火花を散らすのが興味津々だった。
 「さようですか。では、お好きにどうぞ。じゃァ、お二人さんは、屋根のそちらの丈夫な方に移動されて、仲良く相合い傘で、お話でも、お相談でも、お好きにどうぞ。なお足許
(あしもと)については、自己責任で観察の上、多少屋根が傷(いた)んで居る処がありますので、ご注意を。万一の場合に備えて、警戒をくれぐれも怠りなく……。そして、ですぞ……」と一応、ここで勿体を付けてみた。
 「なあに?勿体付けずに早く言ってよ!」と松子は催促するように訊いた。
 「俚諺
(りげん)に、『風が吹けば桶屋が儲かる』というのがあるのを、ご存知でしょうか?一応、好学のために、お二人さんに、お訊きしておりますが……」
 「ええ」と二人、口を揃えて答えた。
 「風が吹けば、桶屋が儲かるだけでなく、風が吹けば不詳岩崎も儲かります。なにしろ、本日は、突風にも充分な警戒が必要ですからなァ。煽
(あお)られると、もろに丸見えですぞ。これを儲け物と思っても差し支えありませんでしょうか?」
 「もう、バカ、バカ!健太郎兄さんのバカ!」と松子が顔を赫
(あか)くして、地団駄を踏んだ。
 「それって、好学の為にではなく、好色の為に訊いたのではありませんこと?」と由紀子の突っ込み。
 「そういう採
(と)り方もありますね。いやはや、これはとんだ藪蛇でしたなァ」と反省気味に言った。
 「学を好むはいいとしても、色を好むのは度が過ぎます!」と由紀子が指弾するように言った。
 「そうですか、はいはい……」
 「返事は、一回で宜しいわ!」と由紀子が鋭く遣り返した。
 「はい!それでは、あなたさまも突風などの風害にはくれぐれもご用心なさった上で、ごゆっくりと、自己責任で……」と茶化してみた。

 その時である。母が買い物から帰って来て、下から叫んだ。
 「もう、降りなさいよ、松子ちゃん。いつまで上がっているの」
 「こんにちは」
 「あらッ!由紀子さん。来てらしたの」
 「お邪魔しております」立ち上がって挨拶をした。
 母と由紀子は、既に顔なじみである。
 「みなさん、高いところが、お好きなのねェ」母が呆れたように言った。
 しかし、その時である。突如、突風が吹いた。由紀子がもろに丸見え状態で煽られそうになった。そこに松子が飛びつくように押さえた。その由紀子に、松子は素早く抱きつき、臥せさせたのである。だが何ぶんにも足場が悪かった。そのためバランスを崩しそうになった。グラッと揺れ、大きく拮抗を失った。
 「あッ!危ない。松子ちゃん!」母が叫んだ。
 松子は自らをバランスを崩して、あッという間に顛落
(てんらく)した。

 これは大変だ!
 私は梯子を駆け降りて、直ぐさま松子が堕
(お)ちた場所へと直行した。
 「松子が堕ちた!屋根から堕ちた!母さん、救急車。救急車だよ!」と冷静さを失って騒ぎ立てた。
 「そうだよね、救急車……。救急車って、健太郎、何番だったかね……」母も混乱していた。
 私は頭
(かぶり)を振った。
 「いや違う。それより医者だ。母さん、なにしてるの、早く医者を呼んでくれ」と混乱していた。
 屋根の上にいた由紀子も、階下へと降りた。
 私は松子に駆け寄り、思わず抱きしめて、「松子!大丈夫か?」と訊いてみた。
 松子は薄めを明けて「大丈夫じゃない」と、にやりと笑って返答をしやがった。
 「おまえ……。今の、わざとか?」
 「見破られたか。しかし、堕ちたようにしとけよ」
 「なんだと?」
 「あとは健太郎が巧い芝居をすればいい。いい切っ掛け作ってやったからな、これ以上へまして、下手を打つなよ」
 それにしても実に器用に顛落したものだ。不思議というか、マジックを見るようだった。
 「ああ、分かった」
 「部屋まで抱えて運んでくれ、優しくだぞ。いま顛落した者が、何事もなかったようにスタスタと歩いては拙かろう。せっかく堕ちてやった甲斐があるまい」
 「ああ、それもそうだな」
 「言っとくが、抱き上げるとき、くれぐれも丸見えにならぬようにな。では暫く寝るぞ」
 急所を刺して、押さえるべき急所は押さえていた。裾を気にする羞恥心だけは残っているのだろう。
 それにしても、「暫く寝るぞ」は、どういう意味だろう?……。
 「母さん、医者だ。まだなの?早く呼んでよ。救急車、来てくれるんだろうね。電話したの。ぐずぐずしないで電話くらいしてよ。医者の往診もだよ」
 「あのッ……」
 「なんですか、桜井さん」
 「岩崎くん。あたくし、その医者ですの」
 「そうでしたね。これは失礼を致しました」
 「お母さま、お蒲団の用意をお願いします」
 「はい」
 「次に頭を冷やしますから、氷枕かなにか。それに氷嚢
(ひょうのう)とタオルを二三枚」由紀子はてきぱきと指示していた。

 松子が蒲団に横たえられた。
 「松子、大丈夫か?しっかりしろ!」思い切り揺さぶってみた。
 「……………」
 しかし返事をしなかった。
 やはり頭部か何処かを打ったか、脳震盪
(のうしんとう)か、あるいは頭部の何れかの箇所を損傷して脳挫傷(のう‐ざしょう)でもしたか。損傷部位に応じた脳神経症状、または脳圧亢進ならびに脳脊髄液への出血などである。こうなった場合は、表面は異常がなくとも内部に損傷を負っている。普通は精密検査をする。
 段々心配になって来た。
 「おいッ、松子!起きろ!寝たら駄目だ!」
 心配になってビンタを二、三発張ってみた。
 「叩いちゃ駄目!」
 由紀子が厳しく叱咤した。そして松子の脈を取り始めた。
 「訝
(おか)しいわ、段々遅くなっている。それに小さいわ」彼女の顔が真剣さを増して真顔になった。
 異変である。さあ、どうする。一瞬焦った。脈を取る由紀子の顔が険しくなった。
 「松子ちゃん」母の聲
(こえ)が涙声に変わりつつあった。
 この状況判断が難しい。
 松子が、この期
(ご)に及んで芝居をしているとは思えなかったからである。
 「やはり救急車かしら?」由紀子が自信の無いことを言った。
 「なに?そんなに酷くなっているのですか」
 「脈拍は弱く、しだいに遅くなっています。脈拍数はおおよそ30で、極めて不規則……」松子の手頸の脈を取りながら、自分の腕時計を見つつ吐露した。彼女は顔面蒼白である。
 脈拍数は心臓拍動数にほぼ等しい。普通は1分間に70ぐらいである。その半分以下であった。
 松子は一体どうなってしまったのか。
 これは明らかに芝居ではなかった。現実に危篤状態が起こっている。それに松子の顔も蒼白だった。人が死に至る過程で、弱っていく態
(さま)を髣髴とさせた。
 松子が横たわって10分が過ぎ、20分が過ぎた。もう直30分に達しようとしていた。だが改善しない。
 私も心配になって、松子の手頸の脈所を握ってみた。確かに弱く、心拍数が少ない。30か、それ以下かも知れない。果たして意識が戻らず、このままという事があるのだろうか。それでは松子が哀れだ。
 彼女の掌を握ってみた。掌には竹刀ダコならぬ柄を常時握ったと思える柄タコがあった。古流剣術修行者の特有のもので、小指側ほどタコは盛り上がっていた。白蝋のような、すべすべした手であった。

 松子は意識を取り戻さなかった。既に一時間が経とうとしていた。このまま眠ってしまうのだろうか。
 果たして、こんな事があるのだろうか。
 さて、松子が顛落する瞬間のことを思い起こしてみた。堕ちる際、音はしたのだろうか。何処にぶつかる音はしなかった。すると地面に堕ちる際、叩き付けられるような音はしただろうか。果たしてどうだったか。
 母が確認したのは、松子がバランスを崩して、顛落して行く態だけである。人体が地面に落下して、叩き付けられるような“ドサッ”というような音を、私は聴かなかった。それを聴いたような思い込みをしただけであった。それは思い込みから連想した、実際には無かった事だったかも知れない。はて?……。
 堕ちて行くところは目撃したが、堕ちた瞬間は見ていない。もしや着地寸前に受け身をしたのか?……。
 松子の脚から下を触ってみた。太腿でない。足頸に流れる線である。脹ら脛後部の後脛骨動脈である。
 ここは下腿の後部と足底の循環を司るものである。触ってみて、おや?と思った。脈を打っていた。
 私はかつて、山村師範から臨死体験の仮死状態の話を聴いたことがある。果たして松子のこれは、仮死状態なのか。そして松子は、「暫く寝るぞ」といった。この言葉を思い出したのである。この術が出来るのかも知れない。おそらく子平に指南を受けたのだろう。考えられる事だった。

 「そういう事だったのか……」私には思い当たる事があった。
 「何がです?」
 「もう暫くしたら眼を醒ましますよ」
 「どうして分かるのです?」
 「見てご覧んなさい。見る見るうちに血の気が蘇っている。朱が帯びて来ていると思いませんか」
 「そういえば」
 「松子の世話は、以後、不肖この岩崎健太郎が致します。このまま植物人間になっても、糞尿の世話は岩崎が致します。不肖、私めに下の世話は、お命じ下さい」
 「バカな事、お言いでないよ」母が怕い顔で睨んだ。
 「ええ、そうです。なんだかその言葉、興味本位で猥褻
(わいせつ)じみてる……」
 「もし、松子ちゃんがそうなったら、わたしがするよ」母が切り返した。
 そのとき、松子が「ああッ……、よく寝た……」といって背伸びし、眼を醒ました。
 「松子ちゃんが喧
(やかま)しくて寝られないんだってよ」母が叱言(こごと)をいった。
 おおかた1時間ほど寝ていたであろうか。


 ─────出発前である。
 「松子、ちょっとこい」手招きした。
 「なんだ」
 「恃むぞ、確
(しっか)り子守りしておいてくれ」と、彼女に囁いた。
 松子はぼんやりと空間を見詰めながら、
 「生徒の方が、家庭教師を子守りするのか。下克上、世も末だ」と呆れ気味で言った。
 「そうだ。確り監視下に置いててくれ。無駄な穿鑿などはさせるなよ。安心して策を模索できんからな。復
(かえ)りに京都の八つ橋、買って来てやるからな」
 「そういう中坊が修学旅行で買って来る端
(はした)の駄菓子では買収されん」双眸に喜びがなかった。
 「代償がいるのか?」
 「当り前だ。代償が、金の対価として遣われるのは知っておろう。タダでは経済効果は生まれまい」
 「対価は幾らだ?」
 「高いぞ。昔で言えば国一国」
 「おまえには魂の痛みと言うのがないのか」
 「あるが、健太郎には微塵も感じん」
 いつも、顔と言う事の懸隔
(ギャップ)に悩まされる。松子の段違い格差は隔たりが大きいのである。
 「おまえなァ。将来、国家公務員甲種
(国家I種試験)試験を合格して、キャリヤで大蔵省入りする。そこで財務官僚として辣腕(らつわん)を揮い、特別査察官を経て徴税担当の責任者になったら大出世するぞ。五年も経たぬうちに直ぐに事務次官だ」
 「有り難うよ、しかしそういう悪い趣味はない」
 相変わらずニヒルな回答が返って来た。


 ─────翌日の早朝、由紀子と松子、それに母に見送らて出発した。
 一路、博多駅経由で旧板付空港へ。当時は、米軍がこの空港に同居していた為に、まだ福岡空港とは呼ばれずに「板付
(いたづけ)空港」と呼ばれていた。とにかく私は、AM6時50分・板付空港発、羽田行きの始発便に搭乗したのだった。ここから羽田までは、今と違って当時約2時間強かかった。
 当時、この旅客機はターボプロップの60人
(日本航空稀製造のパンフレットによれば52〜60人)乗りのYS-11(日本航空機製造/NAMC)だった。しかし機内は朝っぱらから、ほぼ満席であった。
 この飛行機は、日本初の純国産旅客機であった。また、この飛行機は中型旅客機でターボプロップ・エンジンを据え付けているが、ガスタービン・エンジンにより、プロペラを回転する飛行機の推進方式で、ジェット機とは名ばかりで、要するに騒音の煩いプロペラ機より、少しは増しというものであった。

 飛行すると窓枠
(まど‐わく)が、田舎のバス並みにガタガタと揺れ騒ぐのである。また上下振動も、今日の旅客機のように高度1万m以上の水平飛行をするわけでもなく、乱気流の影響で、田舎のバス並みによく揺れるのである。【註】現在はこうした点は改良されて、以前に比べればよくなっている。当時はもっと揺れる飛行機に「ムーンライト」というのがあった)
 私は出発が早かったので、そんな揺れなどお構え無しに、機内で2時間たっぷり寝かせてもらった。
 羽田に着くと空港ターミナルでコーヒー・ショップに寄り、ここで一杯のコーヒーを堪能
(たんのう)した。
 朝方に飲むコーヒーと、その香は何とも言えないものがある。匂いを嗅ぎながら、ゆっくりと味あう。これが私のとって、至福の一時
(ひと‐とき)であった。
 そして一息ついたところで、タクシーに乗り、永田町の国会図書館まで向かった。
 午前9時30分開館なので、その時刻には充分に間に合う時間だった。
 そして私は、朝9時30分から夕方の7時まで、じっくりと研究する時間を設けたのである。


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