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吾が修行時代を振り帰る 36


●融資決定?

 私はD商会に、「融資決定」の太鼓判を胸に抱え、心弾ませて来店した。何とか、これで“一時シノギ”ができるという安堵からだった。
 雑居ビルの二階の“D商会”と書かれたドアをノックすると、先ほどの電話の受付嬢と思える女性が、わざわざドアを開けてくれ、「お待ちしておりました。曽川さまでご座いますね」と訊
(たず)ねた。感じもいいし、丁寧だった。
 「はあ、曽川ですが」と言い、受付近くのソファーに案内された。この女性は、その後、丁重にお茶を出し、これを私に薦めた。

 私は「融資決定」というのが頭にあった為、心に余裕が出来、お茶を手にして飲む、このお茶の一杯は、一種の“至福の時”を感じさせるものであった。
 お茶を味わいながら、至福の時を過ごすと、先ほどの受付嬢は、暫
(しばら)くして「社長がお待ちかねです」と言う。私は受付嬢から案内されるままに、その後に従った。そして部屋の真中に、デーンと大きな机が据えられた、背凭(せ‐もた)れの高い椅子が置かれた社長室へと案内されたのである。そこには50歳半ばくらいの社長と思える男と、もう一人の中年男が居た。この中年男は、後で分かったが融資担当だった。

 そして、中年の融資担当の男は、金融業者を思わせる派手な背広を着ていて、私の顔を見るなり、「曽川さん、隱しちゃ駄目だよ。あんたねェ、随分と借り捲
(まく)っているじゃないか。銀行の他にも、これだけの債務を抱えている。これじゃァ、お話になりませんなァ」と怒鳴るような言い方をしたのである。
 彼が与信情報の「問い合せ票」
【註】ターミナル端末機から打出された与信申込者の情報票)を手にしている以上、私の“借入件数”は、既にバレていたのであろう。そして融資担当の言い方は、怒鳴ると言うより、一種の罵倒(ばとう)のようにも聴こえた。

アイネット・ターミナル端末機。貸金業者の認可を盛る街金の多くは、信用情報を得る為に、金融情報センターから端末機を貸与して設置し、NTTのISDN回線を通じて、破産者やブラック情報に載る返済不能者を防ぐ債権を管理するシステムをもっている。

 私は、冷や水を浴びせられたように、唖然(あぜん)となり、これまでの「融資決定」が、一気に谷底へ滑り落ちてしまった感じだった。

 融資担当は、「これだから困るんだよな。銀行だけかと思ったら、“大手”をこんなに摘み食いしてさァ。これじゃァ、お話になりませんなァ」と、また同じ事を繰り返すのであった。
 私は、客の身でありながら、まだ借りてもいない金融業者から、借金を数百万も抱えた支払い不履行者と同じように扱われていたのである。そして、迂闊
(うかつ)にも「どうも済みません」と頭を下げて、謝るような言葉を吐いていた。

 電話の話では、「融資決定」などと持ちかけておいて、来店すると、「話にならない」という。その上、「大手サラ金の摘み食い」を厳しく指摘したのだった。
 「あんたねェ、本当にこれだけだろうね。大手だけではなく、他の街金もあったら、この際、全部挙げとくことだ」
 まるで警察で、その他の余罪を取り調べをされる容疑者だった。しかし、私は“お客”である。お客を事聴取して、お客にさせないところに、このD商会は“したたかさ”があった。

 そして私は、街金の事を隠し、ウソをついてしまったと言う“負い目”があった。そうした負い目を、この融資担当は手玉に取っていたのである。その上で、藁
(わら)をも掴む私の心を逆撫(さかな)でして、卑屈に追い込むのだった。

 しかし役者は、D商会の連中の方が、一枚も二枚も上で、私の“借りたい一心”の気持ちを弄
(もてあそ)び、私が債務の件数を誤魔化す事を、最初から読んでいたのである。だから、融資担当は私の顔を見るなり、開口一番に、「曽川さん、隱しちゃ駄目だよ……」と、最初に機先を制し、その後の主導権を握ったと言うわけである。うまく誘導されたのであった。おそらくこうした事も、マニアル化されているのであろう。

 D商会はこれまでの経験から、融資を請
(こ)う客の100%が、件数を偽り、初っ端(はな)からウソをつくと言う事を承知しているのである。そうしたウソをつく客に、金を貸し、回収するのであるから、その取立は一筋縄では行かない、“必殺ノウハウ”を持ってると思われた。銀行や大手サラ金とは違う“したたかさ”があった。
 そして、こうした高利貸しでも、金を貸さなければ商売にならないのであるから、私がこのまま踵
(きびす)を返せば、彼等とて、私のような大人しい草食動物の“絶好のカモ”を取り逃がす事になる。既に、第二段階が用意されているのであろう。

 「しかしねェ……」
 融資担当が切り出した。
 「あんたも、融資を目当てに来店して、このまま手ぶらで帰したとあっては、わが社としても申し訳ない。あんたの真摯
(しんし)な人柄を見込んで、申し出の融資額通り、200万、満額を融資する事にしよう」
 私を大人しい、コントロールし易い草食動物と踏んだのだろう。

 一旦、冷や水を浴びせておいて、その次に「満額を融資する」という事を決定し、私に頭を下げさせようとするのである。先を読み、客を手玉に取っていた。
 私は思わず、「有難う御座いました」と、腰を直角に折り、深々と頭を下げていた。そして、やがてジリジリと深みに嵌
(は)まり、抜き差しならぬ状態に落ち言って行くのである。要するに「型に嵌められる」のである。

 私は手形を落すだけではなく、遅延した教職員の給料支払いも、窮する時は高利貸しの世話になり、何とかその場を凌
(しの)いでいた。
 そして大手サラ金からは、既に29.2%の金利で借りられなくなっていたので、月六分の高利貸しが唯一のシノギをつける蔓
(つる)だった。もう、高利貸しとは、切っても切れない“腐れ縁”で繋(つな)がっていた。



●民事不介入

 私は給料が遅延する度に、サラ金では収まらず、高利貸しに手を出し始めていた。殊
(とく)にR商事とD商会は悪名高い高利貸しで、北九州でも取立の厳しさでは、その業界で有名であった。
 そんな高利貸しである事を知りながら、教職員の給料を払う為に、持ち家の権利書とマンションの権利書を、各々に担保に入れて、双方から次々に両社合わせて800万円以上の借り入れを起こしていた。月六分
つき‐ろくぶ/1割の10分の1)という暴利なので、利息だけで大変だった。
 教職員の数を大幅に削減していたが、それでも月に数百万の金が必要だった。だが、シノギの蔓
(つる)は高利貸しだった。

 一度このような高利貸しに手を出せば、滅びるのは目に見えている事であるが、そうかと言って、銀行は最早
(もはや)快く貸してくれる筈(はず)もなく、同じ高利でも、番付の良い大手のサラ金も借り放題で、何処も貸してくる筈はなかった。後は自宅の権利書を持って、高利貸しの“街金”に走るしかなかったのである。
 しかし高利貸しとて、返済をある程度まで行わなければ、次を貸してくれる訳がなく、ただ一方的に利息が膨らみ、元金と利息を合わせた返済だけが、私に課せられていた。不図
(ふと)、取立の厳しかった日々を反芻(はんすう)する。
 
 私は平成元年10月中旬、悪名高いR商事に、家の権利書を担保に借金をした。そして高利を支払う日々が続いていた。ここは“日掛け”という支払い方が執られた。
 つまり、日賦
(ひぶ)ということであり、利息計算期間の単位を1日として定められる利率で、通常は、元金100円に対して、1日の利息を何銭何厘として表す支払方法である。
 これは日賦返済方式
(後利息、元利均等方式)が執(と)られ、年率では109.5%であり、「日歩30銭」である。

 例えば100万円を100回の回数で借りると、毎日11,590円ずつを支払う事になる。利息分の1,590円が、毎日元金の1万円の上に、上乗せされるのである。
 また日掛けを専業とするには、「日賦賤業登録業者」として、各都道府県知事の自主規制基準に従わねばならず、それだけに此処で借金すると、その取立は厳しい。

 R商事は、早朝早々と高飛車で、高圧的な電話が掛ってきて、銀行の閉まる午後3時までに持参するように命ぜられたのである。

 借りて最初の1ヵ月目程の返済は、何とか入金したものの、次の月の返済から儘
(まま)ならず、遅れがちになっていた。日賦だから毎日来店して、元本と利息の「日歩30銭」を支払わねばならない。この利息は年利に直すと、109.5%であり、これは出資法で認められているのである。しかし、R商事は私が一日遅れるごとに、120%の日歩を要求したのである。

 11月のある日、いつものように早朝電話が掛って来た。高圧的な物言いに閉口しながら、「はい!」という大きな声で返事をするのは、吾
(われ)ながら情けない思いがした。しかし、これ以外に私の生きる道はなかった。
 この日は不愉快を紛
(まぎ)らす為に、昼食時に、最近沖縄の弟子が送って来た「泡盛(あわもり)」を、朝から“コップ酒”と洒落込んでいた。

 飲んで“浮世の憂さ”を忘れてしまえば、総て“後は極楽”なのだ。
 コップ片手に酒の肴
(さかな)の“ヌタ葱(ねぎ)”を摘みながら一杯飲み、二杯目を注ぎながら、今日の返済金の額が、大分少ない事の言い訳を考えていた。此処からは、もう250万円を超えた額を借り入れていた。元本と利息を併せれば、遅延分も含めて、今日一日で10万円弱の入金をしなければならなかった。それが、5万円も満たないのである。

 どう言ったら良いのか、その思案に行き詰まっていた。こうなれば二杯とは言わず、三杯でも、四杯でも、次から次へと、“度”の強い焼酎が、どんどん入るのである。兎
(と)に角(かく)、飲めば“極楽”なのである。
 そしてとうとう、750mlある泡盛の瓶
(びん)を空にしたのである。すっかり出来上がってしまい、真直ぐ歩けない程、足も怪しくなっていた。

 R商会に出頭する頃になると、気分まで悪くなって、周期的に吐き気を催
(もよお)したのである。しかしこれを理由に、出かけない分けには行かない。昨日も、一昨日も、来店していないのである。今日こそ出かけなければならなかった。
 吐き気がするムカムカを途中、何処かで、口の中に指を突っ込んで吐き出せばよかったのであるが、その知恵すら廻らず、怪
(あや)しい足取りで、この日払えるだけの金を持って、R商会の事務所を訪れた。

 持参した返済金の一部を、受付の女子事務員に差し出し、今日は一部金として返済し、不足分は明日にでも持ってくると言い訳したら、彼女は嶮
(けわ)しい顔に豹変(ひょうへん)した。この種の事務所で働く女子事務員は、一種独特の威圧があり、娼婦のような細い眉を歪(ゆが)めて、私を鋭く睨(にら)んだのである。この事務員は、私に一瞥(いちべつ)を呉れるような凄(すご)みのある目付きをして、“自分一人の一存では決められない”と言って、社長室に出向き、この旨を伝えに行った。

 暫
(しばら)くして、社長がお呼びだから、社長室に行くように言い付けられた。私はこの事務員の案内で、15坪程の社長室に通され、壁には家紋(正確には代紋)が入った堤灯(ちょうちん)を横一列に並べ、中は、まるでヤクザの事務所のような飾りがした部屋に通された。大きな社長用の机と思われる周りには、凄味のあるヤクザ顔負けのお兄さん達が四人居た。明らかにその筋の企業舎弟と分かる。決して、「地獄で仏」と言うような顔ではなかった。地獄の鬼のような顔だった。

 一人は戦闘服を着て、サングラスを掛けた大男の坊主頭で、他の三人は白っぽいスーツか、ジャケットに身を固めた、鋭い眼をした刃物のような男達であり、頭はパンチパーマだった。要するに彼等は、債務者の借金の取立屋なのだ。彼等は何か此処で、取立の作戦会議でもしていたようであった。企業舎弟を濃厚にしていた。

 ソファーのテーブルの上には、小倉北区の住宅地図か広れられていて、何か取り立ての検討をしているものと思われた。全員が鋭い眼差しで、私を足許
(あしもと)から順に見上げ、絡み付くよう眼で見据えては、キッと一瞥(いちべつ)を呉れるのであった。孰(いず)れも向けられた眼は険しく、そして据(すわ)っていた。凄む時の眼は、ナイフのように鋭く烱(ひか)るのだった。

 その仕種
(しぐさ)の一つ一つが、暴力団のそれであった。そして一人が私の肩をドンと突いて、ソファーに座れというのである。とうとう来る処まで来たという感じであった。
 私は恐る恐る、腰を屈めてソファーに座った。好きなように料理される、俎板
(まないた)の上の鯉なのだ。一瞬訳の分からない戦慄(せんりつ)が疾(はし)った。

 「曽川さん、今日はどういうつもりですか」と、一番年配の男が優しい声で切り出した。この人が社長、或いは親分だと一目で分かる。年齢は60歳くらいで、精悍
(せいかん)な躰に、黒のダブルの背広を着た男だった。こうした男が、怒鳴るなら未(ま)だしも、予想に反して“猫撫(ねこな)で声”で訊(き)いたのである。
 私は狼狽
(ろうばい)の余り、声が出せずにいた。随分長い時間のように思えた。

 誰かが痺
(しび)れを切らしたのか、「おい、なんか返事せんかい!」と周りで声が飛んだ。
 社長は、冷静を装って「まあまあ」と周りを抑えて、顔は笑っているが、眼は決して笑っていなかった。その奥底には、何が何でも支払って貰おうという、あの金貸しの典型的な薄笑いを浮かべていた。また、か細い猫撫で声だけに、却
(かえ)って口には言えない威圧があり、身震(みぶる)いする程、私は恐怖の為に真底(しんそこ)縮み上がった。

 社長は徐
(おもむろ)に、私の向こう側のソファーにゆったりと腰を掛け、背広の裡ポケットから24金以上のゴールドと思えるシガレットケースをゆっくりと取り出し、小気味よい音をさせて、中の外国製の煙草を一本抜き取り、口に銜(くわ)えた。すると社長の取り巻きの一人が、ジュッポのライターをポケットから取り出し、社長のタバコに火を点(つ)けた。
 それは目にも止まらぬ流れのいい、見事な早業
(はやわざ)だった。きびきびとした動作だった。この早業を見ただけで、社長が取り巻きに、どれほど傅(かしず)かれているかが即座に分かった。要するに彼等は、この社長に飼われた、取立屋の犬に過ぎないのだった。とはいっても、企業舎弟には間違いなかった。

 社長はタバコを一口吸うと、その煙を私の顔に吐き掛け、「どう何です?」と、再度猫撫で声で付け加えた。
 「あの……」私が言葉に詰まっていうと、私の直ぐ傍
(そば)に居た若い衆の一人が、絡み付くような目で再び威圧し、「おい!どうなんだ!」と、私に返事を強要した。あの坊主頭の戦闘服を着た大男であった。
 今まで全く口を訊かなかったこの大男が、いつ暴れ出すか分からない態勢で、私の肩を突き放したのであった。周りは緊張するだけ、緊張し、暴力でも出し兼ねない空気で、各々が私に迫った。脅迫的な空気は、いつ爆発しないとも限らないのだ。

 そして横から、もう一人のパンチパーマが、「こらッ!なんか返事せんのかい。儂
(わし)らを舐(な)めるなよ」と、その声も凄味があった。また横から割り込むようにして、次の者が、「お前、腎臓バンクって知っているやろ。もう、そろそろ年貢の収め時とちがうか」と凄むのである。
 この中で一番迫力のあったのは、この「腎臓バンク」という、恐ろしい単語の響であった。

 昭和60年代から、平成の初めに掛けて、返済の取立は今以上に厳しかった。「目ん玉売れ!」とか「腎臓売れ!」とかは取立の常套句として遣われていた。これこそが取立屋の脅し文句で、暴力や監禁なども平気で行われていた。金融ヤクザたちの返済はまさに暴力であり、手も足も縛
(しば)られ、有無も言わせない状態で取立が実行されたのである。

 この時、脅されて腎臓を片方取られたら、どういう支障が躰に起るか、そんな事はどうでもよかったが、親に貰った躰を借金の為に、こうまでして切り売りしなければならないのかという、悲しさが込み上げてきた。

 それと同時に、ある光景が重なった。それは、ある講師の奥さんから、給料遅延の“抗議の電話”があり、激しい口調で「主人の給料を早く支払って下さい。うちもローンの支払いが多くて大変なんですから!」と、喚
(わめ)くように言うのであった。

 「お金が無いのなら、サラ金でも、何処でも行って、早く借りてくればいいでしょ。あんたは経営者なんだから」という、上下逆さまの激しい口調で怒鳴られた。経営を傾けた責任は、私にあると言うのだ。言われれば尤
(もっと)もだが、責任を感じるが故に、金策に走り回っているのである。
 また、この講師の奥さんも、口から簡単に「サラ金」という言葉が出た以上、この人もサラ金から幾らかの金を借りている事が窺
(うかが)われた。
 それは「うちもローンの支払いが多くて大変なんですから!」という言葉は裏付けていた。
 この言葉は、私にとって“一種のプレッシャー”だった。私の為に家の中が“火の車”になっている光景を想像したからだ。

 一方、こうした借金苦の情況下で、既に敵対関係のある予備校が、私のところの講師を引き抜きに掛かり、裡側
(うちがわ)から崩して潰してしまう作戦を立てていた。その為に、“名物講師”や“花形講師”がドンドン抜け、授業には勢いが失われ始めていた。そして金に転ぶ教職員が多かった。まさに悪循環であった。
 こうした状況に置かれたからこそ、こうして金策に走り、教職員を飢えさせない為に、毎日奔走しているのではないかという、一体誰に当たったらいいか分からないような怒りが込み上げてきた。しかしこれとて、高利貸しから借りて、用立てたからと言って、決して誰からも感謝されない事なのだ。

 「おい、どうなんだ。そろそろ腎臓バンクで、お終
(しま)いにしようや。何も腎臓だけやなしに、肝臓の切り売りや、目ん玉片方、睾丸もいい金になるんやで。はようバンク登録した方がいいんと違うか」
 こう云った男は、パンチパーマの頭に、不釣合な高級品の鼈甲
(べっこう)縁の、色の薄い眼鏡を掛け、鼻髭(はなひげ)を生やした男だった。顔を私の前に、ぬっと突き出し、二三度舌を舐(な)め廻して、一瞬神経が昂(たかぶ)る容子(ようす)を見せ、私の顔に向かって、ハーッと息を吹きかけた。

 どうやらこの男は昼食時に、餃子
(ぎょうざ)か、韓国料理の大蒜(にんにく)の利いた料理を喰った為か、そのアクのきついこと、最たるものであった。彼のべんべんと膨れ上った大きな腹。肉の着き過ぎた肩と頸(くび)の周り。美食と酒で溺れているであろう、舌と口の動かし方が、一種独特な滑稽(こっけい)さを感じると同時に、金にものを言わせて、精力絶倫の日々を過ごしているであろう、この男の日常生活が想像された。

 そして次の男は、「いっちょ、お前の嫁はんでも、この証文で抱かせて貰うか」と、ほざいたのだった。
 それは駄目押しとも思える、私への最後の“トドメ”であった。

 「ねえ、曽川さん、今日は返済の一部金として受け取って置きますが、残りの分は、いつお支払い頂けますか、明日ですか、明後日ですか」また社長が猫撫で声で訊いた。
 
(明日や明後日と言われても……)と、返事に窮(きゅう)した。まさに暴力であった。私一人を取り囲み、暴力を楽しんでいるように畳み掛けてくるのである。

 今日作った金が、苦しい金策の中から、僅かに弾き出した金であり、それを翌日も直ぐに、とはいかなかった。まるで警察署の刑事課で、変わる変わるに刑事から尋問
(じんもん)をされ、自白を強要されている感じであった。この自白への強要は、恐らく彼等も何度かは暴力沙汰で警察に捕まり、調書を採られる際に、自身が受けた一種の言葉と、音の拷問(ごうもん)が、経験となって、それを私に鸚鵡(おうむ)返しに行なっているのであろう。

 何が何でも絞
(し)め上げて、あの、刑事が容疑者を無理やり自白に追い込んで、遣(や)ってもいない事まで、遣ったと言わせる冤罪(えんざい)への強要であった。無実の罪でありながら、とことん追い込まれて、何事も面倒になり、総て了解してしまう妄想のようなものが、私には湧(わ)き起こっていた。
 つまり、強い返済を迫られるあまり、無理な返済を同意しかねないような、混乱と怕
(こわ)さであった。
 喩
(たと)えば、腎臓の片方を売る事を安易に同意し、それに捺印をする事であった。妄想が妄想を呼び、“どうにでもなれ”というような状態になり懸かっていた。

 「おい、どうなんだ!」
 一人の男が、平手で黒檀
(こくたん)のテーブルの上を激しく叩いた。その叩いた手の関節の部分には、巻藁(まきわら)を突いて鍛えたと思える異常に隆起した“拳タコ”があった。この男の眼光は、火を噴(ふ)くようにように猛々(たけだけ)しいものであった。
 それでも返事に窮
(きゅう)して黙っていると、後ろから、もう一人が私の頭を厭(いや)という程、ド突いた。このはずみに、今まで吐き出しそうになっていたゲロを、この場で思い切り吐き出したのであった。

 出たものは仕方がなかったが、これに最初は驚き、次に怒りを露
(あらわ)にしたのは、社長とその取り巻きの四人であった。
 牛皮の高級品のソファーと、毛足の長いペルシャ絨毯
(じゅうたん)は、私の吐いた汚物で汚れ、異様な匂いが伴って悪臭を放ち始めた。私はこの後、散々罵(ののし)られ、ド突かれ、蹴飛ばされ、ご丁寧(ていねい)に掃除をさせられたが、絨毯の汚れと匂いは中々取れず、この弁償として、その代金は私の借りた元金の中に付け加えられた。いやはや、何とも、とんだ厄日であった。

 金貸しが追い込みを掛ける、ただ一点は「約束」である。
 そして金貸しや取立の口上は、「親から約束は守れと教えられたんじゃないか!」の言葉に集約され、次に「借りる時、何て云ったか思い出してくれよ。“金利が高いでも、是非、貸して下さい”って、あんたが言ったんじゃないか。“必ず返済しますから”と。金利が高い事は承知の上だろう」と、奴等は“約束”について、債務者を必要に責め立てるのである。

 次に、「電話」である。電話を留守番電話にしたり、わざと居留守を遣って電話に出ないと、激怒したように怒る。
 人間は人情として、借りたものを返せなくなり、返済不能になると、居留守を遣う。電話も出ない。もともと入金の宛てがないから、電話に出ても返事のしようがない。したがって電話に出るのが厭
(いや)になる。しかし、これこそが金貸の思う壷となる。特に企業舎弟の街金やヤミ金では、「電話に出ない」ということを“責めの口上”にする。

 電話を掛けても、「出ない」という行為は、“責め口上”に遣われ易く、乗り込んで来て「何で電話に出ないんだ!」と、電話に出ない事を責められる。これは「返済しない」こととは違う。債務者は電話に出ない事と同時に、返済しない事の両方が責められる。その為に、真底
(しんそこ)、“何とかしなければ”という気持ちになり、次に紹介された街金やヤミ金に「盥(たらい)回し」される羽目になる。
 盥回しされれば、借金は雪達磨
(ゆきだるま)式に膨らみ、最終的に落ち着くところは、「腎臓バンク」となる。

 私は此処から帰る時、新たな高利貸しのYファイナンスを紹介された。そこで金を借りて、翌日も返済せよという、脅迫的な命令であった。またいっその事、腎臓バンクにでも登録して、ここらで楽になったらどうか、とも言った。そして実は、これが奴等の手口であり、私は益々深みに填
(は)められて行く事になるのであった。

 彼等は私が地獄に落ち、そこで喘
(あえ)ぎ苦しむことを、承知しながら、それを強要するのである。彼等に“良心”を期待するのは無理なことかも知れないが、人の苦しみを余所(よそ)に、自分達が見て見ぬ振りをすると言うことは、人間として「後ろめたさ」を感じないのであろうか。
 あるいは高利貸しから借金をする人間を、最初から「クズ」と看做
(みな)しているのだろうか。
 もしそうなると、世の大半は、皆クズと言うことになる。

『悪の錬金術』(杉山治夫著、青年書館。本書は平成4(1992)年2月15日初版発行)
 昭和60年代から平成4年頃に掛けて、「腎臓バンク」は金貸しの流行語だった。借金をしている者は、この言葉に大いに恐怖した。
 そして腎臓を売るのが厭で、「指切り族」なる集団も出てきた。

 ちなみに「指切り族」とは、自分の指を鑿
(のみ)などて叩いて切り落とし、これを仕事中の事故として、労災保険で賄(まかな)う事をいい、彼等は自分の指を落して保険を騙(だま)し取った。

 「腎臓バンク」とは、腎臓提供者のドナー登録をする制度である。
 だが、金貸が「腎臓バンク」を口にする意味は、これと異なる。彼等の言うドナー登録は、脳死状態からの提供ではなく、“生体間移植”を指すのである。生きているうちに、借金の返済の為に、半ば強制的に、腎臓の片方を摘出して売買し、これを仲介するのが「腎臓バンク」である。人工透析
(じんこう‐とうせき)患者が確実に殖(ふ)えていく現代、腎臓は確実に売れ、そして金になる。

 金貸しの「ポスト・サラ金」は、既にこの方面に変わりつつあった。臓器提供を欲する者に斡旋する事によって、彼等は返済に困る債務者から、闇
(やみ)の暴利を貪(むざぼ)るのである。
 昨今は、脳死状態からのドナー登録をする者が殖
(ふ)えているようだ。しかしドナー登録者の中に、医者や弁護士や政治家は殆どいない。これは「骨髓バンク」も同じである。

 特に骨髓に至っては、今日の現代医学や生物学の常識となっている、「血液は骨髓で作られる」という“骨髓造血説”に疑いを持つ医学者や生物学者がいて、これが骨髓バンクのドナー登録を躊躇
(ちゅうちょ)させているのである。医学や生物学とは無縁の一般人には、何かが学説上に影響を与え、一般人には分からないところで、何かの学説上の力が働いているのである。この論は、「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」であろう。だから、上層階級ほど、ドナー登録をする者は殆ど皆無なのだ。

 では、彼等が人命の尊さを口にし、ドナー登録を言い始め、国民に訴え、これを奨励する運動を起こしながらも、何故彼等はドナー登録しないのか。
 この事を、多くの日本国民は真剣に考えた事が無い。庶民のドナー登録は善意からであるが、これを奨励する側は、偽善者の立場から登録を奨励しているのである。このように庶民は、汗を流して得た纔
(わずか)ばかりの金銭を、国家や金貸や仕掛人から搾取(さくしゅ)されるばかりでなく、肉体までもを支配者から搾取されている現実があるのである。



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