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吾が修行時代を振り帰る 27


●訝しな事象に煩悶しないスポーツ関係者

 “重量挙げ”と言うオリンピック種目も、プロ力士やプロレスラーに、負けず劣らずの力持ちである。特に、国体の選手に選ばれたり、オリンピック候補になる人は、単なる、ちょっとした力持ちではない。「驚異的」と言うに相応しい、“形容”が付けられるくらいの強靱(きょうじん)な力持ちである。
 その上に、鍛え上げられた体躯
(たいく)は、その種目独特の体型となり、蟹のような“がに股”で、四角張った躰付きとなる。

 しかし、重量挙げの選手は生まれた時から、こうした体型はして居なかったであろう。重量挙げと言うスポーツを選択して、烈
(はげ)しいトレーニングの成果により、体型が変わってしまったと思われる。
 つまり、“スポーツをする”と言う事は、その種目の持つ特異性において、人体は変化すると言う事である。

 例えば、もし重量挙げと同じような事を、土木現場で、これを遣
(や)らせたら、その土木会社は人権蹂躙(じゅうりん)として訴えられるであろう。世間は、この土木会社に対し、人を人とも思わない重労働を強いる悪徳会社として、完全に抹殺する方向に世論が傾くであろう。
 しかし、スポーツとなると、こうした事を言わないのは、何故だろうか。
 ある意味の残酷さにおいて、体育関係者が一言も煩悶
(はんもん)しないのは何故だろうか!

 この問題に対し、一方は会社命令で止むなくさせられたと言い、一方は好きでスポーツを遣
(や)っているからと言うのが、一応の答えである。しかし、土木現場でさせられる、極めて過酷で躰(からだ)に悪い動作が、スポーツの世界ではそれが許されると言う訝(おか)しな論理は、いったい何処から来るのであろうか。

 あらゆるスポーツにおいて、最近の傾向では、筋肉強化剤が開発され、これが禁止されているのにも関わらず、これを飲む選手が跡を絶たないのは、スポーツ界の実情の異常さを裏書きしている証拠ではなかろうか。

 多くのスポーツには公正を期す為に、“界級別”と言うものがある。特に体重制限による界級別は一見誰が検
(み)てもフェアーと思われるものが多い。ところが、バスケットに限り、この“フェアー精神”が存在していないように思われる。バスケットの選手は、オリンピック選手やプロ・バスケット選手になると、その殆どが2mを超える身長を持っている。

 一般社会の、人込みにあっても、身長が高い故に、何処に居てもも、遠くからでも、よく目立つし、こうした選手側からすると、まるで背の低い一般人を、ガリバーが小人の国の住民を見るように、見下ろしている事になる。

 小人の国のガリバーたちは、手足の動かし方が異常になり、走ろうとすると、歩くより遅くなる人もいるらしい。既にこのこと事態に、異常が生じているのではないか。
 異常に背の高いバスケット選手は、脚の長さからも歩幅も大きく、身長と上背がある為、バスケットには手が届き易く、一般人とは大違いの体躯
(たいく)をしている。

 バスケットと言う競技種目が、本来のスポーツ精神で行われ、これが人間の心身を鍛える競技ならば、バスケットの高さも、身長と手の長さに合わせて調節し、ボクシングと同じように界級別を設けるべきであろう。
 背丈の高い人間が、その身長を特長として活かし、小人の国の住人をやっつけるのならば、何が「スポーツ精神」なのか分からなくなって来る。

 要するに、昨今、観戦スポーツと言われる、見るに値するスポーツの多くは、選手の肉体的な特長と、肉体的構造の特殊性をもって、競い、争い、観客は全く傷付かずに、苦痛も感ぜず、これを見て楽しんでいるのである。
 こうした実情に対し、次のような反対意見もある。観客も、選手も好きで競技やゲームを楽しみ、見る側も、選手本人も、好きで、自分の人生の生き甲斐にしているのだから、どうしてこれが悪いのかという意見である。

 全くその意見は、ご尤
(もっと)もである。その当事者に関する限り、それはまさしく正論である。しかし、そのような興行として見せるスポーツや格闘技は、国民的なスポーツや格闘技に入れて話すには、些(いささ)かお門違いのような気がする。

 こうしたものは万人に通用する国民的なスポーツとは言い難い。また、スポーツの中で、“美”を求めるものも少なくない。例えば、体操競技であったり、新体操やシンクロナイズド・スイミングやフィギュア・スケートなどである。これらの競技は、何処から検
(み)ても、美を競う合うものであるが、アマチュアの競技であっても、プロと同じレベルを要求されるものである。女子の選手は普段から太らないように食事制限がされ、20歳を過ぎれば、引退とも言われている。

 これらは一種の美人コンテストのようなものであるから、定められた技を何種類か組み合わせて、全部クリアーしたとしても、満点と言う事にはならず、美人で器量があり、八頭身でスタイルがよく、そこに色気が伴う事が優勝の条件でもあると言う。これでは、体育としての技術を競うのではなく、美人コンテストの要素が含まれている。これこそ、本来のスポーツ精神とは程遠いところで、技術以外のものが競われていると言う事になる。
 しかし、スポーツ関係者は、こうした実情に頬被
(ほおかぶ)りをし、スポーツの現実を見らずして、スポーツが教育の方途となりうると嘯(うそぶ)くのである。何と訝(おか)しな論理ではないか。

 こうした現実下に、以上の矛盾にも気付かないまま、スポーツと武道競技を綯
(な)い交(ま)ぜにし、競い、争って、強いの弱いのと論ずるのは全く訝しな事である。
 そして武術研究家や武道評論家と言う連中が論ずるのは、闘技の競い合いの中で、小さな単位の優劣を論じている事である。

 つまり、「日本一」とか、「世界最強」とかの、「なになに一」であり、どこそこの誰々を打ち負かそうと言う小さな単位でものを論じている事である。これでは本来の武門が説いた、「武の道を嗜
(たしな)む」という根本論理は崩壊するではないか。

 武門の「武の道を嗜む」とは、最初から勝ち負けを求めていないところにある。また優劣を論じていないとことにある。誰々を打ち負かそうとかという気負いは一切無く、日々修練に励むものである。
 武術とか、武道の探究と言われるものは、プロの力士やプロ格闘家と異なり、普段の生活者として、生活を維持している限り、オリンピックなどに出られるような腕前はあるわけがない。
 別に本業を持ちつつ、一週間のうちに何回かの余暇時間に稽古に励むのであって、プロのように朝から晩まで毎日トレーニングするわけではない。毎日鍛練していても、朝晩の限られた出勤前の数分間や、仕事が終ってからの数分間であり、むしろ筋力やスピードを鍛えるよりは、精神性を重んじ、その精神によって自己を鍛練するものである。

 したがって、最初から強いスポーツや格闘技は、それだけでアマチュアとは言えず、明らかに実質はプロのものである。プロ力士も、プロレスラーも、あるいはそれに附随する闘技を愛好してる人も、本来社会人ならば仕事をし、学生ならば学業に励み、何
(いず)れかの社会活動を展開している。しかし、仕事を放棄し、学業を放棄しているのであれば、それはもはやプロ以外の何ものでもない。

 特に、プロスポーツ選手を挙げた場合、国体選手などはこのグループに入る。しかし、日本の場合は、アマチュアは金の取れないプロという実情があり、月給に相当する金額をとっていればセミプロと言い、プロはどんなに金をとってもいいアマチュアなどと言う。ここに日本のスポーツ界の複雑さがある。




●国民体育大会が訝しい

 国体と言われる国民の体育大会は、ずっと以前から訝(おか)しいと言われ続けてきた。
 本来、国民体育大会と言うのは、科学文部省ならびに、日本体育協会の共催で毎年行われる総合スポーツ大会のことである。この大会は、冬季・夏季・秋季の三大会があり、全国都道府県から選手が参加し、三大会の総合得点で、天皇杯を争うスポーツの祭典であると言う。

 だがしかし、この運営は今や健全ではない。
 自分の県が優勝する為に、様々な巧妙な手段が使われ、その最たるものが、大量の選手の移籍であろう。もう、これだけでスポーツが、体育競技が、総ての人の躰を作るという素朴な目的から外れている。常にこの背景に付き纏うのは、組織の面子
(めんつ)とか、県民の名誉とか、地域の対抗意識とかで、教育的でない情熱のみが主流となり、体育関係者の地位向上の為に運営されていると言う事実である。

 こうした実情を踏まえて、多くの国民は何も発言せず、ただ忍従を強いられ、沈黙を保っている。
 国民の、無力で善良なお人好しの面は、うまく体育関係者に利用され、見え透いた選手の移籍が、越境入学並みに蔓延
(はびこ)っても、何も発言できないである。
 また、選手のフェアプレーを奨励するわけでもなく、ただ押し黙って、触らぬ神に祟
(たた)りなしを決め込んでいる。島国育ちの日本人とは、長い物には巻かれる、もともとこうした人種であるのかも知れない。だから踊らされ易く、流行に飛びつき易く、然(しか)も、それでいて“熱し易く冷め易い人種”なのだ。

 しかし一方で、国民体育大会で、体育精神、フェアプレー精神が発揮されるとしたら、どうであろうか。
 主催県の成績が奮わず、仮に最下位でも、選手のフェアプレーが発揮され、ために最下位に甘んじたとしても、その勇気は、むしろ讃
(たた)えるべきものではないか。
 競技を通じて、熟成した常識が通い合えば、それはスポーツ精神を十二分に使って、実際には生きた物になり、この意義は極めて大きな物になるであろう。本来、これが国民体育大会の目的ではなかったのか。

 この目的を見失えば、国民体育大会は、皇室の宮さま方の「お成り」を待って、道路や橋やホテルを整備する口実となり、狭義の意味において「おらが国さ」の賤
(いや)しき根性ばかりを掻(か)き立てて、それ以外には何も残らなくなってしまう。
 大会役員ばかりが得をする事になる。彼等を晴れがましい、まるで「カラオケのステージ」にでも上げるような、そんなお粗末な、滑稽
(こっけい)なる効果しか齎(もたら)さないであろう。

 また、昨今は表向きの分類区分に、プロやアマの上手な使い分けがあるようであるが、「観戦してみるに値する競技」であれば、そこには実質的にプロもアマも見分けはつかないだろう。それなのに、大会役員やスポーツ指導者達は、この現実に頬被りして、この問題をはぐらかし、先送りしてしまうのである。

 現実問題として、自由主義国に於ては、オリンピックや、それに準ずる世界大会、ならびに国民体躯大会と言う規模の選手として出場できるような人は、実に贅沢
(ぜいたく)な境遇にいるわけである。これは家がブルジョアと言うのではない。
 しかし、個人の生活が、あるいは家庭の事情が貧困であったら、一人の人間がスポーツに専念できるわけはないのである。

 但し、社会主義国家の場合は別であろう。スポーツで優勝し、その頂点に立つ事は、その国家の最も願わしい状態であるからだ。また、これ以上の宣伝方法もないであろう。彼等は、体育エリートとして、また上級の国家公務員として、そのことだけを目当てに養成されるのである。この養成機関に於ての“仕込み”は、サーカスの比ではないだろう。
 しかし、ここで養成され、もし頂点になり損ねたならば、その選手はどうなるだろうか。

 選手としての鍛練方法と技術力を高める方法は、無数にあるだろう。各々に無数のメニューが用意されているはずだ。しかし、何らかの故障をして、選手生命にピリオドを打たねばならない場面に遭遇した時、その選手のその後は、一体どうなるのであろうか。
 果たして彼等は普通の日常生活に戻れるのだろうか。
 人間は、日々老いている事を忘れてはならない。



●有頂天に舞い上がる人間の虚栄心

 人は何の為に躰(からだ)を鍛えるのだろうか。それは「強くなりたい」からだろうか。それとも「健康で長生きしたい為」であろう。
 しかし、躰を鍛える根底には、
“見栄”“虚栄心”が存在するのではないかと思う。
 少なくとも「知りたい」とか、「探究心」と言ったものが働いているとは、どうしても思えないのである。むしろ虚栄心であり、次に見栄や名誉や自己宣伝欲と言ったものが絡んでいることは事実である。

 特に、武術や武道雑誌に取り上げられている武術研究家と名乗る連中を検
(み)てみると、そこに虚栄と見栄が絡む事は明白である。他人から見られると言う事を大いに意識し、また“見栄”が見え隠れしている。

 かつて私は、先の大戦の戦場体験者から、「男の見栄」という話を窺
(うかが)った事がある。
 第一線の戦場で、弾丸が雨や霰
(あられ)と飛んで来る中、誰もが塹壕(ざんごう)の中に潜(もぐ)って地面に貌(かお)を伏せ、動かないでじっとしている時に、一人だけこうした中を、悠々(ゆうゆう)と外を歩き回り、“詩吟(しぎん)”などを歌ってみせる将校の話を聴いたことがある。

 この将校が、何故わざわざ敵弾の飛び交う中、こうした行動を執るのか、それは兵士を鼓舞
(こぶ)する為にしている事だけでないことは明白である。むしろ“空(から)元気”だろう。下士官や兵に、豪胆だとか、勇敢であるという印象を植え付ける為に、わざとこうした行動を執るのである。

 これは虚栄心であると同時に、また「見栄を張った状態」でもある。つまり、上辺を飾り、心の中に他人の目を意識して、一種の“強がり”を披露しているのである。こうした強がりは、社会的な地位とか、富とかは無関係な、精神的な強がりであって、優越感を他人に誇示する心情を言うのである。そして「心情」は、感情から出て来るもので、気持ちや感情が顕われている事は確かである。
 感情から出るものは、「見通し」を立てる場合に狂いを生じさせる。判断を誤る材料となる。それは心底に「力
(りき)んでみせる」という無意味なものが横たわっているからだ。

 こうした強がりを表面に打出し、「強そうに見える」ということを平気で遣
(や)る人間は、心に余裕の無い人間である。

 これは例えば、自分の内情は“火の車”の癖に、友人に貸す金を作ってみせる妙な意地や、弾丸が飛び交う中にで詩吟を歌ってみせる、こうした感情である。これは冷静に考えると、まさに幼児的な発想であり、幼稚な感情が表面かされていると言えよう。「百害あって一利なし」である。この“一利なし”を大真面目
(おお‐まじめ)な仕種(しぐさ)で遣(や)っているというところに、その人間の“強がり”があるのである。

 他人に“よく思われたい”と言う意識は「自他離別」の意識であり、他と同化したり、その動きに合わせることができない働きを指している。したがって見栄の場合、“自分の弱さ”や“心の底”を隠して、他人から一目置かれたいとか、威圧を与えるという、「サービス精神」に他ならないのである。しかし武人は、この手の“サービス精神”では生き残れない。

 こうしたサービス精神を具体的に言うと、千円で済むところを、わざわざ二千円出して、笑ってみせると言うようなもので、相手に屈辱感や嫉妬心を植え付けるだけのものでなく、他人に「自分は損をしているのだぞ」と分からせるサービス精神であり、したがって、これを「見栄」という。

 昨今はこうした“見栄”を、武術や武道の世界にまで持ち込んで、これで“いい気”になっている指導者がいる。この感情こそ、一種の自己満足である。余裕と言うより、虚栄心と言う“感情の世界”を武術や武道に持ち込んでいる。他人にサービスする弱さが隠れている。あるいは祝儀を、バラ蒔
(ま)いている積もりか。
 ここに見栄の有害な点があると言えよう。謙虚が失われているからだ。その上に、必要以上の“背伸び”と“強がり”がある。

 「弱い犬程よく吠える」というが、“見栄を切る”という心理状態を考えれば、それは弱さを隠すものに他ならず、一言で云えば、「不自然」の一語に尽きよう。日本の長き、武術・武道史の中で、これこそ有害な虚栄心を齎
(こたら)した汚点は、何処にも見当たらないであろう。
 そしてこれこそ、小児的な、かつ非現実的なものであるということは自明である。



●武蔵流手裏剣術に学ぶ

 「合気」の真髄(しんずい)を、徒手空拳と思ってしまうところに大変な間違いがある。そもそも柔術と云うのは、素手で戦う格闘術の事ではない。柔術は、即ち「剣の裏技」なのである。剣術を知らずに、柔術は理解できない。刃物を抜きにした“躰術”を研究したところで、柔術の真髄を見い出す事は出来ない。
 何故ならば柔術は、矢尽き、刀が折れた以降の白兵戦における「格闘組打」であるからだ。

 格闘組打に至るプロセスは、最初に飛道具が登場し、この距離は、おおよそ10間
(けん)程度と推測される。こおん「10間」、即ち、1間が6尺(約1.818m)で、その10倍だから「約18m」ということになる。
 勿論、これ以前に鉄砲が存在し、弓矢が存在する。しかし、これが最初から狙撃を目的にして撃ち込まれるものでない。殺生の確率が明確になるのは10間程度と推測される。姿形も明確になり、顔の輪郭
(りんかく)もはっきりするのは、おおよそ10間程度であろう。

 つまり、勝因は“この10間
(けん)”にあるといえよう。
 この10間から間合が徐々に詰められ、次に登場するのが投擲武器や長槍と謂
(い)われるものである。
 特に投擲
(とうてき)武器である手裏剣は、戦場の必要から生まれたもので、伏兵から急に弓や槍などで攻撃された時に、その場に在(あ)り合せた棒切れ、短刀、短槍の類(たぐい)を投げ付けて危急を脱した事から始まる。

 さて、手裏剣にまつわるエピソードを挙げれば、『大坂軍記』には、小笠原忠政
おがさわら‐たたまさ/後に忠真を名乗る)のことが出て来る。これによると「小笠原忠政、敵に胸板と肌との間を槍にて突かれたるが、忠政、脇指を抜いて手裏剣に打つに、敵ひるみて槍を抜きたるにより命助かりたり」とある。
 これには、忠政が手裏剣で一命を取り留めたとある。それ以降、忠政は長船祐定
(おさふね‐すけさだ)に短刀様の手裏剣を造らせ、鍛練を怠らなかったと言う。

 忠政の父秀政は長男と倶
(とも)に「大坂夏の陣」(元和元年5月)で戦死し、次男の忠政が信州深志8万石を継ぎ、元和3年(1618)の戦功により、播州明石10万石に移封された。この時に宮本武蔵が明石に滞在していて、藩士に武蔵の二刀一流を指南すると倶(とも)に、藩主忠政(忠真)には手裏剣を教えて欲しいと請われていた。
 この時、忠政の使用した手裏剣は、長さ約8寸
(1寸は3.03cm×8寸=約24cm前後)幅8分(1分は1寸の10分の1であるから、約2.4cm前後)の中子かなご/柄部)を切り取った短刀形で、把部に孔(あな)を開け、朱色の房が付いたものと謂われる。忠政はこれを腰に指し、江戸城登城の際にも、これを離さなかったと謂う。

 江戸時代初期には、まだ戦場の気風が残り、臨戦態勢が当時の武士の嗜
(たしな)みとなっていたので、素早く手の裡(うち)に握れ、同時に投げて、手裏剣が回転しないように朱色の房(ふさ)を付けたものと思われる。当時の手裏剣の戦闘思想は、一種の武士の嗜みであったから、戦場での格闘の経験を生かし、これが剣術の隠し武器として起り、危急の場合に、即応できるように考え出されたもので、また同時に危急の際の脱出法として、手裏剣術が起ったと謂われる。

 播州明石藩主・忠政に伝授された手裏剣を、『武蔵流手裏剣術』という。武蔵流に於ては、目標に向かって真っ直ぐに投げる「直打法」を用いることを主に、その距離はおおよそ1間半から2間としている。近距離に使い、それ以上の距離に使わない。
 現代に至っては、手裏剣流派の多くは遠距離を目標にし、その為に尖先
(きっさき)を逆に手の裡に挟み、標的の直前に180度回転して突き刺さる、「回転打法」が主流になっている。したがって、この打法は非力な者でも打てるようになっている。

至近距離を打つ「直打法・第一の打法」と中距離を打つ「直打法・第二の打法」の図

 しかし、直打法は強力であり、また修練にも、かなり心血を注がなければならない。それだけ困難が伴う。
 実際に、短刀などを1間半の近距離から、立てた畳に向かって投げてみれば分かる事だが、柄が重たい為に回転が伴い、加速がつき過ぎて下に下がり、刺さらない。こうした試し打ちを通じて、小笠原忠政は柄の部分を切り捨て、房を付けたと思われる。

 戦場の実体験から生まれた間合の長さと謂
(い)うものは、弓矢15間(約27m)、手裏剣7間(約12m)が有効射程距離と謂(いわ)れ、特に手裏剣にあっては、2間までが直打法で打ち、それ以上は回転打法で打つ事になっている。
 直打法
(短刀手裏剣)の場合は、目標から一直線上に左足と左肩を出し、刃を下に、棟(みね)を人差し指、中指、拇指(おやゆび)で握って右頭上に構える。
 この場合の打法の秘訣は、弾みを付けて、回転角45度以内にして打てば、手許
(てもと)の狂いが少ない。これが武蔵流手裏剣術の極意である。

 つまり、武田時宗先生は、初心者に向けての一本捕りの鍛練を、「非力でも出来る」として居る以上、一本捕りが小野派一刀流の極意として行っる為、特に“中高一本拳”は「刃物」と認識できる。これは格闘組打に於ての、「拳」ではないのである。刃物である。この刃物こそが、敵と闘って負けない秘訣であった。これこそ「合気」なのであり、徒手空拳による素肌で闘う、格闘術で、合気はなかったのである。

 これは素手よりも長い、大太刀、長槍、薙刀などを相手にすれば容易に分かる事であろう。
 これらの「長物
(ながもの)」と謂(い)われる、武器に対して、これらの素早い動きから身を躱(かわ)し、更に「負けない境地」を確立させる為には、機を検(み)て、貌(かお)や胸元に目掛けて、小太刀を手裏剣代わりに打って出て、危険を逃れる方法が“最後の詰め”として隠されているのである。

 また、小太刀を手裏剣代わりに遣
(つか)って、敵の戦意を失わせる秘法があるのである。私はかつて山下芳衛先生から、これを「飛竜剣(ひりゅう‐けん)」と謂(い)う名で教わり、剣は、最後は投擲武器になる事を教わったのである。

剣尾に房を付けた四稜手裏剣。

尖先六角の長距離打手裏剣。
尖先六角手裏剣は突き立てる刃物ともなる。

 槍や薙刀に対する間合は約1間以上とされ、これに自分の太刀の尖先(きっさき)までを加えて、約1間半となる。この距離から打ち込む打剣は尖先を敵に向けて投げる「直打法」である。この時、手を離れた手裏剣は、弧を描いて飛び、目標に突き刺さった時、目測通りに、直線を飛んだ事になる。最も短距離を飛んだ事になる。

 これは長距離打法に比べて、非常に命中率がいいことを顕わしている。長距離打を打つ事は、距離が遠くなれば描く弧の曲線が大きくなり、それだけ命中率が悪くなる。この事を、武蔵は能
(よ)く知っていたのであろう。

 徳川中期以降に「短刀打剣」の法を取り入れ、あるいはこの時代を機に起る流派は、香取新当流、津川流、根岸流、白井流などであるが、これらの流派は以降、専用の手裏剣を製作して、新たな手裏剣の技術を取り入れたのである。

 例えば、新当流「表の太刀・四箇条」には、「五津
(つ)の太刀」や「七津の太刀」には、「相陰に分かれ、敵、首とくるを手裏剣にて勝つべきなり」とある。この流派は、「たとへ同門たりとも一切他言いたすまじく」とあり、誓約文を入れて習ったのであり、門外からは「秘中の秘」とされ、これを知る者は殆ど居なかった。
 そしてこの「秘中の秘」は、打つ瞬間まで、敵に、打剣の有無を察知されない事が肝心であり、この時には、右手の短刀を振り上げて防ぐような態勢を執るのである。

 更にこうした実情を踏まえると、手裏剣術は常に剣術と連動されており、手裏剣だけを単独に伝えたものでなく、「剣の奥儀」として手裏剣が存在した事が分かる。

 わが流に伝わる直打法は、構え方かは始まり、まず丹田に気をとどめ、腕の力や肩の力を抜く。右利きの場合は、左足を出して左前にし、その後、直線上に右足を揃え、躰の中心線を目標と一致させる。近距離の打剣の場合は、手の裡
(うち)に柄の重心があるから、目標までの距離が1間半ならば、人差し指で抑え、第二指から第四指と拇指で握って、刃元を垂直にする。距離が2間くらいになると、人差し指で柄元を抑え、他の三指と拇指で握って、刃元を垂直にする。

 打剣を行なう場合は、右利きの場合、右手を右頭上に開けて打剣の構えを作り、掌
(てのひら)で切るように打ち込む。その場合、右腕の振り下しが自分の右耳を擦(す)るような感じで打ち込むのである。
 この打剣で失敗する場合は、手先を目標に合わせた積もりでも、無意識のうちに右手を90度くらいに振り下ろしてしまうと回転が付き過ぎて目標に刺さらないのである。これは「弧を描いて真っ直ぐに飛ばない」為である。

 これは試し切りなどで、太刀の円運動を考えた場合も同じで、上から振り下ろし、媒体に叩き付けるだけでは斬れないのと同じで、円周の外に向かって尖先が飛び出す気魄
(きはく)で振り下ろすと「刀の理(ことわり)」に随(したが)い、加速力が相乗効果となって、媒体が斬れるのである。

 手裏剣もこれと同じで、右手を振り下ろすと思わず、一気に前に飛ばし、更に突き抜けて行くイメージを持つ事が大事である。それは打剣と手と腕とを一直線にして、頭上から前へ打ち込む気魄が大事なのである。これが長距離を飛ばす、回転打法との違いである。それだけに胆力がいるのである。



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