●事上磨錬
大東流は非常に謎の多い流派である。これをいいことにして、「大東流」の一流派のを登録商標にしたり、自己独占する、武道家と思えない人がいる。一体この道徳は、何処から発する考え方であろうか。商売の権益の、それではないか。
昨今の武道界では、「西郷派を叩く悪現象」が蔓延(はびこ)っている。
その一方で、日本人は情報に金を払う意識が低い。また、この意識が低いばかりか、タダのニセ情報に翻弄(ほんろう)されやすく、これに撹乱(かくらん)されて「烏合の衆」に成り下がる一面を持っている。
そして、こうした日本人の原点を抽出すれば、それは日本の古来からの因習である「ムラ社会」に回帰されよう。 日本の国情を考えた時、古今を通じて、アジア大陸の極東に位置する日本列島は、特有の春・夏・秋・冬の四季を持ち、季節感溢れる島国である。
しかし、この島国がまた、「島国根性」や「ムラ社会」を作り出した。そして、正確なこの国の歴史的根拠のあるところは、縄文時代、弥生時代を含めて二千年余りである。
そして日本人は高温多湿の湿り気の多い、伝統的な“ムラ社会”を構成し、身内社会と「親の七光り」の威光に凭(もた)れかけて生きて来た。資産家らが、親の溜め込んだ金で、今もぬくぬく生活でき、商売ができるのは「親の七光り」に他ならない。
日本民族は、基本的には「単一民族」である。単一の言語を持ち、世界には類例のない、何処を切っても金太郎アメ的な、濃厚な均等社会を形成した日本人は、昔も今も変わらず、“義理”と“人情”に流され易い、因縁と不公正を背負った寄り合い所帯の中で、日常生活を営んでいる。更にこの民族を探究すれば、不公正な現実の中に平均化や平等化を求め、これを正義の行動規範にしているが、実は日本人の行動の基軸とするものは、明らかに社会正義の貫徹ではない。
この事実は、戦前戦中にも見られたし、今日の戦後の民主主義の中にも見られる。社会正義などと称するには程遠く、日本人個人を更に探究すると、この単一民族の個としての正体は、まぎれもなく「自分主義者」の集合が、日本と言う国家を形成していることになる。
つまり、「自分主義」とは、家族や親族にとって、自分に役に立つ人間や、頼りになる人間を取り巻きに置き、利用できる人間を利用する、「自分が大事」と思う考え方こそ、自分主義の特長であり、多くに人間を動かす行動原理には、決して大義名分等ではない。また、キリスト教徒などのように、愛に殉(じゅん)ずる自己犠牲なのでもない。
自分の生命も顧みず、無償で自分の身を捧げたり、あるいは生き態(ざま)の情熱などではなく、最後は自分をどのようにして物質的に豊かにさせるかの、「珠盤(そろばん)勘定」で動いていることは明らかである。
日本人が考える、「幸せになりたい」とか「出世して偉くなりたい」あるいは「金持ちになって世間に認められたい」などの欲望は野心は、結局の所、「向う三軒両隣」に“負けたくない”と言う見栄の意識であったに他ならない。
そして、こうした意識が働いていることが明確に顕れている場合、ムラ社会で観(み)る「世界観」は正しいだろうか。
また、こうした意識が働いている以上、自分たちだけが正しくて、対する一方は総(すべ)て悪と看做(みな)すことが出来るだろうか。
これこそ、“片手落ち”の傲慢(ごうまん)あるいは偏見ではないか。もし、世間大衆に対して流し続ける情報が、一方だけを取り上げ、一方を無視した遣り方は公正ではない。また、公平でもない。これを独断と偏見というのだ。そればかりか、一方に焦点を当て、これを讃え、また、一方を侮蔑(ぶべつ)の文字を並べ立てて罵倒(ばとう)するのは、人間的な道義にも劣ろう。
世間流の常識で、西郷派叩きは、武道界では常識になりつつある。また、陽明学などを研究し、これを行動思想としていることは、危険思想と看做され、ご丁寧に「極右」のレッテルまで貼られている。少なくとも、こうした西郷派叩きの元凶となったのは、『合気ニュース』や『剣道日本』(近藤勝之氏は剣道雑誌に中に、わざわざ合気武道を取り上げさせ、西郷派に対して、インチキの証拠は幾らでもあると息巻いている。この常識を疑いたくなるような鼻息は一体何処から来るのだろうか)のような、一方的な取材によって書き上げたガセネタ記事が元凶になったことだ。
そして、特記すべき事は、現在『合気ニュース』で、大東流の第一人者のような顔をして、解説を論じている九州総支部長を名乗る西龍一郎が、電子辞書でも「インチキの西郷派」と評されている、「もと、わが流の弟子」であったことを、幾つかの証拠を出して、既に論じている。
世の多くの合気系の武道を愛好する人達は、『合気ニュース』の掲載記事をそのまま信じるのもいいであろうが、今では、「インチキの西郷派」といわれる、かつての弟子も、「もと西郷派の門人」であり、こうした「もと弟子」に論評させている。こうした類(たぐい)に、大東流の何を語らせようというのであろうか。
もし、武道界が良識の眼で公正・公平・中立の立場に立って西郷派を判定し、その結果、更に西郷派が歴史的根拠のない「インチキ流派」だとすると、この男も、インチキ流派の基礎の上に、大東流合気武道の「柔術百十八箇条」を積み重ねたことになり、土台は、やはりインチキということだろう。
更に、かつてこの男がわが流の在籍したとき、素質も才能も決してあるようには思う得なかったが、今では、吸収総支部長に伸(の)し上がり、“大東流の第一人者”のような顔をして『合気ニュース』に能書きを垂れている。
西龍一郎に対しては、次の疑問が起る。
なお、念のため申し添えておくが、これは、かつて西郷派の門人であった西個人に、恨みを投げつけるものでないので、その点は呉々も間違いのないように、ご了承願いたい。もし、分析結果が違っているのなら、これをいつでも書き換える準備がある。
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わが流に在籍したとき、才能も素質も決してあるように感じられなかったが、どうやって第一人者の座まで達しえたのか。
あるいは西の身に、「ダーウィン進化論」の如く、偶発的な突然変異が度々起り、進化したのだろうか。 |
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また、「九州総支部長」などという仰々しい肩書きを有するまでになった時間は、昭和60年代前半(【註】この年、八幡大学合気柔術部を引き連れての造反があった)の造反から考えて、あまりにも早すぎる。この早いの伸(の)し上がりの裏には、大東流合気武道側と、何か“裏取引”があったのか。 |
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この造反に対し、武田時宗先生は「西氏(【註】熊本で九州総支部長なのるこの男だが、ここではNとしておこう)も、進龍一(【註】わが流の関東方面指導部長で、習志野綱武館の名誉館長。大東流合気武道からの大同団結の誘いに乗らなかった)氏も 、将来のことを考えて、是非、長い目で見てやって欲しい」と云ったが、この「長い目」とは、西郷派を徹底的に叩いて、自分らがの伸し上がる為の叩き台に、西郷派が使われたのか。
もし、そうだとしたら、他を喰って伸し上がろうとする道徳は、いったい何処から生まれたモラルなのか。 |
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既に述べた通り、「西郷派のインチキ説」が今日の武道界で定説となっている。そうだとすれば、西の土台も“インチキ”ということになるが、この西の今日の力量は、西郷派の土台の上に、大東流合気武道の柔術百十八箇条を積み重ねたことになりなりはしないか。 |
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八幡大学合気柔術部(【註】現在の九州国際大学)を、手土産に造反させておきながら、その後、なぜ指導を怠り、放置してしまったのか。
また奇遇にも、その後、この部の部員が、西郷派に再加入してきている。しかし、当時一年生であった学生が、四年間の学業を終え、各地に就職していくと、部員集めが振るわず、休部の状態になってしまった。おそらく、西が指導を怠らず、きちんと指導していたらこうした状態は免れただろう。現在も存続したであろう。
そして、造反以降の、学制の指導を「放置した」というモラルはいったい何処から起ったものか。これについて、西の“人格”が問われなければならない。 |
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“武田信玄の大東流”と称して、福岡武道館でやっている藤原某に対し、西は「お前はなぜ大東流を語っているのか」と圧力を掛けに行ったそうだが、では、わが尚道館には、こうした類の圧力を掛けて来ないのか。それは過去の“後ろめたさ”があるからではないか。
また、過去の“造反劇の企て”が影響しているのではないか。
(【註】藤原某の“武田信玄の大東流”というのも、実に訝しな歴史観に由来している。更にこの時代、「素肌武道」というのは存在しなかった) |
以上について、西龍一郎が回答する義務が生まれる。
さて、大東流とは、非常に“スキャンダラスな流派である”ことが、これでお分かりいただけるであろう。誰もが勝手に「大東流」を名乗るからだ。また、それは近代に構成された“新興武道”としての流派であるからだ。
清和天皇など、一切関係ないのである。こうした歴史は存在しなかった。後世の仮託であることは間違いないようだ。
また、『合気ニュース』のジャーナリズムとしての信憑性も、決して中立・公正・公平の論から行くと、常識の眼から検(み)て、あまりにも「一方論」に偏っているといえよう。
そして、西郷派の戦闘思想であるの「西郷派大東流の武術の30儀法」と「西郷派大東流の思想の5思想」は、「清和天皇第六皇子……云々」や「武田惣角を中興の祖とする……云々」とは、全く関係のないことである。
また、わが流の「西郷派大東流」の「大東」は、大東流合気柔術や大東流合気武道の大東ではない。
わが流の説く、「大東は、大いなる東(ひむがし)」から来た「大東」であり、西郷頼母の唱えた「極東一の優れた武道の大東」を、西郷派の大東としているのであり、これを「西郷派大東流」の流派名の象徴にしているだけである。
しかし、わが流は決して「大東流」に固執するものでない。
わが流は、先代の山下芳衛先生が、「わが流は“大東流”と謂(い)う」のお言葉を墨守し、それに遵(したが)って、西郷派の後ろに“大東流”を持って来ているだけである。
更に、他の大東流と、わが流は同じものでない。武田惣角の流れは組んでいない。したがって儀法も戦闘思想も、礼法も、武田惣角を祖とする大東流とは違う。根本が違う以上、同じものでないし、猿真似もしていない。総てがオリジナルである。
大東流は流名自体の起源に謎(なぞ)が多く、また、作り話や伝説が沢山ある。
「新羅三郎源義光説」も、「大東の館説」も、またその“大東の館”で、平安後期から鎌倉初期にかけて、戦死体解剖が行われた歴史的事実もない。この時代に、日本では“戦死体を解剖する”技術など、なかった。
そしてこれらは総て、明治中期から昭和に掛けて作り出された後世の仮託である。
あるいは新興武道なるが故に、天皇家や皇室と繋(つなが)りがあるかのように見せかけた「皇胤(こういん)」を持ち出して、流派に重みを加えようと創作したのかも知れない。その可能性は大きい。また、太子流の「天皇家皇胤説」と類似したところがある。
そもそも、大東流の武技(柔術百十八箇条と直心影流の表の型)の優秀性と、歴史は無関係であり、双方をこれに絡めて考えることは別問題である。
西郷派を除いた、何処の大東流の講習会でも大変に繁盛をしている。おまけに、「大東流○○会」と、大東流とは全く関係のない、西郷派の書籍やビデオを入手して、これを「型真似(かた‐まね)」し、それで大勢の講習生を集めている素人団体もある。今や、三人集まれば、「大東流○○会」である。
こうした「大東流○○会」を語る団体の中には、一回の講習料につき一人一万円を徴収して、一回の講習で100人も200人も集める団体がある。仮に、一回の講習で100人として、ざっと100万円の収入が転がり込む。そして必要経費といえば、武道館や体育館の貸切使用料だけである。収入から貸切使用料を差し引いても、かなりの収入がある。荒稼ぎをする、暴利団体としか言いようがない。
多くの会員を集め、盛会を見る大東流がある一方、『合気ニュース』の誤報記事や、マイナーな武道雑誌で講釈を垂れ、西郷派叩きで漁夫の利を狙う輩(やから)が居る。西郷派を叩けば叩くほど、自分らは儲かるというシステムである。西郷派の各道場では、「閑古鳥(かんこどり)が鳴いている」というのが実情である。それは、「西郷派叩き」という営業妨害と名誉毀損に由来する。
一説によれば、西郷派のインチキ・コールをネットのブログなどで1回コールすると、一人が入門するという噂が流れている。『合気ニュース』に悪乗りした“便乗組”である。
しかし、こうした実情でありながら、わざわざ西郷派を指定して、入門してくる人がいる。こうした人達は、西郷派叩きが行われていることを知りながら、西郷派を指定して 入門して来る人である。西郷派の良さを正しく評価できる人たちである。
陽明学の思想に基づけば、「事上磨錬」であり、志を持ち続ける為には、心に痛みがある方が、より強い信念が抱けるということだ。
人間は生まれたその日から、凄い能力をもっている人間など一人も居ない。また、達人や名人が一見全知全能の能力を持っているように見えるのは、外見だけに眼を奪われて、そのように映るだけである。したがって、日々精進の地道な努力が要るのである。
わが流では、重量3.1キロの合気揚げ用の素振り木刀を「朝晩最低100回以上振る」ように申し付けている。これにより胆力が出来る。振れば振るほど、無駄な力が抜け、木刀を腕力で振るのでなく、「魂で振る」ことが分かってくる。これを毎日朝晩、五年も十年も続けている人がいる。何も考えず、黙々と振るのである。100回で振り足りなければ、200回、300回と振り続ける。
黙々と、まるで「動く坐禅」をするが如きである。こすると、すっかり肩の力が抜ける。また、ボディビルダーのように、肩に盛り上がった無駄な筋肉は必要でなくなり、肩が骨と皮だけになり、武張った強圧的な威圧体型がなくなり、それに代わって、橈骨(とうこつ)と尺骨が発達し、この腕の部分が「ヘラブナ」のような形になる。
これが合気揚げを行う場合の、正しい体型である。こうした合気揚げに隠された秘密を一番最初に公開したのは西郷派だった。一人の天才すら、その実はこうした精進努力で造られるのである。
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▲重量3.1キロの合気揚げ・素振り用木刀の朝晩の精進。
正しい素振りをすると、肩の筋肉や脂肪が落ちて、一年を過ぎた頃から、腕の構造断面は楕円形(だえんけい)で、腕自体は「へらぶな形」となる。
木刀の柄(つか)を握る場合は、力で握り込むのではなく、「卵」を握るように「柔らかく」握ることが大事である。
この時、人差指は柄を握らず、中指・薬指・小指で握り、最後に拇指(おやゆび)で握って止める。人差指は、自然の儘(まま)に伸ばし、無理にピンと伸ばす必要はない。そして、小指側ほど締めて握る。
また、斬り結ぶときは、「茶巾(ちゃくん)絞り」の要領で、剣筋が正中線を正しく通るようにする。一振り一振りに唸魂(ねんこん)を込め、霊肉倶(とも)に動かすことが大事である。
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これは正統性が正しいか否かではない。精進努力をするかしないかの差である。ここに知る事と、行う事が同一であるという、陽明学の「知行合一」がある。西郷派を除いて、他の大東流や大東流を語る「大東流○○会」に、果たして、思想と行動が一致するという団体があるだろうか。
わが流では、演武会では客受けによい、高級儀法も、実戦では絶対に掛けることが出来ないと、常々論破し続けている。
また、毎日驚異的な稽古をする大相撲の力士や、過酷な練習をするプロレスラーに、空手家の剛拳も、プロボクサーのパンチも、殆ど通用しないことを雄弁に物語っている。しかし、プロボクサーの強烈なパンチを、一般素人同様の武道愛好者が、これを顔面でもボディーでも食らえば、ひとたまりもないだろう。所詮(しゅせん)、“時代遅れの古武道”では、プロ格闘技選手のテクニックには勝てるはずがないのだ。それはキックボクサーですら同じだろう。況(ま)して、古武道の愛好者が、素手で勝てるチャンスは「1000の1」、いや「10000の1」もありはしないだろう。その可能性のない事は、9.999999……だろう。
かつての古老な、柔術家が格闘技を始めたばかりの若者に簡単に倒されてしまうのはこの為だ。
昨今、世界最強の格闘技と自称する「総合格闘技バーリトゥード」という過激なスポーツをご存じだと思うが、これは近年では全く存在すら知られなかった、凄まじい格闘技である。これと対抗する人間業(にんげん‐ざわ)が、素手の状態で果たしてあるだろうか。大東流の一箇条も二箇条も三箇条も、全く通用しないことは請け合いである。もし、「大東流柔術百十八箇条」で、これに対抗し、勝てるという流派があったら、是非お目にかかりたいものである。
西郷派では、別の角度から武器を研究して、ギリギリのところに追い詰められたとき、命をとられる最後の最後で勝てる方法を模索しているのである。これに勝つ方法は、合気空手ではないことを断言しておこう。
かつて武田時宗先生から、「武田惣角が、着物などの衣類の至る処に、小刀などの刃物を隠していた」という話を、わが方に来館したとき、聞いたことがあるが、こうした「隠武器(かくし‐ぶき)」についても、追い詰められ、絶体絶命になって、命をとられる最後の最後で勝てる方法ではなかったかと思料している。この話を洞察して考慮すれば、最後の最後で、「九死に一生を得る」のは、大東流柔術百十八箇条ではなく、「隠武器による勝ちだ」ということになる。
わが流が、真剣に隠武器や毒術を研究し始めたのは、昭和56年、武田時宗先生がわが方を来館してからのことであった。爾来(じらい)、わが流は「隠武器や毒術」の研究の没頭することになる。
これは人殺しを図ってのことではない。むしろ、人命尊重の立場から、命は何処までも尊重しなければならないという思想に基づくものである。ちょうど、平和を論ずる時に、幾ら平和論を強調しても、平和を知ることは出来ない。平和を知る為には、むしろ、戦争の恐ろしさを知らねばならないのと同じである。戦争を知り、武器を研究すればするほど、実に平和が尊いものだろ分かってくるのである。命は尊く、粗末にしてはならないと分かってくるのである。
ちなみに、バーリトゥードとは、ポルトガル語で「なんでもあり」という意味である。その為、ほぼノー・ルールで行う、総合格闘技である。
ブラジル格闘技の「カポエイラ」を母体として、柔道、ムエタイ、その他の世界中の格闘技の長所を吸収して作り上げられた凄まじい格闘技である。カポエイラは、400年前、アフリカから奴隷として連れて来られた人達が、手首を縛れてたまま、この状態で格闘したことからはじまるという。
バーリトゥードは基本的には、頭突き、肘打ち、脊髄、金的以外の攻撃ならびに噛み付く事や、眼潰しは禁止であるが、それ以外の攻撃は「総てあり」とする、激しくて、過酷なスポーツ格闘技である。
素手で闘った場合、リングに入り、ゴングとともに格闘が始まれば、大東流を十年、二十年、三十年、四十年と遣ったアマチュアレベルの大東流選手でも恐らく、持ちこたえてせいぜい30秒であろう。それに近年は、大東流の某大師範が、打撃系の選手を挑発して、試合に挑み、30秒でノックアウトされたことがインターネットに流されたということもあった。また、合気系武道の低迷は、世間様からの目で見て、「十把一絡げ」でもあるという体たらく振りである。
そして一方、打撃系の、突きや蹴りを専門とする格闘技は、若者を中心に大ブームを起しているそうだ。
大東流の一部のグループが、武田時宗先生ご健在のときは、大東流の正式鍛錬法には入っていなかったが、近年、「合気拳法」を上げ、「合気空手」を上げて組手をやる理由は、昨今の格闘技ブームの集人力を狙って、それに肖(あやか)ろうとしているのかも知れない。しかし、所詮(しょせん)は焼け石に水のお湿りである。無駄な努力である。もし、こうした最強格闘技と張り合いたいのなら、こうした合気拳法や合気空手など遣らずに、最初から総合格闘技でも遣ればいいではないか。
では、西郷派はこうした時代の流れを、どう考えているのか。
それは「古人の智慧」に回帰し、そこからまだまだ活路があると考えている。幾ら巨体と雖も、あるいは鋼鉄のハンマーパンチを持っているものとはいえ、彼等も同じ人間である。特別な肉体を持ち、「頭」も「目の玉」も「咽喉玉」も「金玉」も、みな鋼鉄というわけではない。此処を一撃すれば済むことだ。手足で一撃して駄目なら、武具を遣えば済むことである。これこそ明瞭簡単な、古人の智慧ではないか。
アタマ・メンタマ・ノドタマ・キンタマの「四タマ」は、鍛えようがないのだ。但し、強いて言うなら頭と胴体を繋ぐ「クビタマ」というのは、などからも分かるように柔道・サンボ・レスリングあるいはブラジリアン柔術からも分かるように、ブリッジで頸(くび)周辺の筋肉だけは鍛えられるが、咽喉笛(のど‐ぶえ)だけは鍛えることが出来ないのである。つまりここが、「咽喉タマ」である。
果たして、こうした研究を西郷派以外の大東流が、時代の則(そく)した研究を重ねてきただろうか。あうりは「所代われば品代わる」の喩えから、道場と言う畳屋板張り以外の野外での野稽古を真剣に模索し実践してきたことがあるだろうか。
険しい山道では、柔術百十八箇条などという、骨董品的武技は全く通用しないし、膝行・膝退・膝側も出来るわけがなく、第一、平地しか役に立たない前近代的な武芸が大自然の中で、どの程度まで通用するか、非常に疑問である。
会津藩では、五百石以上の武士を「上級武士」と呼んだが、上級武士は弓馬術の心得があった。それにちなんで、わが流では古くから馬術を修練してきた。武術というのは、弓矢の儀からはじまり、弓馬術がその起こりだった。柔術が起ったのは江戸時代である。戦国期の普段でも甲冑を身に着けて生活する非日常では、絶対に「素肌武道」などという柔術は起りえなかった。あるとしたら、戦場での格闘組打であり、これも鎧甲冑(よろい‐かっちゅう)を着けての組討だった。
どうして、日々戦場の世界に、「素肌武道」など登場しよう。
骨董品や伝説に振り回されず、日本人は日本人として、無国籍武道や格闘技に振り回されず、日本精神で修行の道を一歩一歩着実に進みたいものである。そして、修行の根本は「心」である。心を鍛えることこそ、修行の目的なのである。
骨董的武技を、約束演武会で、技の複雑さ品評会のように、その演技のできばえを評することではない。実戦と約束演武は全く違うことを知らねばならない。実戦に役立つのは「胆力」であり、「鍛えた心」である。
では、「心」は、いつ鍛えることが出来るのか。
陽明学では、「事上磨錬」を上げ、この時機(とき)に鍛えられるという。では、「事上磨錬」とは何か。
それは問題が起ったときだという。問題が起り、心配事が出来たときこそ、心は強靭(きょうじん)に出来るというのである。
端的に云えば、つまり、不幸の真っ只中にあるときこそ、心は強靭になるというのだ。
私は、長男が中学一年のとき、大病をして生死の境を彷徨ったときがあった。原因不明の、体内にブドウ球菌が発生し、それが体内を循環し、長男はこれにまる一週間苦しめられた。私はこの連絡を受けたとき、「息子が危篤」ということで気は動転し、心配のあまり、居ても立ってもいられなかった。
しかし、陽明学では、こうした時機に「自分を鍛えなければならない」と教える。ある意味で、これこそ絶好の機会だというのである。医者でない筆者は、幾ら息子を助けたくても、医学の勉強を遣っていないし、医師の資格もないので、医療行為の面からは、一切助けることが出来ない。
だが、若いときから陽明学を勉強していたので、普段勉強したことがこの時機に本当に役に立たなければ、「知行合一」でないと悟った。父親が、子供を愛し、その危篤状態を心配するのは、「自然の情」である。しかし、天の理(ことわり)にも、自ずと中和し、「中庸(ちゅうよう)の位置」を保てないようなら、これが偏り過ぎて、愚かしいまでの「私意」になってしまう。私意から起る想念や感情は、決していい方向には働かない。
したがって、こうした時機には、天の理(ことわり)から云っても、心配することが当然でとしても、心配が過ぎれば、心に憂いをつくり、その抱えた意識は正常な働きが失われるだろう。
感情というのは、「過ぎてはならない」のである。これが、陽明学の云う「事上磨錬」の心の修練法なのである。最近は、こうした「心法」が知りたくて、あるいは基礎から学びたくて筆者の許に通い詰める遠方からの来館者も居る。
こうした人は、個人教伝で私からマンツーマンで教わるのである。そして、私がこうした来館者に対し、最後に力説するのは、「病気などで、仮に躰(からだ)が窶(やつ)れてしまったとしても、命は窶れてはならない」と付け加えるのである。そうすると、来館者達は、西郷派の儀法以外にも「心法」を理解して、来たときとは打って変わって、元気になって帰っていくのである。そして、またこうした人は、次も遣(や)ってくるのである。
こうした来館者の中には、過去に武道経験や運動経験、スポーツ経験など、一切ない人までが遣ってくる。勿論、他武道を十年・十年と遣って、中々の猛者も居る。オリンピックで柔道の銅メダルを獲得した柔道家まで居る。しかし、こうした人に混じって、病気持ちの人も遣ってくる。あるいは若い頃はフルコン空手を遣っていて、今は病気で足が悪いからといって、余生の健康法として西郷派の手裏剣と陽明学を教わりに来る老人もいる。
こうした人が、わが流に遣ってくるのはなぜか。それは、わが流の根本精神を見抜き、それに人生の拠(よ)り所を求めて遣って来るのである。決して骨董品的な、柔術百十八箇条を習いたいと思って遣ってくるのではない。こうした人の中には、末期ガン患者で余命幾許(よめいいくばく)もないと告知された老人もいる。
こうした人達は、来たときは病魔に威圧されて、よれよれだが、筆者が聞き役になり、喋りたい事を充分に喋らせ、その後に居合いの稽古をしたり、2〜3メートル離れた的に手裏剣を打ち込む稽古をさせたり、あるいは調子がいいと判断したときには、三日ほど宿泊してもらい、登山道具を担ぎ、近くの福智山山頂までの険しい登山道を歩いて、山行きをすることにしている。
足は遅いが、結局最後まで歩き通し、また、山頂から降りてくるという修行をやっている。そして、最後に陽明学の一節を講義すると、来たときとは見違えるように元気になって、帰って行くのである。
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▲平成20年5月4日の福智山山頂から。
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▲福智山山頂にて。(平成20年5月4日)
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西郷派の修行は、修練に仕方も「心法」の探求も、人それぞれであり、心の強化に重きを置く流派が、全武道界を見渡しても、果たして他にあるだろうか。
単に肉体ばかりでなく、「事上磨錬」として心を鍛えなくなると、人間が勝手なもので、それでもう充分学んだような気になり、そこで安堵(あんど)してしまう。そして、その時点で私欲が起る。自分の前に、まだ修行が残されていることを忘れてしまうのだ。
その結果、大半の者は、晩年ボケ老人になる。アルツハイマー型痴呆症を患(わずら)って、この症状と他の病気を並行させ、ボケ老人で死んでいく。
探求すれば探求するほど、「道」を踏み行う修行は、奥深いと気付かない為だ。心が鍛えられるという天の理を無視した為だ。
こうした人は、その人が名人や達人の域にあっても、心を鍛える事を止めた報いとして、アルツハイマー型痴呆症などの病気が頭上に降り注ぐ。少なからず、大東流合気武道という団体の中に、そういう人がいる事を、私は検(み)て知っている。
武術研究家と称する甲野善紀氏は、「大東流は古武術の中で、最も普及している流派である」と称しているが、これは武田惣角のかつての武勇伝に肖(あやか)る“便乗組”が多いと言う事であり、武勇伝に酔い痴(し)れているだけであり、「合気のロマンを追い掛けた結果」に過ぎない。これを「最も普及している流派」と結論を出すのは、余りにも短見であろう。
この短見に安堵する人々が、またボケると言うことだ。安堵こそ、禁物であると言う事が分かろう。
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