●ペンは剣よりも強し
さて、読者諸氏は「ペンは剣よりも強し」 という俚諺(りげん)を、ご存知だろう。確かに、単なる能書きであっても、ペンは剣よりも強いことは確かだ。
その証拠を、一つ挙げるならば、私の家内が、八幡大学合気柔術部の造反により、この音頭取りをしたOB会・会長の横田稔(よこた‐みのる)のへ憎悪、西龍一郎(にし‐りゅういちろう)への恨み、また、近藤勝之氏への暴言(同氏の暴言が登場したのは平成3年7月、『合気ニュース』にて)などに対する憤(いきどお)りと、度重なる怒りと恨みと心労により、平成元年4月に再び発狂し、完治は難しいと言われる精神分裂病に苦しんでいる。これが間接的な原因であったとしても、現実には精神病に罹(かか)り、現在も入退院を繰り返している。
 |
▲精神分裂病と診断された家内の診断書。
この診断書は、八幡厚生病院を一度退院して、再び悪化した時に松尾病院から出された診断書である。精神分裂病は完治しない事に注目されたし。一人の人間の一生を何と考えているのだろうか。
|
家内はそれまで塾講師として、中学生や高校生に数学や英語や生物などを教えて、溌剌(はつらつ)とした人生を送っていた。しかし理不尽に斃(たお)れた。
家内は、八幡大学合気柔術部の造反事件より、烈(はげ)しい衝撃を受け、爾来(じらい)少しずつ病変が悪化し、訝(おか)しな状態になり、千葉県習志野市大久保に在住したときは、『合気ニュース』の“社説記事”を読んで、「一方的で、鬼の首をとったような書き方をし、一切取材もしてない癖に、よくもこんな調べもしないことを平気で書き、何と傲慢(ごうまん)な記事でしょ!」と激怒・憤慨(ふんがい)し、遂に錯乱状態になって緊急措置入院で、千葉県八千代市の八千代病院(精神科と内科だが、主に精神科が主)に入院した。
いったい誰に、一人の人間の精神を徹底的に破壊し、その“精神的殺生与奪の権利”があるというのだろうか。
また、この世とは、何と理不尽なところであろうか。そして『合気ニュース』・西龍一郎・近藤勝之の三者が正義漢ぶってしている「西郷派叩き」をしている事は、確かに理不尽であり、間違いだらけである。更に、言葉を弄ぶ「暴力団」であろう。
特に感情に振り回されて、物事を客観的に理性や知性で見ていないところの偏った記事の内容は、“一種の暴力”であり、“犯罪”である。
|
|
▲もう、この時の“笑顔”は永遠に見られない。人格を完全に破壊されたからだ。
それは「西郷派叩き」によって、である。
しかし、「西郷派叩き」を企てる一味の論理は、理論的でなく、科学的でなく、実証的でもなく、また知性や理性と云ったものでもない。極めて感情論に訴え、「捲し立てる」と言う、感情論から起っている。
こうした人間の言を読めば、その当事者が激怒する事は当たり前の事であり、当然事実に則していないのだから、文章を読んで、精神状態を著しく傷つける事もある。
人間の精神状態や、心の度量の容積は、人それぞれによって違うのである。
妻・千歳も、その神経過敏さ故に、ある暴論者のお陰で、生涯を台無しにされたといえよう。まさに、ジャーナリズムによる、理不尽なる「言葉の暴力」だった。
この言葉の暴力により、一人の人間を廃人(はいじん)にした責任を、いったい誰がとるのだろうか。『合気ニュース』なのだろうか、それとも西龍一郎か、近藤勝之氏なのだろうか……。それとも、知らぬ、存ぜぬの、頬っ被り、「一切関係ない」として一蹴(いっしゅう)するのだろうか……。 |
言葉は、人間に“勇気”と“活力”と“希望”を与える事ができる。
しかし一方で、“歎息”と“困惑”と“絶望”の淵(ふち)に追い込み、一人の人間の人生を抹殺して、廃人にする事もできるのである。面白半分に叩かれて、罵詈雑言(ばり‐ぞうごん)を云われ、これに平気で居られる人間は、この世にそんなに多くないだろう。
また、精神状態も“十人十色”であるからだ。私の家内のように、“言葉の暴力”により烈(はげ)しい衝撃を受け、廃人化してしまうデリケートな人間もいるのだ。そして、事実、廃人同様になった。
それ以来、各地の精神病院を転々とした。苦しい毎日だった。長い長い、決して一生涯完治する事にない、辛酸(しんさん)を舐(な)めなければならない人生を背負い込んでしまったのである
。
そのプロセスを負うと、八幡大学合気柔術部の造反事件に端(たん)を発し、悪化状態を一進一退を繰り返し、遂に限界が生じて平成元年6月から、八幡西区三ヶ森の八幡厚生病院(精神科・胃腸科)に約6ヵ月入院した。
|
病院数
|
病院名
|
病院所在地
|
入院・通院期間
|
|
1
|
八幡厚生病院(精神科・胃腸科)
|
北九州市
八幡西区三ヶ森
|
約6ヵ月入院
|
|
2
|
松尾病院(精神科・胃腸科)
|
北九州市小倉南区
|
約4ヵ月入院
|
|
3
|
★八千代病院
(精神科・神経科・胃腸科)
|
千葉県八千代市
|
約半月間入院
|
|
4
|
津田沼神経科精神科クリニック
(神経科・精神科)
|
千葉県津田沼市
|
約1年間通院
|
|
5
|
日大松戸病院(総合)
|
千葉県松戸市
|
約4ヵ月通院
|
|
6
|
湖南クリニック(神経科・精神科)
|
滋賀県大津市
|
約9年間通院
|
|
7
|
滋賀医科大学病院(総合)
|
滋賀県大津市
|
約3ヵ月通院
|
|
8
|
堤病院(神経科・精神科)
|
北九州市小倉南区
|
約2年間通院
|
|
9
|
平尾台病院(神経科・精神科)
|
北九州市小倉南区
|
約3年間入院
|
|
10
|
蒲生病院(神経科・精神科・胃腸科)
|
北九州市小倉南区
|
約3ヵ月通院
|
|
11
|
平尾台病院(神経科・精神科)
|
北九州市小倉南区
|
約1年間入院
|
次に平成2年11月から松尾病院(精神科・胃腸科)に約4ヵ月入院、その後、平成3年1月より千葉県習志野市大久保に移転して、『合気ニュース』(平成3年7月号)の社説記事を見て錯乱状態になり、外に狂い出て京成バスを止め進路妨害とバス運行遅延で習志野警察署の要請で措置入院が課せられ八千代病院(精神科・神経科・胃腸科★印に注目)に措置入院として約1ヵ月入院、退院後、再び悪化し、津田沼神経科精神科クリニック(神経科・精神科)に外来患者として約1年間通院、その後、日大松戸病院(総合)に約4ヵ月通院、平成4年3月より滋賀県大津市に移転後、湖南クリニック(神経科・精神科)に外来患者として約9年間通院、その後、滋賀医科大学病院(総合)に約3ヵ月通院、平成13年3月より北九州市小倉南区に移転後、堤病院(神経科・精神科)に外来患者として約2年間通院、その後、更に悪化して、平尾台病院(神経科・精神科)に約3年間入院、蒲生病院(神経科・精神科・胃腸科)に外来患者として約3ヵ月通院、再び尾台病院に約1年間入院、その後、病状は軽くなるも一進一退を繰り返し、平尾台病院に外来患者として通院し自宅療養で現在に至る。
以上からも分かるように、精神科のドサ廻りを20年以上、やったのである。そしてこれは、終着駅のない“堂々巡り”だった。
医療関係の治療が始まったのが、平成元年からであるから、平成20年までとして、既に20年以上の歳月が流れている。これはこれだけでも、一人の人間が背負う“不幸”としては、余りにも長い、閉じ込められた牢獄のような世界ではなかったか。そして、20年以上も経った以降も、完治も、解決も齎(もたら)される事なく、この苦しみは更に続くのである。
いつ襲うとも知れない発作のような異常の行動。異常な言動。こうした異常を見守る肉親にとって、例えようのない不安が襲ってくる。惨めな瞬間であり、無力さを噛み締める瞬間であり、身を切られる責め苦が表面化する瞬間だった。
その上、見守る肉親にとっても、患者本人にとっても、精神的な消耗が烈(はげ)しく、一体、吾(わ)が身を、どう始末つけてよいのか困窮するところだった。
|
|
▲八千代病院から退院した直後の妻。一瞬微笑んだ顔も、その目には力がない。(当時36歳)
重い口調で、「あなたの奥さんの完治は難しい」と担当医から言われた。発病して25年以上も投薬を続けたが、現在に至っても治る気配がない。この悲しみと苦しみは、こうした患者を家族に抱えた者でなければ分からない。精神が、『2乗の早さで退化』するのである。
患者の焦点が定まらぬ視線。抜けたような、烱(ひか)りのない虚ろな目。そして何よりも恐ろしいのは、未来に向けての“不吉”な翳(かげ)りを孕(はら)んでいる事である。
また、精神を安定させる為に、一日12時間以上、眠らないと不安定になり、精神に異常を来す事であった。
筆者は、精神病患者と、もう25年以上も面倒をみ、還暦を過ぎたこの齢(よわい)になっても、理不尽の洗礼は受け続けている。世の中は、不公平であり、不条理と感じる。また此処が、この世の「偉大なる矛盾の原点」であるかも知れない。
諺(ことわざ)に「落ちた犬は打たれる」とあるが、まさにそれを体験し、更に「この世の生地獄」を体験している。 |
肉親の目から見て、髪の解(ほつ)れを掻(か)き上げることもせず、黙り込んで何時間も坐り込んだままの家内の姿に、不吉な翳(かげ)りを肉親の私はただ見守る以外、何の手立てもなかった。その上に、経済的な苦しみが伸(の)し掛かって来る。
これまでの入院費と治療費は半端なものでない。これらと病院に行くまでの交通費を合計すると、楽に家一軒が買えるほどの金額に昇り、経済的負担は実に大きかった事が分かろう。また、近所から村八分同様の扱を受け、患者本人ばかりでなく、その家族も“後ろ指”を指され、子供は学校で「気狂いの子」(滋賀県大津市一里山に移転後、瀬田小学校ならびに瀬田東中学校で、「人間サンドバック」などの虐(いじ)めがあった。市教育委員会を糾弾)と罵られ、虐(いじ)められて、これらの精神的負担が如何に大きかったか容易に察しがつこう。
また入院中並びに通院中であっても、患者を世話する家族の負担は決して半端なものではないだろう。経済的負担に併せ、世話をする側の精神的負担も大きく、精神病患者の最も恐ろしいところは、自殺に趨(はし)る事である。一時(いっとき)も目が離せないのである。
家内の発狂の発端となったのは、西龍一郎と横田稔が企んだ八幡大学合気柔術部の企てである。この時の衝撃より、この事件は始まる。そして第二の山場を迎えるのが、平成3年7月の『合気ニュース』の社説記事で、半狂乱となり京成バスを止めて八千代病院(上記の表の★印に注目)に措置入院した事だ。まさに『合気ニュース』の発行年月が一致する。
いったい一人の人間を、此処まで追い込む必要があったのだろうか。
家内の、西や近藤氏に対する「恨み」や「憎悪」は深く、生涯消えることはあるまい。恨み続け、呪い続け、ぶつぶつと独り言を云い、狂気に満ちた、無惨な余生を送らなければならなくなった。いまでも狂い死にする怨念(おんねん)で、生きることだろう。西や近藤氏の理不尽と傲慢(ごうまん)は、ここまでくれば立派と言う外ない。
そういう人間を抱えている事を承知で、面白半分に「西郷派叩き」をするこの世界の人間のモラルは、一体どういう道徳から来るものであろうか。
いったい、自らは「武道」だの、「人の道」だの、「礼儀だの」を標榜(ひょうぼう)しながら、その一方では、一人の人間の人格までもを、徹底的に破壊するこの、「二枚舌」は、一体何処からくるものであろうか。
武道家であるよりも、人格の問題であり、その資格がないことを自分自ら、暴露している。そしてこの事件は、明らかに、一人の人間を破壊する「傷害事件」であると言える。それは何よりも、上記の診断書が示す通り、繰り返しの「西郷派罵倒」の事実が、これを如実に物語る事件であるからだ。
これにより、大東流合気武道を信じて、練習にいそしんでいる人も、他の系列で大東流を遣(や)っている真面目な人も、大変に迷惑することだろ。
また、ひいては武田惣角以降の輝かしい大東流の中に、この程度の低いレベルで、大東流を遣っている人が混じっているということが分かれば、大東流を、心から信じてやっている人も、失望するだろう。あるいは、これは無責任な自称武術研究家と言う連中の仕業(しわざ)か。
そして、重度の精神病患者を抱えた家が、どれだけ世間から白い眼で見ているか、あなた達(【註】合気ニュースに西郷派叩きの記事を許可する編集長、事ある度に、繰り返し「西郷派叩き」をやる近藤勝之氏、並びに熊本で大東流総支部長を名乗る西龍一郎、それらに便乗する自称「武術研究家」と云われる連中)は知っているだろうか。
私は生きながらにして毎日、地獄を体験している。
今は少しだけ落ち着いた容態であるが、一旦荒れ狂い、躁(そう)に変化したり、鬱(うつ)に変化すると、どんな危険な状態が起るか、精神分裂病の怕(こわ)さを知っているのだろうか。
その上、私は末期ガン患者である。もう、そんなに長く生きられないだろう。私の寿命はそんなに長い事はないが、私が死ねば、西郷派も一挙に崩壊する。
かつてネット掲示板に、「今の西郷派の宗家が死ねば、西郷派はこれでおしまいやね」と書かれていたが、実にその通りであり、西郷派がなくなるだけではなく、「叩く媒体」がなくなって、これまで西郷派を叩く事により、優越感を感じ、一人、二人、三人と門下生を増やしていた団体は、叩く西郷派がなくなって困るだろう。
また、『合気ニュース』も西郷派叩きの記事が書けなくて、面白さが半減し、売れ行きが落ちるかも知れない。
しかし、「真摯」に顧みれば、武術家とか、武道家とかいう人間の集まりは、他の人より、一等秀でて、礼儀の面でも、心の面でも優れた人物の集団であったはずだ。また初心者においても、今は人間的にも技術的にも未熟であるが、やがては精進して上達し、一廉(ひとかど)の人物になろうとして稽古を重ねているのではなかろうか。こうした崇高な目標を目指して、道を学ぶ人が、この程度の低い「西郷派叩き」で喜んでいるのは如何なものか。
西龍一郎にしても、云いたい事があるのなら、マイナーな武道雑誌『合気ニュース』などに悪口を掻き立てず、直接、わが尚道館に来て、その旨を申し立てればよいのである。かつては私の弟子でありながら、その辺が、実に男らしくないではないか。
武道家は、ペンで戦うのではなく、腕で戦うのではないか。
一体、西や近藤氏は、何を勘違いしているのだろうか。
かつて、武田時宗先生が、私に語ってくれた、八光流の奥山龍峰師からの申し出に対し、「八光流に帰納せず、大東流で押し通してよかった」という願い、後に見事に開花している。しかし、近藤・西両氏の、執拗(しつよう)なまでの「西郷派叩き」では、志も虚しく、戦う前から大きなハンディを背負い、潰された構造になっているではないか。何と罪作りなことであろうか。言論はフェアーでなかったのか。このことは、『合気ニュース』も心するべきである。ジャーナリズムの端(はし)くれとして。
近藤・西両氏の、彼等二人は、まず、何はさておき、これまでの平成3年7月からの、シコリを解決するのが先決ではなかろうか。また、西郷派という流派を、じっくり見詰め、頭ごなしに侮蔑(ぶべつ)するのでなく、真摯に、謙虚に、慎み深く、真実を見詰め直す必要があろう。
「一方的に、このようなものだ!」と、断定して見下すことは危険な考えである。
僭越(せんえつ)ながら、末坊主の息子(中学では毎日喧嘩ばかりして手が着けられなかった。喧嘩の度に、加害者の親にさせられ謝って廻らなければならなかった。その後は、親が登校拒否をさせて自宅で受験勉強をさせた)も、中学の頃から、陸上自衛隊少年工科学校を目指し、猛勉強してきたが、全国で僅か350人という定員の中には、力及ばず、入ることが出来なかった。二度の受験(工科学校は中学卒で17歳までに、合格できない場合は受験資格を失う)にも拘らず、合格できなかった。
また、息子は息子で、自衛隊員への夢は捨てきれず、工科学校を受験した同年、担当の広報官の勧めで、一般応募の陸士で受験した。そして高校生在学の年齢と同じ年齢で、福岡県では最年少の17歳で、自衛隊の二次まで残り、入隊し、今年は二期目(一期2年)の三年強を経て、曹候補生として、2回もレンジャー要員に選ばれ、戦闘格闘技などをやっている。
聯隊は熊本だが、年4回ほど休暇で帰宅する。やっと平成20年7月に22歳になり、彼の体躯は、一般成人の体躯というより、自衛隊員の鍛えられた体躯はといった方がいいかも知れないが、毎日躰を鍛え、日々鍛練している。そして毎日鍛えた体躯は、武道愛好者の体躯というより、戦争専門の、戦闘員の体躯を髣髴(ほうふつ)とさせる。
その意味で、武術研究家も、理論や論法ばかりを捏(こ)ねずに、朝晩、自分の躰を遣って毎朝毎晩、稽古をしてみてはどうだろうか。そうすると、武術を修行する者にとって、「ペンは剣よりも強し」の論法は要(い)らないことが分かろう。
さて西龍一郎は、現在熊本県に在住し、土地家屋調査士として、これを生業(なりわい)とし、熊本県土地家屋調査士会の名誉ある会長だと聞く。
また、近藤勝之氏は、東京都葛飾区で建設業を営む工務店の社長だと聞く。両氏は、近所でも優れた人格の持ち主として高い評価を受け、凡人とは較べものにならない、常識以上の常識も持ち、正しい分別もあって、西龍一郎は法律家として、これを生業(なりわい)にしている。特に西は、法律家であり、人間のモラルを護る側の人間ではないか。
果たして、西は、法律の携(たずさ)わる者として、傷害事件、あるいはそれに匹敵する事件を起した場合、せっかく取得した土地家屋調査士の免許は、剥奪(はくだつ)されることを知っているのだろうか。この意味では、元OB会長の横田稔も同罪だろう。西と共謀して造反劇を仕組んだのなら、共謀共同正犯(きょうぼう‐きょうどうせいはん)が免れない。
一方、近藤氏も、工務店の社長として、経営手腕を振るっているのであるから、それ相当の人格の持ち主と感得する。それが何ゆえ、こうまでに「西郷派叩き」を遣(や)るのか。あるいは、何を一体誤解しているのか。
人間が傲慢(ごうまん)になり過ぎて、怕(こわ)いもの知らずになった時、その人間は、その人間を支持する民衆を失う。民衆を失った指導者は惨じめである。
中国、戦国時代の韓の公子・韓非(かんぴ)も謂(い)うではないか。韓非は、しばしば書を以て韓王を諫めたが用いられず、発憤して『韓非子(かんぴし)』を著した著者である。韓非の著書は20巻55編に及んだ。
その中に「亡徴」を上げ、その兆しは47節に及び、その一節に、
「刑罰は淫乱、法規に忠実なく、弁舌の巧みな者を愛してその実行力を考えず、見てくれの華麗に溺れて、その実効性を顧みない者が権限を振り回す国は、亡ぶべきなり」とある。
─────下剋上の乱世の時代、権限を振り回す者が、有能すぎても、無能すぎても、国は乱れ、統率は失われ、これを再点検して、君主は万全の策を講じなければならなかった。
三国時代、蜀の宰相・諸葛亮孔明の子飼いの配下に馬謖(ばしょく)なる人物がいた。
これは孔明の「泣いて馬謖を斬る」で有名である。
馬謖(字は幼常。190〜228)は三国の蜀漢の武将であり、諸葛亮に重用され参軍となった。街亭の戦いに、命令に違反して、戦略を誤り魏軍に大敗した。そして中原(ちゅうげん)攻略の雄図は崩れた。ために、孔明は泣いてこれを斬罪に処した。
また孔明も『韓非子』を熟知した法家であった。
つまり、「弁舌の巧みな者を愛してその実行力を考えず、見てくれの華麗に溺れて、その実効性を顧みない者が権限を振り回す国は、亡ぶべきなり」とあるのだ。
まさに、『合気ニュース』ごときは、「弁舌の巧みな者を愛してその実行力を考えず……」ではないか。
それは民衆を亡(うしな)うからだ。
幾ら強くて優れていても、民衆の支持がなければ、強(こわ)持てに過ぎないのである。独り善(よ)がりだ。
恐らく、生前の武田時宗先生ならば、こうした事は絶対にやらないだろう。もし、自分の弟子が仕出かした誹謗中傷記事で、その攻撃相手の家族に、発狂者が出たなどと聞くと、真っ先に駆けつけ、謝罪したことだろう。
私の観察眼で見る限り、武田時宗先生は、そんな立派な人格の持ち主だった。人格者だった。
ところが、このように西郷派の家族から、『合気ニュース』の誤報記事に端(たん)を発して、発狂するという傷害事件が起り、これに対して、今まで一度も、西龍一郎や近藤勝之氏からは、一切の謝罪がなく、今もなお、何者かを煽(あお)って、電子辞書にまで「西郷派はインチキ」と書かせる、この道徳は一体何処から起るものだろうか。
あるいは、「西郷派叩き」を徹底的に遣(や)って、地上から西郷派を抹殺させなければ気がすまない、このモラルは一体何だろろうか。
誤報記事や誹謗中傷記事によって、その槍玉に挙げられ、誹謗中傷の対象になった、何の罪もない家族が、これらの記事により、人格を破壊され、精神分裂病になったという事実は、明らかに傷害に匹敵する刑事事件である。これが間接的であっても、激しい誹謗中傷で人格が破壊され、失われれば、その被害者の家族とはいえ、被害を被るのは必定である。これは、立場を逆にして考えれば、当然理解されよう。
そして現在、家内は精神身体障害者として、余生を生きることを余儀なくされている。何と言う、残酷な運命を押し付けてしまったのだろうか。また、こうなる以前に、「話し合い」は持てなかったものか。
私は、毎日、末期ガン患者と云う悪化した病態に苦しめながら、憤懣(ふんまん)遣(や)るかたない慙愧(ざんき)に耐えない日々を送っているが、自分のことより、私の死後、残された精神病の家内や、残された家族や、更には西郷派の門人の行く末を案じる次第である。
また、そうした“末期の病態”にありながら、私は「精神病と精神病患者の家族で、これに悩む人達」の相談を行っている。
|
精神病と精神病患者の家族で、これに悩む人の御相談は《癒しの杜の会》へ
|
|
【お問い合せとご相談】
〒802−0985 福岡県北九州市小倉南区志井6丁目11-13(尚道館ビル2F)
癒しの杜研究所 電話093(961)8228
(電話相談の場合、何月何日の何時頃という、メールでの予約が必要になります)
《癒しの杜の会》はこちら
【ご相談される方へ】
家族の中から精神病患者が出ると言う事は、経済的にも、“世間様の目”からも、非常に辛く、また大きな負担が掛かります。《癒しの杜の会》では、こうした方々の御相談に乗っております。
特に最近多いのが、家族の方で、「夫が、あるいは妻が、精神病になったので、離婚を考えているが、どうしたものか」というお問い合せが多くなりました。
昨今は食べ物の悪さや、外国からの食品が殖え、これらを食べて精神の安定を失う方も殖えています。あるいはテクノ・ストレスなので、精神に障害を起こす方もおられます。(統合失調症の発症率は100人に1人強)
そこで私は、「御主人が精神病になっても、奥さんが精神病になっても、決して離婚などせず、あなたが生きている限り、人生の伴侶として、最後まで人間の義務を果たしなさい」と言ってやります。
そして、最後に「もし、神様が居るのなら、神は、あなたの“そうしたところ”を見ているのですよ」と付け加えます。
精神病を家族に抱える皆様方の、その心労は、筆舌に尽くし難いものがあります。しかし、これらに押し潰されず、最後まで生き抜くのが“人間の使命”です。最後まで諦めずに、また投げ出さずに、自分の使命を果たしましょう。
※電話は大変込み合いますので、電話で相談される方は、上記に定められた時間内に、あらかじめ相談される内容を準備され、手短にお一人様20分以内でお願いします。
|
●西郷派大東流と、武田惣角の流れを汲む大東流の違い
「大東流(だいとう‐りゅう)は武術史上の最大傑作」とも呼ばれたと、その宣伝にはある。『合気ニュース』にもそう宣伝されている。
わが西郷派も長い間、これをそう信じてきた。
しかし、今日の大東流の氾濫と、この大東流を研究する愛好者が、決して「武術史杖最高傑作」を学ぶにあたりの人格に値するか、大いなる疑問が起り、「果たしてそうだろうか」という疑念が止め処もなく起ってくる。
私の脳裡(のうり)にも、幕末から明治・大正・昭和の大東流の足跡を追うと、果たして「大東流なるものは、武術史上最高傑作であったのだろうか」という素朴な疑念が起ってくる。
わが流も、かつては、「会津藩の上級武士や奥女中に極秘のうちに伝えられた御式内(おしきうち)を母胎とする総合武術である」という見解で、今までに発表されていない数々の儀法を、愛隆堂や八幡書店の書籍を通じて、あるいはBAB出版の書籍やビデオ・DVDを通じて「大東流」を取り扱ってきた。
ところが、今日に至り、大東流の熟練者は次々に世を去り、今では名前だけで大東流を標榜し、あるいは「自称大東流」の輩(やから)も殖(ふ)え、このレベルに停滞する連中が、様々な表現をもって、自称・中立・公正と称する『合気ニュース』 あるいは、ネット上を通じて、「誹謗中傷合戦」が始まった。これが、「ペンは剣よりも強し」の情報戦の先駆けとなった。
そして、この「誹謗中傷合戦」の中心軸に居るのは、元わが流の門人達である。あるいは、元わが流の門人から、西郷派叩きを遣る絶好の旧資料を手に入れた、「大東流合気武道」と名乗る、一部の集団である。
かつて、わが流は、「大東流合気武道」なる総ての団体に対し、「大いなる尊敬」と「畏敬の念」をもって、慎み深くあらゆる限りの仁義・礼節をもって接してきた。それは、北海道の武田時宗先生が、人格的にも立派で、武道家とは思えないほど温和で、愚直で、律儀な品性を持たれた方だったからである。
ところが武田時宗先生が亡くなられた後、この「大東流合気武道」なる一部の集団は豹変(ひょうへん)した。それは後ほど、詳細を述べるとして、まず、「西郷派大東流」と、明治中期以降の武田惣角以降の大東流との違いを紹介しよう。
さて、一般に知られる大東流は、武田惣角を中興の祖として、一部の特別な人達の愛好者によって近年に広まった「新興武道」である。
この近年の歴史を辿ると、大東流は、明治中期、大正、昭和初期の近年、合気道の源流となる武術として知られるようになった、極めて新しい新興武道であるである。大東流を知る上で、ここが「重要なポイント」である。ゆめゆめ、「大東流の歴史は、平安時代の中期、清和天皇第六皇子貞純親王……云々」などの、日本史を覆(くつがえ)すような流派伝説を信じないことである。近年に起った大東流と、清和天皇の皇胤(こういん)とは一切関係ないのである。その胤(たね)を、科学的に解明できないからである。
しかし、この大東流の歴史を妄信する者は多い。
「清和天皇第六皇子」からの皇胤の中には、様々な誇張が盛り込まれ、未だに大東流を信奉する愛好者は、「大東流は清和天皇第六皇子……云々」を信じている。大東流の起こりを「皇胤(こういん)にある」と結び付けている盲信者が少なくないようである。そもそも、この件(くだり)からして、「眉唾物(まゆつば‐もの)」ではないか。
だがしかし、今日の大東流の歴史と、大東流の技が優れていることは「全くの別物」である。是非ここを、誤解なきように願いたい。それは天才・武田惣角が残した様々な試合結果からである。これは大東流を表する上で、大いなる武功である。
大東流の、その内容を紐解(ひもど)けば、一対一の格闘技術に留まらず、剣術、手裏剣術、居合、杖術、槍術、拳法、鉄扇、白扇術、縄術、半弓術等の多岐に亘る技法群で構成され、「護身の術」としても非常に有効な構成になっている。これも「第二の重要ポイント」になる。だからこそ「近代的」と言えるし、「出来てから新しい」と言える。
|