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●まえがき
『吾(わ)が修行時代を振り帰(かえ)る』は、ノン・フィクションである。回顧録である。しかし、武勇伝や侠客伝などの実録物の類(たぐい)ではない。虚構をまじえず、事実だけを伝えようとする実話記録物である。そして理不尽に、どつき廻される物語でもある。
私の一番辛かった時代を、そのまま包み隠さず、殆(ほとん)ど大袈裟(おおげさ)な形容や脚色する事なく、事実をそのまま語ることにした。
また、この物語の一部は、既に『合気口伝書』第十巻から第十一巻にかけて連載した「吾が修行時代を振り帰る」という箇所を、一部の読者から、是非これを紹介して欲しいという要望に応え、一部分を手直し程度に書き直して、これを実録小説風に綴(つづ)るすることにした。
なお、タイトルの『振り帰る』は、本来は「振り返る」の自動詞が用いられるべきであるが、私は敢(あ)えて、「振り・帰る」とし、自分の歩いた足跡を、単に、遠い過去の想い出として回顧するのでなく、その歴史を刻んだ過去に、事物や事柄の今日の原点があり、私は少なからず「初心を忘れず」の気持ちで、『吾が修行時代を振り帰る』とした次第である。
その時代の、そこで過ごした約一年ほどは、困難と、難渋(なんじゅう)と、故障と、難渋と、困惑と、失敗と、屈辱と、歎息(たんそく)と、強制労働を思わせる労役との連続であり、切羽詰まった状態であった。
だが、還暦を過ぎた今になって思えば、唯々(ただ)懷かしく感じるばかりである。
つまり、この物語は心の故郷へ、私自身が、「いざ帰りなん」の掛け声と倶(とも)に、それはあたかも、かの陶淵明(とう‐えんめい/六朝時代の東晋の詩人で、下級貴族の家に生れ、不遇な官途に見切りをつけ、41歳のとき彭沢県令を最後に、『帰去来辞』を賦して故郷の田園に隠棲した)が職を辞して故郷に帰る『帰去来辞(ききょらい‐の‐じ)』の心境に肖(あやか)ったものである。また、そうした意味で、何かしら陶淵明の『帰去来辞』を賦(ふ)した、同じ年齢と私が修行時代を回想する時期が、奇(く)しくも重なるのである。
この物語は、全てが完全なるノン・フィクションの実話であり、私の一番苦しかった時であり、理不尽に嘖(さいな)まされた頃の話である。
私は四十代はじめの厄年(やくどし)に懸(か)り、経済的にも、人脈的にも、困窮と苦悩を極めた時であった。これまで第一巻から第十一巻までの『合気口伝書』を購入して読まれた方は御存じであろうが、私は自分の人生の中で、遂に進退これ谷(き)まって、二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなった時があった。
私が幼少の頃から西郷派大東流の修行に明け暮れたが、世に通じる実学を極めたわけではなかった。稽古は地道に続けて来たが、ここで学んだ事は総(すべ)て業(わざ)に関する事で、人を集めたり、組織を運営したり、道場を経営するという事を学んだのではなかったからだ。修行と実学は無関係であった。それに武技を学んだだけで、この事は、ただ「武家の商法」に等しかった。
稽古事とは、本来、「教える」という商行為を商品の対価として、それと引き換えに代金を得るという考え方で成立していない。商行為を度外視し、報酬(ほうしゅう)と云う対価を度外視して師は弟子を取り、弟子は師の膝許(ひざもと)にいて業(わざ)を教わると言う純粋な行為に於てのみ、師弟関係が存在するのである。そしてこれは、絶対に商行為ではないと断言できるのである。
しかし、師も人間であり、霞(かすみ)を食って生きていく事は出来ない。また、実際に自社ビルを持ち、そこで弟子の指導や養成を行っていこうとすれば、当然、建物自体にも、メンテナンスが必要になり、固定資産税やその他の費用が懸(かか)る。道場と云う容(い)れ物は、年月と倶(とも)に物質である以上、風化し、古くなっていくので、至る処に修理や修繕の手直しが必要になる。この点は、顧客を相手にする「客商売」と同じである。
しかし、道場の場合、その他の客商売と異なり、修理費を五年間の減価償却で経費としてゼロにし、それで採算がとれると言うものではない。ここに客商売とは異なる、経済的に困窮する要因がある。宗教団体であれば、信心深く、奇特な人がいて、多額の寄付と云う行為の恩恵に預かる事が出来るが、道場はそう言う人の集まりではない。
むしろ今日では、道場の月謝を感謝の意味を込めて謝儀(しゃぎ)として支払って居る人は少ないと言える。
また、何とか払わなくて済むように、巧(うま)く立ち回っている古参の道場生も少なくない。この点が、寄附(きふ)の集まる宗教団体とは大いに違っていると言えよう。道場を継続する事は、ビジネスと云う側面もあるにしろ、奉仕者としての覚悟がいるのである。
さて、何年か前のことである。
毎年恒例となっている「夏季合宿セミナー」が8月中旬にかけて行われる。この時、参加者全員で道場の内外を掃除するのであるが、誰か一人、便所掃除の役に回った者が居た。その者は、便所を掃除する時、水洗の水を流しながら掃除を行っていた。此処までは、別に何も問題はなかった。しかし、時計をはめて掃除をしていて、便器洗いの最中に、うっかり自分の時計を便所の中に落し、流してしまったのである。問題は此処から派生したのである。
これについては敢(あ)えて「派生」という言葉を遣わせて頂く。この元凶は根源が枝別れして、次々に新たなる問題を派生させたからである、一回限りで、問題は解決しなかったのである。
合宿が終り、全員が引揚げて何日か経った時から、便所の水洗が巧く機能せず、詰まり出したのである。水の流れが兇(わる)くなり、時として汚水が溢れ返る時があった。しかし、これも何とか騙(だま)しながら遣っていたが、一年も経たないうちに、水洗は完全に詰まってしまった。更に道路側にあるトイレは、道路の電柱にまで異常を与え、電柱が傾くと言う事態が起こったのである。電柱の傾きは、明らかにこちらのトイレの異常が作用しているものと思われた。
そこで水洗便所の工事屋を呼んで検査したところ、工事屋の云うには、トイレの部屋全体のコンクリートの床を削(はつ)り、基礎工事からやり直さなければならないと云う事だった。私はその金額を聴いて、大いに頭を抱えてしまった。仕方がないから、言う通りにせねばならず、総費用の合計は145万円だった。
一個人が、この工事費を払うにしては余りにも大きな金額だった。しかし、私が145万円払うと言うのに、トイレに時計を落した掃除当番は、2万円もする時計を落してしまったとぼやいていた。何と云う考え方の違いの開きだろう。あるいは人間にはそうした、自分の方が間違っていたということに気付かない「理不尽」が存在しているのかも知れない。
そして金額もさる事ながら、工事期間が一週間もかかり、トイレは近くのスーパーか、公園の公衆トイレに行かねばならなかった。家族全員もこれに遵(したが)わねばならなかった。
道場のトイレは、一般家庭のトイレと異なり、多勢の人間が使うものであるから、便器1台では済まない。複数がいるのである。したがって、わが道場では男子便器2台、女子便器2台の合計4台の便器が必要であり、いわゆるこの点は「客商売」のそれである。
トイレのコンクリートの床を削(はつ)り、鉄筋を横に這(は)わせて、配管からやり直さなければならないのである。しかし、削った後にまた問題が発生した。トイレ床下は大きな便槽のような状態になっていて、まさにその下は巨大な「こえだめ」であった。その為にバキュームカーを呼んで、肥(こえ)全部を汲(く)み出さねばならず、一週間の工事が二週間に伸び、大変な思いをした事があった。それからまた二年後、再び今度は男子便所が詰まったのである。
今度も工事屋を呼んで、地面の下から修理せねばならず、この費用も72円だった。工事屋の云うには、「恐らくこの道場には糖尿病(【註】この人間に心当たりがある。郵便番号・住所・氏名・電話番号・職業までを発表したいがこれを洩らすことはできない。何故ならば、この御仁(ごじん)は自分が糖尿病であると云う事を気付いていないからだ)か、何かの病気に罹(かか)って居る人がいて、その人の排尿から尿石が出て、その尿石が配管の裡側(うちがわ)に付着し、それが詰まらせているのだろう」ということだった。
私は糖尿病の気(け)はないから、誰か他の人の影響であろうと思った。床下のコンクリートを掘り返して配管を調べてみると案の定だった。配管が尿石で詰まっていた。排泄された尿から少しずつ付着したものと思われた。とにかく、この工事に72万円強か懸(か)かった。
更に今年(平成20年9月の時点)は、雨漏りが余りにも激しいので、ビルの屋上工事をした。これで二回目である。
その時も200万円を超える修理費が掛かった。これに援助するものは少なかった。また、こういうものは援助を期待するものでもなかろうが、それにしても個人のポケット・マネーとしては、大きな金である。
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▲道場の便所横壁の修理。(平成18年11月)
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▲便所の基礎からのタイル張り。(平成18年11月)
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▲男子便所の工事終了。(平成18年11月)
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▲女子便所の工事終了。(平成18年11月)
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▲屋上工事の途中。雨漏りが酷かった。(平成20年9月)
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▲屋上工事終了。(平成20年9月)
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“奉仕”とは、こうした“修理しても、修理しても”それを「個人のポケット・マネー」で、黙って修繕するところに、本当の“奉仕者の原点”がある。しかしこれを、奉仕者は、自分の生きているうちに、評価されることはあり得ない。
一般に「道場師範」あるいは「流派の宗家」などと言うと、“雲の上のような人”であると思われ勝ちである。ところが決してそんな存在ではない。“社長”兼“小使い”もいいところである。
私の場合は、更に上乗せされて“奴隸”兼“非人”のような存在だった。一人二役(ダブル・ロール)を演じなければならないのだ。
その上、私自身の存在をあまり有り難がれない。そして自分で道場を遣(や)り、流派の長(おさ)として得た利益は殆ど無く、得るものより失うものの方が大きかった。
損をして、また損をする。これには先ず、家族が道場経営の100%犧牲(ぎせい)になる。
これは「お前の経営能力に問題があり、経営が兇(わる)いからだ」と云われれば、それまでだが、人に教え、人を指導すると云う事は、目に見えない処(ところ)で金が懸る。それに道場は商行為で維持できるものではない。その上、月に一万円から数千円くらいの月謝でやるのだから、最初から商売は度外視しての事であり、「儲からない」という条件下で、道場を遣(や)っている。つまり、「奉仕」の名を借りた、一種の道楽であろう。道楽だから人数も思ったほど集まらない。
ところが、こうした道場主の苦しい懐(ふところ)の裡(うち)を分かってくれる人が少ない。既に『旅の衣』後編で御存じの方もいると思うが、私は人徳がなかったせいか、自分の地道な蔭(かげ)の努力を、これまで道場生の一部から「宗家は金に穢(きたな)い」と陰口を叩かれ続けて来た。信じられない事だが、現在でも陰で私の悪口、特に「宗家は金に穢く、守銭奴(しゅせんど)だ」と思い続けている者がいる。
しかし、月謝を納め、自分の信じるものを貶(けな)したり穢(けが)したりするのは、既に自分自身を貶したり穢したりしているのと同じである。自分の師を馬鹿にし、尊敬できないのなら、さっさと道場を去るべきであろう。
こうした、彼等の理想とする師匠像とか宗家像とは、恐らく毎月月謝が不払いであっても請求せず、道場主はこうした小さい事に一々文句を云わず、太っ腹であり、特に、金に対しては決して細かい事を云わないと言うのが、彼等の尊敬する宗家像であると思っているのではあるまいか。
つまり、彼等の尊敬する宗家像は、太っ腹であり、細かくない、大胆で、大雑把(おおざっぱ)な人間の事を云うようである。しかし、私は残念ながら裕福な家庭の出ではない。
また、こうした門人の意識が働く限り、私は自分の修行以外に、こうしたものとも格闘しなければならなかった。そして「宗家は金に穢(きたな)い」という一部の門人の意識は、今でも消えていない。今も昔も、この意識は永遠に消えるものではないと思う。そうした貧乏籖(くじ)の引き手が、実は「宗家」という役廻りであった。
事実、十数年前、私文書偽造、公文書偽造を働いて、詐欺(さぎ)で告訴されそうになった、級位を自分の道場生に無断で発行した兵庫県の私学・三田学園高校の教諭であった上野某(【註】この人間は、任命した事の無い肩書きをもって、西郷派大東流合気武術・兵庫支部総師範、総本部尚道館・特別師範を名乗り、弟子を集めて月謝を取り、級位證を発行していた。こうした事が発覚し、後に上野側からの弁護士の斡旋で和解が成立したが、実に後腐れの悪い物であった)は、「宗家は金に穢い」と宣伝して回った一人であり、私を陰で、「金に穢いユダヤ人」という悪評を立ていた。
「門人が月謝を払う」という行為に、「そんなに道場に金が懸るのなら、道場を売却すればいいものを、習いに来る人間から月々の月謝をとるとは何事か」と激怒した人間である。
こうした考えの者が、現実にいると云う事は、非常に残念であり、むしろ悲しくなる。この程度の意識で、武道を遣(や)っているのだから、「道」を語る武道家が、聞いて呆(あき)れる。しかし、一部の門人に、この意識があるのは事実であり、私は若い頃からこれに苦慮(くりょ)し、金に絡め捕られて格闘をしていた。苦労の種は尽きないのである。こうした姿は、端(はた)から見れば、「金に穢い」と映るのだろう。
今までに経験した数々の現実を踏まえ、私が最初に考え付いた事は、道場に事業部を興(おこ)し、一部の道場生と共に渡し共々、事業部で働く事であった。最初に興(おこ)した事業部が「有限会社・大東美術商会」(後の大東美術刀剣店)であり、此処では日本刀を中心に、刀剣類や小道具類、更には古美術品を扱っていた。
しかし、1970年代のドル・ショック、オイル・ショックの度重なる不況で、一時は相当に売上を伸ばしていた美術品商売も行き詰まり、遂に会社はここで一億円の負債を重ねて、敢え無く倒産した。そして一億円の借金を返すのに、おおよそ十年の歳月を費(つい)やした。
その後、この倒産を良き薬として、更に経営の勉強や金融法や手形法の研究もした。最初は道場生である大学生を使って始めた学習塾が、徐々に図体を大きくしていくのに伴い、大学予備校へと発展して、当時は北九州でも中堅に入る予備校にまで成長した。
事実上は予備校の理事長であり、校長であり、一般の目で見れば、楽な、よき暮らしをしているように映るが、その実は校長とは名ばかりで、現場の非常勤講師であり、無能な講師のホローや、予備校内で起る種々の問題の第一線に立たされた。そしてこの予備校も、平成二年4億5千万円で倒産の憂(う)き目を見た。ちょうど厄年の頃で、私のこれまでの人生では、一番辛かった時期であった。
還暦を迎えた私は、過去の六十数年の吾(わ)が人生を振り返ってみて、山あり谷ありの波乱の人生を送り、それはまさに波乱万丈(はらん‐ばんじょう)だった。
諺(ことわざ)に「九死に一生を得る」というのがある。また、一方で、これを体験した人は「運が強い」などとも評される。私は若い頃から、自分自身で「妙(みょう)に運が強い」という自覚を持っていた。
「妙に」とは、逆境や困難に追い込められた時に限って、不思議に智慧(ちえ)が湧き、その智慧によって急場を凌(しの)ぐことができたのである。もうダメだ。絶望だ。投げよう。そんな切羽詰まった境地に追い込まれ、苦境に立たされた時、思い掛けない形で打開策を見つけ出して来たのである。これを天佑(てんゆう)と言ってよいのか、不思議と言ってよいのか。
そして人は、私を「悪運が強い奴」と称しているようである。
しかし、悪運が強いにしろ、悪智慧が働くにしろ、人間は志を掲げた以上、何が何でも生き残らなければならない。生き残ることが原則なのだ。
私は、日頃の不摂生と暴飲暴食という、食の間違いによって、平成13年12月、肝臓の末期ガンで、余命6カ月と告知された。本来ならば、五年生存率から謂(い)って、とっくに死んでいなければならない。
ところがその後、偉大な一人の医学者の貴重なアドバイスにより、日々それを実行し、また天命により、生きる因縁により、生かされている。生かしてもらっている。平成13年12月以降、自分の抱える病気だけではなく、経済的なピンチを抱えたこともある。しかし、生き残った。“どっこい”残ったのである。
はたまた、奇蹟というのか、妙に不思議な力の手繰(たぐ)り寄せによって、ピンチを打開して来たのである。ギリギリのところまで追い込まれ、「もうダメだ」と諦(あきら)め懸(かか)り、総(すべ)て天に運命を任せ、「もう、これ以上、どうにもならない。好きなようにしてくれ。あとは他力一乗(たりき‐いちじょう)で天命にお任せする」と一切を投げ出し、無私になった時、何か不思議な導きによって助けられる。誰かに、何かに、奇蹟的に助けられるのである。これはまさに「九死に一生を得る」紛(まぎ)れもない体験であり、私はギリギリのところで生還を果たした。九死に一生を得たのだ。
人の人生には、確かに「運が働いている」ことは事実であろう。しかし、私が云う「運」とは、「背水の陣」を見事になし得た者だけが掴(つか)み取ることのできる「運気」である。したがって、「パチンコで五万儲けたとか」あるいは「競馬で十万儲けたとか」の、一喜一憂に踊る、運の良し悪しの事ではない。
一人の人間が命を張って「背水の陣」を敷くには勇気がいる。しかし一切を投げ出し、勇気を出し切ったところに、不思議な力が働く。その勇気の裏付けは、自らの潜在意識の働きである。人は、確かに魂を持っている。肉体と心だけではない。確かに魂が存在するのだ。
この魂こそ、自分の深層心理に存在する「潜在意識」に他ならない。潜在意識こそ、「プラスの想念」である。プラスの想念が、土壇場(どたんば)に立たされても勇気を揮(ふる)わせる。私はそんな体験を身を以てしたのである。
「背水の陣」とは、背に崖(がけ)っ淵(ぷち)か、大河を配して、此処から一歩も退(ひ)かぬ事を云う。また人間が人生を生きる上で、「賭(か)ける」という行為は大事であろう。人生に順風満帆(じゅんぷう‐まんぱん)などはあり得ない。あってもそれは刹那(せつな)の事だ。何(いず)れかの時期に、数回は窮地(きゅうち)に陥る事があり、此処から這(は)い出す時には「賭け」が必要である。
「賭(か)け」の究極は、そもそも「運命を賭ける」ということであり、換言すれば「我が命を賭ける」という事である。命を賭けて、運命と戦った事にない人間に、「背水の陣」は理解できないであろう。
“イチかバチか”あるいは失敗を知らずに、本当の「背水の陣」はない。“可もなく不可もなく”の、無力で、善良な市民に甘んずる者に、この「背水の陣」を理解する事は難解だろう。
人間は不思議な生きものである。それは追い詰められた時に、不思議な力を発揮するからだ。しかし、困窮する、そこから逃げた者は、この力を発揮する事は出来ない。その証拠が「窮鼠(きゅうそ)猫を咬(か)む」の反撃の事実だ。
「背水の陣」を敷き、プラスの想念で物事に取り組もうとする時、そこには不思議な力が顕(あら)われる。
その力とは、「潜在する力」である。追い込まれ、苦境に立たされ、窮地(きゅうち)に立たされた時にこの力は発動される。これが潜在意識から発揮される「智慧(ちえ)」である。人は智慧を所有する生き物なのだ。
世の中を生き抜いていく為には、実力だけでは、どうにもならない。また、腕っぷしや腕力も、人生から見れば、空しい負け犬の遠吠えに過ぎない。腕っぷしだけで、人生を乗り切る事は出来ない。智慧も必要だろう。
その場、その時の応じた臨機応変の「出たとこ勝負的」な智慧がいる。これが「他力一乗」である。この智慧が働くからこそ、運に助けられる。
窮地に追い込まれ、それを巧に躱(かわ)すのは、その人の持つ、潜在意識から発動される智慧であろう。過去の経験や体験の教訓であろう。あるいは魂の雄叫(おたけ)びであろう。これがなければ、伎倆的(ぎりょう‐てき)や実力だけでは、どうにもならない。
世の成功者の断言する言葉は「自分は幸運のお陰により、成功を成し遂(と)げた」と、謙虚な言葉が多い。その一方で、「運がなかったら、今の地位は築けなかった」とも言う。つまり「ツキがあった」というのである。
しかし、こうした人が云う、「運」とか「ツキ」は、一般人が云う「今日はパチンコで五万取った」とか、「競馬で十万儲けた」という次元のものではない。もっと深い意味合いを持っている。
つまり、「九死に一生を得る」こうした人達は、「他力一乗(たりき‐いちじょう)」の持つ、運に気付く感度が優れているのである。それ故に、「運が良い」という自己暗示が常に働き、単に努力したから成功したのではなく、逆に、成功する「プラスの想念」が成功に結び付けたと言えるのである。
したがって、男が人生を生きる上で、運に託して夢を見る事も必要だろう。人間は夢があるから生きられるなどと言うが、その夢は、単なる空想から起こる夢では無いはずだ。自分の人生を現実化させる為に、その夢を自力の努力によって参画させ、それを想定しているからこそ、生きる意欲も湧(わ)いてくると言うものである。
しかし、「自力の努力」といっても、それは生きる力であるから、本来は自分のものではない。天からの授(さず)かり物である。これを間違うと、とんでも無い事になる。ここに「他力一乗」の人生法則があるのだ。
日本の古い道歌に、
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五十年 生かしておくさえ つけあがり
恩は思わず 不足のみいう
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これは昔の道歌であり、「人生五十年」と言うから、今日では「八十年」に匹敵しよう。つまり道歌に帰れば、「八十年、生かしておくさえ、つけあがり……」となるのではないだろうか。
この歌こそ、神の心を代弁した歌という事が言えよう。不平屋(ふへい‐や)に対する鉄槌(てっつい)でもある。
この歌から窺(うかが)われる事は、「自分が生きている」とか、「自分が生きる力を持っている」という事は、そもそも自分のものでは無く、これらは授かりものということになる。授かり物であるならば、当然ここには「有り難い」という感謝の気持ちが生まれなければならない。
不平の反対が、「有り難い」と思う感謝の気持ちであるから、これは当然、運に関与する「プラスの想念」となる。このプラスの想念を持ち得た時、人は他力一乗に助けられ、「九死に一生を得る」のである。
いま一歩の所で、「どっこい残り、うっちゃり、食(く)わす」ことのできるのも、こうしたプラスの想念が働いたからに他ならない。そしてこれこそ、「強運」の正体であり、あるいは「悪運」と言ってもよいであろう。悪い報いを受けずに栄える運命が、既に潜在意識の中に予定されているのである。
私が今から始める話は、こうした話であり、常に「悪運?」に恵まれていたと言える、実話を元にした「他力一乗の物語」である。
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注
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※この物語の中はノン・フィクションの為、事件に対しては実名を用いている。また事実は事実として表現したが、表現方法について問題がある場合は、それを随時訂正して行く積もりである。筆者自身も、今から40年以上も前の事を、遡(さかのぼ)って、当時の日記や写真などの資料収集をし、その中から記憶を呼び起こして手作業で始めている次第である。当然間違いや、事実無根と思える箇所があると思う。あるいは誤りと思える箇所もあろう。特に「日付け」に至っては、この懸念が大きいと思料する。しかし、間違いは最小限にとどめた積もりである。
出来るだけ、自分の能力の追い付く限り、冷静に、理性と知性を交えて表現した積もりであるが、至らない点もあり、そうした箇所については、今後とも読み返した上で、訂正を重ねて行く。
人は、自分の方が間違っていたと思える人は、非常に少なく、いつも自分の方が正しいと思っている人の方が圧倒的に多い。筆者もその一人であり、ご指摘いただけでば柔軟に対処したい。頑迷に、一事に固執するものでない。
いつでも間違いを指摘していただければ、即座に訂正する用意がある。
※なお、訂正・ご指摘の場合は匿名やペンネームではなく、毅然とした態度で、
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