●事故手形
吉岡文太郎の取立に成功し、その成功報酬として、決まりの“取り半”で330万円ほどの金が手に入るようになっていたが、私自身、S通商に金利を含めて300万円ほどの借金があった為、差引として、手取りは30万円ほどであった。
しかし、これくらいの金銭を手にしたからと云って、一件が落着したわけではなかった。多重債務を抱える私は、その後も、更に奔走しなければならなかった。そして難問は、川田女史のS通商の元金600万円と利息や延滞金を含めた、大方750万円の回収であり、また口約束のボディガード料の10日で100万円の回収だった。しかしボディガード料は端(はな)から当てにしていなかった。一種の“遊び”として、これに応じただけであった。
やはり問題なのは、S通商の一切合切の750万円相当の回収であった。この金額を考えただけでも、回収は不可能のように思われた。その上、川田女史がS通商を含めて、利息を含めれば総額3,300万円以上の多重債務を抱えているのである。どう考えて検(み)ても、あと数日しか残っていない期日までに完済するとは思えなかった。それに果たして多重債務は、3,300万円程度のものか疑わしかった。更に10日間のボディガードも、何か深層部には深い秘密が隠されていて、これを隠して表面に顕わそうとしないことであった。何もかもが複雑怪奇であった。
そしてもう直ぐ111日目の、あと3日を残してという頃に、10日間のボディガードの意味を川田女史が、ぽろりと吐露(とろ)したのである。
それによると、多重債務の総額3300万円ほどを調達した数日後、“手形のパクリ”にあったと言うことであった。それを私は、「残すところ、あと3日だね」と言う、私の吐いた言葉の反応として、彼女から手形のパクリの話を聞いたのである。
“どうして今頃”と思っても、済んだことは仕方がない。とにかく、残されたのは「あと3日」であった。
また手形をパクられたという話を、聴いたとしても、私が、どうすることも出来なかった。
しかし先日、合田会長に「あと10日だけ待ってやって下さい」と切り出した以上、川田女史が手形のパクリにあって、その出廻った手形が事故手形であると言い張っても、誰も聴く耳は持たなかったであろう。彼女の身の上だけでなく、私の身の上にも大変なことが起りそうだと、覚悟を決めるしかなかった。
果たして、“あと3日で何ができるのか”と言う自嘲(じちょう)すら、私の心の中に浮かび上がって来た。最早(もはや)これまでなのか。
そろそろ“年貢の収め時か”と、自嘲してみる。しかし、それは独り善がりの寂しい自嘲だった。
川田女史のそもそもの間違いは、高利貸しから金を借りようとしたことであった。ところが、その借りようとした金額は、100万円や200万円の事でなく、最低でも3000万円以上と云うもので、然(しか)も、借入期間は借入から90日後という短期であり、利息が1割と云うものであった。それに一日でも遅延すれば、元金と利息は複利法で雪達磨式に膨らむと云うものであった。そもそもこうした借入に問題があった。
高利貸しの多くは、金を貸さない限り商売にはならない。しかし、金を貸した瞬間から、自分が貸した金が、果たして無事に回収できるか、ということが心配になる。金貸しの心理だ。
特に、元金に於ては、その懸念(けねん)が高い。利息もそうであるが、まずが元金と云うことになり、元金が無事に戻ってくるかが、何よりも心配なのである。川田女史に貸し付けた、高利貸しは、話を持ちかけられた時、取りっぱぐれが有るか無いかを最初に考え、その商談内容がビジネスに値するか否かを検討したに違いなかった。そして高利貸しの各々は、何らかの決断して、川田女史に貸し付けたことになる。
川田女史の話によれば、支払期日が迫る3日程前、地元の貸金業者から話を聞いたと云う、P信用の沢村(仮名)という街金業者の男が訪ねて来たと言う。P信用の沢村に言によれば、金は幾らでもあると言う。川田女史の差し出した名刺には、有限会社P信用とあり、融資担当課長の名で、沢村優一(仮名)と言う名があった。住所は北九州市八幡西区××町×丁目××-××Yビル3Fとなっていた。そこは折尾(おりお)と言う地名で知られたところであった。
沢村は物静かな口調で、「幾ら必要ですか」と訊(き)き、川田女史は「取り敢えずは3,000万円ほどあれば……」と答えたそうだ。
沢村は「3,000万円ですね」と、一度念を押し、所持していたアタッシュケースから、レンガ1個分に相当する1,000万円の銀行の封緘のついた、100万円10束を応接用の小卓にポンと置いたと言う。
沢村は「ここに1,000万円の現金があります。残りの2,000万円は、この場で小切手を切りましょう」と言い、これに答えて川田女史は「条件は?」と切り出した。この時、現金の1000万円にすっかり気を呑まれ、心理的には「このお金が、いま欲しい」と、彼女は思ったそうだ。
私はこの話を聞いていて、「残りの2,000万円は、この場で小切手を切りましょう」と言う話に、ある種の不可解さを感じた。それは“嵌(は)められたのではないか”と言う懸念であった。
川田女史が以上を吐露(とろ)している最中、暫(しばら)く考え続けたことは、「型に嵌められる」最悪のシナリオだった。恐らく、“多重債務の一本化”などと、調子のいい話を持ちかけられたのであろう。
そこで私は切り出したのである。
「川田さん。あんた、P信用の沢村に、自分の会社の手形を渡したんじゃあるまいな?」
「えッ?」それは図星(ずぼし)と言う顔だった。
「やはり、そうだったか……」
「手形が何か?」
「あんた、甘いね」
「甘いって、何が?」
「あんたの振り出した手形だよ。ぬかったなァ」
「……………」
「それで日歩と期限は?」
こう問い詰めて、川田女史の顔色が豹変(ひょうへん)し、顔から色が失われて行くのが想像できた。
「……………」
「そうした手合いは、火急だとか、何かだと言って、日歩を吊り上げ、また期限は短期間であり、利息天引きという駆け引きをやらかす輩(やから)だ。ところで日歩と期限はいつまでだ?」
「……日歩は30銭で、……期限は、あと3日後の……」と云いかけて尻切れとんぼになった。
「なに?!」
「……………」川田女史は、急に俯(うつむ)いてしまった。
「あと3日後と言えば、S通商に支払期限を約束した日ではないか!それに日歩30銭と言えば、実質年率で言えば109.5%。年利(109.5%)÷365×100(円)=30銭の日歩が出て来る。したがって、3,000万円からの融資は、利息天引されるから実質手取は、3,000万円に対する日歩30銭(0.0030)に21日分(最初の借入の90日後の、10日+約束期限の11日で21日)の金利で、189万円。利息を差し引いた手取額は2,811万円で、あと利息天引分の189万円が不足する。この為、借入額を引き上げなければならなくなる。つまり3,000万円の借入は3,200万円の借入となる。利息だけでも201万6千円となる。大方、そう言うところであろう?」
「……………」いよいよ図星だと言う顔になった。
「1,000万円を現金で受け取り、引き揚げ分の2,200万円は、小切手か手形で貰ったということだな?」
「ええ……」
「問題は小切手か手形かは知らないが、その分の2,200万円だな?」
「と言うと……?」
「一先(ひとまず)ず、あんたは多重債務の返済を期限日まえにして、P信用に、現金1,000万円を借り入れて、不足分の2,200万円を、小切手か手形で貰った、そういう事だな?」
「ええ、3日後に落ちると言う、P信販振り出し出しの手形で3,200万円を……」
「なんだと?!」
「だから、P信販の方は、見返りに株式会社エミー・フーズから頂く手形は、社長のわたくしの個人保証をつけ、それぞれに500万円4枚の手形と、400万円の3枚の手形を切って下さいというものですから……、わたくしの方も……つい……」
「なに?!」私は更に驚く以外なかった。
“何と言う甘さ!”と大声を張り上げたかった。川田女史はP信用の申し出を受けて救われたと思ったのであろう。手形の細分化で、裏書きをして手渡したものと思われる。彼女は手形の本当の恐ろしさを充分に把握していないようだった。
そして10日間のボディガード料も、合田会長との11日間引き伸ばしの約束も履行出来ないことは現実のものになりつつあった。しかし、川田女史の期限引き伸ばしに助言した私にも責任があり、単に動転するだけでは済まされなかった。私としても“けじめ”とつける必要があった。
心の中で、「あと3日か」と呟(つぶや)いてみる。しかし僅か3日で、何ができるだろうか。
川田恵美子は金融関係については、全くの素人だった。また、あと3日後のP信販振り出し出しの手形3,200万円は、不当(ふ‐あた)りになるのではという懸念が大だった。恐らくそうなるだろう、嵌(は)められたのだから。
川田恵美子は、「手形って小切手以上に厳しいものでしょ?」などと呑気なことを言っていたが、手形は厳しいだけではなく、本当に恐ろしいものなのだ。
P信用は造作もなく、手形帳から一枚の手形を切り取って、金銭の裏付けのない手形の2,200万円を川田恵美子に手渡しなのであろう。その手形は、「あと3日」の2日前になっていた。
そして遂に「あと3日」の2日前という日が来た。10日間のボディガードも7日間は無事しおえ、後は総てを決済して、手形の額面3,200万円を今日受け取るだけになっていた。また、現金1,000万円は他の街金数社に返済しており、手許には数十万円を残し、それを運転資金に遣ったということだった。この辺が、女の浅知恵だった。
そしてP通信から振り出された手形は、あっさりと不当りになった。もう、残されたのは「あと2日」になった。いよいよ切羽詰まった感じだった。
こうした事態を招いて、のんびりと予備校の教壇に立って授業をするどころではなかった。無駄な“お荷物”を背負い込んでしまったのであった。
11日間も引き延ばしたその日は確実に迫り、私は川田恵美子を連れてP信用に怒鳴り込む以外なかった。怒鳴り込んでみても始まらないであろうが、取り敢えず手形をパクった敵を知っておかねばならなかった。そして直ぐに私の脳裡(のうり)に疾(はし)ったのは、次の疑問だった。
それはP通商が、どうして川田恵美子の3,000万円の借金を知り、返済日が借入から90日後と知っていたかである。川田恵美子の借金3,000万円は、貸金業者なら端末機のアイネット・ターミナルを使えば、問合せ状況は、何処で幾ら借りてということが明確になるが、返済日は端末機では分からない。P通商が川田恵美子の(株)エミー・フーズを訪ねたのには、それなりの返済日に困窮することが予想されていなければならず、第一このことを知らなければ、訪ねることは出来なかったはずである。街金の、川田恵美子に貸し付けた同業者の誰かが、P信用に洩らしたのか。そうした疑惑は拭い切れなかった。
「型に嵌(は)める」という“策”を用いれば、当然あり得ることである。恐らく、型に嵌められたことだけは確かだった。
私は、沢村の差し出したと言う名刺の住所を頼って、P信用に、川田恵美子を伴って乗り込んだ。彼女の運転する車で、複雑に入り乱れた路地裏に、古い造りのYビルがあり、そこの三階にP信用があった。急勾配の細い階段を上り、ドアにP信用とステッカー風に貼られた、そのドアをノックした。
ドアをノックすると、「どうぞ」という声が聞え、そこには、のっぺり顔の痩身の男が居た。背広にネクタイという出で立ちであるが、明らかに“その筋”とわかる風体の男だった。
“その筋”と分かる男は、「課長、お客さんです」と告げて、誰かを呼び出した。
これに対応したのは、川田恵美子が話していた沢村と言う男だった。
「実はですね、手違いがあって、予定した入金が遅れたものですから、いま川田社長のところに、お詫びの電話を掛けようと思ったいたところでした」と、冷ややかな笑みを湛(たた)えて、こう切り出したのであった。
「でも、どうしてくれるのです?!困るじゃありませんか!」
川田恵美子は大層な剣幕で、沢村を睨み付け言い放っていた。それは、強い抗議の意味が含まれていた。
「先ほども申しましたように、これは手違いなのです」
沢村は手違いであるポーズを崩さなかった。
「手違いと申しましても……困りますわ」
川田恵美子は、更に追求する姿勢を崩さなかった。
しかし沢村は、川田恵美子の剣幕を殆ど相手にせず、鼻でせせら笑うように、これまで紳士然としていた彼は、「そんなに文句が言いたいのなら、あんたの会社の手形は、いつでも返してやるわい!しかし、なァ!この前に貸した1,000万円の現金を耳を揃えて返してもらおうか!」と強気に出て来たのである。明らかに筋の者であった。
最初から1,000万円の現金で、2,200万円を儲けようとしていたのである。やはり正体は“これだったのか”という確信を得たところであった。
この沢村と言う男、ただ者ではあるまい。豹変(ひょうへん)した語り口に、私は沢村が“筋もの”であることを悟ったのである。そして川田恵美子は振り出した手形は、今頃は誰か知らない、“善意の第三者”に渡っていることであろう。
川田恵美子は「悔しい!……」という表情を最後まで崩さなかった。しかし、怒り狂って憤懣やる方ない気持ちを誰にぶつけてよいのか、それを迷っていて、結局理性と言う思考で鉾先を納めたようだ。
私は川田恵美子を連れて、尻尾を巻いて引き下がるしかなかった。エミー・フーズの川田恵美子が裏書きをした手形は、何処かの金融業者の手に渡って“再割り”に出され、合計7枚の手形は、転々と流通していることだろう。厄介なことになったと思った。そしてその“禍”は、川田恵美子だけではなく、私にも襲い掛かろうとしていた。
●銀行供託
いよいよ、あと2日。私はのそ2日で、いったい何が出来るだろうかと思った。そして、絶体絶命の境地に置かれていた。“万策尽きた”という観であった。
しかし川田恵美子は、自分の事を他人事のように捉え、迫った期日をそれほど問題にはしていなかった。
「あんた、明日のことを真剣に考えなければならないよ」
「明日って?」
「呑気だなァ、明日の事だよ。下手をすれば、私とあんたは詰め腹を切らされて心中しなければならない」
「心中?……」
「そう」
「あんた、自分の立場がよくわかってないようだな」
私は川田女史に、これを再三再四、繰り返し促した。しかし彼女は、明日の期日には頓着しなかった。“何故だ”と思う。この鷹揚(おうよう)に落ち着いた悠然(ゆうせん)さは、何に裏打ちされているのかと思う。何が彼女を、こうまでに“ゆったり感”を与えているのだろうか。
「今日ね、“Dドリンク産業”(仮名)から、わが社の口座に取り敢えず、3,000万円が振り込まれますの。そして明日、冬中夏草(とうちゅうかそう)の取引代金3,000万円。明日中に6,000万円は調達でき、これでこの急場は凌(しの)げますわ」
「なんと?……」
私は驚く以外なかった。
「わたしくが10日間、ボディガードをお願いしたのはこの為であり、P信用からの手形を割り引く為の、身柄保証ではありませんでしたのよ」
彼女の話を整理すると、次のようになる。
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多重債務の90日後
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借入金2900万円を投じて冬中夏草を買い付けたが、空輸の都合で、荷が納入期日までに入荷できず、したがって“Dドリンク産業”(仮名)に納入出来なかった。 |
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91日〜100日
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入荷を待つ以外、方法はなかったので、90日後の返済の一時金として、P信用から資金繰りを凌いだ。 |
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100日〜111日
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冬中夏草の入荷が無事完了し、110日目に3,000万円、翌111日目に3,000万円の入金が予定されていた。これで合計6,000万円の資金があり、本来ならば楽に3,000万円程が残り、諸経費を差し引いても純利は1,500万円以上の金が、川田恵美子の利益になるはずだ。しかし、手形のパクリで供託金の3,200万円となり、供託金合計は200万円ほどが不足することになる。 |
しかし、問題は91日から100日目に、まんまと3,200万円の手形のパクリ事件が発生していたのである。これこそが問題だった。
3,200万円の事故手形は、全国の金融業者へ再割りされていることだろう。そしてパクられた手形の処理であるが、この対抗措置として同額の3,200万円を“銀行供託”(【註】供託所は供託事務を扱う所で、金銭または有価証券について法務局あるいはその下部機関で、その他の物品については法務大臣の指定する倉庫営業者または銀行などを指す。一般には銀行供託が多い)しなければならない。しかし明日供託しても、既に200万円が不足する。
また、幾ら事故手形と言っても、“善意の第三者”に渡った手形は、絶対に支払わねばならない義務がある。手形とは、それだけシビアなものであった。この事を私は説明し、川田恵美子に納得させたのである。そして不足分の200万円を、どうするかであった。
供託所へ3,200万円を供託して、対抗措置をとったところで、裁判になれば(株)エミー・フーズは敗訴するだろう。対抗措置である供託は、一種の債権者に対する脅しでしかなかった。供託の構造を知る債権者などは、こうした単純な脅しに屈しないであろう。
しかし債権者の何(いず)れかが、徹底的に最高裁まで戦うことになると、こちらの意図も明確になり、その間に持っている手形は、まず、どうにもならない。“善意の第三者”は、大方が再割り(【註】再割引のことで、一銀行が依頼人の為に割引した手形を、更に他の銀行(多くは中央銀行)の割引に付することを言う)を受ける人であり、目的は金利稼ぎである。したがって、2年も3年も、裁判で争われたら金利稼ぎを目論む“善意の第三者”は、採算に合わないことになる。そこで最後は“話し合い”と言うことになる。
私はこの事を、川田恵美子に繰り返し話したのだった。
「対抗措置として供託しても、わたくしの会社が負けると言う事ですか?事故手形と言うのに……」
「そうだ」
「訴えたらどうなるかしら……」
「訴えても、金も手形も戻らない」
「でも口惜しいわ」
「口惜しくとも、善意の第三者への対抗措置は何もないんだ。これ以上騒ぎ立てて大恥を曝(さら)すより、諦めが肝心なのかも知れない」
「弁護士に頼んでもだめかしら?」
「駄目だろう。対抗措置がないと言われるだけでなく、あんたのした個人保証が笑われるだろう」
もう、こうなったら“あんたが甘いんだよ”とか、“嵌(は)められたんだよ”と言っても、埒(らち)の明かない。総て結果論に過ぎない。こうした理不尽を理不尽として捉(とら)え、現実に則した措置をして行く以外なかった。世の中には、こうした理不尽が多過ぎるのだと歎(なげ)いても、仕方がないことであった。
「2年も3年もの長きの間、裁判となれば、債権者も大いに困るが、それよりも困るのは、あんたの会社だ。供託期間中は、一切その金に手を付けられないのだからな。それにこれまで借りていた金の金利も膨らんで行く。金利は最後の1円まで完済しないと、確実に膨らむようになっている。金利負担も大変だが、弁護士費用も嵩(かさ)み、結局最後は身動きが取れなくなる」
「詐欺で、パクられた手形と分かっていても、結末はそうなってしまうのですか?」
「そこが手形の怖いところであり、これを知らずに個人保証したのは、あんたの責任だ」
「わたしく、まんまと乗せられたのですね」
「今頃気付いても遅い。こうなったら、“善意の第三者”を何処まで譲歩させるかで話を付けなければならない。要するに相手方との駆け引きによる」
私は、どんでもない事件に巻き込まれたと思った。合田会長が、「この女を切り取ってみませんか?」という提示は、実はこうした“根深いもの”が隠されていたのかも知れない。そして合田会長の言い出した際の、私を“試す目”があったことを、今になって思い出していた。“あの目”は、そんな目だったのか、と思う。
要するに合田会長は、高利貸しの金利分で儲けるのではなく、“取り半”で儲ける人なのである。だから下取り債権をタダ同様で買い叩いて来て、それを“取り半”で儲けるのだった。
●事故手形の処理
私は、P信用との一切の関わり合いを、合田会長に話した。そして(株)エミー・フーズに200万円の追加融資を願った。
「銀行供託をするとして、あと200万円足らないと言うのですか?」
合田会長は、手形のパクリ事件の一切を知っているようにも思われた。この人も、川田恵美子の手形のパクリに関わっていたのであろうか。
私の勘だが、何となくそういう気がした。
そして合田会長は、私が予期した通りに、二つ返事で200万円を追加融資すると言うのである。“裏には何かあるな?”と思わずにいられなかった。恐らく、P信用の沢村優一も、何処かで合田会長と繋(つな)がっているのであろう。
沢村の“筋もの”としての目付きや、物言いは決して堅気のものではなかった。明らかに、その筋の者であると言う事が分かるのである。更に、(株)エミー・フーズの支払期限が、借入から90日後と知っていたからである。
「曽川さん、ついでにパクリ手形の債権者も扱ってみてはどうですか?額面通りの再割りの“善意の第三者”にある程度泣いてもらえば、某(なにがし)かの利益が出るはずです」
「?…………」
私は目を丸くして、合田会長を見詰め直した。そこまで読んでいたかと思う。合田会長の肚(はら)の中は、最初からこうした計画があったのかも知れない。以前、合田会長は、「金貸しが、金利で稼いでも高が知れている」と言った事があった。また、高利貸しでも「高利で貸し付けて、元金を二倍にするには100日以上掛かる」と云ったのも合田会長だった。そうすると高利貸しは表の顔で、裏には別の顔があるのではないかと思ったのである。二つの顔を、この人はうまく使い分けて居るのではないかと思った。
「あなたが事故手形を扱って、その処理の代表者になるのです。此処に今回の債権者リストがあります」
一切のお膳立ては整っていた。
債権者リストによれば、手形を持つ7人のうち、4人が金融業者で、そのうち2人は500万円の手形を持ち、2人が400万円。また一般の手形投資者の3人のうち、2人は500万円で、あとの1人が400万円であった。
「……………」
「どうでしょうね、供託金の3,200万円のうち、不足分の200万円は早速用意します。そこで、あなたは債権者との折衝(せっしょう)を開始して、先手をとって下さい。先手必勝と言いますから」
合田会長は此処までお膳立てをしていたのである。
「では、個別ということになるのでしょうか?」
私はこう切り返していた。
「明日が手形の支払い停止が確定する日です。したがって、特に慌(あわ)てて押し掛けて来るのは、一般の手形投資者の5人でしょう。彼等は金融業者と違い、手形は単に投資したはずです。一般の手形投資者は虎の子のような、500万円や400万円を割り引いて手形投資に当てているのですからねェ」
「したがって、その1日前に話し合いを始めるのですね」
私は分かり切ったような相槌(あいづち)を打っていた。
「そういうことです」それは決定されたと言う、言い回しだった。
「ところで会長、パクリ屋は幾らで割り引いたか、聞いていませんか?」
私は知らない振りをして、“鎌”を掛けてみた。もう、此処まで来れば後戻りは出来ない。行くところまで行くしかないのである。最後まで乗ってみようと思った。
「そうですね、500万円の場合、七掛けの350万円と言ったところではないでしょうか」
私はこの答えに敏感に反応して、「いや、七掛けではあるまい」と踏んだ。つまり、一般手形投資者は七掛けであるかも知れないが、金融業者は、足許(あしもと)を見て、まず半値で叩いたはずだ。かなりの割引料をとったはずだ。
「つまりP信用は3,200万円の貸金のうち、1,000万円を餌(えさ)として、3,200万円の手形を振り出させ、これを半値で叩き売り、1,600万円。差し引き600万円以上の儲けが出る。まあ、そんなところでしょうか」
合田会長は、きっぱりと言い切った。足許を見られて、かなりの割引料を取られたことまで予測している。
しかし、合田会長の肚(はら)は、果たしてそうだろうかと思う。もっと大きな儲けを企んでいるようにも思える。P信用のパクリ屋より、大きな儲けを目論んでいるのではないか。そう踏んだのであった。その為に、債権者との懇談会に、私を代表者にする積もりでいるらしい。
3,200万円の半値で1,600万円。これを半値で泣いてもらったとして、私と“取り半”を行えば800万円以上が間違いなく合田会長の懐(ふところ)に転がり込むことになる。この意味からすると、P信用より上を行き、儲ける魂胆が隠されていた。
また私の“取り半”も、まるまる800万円が私の物になるわけではなかろう。何かと理由を付け、ピンはねされることは想像に難しくない。私の多重債務は、支払い不履行として、S通商に集まりつつあったからである。恐らく、私の支払い不履行物件も、タダ同様で買い叩いた物件だったのであろう。
─────この日の夜、遅く家に帰り着いた私は、身も心も、くたくただった。疲れ果て、心身は限界の極みであった。
敗北の感じは日増しに膨らみ、それに併せて家内の、いつ快復(かいふく)するとも知れない、精神分裂病と言う病状が、私の双肩に重く伸(の)し掛かっていた。もう、生涯、二度と快復しないかも知れないという怖れの方が強かった。
何日かの前の日曜日、南区役所の福祉課員と保健婦が遣って来て、いらんお節介をして、追い払ったことを憶(おぼ)えている。
福祉課員と保健婦曰(いわ)く、「毎日が大変でしょ」と、社交辞令のような言葉を告げた後に、「ご主人にも、ご自分の人生はあるはずです」と切り出した。
私は「はあ?」という感じで聞き流していたが、遂に「奥さんと訣(わか)れて、新たな人生を踏み出してはどうですか?」と、お節介のようなことを奨(すす)めたのである。“いらんお節介だ”と思う前に、何だか腹立たしくなって来たのである。一体、こうして狂った女を、何処に捨てて行けと言うのか!
私は、彼等の言(げん)を聞いた時に、怒りが頂点に達していた。
「では、あなた達にお窺(うかが)いしますが、日本は果たして、心の底から喜び合える福祉国家なのでしょうか?!世間さまの“目”には、狂人を片輪と見る“目”がありますが、今ではこうした目が、すっかり解決されているのでしょうか」
彼等二人は「なに?……」という顔で、お互いを見合っていた。
「もし、お答え願うのなら、この狂った心の片輪の家内を、いったい何処に捨てたらいいか、教えて下さい」と切り出していたのである。それだけ、彼等の言は、腹立たしい愚問だったのである。そして早速、お引き取り願った、生々しい記憶があった。
世に、鰥寡孤独(かんか‐こどく)という言葉がある。これは妻を失った男と、夫を失った女と、孤児(みなしご)と、老いて子のない者のことを言うそうだ。縋(すが)り所のない、寄方(よるべ)ない者も、この中に入ろう。
また、世にたよりのない身分の者も同じであろう。私も、そうした人間の一人だった。
確かに法律上は、妻と名の付く者が居た。しかし、それは社会生活が満足に出来ない、動物のごとき生人形だった。狂った生人形だった。それを、永遠と面倒を見て行かなければならないのである。恢復の見込みは皆無であった。未だに世間には、口に出してこそ言わないが、狂人を片輪視する“目”が存在している。まるで見せ物でも視(み)るように、こうした弱者を面白半分に視る目が存在している。
入退院を繰り返す、一進一退の精神分裂病の家内の面倒を見ながら、世間はまつで見せ物の“片輪女”を視るのと同じくらいの残酷な視線を浴びせかけて来る。私はこうした視線を端(はな)から覚悟してたが、世間とは何と残酷な人間現象であろうと思ったことがある。
こうした心の底に堆積する、世間への“目”は、私の腹立たしい弱い者へ向けられる弱い者への“残酷な目”だった。
手形処理を仰(おお)せつかったその夜、疲れて帰った深夜、この生人形は、早朝やりかけた自分の洋服のボタンを、まだ止め切れずに居た。そのままの状態で何時間も、じっとして、時間は止まったままだった。過ぎ行く時間に無頓着だった。時間の観念を、既に忘れているものと思われた。
こうした、世間が廃人と看做(みな)した人間を抱えて、私の運命は、いったい何処に運ばれて行くのか、自分のこれからを静かに反芻(はんすう)していた。それは時間の観念を忘れた、家内と同じ感覚の中で……。
人間とは、汚辱に塗(まみ)れても、生きなければならない生き物である。
家内も、かつては、風になぶられても、しなやかな黒髪を持ち、瑞々(みずみず)しい少女のような日を送ったこともあったろう。しかしそれは、一つの状態に過ぎなかった。その時期の、姿を現象界に顕わした状態であった。
ところが、何かのはずみに、精神を病み、心を狂わせ、気が触れれば、目も耳も口も、今までとは違った状態になり、その時を基点に、一気に世の中が一転する。
目も耳も口も、五官と言う感覚器が、駄目になり、発狂のままで、垂れ流しながら苦痛に嘖(さいな)まされることがある。しかしこれも、一つの状態に過ぎない。これは決して願わしい状態ではないが、心掛けの悪さでこうなったのでないから、本人は何も悔(く)やむ必要が何処にあろう。本人に課せられるのは、その事だけである。
人間は尊厳を失っても、能力を失っても、生きればいい事である。
もし、尊厳や能力のない人間が生きていけないと言うのなら、私たち多くの人間は、既に小学校に入学した時点で、殺されていなければならない。
私の知人に、脳性麻痺の子供を持つ夫婦がいる。この子供は、いつも寝たっきりで、「ああ……ああ」とか、「うう……うう……」としか言えない。こうした子供を、五体満足の子供と比較して、一般の親から見れば、いっそのこと早く死んでくれたらいいと思うに違いない。一般にそう考えがちだ。
しかし、脳性麻痺の子供を持つ夫婦は、この病気の子供を「私たちの生きる希望です」とまで言い切っていた。外側からの傍観者(ぼうかんしゃ)の目で見れば、気の毒に思える症状でも、当事者達は別の見方で、病気の子供を「生きる希望」と思えるまでに高め、精神を、感情を、思考力を、鍛えて行ったことが分かるのである。私はこの夫婦の姿を見た時、頭の下がる思いがした。上辺だけでなく、これこそ“親子の愛”と感じたからであった。
この夫婦の献身的な“行い”と、子供に対する“愛”と、私の今の状態を比較すれば、雲泥(うんでい)の差があることは確かだった。何故ならば、家内は心掛けとは何の関係もなく、このような悲しい状態に追い込まれたからである。そいうい人間に対し、これを捨てて、自分だけが新たな人生をやり直すなど、私には出来なかった。それは「武士道」で言う、“卑怯者の遣り方”であるからだ。武人は、弱気を助ける義侠心があってこそ、「もののふ」と言えるのではあるまいか。
狂った人間と、狂った人間を支える姿こそ、双方併せて「人間だ」と思う。「もののふ」は武人である前に、まず人間であらねばならない。それを体験しないことには、人間として、最低限度学ぶ、大事なチャンスを失うことになるからだ。
私は、こういう意味で、陽明学の「事上磨錬(じじょう‐まれん)」を体験してたのである。
陽明学は言う。
実際の事に当って、精神を錬磨することを。そして、これを王陽明(おう‐ようめい)の語に回帰させるのである。これこそ、唯一の尊厳を保つ“行い”ではないか。
人間は、どんなに古くなり、汚くなり、ボロになったとしても、ボロ雑巾のように捨てる事は出来ない。一度面倒を見たら、最後まで面倒を見続けると言うのが、人間の真の“行い”であり、姿ではないだろうか。また、「誇り高く生きる」とは、こういうことを言うのではあるまいか。
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