●焼き入れ
私は野村剛士(のむら‐つよし)を連れて、S通商の事務所に向かった。そして一風、風変わりなマンションの一室にある事務所に入って、野村はすっかり辺の様子に縮み上がっている様子であった。
「塾長先生、此処って……やばい……」と、耳の傍(そば)で、小声で、そばだてるように言う。
「そうだ、打ち合わせ通りに遣(や)ってくれ」
そう言われて、野村は更に縮み上がったようだ。そして今から何が起るか瞬時に想像したようだった。事務所の中に一歩は入れば、マンションの作りに比較して、余りにも荒れ果てた寒々とした部屋であり、部屋を間違えたのではないかと思わせる場所だった。
─────野村剛士をS通商に連れて行く前、打ち合わせをした。事前にブカブカの衣服を用意させ、段取りの打ち合わせをしたのであった。近くの喫茶店で、1時間ほど、みっちりと打ち合わせのミーティングをした。ブカブカの衣服を用意させたのは芝居用の小道具であり、予(あらかじ)めのシナリオに従って用意させたのである。
衣服に下には防禦を完璧にする為に、ブカブカの衣服の下に新聞紙で腹部を覆い、薄い発泡スチロールを腕や太腿(ふともも)などに巻き、また背中などに敷き詰め、投げ付けた物が当っても、あるいは木刀で叩かれても衝撃が少ないようにする為だった。
つまり野村には、借金取り立てで責められる、被害者を演じてもらう為であった。借金取り立てを責められるこの被害者は、想定が労務者であり、S通商から50万円を借りてそれが滞っているという想定だった。
オヤジ風の老けて見えさせる為に、顔の髭(ひげ)の生え際にうっすらと靴墨を塗り、捩り鉢巻と言うスタイルにした。また、捩り鉢巻の中には、棒状のゴム風船に、赤い絵具を水で溶(と)いてそれを入れ、頭部を殴られた場合にゴム風船が破れて、血が噴き出す仕掛けになっていた。
何しろお膳立てが大変であった。他人(ひと)を奇妙な錯覚に陥らせ、惨状を演出するのであるから、これくらいの準備は必要だった。
そして、これから焼きを入れ、切り取る男は次の人間だった。借金を屁とも思わず、街金泣かせと噂される男であった。結局この男の借り捲った借金は、代下がりで債権の肩代わりをしたS通商に廻って来ていた。
《吉岡 文太郎(仮名)》昭和12年×月×日生まれ。53歳。本籍:山口県。
・住所:北九州市八幡西区××町×丁目×ー× (現在夫婦2人暮し)
・家族構成:本人(公務員)妻(主婦)の計2人。(一人息子は結婚後別居)
・勤務先:××社会保険事務所。役職:年金課長。
・株式相場と競艇のギャンブル狂。
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貸付金の合計額
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8,230,000 円
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利息・損害金の合計額
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1,295,598円(平成2年6月×日まで)
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支払済の額
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1,520,000円(平成2年6月×日現在)
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残 額
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6,710,000 円
(内 訳)
残元金 6,480,000 円
利息・損害金 1,295,598 円(架空数字)
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・貸出決定日:昭和55年9月×日より
・利息:年利43%
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合田会長は《吉岡文太郎》のファイルを出した時、一言「この男は中々“したたか”ですよ」と、ぽつりと云った男であった。
先の川田女史も含めて、どうして高利貸しから金を借りる人間は、揃いも揃って、こうもしたたかであるか閉口させられるばかりであった。吉岡も、こうした一員なのであろう。したがって、通常の取立は通用しないことは自明であった。こうした手合いには、単に恐喝擬いの常套手段が通用しないのだ。威圧も無効なのである。
そして示されたファイルを見て、どう切り取るか思案して、結局野村に、ひと芝居打ってもらうことにした。
この時代、街金などでは、直接自宅に押し掛けず、「今後の支払い話し合いをする」と言う名目で事務所に来てもらう方法が取られていた。取立に暴力を遣(つか)って“脅(おど)す”と言う遣(や)り方は、もう時代遅れになりつつあった。
一応、お上から登録制で貸金業を営んでいる街金は、出来るだけ合法的に取立をしなければならない。合法的でなければ、その取立法の中に暴力が介在した場合、直に警察に駆け込まれてしまうからだ。その為にダメージも大きくなる。何ヵ月も営業停止を喰(く)らうことになる。
しかし、暴力はあくまで本人に対しての施行が違反なのであって、全く本人と関係のない、第三者の取立状況などを見せつけることは構わなかった。別に本人を脅すわけでないからである。
“今後の支払いについて”の名目で、吉岡文太郎を、自発的に事務所においで頂いた次第であった。だが、お出で頂いて“借りた分の返済をして欲しい”と話しても無駄なことは最初から分かっていた。
吉岡のような街金泣かせの、一筋縄で行かない者は、その内面の心理まで入り込み、心情を分析し、心理状態を把握する必要があった。つまり、「なぜ株式相場と競艇のギャンブル狂であるか」の心理分析である。これを知らずに取立は困難であった。
借金で株式相場を遣り、その損失を競艇で補うと言う一連の考え方は、何処に錯覚が生じているはずだった。錯覚の中に閉じ込められて、そこから抜け出せないのでは?という推理が成り立つのである。
私は吉岡の、株式相場に入れ込む、心の裡側(うちがわ)を読まなければならなかった。株を遣(や)る者は、街金からの借金者が多い。それにギャンブル狂と来ていては、その借金が雪達磨式に膨らむことは必定である。
さて、単純なことだが、株は値上がりすれば儲かる。その儲けは、パチンコやマージャンなどでツキ捲って、儲けた時とは比較にならないほど大きく、莫大(ばくだい)な大金が瞬時に手に入る。相場に手を出した者は、容易(たやす)く大金を儲ける事が出来、それだけに一歩間違えば大変な損失を出すことになる。
しかし、株式相場を考えて、株で儲けようとするチャンスの殆どは、投資家の錯覚から起る“思い込み”に始まる場合も少なくない。自分の開設した口座を操って、うまく立ち回るには、そこに必ず“自己思惑”と言うものが派生する。そして自己思惑の多くは、新規公開上場株を軸として派生する。
更に加えて、株の動向を知る為のタイミングが、相場の勘として閃(ひらめ)きを齎(もたら)すが、これは多くの場合、“見込み違い”であり、急上昇する上場株は、全体の100分の1以下である。これだけ、見込み違いになる銘柄が多いと言う事だ。
本来ならば、株を遣(や)った方なら御存じであると思うが、見込み違いになった銘柄は、損が膨らまないうちに売却処分にするのが一番いいのである。しかし、確実に売却処分出来ないのは、持っていればそのうちに上がるだろうと言う、希望的観測に縋(すが)ることだ。これに縋った場合、損は膨らみ、取り返しが付かないことになる。相場の素人はこれで失敗し、投資額の10分の1に減少する、大きな損失を出すのである。
元の値段に戻る可能性が充分にあるなどと、出入りの証券マンから言われれば、その気になって持ち続けるのが、株式相場の素人である。素人は一度買ったら、手数料が派生するので長く持つことになる。
しかし下落する一つの銘柄を、何ヵ月も持ち続け、結局、損が大きく膨らんでしまうのである。気付いた時には、例えば100万円投資した金は、数ヵ月後には10万円以下になっている。相場を遣っている以上、損をしたからと言って証券会社が補填(ほてん)するわけでもない。総て自己責任だ。
下落傾向にある場合、元の相場に戻る可能性はあっても、何ヵ月も持ち続ければ、更に下がる懸念(けねん)の方が大きくなるからである。だから、損を覚悟で売り抜ける。此処が素人とプロの相場師との違いである。
素人の場合は、相場の一瞬一瞬の結果が総てであるのに対し、プロの相場師は、長期戦で掛かり、その間に激しい売り買いを繰り返して、総合デザインとしての勝利の方程式を組み立てて行く。彼等の根底には、長期戦を戦う、ネバー・ギブアップの精神がある。長期戦を戦えるだけの資金力もある。素人の場合は、500万、1000万の単位で簡単にギブアップしてしまう。したがって、損した以降が“尻切れとんぼ”になる。簡単にギブアップしてしまう。
ところがプロの相場師は、損を損と思わず、総合デザインを遣りあげる為の、一時の、へこみのアクセントと考える。長期戦を戦う以上、1億や2億は愚か、10億、20億の金を簡単に用意してしまう。これは素人にできる芸当ではない。素人でできる芸当は、精々1億円程度の小銭である。
私もかつて株を遣(や)ったことがあるが、上昇相場の場合、約65%の投資者が儲かるが、下落相場の場合は95%以上の投資者が確実に損をする。上昇相場と下落相場では、このように差が開いてしまい、結局、ひと握りのプロ相場師だけが儲けるようになっている。
これを解り易いように、1000万円の金に当て嵌(は)めると、上昇相場の場合、平均株価が一日500円である場合、1000万円の金は1200〜1400万円くらいには化けるだろう。しかし下落相場では1000万円が、約400〜500万円以下に目減りする。僅か一日で、半分に目減りするのである。
下落傾向でも、高値をつける株はあるが、こうした株は「仕手株」(【註】売買の対象とする、相場を大きく動かす投機的な株)と言い、動きが軽く、決して素人の手に負えるものではない。
普通に株の売買で儲けると言うのは、実に大変なのである。事実、三回儲けて一回損をすると、その収支はゼロになってしまうからだ。この為に、自称“自分は株で儲けている”という人間でも、その“自称”が幻想であり、損失が出て、相場に投じる資金が足らなくなると街金に趨(はし)るというのが常なのである。口で言うほど、株式相場は儲からない。単に、自己思惑に振り回されている。
したがって、吉岡文太郎のような素人が、上昇相場に手を出して、何度か儲けた経験を体感すると、その甘味な味が忘れられず、繰り返し儲かるまで、“株漬け”になってしまう。下落相場も同じように考えてしまう。このように相場は決して甘くないのだ。
しかし、儲けを何度か経験すると、自分は相場がうまいと錯覚してしまうのである。
ギャンブルも、これと同じ心理だろう。たまたまツキ捲(まく)って、少しばかりの儲けを手にすると、自分がギャンブルに強いと思い込むのだ。
これは、“たまたま”なのであるが、自分の前途には間違いなく巨額な儲けが転がっていると思い込む。本当は、ちょっと運が良いだけなのに、それが未来永劫に約束されていると錯覚する。此処に自己思惑が働くのだ。
世に、ギャンブルの名の付くものは多いが、ギャンブル加担者の心理を分析すれば、そこには“自分は頭が良く、ギャンブルに強い”という錯覚が起っていることである。
しかし、こうした自惚(うぬぼ)れと、錯覚から起る素人ギャンブラーの頭脳構造は、いかにも平面的で、プロのギャンブラーの立体構造とは太刀打ち出来ない、生まれながらのハンディを背負っているのである。したがって素人は勝てないのである。
ギャンブルにして、これであり、株式相場であれば、厄介なことに、日常、株式相場と密着している証券マンが出入りして、投資者に甘い言葉で囁(ささや)きかけるので、これらの口調に直ぐに取り込まれてしまう。そして出入りの証券マンは、甘い誘惑の言葉の裏に、恐ろしい錯覚を抱かせる二枚舌が備わり、これを巧に操って、素人の投資者を巻き込んで行くのである。外交の証券マンは、その出来高が歩合制である。したがって、歩合をものにする為に、巧妙な高等テクニックがある。これに素人の投資者は絡め捕られるのである。
これは何も株式相場に限らず、穀物相場や先物取引や金融派生商品(derivative financial instruments/デリバティブという名で知られ、債券や株式など、本来の金融商品から派生した金融商品で、先物取引・オプション取引・スワップ取引などがある)も同じである。
こうしたものは、素人の、暗記力に優れているなどの、平面構造の頭脳ではとても太刀打ち出来ず、結局、立体構造を持った数学者並の“超頭脳”でなければ、こうしたものから利益を誘導する事は出来ないのである。
事実、デリバティブはNASA(National Aeronautics and Space Administration/アメリカ航空宇宙局)の研究員であった元数学者達が造り出した金融派生商品であった。
一般に知られるNASAは、1958年に設立したヒューストン(Houston/アメリカ合衆国南部、テキサス州の工業都市)やパサデナ(Pasadena/アメリカ合衆国南西部、ロサンゼルス市の北東郊にある住宅都市)などに研究所を持ち、惑星探査計画や惑星や宇宙科学研究を統括する航空宇宙の総合研究所と思われているが、此処にはアメリカ中から最高の頭脳が集結している為、研究員が暇潰しに先物取引を数学的に分析し、この構造を解明すれば、そこには新たなマネーゲームの商品が簡単に作り出せてしまうのである。そして金融経済に、数学が持ち込まれだしたのは、この頃からであった。
これから考えても、超頭脳と、単に暗記を得意として“5者1択”で解答させる県職員募集の地方公務員の平面図頭脳とは、これだけで大差があることが分かる。到底、平面図頭脳は、立体の超頭脳には太刀打ち出来ないのである。
吉岡文太郎は、まさに大金を掴む夢想者であったと言える。金銭を追い求める夢想者は、自分の命も、他人の命も、安くしか見積もらない。激しい追い込みを掛ければ、また、自らの命も、自殺によってあっさりと断ってしまうのである。軽薄なことだが、自分の命を断つ以外に、小さな個人では、膨らみ過ぎた借金を完済出来ないのである。
したがって、個人の金銭感覚として、決済不可能な金額になると、自己思惑の損失は膨らみ過ぎて、逆に、追い込みを掛けられても、変な度胸が付いて、したたなに、ふてぶてしくなるのである。
恐らく吉岡も、最初は借金を期日通りに払っていた人間であったに違いなかった。しかし、自己思惑の損失が膨らみ過ぎると、今度は損を取り戻そうとして、ギャンブルに手を出したものと思われたが、ギャンブルに手を出しては、その勝率は益々低くなり、借金は膨らむばかりであった。要するに、心に歯止めが利(き)かなくなって、負け将棋を“もう一番もう一番”と繰り返す、下手な将棋指なのである。
─────今晩、お出で頂く吉岡文太郎がやって来た。とうとう始まったと言う感じであった。ありふれたスタートのようにも思える。吉岡は50年輩の、役所に居るような実直そうな男に映った。しかし此処が曲者かも知れない。
そして“焼き入れ場”の中には、既に野村剛士が、殴られた痕(きず)を思わせる凄いメーキャップで、神妙に正坐して待ち構えていた。何も知らない人間が、この場に遭遇すれば、つい今しがたまで、壮絶な暴行が繰り返されて居たことを彷佛(ほうふつ)とさせるだろう。鼻血を垂れ、口から血を流したような出演の為に、焼き入れを思わせる、異様な顔ごしらえが、既に整っていた。
この野村の正坐を見て、吉岡は“ぎょっと”したようだった。吉岡の顔の豹変(ひょうへん)は、不意に予期しない物事に出合って、驚きや恐怖を感じ緊張する態(さま)に酷似していた。
株式相場で自己思惑を露(あらわ)にし、夢想者である吉岡は、思い込みの激しさが、自分の弱点であることを気付いていないようだった。勝手な想像は、違う次元に心の裡(うち)を飛ばしているようであった。
私はお出で頂いた吉岡に、丁寧に言葉を掛けた。
「吉岡さん。先客がありますので、少々お待ち下さい。直ぐに終りますから」
「……………」
吉岡の目に、野村の殴られたような、痛々しい光景がどう映ったのだろうか。
野村は泣き声混じりで、「すいまませェん、今日の仕事に溢れたものですから……」と、役者顔負けの演技を始めた。
「仕事に溢れたのは、あなたの勝手でしょ」
「そうなんですが、何しろ今日は一文無しです。申し分けありまっせェん!」
「あなたの親兄弟、あるいは親戚に方に電話を掛けて、お金を借りる段取りをしたらどうですか?」
「はい!早速そうさせて頂きます!」
野村は電話機にしがみついて、あちこちに電話を掛ける真似を始めた。
「ばあちゃん、オレオレ。金に困って、今日返済せんといかんのよ。いま50万貸してくれんね。……うん、だめ。そんな殺生な……。では30万。……えっ?30万も、だめ。じゃァ20万、いや、とにかく10万でも……それも、だめ……。ああ……ばあちゃん、見殺しにせんどいて。絶望やなかや……。殺されるゥ……」
野村は歎(なげ)くように、こんな調子で演技を始めたのである。次から次へと電話を掛け、何処も断られる真似をする。実に熱の籠(こも)った演技だった。
私はそうした野村の演技を見ながら、それに併せて、渋い顔をして、吉岡文太郎に投げ付ける。吉岡も、何処も断られる状態を見て、“この分なら、今日の取立は諦めるかも知れない”というような甘い考えを抱いたに違いない。それでも野村の、電話演技は続いていた。そして最後は、断られるのである。そういう演技を懸命に行っていた。演技は疑念なく、滞りなく、スムーズに、手筈(てはず)通り行われていた。
そして遂に、万策尽きて、何処も断られる演技に、遂に結着がつこうとした時であった。
野村は、「ああそう、だめ……」と、尻つぼみな絶望的な言葉を、口から溜息のような声を洩らした時である。
私はテーブルの上に置いてあった、イミテーションのガラスを模した灰皿を野村に向かって投げ付けたのである。灰皿は見事に野村の頭に命中し、鉢巻きの下の棒状のゴム風船が破れ、顔が血だらけになる惨状が出現した。
そして野村に近付いて、殴る蹴るの暴行を加え、野村は悲鳴を上げながら床中を転げ廻り、たいそうな悲鳴を挙げて辺(あたり)を逃げ回ったのである。更に壁にぶつかり、気絶した真似まで上手に遣って退(の)けた。野村は、その場に屍体(したい)のように、長々と横になったのであった。野村は完全に、芝居の中の役者になりきり、被害者の遣(や)られ役を見事に演じ切っていた。そして私は加害者であり、妙な錯覚に陥りながら、脇腹への蹴りのキックを止めなかった。靴先が、野村の腹に巻いた何層もの新聞紙に当たって、奇妙な音を発した。肋骨(あばら‐ぼね)が折れるような音だったかも知れない。言語に絶する惨状だった。
この演技の最中、私は吉岡文太郎の顔をちらりと窺(うかが)った。震え上がっているのが手に取るように分かった。激しい回転が始まったことは、吉岡にも理解できたようだった。それを確信した私は、野村への暴行の演技を止め、無言のまま、吉岡文太郎の前に電話機を差し出したのである。
吉岡は何を思ったのか、電話機にかじり付くや否や、慌(あわ)てて何処にダイヤルを廻し、「お金を貸して下さい。私を助けて下さい。一生のお願いです、どうか、お金をかして下さい」と、懇願(こんがん)と言うより、声の限り叫ぶ、絶叫(ぜっきょう)に近いものであった。
この調子で、次から次へと電話を掛け始めたのである。それは「一念」というものに近かった。そしてこの一念は、何人かに通じ、吉岡にお金を貸してくれる者が顕れたのであった。
私は、吉岡文太郎に対し、暴力的な言葉で脅したわけでもないし、手を奮って暴力を働いたわけでもなかった。況(ま)して拉致(らち)した覚えもないし、吉岡文太郎が任意で此処にやって来たのである。そして無理矢理、監禁したわけでもなかった。
「吉岡さん。これに懲(こ)りて、株の相場やギャンブルは、これで止めにしませんか。あなたも右から左へと、お金を流すことが出来るほどの身分じゃないはずです。これで目を醒(さ)まして、本来の人間の姿に戻りましょうよ」と言って、私は“本来の人間の姿”に戻ることを促したのである。
これは、言葉こそ激しくて猛々しくないが、“人間として、それでいいのか”と、恫喝擬(どうかつ‐まが)いに注意を喚起した言葉だった。
吉岡文太郎は、私の説得に応じたのか、目に涙を溜めながら、「いま、やっと目が醒(さ)めました。本当に有難う御座います」と言って、親兄弟や親戚一堂から金を借り集め、総残額の6,710,000円を翌日に完済したのであった。
恐らく吉岡文太郎も、投機によって生ずる、実態経済と懸け離れた相場や景気に左右されて夢想を抱いた、夢想者であったに違いなかった。この当時、バブル景気は最後の頂点を目指して駆け登っていたはずである。
昭和天皇が87歳で崩御(ほうぎょ)し、昭和64年は1月7日で終った。翌日の1月8日からは、平成元年となり、55歳の皇太子・明仁(あきひと)殿下が即位し、日本はこの時、大きな経済的な節目に掛かろうとしていた。
昭和と言う時代に培われた、中期並びに後期の経済成長が停滞し、平成と言う時代の混迷に彷徨(ほうこう)しようとしていた。彷徨の渦(うず)の中で、これまでの流れが変化しつつあった。
そして、この年に顕れた大きな変化は、これまでの自由民主党の一党支配が終り、政治の基軸が定まらない政党政治下では、社会党との前代未聞の連立政権が誕生した。それは不安定な連立であり、紛(まぎ)れもない野合であった。行き当たりばったりの権力政争が始まり、終末的な手段の選択が政治の世界で繰り広げられた。改めて言うまでもなく、無責任な政争時代の始まりであった。
この当時、消費税を創設した竹下登(たけした‐のぼる)内閣は、公開株を賄賂(わいろ)に遣い、またリクルート事件で呆気(あっけ)なく潰えた。その竹下内閣の後を継いだ宇野宗佑(うの‐そうすけ)内閣は、女性問題スキャンダルで、僅か68日で崩壊した。更に宇野内閣の後を継いだ海部俊樹(かいふ‐としき)内閣も、発足当時から強固な支持基盤がなく、足許(あしもと)を掬(すく)われた形で倒壊してしまった。
既に世界は総てが連動連鎖講のような様相を呈し、一国の躓(つまず)きは、全世界に波及を呈した。政治も同様ならば経済も同様であった。これまで順調に経済成長を続けて来たと思われる、右肩上がりのバブル現象は、それが起り始めて4年目にして、暗い翳(かげ)りが見え始めた。そしてこの翳りが、急速落下に至るシナリオを暗示していた。その後、深い混迷の中に彷徨(さまよ)い、遂にバブル崩壊の時期が遣(や)って来る。
こうした節目は、何も社会現象だけとは限らなかった。気付かぬうちに、個人の日常生活の中にも忍び寄っていた。昭和が平成に変わった時点で、もう暗い翳りが忍び寄っていたのである。しかし、この翳りの忍び寄りに気付く者は殆ど居(お)らず、世はまさに、平成バブルの絶頂に浮かれていたのである。
─────吉岡文太郎の焼き入れが終って、凄みのある演技をしてくれた野村剛士に、今晩のアルバイト料の5万円を渡した。演技の時間は30分程度のものであったろうが、熱の籠(こも)った演技は、一人の人間を改心させるには充分な迫力があった。
洗面所に連れて行き、メイキャップを落させ、普段の十代後半の少年の姿に戻してやったのである。5万円を受け取った野村は、ほくほく顔で帰って行った。
●第一日目の終末
私はその後、直ちに予備校に戻らねばならなかった。川田女史を個別指導のアドバイザーとして置いて来たからである。“焼き入れ”は野暮用であったが、ボディガードの依頼を受けている以上、依頼された期間の10日間は、きっちりとガードし続ければならなかった。
野村と分かれて、予備校に戻り付いたのは午後10時を過ぎていたであろうか。
個別指導の最終クラスは、午前零時が最終で、午後10時から予備校に遣(や)って来ると言う、現役高校生も多かった。この午後10時から午前零時までの最終クラスは、一種の人気の高い学習コースで、特に“夜型人間”には大いに受けていた。深夜になって頭が冴(さ)えて来ると言う夜型人間は、受験生には特に多く、受験を控えた中学三年の難関校受験クラスや、高三生の大学受験クラスは、こうした夜型人間が多く居たようだった。
そして午前零時、予備校が退(ひ)ける頃、予備校前には父兄の出迎えの車が多く並び、これを整理して、生徒達を親許に送り届けるのも私の仕事であり、一苦労だった。交通整理擬いの誘導員に、塾長自らが奔走しなければならないのである。
生徒達を親許の車に乗せ終ると、もう時間は午前1時過ぎであり、JRの最終列車に飛び乗ってという毎日が、私の今日この頃の行動パターンだった。
こうした私の姿を見て、川田女史は声を懸けた。
「塾長さんって、何から何まで大変ですね。朝早くから取立屋をして、夜遅くまでハードなお仕事をされる。まるで“寝食を忘れて勉学に励む”難関校に立ち向かう受験生みたいですわ。御苦労さまです」
これは皮肉なのか、本当にそう思っているのかは知らないが、私も吾(われ)ながら、自分の状況が多忙で覆われていることは百も承知していた。吾ながらに、朝早くから夜遅くまで、御苦労なことだと思う。
川田女史を夜(よる)検(み)ると、翳(かげ)りのある美人のイメージが拭い切れない。何かを抱え込んでいる悲愴(ひそう)なものが漂っているように思われる。しかし、その悲愴感を彼女は意図的に隠そうとして、正体を顕わさず、蓮(はす)っ葉な女の、一見軽薄さを露出する。本当はそうではないのだろうが……。
「ああ、お腹すいた。塾長さん、何か食べさせて」
「何かって、何を?」
「わたし、お鮨がいいわ。ねえ、おごって」
「鮨?よく知らないなァ。第一、私は御馳走(ごちそう)したくても、落ちぶれてしまった予備校経営者じゃ、所詮(しょせん)無理な話だよ」
「塾長さんは、わたしのボディガードを引き受けたんでしょ。ボディガードである以上、依頼者の生命を保障する義務がある筈(はず)だわ」
「しかし、私は鮨屋には入らないよ」
私はきっぱりと言う以外なかった。私の財布の中には、千円札が数枚と百円硬貨が数枚しか入っていなかった。野村にアルバイト料の万札を総て出し切っていたので、彼女に驕(おご)ってやりたくとも、勘定が払えないのである。
数日後には、吉岡文太郎の完済した“取り半”の金が入るであろうが、多くはS通商の、今度は私の返済金で吸い上げられてしまう。私の手許には殆ど残らないであろう。しかし、それでも数十万円はある筈(はず)だと思った。だが今夜は、万札が一枚もないのである。
「ケチ!」
「ケチで結構」
「空きっ腹抱えて、ホテルに還って寝れということ?」
「いや、今晩は鮨ではなく、屋台のラーメンにしよう」
「もう、ケチ!」
この“ケチ”という言葉には、子供のような駄々をこねる感情が罩(こも)っていた。
「あんたが借金を全部完済してくれれば、鮨でも、ステーキでも、何でもおこってやるよ」
「そういう言い方は悲観的ですねェ。わたしの今の状況は、純粋に商売の裏付けがあってお金を借り、また、わたしの身柄を塾長さんに保障してもらっているのですよ。わたくし、性悪(しょうわる)な、融通手形などを持ち込んで、街金の高利貸しの方々を騙(だま)しているわけじゃありませんのよ」
こう云った彼女に言に、苦笑しながら、私は遣(や)り返していた。
「しかし、支払期限の90日が111日後に伸びて、商取引に基づていないではないか。こうした期限引き伸ばしと言うのはね、つまり、単に資金の融通を受ける為に、振出や裏書や引受などの行為を言う、融通手形で、実際の商行為とは違うんだよ。俗に言う、好意手形(単に他人に信用を与える目的で振出や裏書または、引受などがなされた金融手形)なんだ。現に、期限が伸びてしまったことが、それを物語っているじゃないか」
「まァ、そういう見方もあるでしょうが、それは悲観的です。悲観的に物事を見てしまえば、総てが悲観的に映ってしまい、実態を見ることが出来なくなりますわ」
彼女は何処までも強気で押していた。
「それはそうだが……」
しかし私も、彼女相手に必要以上に熱弁を奮う必要はないのだと、抗(あらが)う鉾先(ほこさき)を納めた。
川田女史との議論は、幾ら言い争っても、結局は、私の負けになってしまう。彼女の頭は、私の平面思考に対比して、超頭脳的な立体構造を為(な)しているのであろう。所詮(しょせん)勝ち目がないのだ。
私は有無も言わさず、屋台のラーメン屋に引き摺(ず)り込み、遅い夕食を彼女に摂らせてやったのである。ボディガードとしての保障の証(あかし)として、彼女には叉焼(チャーシュー)入り。私は、単にチャーシューの薄片を具とした“汁そば”だった。金欠病の私としては、これだけの格差だけでも、その違いを見せつけ、ボディガードとしての保障の証を、彼女に訴えたのだった。
後は食べて、彼女をホテルに送り届け、私は最終に乗って、JR城野駅に行くだけの行動が残されていた。彼女の塒(ねぐら)の届先は、ホテル・ニューTだった。初めての事なので、今日と言う日は、実に長い一日だった。
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