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東洋Vs西洋の縮図 1
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東洋Vs西洋の縮図 1

東洋Vs西洋の縮図



東洋と西洋の違いは何処にあるか。
 それは自然観にあろう。自然に対して何を感じるかである。
 自然を単に体系的な科学の対象と見るか、それを度外視して肉の眼に見えない隠れた部分の有機的なる結合を透徹して、そこまでを観じるかの思考的違いが、そもそも東洋と西洋の対決縮図を作り出している。



●軍礼に見る戦争観

 自然をどう観(み)るか。
 自然から何を観じるか。
 その観じ方が、洋の東西では古来より異なってきた。それぞれに独特の自然観があった。
 東洋では、自然の中に隠れたものが存在するという霊的な部分まで、自然の中に見出してきた。
 その顕著なる異なりが、かの『孫子の兵法』の中に見て取れる。

 『孫子』の戦争観は、孫子特有の有機体の中にある。そして兵法全体を、一大有機体と看做
(みな)しているのである。
 総ては一大有機体とする孫子特有の戦争思想は、したがって文章の断片を捉えても「藕糸
(ぐうし)の絶えざる如し」となっているから、この譬喩(ひゆ)を額面通りに考察すれば、当然今日の自然科学で言う科学的体系とは同一でないことが分る。つまり科学的体系は、逆説的に見れば、有機体として観察・観測することが出来ないのである。科学的体系では、断片的にも全体的に辻褄(つじつま)が合うとは言い切れないからである。

 有機体は「隠れた部分」を内蔵している。表面からでは眼に見えない部分を持つ。
 これは有機体が科学的体系で、整然として眼に見える部分だけで構成し、かつ繋がっているとはならないからである。

 科学的と云う言葉だけを振り回せば、霊的なる、眼に見えないものが一切無効になり、これを非科学として葬り去る暴力的な傾向に陥ってしまうからである。
 何事も、科学的だけでは割り切れず、霊的なるものを唯物弁証法だけで、心の中まで解明して、それを体系として辻褄合わせをする発想は、西洋崇拝の貧相な考え方に他ならず、思想全体を賤
(いや)しくしてしまうからである。危険此(こ)の上もないと言えよう。

 『孫子の兵法』は二十世紀のみならず、二十一世紀に至っても未だに研究され、心ある現代人に間では猶
(なお)も読み継がれている。それは現代にあっても、読み継ぐ人の中で、孫子を単に科学的体系として捉えるのでなく、そういう科学的なる言葉の一端として捉えきれぬ「何か」があると、その匂いを観じているからであろう。故に研究もされ、読み継がれるのである。

 孫子は考えれば、単に兵法書と言うに留まらず、特異なる人生観までもを繰り広げている。言わば人間学の要素も含まれている。人間の行動原理までもを描き出している。
 それゆえ大義名分を一つ掲げるにしても、戦争に至るメカニズムを有機的なる繋がりで解釈して、読み解いて行かないと、言葉のあやに搦め捕られてしまって短絡的な結論を導いてしまう。

 例えば、『孫子』の「計篇第一」には「算多きは勝ち、算少なきは勝たず、況
(ま)していわんや算なきにおいてをや」とあるが、これを言葉通りに捉えては、先入観ばかりが多くなり、また体系的手順に遵(したが)って読み解いても、暴走を繰り返し、孫子が声を大にして言いたかったことは伝わって来ない。

 つまり「算多き」を、どう捉えるかで結果が違ってくる。
 更には、孫子が言う「兵は詭道なり」の解釈も大いに結果は異なってくる。つまり、これは正攻法か奇襲かでも異なり、況して「算少なき」となれば、単に勝算がないから無謀であるか……、否かの解釈も異なってくる。
 しかし、歴史の中にはしばしば「算少なき戦い」を展開して、勝ちを納めている事実が登場する。
 例えば、日本戦史では源義経の鵯越、楠木正成の千早城、織田信長の桶狭間などである。これらの戦いは、まさしく算少なきであった。しかし算少なきでありながら奇蹟的な勝算を納めている。

 算少なきは、果たして負けるのか。
 近代戦は、確かに物量の時代に入り、経済が大きく物を言う戦争が展開された。大東亜戦争はそれが顕著だった。戦史評論の世界では、日本は米国の物量の違いに敗れたと言うデータまで出ている。物量戦に敗北したとある。

 しかし、敗れたのは物量よりも、日本人の戦争観に問題があったのではないか。当時の昭和陸海軍の戦争目的を明確に出来なかった戦争観に、そもそもの敗戦の色を隠していたのではないか。
 現に、先の大戦当時を思うと、例えば昭和十八年の時点で日本は、まだ負け戦を演じているとは思っていなかった。この年の暮れ、イタリアは早々と降伏している。

 ところが、日本は、「廟策
(びょうさく)狂えり」とは思っていない。それすら疑っていない。勝ち進んでいると思い込んでいる。
 真珠湾以来、依然と勝ち戦の上を突き進んでいると信じ、日本の戦争目的は「孫子路線」をひた走りしていると信じ込んでいるのである。
 つまり、背景には、戦後指弾された在
(あ)り来たりの皇国史観があったからである。そして、この背景下に日本の誤った選択肢が在ったものと思われる。

 歴史を振り返れば、近代戦史の中に、孫子を充分に解せない、有機的結合なる隠された部分を見逃した観が否めないのである。
 『孫子』の思想体系には、孔子以来の「道」の存在がある。『孫子の兵法』は道に則して書かれているのである。ある意味で、「道」を知らなければ殆
(あや)うきこと限り無しで、油断ならない書と言える。
 つまり孫子は「道」を力説して憚
(はばか)らなかったのである。「道」をこんこんと説いた書とも言える。

 では、孫子の力説する「道」とは何か。
 それは「礼」に他ならない。
 孫子は兵法の中には、「道」も併
(あわ)せて説いているのである。そこには人の禍福も併せて説かれている。大人生観と言ってもよい。
 多くの孫子の解説者や註釈者は、「道」の存在を見逃した観がある。字面
(じづら)だけを追い掛けて、文字を翻訳したに過ぎなかった。
 「道」は、一種の理想郷を説く、絶対的な王道と考えるべきである。「道」を念頭に置いていないと、肝心なる隠れた部分を見逃してしまう。

 それゆえ孫子は繰り返し「兵は詭道
(きどう)なり」と云う言葉で、これに対比する言葉を読者に訴えているのである。つまり、“詭道”なる言葉そのものが「道」ではなかったのか。
 では、詭道とは何か。
 人を欺く尋常でない手段である。そうした詭計を含む戦法である。それは同時に鬼道
(きどう)に通じた道でなかったか。
 あるいは幻術とか妖術の類
(たぐい)であるかも知れない。これを詭道という。そして詭道は、また「道」でもある。

 この「道」の意味を有機的結合から読み解き、隠れた部分まで透徹しなければならない。そこに「道」の真髄がある。
 また、背景には『易経』と『論語』の影響も大であり、例えば「勇猛」は、隠れた部分を読み解けば、「軍礼」と言うものが隠されていて、この軍礼こそ「戦争呪術」であったといえよう。
 戦争呪術に『易経』との絡みを見れば、例えば易でその卦
(か)が「困(こん)」であったとしよう。困は水の上に沢である。暗鬱(あんうつ)で湿りを含んだ陰湿さが含んでいる。この卦は八方塞がりの「凶卦」の一つとされる。前途には最悪なる凶事が待ち構えている。
 この卦を軍事に照らし合わせて読む場合、一般の常人では「最悪」と読んでしまうだろう。

 ところが大人
(たいじん)ともなれば、「吉卦」と読む。
 大人は小人
(しょうじん)とは異なる。これは読み解く次元が異なっているからである。
 大人は、その言葉の裏の意味、あるいは卦の裏に何かが隠れていて、その隠れたものを状況判断として読み解くのである。大人にとっては、「困」は最悪なる八方塞がりと捉えるのでなく、度外視して「わが願望は亨
(とお)る」と読むのである。このこと自体が実に凄いのである。凡夫(ぼんぷ)小人には到底真似の出来ない芸当である。
 したがって、大人と小人とでは正反対の解釈の意味を持つのである。

 これは知識に照らし合わせて、体系的に順を追う西洋式思考とは異なるのである。
 大人は体系の背後までもを読み、有機体としての隠れた部分の全体像までもを読み解くのである。体系順なる系統樹の下に真理は隠されていないことを知っているからである。
 樹状図の下に本物は隠されていない。系統樹は「まやかし」と検
(み)る。
 つまり、大人君子にとっては、「困」は困難ではなく、困難が前途に横たわっていようと如何ほどのことでもないのである。そして、天地機運の覆
(くつがえ)る秋(とき)と捉えてしまう。

 大人の戦争観には、読みの巧みさにおいて小人を凌駕
(りょうが)しているばかりでなく、全く気落ちと言うものがないのである。
 易の理に遵うも、仮に卦が裏目に出たとしても、裏目を額面通りに捉えてそれで気落ちして、背後に隠れた理が読めないのでは、単に小人であり馬鹿者だと看做すのである。それは大人と小人の人間的構造が異なるからである。その異なりは、霊的構造まで異なっていると検るべきであろう。

 隠れた部分を検る眼と、小人には真っ暗で何も見えない闇の中を視る、視界の明るさや視力の相違も、大人には深く透徹し闇所まで見抜き、また聲
(こえ)を聴いても審(つまび)らかであって誤りが無いのである。超人的資質も此処にあり、天が何処までも高く測り得ないように、また底は淵深くその底は測れないように、かのウェーバーMax Weber/ドイツの社会学者。近代資本主義の成立とプロテスタンティズムの関係を明らかにした。著の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は特に有名。1864〜1920)が論じたように大人には、カリスマ的支配の人を心酔させる資質と能力がある。その形容は、底知れぬ深みとでも言うべきであろう。

 更に、大人の威厳は外に示し、しかし内心は人に測らせないし、また真意は決して読まれない。何しろ複雑な要素を一身に溶かし込んでいる。全貌は、凡夫
には容易に掴めない。多面性を持つ。
 また思考は、決してワンパターンの平面的ではない。立体的かつ多次元的である。そして時には、端倪
(たんげい)すべからず変化を見せる。
 そのうえ決断力も早く、手を替え品を替えは、あたかも即興詩のように作ってみせる。
 ゆえに大人の心中模索は不可なのである。「礼」を知る者の特長である。

 これはある意味では易占の達人は大局的な戦争観を持っているから、気落ちしない楽天家的な面があり、易の卦が如何に凶意を持っていたとしても、裏を読めば必ず救いの方向性が示されていると検るのである。八方塞がりと捉えるのではなく、これを好機と捉え、陽明学的に言えば「事上磨錬」を通じて自身が困難に直面することで、ひと回りもふた回りも大きくなるという、「今は試煉の時機
(とき)」と捉えるのである。困窮して歎かないし、窮地に立たされて恨まない。
 そして此処まで読み解いてしまう背景での神通力的な自信は、確たる戦争呪術を心得ているからである。つまり軍礼の何たるかを知っているからである。

 つまり戦争呪術は、軍礼により、礼を用いれば軍隊は「神懸かる」ということで、軍全体を鬼神
(きじん)あるいは鬼軍(きぐん)にしてしまわねば、「道」は“詭道”になり得ぬとしていることである。
 ゆえに、兵は詭道なりなのである。鬼の道にそのまま通じているのである。

 長い間、孫子研究者もあるいは洋の東西の軍事研究者も、詭道なる「道の存在を見逃し、これを縦横に調査研究しなかったし、字面をただ解釈して、字面通り、額面通りに言葉だけの解釈の留まっていたのである。その解釈において、科学的体系を重要視しただけであった。肝心なる隠れた部分の有機体という全体像を見逃してしまったのである。
 単に仕分けし、分類し、専門化して細切れに、断片的に、言葉のあやに釣られて、隠れた部分に鬼軍に変貌させ、巧みに変化する「軍礼」を見逃していたのである。

 また、明治以来の西洋式調練や練兵は、確かに軍事や軍規を体系的に明らかにし、イタリアのマキアヴェリの主著『君主論』に由来する、君主の統治技術は明確になるにしても、そこに至る近代政治学を「体系」と看做したところに問題があり、明治政府下で実践された西洋練兵システムは、軍礼にまで気付かせる要素は何一つ無かったのである。組織戦闘に重点が置かれていたからである。

 数で圧倒する、正攻法的な戦闘術である。そ
 の戦闘において合理的なる体系が存在したに過ぎなかった。そして、戦争をする人間の霊的なる隠れた機能を見逃した観は否めない。
 また霊魂が鬼神化することを見逃すだけでなく、この行為を野蛮極まる迷信と一蹴
(また)したのである。

 この重点欠落は、一方的な組織抵抗を企てるだけで、とどの詰まりは、最終的には白兵突撃となって悲劇を生むことになる。また罪悪感から、精神に障害を来す者も出た。
 大正・昭和と陸海軍の歴史を重ねるごとにこの悲劇は、やがて戦争目的を不在にさせ、精神主義で近代戦を戦う蛮行なる戦法まで考え出された。これは日本人とって悲しい歴史を堆積させたに過ぎなかった。
 「礼」が欠如していたことも、先の大戦の敗因を齎した一つであろう。

 『孫子の兵法』は当時も大いに研究されていた。
 ところが、『孫子』の読み方において、鬼神に祈願する「礼」までは読み解けなかった。礼の中に凄まじいエネルギーを噴出させる源泉があった。
 戦争呪術を見逃して『孫子』を字面で解釈したところに、先の大戦での一つの敗北の要素があったと言えるのではあるまいか。

 孫子の説いた「詭道」の背景には、将兵の凄まじいエネルギーの出所を明確に論じている。ただの正攻法を軍事理論によって論じているのではない。隠れた有機体の存在までもを、言葉少なめに、端的に述べているのである。その端的の裏に、詭道の根本である「軍礼」すなわり、戦争呪術の妙が隠されていたのである。

 将兵の奮戦振りは、単に意気軒昂だけの現象から起こったものでない。士気の昂揚も、換言すれば戦争呪術からなるエネルギーの貸借であり、この貸借で将兵は鬼軍にも、また士卒の一人ひとりまで鬼神になり得たのである。

 「道」には、軍礼を通じて、孔子以来の「礼法」が説かれている。
 この礼法は科学的体系では説かれないものである。また、説き明かせない。
 それは霊的な分野が絡んでいるからである。それは同時に「いつ仕掛けるか」という時期を含み、仕掛ける日時は戦争指導者の偶然から、あるいは事の流れの自然体で決行蜂起しているのではない。礼によって割り出すのである。神に決行のお伺いを立てるのである。
 これにも礼があり、この礼は「軍立
(いくさだて)」によって割り出される。



●いまだ東洋に残る軍立の儀礼

 軍立は軍礼に基づくもので、まず礼を以て天地鬼神に誠意を示すことから始まる。その上で戦う日時を割り出すのである。
 そもそも戦うことは、大義名分を並べ立て、美辞麗句を駆使して字面をよくしても根本には、“人殺し”をすることには変わりなく、何処までも罪悪感が伴う。美文で綴
(つづ)った“聖戦”を謳(うた)っても、人を殺すこと拭い難い事実となり、大儀のための殺人という罪の意識を緩和するとともに、勇猛心を奮い立たせ、兵士の士気を高揚させるために、古代より必要な儀礼と考えられてきた。

 この儀礼を通じて天地鬼神の力を借り、それを将兵に乗り移らせ、その暗示的作用が催眠状態となって効果を発揮させるのである。催眠状態に掛かり、暗示に憑かれ、鬼神が乗り移れば、憑かれた将兵は恐怖も痛みも和らぎ、勇猛に戦うのである。
 また暗示作用の効果としては、鬼神を引き寄せ、憑かせることで、目前の敵を見て、敵の総てを殺戮して酔わせるための、ただそのための闘う戦士と化すのである。
 戦場呪術は全将兵を戦人
(いくさびと)を化してしまうことを目的として行われる。

 この種の呪術に似たものは、今日でもイスラム圏諸国で度々見ることが出来る。
 一見、蛮人の軍隊のように映る戦争呪術の後に戦いをしかける方法は、文明国の合理主義で構築された文明軍隊より強いとすれば、これは人間の持つ暗示が掛かり、鬼神が憑いた結果と検
(み)ることも出来るのである。その意味での“聖戦暗示”は、戦法において大きな効果を発揮していると言えよう。

 そして戦争呪術を現在も行使し、礼を欠かさない軍隊は、西側諸国の文明国が古代の軍礼を削除し、現実戦争としての背景に霊的な力が働いていることを秘事として知っているからであり、その一方で文明人は戦争の呪術を行使することに躊躇
(ためら)いを感じ、禁忌として嫌っているからであろう。
 その呪術の代用として、科学的体系なる戦手順が合理主義の名の下に構築されたのかも知れない。

 そもそも戦争は、古代においては部族同士の存亡を賭けての争いであった。それに賭けて闘う以上、負けてはならず、どうしても勝って生き残るためには戦いの背景に、これまで連綿と続く祖霊を持ち出す以外なかった。祖霊は戦士の先祖霊であり、先祖の礼に勝ち戦を呪詛したのである。
 つまり、戦いは単に生きている人間だけが闘うのでなく、祖霊しての先祖にも霊的な方面で一緒に闘ってもらうのである。その時、先祖の霊は生きるものに鬼神として乗り移り、憑くのである。
 それは一族の鬼神も、一緒に生きている今の兵士とともに決戦することであった。

 決戦とは、またそれを霊的に考えれば、神に捧げる戦いと解してもいいのである。古代の戦争では戦いそのものが、祭祀
(さいし)の一形態を為(な)していたのである。
 戦争は悲惨なものである……。
 現代人なら誰でもそう思う筈である。
 また、確かに悲惨なる残酷面を多くない方している。したがって、戦争や絶対に遣るべきではない。これは正常なる、法を知る者ならば誰でも持ち得る共通の考えであろう。

 ところが、こうした共通の思考を持ち、常識なる正常な考え方を持ちながらも、時として戦争をする場合がある。已
(や)むを得ずという状態が起こる。
 戦争を起こさないために智慧を絞り、阻止するために多大な努力を払ったにも関わらず、遂に最悪の事態の戦争が起こる場合もある。近現代史だけでも、人類は二回の世界規模の大戦争を仕出かしている。
 抑止力は効果が薄いようである。

 極言すれば、これまで戦争が抑止できなかったことは、これからも完全なる戦争抑止の決め手がなく、時と場合に応じては、再び世界大戦へと発展する可能性があるのである。現に、戦争の火種は至る所に転がっているからである。それも不安定なるミリタリーバランスで、一触即発の状態出である。
 その場合の大戦争構図は、“東洋”対“西洋”になるのではあるまいか。

 洋の東西を問わず、戦争に至るメカニズムの中には、深層心理の中に鬼神を遣い、鬼神に捧
(ささ)げる霊的なものが含まれているからである。深層心理で適者生存という興亡に賭けて闘うのであるならば、同然、戦いには鬼神が出没する筈で、鬼神を抜きに戦争論だけを論ずることは出来ないであろう。
 人と人の争いや諍
(いさか)いは、当人同士の意見の喰い違いや主義主張、更には宗教の異なりだけではないようである。深層部にそれぞれの深部に鬼神が巣食っているからである。

 そして、『孫子』を始めとして戦う作法には背景に「礼」があり、鬼神の用い方があり、そこに祭祀の法があったと思われる。
 戦闘の鬼
(き)に憑かれることは、そもそもが軍立をする中で「礼」と考えられて来たのである。
 特に東洋では「礼」の考え方が濃厚であった。また西南アジアに属するイスラム圏でも当然その「礼」は伝統的に残っており、現代でも「礼の暗示」によって催眠状態に陥った兵士を自爆戦士として、天国に至る約束を暗示させる鬼を使い、強靭
(きょうじん)な兵士に仕立て上げているようだ。

 つまり強靭なる兵士は、礼として義
(ただ)しいから、その戦いは聖戦となるのである。ゆえに西欧の侵略者視する多国籍軍やジャーナリストに幾らでも残虐な行為が出来るのである。それは仮に皆殺しに至っても、それを実行した兵士には聖戦を戦う以上、罪の悪しきは殆どなく、罪の意識から解放される。また残虐行為にしても、罪悪感などは殆どなく、戦う前に緩和されているから、自ら自爆戦士を買って出ることが出来るのではあるまいかと考えるのである。

 そして、東洋におけるアジアの各地では、中途半端な無神論者である日本を除く国々では、未
(いま)だに種々様々な戦争呪術が残っているようである。古来より動物を屠(ほふ)る伝統をもつ国ではこの種の呪術が残存する。生贄として神に捧げ、「礼」を用いて勝利祈願をするのである。

 現代でもイスラム圏の軍隊やゲリラは、自らの信仰とともに、神に勝利祈願をする呪詛があり、併せて大麻などの麻薬系薬物などを使用して、強靭なる兵士を養成している。更に、西南アジアにおける戦域では、西欧よりアラブの方が強悍
(きょうかん)なのは、戦争呪術の呪詛の大差なのかと思われる節もあるようだ。
 何故なら、アラブ人の中に無神論者は殆ど居ないからである。彼らは、生活の中で神と共にあり、神と共に闘うからである。

 近代資本主義がウェーバーの唱えるように、その著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にある通り、経済の根本にプロテスタンティズムの関係があり、他方の東洋圏では経済の根本に儀礼などを含む祭祀があったと考えられる。何れも信仰より起こっている。
 そして背景には、勝利祈願の言葉としての呪術がある。また強靭なる勇猛な戦士にする呪詛がある。



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