運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
旅の衣・前編 5
旅の衣・前編 6
旅の衣・前編 7
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旅の衣・前編 33
旅の衣・前編 34
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旅の衣・前編 36
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旅の衣・前編 40
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旅の衣・前編 60

人の妬み。嫉み。悋気(りんき)、そして焼餅……。
 格言に「焼餅焼くとて手を焼くな」というのがある。
 ほどほどが欠ければ、過ぎるものになり、嫉妬は過ぎると、その禍は自分の上に降り懸る。
 身分相応。ほどほど……、肝に銘じたいものである。


●ヒットマン

 私の歩く暗闇(くらやみ)の前方から、一人の男が近づいて来た。しかし誰だか分らない。
 その分らないものに躰が妙に震えた。どうしようもない震えを覚えていた。生理的なもので、それは戦慄といってもよかった。そしてガタガタと骨鳴りがするような気がした。
 何かに、躰が妙に反応しているのである。
 だが一方で、妙に静かだった。静か過ぎる。狙われているような静かさだった。闇に潜む静かさである。
 近付いて来る男が、別にどうかしたというのではない。また挙動不審でもない。
 しかし、何処かで見掛けた気がしないでもなかった。
 あるいは、見たのかも知れない。何処で見たか分らない。思い出せないだけかも知れない。
 果たして私を付け回す尾行者か……。そんな不審が湧いた。だがそれを一方で否定する安易さもあった。
 果たして何れを採るべきか。
 しかし何故だか、肌が引き攣
(つ)りを起こした。反応である。
 その反応から、間違いなく尾行者だと思った。尾
(つ)けられていた。
 だが別段、意識的に男を識別した訳でない。そういう気がして、それが一瞬脳裡を過ったのである。何かの危険を報
(しら)せているようであった。その報せは、無意識の闇の中で迫り来る危険を暗示しているようにも思えた。

 殆
(あや)うし……。不穏な胸騒ぎである。何かが騒いでいる。それが急速に近付いている。
 何者かに捕えられている……。ターゲットとして捕捉されている。
 率直な勘であった。
 しかし一方で、それを否定する材料もあった。果たして尾行者だろうかと言う懐疑から、自分が疑心暗鬼に陥っていて、状況判断を誤り、単に混乱を来たしているのではないかと言う疑念もあったからである。
 世に、「杯中の蛇影」という言葉もある。疑えば、何でもないことでも神経を悩ますもとになることなる。
 その何
(いず)れか……。思案する所であった。これ自体が、既に疑心暗鬼だった。
 一瞬、愚かだ……と苦笑する。そして頭
(かぶり)を振った。心の湧いた懸念を打ち消してしまった。ここは電車通りであったからだ。深夜のためか人気はなく、辺りはひっそりと静まり返っていた。
 時折、遠くからパトカーらしき、車のサイレンが聞こえるだけであった。それがまるで犬の遠吠えのように尾を引いて聴こえるのである。
 そうした中を、一人の男が歩いて来た。何だろうと思う。
 私は咄嗟
(とっさ)に逃げることを考えた。しかし、私に、三つのことがそれを思い止まらせた。

 それは第一に、たった今の対決から、単に私が狼狽
(うろた)え、被害妄想に取り憑(つ)かれ、疑心暗鬼に陥っているのではないかということであった。
 第二に、その男の服装は真夏でもきちんと、背広にネクタイという如何にもサラリーマン風の恰好をしていて、銜
(くわ)え煙草(たばこ)をして、呑気(のんき)な風体(ふうたい)で歩いていること。
 第三に痩せ型で、分厚い眼鏡
(めがね)を掛けていて、髪を櫛(くし)で丁寧に撫(な)で付け、几帳面(きちょうめん)で神経質な、市役所の市民係の窓口に居るような、気の弱そうな下級官吏(かきゅう‐かんり)の職員を想像させ、クソ真面目な男に見えたことであった。肝心なところを安易に見下してしまったのだろうか……。
 思い過ごしだろう。私の思考が乱れているのかも知れない。あるいは関わりのない二つの物事を、無理に重ねているのかも知れない。いまは乱れているから、正常に物事を考えることが出来なくなっているのだろう。
 こういう安易さが不覚へと誘っていた。

 私は心の中で、この男は刑事なんかではない、まして奴等が先回りをさせたヒットマンではない、という一つの気の弛
(ゆる)みがあった。
 だから、疑心暗鬼に陥って、オドオドしてはいけない、という気持ちで、その男の横脇を擦
(す)れ違おうとしていた。そして、その時だった。
 男は感情のない平板な外貌
(がいぼう)であった。能面のように映った。
 その男の眼鏡に中の小さな目が、刃物のように鋭く炯
(ひか)った。その烱りには酷薄さを感じた。眼の烱りの中に暴力的なちぐはぐさがあった。異様である。何となく裏社会の臭いを漂わせていたからである。その途端、私には不穏な違和感が蘇った。無表情に漂う凄みがあった。ふと、血の凍るという月並みな一言が思い浮かんだのである。その対峙(たいじ)した距離は、僅かに一間いっけん/六尺で約1.818m)ほどである。

 擦
(す)れ違おうとする双方の影は、街灯に照らされて、地面に短く這(は)っていた。影が交差の瞬間、急速に接近する死の忍び寄りを感じた。それは数歩踏み出した時機(とき)であった。
 (待てよ、まさか。しかし……)と交互に否定と肯定が繰り返され、そして思い直した時機
だった。残虐が襲ったのである。
 いきなり、その男は擦
(す)れ違い態(ざま)に、背広の内側に隠し持っていた登山用のピッケルを振り翳(かざ)して、私の頭上目掛けて、それを叩き込んできたのである。
 この時、初めてこの男が何者か、瞬時に分かったのである。
 その打ち込みは躱
(かわ)す隙(すき)が無いほど、鋭く速いものであった。プロの仕業(しわざ)であった。まさに『兵は詭道(きどう)なり』であった。人を欺(あざむ)いた遣(や)り方である。私に油断があった。

 不覚にも、不意を衝
(つ)かれていた。迂闊(うかつ)だった。
 近ごろ現われたスーパー珍種のヒットマンであった。昨今は見た目が決して強そうでない奴が、ヒットマンをやっているようだ。そうした人間の殺意を、安易に見逃していた。あるいは故意に殺意を消している巧妙な作りを見逃していたようだ。
 笑みを浮かべてニヤニヤ笑いながら、漫才師か道化師を装ったヒットマンすら居ると云う。あるいは知恵遅れの身体障害者を装って、ターゲットに接近するとも云う。決して奴等は強そうに見えない。ターゲットにされた者は、辺りを警戒しながらも、この点を見落としてしまうらしい。また、そこが“思う壷”なのである。

 例えば、イスラム圏から繰り出される自爆テロは、決して強そうでない者
(例えば女、子供、老人、更に不具者)が進んで志願し、遂に自爆を遂げて、大勢を道連れにする。その中には、圧倒的に弱者が多い。だが弱者を装った者には確固たる意図があり、不動の死を恐れない信念がある。
 警戒者は、体躯とか性別や身形で判断するから、まんまとしてやられるのである。
 私は、頭上に向かって直撃するピッケルの第一打を、何とか躱
(かわ)したものの、第二打が素早く襲い、先程鉄パイプらしき物で叩かれた、同じ場所をこの男の持つピッケルで打ち砕かれてしまったのである。
 その第二打の鋭い襲撃は、私の頭上を外れたものの、左肩に突き刺さったのであった。それはまるで、肩から背中にかけての不随意筋
(ふずいきん)に、高圧電流が疾(はし)るかのような激痛であった。一瞬の躊躇(ちゅうちょ)と、油断した隙(すき)を狙われたものであった。この男に対する観察眼が甘かったのだ。しかし、そう思っても後の祭りであった。躱し損なって、負傷したのだった。
 私はT公園の乱闘で総てが終ったと、早々と勝利の祝杯を心の中で上げていたのである。そもそもこれが間違いの元であった。武術の基本の「残心」を取るべきだった。
 また、人と人の接し方は、真正面に立つのはよくない。そうした基本すら、安堵
(あんど)のために軽く考えていた。最後に隙があったのである。

 世の中では、政治でも、外交でも、あるいは人と人との議論においても、「常に斜め」に構えなければならなかった。その禁を犯したのだった。
 人と人の構えるべき動作は、「斜め」に構えて迎え撃つのが武人の常日頃の心得だった。
 世の中の処世術も、人と人の交渉も、日常の暮らし方も、苦難や窮地に追い込まれた場合の突破法も、基本動作から思えは、まさに「斜め」に構えなければならない。「斜め」に遣り過ごさなければならない。いま思えば、その通りだった。それを安堵
(あんど)の余り忘れていた。否、怠慢だった。
 人生舞台は平時でも戦時でも、常時戦場であることを忘れていた。虚を衝かれたことは不覚だった。

 山村師範は常々、私にこのように教え諭
(さと)していた。
 「敵の攻撃を真正面で受けて立つべからず。常に斜めに向かえ」と教えていた。また「大敵に向かって真正面に位置してはならぬ。吾
(われ)より攻撃してはならず。敵の来るのを待って迎撃(げいげき)すべし」と。
 本日の戦いは、夜陰に乗じて吾より躍
(おど)り出た。先手攻撃を掛けた。先の先をとった。これ事態は、多勢に無勢だから許されよう。充分に引き寄せたから、これは許されよう。
 しかし、たった今、人を躱
(かわ)すのに、斜めに構えず、そこを狙われて負傷した。半身になるべきだったのである。迂闊(うかつ)だった。
 真正面の禁を犯したのだった。

きりきりしゃんとして咲く桔梗かな

 かの小林一茶すらこう詠んで、てきぱきした対処法を教えているではないか。てきぱきした動きは、斜めに構えることにより、達成されるのである。
 また、大勢と抗する場合も、真正面はいけない。側面から攻撃して「虚」を衝かなければならないのだ。そして一旦、先方から攻めさせて、これが来るのを待って、斜めから刺殺せよと教えているのである。
 それがまた「きりきりしゃんとして」という言葉を導いたのだった。桔梗とはそう言う花であるらしい。それが「甲斐甲斐しい」を連想させるのだ。てきぱきしている様子を思い浮かべさせるのだ。これはイメージであろうが、あたかも「有能」を彷佛
(ほうふつ)とさせるのではないか。
 しかし今になって、こうしたことを歎いても仕方なかった。“覆水
(ふくすい)盆に戻らず”だった。

 そしてその男の第三打が、今まさに打ち込まれようとしていた。
 下手をすればこのまま、この男のピッケルに叩き殺されてしまう。そのような恐怖感を抱いた。
 暫
(しばら)くの緊張が続き、私は身構えて、この男と格闘しなければならないと思っていた。
 しかし、道路の向こう側から、赤い点滅灯
(てんめつ‐とう)をつけたパトカーがこちらに近づいて来た。
 男は何事もなかったように、自分の持っていたピッケルを上着の内側に仕舞い込み、急ぎ足でこの場から一先ず立ち去り、その隙
(すき)に私は走って、近くのトラックの車輪の下に転がるように潜り込んだ。もう絶対絶命だった。



●絶体絶命

 キリキリ痛む左肩を抑えて、その掌
(てのひら)に付着したものは、ベットリとした血であった。そして錐をも見込むような痛みがあった。その痛みは、肉に、骨に、食い込み続けた。肩の奥の方で骨が軋(きし)み、わなないた。この儘(まま)、男と格闘していたら、あのピッケルで殺されたかも知れないという虞(おそ)れを感じていた。まさに間一髪(かん‐いっぱつ)だった。
 しかし、あまりの恐ろしさに何故
(なぜ)か、震(ふる)えが止まらなかった。また、足が竦(すく)んだ感じだった。肌に寒さが疾(はし)った。冷(ひ)えが凝縮している感じだった。気付いたときには怯(おび)えが取り憑(つ)いていた。足が竦んで動けなかった。一度取り憑いた恐怖は、中々消えるものではない。
 それはあたかも、たった一度でも恐怖に取り憑かれたボクサーが、二度とリングに上がれない心境と同じである。人生に一度でも恐怖に取り憑かれたら、血の勝負師は終わりである。私の人生の終焉
(しゅうえん)が辺りを支配し始めていた。

 心の中で、「動け、怯懦
(きょうだ)を捨てて」と気合いを懸(か)けるが、思うように動けなかった。
 竦
(すく)んで、どうにもこうにもならない。臆病風に吹かれると確実に死ぬ。そんな“死の予感”が辺りを支配した。危険を悟り、死を夢想する感覚が、動かなくする。人間はこうなると弱い。
 愚かにも最後の最後に油断し、自制心を失い懸けていた。
 とにかく死に物狂いで、竦んだ位置から、「生」に向けて、第一歩を踏み出したのである。
 「生」と「死」は、まさに自分自身の中にあった。二つは傾く天秤
(てんびん)の中に同居し、左右に分かれて対(つい)をなしていた。そして、人間は撹乱状態に追い込まれ、一旦恐怖に取り付かれてしまうと、今まで覚悟が出来ていた死の恐怖の克服も、一挙に崩壊する。絶体絶命だった。

 再度の攻撃を警戒して、私は自分の指の関節が痛くなるほど確
(しっか)りと、対決に使った金槌を握り締めていた。気を抜けば、そこままである。また、戸惑いも禁物であった。一瞬の迷いや疑念があると、それ自体が自身の命を断つ事になる。脳裡には、殺し屋の影が付き纏って離れない。その影が闇の中で、ぼんやりと浮んでいた。
 パトカーが通り過ぎた後、また靴音が響いて来た。あの男が、私を探しているらしかった。
 死刑執行人のような男は、以外にしつこく私を追い回していた。執拗
(しつよう)な程に……執念深く……。
 何と凄
(すご)い奴だと思った。狡猾(こうかつ)な奴だと思った。
 あれでこそプロなのだという、畏敬
(いけい)の念に似たものを感じていた。世の中には、表面上は決して強そうに見えないが、一旦行動に及ぶと、猛威を奮って襲って来る者がいるのである。「殴殺(おうさつ)する」という次元において、奴等の方が数段上らしい。また、凶器を用いての「鏖殺(おうさつ)の法」も長(た)けているだろう。そしてプロは、不気味なほど静かに戦うと言う事である。
 プロが動き回るのに、気合いや雄叫びは聴こえない。無言である。それだけに不意を突く。
 聴こえるのは、荒々しい息遣いだけである。再び、血の凍るという一語が脳裡を交叉した。

 ではプロのヒットマンと武術家は、どちらが戦闘において優れているのか。これを問うたとき、その腕の差もあるが、要は残忍性で残虐
(ざんぎゃく)な面では、情容赦(なさけ‐ようしゃ)の無いヒットマンに適(かな)う筈はない。彼らは、殺しにおいて素人ではない。死闘を演じることを生業にする殺しのプロである。
 性格は残忍で容赦しない。殺しを、自身の快感に反映している。高等訓練において、人間を屠殺する方法を知っている。人間を意図も簡単に、鏖殺する方法すら知っている。
 人殺しをしない武術家と、人殺しをするヒットマンでは、その「殺し」において対照的で、そもそもレベルが違うのである。残虐・残忍なことを躊躇しない。
 そういう結論に辿り着くと、躰中の震
(ふる)えと、戦慄(せんりつ)が更に趨(はし)り、一瞬の迷いに似た錯乱状態に陥った。
 先ほど深手を追った。肩の傷が焼け付くような痛みが、再び蒸し返した。
 靴音が段々こちらに近づき、痛みに反響する靴音だった。

 これまで私は、何度か九死に一生の急場のピンチを切り抜けて来た。どんな状態にあっても、死ぬ事はなかった。しかし今は、文字通りの満身創痍
(まんしん‐そうい)であった。絶体絶命であった。死を覚悟せねばならなかった。逃げ場を完全に失っていた。
 もやはこれまで……。最期が迫ったものと覚悟しなければならなかった。肚を決めるときが遣って来たことを悟った。死にたくなかったが、最期だと思った。無念である。

 心の中で“享年23か……”と呟
(つぶ)いてみる。「なんと短きことよ」それに呟きに苦笑が混じっていることを感じた。短い人生だったと顧みる。
 そう思った時、一抹の郷愁と、悲しい寂寥
(せきりょう)が流れた。総てが徒労に終った気がした。そして残されたものは、文字通り「死」だった。
 死を思った時、未来が消えると同時に、過去も消え失せようとしていた。
 何のために23年も生きて来たのか、それに意味があったのか。何のための人生であったのか?……と言う懐疑が翳
(かす)めた。
 あるのは寂寞
(せきばく)のみだった。荒寥(こうりょう)の荒れ地が拡がるのみだった。その拡がりには、もう色を留めていなかった。衝(つ)き上げて来る侘びしさが、無常に拡がっていた。無力感が深みを増した。


 ─────最早
(もはや)これまで……という意識は、濃厚になりだしていた。
 顔や手は、トラックの下から漏
(も)れているオイルやグリースで汚れ、また道路の埃(ほこり)で汚れ、もう既に、地獄行脚(じごく‐あんぎゃ)を繰り返していた。
 意識は錯乱状態に中で、朦朧
(もうろう)とし、ややともすれば気が遠くなるのを覚えた。
 後は敗れて、頽廃
(はいたい)に陥り、破滅にのめり込む末路が残されているだけだった。それは私の死を暗示するような、絶体絶命の窮地であった。躰(からだ)も命も、極まるほどの、とうてい逃れられない困難な状態に立たされていた。

 最早これまで……と自らに呟き、早々に覚悟を決めた。死の訪れを待つような死刑囚の気持ちだった。
 此処で死ぬ、何とも無念だ。最後の喘ぎである。これが私の偽わざる覚悟の程であった。それは恐怖そのものだった。だが、それは思い込みによるものだったかも知れない。あるいは勝手な先入観か……。
 一言で云って、状況判断の欠如……。これが愚を招いていた。愚もつかぬ先入観から、早々と未来を諦めているのである。
 脳裡
(のうり)には、火の箭(や)のようなものが駆け抜けていた。これまでの様々な思いが、光の洪水となって過(よ)っていた。それは恐らく死が迫っているからだろう。
 このままでは2〜3分後には、私は確実に、この世から消えていなくなるだろうと思っていた。
 私の死体は無残に放置され、電車通りの路上に遺棄される。明日の新聞の朝刊には奇妙で滑稽
(こっけい)な殺人事件として、三面記事を少しばかり賑(にぎ)わすかも知れない。そんな気持ちで、もう幾許もない死刑執行の時間を待っていた。これまで多くの人を死を見てきたが、今度は私の番になったということだけである。

 私の躰
(からだ)には、全身に熱い血と、アドレナリンが一緒(いっしょ)くたになって駆け巡っていた。
 死の恐怖である。もう、これまでだった。戦う気力すら、なくなり懸けていた。躰も、いうことを聞いてくれなかった。そのうえ追いつめられているという焦りが、更に動きを硬くした。生きながらに死後硬直を味わっているような感じだった。
 静寂の中で、アスファルトを踏みしめる靴音が聴こえて来た。その音が徐々に高まった。
 やがて、私の隠れていたトラックの下で靴音が止まった。驚愕するような恐怖である。
 男は独り言を呟いた。
 「チェ、何とすばしっこい奴だ。まるで猫みたいだ」それは舌打ちする怪奇な呟きだった。
 その呟きから分かったことは、殆ど息を切らせていない。攻める側の余裕を感じさせた。蛇のような執念深さだった。恐ろしい奴である。その恐ろしい奴を思うと、それだけで狂いそうであった。生殺しである。
 私は必死で金槌を握りしめた。

 絶望の底で、せめて人間らしい抵抗を……この期
(ご)に及んでも、まだ無意識に行っていた。抗(あらが)う気持ちがまだあった。それが金槌を確(しっか)り握らせていた。最後の足掻きである。
 しかしこの場所も、やがて発見されるだろう。時間の問題であった。
 プロは、素人にない嗅覚力に優れている。犬のように嗅ぎ回って、獲物を探し当てる。それだけに、独特の勘を持ち、その勘は百発百中的中するだろう。素人の比ではない。

 果たして勝てるのか。
 私の心には一抹どころか、不安の飛沫を大量に浴びせ掛けられた怯えで一杯だった。奸智
(かんち)に長けたヒットマン。殺しのプロである。
 私が何処に身を隠そうと、そういうものは忽
(たちま)ち探し出してしまう。もう傍に来ているのだ。抗って敵の虚を衝こうと、その程度の反撃で闇の中に居る敵を倒すことは出来ない。
 私はしたすら隙を衝こうとする。そんな手に乗るものか。直ぐに否定されてしまう。男の蛇のような執念に一種独特の狡猾
(こうかつ)さがあったからだ。殺し屋なりの根性があった。その執念が、ついには私をこの世から葬る。

 肩に深傷
(ふかで)を負いながら、いま動くことは死を意味するが、このままでも結果は同じことだろう。やがて動けなくなって、出血多量に陥り、後は死を俟(ま)つだけである。やがて死ぬ。
 これでは、男が隙
(すき)を作るより前に、私の方が参ってしまう懸念(けねん)があった。徐々に体力は奪われているのである。その浪費は、時間とともに比例していた。
 男の跫
(あしおと)が直ぐそこに近付いた。だんだん追いつめられているのが分かった。数メートルもないところまで、跫がやってきた。戦慄する瞬間である。喉から心臓が飛び出すか、心臓そのものを凍らせる威力がある。そして恐怖に凍てついたのだった。
 絶体絶命……。生還皆無……。
 脳裡に浮んだのは、これらの言葉だった。

 「野郎、どこに隠れた……」吐露するような独り言だった。
 血を嗅いでいるのである。風に漂う幽
(かす)かな血の匂いを嗅ごうとしていた。嗅覚は獲物の臭いを嗅ぐ肉食獣並みである。
 心臓は絞り上げられるようにわななき、鼓動は烈しく打ち続けた。この鼓動の音すら外部に漏れている錯覚を覚えた。
 とうとう最後が来たか……。
 その最後に根拠はないが、それが最後を感じさせる錯乱の中に迷い込んでいた。
 半分は諦めていたが、残りの半分はなおも往生際悪く、生に縋
(すが)っていた。生と死が同居していた。
 私の気持ちは極度に張り詰め、必死で金槌を握りしめる以外なかった。
 震える手で、金槌を握りしめていた。
 遂に最期か……。もやはこれまで。その最期は死と同義だった。死の刹那と重なり合う。

 しかし人間とは往生際の悪いものある。理性を押し包み、恐怖が取り憑き、引き裂き続けているのにも関わらず、まだ生に固執する。哀れな生き物だ。
 根も葉もない死への想像は、目紛しく先走りしていた。遂に、最期が来たか……と思い、眼を固く閉じようとしたとき、何かの暖かい息と影の動きを感じた。
 奴が直ぐそこに居る!……。距離は幾らもない……。そういう感覚を感じたのである。
 だが、追う敵が何もかも有利であるとは限らない。何故なら、私を殺すためには傍に近寄らねばならないからだ。私は、そこに乾坤一擲
(けんこん‐いってき)の総てを賭ける気でいた。
 勝つ事は出来ないにしても、相撃ちに持ち込みたかった。

 奥歯を噛み締めた。
 その男が、無造作にトラックの車体の下を、顔ごと覗
(のぞ)き込んだとき、金槌を一文字に薙(な)いだ。会津自現流の『皿飛ばし』である。
 皿とは人間の頭骸骨の眼の水平付近から、上半球の箇所を言う。その部位を水平に薙ぎ払うのである。極れば上半球の頭骸骨の皿が飛ぶ。
 皿飛ばしの妙技が、その男の顔面目掛けて打ち付けられた。必死の反撃である。ほんの一瞬の、絶妙の機会を逃さなかった。悪夢のような状況の中で、無意識に機敏に動いていた。
 ガチャンという音がした。ガラスに当った音である。
 確かな手応えを感じた。射程距離内のものを打破したようだった。
 どうやら、その男の眼鏡に当たったらしい。あるいは眼鏡
(めがね)とともに、顔面を一撃下かも知れない。
 男は「ギャー、ア、ア、ア」という化鳥
(けちょう)のような悲鳴を上げて、地面に顛倒(てんとう)した。けものの断末魔のように思えた。
 この瞬間に、私の今までの諦め気味な、磊落
(らいらく)な厭世観(えんせい‐かん)は消し飛んでいた。
 今は死闘を繰り返して、この男の息の根を止めなければならない。そういう殺意に似た、捨て身の構えが、私を支えていた。此処で私の夢想した無分別は、これで成就し
た。
 この男も悪党だったが、私も悪党だった。

 無分別は私を気丈にした。不思議にも「狂」を実践していた。
 カッと眦
(まなじり)を見開いた。闇の中が見えたような気がした。更に、眦が裂けるのではないかと思うくらいの激しさで、カッと見開いた。
 「貴様は俺が啖
(く)えるのか!」というくらいに、激しさを込めて両眼を見開いたのだった。私は自分の最期を予期しての、最後の死に物狂いの恫喝(どうかつ)であった。そして「啖がよい」と思う。
 ここに来て、「俺を啖え」と思う。
 血に飢えた者は、俺を啖らって腹を充
(み)たすがよい。啖われてやろうじゃないか。そう思う。
 私には、瘧
(おこり)に似たものがあった。まるで、マラリアに罹(かか)った病人が、隔日または毎日一定時間に発熱するあの間欠熱(かんけつ‐ねつ)のように、それに取り憑(つ)かれたのである。一種の居直りであったのかも知れない。

 心は猛
(たけ)り狂った。
 殺せ、殺してしまえ、何としても殺してしまえ、何を躊躇
(ためら)うことがあろう。今はこの男を殺すべきだという、野性が猛り狂っていた。殺されない為には、殺すしかなかった。反撃に出るのは今しかなかった。その機会を失えば、こちらが殺されるのだ。
 一瞬殺意が疾った。
 男の顔は鈍い街頭の光に照らされて、眼鏡が壊
(こわ)れ、鼻骨と眼の部分から血を流していた。
 だが此処
(ここ)で、この男を叩かなければ、再び襲われて、今度こそ一巻の終りになる。この場で一塊(いっかい)の原形質と化す。そう思うと、金槌を振り上げた。それはこの男を殺すために!
 啖
(く)うか、啖われるかである。そんな遠い予感を持った。

 戦闘の鉄則に従えば、傷ついた敵は殺さなければならない。それを躊躇
(ちゅうちょ)していると、今度は自分が殺される側になってしまうのだ。これに躊躇(ためら)えば外すことになる。外せば、こちらが殺されてしまうのだ。
 男は声が出せずにいて、片手で眼を押さえ、もう一方の手で、私に「俟ってくれ」というゼスチャーをしきりに送っている。しかし、これが真意かどうか分からなかった。単なるポーズかも知れなかった。隙
(すき)を見て反撃される恐れは残っていた。
 だか、どうだろう。
 やはりこの男も、私同様に怕
(こわ)いのである。そうに違いないと思った。
 気の小さな小心者同士が、まるで蝸牛
(かくぎゅう)の角(つの)を突き付けて争うような、小さな戦いを繰り広げていた。顕微鏡下の微視的世界の出来事のようなことであった。どちらが生きても死んでも、体制には影響のない小さな争いであった。
 私は、何処かそれを遠くから第三者の眼になって、遠望していたような気持ち捕われた。
 何と小さなことで争っているのだろう……。悲しい気持ちが脳裡
(のうり)を過(よぎ)った。小さな世界の出来事のように思えた。その意味で、私は微生物だった。悲しいくらい、小さな微生物だった。そういう生き物が生きようが死のうが体制側には変わりがないのである。
 私は振り上げた金槌を静に降ろした。男は救われたように、その場に崩れた。

 そして我ながら、尋問すべき愚問を吐いていた。
 「誰に頼まれた!」鋭く迫った。
 これは愚問であることは十分に承知していた。しかし愚問でも、訊いてみたい感情に襲われたのである。恐怖心が一時的な平常を取り戻そうとして、そういう感情が起こったのかも知れない。
 返事など期待していなかったが、「知りたいか?」と、男はうっそりと言った。迂闊にも滑らしたようだ。
 だが、これ以上のことは言おうとしなかった。自分でも、うっかりと妙な返事をしたものだと後悔しているのかも知れなかった。
 「ああ!聞こう!誰だ!」吐けと、怒声を荒げた。
 男は窮迫の感を顕ししていた。
 だが私を襲った以上、背後に依頼した者がいるに違いなかった。果たして、問い詰めて分かったところで、それがどうなる訳でもないだろう。
 「フィクサーだ」
 この状況から判断されることは、私の理解を超える「何か他の者……」という気がしないでもない。影の権力である。

 フィクサーだというが、それは誰か?……。
 私を最初から狙って襲ったものか、あるいは通りすがりの通り魔だったのか、その辺が釈然としない。
 そう感じると、再び得体の知れない恐怖心が沸き起こっていた。巨大な権力かも知れない。
 どうやらこの男は、安田組になどという暴力団風情の下世話な意味での、暴力組織から派遣された刺客でないかも知れない。もっと別のところから使わされた、途方もない刺客かも知れなかった。
 もしかすると五万、十万の端金
(はしたがね)で動くような、そんな感じではないようにも思えた。
 《では、いったい誰が……》と思う。陰謀の世界からの使者か。だが何故か判然としなかった。
 しかし、この男の事だ。また私を狙うのは必定である。隙を見せれば、直に反撃される。その可能性は十分にあった。
 狙われては叶わないと思って、今度は金槌を横に薙
(ない)いで、片足の膝の半月盤(はんげつ‐ばん)を厭(いや)というほど叩いて、この場を走って逃げ去った。男はこれで暫(しばら)く走れまい。
 走る途中、男の大袈裟
(おおげさ)な呻(うめ)き声が、暫く耳に残ったが、やがて離れるにつれ、それも小さくなっていった。そして私は
まだ死ねない運命であることを悟った。「生」が尽きてないことを悟った。
 悪運の強いことを悟った。
 だが少なくとも、この場では死ねないと思った。早くアパートに帰り着きたかった。
 だが、躰
(からだ)が思うように動かない。意欲だけは、生きようと藻掻(もが)いているのだが、肝腎の躰が言うことを聞かなかった。震(ふる)えが止まらない。躰がやたらと熱ぽい。何故か悪寒を感じる。私は戦慄に震え、周りの物音が耳に入らなかった。


 ─────ふらふらと暫
(しばら)く歩いていると、寝るには丁度よさそうな、水の流れていない乾いた幅広の溝(みぞ)があった。その前に来ると、地べたを這(は)うようにして、溝の中に崩れ込んだ。
 溝の中は、日中の陽差しの温もりがあるった。時折、吹く付ける深夜の夜風は、私に悪寒を感じさせた。
 しかし此処なら幾らか、夜風が凌
(しの)げそうな感じだった。もう自分の躰が、この後、どうなろうと問題ではなかった。最早(もはや)死は、恐れるに足りぬものになっていた。
 寧
(むし)ろこの儘、静に死を臨む気持ちすらあった。そういう誘惑に誘われ始めていた。
 これは現実ではないのだ、そう何度も自分に言い聞かせた。そして溝の中に崩れ込んだ。
 この溝は、肉体的安楽と、安楽死の遂行を保障する緊急非難の場所のように思われた。それ以上は何も考えられない頭になっていた。

 私は最も痛みの少ない姿勢を捜して、躰
(からだ)をよじりながら、その方向に傾けていた。
 歯を食いしばり、無理して横たわったのだった。苦痛の呻
(うめ)きを必死に堪(こら)えたのだった。それでも時折灼(や)け付くような痛みを、左肩に意識した。その意識の中で、執拗な痛みに、ある種の屈辱(くつじょく)を感じた。人間という生き物の、高々これくらいのことで、生身の肉体が、いかに脆いか、傷付き易いか、思い知らされたのである。
 躰中の筋肉に、どっしりとした、あたかも乳酸のような酸毒物質から放出される疲労感が襲った。それは鈍重で、被さるようにのしかかった。
 私は静かに眼を閉じた。「今は静かに休むことだ」と自分に言い聞かせた。
 もうこれ以上、一歩も足を進められない。動く気持ちすら起らなかった。此処でこのまま、じっとしていたかった。もう救いを求める相手はいなかった。由紀子は今頃どうしているだろうか。そして松子は無事だろうか。松子に追手は掛かっていないだろうか。それだけが気に懸
(か)かった。
 だが、それも直ぐに遠のいた。記憶はどんどん遠退いた。既に私自身が、総ての機能を停止し始めているのである。

 私は躰の右半分を下にして、胎児
(たいじ)のように膝を折曲げ、身動き一つ出来ないでいた。肩の痛みは一向に曳かず、そのうえ、楽に休む姿勢はなかなか見つからなかった。左右に向きを変える。もがいてみる。無駄だった。
 そしてこの儘、何分間か眠って、早く楽になろうと思いながら、意識は次第に遠退くのだった。
 静かだ。静寂な闇だ。何故か心地よい。すっとそのまま死の中に滑り込んでいけそうだぅた。気を失ったような、眠ったような、そんな感じに捕われた。奇妙な夢の世界を盛んに出入りしていた。
 しかしそれは夢を見ているかどうか、はっきりしなかった。夢現
(ゆめ‐うつつ)であった。何もかもが、夢の続きのように思えた。現実との境目がなかった。奇妙な感覚であった。
 その感覚の中に、「昔はよかった」という意識が残っている。
 この、昔はよかったは単にその時代がよかったのではない。その時代に、自分の理解者が居たからよかったのである。理解者が消えれば、今も昔もいい訳ではない。理解者が居て、その者が、自分の考えや指向を理解してくれたから、よかったのである。もし昔に、理解者がいなければ、昔はよかったなどとは決して言わないだろう。

 昔はよかった……。
 私の場合は、果たしてどうだろうと思う。
 昔、昔、昔……。果たして昔は?……。
 では今は?……。今は、どうなっているのか……。
 気が遠退いていた。暫くの間……。
 そして、次に気付いたのは、乞食のような男から、棒で躰
(からだ)を突つかれたときであった。
 誰かが頭の上で喋っていた。
 「おい、おい……」と、しきりに声を懸
(か)けていた。
 夢の中で《煩
(うるさ)いなあ》と思う。
 その瞬間、私は一瞬ハッ!とした。
 恐らくこの男は、私が生きているか死んでいるか、それを確認するために、棒のようなもので突ついたのであろう。
 此処にも、また第二にヒットマンが来たのではないか!と、一瞬身を捩
(よじ)りハッとした。
 だが、その貌には殺意などは全く感じられなかった。殺しとは、無縁の貌だった。
 もしヒットマンなら、棒で突ついたりせず、有無も言わせず、私を殺していたことであろう。
 そして、この男が第二のヒットマンであるのなら、私は「この儘
(まま)殺してくれ」と恃(たの)むつもりでいた。もう、疲れていた。疲労困憊で動きたくなかったのである。
 素直に殺されてやろうと思った。従順であることが、道理に思えて、正しく思えてきたのだ。
 この儘、静かに息を引き取りたかった。既に死の誘惑に駆られていたのである。私には自殺願望の何かの機能がが、既に作動しているのある。

 男は、私をぬぅーっと覗き込んだ。その薄汚れた、その髭面
(ひげづら)の男は怕々と私に近寄って、まず生死を確かめている様子だった。私は髭面の男に答えるのが面倒であった。
 男はルンペンであった。最下位の路上生活者であった。
 「放っといてくれ」
 「うあーッ、喋った。てっきり死んでいるかと思ったが……」髭面の男が吃驚
(びっくり)して飛び上がるように云った。
 「あっちへ行ってくれ。あっちへ行け、シー、シー」犬か何かを追い払いように言った。
 「?…………」男は傍に坐って無言で見ていた。
 「無闇
(むやみ)に、知らない人に話しかけるんじゃない」不機嫌に云った。
 私は目を閉じた儘、説教じみたような事を云っていた。その言葉を素直に聞いたのか、この髭面の男は直ぐに居なくなっていた。
 また、うとうとと微睡
(まどろ)むような眠気が襲って来た。そんなところに、また、さっきの乞食のような髭面の男がやって来た。
 「おい、これ……」
 その髭面の男を眠気眼
(ねむけ‐まなこ)で、ぼんやりと眺めると、溝の上から屈むようにして、私にカップ麺のような器を差し出した。そこには湯気が出ていた。どこか生命の息吹(いぶき)を感じる湯気だった。
 この男は、見ず知らずの人間の身を案じて、戻って来たようだった。
 「おい、これ飲めよ」
 「……………」私は黙っていたが、男はしきりに勧める。
 「元気が出るぞ。これ飲めよ。ほれ……」
 まさか毒の入った食べ物ではあるまい。私は少し不信げに首を持ち上げて、男を見据えた。
 「……………」
 私は睨
(にら)むように見据えた儘(まま)であったが、この男の眼は優しく笑い懸けていた。敵意など一切感じられない。確かに眼は優しく笑っていた。
 「口にすれば元気が出るぞ。そこの自動販売機で今買って来たばかりだ」

 どうやら男は、私が宿なしで、腹を減らして、行き斃
(だお)れで、溝の中に斃れていると思ったらしい。
 私は素直に上半身を起して、この好意を受けることにした。男の言葉通りに、それを口にすると、何だか不思議に元気が湧いてきて、「死」に傾いていた天秤棒
(てんびん‐ぼう)が、一気に「生」の方に、向きを変えたようだった。
 私はこれを二口程すすっただけで、後は男に渡した。暑い盛りの暑い日に、熱い物を摂るのは、逆の意味で体温調節に効くのである。体内に熱い物が入って、萎
(な)えていた肉体は僅かばかりに蘇(よみがえ)ったようだった。
 「有難うよ、何だか元気が出た」
 私は何度か頭を下げ、礼を云って、財布の中の、血で縁が汚れた五千円札を握らせやった。男はそれを握ったまま、呆然
(あぜん)と立ち尽くしていた。私がこの場を立ち去る際、男に握らせた五千円札は、ささやかな礼のつもりであった。
 身も知らぬ男が、自分とは全く無関係な私の安否を気遣い、そして励ましてくれた。世の中は、まだまだ捨てたものではない。その「捨てたものではない世の中」で、また、これくらいの礼儀を尽くすことは、感謝の気持ちとして極めて当然の事であろう。
 幸運の女神は、まだまだ私に微笑みを投げかけていると思った。それは丁度、いまの男が、私に微笑みを投げかけたように……。あれは髭面の男を装った“幸運の女神”だったのか……。男は女神が姿を替えたものだったのか……。それは定かではないが、あるいはそうかも知れない。
 人は、意外なところで幸運に恵まれることがあるのである。
 幸運とは、また好運である。女神に好かれる運である。
 ふと、うちの女神がどうなったのか。私の慈母はどうなったのか。松子の愛くるしい貌が浮び、やがてそれは由紀子に変わった。彼女は心配しているに違いない。帰らねば、家に帰らねば……。

 私は、強制労働を強いられて酷使された労役囚のように、くたくたに疲れ果てていた。足取りも縺
(もつ)れて、斃(たお)れる寸前のような有様だった。あるのは放心のみだった。
 覚束無
(おぼつか‐な)い足で、ふらふらと歩きながら、兎(と)に角(かく)アパートを目指して、帰りを急いだのである。
 なぜ急ぐのか。なぜ帰りを急ぐのか。
 それは由紀子への妄執だろう。妄執が次から次へと募るのである。そしてそこに、慈母が手招きをする。
 やがて臍
(ほぞ)を噛むような、狂おしさや焦燥に見舞われた。
 もはや想像が覚束無い霧の中を歩いているようだった。私は躰中の皮膚を破って吹き上げる欲望に駆られていたのである。烈しき吹き出すように、もう一度、由紀子に逢いたいの思うのだった。松子の、いまを知りたかった。この次元の異なる二人に逢ってみたいという願望が募った。
 だが、逢いたいと思う衝動も、やがて真っ黒な泥の中に呑み込まれ、意識が遠退くのを覚え、自分の今の行動が分らなくなって行った。ただ無我夢中で彷徨
(ほうこう)していた。



●われはフクロウ

 左肩の出血が、いつまで経っても止まらない。
 肩から下の左腕の感覚は全くなくなり、動物の尻尾
(しっぽ)にように、ダラリと、ただぶら下がっているだけだった。ピッケルで一撃された腕が重い。痛さは重みに変っていた。この重い腕を切って捨てたい気持ちがした。激痛が上半身を重くしているのだ。それだけで息苦しくなる。鉛のような重さに、上半身はやたらとだるく重い。脳裡(のうり)から重さが消えなかった。
 上着が血に染まって、左袖から滴
(したた)り落ちていた。このままでは出血しているので怪しまれて、タクシーにも乗れない状態にあった。私はタクシーに乗ることを断念した。乗れば不信に思われて、直にでも無線で警察に通報される恐れがあったからだ。それだけを警戒していた。
 そして、至る所に警戒態勢が敷かれ検問が設けられていた。パトカーは屋根の赤色灯を回転させながら、縦横にうろついていた。一瞬、夜間外出禁止の戒厳令を思わせた。非常事態が敷かれているのではないかと、見紛
(みまが)うほどだった。

 私はふと、自分の左手首に填
(は)めていた腕時計を見て、時間を確かめようとした。だが腕時計のクリスタル・ガラスは、血と汗で無慙(むざん)にも赤く縁取られていた。時計の文字盤は、赤褐色一色に染まり、既に血液の凝固(ぎょうこ)が始まって、腕時計から時間を確認することができなかった。耳に持って行っても、時計の秒針の音は完全に消えていた。時計は血液の凝固で止まってしまったものと思われた。もう血染めの腕時計は、要を為(な)さなくなっていた。

 この時、絶対に捕まるわけにはいかなかった。以前起こした傷害事件で、「執行猶予三年・求刑六月
(ろくげつ)」が、まだ消えてないのである。
 逮捕されるようなことがあれば、今回の事件の刑罰に、更に求刑六月
(ろくげつ)が加算され、今度こそ、執行猶予のつかない実刑を食らうことは確実だった。これは何としても避けたかった。
 この夜、幸運だったことは、黒っぽいジャケットを着ていて、血の滲
(にじ)んだ跡(あと)が、夜目(よめ)に目立たなかったことである。更に犯、行に遣った金槌も、同時に持ち帰って、その証拠を一切残していないと言うことであった。現場検証が行われても、T公園で乱闘があったことは立証できないし、犯行の張本人が逃走しているのだから、首謀者を特定することも出来なかった。

 私が戦陣を張った「八門遁甲・金鎖
(てっさ)の陣」の秘術は、見事に功を為(な)した。その古人の智慧(ちえ)は偉大な効力を発揮し、敵に甚大かつ壊滅的な打撃を与えたようだ。内心、こんな大それたことを仕出かして、よくぞ生き残ったものだと思った。
 そして何とか歩けたので、歩けるだけの最後の気力を振り搾
(しぼ)って、歩けるだけ歩いた。傷が癒(い)えようが癒えまいが、そんなことは問題ではなかった。朦朧(もうろう)としていたが、歩いている最中は、傷の重みは余り感じなかった。生還へのはずみが付いたようである。

 (さあ、家へ帰ろう、わが家へ)そんな独り言を呟(つぶや)きながら、自分を自分で励ましながら歩いていた。
 そして、昔、聴き憶
(おぼ)えた疎(うろ)覚えの、こんな歌を、繰り返し、口遊(くちずさ)んでいた。しかし、その歌詞が正しいかどうか、解らずに、口から迸(ほとばし)り出て、ただ口遊んでいたのである。
 なぜ、この歌が出るんだろうと思うのだった。
 そして、ああそうか……と思うのだった。
 それは少年時代の微かな記憶を辿ってのことだった。

 【註】私は少年時代、ボーイスカウトに入団していて、昭和30年代「日本ジャンボリー」や「世界ジャンボリー」の参加経験を持っていた。富士山の麓で行われた日本ジャンボリーでは『星影さやか』と『われはフクロウ』がよく歌われた)

♪ われはフクロウ、楽しきフクロウ
  勤め果たし、今宵
(こよい)さやか
  われはフクロウ、月明りに
  わが古巣へ帰えらなん…………
  ………………
  嗚呼(ああ)、富士のふもと、
  山中の森かげに…………。

 小学校高学年から中学1、2年の頃の思い出に立ち返ると、キャンプに出掛けたり、キャンプ先の作業が終えて再びベースキャンプに戻るとき、年長の少年の上級班長が「われはフクロウ。斉唱開始!」と言って、隊を組んだ全員に命令するのである。
 あたかもそれは進軍歌を彷佛とさせるのだった。私が班長になったとき、よくキャンプから引き上げて帰る山道の途中、班員に歌わせたものだった。今日一日の勤めが終えたのである。
 今ではこの歌詞が正しいか、反復する小節のメロディーが正しいか、それは分からない。ただ漠然と、疎覚
(うろ‐おぼ)えの歌詞を気の向くままに、昔、聴き覚えたメロディーに合わせ、繰り返し、口遊(くち‐ずさ)んでいた。
 事が失敗に終わったと思える場合でも、私は自分で自分を励ますメロディーを口遊む癖があるらしい。

 自分の意識が希薄になっていることを能
(よ)く自覚した上で、出来る限り、しっかりとした足取りで歩いていた。両足から伝わって来るアスファルトの道路の固さが、肩の傷に響き、自分の躰(からだ)が極限に達していることを教えてくれるのであった。土地の鬼神が道を教えているようだった。
 われはフクロウ……。脳裡に響いた。勤めは果たしたのだ。
 だが希薄ではあるけれど、それ以上に意識が薄れないのは、由紀子の顔を「一目見なければ」という気持ちが薄れがちな意識を支え続けているようにも思えた。それに、逆スパイとしてサヤンを買って出た松子のことも気になっていた。この事で、彼女は拉致されたのではないかという懸念があった。
 しかし足は縺
(もつ)れ、ややともすると、転びそうになった。足許(あしもと)がよろけ、ズルズルと、何かに引き寄せられているのだが、上半身だけは平衡感覚を失っていたようだ。

 左腕をダラリと垂らし、右腕だけで、ありもしない幻影と格闘するように、窪
(くぼ)んだ眼で前方に向かい、まるで、水中の中を泳いでいるという感じであった。
 意識が辛うじて転ぶのを支えていたが、ついにそれも適
(かな)わなくなり、何度か顛倒した。
 無態
(ぶざま)に斃(たお)れては、のろのろと起き上がり、無意識的に躰(からだ)に着いた埃(ほこり)を払い、体勢を立て直して胸を張り、毅然さを崩さない姿勢をとった。だが斃れながらも起き上がって、いま自分が何をしているのか、何を考えて歩いているのか、そんなことは当(とう)に忘れてしまっていた。
 黙々と歩いた。倒れては立ち上がった。いまは歩くことしかなかった。
 土俵際
(どひょう‐ぎわ)で、“どっこい”生き残こった。そこにただならぬ妖気の焔(ほむら)をみているようだった。何処からともなく、「一歩前へ」と声が掛かる。その声に従い、したたかに歩いていた。

 何処からか励ます声が懸
(か)かる。
 その声に応じて、そうだと思う。私は、自分が主人公であったことを思い出す。主役であったことを思い出す。此処で斃
(たお)れて、動けなくなったら、この大スペクタクル映画のような戦争活劇を見ている観客は、金を返せと、怒るだろう。
 ここは“どっこい”、生き残らなければならないのである。土俵際
では、どっこい残って“うっちゃり”を喰(く)わせなければならない。追い込まれたぎりぎりの土壇場(どたんば)で形勢を逆転させる必要があるのだ。土俵際で身を反(そ)らせて反転させる必要があるのだ。
 それでこそ、スペクタクル映画の活劇の醍醐味
(だいご‐み)なのだ。

 観客が、わざわざ入場料を払って活劇を見るのは、最後の土壇場での、“どっこい勝負”である。
 強豪を相手にし、一方的な強引な押しを阻止して、ここぞいうところで“うっちゃり”を喰わせる逆転劇があるからだ。そこに観客は拍手喝采を送る。
 義経の鵯
(ひよどり)越え、正成の千早城(ちはや‐じょう)、信長の桶狭間(おけはざま)などの、「小が大を倒す逆転劇」を、観客は期待しているからに他ならない。この「小をもって大を制する」この一点のみに、観客は木戸銭(きど‐せん)を払うのだ。興行の見せ物に対価を払うのだ。多くの観客は「逆転劇」が好きなのだ。ここでくたばっては怒るだろう。
 そして、観客自身もそうあって欲しいから、よれよれの主人公に声援を送るのだ。

 私の傍
(そば)にも、確かな声援が上がっていた。
 「ここで斃ては駄目だぞ。ガンバレ……ガンバレ……」と云う声援が上がっていた。そんな観客からの声援を錯覚していたのである。敬慕の声が一斉に上がっているような錯覚に陥っていた。私はそんな中を歩いているような錯覚に陥っていた。
 大観衆から、大声援を送られているような、投影が投げかけられていた。錯覚は益々深まった。まとまって発する応援の叫びが、何処からともなく聞こえた。幻聴であったろうが、そのように響いていた。まさにそれは大合唱のシュプレヒコールになって渦巻いていた。
 ガンバレ……ガンバレ……の決まり文句のスローガンを唱和しているように聞こえた。それは確かに励ましのエールであった。だから転んでも、起き上がらねばと思ったのである。
 主役の役目は“観客受け”に気を遣い、これくらい軽傷で幕を下ろすことは許されない。ガッツポーズを見せて余裕を示さなければならないのである。ボロボロになっても奮闘しなければならないのである。ここで斃れたら、入場料を返せ!と観客から罵倒されるだろう。

 私は歩き続けた。
 それは本能的なものであったろう。あるいは何かの確信があってのことだったろうか。
 一歩一歩、足を踏み出す限り、くたばることはない。その意志がある限り、歩き続けられる。何かが私を駆り立てていた。
 そして、ただ渡り鳥が、寒い冬になったら、南に飛んで行くように、私も一種の帰省本能のような働きがあって、……わが古巣へ、そして……由紀子の待つアパートへ、足を一歩一歩踏み出して、わが古巣へと急いでいた。古巣に帰りなん。まさに、われは勤めを果たしたフクロウだった。


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