運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 57

楠木正成は後醍醐天皇に応じて兵を挙げ、千早城に籠(こも)って幕府の大軍と戦った。のち九州から東上した足利尊氏の軍と戦い、湊川で戦死した。
 しかし現在も、「大楠公
(だいなんこう)」と謂(い)われるのは、正成の心の中に人間としての『義』があったからだ。

 人間は損得勘定をする生き物であるが、「損を覚悟」で行動を起こす時、そこには本来の人間の姿がある。
 人間は損をすることにより、動物とは違う「人」となり得るのである。つまり『義』を全うするとは、損を覚悟で行動を起こすことなのである。


●爆弾と酩酊

 人間が観客席を設け、平面で「試合をする」という行為は、戦いでいえば、一種の正攻法の論理によって組み立てられた、ルールを厳守するもので、これは実際の実戦とは、大きく隔たっている。
 だが実戦では、正攻法にこだわる必要もないから、それは奇手
(きて)であっても構わない。奇手こそ、一対多数の場合は大きな決め手であろう。もし、一縷(いちる)の望みがあるとするならば、まずこうした正攻法を回避し、背後から、綿密(めんみつ)な計算を立てて、それも夜陰に乗じた夜戦でなければならない。
 圧倒的な優勢な敵に対し、「負けない位
(くらい)」を満たすためには、尖鋭(せんえい)に秀でたゲリラ部隊の奇襲作戦が必要なのである。こうした奇手(きて)が用いられて、はじめて上手に負ける掛け引きができる。
 則
(すなわ)ち、負けない位と言うのは、「上手に負ける」手段を指すのである。

 これを結論から言うと、組織戦において、サバイバルの勝者は、必ずしも強いだけが勝利者にならないのである。道場内における平地での戦いと、野外を舞台にした「三次元の実戦」での戦いは、大きく異なっていることであった。
 特に野戦においてはこれが大きい。自然を味方につけることが出来るからだ。
 この意味で戦いとは、大将同士の一騎打ちによる個人プレーで、組織戦を戦い抜いていけるわけはないのである。敵も、己も、先に「よく知る方」が勝つと言うことなのだ。勝たなくても、「負けない境地」は保つ事が出来るのである。
 平面の上下・高低の傾きのないリングの上で、試合する格闘技は序列があって、個人戦ともなれば、やはり強い者が強い結果に落ち着く事が多いが、そのチャンピオンとて、例えばマタギと一緒に冬山に入り、此処で戦ったとしたら、30分もしないうちに道に捲
(ま)かれ、銃撃戦ともなれば易々(やすやす)と殺されてしまうだろう。
 要は、実戦と云う自然相手に、自然をどれだけ理解し、その自然に適応して、奇手
(きて)と言う画策を練るのが重要なのである。これまでのシミュレーションの結果から、このような経験を持っていた。肉体的な強さの序列ではなく、経験の量的なものが、実戦では問題になるのだ。

 取り敢
(あ)えず、私は一人で大勢の相手と戦うのであるから、相手方の戦闘訓練の如何が勝敗を決するのである。奴らが、私の考えているような訓練をしたことがあるのなら、私は敗北するであろうし、逆に、そうした訓練をしていなければ、勝因は、私にある筈だと考えていた。
 ただ気になるのは、バズーカ砲は登場しないにしても、前田道場の用心棒の居合が出てくるのか、出てこないかであった。もし、出てくれば真剣で武装してくるだろう、という推測に至ったが、これについては、最後まで調べることができなかった。そしてあの登録証のない、新々刀の庄司次郎太郎直胤
(しょうじ‐じろうたろう‐なおたね)の行方であった。その行方を懸念し、その行き先に刺客の魔の手が控えているのではないかと思ったのである。

 次に、決戦場になるであろう現場の、T公園をもう一度訪れてみた。地形を読む為である。この公園は単に平地の公園ではない。やや高所に属する小高い丘陵
(きゅうりょう)に造られた自然公園であり、高低があり、緩急(かんきゅう)がある。つまり平面の、畳の上や板張り、あるいはリングの上とは大いに異なるのである。何箇所かに楢(なら)の大木も生(お)い茂り、樹々の間に躰(からだ)を隠す事も出来る。更に夜は、樹々は人影まで隠す。願ってもない、ゲリラ戦を展開する上では、申分のない所であった。
 実際にゆっくりと歩きながら、各々の箇所の地形の特長や、身を隠すための木の大きさ窪地などを点検して廻った。それを、細かく頭の中に叩き込んでいくのである。決戦場となるべき場所の地形を熟知すれば、戦場において「武運」という運が起こる。この武運が時としてさまざまな必然の連なる連鎖を起こすこともある。

 むかし、物の本で読んだが、平時に於いて、人目を刺戟
(しげき)しないように戦術的地形を養うには、狩猟が一番良いというふうなことが書かれていたのを憶(おぼ)えている。したがって領主たる武将は、一度(ひとたび)戦時になり、領土が戦場になった時の想定として、領主は狩猟に励まねばならないということを、子供の時から教わるのである。
 領主の跡継
(あとつ)ぎとして生まれた者は、少年期より、自国の領土で兎狩りや鹿狩りを楽しむ。将来戦場になるであろう場所を遊び場にし、あるいは演習場として狩猟に励み、他国の者が迷路と思われるような錯雑地(さくざつち)でも、自分にとっては、わが家の庭のように熟知するのである。
 これが「地の理」を知ることなのである。

 戦いは、死ぬために戦うものではない。サバイバルのための戦いである。サバイバルは生き残ってこそ、価値がある。戦って死んでは何もならない。生還せねばならない。
 かつて、太平洋戦争末期、日本軍は特別攻撃隊を組織し、敵艦に体当たりする特攻攻撃を敢行したが、これはサバイバルのための戦いではなかった。感傷主義に流された、単なる「滅びの美学」に酔った犬死の観が強かった。出撃した隊員は、一人として帰還することが許されなかったからである。戦術としては、下の下であった。戦士を、帰還させないと言う、戦術思想こそ、残酷なものはない。
 決死隊を必死隊に畸形させるのは上策でない。下策である。ために武運は閉ざされる。

 では、何故こうした道を選択したのか。
 それは「戦略防禦
(ぼうぎょ)」という戦闘思想に欠けていたからだ。
 つまり「戦略防禦」とは、同時に「戦略的退却」という逃げ道の確保も、同時に戦略の一部に組み込まれ、退路を確保しておくという事である。しかし、当時の日本軍のは、「戦略的退路」というものを全く考えず、各地で手当り次第に戦闘を起こし、小競
(こぜ)り合いが戦争を拡大した。そして、やがては引き返す、帰り道のない所まで追い込まれるのである。退路を確保しない戦術は、もはや戦術とは云い難く、策としては下の下であった。
 智謀の将でも智に誇れば智に溺れるという。況
(ま)して、私如き愚者が、進退の判断を間違えば策は尽きてしまう。不才が招く末路が顕われる。先ずは、図に乗って進むことより、退路を確保しておいて、退くことを考えておかねばならない。差し詰め、落ち行く先である。如何に危地を脱するか。どういうルートを通って落ちていくのか。当面の問題はこのことであった。
 仕掛けた奇襲は、反対に受け身の不意打ちの懸念がある。これをどう戒めるかであった。
 武運において戒めがある。武運拙
(つたな)ければ勝てない。俚諺(りげん)に曰(いわ)く、「天の与うるところを採(と)らざれば、却(かえ)って天の咎(とが)めを受く」と。
 また「進むことを知って、退くことを知らねば、則ち殆
(あや)うし」と。

 進攻してくる敵が、兵員数や強さの上で勝る場合は、接触点の上で強弱を設け、弱いと見せ掛けてその後を負わせ、追って来た敵を、強力な兵力で叩かねばならない。つまり敵の優勢な兵力を叩く為には、敵を倒すことよりも、敵を疲れさせることに重点を置かねばならないのである。これが「戦略防禦」の基本である。

 次に「戦略的退却」を考えた場合、退却を有利にする最終条件は、敵に過
(あやま)ちを仕出かさせ、敵の過ちを発見することである。それには退却の終点【註】俗に言う決勝点)が何処にあるか、その地域を限定し、固定してはならず、時にはある程度退(ひ)いても、乗ずる隙(すき)が見出せない場合は、更に数歩退却して、隙の生ずるのを待たねばならないのである。
 つまり「隙」こそ、反撃に乗ずる最大の特異点になり、この特異点を起点として、サバイバルの展開を企
(くわだ)てねばならないのである。

 『孫子』の「地形篇」
(第十)には、「彼を知り己(おのれ)を知れば勝ち乃(すなわ)ち殆(あや)うからず。天を知り、地を知れば、勝ち乃ち全(まっと)うすべし」とある。
 これに当て嵌
(は)めて、『三国志』の英雄・曹操孟徳(そうそう‐もうとく)を見てみれば歴然とする。
 曹操は「天」を知り、「地」を知り、「彼」を知っていた。ところが、「己」は知らなかった。「己」を知らなければ、同時に、本当は天も、地も、彼も、知らないことになる。
 『孫子』の有名な冒頭の「くだり」は、実に難しい解釈がなされている。
 それは先ず「彼」を知り、「己」を知ると言う事であり、その上に「天」を知り、「地」を知れば、という「二段構え」の解釈になっていないのである。多くの人は、ここを間違って解釈してしまうのである。この解釈に正解を求めるならば、この二段構えと見間違う、前後置換は、片方だけを述べたとしても、述べられていない片方も含まれていると解釈するべきなのである。これが孫子の兵法の藕糸という隠れ部分なのである。
 それは「天を知り、地を知れば、勝ち乃ち全
うすべし」と述べられていても、「彼を知り己を知れば、勝ち乃ち殆うからず」ということも含まれており、「殆(あや)うからず」と「全うすべし」は異語でありながら、然(しか)も同義の意味を持つのである。

 では「己」とは何か。
 これを広義に解釈すれば「味方」も含まれるであろうが、狭義に解釈すれば、本当に頼りになるのは「自分自身」ということになる。
 曹操は、人間の持つ利欲の強さを誤算していたのである。人間の行動は、盟主を中心として一丸となり、それに向かうと言うことは殆ど無い。各々に損得勘定が働いている。大義名分は正義であっても、それは思惑を含んだ正義であり、心が一丸となった正義ではない。一叟の舟を操るにしても、船頭が多過ぎては、舟の動きは儘
(まま)ならない。船頭多くして船山に上ることにもなりかねない。そうなると統一性に欠く事になる。
 互いの思惑が働くからである。
 集団になった場合、こうした含みが、やがて損得勘定になって、「へたな動き」を興
(きょう)じることにもなるのである。集団はその勢力を増すことによって、大兵力を構築するが、それは兵士の心が一つになった場合の必要十分条件である。古来より、兵士の心を一つにするために法螺貝(ほら‐がい)や太鼓を用い、旗指物を用い、兵士達の耳目を一つに統制する方法が遣(つか)われて来た。意向に従わせるためである。
 「兵士たちの心が一つになり、統制がとれれば全体が勇気ある者とて、一人で先駆けて進むことは出来ず、また、勇気のない者とて、一人で逃げ出すこともできない」
 これは集団戦での個人プレーを戒めると同時に、敗走する人間の心の弱さを防止しているのである。
 闘うしかない。踏み止まり、闘いしかない。必死で闘う以外道はない。そう思い込ませることである。
 集団は、確かに徒党を組んで気勢を挙
(あ)げているうちは勇ましいが、こうしたものは時間と共に消滅するものである。時間は人間を気弱にもさせるのである。

 「朝方の気力は満ちて鋭く、昼間は気力が弛
(たる)み、夕暮れには気力が尽き果てている。更に、夜間に至れば、戦意が萎(な)える。則ち、戦(いくさ)上手は、敵の気力が鋭い時は避け、敵の気力が弛み、尽き果て、萎えているところを攻撃する。これは敵兵の気力を掌握(しょうあく)しているからである」
 集団に勝つ方法は、敵の一番弱った時期を狙うしかない。実を避けて、虚を撃つ以外ないのである。
 そして「夫
(そ)れ兵の形は水に象(かたど)る」とある。
 これは形の極みは、無形であり、然
(しか)も無限に様変わりすることを顕わしているのである。それはむしろ外形より、人間の心の裡側(うちがわ)を顕わした言葉なのである。
 私は、「実を避けて、虚を撃つ」と自分の心の中で叫んだ。私の言う「虚」とは、野戦の事だ。夜陰に乗じての夜戦のことだ。それは一番萎
(な)えた時刻に、虚を突き、襲い掛かる事であった。

 その夜遅くアパートに戻った。由紀子は既に仕事から戻っていて、例の如く医学書を積み上げた机に向かって、自分の勉学に余念が無かった。
 「只今帰りました」と気後
(きおく)れしながら、丁重(ていちょう)に帰宅の挨拶を告げると、
 「今、お帰り?随分お早いご帰宅ですこと。お食事はそこにありますから、勝手に食べてらしてね」と、いつものことながら、私が帰宅の遅い時の、恒例の皮肉を一通り喋り終わると、再び机に向かい、自分の勉学の手を休めようとしなかった。
 「勝手にやりますから、僕のことは気兼ねしないで下さい」
 「気兼ねしていませんわよ。ただねェ、いつまた下手な“綱渡り”を始めるか、それを懸念
(けねん)しているだけですのよ」
 彼女の売り言葉に買い言葉は中々手強
(てごわ)いのである。未(いま)だに、私を見張る警戒は怠っていないのである。敵?は然(さ)る者だと思う。監視の目はしたたかであり、油断がならなかった。
 「いやだなァ、そんなに下手、下手と連発すると、何だか本当に下手になって、簡単に渡れるようなところからも墜
(お)ちてしまうじゃありませんか」
 「あたしの云っているのは綱渡りをすることではなく、しないことをお願い申しておりますのよ!」
 一瞬ムッとしたが、更にこれを切り返すと、何もかもがバレそうなので、
 「さとうですか、では僭越
(せんえつ)ながら今晩も、勝手ながら“独り手酌”で、一人寂しく晩酌させて頂いて、ささやかな酩酊に浸らせて頂きます」と、断わって台所の片隅にあったウィスキーの安瓶(やすびん)を引っぱり出して、由紀子の作ってくれた、晩飯を肴(さかな)にチビリチビリやり出した。小人(しょうじん)のささやかな愉しみである。

 「お酒は飲んでもいいですけれど、飲み過ぎないようにして下さい。ほどほどで、切り上げて下さいね。
 あなたの僭越はいつも、度を超してしまいますから、その辺は程々にね。それに鯵
(あじ)の三杯酢(さんばい‐ず)はそのままで食べられますから、その上からお醤油をかける必要はありませんからね。茄子(なす)の挽肉(ひきにく)あえには、少しお醤油をかけた方がいいですからね。間違わないで下さいよ……」
 「はいはい」私は一人寂しく手酌だった。
 彼女の頭の中には、医学書を読みながら、その一方で食事の膳の様子が一部始終把握されていて、それを手にとるように反芻
(はんすう)させ、同時に、私に指図を加えると言う芸当は、多角的かつ複合的な示唆能力がそうさせているのであろう。彼女は、一度に三つのことを同時に行っていた。一人三役をこなしていた。医者の頭脳とは、かくあるべきものか。一つの事を遣り終えてというのは医者の思考力を鈍らせるのだろう。

 由紀子は勉強机から、このように声を投げかけ、私を見ていなくとも、いつもながらの行動パターンが手にとるように分かるようであった。今から何をするか、全く見ていないようでいながら、その全貌
(ぜんぼう)を見ているかの如く、私の過去の失態を帰趨(きすう)するように、「過ぎること」への釘を刺すことを忘れないでいる。私の性格を読み切ってのことだった。
 それがどうしたことか、そこへ由紀子が、「今夜は、あたしも少し頂こうかしら」と寄ってきたのである。全く予期しない事であった。果たして、これを奇遇と受け流してよいものか。こちらも、決戦を前にして何事も悟られてはならない弱味があった。ここでボロを出してはいけないのである。愛想よくする以外ない。
 「おつき合い頂けるのですか?」
 「ええ、あなた一人での晩酌では、なにかと寂しいと思って。毎日寂しい思いをさせているのだから、今晩ぐらい、お相手致しますわ」
 「これは、ありがたいですな。独り手酌では侘びしくて、一抹の寂しいものがありますからなあ。お相手して頂いて光栄です」
 一応、お世辞の積もりでいってみた。
 いつもなら、私の晩酌の相手など、つき合ってもくれないのだが、今宵はどうしたことか。
 何か、勘付いたのだろうか。多分に尋問
(じんもん)される恐れを懸念(けねん)した。誘導尋問にでも引っ掛かれば、事は一大事だ。企てがバレる。

 大事の前の小事。慎重を期する必要がある。この小事が発覚しては、計画は挫折する。何とか早急に手を打って、由紀子に勘付かれないようにしなければならない。それには、晩酌をつき合ってくれる由紀子を煙りに巻かなければならない。二人で、のらりくらりと酒盃を重ねていれば、いつかは私のボロも発覚しよう。
 さて、どうすればよいか。
 それは彼女を酔い潰す以外ないだろう。ウィスキーとビールと日本酒と焼酎との四種を、カクテル風に混合酒にして、ごちゃ混ぜにすれば、間違いなく酒の廻りが早くなろう。直ぐに酔い潰れる。酔い潰れるだけではなく、悪酔いする。そんな悪戯めいた事を考え付いたのだ。要するに「爆弾」である。
 この四種の性質の違う酒を、ごちゃ混ぜにして、馬鹿酔いさせることを「爆弾」という。
 私は日本酒党でないが、まずは手始めに、日本酒で指しつ指されつも、いいものだと思った。それには温めの燗
(かん)をつけた日本酒でちびりちびりとやり、その後、ビールとウィスキーをごちゃ混ぜにして、最後は焼酎で一気に酔い潰す。われながら「苦肉の策」を考え付いたものである。
 しかし季節はクソ暑い夏の夜である。燗酒の策が成功するのか。

 由紀子への攻撃は、二段、三段の体勢が準備されていて、私は、それを実行すればいいだけになっていた。
 「せっかく、あなたが、お相手してくれるのだったら、日本酒で指しつ指されつの、ひとつ、風流とまいりませんか、夏の夜の小話なんぞして……」
 「この暑い晩に、お燗
(かん)をつけて日本酒を呑むのですか?」
 「暑い晩だからいいのですよ。暑い夜の一晩を、蛙や虫の声でも聴きながら……」
 「それもそうですわね。でもね、日本酒って、最初は風流で指しつ指されつで始まり、ちびりちびりやっていても、最後は飯場か、番屋の“茶碗酒”にならないかしら?」
 「大丈夫ですよ。最後まで酒盃
(さかずき)で、指しつ指されつで通しますから……」
 「本当かしら、あなたの場合、小さな“おちょこ”の指しつ指されつが、つい“どんぶり酒”に変ってしまいますもの」
 私の躰
(かだら)の事を気遣ってのことであろうが、何か一種の皮肉のようなものが籠(こも)っていた。
 しかし、彼女も日本酒での“お相手”で結着を付けたようである。台所で、日本酒向きの肴
(さかな)を作り始めた。肴が出来上がると、さて、愈々(いよいよ)小さなお膳を囲んで、指しつ指されつの風流?な酒宴の始まりである。
 レディー・ファーストで、まず彼女から……。
 酒盃になみなみと注ぎ、「まあ一献」となった。何かを語らい、指しつ指されつをするのだが、彼女は注がれるに従い、妙に調子づいて、中々酔う気配がない。ピッチは早いが、一向に酔う気配がない。ほんのりと頬
(ほほ)を赧(あか)らめただけだった。効き目が薄い。何か効果策はないか。

 「酒盃が小さ過ぎるのではありませんか?ちまちまでは切りがありません。大きいのでいきましょう、大きいので」と嗾
(けしか)けるように言ってみた。噛ませ犬を嗾けて、噛まねば仕方ない。もともとだ。
 一向に酔ってくれない彼女に、駄目元で嗾けた。鎌を掛けたが、乗ってくるとは思わなかった。
 だが、「それもそうねェ」と相鎚
(あいづち)を打った。これはどうしたことか?……と思った。
 「では、少し大きめの丼
(どんぶり)で」と云うと、「丼は駄目、丼は」と云うので、「じゃあ、猪口(ちょこ)と丼の中間を採って、飯茶碗では?……」ということになった。
 「うぬッ……、あたしを酔わせてどうするの?」と変なことを口走った。そして疑わしい眼で、睨
(にら)むのだった。しかし酔った隙にという卑しい下心がない訳でもない。
 「どうもしませんよ、天地神明に誓います。僕は紳士ですから、変質者を見るような、そんな、嫌らしい眼で見ないで下さい。痴漢愛好会にも、変態同盟にも入っておりません」
 こちらも云うだけの事はいってみた。そして彼女の顔をよく見ると、酔いが廻っているのが確認できた。この調子で行けば、あと一息だった。此処まで来たら、燗
(かん)をつけて指しつ指されつでは、実にまどろっこしい。手間どって、実にじれったい。一気に“冷”で攻め捲(まく)らなければならない。
 彼女の手に茶碗を握らせ、「まあ、お一つ」と、直接一升瓶から冷酒を注いでやった。
 注がれる度に、「もう、そんなに注がないで」といいながら、頭
(かぶり)を振ってイヤイヤをするのだが、思わず手が滑って、「おっとっとと……」となって、茶碗にどぼどぼッと勢いよく濯(そそ)がれしまった。
 「なんで、そんなに沢山注ぎますの?酔うじゃありませんか」
 「つい、手が滑りまして」
 一度起こった事は二度起こる。それが定着する。二度目は故意に「おっとっとと……」とやって、溢れる寸前までなみなみと注いだ。人を馬鹿呑みさせ、馬鹿酔いさせるには、この手が一番なのである。
 飲み方のピッチを上げてやった。そのピッチが、やがて急ピッチになった。注いでやるのに忙しい。

 「おい、岩崎健太郎!」
 「はあ、何でしょう?」
 「どういう魂胆で、あたしをこんなに酔わせるの?……」もう半分以上、呂律が回らなくなっていた。
 「魂胆なんぞ、御座いません」
 「ドサクサに紛れて、変なことするなよ」
 「紳士ですから、ご心配なく」
 「その自称紳士が怪しい。本当か、信じていいのか」と悪酔いの症状が出始めて来た。
 あと一息である。もう直、陥落する。
 「本当ですとも……。それとも、性急なる小悪魔に変身しても宜しいでしょうか」
 「馬鹿を云うな、だったらもっと注げ」深酔いしているためか、徐々にはしたなくなっていた。
 「惚れ惚れするような呑みっぷりですね。いやいや、豪快、豪快」一升瓶片手に益々煽った。
 もう眼は、完全に据わっていた。素面
(しらふ)は遥か彼方に遠退いていた。
 だがである。これが中々しぶとい。墜ちるようで墜ちない。陥落しない。
 「そうか、だったら、もっと景気よく注げ」
 もう眼は完全に据わっていた。悪酔いの症状である。
 「もう大分、お酔いになっておりますが……」
 「構わん……注げ!……」と云いながら、大分酔っていた。まさに馬鹿酔いだった。酔って女の本性を現したのだろうか。これ以上は責任が持てなくなった。
 「本当に構わんのでしょうか?」怕々と訊いてみた。
 「でも、ちょっと変な酔い方だわ……。だるい、おかしい。何か変……。ああ、なんだか眠い……」

 呑む度に、彼女の酩酊は深まり、ついに酔い潰れてしまった。してやったりである。意外にも、脆
(もろ)く潰れたのだ。だが、これでいいのだろうか。如何にも子供じみていまいか。
 私は小細工して策を弄
(ろう)していた。拙(つたな)い策である。女を酔わせる方法として、酒の中に目薬を少々垂らしたのである。今は違うが、当時は目薬に睡眠効果があるという噂(うわさ)が信じられていた。あくまでも噂である。この方法を遣うと、直ぐにヘベレケになり、ヘナヘナになってしまうのである。噂通りだったのだろうか。
 これでいいのだと思った。男の思索に、女が入ってきては、口を挟まれて、それ事態が崩壊するからだ。
 さて此処からが私一人の時間になる。食うか食われるかの戦争を仕掛けようとする思考の最中に、ふと一息抜く、そんな寛
(くつろ)ぎの一時(ひと‐とき)がある。
 またそんな夜に、独り、ロックの氷の音を聴きながら飲むウィスキーの味は格別である。
 由紀子は酔い潰れたままであった。卓袱台に伏して静かに寝息を立てている。その横で、私一人の時間が始まるのである。彼女の背に、そっと夏物のカーディガンを掛けてやった。そして彼女の肢体を眺めながら、一瞬艷
(なまめ)かしいと思うが、別に特別な欲情は起こらない。出撃前は、むしろ冷静であった。そっとしてやりたかった。人間が死に臨む時は、こうしたものかと思った。

 これからが思索の時間である。
 思索するだけ思索して、そして最後は、その酔いに任せて、その辺に転がり、朝まで眠り込む。何とも言えない眠りの甘美さは、これを味わった者でなければ分からないであろう。これは目前に、命を遣
(や)り取りする戦いを控えている人間ではないと、分からない心境であろう。
 いつから、このような癖
がついてしまったのだろうかと考える。
 私は躰
(からだ)を張って、生死の境を見極めようとしていたのかも知れない。肉体を精神力でコントロールしようとする武士道の生き態(ざま)に感化されて、それを試して見ようとしていたのであった。そのことが少なからず、緊張を生み、ある種の戦慄を生み、今、生きているという証(あかし)が感じられたのだった。つまり舞台役者が、自分の役所(やく‐どころ)に応じて、その役に成り切り、完全に成り切ったと言う次元で、身も心も捧げ、その役の大きさに酔うのである。私は、完全にその役に成り切った積もりで居た。

 私はウィスキーのグラスを目の前に、ひとときの翳
(いや)しを楽しみながら、酔いが回るに従い、半分、仮睡(まどろみ)の世界を彷徨(さまよ)うように、過去の回想に耽っていた。そして、それは酔うほどに深くなっていった。口に運んだウィスキーのロックを、舌で転がすように味わいながら、私は自分が、もしかしたら乱世の戦国時代に生きているのではなかろうかという錯覚に陥った。しかし、これには不服が無かった。私にとっては、あるいは、この時が乱世だったかも知れない。酔ったせいでもあろうが、肚(はら)も据(すわ)り、目標も定まり、戦機(せんき)も熟していた。後は戦うだけである。
 私は今、一匹狼の血の喧嘩師になろうとしていた。頭の中は、静かに動いている標的を追っていた。その標的は幾重
(いくえ)にも巧妙な連絡網を持ち、片時(かたとき)もじっとしていないのだ。そして真実という標的は、絶えず動いているという結論に至った。

 何処に狙いを定めればいいのだ、そんな危険を回避する反芻
(はんすう)を繰り返す度に、少なからず、私に迷いを生じさせるのである。
 酩酊
(めいてい)の“ほろ酔い”とは裏腹(うらはら)に、微(かす)かな野獣的な直感が胸騒ぎに似た、細波(さざなみ)をたてているのである。
 果たして、たった一人で奇手
(きて)を用いたからと言って、多数を相手にする個人プレイが何処まで通用するか、そんな危惧(きぐ)の念を抱いたのである。最近はゲリラだって、立派な軍隊組織を形成して活動を行っている。

 だが、私はどうだ。組織も持たなければ、情報も皆無ではないか。十九世紀的なロマンティシズムの、一匹狼を気取ったところで、果たしてそれが何処まで通用するものか、この命題は容易に答えが出せそうにない。
 そして尚も反芻する。
 個人の暴力で、多数の暴力に対抗しても、所詮
(しょせん)は多勢に無勢。結果から云えば、袋叩きの目に遭(あ)って、滑稽(こっけい)で、悲惨な末路(まつろ)に追い込まれるのは必定だった。
 《いつでも死ねる》と自負しながらも、その非情な精神が、つい箍
(たが)を弛(ゆる)め、事勿(こと‐なか)れ主義に転落していくのは、世の中に往々にしてある事なのである。
 なにかしら、過去の反芻
(はんすう)から起った、ボヤキの不安が対決を目前に、心をじわじわと腐蝕(ふしょく)し始めていた。しかし、今一つの作業が残されていた。それは《いつでも死ねる》ことはさておいて、問題は由紀子に悟られない、布石(ふせき)を準備しておかねばならないことだった。

 元来が小心者の私は、考えれば考えるほど、その答えが出せなくなって混乱を極める性格であった。またそれが一杯、そしてまた一杯と、酔いに任せて酒を呷
(あお)るのである。ついに追い詰められた状態に、心を趨(はし)らせるのであった。そのたびに葛藤が起こる。
 そんなとき、普段なら「もう、それくらいにしたら」と、彼女から気遣
(きづか)いの声が掛るのである。それで仕方なく、お開きにしてしまうのである。これを押し切って、深酔いする威勢はない。後は早く眠りに就(つ)くしかないのだ。
 こんなとき、私の就寝手段は、出来るだけ日本語の翻訳
(ほんやく)の極めて悪い、意味不明な、外国物の推理小説を読んで、眠りに就こうとする姑息(こそく)な手口が残されていた。翻訳の悪い、外国モノの推理小説ほど、眠気を誘うものはないからである。
 私にはこういう訳の分からない、翻訳モノの推理小説を読むと、つい眠くなる癖があった。
 しかし、今宵はこんな声も掛からない。由紀子はそんな私の傍
(そば)で、酔い潰れて眠っている。静かな寝息を立てている。初めて見る静かな寝顔だった。初めて見る少女の面影を残した寝顔だった。こうした彼女を置いて、対決に臨むことは、一瞬憚(はばか)られる。心に、後ろ髪を曳(ひ)くものがある。何か戸惑うものがある。自分で、何故だろうかと思う。しかし行かねばならない。
 放っておけずに、「義によって助太刀
(すけだち)申す」のだ。

 男が戦場に赴
(おもむ)く前日、やたらに女を欲しがると言う。女の躰(からだ)を欲しがると言う。それは恐怖が性欲を増幅させるのであろう。一種の脳に心理的異常が生じて、性腺(せいせん)を刺激し、異常性欲を起こすからであろう。この異常性欲は総(すべ)て、恐怖から起こるものである。恐怖は、また性欲を増幅するからだ。
 しかし、性欲の捌け口に女体が使われるとしたら、それは実に惨めであり、また女性の尊厳を傷つけることになる。女は、道具ではないからだ。
 日本には女を道具に使う悲しい歴史がある。また、それを容認する考え方もある。
 そして、人情的には、戦ってやがて死ぬ場合もあるのだから、せめて生きている今の間に、女を抱いて死んで行こうと思う女性軽視の考え方もある。これは少しも思い残すことなく、未練なく、死んで行こうと考えるのかも知れない。
 しかし、こうした時の性欲は永遠のものでない。一時のものである。一時の高まりが去れば、それで終る。永遠に持続するものではない。しかし、これでこの世との未練を断ち切ろうとする。

 かつて特攻隊員は、出撃前、そう言う気持ちで女を抱いた。また、特攻隊員を世話する特攻隊基地の近辺の女学校の女学生たちは、自ら進んで彼等に身を捧げたという。出撃の前日、彼女達は特攻隊員の、「生きながらに神」と称された彼等と一夜を伴にした。周りの者も、こうした仲を不純とは思わなかった。決して不潔とは思わなかった。
 特攻隊員と彼等を世話した女学生との間には、やはり「死んで帰らぬ……」という同情の念から、こうした即席の、男女の肉の関係が生まれたのではないかと思う。
 その一方で、肉欲を抑えて交わらず、確かに一晩女学生と夜を明かした隊員も居たと聴く。隊員全部が女学生と交わった訳でない。穢さぬまま、白菊を散らさないまま、そっとしておいた隊員も居たと言う。サムライとはそういうもので、男の優しさとはそういうものではなかったのか。貌 が性器では情けない。

鹿屋基地より出撃する海軍の特攻隊員。彼等は出撃前夜、何を考え、死に臨んだのだろうか。(毎日新聞社編・昭和史「空襲・敗戦・選良/昭和20年」12巻より)

 特攻隊員の全部が全部、女学生と一夜を伴にしたとは言わないが、しかし、出撃の前日、初めて肉を交え、女学生と寝た特攻隊員は、決して少なくなかったであろう。この世の、最後の見収めだったかも知れない。
 それが純粋な気持ちから起こったことだけを願う次第である。
 その、何れが清いとは分らないが、私は「忍ぶ恋」あるいは「丈の高い恋」を取りたい。

 最後の人情を持ち出せば、これも頷
(うなず)ける話であるが、しかしその一方で、戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の主人公シラノの抱いた、葉隠的な「忍ぶ恋」の戦場に赴(おもむ)く手段もあるのではないか。何も、肉の交わりがなくてもよいのではないか。
 シラノは激戦地に赴き、あの壮絶な「アラスの戦い」で、決心通り自分の想い人のロクサーヌに一言も、自分の心の裡
(うち)を明かさなかった。これにより、彼の恋は生きたのである。むしろ、死にかこつけて、女を抱く理由を求めず、ただ純粋に、恋に殉じ、恋に死んで行くことだけを願ったのである。それだけに、この恋の格は高くなる。丈の高い恋になる。私もシラノに肖(あやか)りたいと思う。
 忍ぶ恋……。穢れなきものは穢れなき儘にしておきたい。この心情の儘で出撃する。私の信念だった。

 心の底では、ただ一人の女性である由紀子を愛し、こよなく愛して、死んで行くのも恋に殉
(じゅん)じる男の定めではないか。そういう結論に至ったとき、あえて肉を交える必要はない。肉を交えることこそ愛の証とするのは、北村透谷(きたむら‐とうこく)をはじめとする進歩的文化人の瞞(まやか)しでしかない。北村の恋愛や精神的価値の意義を説いた評論『厭世詩家と女性』は、私の肌に合わない。読んでいるうちに段々向かっ腹が立ってきた。遂に一読して投げ捨てた。戦後のまで及んだ恋愛至上主義が、近代日本の多くの男女を金縛りにする手引書になっていたからだ。そして、不幸と思わせ、読者を悲哀の底に沈ませたのである。
 北村は「恋愛は人世の秘鑰
(ひやく)なり、恋愛ありて後(のち)人世あり」と書いた。
 秘鑰とは、男女の秘密の蔵を開ける鍵の意味である。男女は交わることで秘密の扉が開かれる。それが何故か不倫に酷似するのである。また、戦後の目合を礼賛する“性器教育”に繋がっているように思える。
 この瞞しは、「丈の高い恋」を穢す。穢れては恋となるまい。安易に肉を穢してはならない。私のような考え方もあるのである。精神世界に身を置くのも悪くないものである。
 ふと、そう思う時、傍
(そば)に、静かに寝息を立てている由紀子を見て、この顔といいといい、この躰、それを見れば見るほど、一瞬、目を背けずにはいられなかった。そして惜別の念が湧いた。
 もう直、行く。決行する。こうしてこのアパートに戻れるのは、あと何回くらいあるだろうか。おそらく数えるほどしかあるまい。



●育ちの良さ

 “今日は死ぬ”その決意をした昼下がりの午後、及川英治
(おいかわ‐えいじ)が突然アパートを訪ねて来た。
 このアパートは道場生にも知らせてなく、殆ど誰も知らないのであるが、なぜか及川は此処を突き止め、私に会いに来たのだった。及川は入口の三和土
(たたき)にいきなり土下座し、「先生。申し訳ありません」と平蜘蛛(ひらくも)のように這(は)い蹲(つくば)ったのである。話がこじれて、安田組との間に難問が持ち上がっていることは、及川も薄々感じているようだった。あるいは彼は、私は今日蹶起(けっき)することを、本能的に、直感的に感じ取っていたのかも知れない。
 そして「自分もお供させて下さい」と謂
(い)うのだった。

 及川は、手土産として『ジョニーウォーカー』の黒を持参していた。
 「これを飲んで下さい」と言うのであった。
 随分と奮発したのだろう。1970年代当時、ジョニ黒で1万円くらいはしただろうか。
 他人の家を訪問するときに、手ぶらで訪れてはならないということは、普段から親から言われていたのであろう。その上に、自分が原因で問題がこじてているのだから、それは当たり前だと考えたのだろう。
 この少年は、一応“恥を知る”ということが理解出来る人間なのだろう。他人任せで、頬
(ほ)っ被(かむ)りしないところは、及川自身の育ちの良さのようなものがある為だろう。
 育ちが良い悪いと言うのは、決して金持ちの家に生まれたから育ちが良く、貧乏人の家に生まれたから育ちが悪いと言うのでなかった。

 育ちの良い人間は、自分に与えてもらったことを決して粗末にしない人間であった。これらに対し、育ちの良い人間は素直に感謝出来るのである。
 それに反して育ちの悪い人間は、こうしたものに対して殆ど無反応で、“義を見てせざるは勇無きなり”などの感知する能力はなく、ただ損得勘定だけで動く人間である。地位や名誉を欲しがり、出世欲をギラつかせ、野心に燃えるばかりで、他人のことは構っておれないとするような人間が、実は育ちが悪いのである。この育ちの悪い人間は、今日では、少しばかり小金を溜め込んだ、自称“資産家”と自惚
(うのぼ)れている人間に多いようだ。

 その意味で、損得勘定ばかりを計算する小金持ちが、特に始末が悪いようである。
 また、自分の出身学閥を自慢したり、学のあるところをひけらかしたり、自分の持ち物を自慢するような人間も、実は育ちが悪いのである。また他人の家を訪問しても、手ぶらであったり、口先ばかりの言葉で示せばそれで済むと考えている人間も、実は育ちが悪いのである。
 手土産を持参するとか、贈り物をするとかは、これは好意の象
(あらわ)れである。訪問される方も、相手が物を持参すると期待することは賤(いや)しくて、それ自体が育ちの悪いことを顕わすのだが、人間は、まず自他に境目を設けているから、自分の心の象(あらわ)れは、最初は「物」で顕わすしかない。好意の象(あらわ)れが直接「物の表現」となるのである。

 感謝の気持ちを、言葉や態度だけでいいと云う人がいるが、それで済ます人間は、実は自分の育ちが悪いことを自分で暴露
(ばくろ)しているようなものである。
 地位や身分に関係なく、初対面者の訪問でも、あるいは面通しされて知人と言う関係になった場合でも、その人の家を訪問する場合は、絶対に手ぶらではいけないのである。
 物を差し上げると言う人間独特の行為は、人間だけのものであり、動物には実在しない。

 物を差し上げるには、出費の点でも、心遣いの点でも、持参するこちらは、はっきりと犧牲を払う訳であるから、その「犧牲」こそ、感謝の印なのである。しかし、犧牲を払わずに、口先だけでは何とでも言えるのである。口先で済ます人間は損得勘定が敏感で、犧牲を払うのが嫌だから口先で終らせるのであり、損をすることが嫌いなのである。損をすることを喜んで出来ない人間ほど、実は「育ちが悪い」と言えるのである。
 その点、及川は十代後半の学生の分際でありながら、自らの身銭を切り、手土産を持参したと言うことは、寔
(まこと)に“あっぱれ”であったといえよう。

 及川は、“足手纏
(まと)いにならないから、是非お供をさせて欲しい”と懇願(こんがん)するのだった。
 私が、「お前を何処にお共させねばならないのか?」と訊
(き)くと、それについては具体性がない為か、困惑するばかりだったが、私が何かをやらかそうとすることは、薄々感付いているようだった。それが今夜だということも感付いているかも知れなかった。
 しかし、及川も私は戦争を遣
(や)るなどとは決して思っていないだろう。話をつける為の話し合いか、それが決裂した場合の“出入り”程度の喧華を予想していたはずである。営業の再交渉のように、捻(ねじ)れてしまった商談をもう一度、渡りをつけに行くのとは訳が違うのだ。
 素手で遣り合う喧嘩上手の及川でも、多勢の無勢の実戦では、後込
(しりご)みしてしまうはずである。
 私は及川が想像も出来ないほど、空恐ろしいことをやからす準備を始め、既にその準備が整い、いよいよ今日がその日というところまで来ていたのである。そうした状況にあって、この少年を戦争の中に巻き込むことは出来なかった。
 もう、私一人の問題に移行されていたのである。そして「安心しろ」と言って、及川を帰したのだった。



●他力一乗の会得

 勝つか負けるかは、因縁が決める事である。天のみが知るところである。人間はその因縁に任せればいいのだ。死する因縁ならば、さっぱりと撃たれて死ねばよい。また生きる因縁があるのならば、片輪になっても生きているだろう。しかしどうなるか、それは人間の知るところでない。

釣鐘に蝶とまりたる彼岸かな

 彼岸の入りに善男善女が行き交
(か)う、此処は寺である。その寺の釣鐘堂の鐘には、一匹の蝶が止まり、一時を微睡(まどろ)んでいる。こうした光景の下に、何人かの子供達が竿(さお)を持ち、蝶を捕まえようとあたりを走り回っている。そして子供達が、釣鐘に止まった蝶を見つけ、そこに竿をそっと差し出し、「いまだ」と思って捕らえようとするが、蝶はひらりと躱(かわ)して飛んで逃げて行く。そんな微睡む蝶の事である。
 この時の蝶は、何も子供達の竿に構えて微睡んでいるわけではない。春の日差しの心地よさに、ただ釣鐘に止まり眠っていたに過ぎない。滅びる因縁ならば、捕らえられたであろう。生きる因縁ならば、捕らえられずに逃げて行く。竿が襲った時、どちらに逃げるか、それは天が決めることである。どちらに逃げるか、蝶の計らいでない。天の計らいである。「生」に導くも、「死」に導くも天の御心
(みこころ)による。それは他力一乗(たりき‐いちじょう)である。だから自分の計らいでない。

 これこそ、天一条
(てん‐ひとすじ)、神一条(かみ‐ひとすじ)であるといえよう。
 人間は、結局は最後は死ぬのであるが、死ぬその日までは、装いも美しく、健康で自由自在を全
(まっと)う出来るように、最初からそのような「徳分」が身に付いている。しかしその徳分を曇らせているのは、人間の固定観念や先入観で、徳分が身に付かないようにしてしまったのは、人間自身の“思い込み”による怠慢(たいまん)からである。
 ところが、徳分のない人間は、自分に徳分が身に付かないのは、自分自身に問題があり、心の捻
(ねじ)れや歪(ゆが)みに気が付かない。その「捻れ」や「歪み」を放置して、自分は徳分がないと歎(なげ)いているのである。しかし実際には、徳分がないなどと心配せずとも、最初に運命から与えられてちゃんと徳分は身に付いているのである。徳分を外に求めるから身に付かないのであって、裡側に求めれば、その徳分はちゃんと備わっているのである。

 さて、剣術の流派に「真影流
(しんかげ‐りゅう)」というのがある。後に新陰流などに分派した流派である。直心影流などもこれに含まれる。
 本来の「真影」とは、字を検
(み)ただけでは何のことか分からない。真影流の創始者は、上泉伊勢守秀綱(かみいずみ‐いせのかみ‐ひでつな)だといわれている。秀綱は室町末期の剣客で兵学家でもあった。そして後に「武蔵守秀綱」を名乗る。
 本来、真影は「しんえい」と言う字からも分かるように、実物そのままの姿を指す。それが「影流」の起源だった。そして「陰流」などを学び、秀綱は「新陰流」を興すのである。その基本思想が「真影」だった。
 真影の「影」は“陰”であり、また「影」は他力一乗の事である。
 他力一乗こそ、「信一条
(しん‐ひとすじ)」と言ってよい。
 「陽」とは、自力であり、自我であり、我
(が)の意である。これに対して「陰」がある。
 つまり「影」である。この影は「お陰」の意味である。
 御恩を受けることを「おかげ」という。この「おかげ」は自分による力でない。天から恵まれた力である。運命から与えられた力である。神の助けを「冥助
(めいじょ)」という。
 「冥」とは“暗い”ことをいう。
 しかし単に暗愚という意味でなく、「奥深い」ことをいう。眼に見えない“神仏の働き”をいう。これこそが「影」の背後からの働きである。御加護の事だ。

 眼に見えるのは人間の働きによる“人間の力”である。ところが神仏の働き、則
(すなわ)ち天の働きは眼に見えない。運命の働きは眼に見えない。こうした眼の世界、則ち肉の眼で見える世界の物は、天の働きを見ることが出来ないのである。
 喩
(たと)えば、蛇を神格化した「龍」の働きは、人間の眼には顕われない。総ての万物の奥深いものは、人間の眼で捕らえることが出来ない。万能絶対の物を、人間の肉の眼で見ようとしても不可能なのである。こうした「万能絶対の力」は、物事の表皮にあるのではなく、その裡側(うちがわ)である。「表」にあるのではなく「裏」にある。表技は所詮(しょせん)裏技に勝つことが出来ない。
 こうしたものは「陽」にあるのではなく「陰」にある。総て大事なものは「裏」に存在する。
 これは「本当の栄え」というものも、そうである。「陰」にあるものこそ、本物であり、「陽」で押し捲
(まく)るものは本物でない。この関係は「剛」に対しての「柔」のようなものである。自由自在に囚(とら)われないで動くのが「柔」である。こだわりを捨てて動くのが「柔」である。
 「こだわりを捨てよ」とは、この事をいうのである。

 私も「こだわり」を捨てようと思った。固執しまいと思った。肩肘を張ることを捨てようと思った。
 この世は、何事も「捨てる中」に真理がある。捨てれば天に任せられる。何事も「任せる」ことに、真理があるのだ。則ち、「目立ちたがり屋」では役に立たないのである。控え目に、慎み深く、自分自身を目立たなくすることこそ、真理であったのである。それは「影」に徹することだった。目立たないことである。
 これこそ、用心の鉄則である。
 何故なら、運命に前には、用心もその価値を失うからである。よほど心して掛からねばならない。
 世の中には、「なせばなる」ではなく、「なしてもならない」ことがある。なせばなるは、人間の思い上がりである。なしてもならないことを知るべきである。用心しても、その用心が価値を失う場合のある事の、プランAだけでなくプランBやプランCまでも用意しておく必要がるのである。そこまでの洞察と徳分を持ち合わせねばならないのである。

 本来、徳分というのは、当方が表に立って“主”とならず、相手を表に立てて主に押し上げ、自分は控え目にして慎
(つつし)むことを知り、あえて「従」となり、「影」となることにより、真影の意味が明確になる。つまり「陰」のことだ。だから「影」は「陰流」なるものを秀綱は創始したのだった。
 陰流とは、「徳分」を明確にさせる流派であったのである。
 一番いいところを、他人に譲ってこそ、その徳分は明確にされ、その源泉は、自分の裡側
(うらがわ)から顕われる。昨今は格闘技ブーム、古流武術ブームであるが、この種の愛好者の多くは、自称“武術研究家”などと称する「目立ちたがり屋」ばかりが、犇(ひし)めいている。愚にも、自己宣伝に逸(はや)り、自流を誇大誇示し、他を批難し、詰(なじ)り、見下し、中傷誹謗を論(あげつら)う連中で汚染されている。
 特に「大東流○○会」などと名乗っている、素人の愛好団体は、この種の人間が多い。こうした愛好者の多くは、まさに徳の失われた団体であるとも言えよう。自らを誇張し、自らが表に立ち、自らが「主」となり、他を退
(しりぞ)け、傲慢(ごうまん)を極めている。この傲慢こそ「表」であり、「陽」であり、まさに自己宣伝と目立ちたがり屋を自ら暴露(ばくろ)したようなものである。

 さて、「他力一乗」に徹すれば、如何なる徳分が生まれるか。
 それは「他力」により、智慧
(ちえ)が飛び出すからだ。自分の頭で一々考えない、また自分の肚積もりで考えない、「他力」による智慧が飛び出して来る。この「智慧」こそ、天の働きであり、運命の働きなのだ。
 俚諺
(りげん)にも、「人事を尽して天命を待つ」というではないか。人智ではない、天の力だ。
 人間の出来る限りの努力をした後は、その結果を天に任せればよいのである。その上は、天命に任せて心を労しないことなのだ。その結果がいいか悪いかは、それは天が決めることであり、運命が決めることである。「決められる」ことに、心を煩
(わずら)わし、“こだわらなくても”いいのである。



●百人の敵の教え

 私は及川が帰った後、山村師範を訪ねた。もしかすると、死して還らず“今生の別れ”になるかも知れないと思ったからだ。ことのき山村師範は、私の心の裡
(うち)を読んだのか、そうでないのかは知らないが、『百の敵の教え』というのを説いてくれたのである。

 人間は窮地
(きゅうち)に追い込まれて必死になれば、「出たとこ勝負」の、予期もしない中々いい智慧(ちえ)が出て来るものである。切羽詰まれば、断念することにより、人間には“影の力”が働くのだ。
 とことん追い詰められ、絶体絶命の最後を迎える瞬間に、そこには天の御加護が働く。だが、これが誰も彼にもに働くものではない。苦闘し、それに耐えた者だけに働く。これが「他力一乗」の働く所以
(ゆえん)だ。
 その他力一乗と倶
(とも)に、山村師範は『百の敵の教え』という特異なる「心法」を、私に授(さず)けたのである。それを要約すると、以下のようになる。
 喩
(たと)えば、自分が「百人の敵に取り囲まれた」としよう。
 しかし、自分を取り囲む敵は、結局「八人」でしかない。八人は、つまり前後左右、それに右斜め前と左斜め前、右斜め後と左斜め後の放射状に散る、要するに、これだけである。剣を構えて敵と対峙した場合、そこには自分に対して、八振りの剣が向かうだけである。百人と雖
(いえど)も、向かう剣の尖先(きっさき)は八方だけである。したがって「八つ」を相手にすればよい。だが「八つ」に対峙する場合、そこには変化がある。それは「八つ」が間合によって遠くなったり、近くなったりしていることだ。それが始終動いて、それぞれに間合を取り、迫ったり、離れたりしているのである。
 更にである。
 百人に取り巻かれたとしても、そこで対峙しているのは、「八つの尖先
(きっさき)」だけであり、百から八を引けば、残りの九十二は、直接的には無用の剣となる。「八つ」のうち、その時その時の動きに応じて、またその場その場の足探りによって、最短距離を通って迫って来るのは「一つ」だけである。
 この「一つ」を確実に薙
(な)ぎ倒して行けば、刻々と入れ代わり立ち代わり顕われて来る。また「一つ」に刃向かえば済むことである。結局、百人百様の剣も、結局はその尖先の「一つ」に立ち向かえばいい。
 ところが「百人の敵を常に“一つ”にしてしまうこと」が中々難しいのである。
 中途半端で生半可
(なま‐はんか)な稽古では、百を「一つ」にできない。「一つ」にするには、こちらの躰の動かし方も、眼の配り方も、剣捌きも、足捌きも、よほどしっかりしていなければならない。基礎をしっかり積み上げて、基本に忠実でなければならない。そして最も問題になるのは「刻々と変化する変化」である。
 この変化に付いて行けなければならない。更に変化に蹤
(つ)いて行くためには、自在性と、漆膠性(しっこう‐せい)がなければならない。つまり自在に変化に付いて行け、漆(うるし)が粘(ねば)るような接着の貼り付きである。

 百人の剣に囲まれて、百の剣が眼に入ったら、それだけで怖
(お)じ気付き、中々動けるものではない。この状態は百人と対面しながら、その百人の自分を狙う眼が入らない状態であると言える。普通、戦い場合は、「相手の眼」を見る。眼の動きで、相手の動きを予想する。
 しかし多勢に無勢となると、もう相手の眼は殆ど見えなくなる。怕
(こわ)くて仕方なくなる。恐怖に戦慄(せんりつ)が疾(はし)る。もう、こうなってしまっては一歩も動けないし、自分の普段の風雪に鍛えた孤剣も恐怖で錆(さ)び付いてしまうだろう。これは多勢に無勢を、マクロ的に捉えるからである。敗北への捉え方である。百の剣と戦うと言う事は、技術だけではどうしようもない。

 心の律し方が問題である。
 技術だけを磨き、試合ルールで試合の展開を覚えたとしても、それは一対一で、3分間か5分間の観客アピールをするだけの、その程度の技術である。この技術をもって、百の剣に対峙することは難しい。一対一の格闘ルールに則って戦う、試合形式では、百人と戦う戦場に引っ張りだされて直に怖
(お)じ気(け)付き、唯々(ただただ)足が竦(すく)むばかりである。即席の憶病者が出来上がってしまう。
 憶病者は、足が竦むから敵の懐
(ふところ)に飛び込むことが出来ず、それで八人の剣に、ばっさりと殺(や)られてしまう。足が動かず、上肢で闘おうとするからだ。足回りが悪くなり、小手先に頼って、ついには墓穴を掘って、葬られてしまう。これこそ、愚であり、蛮である。虚実に惑わされるからだ。最も警戒しなければならない点である。
 『孫子』によれば虚実篇第六に「われ専
(もっぱ)らにして一になり、敵わかれて十となる。これ十を以て、その一を攻むなり。されば、われ衆(おお)くして敵寡(すくな)し」の有名な件(くだり)が説明されている。


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