運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 2
旅の衣・前編 3
旅の衣・前編 4
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旅の衣・前編 55

諒解を得たり、諭すためには、短く、要点だけを。
 言い過ぎて、くどくなってはならない。言い過ぎては説得力を失う。長ったらしい理論調では説得力が薄れる。


●天下無敵を自称する浮浪者

 敵と言うものは、その全貌(ぜんぼう)が見えれば見えたで、実に恐ろしいものである。また、見えなければ見えないで、何かを企んでいるのでは?と、疑心暗鬼に陥るものである。だが、やはり抜け目なく計算し、奇抜な奇手(きて)を考え出すしかないのである。折角此処まで突き止めたが、これから先が思案に暮れ、行き詰まった観があった。
 そもそも万一の場合を考えている事自体、明暗は暗い方に傾いているのかも知れなかった。
 私は何だか憂鬱
(ゆううつ)だった。気力が弱り、萎(な)えて行く恐怖に捕らえられていた。だが、本当に怕いのは中途半端に力が入り、中途半端になえることだった。これが「中途半端の怕さ」の現象である。この中途半端が如何に怕いか、これを知る人は少ない。おそらく可もなく不可も無くの生き方をしている人は、この本当の怕さを知らないであろう。飼いらなされて、中途半端に飼育された人は、これに気付かない。
 あたかも『死者の書』に出て来る畜生界の動物の如き、自分が豚に生まれて、豚であることに気付かない、その豚の如き鈍感さだ。『死者の書』は言う。
 人間に殺され、また使役される動物は、自身の自由を全く奪われている。羊は毛皮を獲られるために人間に飼われ、虎や熊はその美しき毛皮を獲られるために殺される。ジャコウジカは匂い袋の臭い目当て、角目当てに猟られる。豚や牛は肉を捕られるために飼われ、この種の動物は哀れである。更にもっと気の毒なのは、殺されるために生まれ、育てられ、最後は無慙に容赦なく屠殺
(とさつ)される。

 だがそんな動物たちは、自分の自由が奪われているのにも関わらず、そこから抜け出すことが出来ない。自分自身でどうしたらいいか分からないのである。これらの動物は、心の愚かさで曇らされている。愚かさと無知のために限りない循環する輪の中に在って、果てしない苦しみの中に居る。然もその中にあって埋没する。
 もし、あなたが生活の中で、そうした動物に出遭ったら、彼らの心の嘆きの弦の共鳴を聴き、彼らの心になりきって、その苦しみを共有しなければならない。動物の気持ちになって、同じ性
(さが)を持つ同士、理解することへの努力を怠ってはならない。動物を飼う豚舎や牛舎に出向く事があったら、その喘ぎを少しでも理解して遣って、かつては自分の父母であった生き物と気付き、いま父母は苦しんでいる。それは自分自身だと思って、彼らに深い慈悲の心と愛情を注がなければならない。
 人間は人間界に在
(あ)って、かつて人間であった同じ性を持つ動物であったことを理解し、その苦しみのために瞑想しなければならないとある。少なくとも、万物の霊長の頂点に立つ人間は、その程度の哀れみ心と包容力があって、然(しか)る可(べ)きだろう。
 それを忘れれば、人間は則ち『タルムード』に出て来る「非ユダヤ教徒は豚であって、人間の皮を被った豚だから、豚を啖
(く)っていいのである。罪にはならない」とされる豚(ゴイム)にされ、啖われる家畜にされてしまうのである。

 気力を喪い、萎えて油断すれば、豚として啖われる。これが「ゴイム」の実態だ。家畜の実態だ。
 啖われたくなければ、自分が何者か知らねばならない。家畜か否か。会社に飼われた社畜か否か。黙認し忍従に走れば、生涯曇らされたままの搾取の中で生きることになる。
 「人間牧場」の住人として家畜にされていないか。常に点検が必要である。
 運命共同体……。これは家族ぐるみの共同体である。雇用者一人に、少なくとも雇い主は四人の生活を看なければならない。それだけに労使共々、陰命共同体の構造を作らなければならなくなる。
 差し詰め、会社人間などは、その一員でないのか。組織体では、急速に現代人の社畜化が進んでいる。
 しかし、会社人間は『死者の書』にある通り、自分が組織に飼い馴らされた豚であることに気付かない。その自覚症状もない。社畜の輪廻の輪から抜け出せないのである。

 抗
(あらが)う必要があるのだ。
 だが私は気力が萎えていた。人生最大の不運に見舞われていた。何をするにも全身全霊で事に当らねばならないのだが、それが希薄になっていく気がしていた。
 全身全霊で当れば、確かに自分の意図した思惑通りに物事が運ぶかも知れないが、その確率も、私には低そうに思われた。努力は実らないと言う気がしないでもなかった。むしろ努力は実るまい。
 その暗示が濃厚になり始めた。八方塞がりの観がある、行き詰まると、こうなってしまう。

 今日この頃の私は、何か障害のようなものに妨げられて、自分の心理が、一部後に遺
(のこ)る感じに襲われていた。後味の悪さを曳(ひ)くような気持ちが残留した。そして何を遣(や)っても巧く行かないのだった。そういう暗示だけが、何か鋭敏に感じるのである。
 箴言に「能
(よ)く力を抜くものは、能く勁(ちから)を蓄える」とあるが、私は無気力が祟って、中途半端に力んでしまっていたのである。無意識の緊張もをもって、力を抜き、気力を蓄える必要があった。
 恐れるものはみな来る……、の暗示に掛かり、見もしない明日を自分の裡
(うち)に作り出しているのかも知れなかった。妄想を見て、夢想に惑わされていた。斬り捨てられなかった。
 夢想とはこうしたところから始まり、そこに留まり、澱み、一歩先は混沌として見えなくなるのである。
 それは『三宝堂』の狸オヤジを取り逃がしてしまったと言うこともあった。
 一旦逃がすと、次の手に苦慮する。行き詰まって以来、何を遣
(や)っても遅々として事が運ばないようになっていた。悪い時には、悪いことが重なるようである。

 駆け出そうとしても、危
(あや)うく転びそうになるし、足の縺(もつ)れも感じるようになった。要するにスランプだった。何とも分が悪い、分裂状態が起こり始めていた。自分が不実になったのを感じるのである。あるいは擦(す)れ枯らしで、狡猾(するがしこ)い人間になったように思うのである。誠実さが欠如したように思うのである。果たして、質(たち)の兇(わる)い大人のように、世間擦(ず)れしてしまったのだろうか。
 思い返せば、そのことが否定出来ないのである。おそらく世間の垢
(あか)に汚れてしまったのだろう。
 ほんの少しの間に、私は“自分が世間擦れしてしまったな”と思うころがあった。今こそ至誠
(しせい)に戻らなければならない。「まごころ」を示さなければならない。中心に戻る。赤誠の戻る。赤子に心になる。
 だが、そう簡単には問屋が卸さない。
 私には感傷の残像現象が起っていた。それは世間擦れしてしまったことへの反動であったのだろうか。
 またその反動は、一転して漆黒
(しっこく)の闇に広がるようである。


─────私には感傷の残像現象が起っていた。ある日、突然貧乏神が取り憑いた。背中に確りと貼り付き、一体型になっていた。それは世間擦れしてしまったことへの反動であったのだろうか。
 またその反動は、一転して漆黒
(しっこく)の闇に広がるようである。
 こうした心が滅入って居たときに、私は“一人の乞食”に出会ったことがある。
 この男は見るからに乞食だった。歳の頃は三十代半ばで、髪は伸び放題で肩下まであり、髭
(ひげ)も伸び放題で胸下まであった。顔中、毛で覆われていた。風呂や水浴も恐らく一年以上は、何も入っていないのではないかと思われるほど悪臭を漂わせていた。着ている物は、至る所が破れており、靴は履(は)かず裸足だった。
 この男の靴を履かない理由は、履くと、靴が減ると言うのだった。靴は持っているが、履かないのである。
 持っていて、敢えて履かない。何と優雅な考え方であろう。

 では靴を減らさないために、どういう方法を講じているのか。
 ズボンのベルトの変わりに藁
(わら)の太い麻縄のような物をベルト代わりに締め、その麻縄のベルト部分に靴の左右を並べて差し込んでいた。奇妙奇天烈、天下の変人。まさに超奇人の域だった。傍から見ていて、それが実に優雅に見えるのである。持たないから履いてないのでない。持っているから履かないのである。
 そして上衣は、シャツなどではなく、明らかにオンボロの継ぎ接ぎ道衣だった。その道衣の背後には下手糞
(へたくそ)な字で、「天下無敵」と書かれていた。それだけで充分に天下の変人だった。
 そのうえ大蒜
(にんにく)臭い口臭を辺りにに蒔(ま)き散らしながら、肩にはボロボロの緑地に白菖蒲模様の信玄袋(しんげん‐ぶくろ)を担いでいた。
 ある日、この男が道場にやって来たことがあった。私はこのときに正真正銘の乞食を見た。混じりっけなしの100%純粋な乞食であった。

 「頼もう!」
 こうした声が掛かったのは、少年部の稽古が始まる少し前の午後五時頃だった。
 私は今どき、道場を訪問するのに「頼もう」などと云って、時代劇然とした訪問した人間に出会ったのは、これが最初で最後だった。そして道場に集まっている子供達数人が、「先生、玄関に乞食が来ています。靴は履かずに裸足です。臭くて穢
(きたな)いです。どうしましょうか?石でも投げ付けてやりましょうか?」というので、玄関へと飛び出していったのである。
 今どき、“福祉の発達した日本に乞食が居るものか。仮に居たとしても靴など履かない乞食がいるものか。乞食だって靴ぐらいは履いているだろう”と思い、玄関に飛び出していったのである。そして、それを見て驚いた。まさに乞食だった。正真正銘の天下の乞食だった。
 この男を見たとき、何処から検
(み)ても、100%紛(まぎ)れもなく、純粋な純正な乞食だった。乞食であって、乞食以外の何ものでもなかった。そんな乞食を、私は生まれてはじめて見たのである。まさにホイトウであった。それを見て、羨ましいとさえ思った。完全なる自由人であった。何者にも縛られてなかった。

 この乞食男は、おもむろに声を発した。
 「えーッ、こちらの道場の館長殿は御在宅でしょうか?」
 私は、その風体
(ふうてい)を見下すように、「館長は私だが……」と言い捨てた。
 「これは大変失礼をば仕
(つかまつ)りました。わたくしは真田拳雲斎(さなだ‐けんうんさい)と申す天下無敵の拳法家でござる。願わくば、ひとつ“会津自現流”と、お手合わせ戴きたい、いざ!」と申し出たのだった。他流試合の申し出であった。
 私はこう申し出られて、この乞食男は頭が訝
(おか)しいのではないかと思った。それに喋る言葉自体が、実に前時代風で、映画かテレビの時代劇の見過ぎではないかと思われた。

 「?…………」私はこの男の精神状態が計りかねた。
 “いったい何者か”と、そんな穿鑿
(せんさく)が駛(はし)っていた。するとこの乞食男は突然大声を発して、「御貴殿は無礼ですぞ!人を見るのに、風体で判断するとは。これは失礼でござるぞ!」と、言葉は益々時代劇掛かった。これは私への抗議であった。
 確かにこの乞食男を検
(み)るに、私はその風体で判断したことは否めない。言われてみれば、尤(もっと)もだと思うが、心の中では“乞食風情が何を抜かす”という高飛車な傲慢(ごうまん)があり、この男を完全に見下していた。そして伸び放題の髪と髭の中から、鋭く光る双眸(そうぼう)を見詰めてみた。
 その双眸
(そうぼう)は恐ろしく炯(ひか)っていた。それは狂人の眼とは違っていた。精神状態はまともであるらしい。鷹の眼のような、鋭い眼光を湛(たた)えていた。
 しかし、眼だけはまともであっても、その風体が余りにもみすぼらしく、“何で俺が、この乞食如きと手合わせしなければならないのだ。お前こそ高飛車に構えいるのではないか”と睨み返したのである。
 私は大声で、「断る!」と言い放ち、直に退散を願った。
 「御貴殿は、拙者
(せっしゃ)を風体で判断なされるのか。それとも拙者の腕に恐れをなし、尻尾を巻いて逃げ出されるのか。双方のどちらであろう。いざ勝負!」
 この乞食男は、どこまでも自分のポーズを崩さなかった。
 このような問答をしている内に、少年部指導の進藤竜太
(しんどう‐りゅうた)という道場生がやって来た。進藤は玄関に入り込んだこの乞食男を、穢(きたな)いものでも見るように、「先生、この男なんです?。こうした者を玄関に招き入れては、今から集まって来る少年部の子供達や、その付き添えの親達が迷惑するじゃありませんか。迷惑するだけではなく、わが道場の沽券(こけん)に関わりますよ、追い出して下さい」と、やはり私と同じ意見で言い捨てた。

 「この男が太刀合いを所望すると言うのだ」
 「なに!太刀合い?」進藤はその言葉を聴いて、怒り心頭に来という感じだった。
 「左様」乞食男が横から口を挟んだ。その「左様」の一言は、実に堂に入ったもので、時代遅れで前近代風だったが、ちょっとした風格を感じさせた。
 「今どき“太刀合い”だと?……、道場破りをしようと言うのですか。先生、全く馬鹿げていますよ」
 「この道場は師匠の見識も疎
(うと)ければ、弟子の見識もそれに輪を掛けて疎い。眼力に欠ける。そうした乏しい見識眼で、人を姿形で判断されるのはお止めなされ。無礼でござるぞ!」再びこの男が、時代劇風の台詞で一喝(いっかつ)をくれたのだった。しかし胸を張り、毅然としているから不思議である。
 「なんだと、この乞食野郎!」進藤が激怒して言い返した。
 「それそれ、そこが高慢
(こうまん)ちな物言いでござる!お控えなされ!」
 この乞食男も敗けては居なかった。
 「太刀合いなら私がやります。三秒以内に倒してみせます。どうかご許可を……」と進藤は言う。
 「いや、ならん!俺が太刀合おう。表の境内で遣
(や)ろう」
 私はそう言い放ち、境内に出た。
 乞食男は自信ありげに、「御貴殿は、好きな得物を選びなされ。木刀でも杖でも棒でも槍でも構わん。あるいは真剣でも宜
(よろ)しゅうござる。拙者は素手で参る。いざ!」と、掛け声だけは元気良かった。
 「こちらも素手でよい」私はそう云い放ったのだった。
 そして私もこの男と同じ条件になるように、裸足で道衣のままで、素手で、という条件下で太刀合いをすることになった。
 この男は尚も、自信ありげに「わが流は“最真正大極拳法”と申す。いざ!」と時代劇の台詞のようなことを言うのであった。その“最真正”と名乗った太極拳の“くだり”が、実にぎょうらしかった。
 そして太刀合い前のトレーニングと言いって、“五禽
(ごきん)の型”と称したもの次々にを遣ってみせるのだった。それがまた何と表現していいものやら、分析に困った。
 この男の言う“五禽の型”とは、この男流で言うと、五頭の猛獣
(虎・熊・鶴・鷲・猿)を拳法の型に取り入れたものであると言うのだった。

 その演武する“五禽の型”は見事なほど下手だった。この男が演武と称して境内で踊り回っている時、道場の子供達もそれを見に出てきて、その奇妙な動きを見て大笑いしたのだった。ふざけているようにも見えるからだ。余りにも滑稽で、「猿の型」ともなると、舌を上唇に含ませて猿貌を作り、猿の動作を真似して、ただ猿回しの猿のようにうろつくのだった。もうそれは拳法と言うものではなかった。ただの道化だった。道化師が客から笑われるために演技をしているように映るのである。
 これを見たとき、もう私は完全に“お話にならない”と諦めたのだった。なにが“天下無敵だ”と思ったのである。言葉の語りは前時代風で喋るが、その武人としての技術は“さっぱり”だった。下手に、「糞」を三つも四つも、付け足していいほど超下手だった。
 そうこうしている間に、進藤は怒りを露にし、「あの男、叩き潰して追い払ってきます」といって、追い出しに掛かった。進藤はすっかり頭に来ているらしく、ジャブのような軽い突きを男の眼の前に繰り出し、打ち込もうとするのだが、この男は、それを飄々
(ひょうひょう)と、実にうまく躱(かわ)すのである。身の動きが素早かった。敏捷性はあるようだった。身体能力もある。下手なようで、躱(かわ)したり去(い)なしたりするのは巧かった。これは自己流の捌きであろうが、躱して逃げるのだけは素早かった。そしてこの男の道衣の後ろ襟の首根っこを捕まえるのに、進藤は3分以上の時間を要して、汗びっしょりで息も切れ切れと言う状態であったが、男は汗もかかず、息切れもしてなかった。
 私の心に、「大体こいつは本物か?」という疑念が疾った。
 進藤から首根っこを抑えられた乞食男は、口惜
(くや)し紛(まぎ)れの棄(す)て台詞を吐かねば、気が済まないという貌をしながら、「御貴殿のお弟子は、修行がまだまだでござるなあ。やはり拙者は館長殿と直々にお手合わせ仕(つかまつ)る」と言張り、まだ諦めていなかった。
 「では、拙者から必殺の一撃をお見舞い申し上げる。ご免!」といって、下手糞
(へたくそ)な前蹴りを蹴ってきたので、転身して裏拳を叩き込んだら、それは見事に“人中(じんちゅう)”に極まり、そのままその場に伸びてしまった。身のこなしは鋭敏だが、やはり口ほどのもないという失望が、私の脳裡に走り抜けた。
 「この男、どうします?」進藤が訊いた。
 「そのまま、暫
(しばら)く寝かせておけ」

 私はいい迷惑だった。そして20、30分してこの男がのそのそと起き上がり、少年部の稽古中にまた道場の玄関に立ち、「お稽古中、大変申し訳ござらぬが、これに御署名願いたい」と言ってきたのである。
 私は“まだ何か……”と、迷惑そうな貌をしながら、「まだ何かようか?」と訊くと、「他でもござらぬ、拙者は拙者を倒した御仁
(ごじん)に御署名を戴いており申す。御貴殿は拙者を一撃で倒したのだから、これに御署名する義務がござる」と云って、一冊の穢(きたな)い大学ノートを差し出した。実に馬鹿なことをいう男だった。やはり頭が訝(おか)しいのか……。そうでなくとも充分に奇人だった。
 この男は自分が負けたことを、その義務の言葉に摺
(す)り替えて、署名を要求するのである。負けても中々したたかだった。本来ならば、こういうのをネバー・ギブ・アップと言うのかも知れない。習性は蛇かも知れない。その大学ノートには、一本の“ちびった鉛筆”が黒ずんだ紡績糸で縛り付けらていたのであった。男は署名を願うと言うのである。どうしたものかと思いながら、渋々、その鉛筆を手にしノートを開くと、そこには全国を回って試合をして歩いたらしく、都道府県名・市町村の町名まで住所が書かれ、署名し、多くが捺印までしていたのである。そのくせ薄汚れた道衣の背中には『天下無敵』の文字が下手糞に書かれていた。どこが天下無敵か、と思った。
 ノートの扉の裏には、「拙者、真田拳雲斎
(さなだ‐けんうんさい)は、以下、御諸兄と確かに果たし合いを致し見事に負けたことを慎んで証明致します」と、自分が負けたことを証明する“敗北の欄”を設けていた。その敗北記録は、かなりのもので、都道府県を見ると、北海道から沖縄まであった。負け試合を演じながら放浪しているのであろう。
 「拙者は確かに御貴殿から見事に負け申した。今後は日夜精進を重ね、今一層努力して、次には必ずや御貴殿を倒してお見せし申す。勝たずとも、引き分けに持ち込むまでの腕にはなって、もう一度、御貴殿と太刀合いをお願いつかまつる。では、ご免」う言って踵
(きびす)を返し、一旦玄関から立ち退いたのであった。
 今どき、変なものを見てしまったという感想が、私の脳裡に遺
(のこ)った。男は正気なのだろうか。

 稽古を終えて、アパートに帰ろうと思い、戸締まりをしているとき、玄関の外に黒い影が走るのを見た。
 いつも道場は稽古が終ると、私が戸締まりをして最後に出るのだった。
 その時に何かを見たのである。それは人間であるか、犬か猫などの獣であるかは定かでなかったが、足の速い何かが疾
(はし)ったのだった。その疾りは素早かった。動物のそれによく似ていた。
 しかし、別に気に留
(と)める分けでもなく、寺の階段を降りて帰宅の途だった。その階段を降りる際も、やはり何かを感じた。何か、獣が潜んでいるような、そんなものを感じたのである。一体何が潜んでいるのであろうか。
 それでも別段、気にも留めなかった。動物のようなものが襲い掛かるとも思えなかったからである。

 その時である。何かの物体が舞い上がった。まさに襤褸のような物体である。
 階段の半ばくらいに差し掛かったとき、「ハー……フン……」と、奇妙な奇声を発した物体が飛びかかって来たのである。それは中国語とも日本語とも分らないような、動物のような奇声であった。
 その体臭からして、あの乞食男のものだった。直ぐに悟った。
 私は上空の飛び蹴りを躱
(かわ)し、その物体を払うと、物体は滑稽な悲鳴を上げて、薮(やぶ)の坂道を転げ落ちていった。それは自分で、勝手に転げ落ちて行ったと言う感じだった。実の弱過ぎたのである。バカな奴だった。
 階段をすっかり降りて、道路端に出た頃、深い薮の中から怪我人が出すような呻
(うめ)き声が聴こえた。
 「あのッー、もし。そこの御仁
(ごじん)、申し訳ござらぬ。助けて下され。武士は相身互いというではござらぬか。武士の情けじゃ。拙者を助けて下され。拙者は怪我をしておるのだ」
 「……………」私はこの言葉を完全に無視した。知らん顔をして、歩きを止めなかった。
 暫
(しばら)くすると薮の中から、ゴソゴソと男が出て来た。そして私の後を追って来たのである。

 私は意に止めずに帰りを急いだ。
 「御貴殿は薄情
(はくじょう)でござるぞ。御貴殿は武士ではござらぬのか?それとも金儲け主義の町道場のユダヤ商法の経営者でござるか?武士は相身互いと言うではないか。それは御存じであろう?なぜ御貴殿は拙者を邪慳(じゃけん)にするのだ。少しは情けを掛けても宜しいではござらぬか」
 後ろから、ぐじゃぐじゃといいながら、この男は私の後を追って来た。そしてふと振り向くと男は、びっこを引いていた。それを見て、おや?と思ったのだ。
 捻挫か打ち身をしたらしく、その様子が歩き方に出ていた。
 「おい、あんた。足は痛いか?」
 私は訊き返した。
 「痛いでござる。御貴殿のその凄腕
(すごうで)は、拙者の必殺の旋風脚(せんぷう‐きゃく)をまんまと軽く躱(かわ)しおった。いやァー、驚き申した。拙者の完敗でござる。御貴殿の腕は既に名人の域でござるなァ。武芸史に、必ずや名を連ねるお方でござろう。感服致した」
 何か分からない追従の褒
(ほ)め言葉を遣って、後を追って来る。私は“何が必殺の旋風脚だ”と思った。この男が、何か、私に取り入ろうとしていることは明白だった。
 私はこの男にこれ以上、蹤
(つ)いて来られたのでは迷惑だったので、アパートには行かず、一先ず近くの公園に寄り、そこのベンチに腰を降ろした。
 男は、猫のようにそっと寄って来て、「拙者も御一緒させて頂いて宜
(よろ)しゅうございましょうか?」といい、“宜しゅうございましょうか?”と訊きながら、その返事も待たずに、勝手に私の横に坐った。その途端に悪臭が立ち篭(こ)め、あたかも横にゴミ箱を置かれたという感じだった。男の体臭は、ゴミ箱と同じものだった。そっくりなので、この臭いには閉口した。

 「あのッ……、卒爾
(そつじ)ながら拙者の話を聴いて頂けまいか?」
 「……………」私はこれに答えなかった。
 私のアパートまで蹤
(つ)いて来られることが迷惑だったのである。何処かで振り切ろうと思っていた。タイミングを見計らって、脱兎(だっと)の如く駆け出すのも一つの手だった。
 この男は、捻挫か打ち身をしているであろうが、それはそんなに重症と言うものではなかった。私が一目散に駆け出せば、この男は蹤いて来れまい。そう踏んだのだった。機会を見て、走り出そうを考えていた。その為には、一先ず公園のベンチで、寛
(くつろ)いでいる風に見せ掛けておいて、隙(すき)を狙って一目散に駆け出そうと考えていた。
 「あのッ……、拙者は真田拳雲斎
と申す。ああ、これは紹介済みであったのう。拙者は福岡県大牟田市の出身でござる。12歳の時に、拙者は先祖代々の真田家を出奔(しゅっぽん)し、爾来(じらい)、諸国を流れ、風雪に耐え……孤拳を磨き……」と、これから長々と語られるであろう、この男の話を聴く振りをしながら、フェイント的に、“今”と思わんばかりに脱兎の如く私は走り出したのだった。走って走って、この付き纏(まと)う男を、此処で振り切らなければならなかった。
 私は先ず駆け出した。一目散である。走って走って走り捲
(まく)った。後ろから、「待って下され」という声がしていたが、暫(しばら)くすると小さくなって、やがて聴こえなくなった。
 そしてもう何軒か先の街並の中に紛れ込んだ時、この男の姿は後ろになかった。漸
(ようや)く煩(わずら)わしいものを振り切ったのだった。
 息を弾ませて、わが家へと急いだ。
 その時、ある一劃
(いっかく)の曲り角からこの男が、突如姿を顕わした。これには仰天する以外なかった。蒔いたと思っていたからだ。何と奇妙なこともあるものだと思った。この男の能力が全く分らなくなったからである。振り切ったと思ったら、それを易々と去(い)なしてしまう。奇妙な異能者を見た思いだった。その意味では、貧乏から逃げようとして、貧乏神に、とことん取り憑かれる貧者の哀れな構図によく似ていた。

 「御貴殿は些
(いささ)か薄情でござるぞ。拙者は怪我をしていおのじゃぞ。怪我人のことも考えて、少しは手加減をなされよ。走られて途中で、御貴殿が消えてしもうたから胆(きも)を潰し申した。しかし此処で、また巡り合えたのも、何かの縁。目出度し目出度しでござる」
 この男の執拗さには、ほとほと呆れた。変に気に入られてしまったのである。
 この男は、よほど私が気に入ったらしかった。今宵、この男は、一晩中私に付き纏
(まと)うであろう。それを覚悟しなければならなかった。とんだ男に魅入られたのである。
 男から「何かの縁」と言われるのも、私としては不本意であった。況
(まし)してや、因縁などではない。この男と、因縁などと呼ばれる濃厚な関係は存在しないし、勝手に道場に押し掛けた素性の分らぬ放浪者ならぬ浮浪者だった。正真正銘の乞食だった。そういう浮浪者に、私は縁もゆかりも無いのだ。
 さて、これをどうするか、今晩の課題だった。
 乞食男と暫
(しばら)く付き合うしかなかった。閉口するのは猫のように摺(す)り寄って来ることだった。密着して離れようとしない。すっかり私が気に入っている様子だった。困ったものである。少し立って、席を移動すると、またそこに摺り寄って来るのである。一時も離れようとしなかった。しかし、この男を何とか振り切れないものかと思案していた。
 だが、逆にこちらが監視されているようで、この監視の眼から逃れられないのである。思案に暮れた。そして当分は付き合うしかないと思ったのである。

 「あんた、どうして乞食しているんだい?」
 「あの、率爾
(そつじ)ながら申し上げるが、拙者は“お貰いのコジキ”では御座らぬ。物乞いはせぬ。つまりホイトウでは御座らぬ。拙者を乞食(こつじき)と申して頂きたい。痩せても枯れても武士でござる」分けの分からぬことを抜かした。
 「それは托鉢僧を気取ってのことか?……それともサムライか?」少しばかり見下して訊いてみた。
 「いや。拙者は千家の武門を廻り、修行を積む天下無敵の武芸者でござる」
 「あんた、旅の武芸者か?……。しかしそれにしては弱いな」
 私はこの男の放浪に、少しばかり共感が持てて、こういう生き方も悪くないと思うのだった。訳の分からない遠い郷愁に誘われたような錯覚を抱いた。
 「拙者でござるか。そうさなァ……、拙者は御覧の通り、何処から検
(み)ても流浪の旅人。しかし拙者が旅をするのは訳がござる。生家のある大牟田を出奔(しゅっぽん)して以来、はや二十有余年、拙者は風雪に耐え、苦難を乗り越えて諸国を流れ歩いた。それは天下無敵の武芸者になる為でござった」
 「それで、なれたのか?」私は、まだこの男の話を見下すように聴いていた。その上、高邁な皮肉な言葉をぶつけた。

 「拙者は自分が強いなどとは、決して思って御座らぬ」
 「弱い上に謙虚である点は認める」
 「しかし、拙者はいかんせん。本当は才能もないし素質もない。何を遣
(や)っても下手糞でござる。それは今でも変わらぬ。だがですぞ。この下手糞がいまだに成就をみぬとも、あるいは必ずしも達成されなくとも、紛(まぎ)れもなく拙者は、間違いなく勝利への道を歩いている……という自負がござる」
 男は妙なことを言い出した。それは決して完成されることのない、未完成への放浪ともとれた。哀愁まで漂っていた。その哀愁に、何故か、ふらりと惹
(ひ)かれてしまうような妙な誘惑感があった。
 「………………」黙って聴く以外なかった。
 「つまり、ですなァ。拙者の勝利の道とは、勝利者になることではござらぬ。勝利は遂
(つい)に遣(や)って来なかった。また、この世では遂に勝利の座を到達できなかった。しかし、“勝利に向けて歩いた”ことは、まさに立派な勝利だった。
 拙者はそう思って、今も勝利の道を歩いているのでござる。したがって勝利者になることが目的ではなく、勝利の道を歩んだことが、実は、それ自体が勝利だったと思っているのでござるよ。普遍永久の理想を、今もなお、諦めずに歩いている。これ以上の勝利が、いったい何処にござろうか」迫るように説いた。
 「急進的理想主義者で、なかなかの理論派だなァ。しかし一利ある」と諭すものがあることに感心した。
 「したがって拙者は憚
(はばか)りながら“天下無敵”なのでござるよ」
 この男は、この男なりに、独特の“勝利哲学”を持っていた。面白いことを言うと思ったのである。
 それを聴いて、何処か響くところがあった。そこまで考えていることに感心したのである。
 この毅然
(きぜん)たる自信は、いったい何処からわき起こって来るのだろう。この“毅然”の裏付けは何だろう。更に、話せばしんみりさせる話術の妙である。
 「いい話だ」
 私は尚も、高飛車なところを崩していなかった。しかし、もう彼を見下しているのではなかった。真剣に聴いてやろうと思ったのである。
 「人間は何かしら、幸福を求めて人生を模索する生き物でござるよ、それが叶わぬ夢でも……。一人の人間を幸福にするか不幸にするか、それは今、自分はどのような道を歩いているのかが、決定させるのでござる。幸福には遂に到達出来なかった。しかし幸福に向けて歩いたということは、実は、それ自体に本当の幸福があった。そしてそれが、また幸福な事であった。拙者はそう思うのでござるよ」

 「真田さん。あんた今晩、うちに来るか?六畳と四畳半の荒屋
(あばらや)だが……」
 私はこのように誘ったのは、もっとこの男の持っている考え方を聴いてみたかったからである。その独特の哲学を、深く聴いてみたかったからである。もっと謙虚に、もっと真剣に。もう見下す気持ちなど微塵もなかった。そしてこの男を、“真田さん”と呼称したのも、一種の尊敬からであった。
 今晩一晩は、うちに泊まってもらいたいと思ったのである。彼の、憎めない堂々としたところに不思議な魅力を感じた。要するに彼は、ボロを着ていても、何か別の裏付けをもって、毅然としているのである。この毅然さは、いったい何処に源を発するのか。それが是非知りたかったのである。
 「御貴殿は拙者を、御宅に御招待して下さると言うのか?」
 「イヤなら、無理に誘いはせんが……」
 「何がイヤでござろうか。是非とも御招待に預かりたい。悦
(よろこ)んで蹤(つ)いて行き申す」

 さて、問題はこれから先だった。
 この男をアパートに連れて帰れば、由紀子は何と言うか。おそらく乞食を連れて帰るのだから、凄い剣幕で怒るだろう。何しろ相手は乞食である。怒らない方が不思議である。それは覚悟しなければならなかった。
 再び、この男の風体を検
(み)てみる。ボロの塊(かたまり)のような男だった。
 伸び放題の髪の毛と、そして髭。ぼろぼろのシャツとズボンは、いかにも乞食らしい風体だった。何処から視ても乞食である。しかし彼が変わっているのは、その眼光の鋭さだった。人の心を射るような、鷹のような鋭い、力のある眼をしていた。今時、こうした眼をしている人間は少なかった。
 彼の乞食然とした身形は、見方を変えれば、ある意味で諸国を行脚する荒武者の姿だった。別に悪びれることもなく、その毅然
とした態度は、姿勢の良い、堂々とした、荒々しい荒武者を連想させた。ボロを身に纏っても、恥じ入る風がなかった。

 だが、問題は別のところにあった。由紀子の接し方だった。
 もし、この男を連れて帰ったことで、由紀子が腹を立て、更に一晩泊めると言ったことに激怒するならば、それはそれでいいと思っていた。もし、そうだったらしたら、由紀子も、人間を“人の身形
(みなり)”でしか判断しない人間となる。表面的な思考しか持ち合わせない、薄っぺらな人間ということになる。それを験してみても、面白いと思った。
 彼女の裡側を検
(み)る一種の実験でもあった。この女の“程度”と云うものが、どのランクか分かる。私の興味は此処に集中した。
 真田は私の後ろから嬉しそうに蹤
(つ)いて来た。捻挫か打ち身をしているのであろうが、その傷を負った事も意に介さず、飄々(ひょうひょう)と蹤いて来る。不思議な男だった。あるいは実際には、意外に現金な奴かも知れない。そして蹤いて来る道々で、信玄袋から大蒜(にんにく)の株の塊(かたまり)を出し、それを一個ずつ千切って、口の中に放り込み、ガリガリと生のまま齧(かじ)っているのである。
 大蒜を生のまま齧れば、どんなに胃の強い人間でも、直ぐに焼け爛
(ただ)れてしまう。それを真田は、平気で喰(く)らうのだ。そして焼け爛れることもないところを見ると、彼は“猫のような胃腸”をしていることが分かった。一種の化け物である。あるいは奇人というより、異能者の域である。並みの胃腸の持ち主では生の大蒜が如何に烈しいものであるか思い知らされる筈である。
 敢えて言うなら、もうこれだけで立派な“超人の域”である。テレビの『びっくり人間』番組のようなものに出れば、“天下の超人”として大ウケしたかも知れない。彼には彼しか出来ない凄い特技を持っていた。それが《生大蒜のまる齧り》だった。まさに猫の胃腸を思わせた。

 いよいよアパートの玄関に着いた。由紀子が帰っている様子は、その窓明かりから分かった。まず、何と言って部屋に入るかだった。しかし連れて来た以上、もう後悔しても仕方なかった。こうなったら、どのような反応があっても、諦めるしかなく、“出たとこ勝負”である。
 私は自分の部屋のドアの把手
(ノブ)を廻し、「ただいま」と言って中に入り、真田もそれに続いて「お邪魔します」と声を掛けて中に入った。そして私は真田を六畳の部屋の卓袱台(ちゃぶだい)の前に、座布団を置き、そこに坐らせたのである。

 由紀子は真田の形相を見て、まず仰天
(ぎょうてん)し、そして私を手招きして、小さな流し台の前に呼びつけるのだった。この珍客に直ぐさま反応を示したのである。
 「ねえねえ、あの方どなた?」開口一番、小さな声で訊いてきた。
 「検
(み)て分かりませんか?」
 「検てって……」
 「天下無禄の乞食ですよ。正真正銘の乞食。100%の乞食です」
 「?…………」
 「しかし動物ではありません。ちゃんと日本語を喋ります。それに独学ですが、それなりの教養も持っています。特に哲学的な思考には造詣があります」
 「?…………」
 彼女は困惑の色を崩さなかった。当惑し、混乱しているのがありありと分かった。まごついている様子が分かったのである。しかし、それ以上どうしていいか分からず、そうかといって、それを私に投げ付ける様子もなかった。私は再度念を押した。彼女も、覚悟を決める必要があるのだ。
 「天下無禄の乞食です」
 明らかに躊躇した顔色は崩さなかったが、覚悟したと見えて、
 「分かりましたわ」と、やや諦めの色を漂わせた。いったい何を諦めたのだろうか。
 「それに今晩一晩泊めてやって欲しいのです。ゆっくりと横にさせてやって欲しいのです」
 由紀子は、私のこの願いを怒りもせず、直に聞き入れた。素直でもあった。もう、完全に断念していたようである。
 「あなたのお客さまですもの。御丁重にお世話させて頂きますわ」
 思い掛けない返事が返って来た。一瞬皮肉にもとれたが、断念の方が優先しているようでもあった。そして遅い夕食の準備を始めたのである。
 食事の仕度が出来、真田と私は卓袱台
(ちゃぶだい)を取り囲んで向かい合った。真田はそこに並べられた食事を見て、大層喜んだ。
 「拙者はこんな食事を見たのは、もうかれこれ二十年前のことでござる。これを拙者が頂けるのですか。これは有り難い。この御恩は生涯忘れませんぞ」
 本当にこう思って言っているのか、明日もこうした食事にありつきたいのか、その真偽が計りかねた。
 真田の口からの調子のよいお追従が飛び出すのを考えると、またも大袈裟に感動してみせて、今晩一晩だけではなく、明日も泊まり、明後日も泊まり、長引かせて滞在することが懸念された。もし、そうなればそうなったのことであった。好きなだけ泊めてやろうと思った。

 「あのすみません、ビールを頂けませんか」私は由紀子に切り出した。
 それは真田の意思を伝えたのではなく、真田に呑ませて遣って欲しいと言う意味である。私の心ばかりの温情である。暑いし季節、咽喉
(のど)も渇いているのではないかと思ったからだ。
 由紀子が冷蔵庫からビールを持って来てくれた。
 真田は深々とお辞儀をし、「これは奥さまでございますか、これはこれは……。
 拙者は、いや、わたくしは、現在修行中の身で、諸国行脚
(あんぎゃ)をしております。姓名は真田拳雲斎と申す旅の武芸者でございます。この世に生を受けて、はや三十有余年、長き風雪に耐え、諸国を放浪して精進致しておりますが、その奥義が中々掴めません。その程度の未熟者でございます。本日も御主人さま、二度も挑戦して、二度とも“返り討ち”に遭(あ)い、無態(ぶざま)に敗れ、おまけに少々足首を負傷致しました。未熟者で、お恥ずかしい限りでございます。今宵は御主人さまの御好意により、こうして有り難くお招きを頂ました。お招きの儀、心より感謝申し上げます」と、再び由紀子の頭を下げた。
 「そうでございましたか。今晩はどうぞ、ごゆっくりお寛
(くつろ)ぎなされませ」
 由紀子は別に嫌っている風ではなかった。それより、真田に調子を合わせ、その言葉遣いが武家の妻女風になっていて、どことなく時代劇になっているのが可笑しかった。既に“俄
(にわか)時代劇”が始まっていた。

 そして食卓を囲み、ビールで乾杯となった。
 「これはビールと言うものでござるか?」
 「真田さん。あんたビール飲んだことがないのか?」
 「ござらぬ。一応聞き及んでおるのでござるが、飲んだことがござらぬ。こうした珍なる飲み物を馳走
(ちそう)戴き、有り難き幸せ」そして真田はそれを口にしたが、「この珍なる飲み物は、何か小便臭くて、ちと苦(に)ごうござるな。珍なる味とは、このようなものでござるか?」と、はじめて飲んだいうビールの感想を洩らした。この表現は、本当にはじめてのことでこう云ったのか、既に以前どこかで飲んだ経験があり、それを承知で、二杯三杯と重ねたいと言うような期待を抱いて、このように言っているのか分からなかった。
 そしてコップ一杯を飲み干したところで、二杯目を真田に注ごうとしたら、「いや、もう結構でござる。充分に馳走になり申した。もうこれで充分、これで……御気兼ねなく」と断り、コップをひっくり返して、絶対に二杯目を飲もうとしなかった。不思議な男だった。それにしても、この潔さは何だ?……。
 後は腹拵
(はら‐ごしら)えで満足するような態度で、由紀子の作った手料理を喜んだ。その食べる途中、その味加減とレシピの状態を様々に評論して、美味しそうに食べるのである。
 その味やレシピを表現するに当って、真田は、このように言うのだった。

 喩
(たと)えば由紀子お得意の“肉じゃが”については、「ジャガイモと玉葱(たまねぎ)が、ほんの少しの牛肉に実の良く調和して、口に親しみ易い“薄味のうま煮”になっており申す。みりん、黒砂糖、牛肉の細切れ肉が程良く調和して、更にジャガイモを煮崩れるまで煮過ぎていない。微妙な塩加減もいい。まことに“くっきりとした味”でござる」といい、茄子(なす)の炒め煮については「茄子だけという単体の食材を遣い、他には何も遣わず、大蒜(にんにく)と生姜(しょうが)と葱(ねぎ)が程良く絡み合って絶妙でござるな。それに隠し味のごま油の香が中々食欲を進める仕組みになってござる。夏場はこうした茄子の色の美しさと、ごま油の香で戴くのが一番でござる。この中華風の味付けは、油をよく熱して、一気に作っているから、焦げ葱が本当にいい香を出しているものと、実に感心して正味させて戴き申した。御貴殿の奥さまは中々の料理上手で、あっぱれな才女をお見受け致した。ほとほと感心つかまつりました」などといって、料理評論家顔負けの註釈をつけるのである。お世辞にしては出来過ぎた言葉であった。あるいは特殊な舌の感覚を持っているのか。
 料理評論家顔負けのこの註釈に喜んでいたのは由紀子だった。この男が、もう乞食であることなど、すっかり忘れているのである。

 真田の箸
(はし)の遣(つか)い方を見ると、その箸遣いといい、食べ方といい、そこには高い教養のような食事のマナーを持っていた。箸は先端より1cmくらいの所だけが遣われて、それより他は遣われていない食べ跡も、喰い散らかしたという形跡が感ぜられず、食器をできるだけ汚さないようにして片付いていた。一体この男は何者か?……という穿鑿(せんさく)が趨(はし)った。どことなく生まれのよさを感じた。
 真田は“12歳で福岡県大牟田を出奔し……”というから、小学校を出るか出らないかという頃に、故郷を離れたことになる。そしてそれ以降、全国を放浪しているということになる。
 さてこの放浪で、一番分からないのは、衣・食・住をどう賄
(まかな)っているかということだった。あるいは真田の持っている信玄袋の中には、札束でも詰まっているか。

 「真田さん、あんた生活費は、どうやって稼
(かせ)いでいるのだ?」
 「それは簡単でござる。まあ、晴耕雨読
(せいこう‐うどく)と申しますか、晴の日は農家の手伝いに行って野良仕事をし、雨の日は哲学書をはじめとする本を呼んで凌(しの)いでおり申す。晴れた日は土方(どかた)にも行き、肉体労働をして躰を鍛えており申す。人間、働なねば心も躰も腐り申すゆえ」
 「ほーッ……」感心するような声を上げた。
 この男は一端
(いっぱし)のことを論(あげつら)う人間だった。精神は至って健康であり、かつ健全だった。
 「じゃァ、あんた、男か女か?」
 「もちろん男でござるよ」
 「男なら、三十半ばといえば、精力も余っているだろう。その処理はどうするのだ?」
 「それも実に簡単……」
 「女でも買いに行くのか?それとも安く挙げる為に乞食同士でホモるのか?」
 傍
(そば)に居た由紀子が、“あまり失礼なことは訊(き)かないで”というような合図を、私の手を握って送って来た。この露骨な質問は、半分は由紀子への面当てでもあった。お行儀の良い、セックスを介さない同棲生活への抗議の意味も含んでいた。
 「拙者、女を買いに行く訳でもござらぬし、またホモでもござらぬ」
 「じゃァ、一人で処理するのか?」
 「そういうバカなことはし申さん。あれは自殺行為でござるからな、躰には悪い」
 「じゃァ、どうする?」
 「逆立ちをして、睾丸の精液製造器を自己調節し“精禄”を制御するのでござるよ。一度、見本を見せ申すから御貴殿も真似をされると宜
(よろ)しかろう。くれぐれも精禄は粗末になさるなよ。馳走を頂いたゆえ、ワンポイン・トレッスンを教授致そう」
 真田は三点倒立の逆立ちを易々と遣ってのけた。まず、腕を頭の後ろに組み、臂
(ひじ)と頭の天辺の三点でを軸にして三点倒立を始めた。頭を下にして卵のような恰好をして、ひょいと脚を逆立てるのである。慣れていて見事なものだった。軽業師のような身軽さだった。その後、三点倒立をしたまま、微動だにしないのであった。そして逆立ちをしたまま言うのであった。
 「御貴殿も、こうすると無駄な金子
(きんす)は遣わずに経済的でござるぞ。『接して洩らさず』とも言うではござらぬか」
 私は“何を抜かしやがる”と思った。“逆立ちしたぐらいで、簡単に男の生理が簡単に解決出来るか”と、真田の言葉を腹立たしく聴いていたのである。しかしこの言葉は、ズバリの指摘だったので、一層腹立たしく思えた。
 「御貴殿は、この世が“性的エネルギー”で動かされているのを御存じか?」
 「なに?性的エネルギー?……」
 「左様。性的エネルギーでござる。つまり命を支える性命エネルギーでござる。
 この世の中はこの各種のエネルギーで満ち溢れている。“性的エネルギーは限りなく膨張する”という思想を抱え込んでござる。この世は一切に性的エネルギーが働いている。そのエネルギーを抱え込み、それが総てに満たされ、ますます膨張しているのでござるよ。お分かりか」
 「?…………」
 「この事は、人間という存在がなくならないことが雄弁に物語っていますぞ。人間の存在は繁殖にある。
 よって、繁殖期の第一次は、第二次で上回り、性的エネルギーは無限大に殖
(ふ)えていくのでござる。
 東洋医学的な発想で、世の中というものを考えた場合、此処には至る所で、エクスタシー
【註】魂の脱離の意で人間が神と合一した忘我の神秘的状態を指す)が溢れ、その顕れが、つまり、“私”が生まれ、“あなた”が生まれたことである。これは同じエクスタシーの中から生まれたことを顕している。そして、それぞれは、一見個々に動いているようであって、実は同じエクスタシーのエネルギーによって動かされているのでござるよ。
 現代人の多くは、この現実を殆ど見逃している。しかし同根のエクスタシーから発祥したとするならば、われわれ人間はこの点について、もっと大きな価値観を置き、この価値観を求めるように行動してもよいのではないかと思うのでござる。どう贔屓目
(ひいきめ)に検(み)ても、同根の性的エネルギーが至る所で溢れ、時代が下るにしたがって、益々氾濫(はんらん)する状態になっている。そうは思い申さぬか?」
 「?…………」
 「また、それは恋愛小説やテレビドラマ、映画や歌謡曲を見聞きしても分かるであろう。主役はいつも決まりきった、若い男と若い女である。これは今も昔も変わりがない。
 また、販売される商品をとっても、これは明白でござろう。資本主義の社会では、市場原理が働く所以
(ゆえん)は、性的エネルギーの発散があるからだ。また、こうした物でなければ売れない。それは食品であれ、家電製品、更には車に至るまで、性的エネルギーの皆無であるものは、全く売れないのでござる。第一、そんなものは存在しないでござろう。
 消費者の購買威力を描きたてるものは、みな“性”の魅力に絡み、性的な自己満足がなければ売れない。性を謳歌
(おうか)し、性を喚起するものだけが、生き残れるのでござるよ。現世は性抜きでは成り立たぬ資本主義の誘導原理があるのですぞ。そのためにセックスアピール。ご理解いただけますかな。
 だが、盲点は此処にある。それはでござるな、“性は浪費によって消滅する”という恐ろしい罠
(わな)があるのじゃよ。つまり浪費とは、無駄死を意味する。お分かりか?」真田は迫るように訊くのだった。
 「うム………」
 「此処に俗人の悲しさがあるのじゃよ。お分かりか。
 俗人は生殖器を通じて、因縁から起る子供を作ることが、その何よりもの証拠でござる。これはその個の消滅を意味する。だから生殖器を遣い果たし、浪費させた人間は、世代交代の為に死なねばならないのじゃよ」
 真田は意味ありげなことを言った。言う内容が面白い。実に考えさせられる内容だのである。
 《やはりこいつは教養人だ》私はこう思った。世間に対する論評も鋭い。よく検
(み)ている気がした。なかなかの炯眼(けいがん)である。
 これこそ、世の中が「一億総不倫」に傾き、至る所で性的エネルギーが浪費されていることを物語っているといえよう。だから世の中は、俗人の性的エネルギーで満ち溢れているのである。まさに真田の指摘する通りだった。この男は世間通でもあった。厳しく指摘する論評家である。
 真田は、こう言い終わると、漸
(ようや)く長い倒立を止めた。現代の仙人というべきか。

 しかし、この男が一体何者なのか、未
(いま)だに分からずに居た。
 どういう生
(お)い立ちで育ったのだろうか。
 話の会話と言い、その所有する教養と言い、一体彼はどこで仕入れたのだろうか。
 私はそうしたことに、非常に興味があった。
 「真田さん、あんたの実家は、どういう家なんだ?」
 「拙者の実家でござるか。拙者の実家は大牟田市内で手広く映画館を経営しているのでござる。拙者は物心ついた頃から、家業の映画ばかりを見て育ったのじゃよ。それもチャンバラ映画ばかり見て……。
 拙者のこの物言いは、その影響でござるよ。まあ、生業
(なりわい)としては金持ちのぐるいに入るであろうのう。何不自由なく育ち、今は拙者の弟は映画館チェーンの社長に収まり、したがって拙者はそのお陰で、こうして諸国を旅の武芸者宜しく、放浪しているというわけでござる」
 「ほーッ、真田さんの家は金持ちなんだ?」
 「まァ、世間ではそのように申しておるようじゃな。しかし幾くら資産家とは言え、金品や物財を溜め込んだとて、墓の中までこうしたものは持っては行かれぬ。拙者は死んでも魂の遺
(のこ)るものを探し求めておるのじゃよ」
 真田はこの世に、何の未練も感じていないようだった。また執着すら持っていないようだった。死ねば、物質の一切が消滅するこの世に未練はなく、彼の求めるものは、次元の高い「光」のようなものを求める、まさに仙人の域に辿り着こうとしていた。明らかに精神世界を目指していた。不思議な男である。
 だが、はて?と思う。彼の道衣の背中に書かれた“天下無敵”のこの言葉も、まんざら嘘ではないような気がしたのである。
 夜寝る時に、真田と布団の並寝ることにした。敷き布団の上には寝茣蓙
(ねござ)を敷き、その上は軽いタオルケットだけだった。そして枕を並べて寝たのである。
 しかし横になっても、直ぐには寝つけず、真田に声を懸けた。
 「真田さん、あんたが公園で先ほど聞かせてくれた話、もう一度聞かせてくれないか?」
 「ああ、幸福には遂に到達しなかったが、幸福へ向けて歩いたことは、それだけで実に幸福だったという話でござるな?」
 「そうだよ、その話をもう一度聞かせてくれないか?」
 「一宿一飯の恩義として、では聞かせて進
(しん)ぜよう。この世の中で人間が果たす役割は、死ぬことじゃよ。一切の未練を引きずらず、“この世”から“あの世”に見事に移住することじゃよ。則(すなわ)ち、これが死ぬこと」
 「死ぬこと?……」
 真田が意図も簡単に、「死」を口にすることに驚いた。彼が死と隣り合わせに生きていることに、我ながら驚いたのである。
 「左様」
 「……………」
 「ただ一生懸命に死ぬことだけでござる。如何に生きたかということではなく、“如何に死んだか”と言うということが大事なのでござる。如何に死んだかということだけが、人間を偉大にするのでござるよ。
 世の中の多くは、生きることが前提になっておるので、その殆どは、快楽や享楽に現
(うつつ)を抜かし、それを追求し、みな精液塗(まみ)れになって“精禄”を使い果たし死んで行く。人間と動物の区別も付けずに。そして、その精の浪費の基本は、恋に歌に酒にと、訝(おか)しな三部曲になっている。
 しかし、死へ向かう人間は、こうした“夏場のキリギリス”のようなことばかりは遣
(や)っておられんのじゃよ。もう、そろそろ《死の準備》を始めねばならぬ。その準備を始めるに当って、幸福にはなり得なかったけれど、幸福の道を歩いた。あるいは勝利者にはなれなかったが、勝利へ向けて歩いた。ここが大事なのでござるよ。勝利に向けて歩いたと言うことは、それだけで立派な勝利だったと言えるのではあるまいか……。そしてこれにより、その人の死に方が決定されるのじゃよ」
 真田は、勝つ見込みがないかも知れないが、その精進に捧
(ささ)げ、それを全うすれば、そこに本当に美しい人生が横たわっていると言うのである。これは深い哲学的な意味をもっていた。
 この世は、不断に到着することのなき目的があると言うのだった。到着するか、しないかは、問題ではないのだ。目的に向けて、まず撓
(たゆみ)なく、努めて進むことが大事なのだと説くのであった。
 彼の、この教養は一体何処から始まっているのか。
 そうした謎も知りたくなったのである。

 「真田さん、あんた随分と哲学に造詣が深いね」
 「ああ、これでござるか。これは拙者、幼少の頃より家庭教師がおりましてな。みな、その先生の受け売りでござる。拙者の父は、拙者を学者か、何かにしたかったのでござろう。金に物を言わせて、早々と家庭教師をつけられ、これがあまりにも拙者は嫌で、12歳の小学校卒業と同等の年齢の時に、出奔したのでござる。はや、それから二十有余年、もう三十半ばに達しもうした。まことに人生とは短いものよのう。
 かの山本常朝
(やまもと‐つねとも)の口述書『葉隠』にも、謂(い)うではござらにか。『人生まことに短きものなり。好きなことをして暮すが宜しかろう』と。
 それで拙者は、好きなことをする為に出奔してのでござるよ」
 真田には、こうした事情があったのだった。《成る程》と思うのである。
 好きなことをしてかと、私は真田が羨ましかった。果たして私は自分の好きなことをしているのか。人の世の流れに押し流されて、自分を見失った生き方をしているのではないか。今後の反省点になった。
 彼は一生を通じて、仮に、敗北と自責の生涯であっても、悔
(く)いはないと言う。そういう一生こそ、栄光に満ちていると信じているのである。だからこそ、勝利者になれなくても、勝ったのと同じであると言う。
 人生の価値は、それだけで充分に達せられると言うのだった。彼の自信の根底には、こうしたものが横たわっていたのである。
 私はこういう生き方もあるのだなと、深くこの時、感銘をしたのである。志したと言う事が、既に偉大だったのだ。そして私は彼の言葉に感化されて、その後の一生に大きな影響を与えたのである。

 かつて何かの物の本に、一組の相思相愛の若い夫婦のことが書いてあった。二人は幸福を夢見て結婚した。確かそんな話の内容の本を読んだ事があった。
 この夫婦は貧乏で、そして病弱で、年から年中惨めで不幸な生活を送っていた。そして彼等二人は、遂に死ぬのだが、その死ぬ間際、次のようなことを回想するのである。
 「私たちは幸福には達しなかった。不幸で苦しい毎日の連続だった。遂に幸福はやってこなかった。しかし幸福への道を歩んだと言うことは、幸福な事であった」と、二人は回想する。幸福の真理観察である。
 幸福になるか、ならないかは、その時の運命による。貧乏人が働いて裕福になるにも、運がなければそれは達成されない。したがって問題は、幸福に向かって歩いたと言う事が問題なのであり、幸福になり得たか、そうではかったかは余り問題ではないのである。幸福への道を歩いたということだけが問題だったのである。
 貧しい二人が、その道を一緒に歩いたという行為が重大だったのである。幸福になり得たかどうか、それはそんなに重要なことではなかったのである。
 彼等は幸福と言うものを、自分達の裡側
(うちがわ)に求め、二人が寄り添い、助け合って協力し合い、こうした幸福感を追求したのである。本来の幸福は此処にあるのではないかと思われた。

 人間の幸福は、決して外にあるのものではない。人間は幸福を自分自身の裡側
(うちがわ)に持っている。それなのにしょっちゅう、それを外に追い求めている。
 現代は外の幸福を作り出す為に奔走する時代である。しかし幸福は、既にそう云う努力そのものに於ては、それを最初から裡側に得ているのである。
 こうした事を整理しながら、真田の言葉を重ね合わせて行くうちに、ついうとうとと微睡
(まどろ)み、その後すっかり眠ってしまったらしい。早朝、はッとして眼を醒(さ)ましたたら、もう横には居なかった。
 天下無敵の真田拳雲斎は煙のように消えていた。

 布団がきちんと畳まれ、その上に一枚の大学ノートの引き裂かれた紙辺が置かれていた。それは置き手紙と思われた。
 「ねえねえ、これ見て下さい」由紀子が言った。
 その紙辺には、併せて一万円札が包まれていて、「昨夜は大変お世話になりました。心ばかりのお礼でございます」と書かれていた。
 最初、真田をうっとうしい奴と思ったが、まるで風のような清々しさを持った人間だった。風が吹き抜けるように、爽やかに立ち去っていたのである。私は自身の未熟を恥た。
 由紀子に、「あの男、いつ出て行ったのか気付きませんでしたか」と訊
(き)いたが、彼女も全く気付かなかったと言う。跡形もなく、煙のように消えてしまっていたのである。真田に学ぶべき点を見た。真田の生き方を実に羨ましいと思った。そして真田の消え方は、見事という他なかった。


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