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旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 47

人間は他人の欠点や非道については直ぐに気付くが、自分のことになると、これが分らないようだ。この事は洋の東西を問わず、また時代を超えても存在している。人間の思考は、人類を超えて、時代を超えて同じ考え方をするらしい。
 新約聖書には「兄弟の眼の上の塵を見て、自分の眼の上の梁をみない」という一節があるが、まさにその通りである。


●得物

 人間、何かに蹴躓(け‐つまず)かずに生きていくことは中々難しいものだ。転び易い人間が、転ばぬように用心しながら世渡りをするのは至難な業(わざ)である。
 特に私のような、下手な綱渡りをする軽業師が、踏み外して顛落
(てんらく)しないと言うのが、そもそも軌跡なのである。
 転ばずに生きる事は、人間にとって生きる基本的なものであろうが、転ばずに生きようと思えば、そう思うほど転ぶし、張り切っても、つい無駄な力が入り、力あまって転ぶこともある。警戒すればするほど、緊張すればするほど力んでしまう。それが顛倒
(てんとう)の要因となる。
 私は要するに、人生の歩き方が下手だったのだ。地上を歩いて「この態
(ざま)」である。これがどうして綱渡りをして、無事に渡り終えることが出来よう。また、この下手さが、相手から手の裡(うち)を読まれてしまうのである。要するにお人好しなのである。それが理不尽の遭遇するのである。
 その理不尽が時として、「困」として顕われてくる。

 しかし「困」に出くわし、迷うことはない。迷えば、困惑し、二重苦となる。「困」は、困のままで、迷わず切り抜けていきたいものである。
 では「困」をどう読むか。
 山村師範のところに押し掛け、爺さまに訊いてみた。
 すると言いやがった。
 「お前、熱でもあるか」と。
 私は回答になってないと思った。
 すると、もう一度抜かしおった。

 「お前は鈍い」と前置きした後で、「人間、三年間は一度も風邪をひいてはならぬということだ。風邪をひくようなやつに戦などできるものか」と抜かした。
 この言葉はよく考えれば、戦だけでなく、総てに通じるようだ。風を吹くようなやつに、大事は起こせないのである。大事どころではない。小事すら起こせないのである。
 バカは風邪をひかないというが、バカほど風邪をひく。自己の健康管理が出来ていないからである。正論である。
 これには説得力があった。
 そこで「なるほど」となった。それは“藕糸
(ぐうし)を読め”と言う意味である。藕糸は肉の眼では見えない糸である。有機的結合を持った隠れた糸である。
 物事を見通したり、読んだりするには健全な肉体がいる。人間の頭脳も肉体の一部である。ここが殺
(や)られていては健全な思考が出来ない。また運にも恵まれないだろう。運に恵まれると言うことは、思考が健全であると言うことが条件だ。

 爺さまは、なかなか意味深長な事を言った。
 そして人間には、大きく分けて大人
(たいじん)と小人(しょうじん)が居る。
 「困」の解釈も、大人と小人とでは異なる。
 大人の読みと、小人の読みは異なるだろう。では、「困」をどう読むかで、大人と小人が別れるようだ。
 物事には裏表があり、陰と陽がある。この何れを読むか、片方を採るか両方を採るかである。

 人に大小有り。大小に格差有り。格差に表裏有り。表裏に陰陽有り。
 この現象界は複合的である。
 ゆえに絡みの構造があって、「禍福は糾
(あざな)える縄の如し」の構造を作っている。両方があって、はじめて絡み付く。片方だけでは搦(から)めない。禍と福は単体のバラバラでは纏(まつわ)りつかない。両方があって搦む。
 則
(すなわ)ち、大人だからこそ、両方を読むと言う意味であり、しかし、大人か小人かは、人間が決めることでない。決めるのは天である。天がその判定を後に下す。したがって己自身が、自惚れから己を大人と断じてはならない。
 それを断ずるのは天である。人間でない。それを得心したのである。

 人間が得心したり、感得したり、悟ったりするのは、論理的な長ったらしい論説文でない。
 たった一つの言葉や短い文章に、悟る事があったり、論じた人の人格や思想の総てが表現され尽くしている事がある。つまり箴言である。それが語録であったり、その人のこれまで集積して来た経験譚なのである。
 これは、問題意識を持っているか否かに懸かる。
 そして、ごく身近な、何処にでも転がっている短い文章から、ある日、突然悟ることがある。

 室町中期の臨済宗の禅僧・一休
(宗純)禅師は、ある夕暮れどき、舟で川を下る途中、鴉の聲(こえ)で悟ったという。鴉が「かあァ〜」と哭(な)いて、その聲で悟りを開いたという。
 私の場合は山村師範の「風邪をひいてはならぬ」で、自分は確かに生まれながらに暗愚だが、風邪をひくほど軟弱なバカではないと解った。これは一つの悟りだった。
 三年間を通じて、一度も体調を崩すことなく無意識の裡
(うち)に健康管理が出来ているのなら、それだけで「可」というのである。思考力が「可」という意味である。健全だと言う意味だ。
 この「可」は、また「叶
(かな)う」と言う意味である。つまり「願いは亨(とおる)」のである。
 「困」も困惑せずに通過するということである。
 この悟得で「困」を読めば、違った意味が泛
(うか)び上がって来る。
 それは「奇手」という意味だ。機略とでも言おうか。臨機応変性があることだ。
 機略縦横。これが奇手の精髄
(エッセンス)である。
 そのうえに、「困」とは「なんとかなる」と読むことを教わったのである。思い悩まずとも、なんとかなるのである。

 要するに解釈の仕方であり、『易』の読み方である。実らを読めば「困」は困だが、これに風邪を読む当にして読めば、違ったものが出て来る。
 「困」の解字は「口」である囲いと「木」である。木が囲いにと仕込まれている態
(さま)をいい、木が伸び悩んでいる意味と採る。まさに八方塞がりである。こういのを『易』では「剣難の相」という。
 わが身に災難が顕われる前触れである。「困」は窪地であり、頸とは湿地帯の「沢」と読める。窪地には水が溜まる。

 しかしである。
 この「沢」は時として、水は恵みを齎すことがある。悪いことばかりではない。
 易の卦の解釈には二通りある。
 現象界の構造は表裏一体になっている。この卦をどう検
(み)るかである。
 単に字面を追って禍
(わざわい)視し、これを表側の陽と検て「嘆き」と捕捉するか、あるいは裏側には陰があって、これを「恵み」と読むかの何れである。

 文字通り解釈すれば、窪地に捕らえられて進路が断たれ、四面は禍の墻
(かき)と観るが普通である。それを剣難の相という。だがである。
 剣を「諸刃の剣」と読んだらどうなるだろうか。陰陽が絡み合っている諸刃の剣である。剣の表を読むか、裏を読むかである。文字通り表を読めば、沢は「困」に帰る。だが裏を読めば沢は「恵み」と読める。
 凹みに雨が降れば沢が出来る。沢が出来て湿地帯となる。この湿地帯を、卦では「困」となる。
 表から見ればピンチ。裏から見ればチャンス。果たして、こじつけだろうか。
 だが、私はこの「こじつけ」が好きである。
 体系的に筋など通らぬでもいいのである。だが体系的かつ科学的な見知で、藕糸など読める訳がないからである。
 心配症で小心な、楽天的な私は、これを「恵み」と読んだ。その結果「なんとかなる」と検たのである。


 ─────得物の模索中のことである。
 箪笥
(たんす)の中から、私が学生時代から蒐集(しゅうしゅう)していた日本刀数振りを取り出して、一振り一振りを眺(なが)めていた。当時私は日本刀マニアで、古物商の免許を持つくらいの、所謂(いわゆる)刀の蒐集(しゅうしゅう)気違いであった。現に刀剣商として商いをしていた。

蒐集刀の一振り・出羽大掾国路

 鞘
(さや)を払い、刀の刀身を暫(しばら)く眺めていた。そして、まるで愛しい女性に囁(ささや)き懸(か)けるように、刀に話し掛けていた。
 独り言だが、あたかも人に話し掛けるようにである。
 「みっちゃん、一人にしてごめんね。ずいぶん淋しかっただろ。もう決して、一人にしないからね。今からはずっと一緒だよ。一心同体だからね」と、愛
(いとお)しさを込めて、頬を弛(ゆる)めて、にたつきながら語りかけていた。
 こう、囁いた刀は、普段より、愛刀の一振りに算
(かぞ)えていた『奥州会津住藤原道長(おうしゅう‐あいづじゅう‐ふじわら‐みちなが)』だった。
 「道長」だから、“みっちゃん”と呼称していた。
 その語り口に些か、いやらしい嗤
(わら)いが混じっていたのかも知れない。とにかく刀を手にして、にたついていたことは確かだった。この一人芝居の秘かな囁きを、まさか由紀子が聴いているとは思わなかったのである。
 それを事も有ろうに、彼女に聴かれてしまったのである。私は彼女が帰って来た事に、全く気付かなかったのだ。しかし彼女が、私の囁
(ささや)き聴いてしまったのは確かなようだ。
 一人芝居をしている様子を見られてしまうほど間抜け話はないだろう。

 「それって、“みっちゃん”って云うの、その刀の名前?。随分と可愛い名前じゃありませんこと」
 彼女が可愛いと言ったのは、“みっちゃん”のイメージからして、美津子とか美千代とかのそういう女性名を連想したからであろう。だが本来は「道長」といい、些か猛々しい名前である。
 「うム?……」
(何だ、今のは?)と問いたくなった。
 「その刀のことよ」
 これは“みっちゃん”だけをとって、そう云ったのだろう。まさに唐突だった。
 まさかのまさかである。
 由紀子が帰って来たとは、夢にも思わなかったのである。
 恐らく彼女は、私のいやらしい嗤
(わら)いと取って、こう切り返したのだろう。
 「?…………」どう返事をしていいのだ。
 突然のことで、私は目が点になりかけていた。一人芝居を見られてしまったことが拙
(まず)かった。
 由紀子が居ることに全く気付かなかったのである。私は彼女を睨
(にら)むように注視した。告白に等しい囁きを聴かれてしまったのであった。
 しまった!……後の祭りである。いやらしい嗤いがいけなかったのだ。

 すると彼女は言い訳をするように、
 「今のは冗談ですよ。そんな怕
(こわ)い顔して、睨(にら)まなくともいいでしょ」と笑いながら、言い逃れをした。あるいは私の独り言のような囁きを聴いて悪いと思ったのだろうか。
 そこで居直った。
 「刀に“みっちゃん”と呼び掛けては駄目でしょうか?」開き直ったふうだった。
 こうなったら徹底的に開き直るしかない。
 「気にしないでくださらない。ほんの冗談のつもりで言ったのだから……。お気にさわったら、ごめんなさいね」
 しかし、その視線の中に些
(いささ)か侮蔑的(ぶべつ‐てき)なものが漂っていた。

 「?…………」
(これをどうしたものか)と思った。
 この彼女の言葉に不機嫌そうに黙り込んでいたら、通り過ぎた筈
(はず)の彼女が、エプロンをしながら、また戻って来て、「でもねェ……」と勘(かん)の利(き)いたことを呟(つぶや)いた。
 「?…………」
(何で、戻ってきた?)
 「まさか、それで喧嘩でもするんじゃないでしょうね。いま一心同体とか、何とか……云っていたから、何となく気になって……」
 表情が強
(こわ)張ったような、固い声になりかけ、声には訝(いぶ)かしさが罩(こも)っていた。
 「えッ?……」
 今度は心の底まで見られたとうな気がして、
(もしや見破られたのでは?)と言う懸念(けねん)が疾った。
 「僕は今、心を静めるために日本刀を見ているのです。これは僕の趣味の領域だから、一々干渉しないで下さい」と突っ跳ねたのだった。
  しかし、これがいけなかった。

 「どうして心を静めるために刀を見るの?」
 これは愚問と言うか、鋭いと言うか……。なかなか察しがいい。
 「それは……ですねェ。刀の波紋
(はもん)の美しさや錵(にえ)、におい、あるいは金線などの懸かった地肌を見ていると、自然と心が落ち着くからです」と、まじめな表情で切り返したのだった。
 「でも刀って美しいばかりではなく、切れるんでしょ?」
 「ええ、それは切れますとも。あなたが使っているメスよりもね」と、口を滑らせてしまった。
 「じゃァ、人を斬ろうと思えば斬れるんでしょ?」
 「そうですが、抜刀術や据え物斬りの熟練者でなければ、簡単には斬れませんがね」
 「でも、あなたはその熟練者なんでしょ?」
 「実際には、まら人間を斬ったことはありませんがねェ」
 「まだですって!?じゃあ、これからそうしょうと思っているの?」
 「えッ?……」
 うまく彼女の誘導尋問
(ゆうどう‐じんもん)に乗せられそうな感じであった。
 私の危ない綱渡りの兆候
(ちょうこう)を感じたのだろうか。読まれているような感じだった。

 「もしかしたら、危ないこと考えているのじゃないでしょうね」図星のようなことを訊いてきた。
 「……………」これに私は狼狽
(ろうばい)した。
 彼女は真顔で、私の顔を覗く。しげしげと。見透かすような鋭い眼で。
 男はこうされれば案外と心に秘めたボロが出てしまうものだ。私のような思慮薄の脳味噌では、その片隅に留
(と)めておいたアイディアさえ、ボロが出て暴露(ばくろ)されてしまうものなのである。
 しかし手の裡
(うち)は見せることは出来ない。だが、それを隠すことは骨が折れる。
 辛
(かろ)うじて回避した。何とか躱した。もう少しで危ないところだったのだ。


 ─────食事中も、私は刀を横に置いて考え事をしていた。
 「あなた、背中!背中!」これは由紀子の口癖
(くち‐ぐせ)のようなものである。まるで母親が子供の不足を叱責(しっせき)するように、食事中、彼女はいつもこう言って、私の姿勢の崩れるのを注意すのである。
 これも彼女の母性の現れであろうか。あるいは管理されているのだろうか。それとも由紀子が育った家庭環境が、常にこうしたものであったのだろうか。
 「ほら、もう少しちゃんと背筋を伸ばして」
 私は彼女の使役される家畜として管理されているのだろうか。その真意が分らない。
 「う、うん……」上の空である。
 きちんと正座し、背中を伸ばして食事をするのが、わが家の食事時のマナーなのである。私は、これが彼女との飯事
(まま‐ごと)の延長なのだと自覚しながら、苦笑いに似た苦笑を引きずっていた。
 そして彼女は、その日の私の健康状態を点検するばかりでなく、私の心の動きまでもを点検し、異常性を探し出し、内省を干渉し、奇
(く)しくも、それを探索しようとしていたのである。

 「ねえェ、何を考えているの?」
 「何も考えていませんよ」
 「ウソ、刀のことでしょ?」
 「僕がこんな刀の一振りで、革命を起こすとでも思っているのですか?」
 「革命は起こせないにしても、喧嘩くらいは出来るでしょ。今あなたの考えていること、あたしにも半分、分けて頂だい」
 こう言われた時、食べているものを咽喉
(のど)に閊(つか)えそうになった。誘導尋問の続きが始まったからである。

 「バァ、バ、馬鹿なこと言っちゃァいけませんよ」
 分けてくれと言っても、頭の中身をどう分けるというのだ。
 「でも、あたし、あなたの表面だけでなく、中身まで全部知りたい。特に奇妙奇天烈な頭の中身まで」
 「無理ですね」
 「でも、あなたの奇妙奇天烈な脳裡から出て来る行動は、あたくしには理解不能ですもの」
 「理解不能?……、そう思うなら、その理由を言って下さい」真顔で切り返すしかなかった。
 「でも、共有したいの」
 「何のために?」
 「それはねえ……、うんとね……。あたくしの知る言葉では不可能です。伝達コードがありません」
 「馬鹿も休み休み言って下さいよ」
 「でもねェ、前歴もあることだし……、ねェ……。それにねえ、あのとき云った、あの事が、今でもあたくしに不穏な影を投げ掛けます
のよ」
 私の顔を正面から窺
(うかが)うように覗き込んだ。
 「だいたい、あのとき云った“あの事”とは何ですか?」
 「あら、いやだ。もう自分の言ったこと忘れてしまいましたの?」
 「えッ!何でしたか?……」
 「あなた、以前におっしゃったじゃありませんか」
 「なんて?」
 「だって言ったでしょ。『そのうちデッカイ、臨場感があって、迫力のある大芝居、長編小説なみの大河ドラマを見せてあげますから期待してて下さい』と……。あの言葉、なにか引っ掛かりますのよねェ」
 「?…………」
 「あたしは、あなたの言う、……その、なんというか臨場感というのが、何か悪い事を連想させるの……」
 「あれは冗談ですよ、冗談。馬鹿な想像はよしてください」
 「何だか怪しいわ、そんなにムキになるところをみると」と、私の顔をじろりと眺める。
 その顔は、険
(けん)のある眉根(まゆね)の奥から私を睨(にら)み据えるようだった。これは見る方と見られまいとする方の攻防戦でもあった。

 「いやだなァ、そんなに見詰められると……。小さくなって蟻
(あり)になってしまうじゃないですか」
 私は謎めいた切り返して微笑んでみせた。
 「そういうところを見ると、ますます怪しい。何か訝
(おか)しいぞ。じりじりと白状しろ!」顔は笑いながらも、更に彼女は、私の心の裡側(うちがわ)を覗こうとする。誘導訊問をすると言う魂胆だった。
 「白状することはありません」
 誘導されて吐露すると、それに引っ掛かりそうだった。
 睨まれると、ボロが出そうな状態にあった。私のガードは脆いものである。
 鎌を掛ける気かも知れないが、のらりくらりと会話を交わすうちに、私のボロは暴露
(ばくろ)されてしまいそうな気がした。
 「おい、どうなんだ?!白状しろ!」と、まるで刑事ドラマのような刑事の迫り方をした。
 「いやだなァ……」
 「健太郎!どうなんだ?正直に言え!」
 「そんなに脅
(おど)す誘導尋問をしないで下さい。無罪でも、冤罪されてしまうではありませんか」
 「冤罪ですって?!」一オクターブ上がった。果たして冗談だろうか。
 自白を強要させる為に、誘導尋問に誘い込むような、悪戯
(いたずら)ぽい言い方で迫って来るのだった。
 顔は笑っている。しかし、私の微
(かす)かな動きを見逃すまいとする目配りは、したたかであった。

 「そんなに危なっかしいのなら、この刀、あなたが何処かに、保管したらどうですか!」
 これは、自棄糞
(やけ‐くそ)の暴言であった。早まって開き直ってしまったのである。あるいは下駄を預けたのか。
 こう言う会話の背景には、現世と言う、一昔も二昔も前に較べて、ややこしくなってしまった世の中、よほど気が合わなければ遣っていけない。性格云々だけではない。話が食い違うようでは、脱線ばかりする。気持ちの問題である。
 その気持ちの問題、何とか継続中であった。

 「それもそうね。じゃァ、あたしが、銀行の貸金庫か何かに、暫
(しばら)くの間、保管しようかしら……」
 (さあ、とんでもないことになったぞ。これでは丸腰ではないか……)
 戦う前に、私の得物が奪い取られてしまったのである。彼女に渋々保管をお願いするしかなかった。こんな訳で、私は日本刀を得物として使うことを諦めざるをえなかった。次の得物を模索しなければならなかったのである。策は尽きた分けでなかったからだ。奇手の一つや二つ、捻り出せる。

 戦争を知らない最近の日本人は、戦うにしても、素手でスポーツのルールに則って、お行儀よく、卑怯
(ひきょう)な真似をせずに表の世界のことしか考えない。表の世界で正々堂々と……という、こうした中で戦う事がフェアーと思い込んでいるが、これは短見である。近視眼的である。戦争に至るまでの、誘導されるストーリを見ていない。肝心な部分を見逃している。
 これこそ脳味噌をすっかり改造された、お人好しの日本人の、現代流の幼児思考を如実に顕わしているのである。
 昭和47年
(1972)は「戦後27年」である。「もやは戦後ではない」と言われた時代である。今や、戦争を知らないのは子供だけでなく、オヤジ達も同じである。あるいはそれ以上の年配の高齢者にも多い。
 先の大戦を子供時代に経験し、当時国民学校で強いられた生活を送り、その時代に小学児童を経験した高齢者の多くは、戦争そのものに憎悪を抱いているばかりでなく、敗戦後遺症に悩まされ、それから抜け出せないでいた。
 だが、これは甘えの構造の元兇ともなっている。若者だけではなく、老人に至っても考え方や戦争観が稚拙なのは、先の大戦の敗戦後遺症の影響と思われた。
 国破れて山河は無い……のである。国が破れれば、そこは異国である。
 一つの諍
(いさか)いから起こった攻防戦も、小国の一大事と捉えれば、この対処が如何なる方法で決着をつけねばならないか、その未来が観えて来るだろう。
 禍根
(かこん)を残してはいけないのである。

 兵は詭道
(きどう)なり。
 孫子の教えである。
 そのためには計略が必要なのである。
 綺麗事では済まされない。
 また詭道である以上、滅びの美学は通用しない。この域を超越しなければならない。
 フェアーを振り回す貧しい思考で、戦いは出来ないのだ。シビアである。戦いは非情なものである。非情な戦いを素手で戦うと考える、こうした思考こそ愚かなものはない。
 実戦となれば「腕に覚え」があっても、多勢に無勢を素手で乗り切る事は出来ないのだ。頭を使わねばならない。問題は頸
(くび)から下でなく、頸から上なのである。頸から下の腕力だけではどうにもならない。
 「兵は詭道なり」というではないか。詭道をどうして、腕だけで乗り切れるのだ。
 「詭道」とは、ズバリ言えば不正行為を言うのだ。計略だ。欺
(あざむ)くことである。尋常(じんじょう)な手段でない事を言うのだ。
 戦いでは人を欺かなければ、実戦の戦場では凌
(しの)げないのである。亡びるだけである。


 ─────幾日が得物の模索が続いた。
 ある日、工事現場の横を通り掛かった。大工が軽やかに、木材に釘を打ち据えている。あんなに軽々と打ち込めるものかと関心をして見ていた。
 その時、「これだ!」と思って、突然脳裡
(のうり)に閃いたのは金槌だった。新たな戦いの得物が浮かび上がって来たのである。
 此処を通りかかったのはまさに「渡りに舟」であった。天は私を見捨ててはいなかった。

 このときの金槌へのヒントが、平成3年11月の千葉県習志野で、私が立回った「習志野事件」である。これが禍して、のちに市中引き回しは避けられたものの、「習志野所払い」となる。
 一人で十数人を相手にして、逮捕される事件を起こした。この事件は、ある者が一方的に痛めつけられているという、助けに応じて、私が「義によって助太刀
(すけだち)申す」加勢に駆けつけた事から始まった乱闘であった。が、無意識にも金槌を握り、これを武器にして、多勢に無勢を相手に大立ち回りやってしまったのである。

 対戦相手はコンビニに逃げ込んで助けを求め、これで一件落着と思い、引き上げたところ深夜になって警察から寝込み襲われたのである。そして逮捕劇の始まりとなり、習志野警察署に一晩監修された。
 事情聴取で、最初はさんざんこっぴどく痛めつけられていたが、事の真相が瞭
(あきらか)になるにつれ、取調官の同情が趨(はし)るようになった。一晩留め置かれたが、翌朝には釈放された。これによって街のゴミは一掃されたのである。結果的には検察庁送りにもならず不起訴となった。

 ところが、これから一ヵ月もしないうちに、習志野警察署と習志野市福祉事務所と街の民生委員の三者がやって来て、「当面の生活費と家賃等の金を出すから、習志野から出て行ってくれ」と云われたのである。習志野から追放しようと言う。実質上の所払いであった。
 しかし、急に出ていってくれと言われても、行くところがなく困って居たとき、毎月、わが流の講習会に参加していた八光流柔術皆伝師範の松永毅
(まつなが‐たけし)氏が、「もし先生に行くところがなければ、豊橋に来ませんか」とお誘いを受けたのである。そのお誘いに甘えて、愛知県豊橋市南小池町に、関東から愛知県へと都落ちすることになったのである。


 ─────再び話しを戻そう。
 早速、その足で工具店に行き、柄
(え)のしっかりした適当な物を捜し出して買った。今度こそ彼女に見つからないように、道場の書類入れの奥に仕舞い込んだ。あとは、対決の日取り(日時運算/軍立(いくさ‐だて)の決行の時機)をこちらが決めれば言いのである。
 この日取りを決めるのには、最も危険と思われる「八門遁甲」の秘術を使うことにした。それは再三再四、山村師範から絶対に遣
(つか)ってはならないと申し渡された封印の秘術である。

 こちらが優位な場所に位置して、そこから攻め込み、しかも多勢の敵に臆病風を吹かせ、敗走させるような事態が起こりうる日取りを、既に頭の中で計算していた。この日取りを八門遁甲では、「軍立
」という。
 その年月日時を複雑な計算式から割り出して、十分な準備を重ねていた。もし、この軍立に隨
(したが)って戦うとしたら、それは「いつやるか」である。即ち開戦時刻である。そして夜陰に乗じての夜襲を考えついたのである。大勢の敵と戦うには、こちらが奇手(きて)を用いた陽動(ようどう)作戦に出なければならない。夜襲を以て掻(か)き回すしかない。
 奇
(く)しくも、この立案した軍立の日取りが、夜襲をかける時刻と一致していたのである。その日は、月も出ない新月(しんげつ)の闇夜であった。

 この対決に用いようとしたのは、「八門遁甲・金鎖の陣
(てっさ‐の‐じん)」であった。これで勝てると言う自信が湧いて来た。
 私の心の中には、ある種の憤
(いきどお)りがあった。それは暴力団が暴力を武器にして、商売して居るとは言え、その暴力に屈しない男だって、世の中には一人くらい居るのだと言うことを、奴等に思い知らせてやりたかったのである。

 歴史を顧みると、世の中は王道が廃
(すた)れて覇道(はしゃ)が盛んになってから、人心は荒廃(こうはい)を招きはじめる。覇道を唱える輩(やから)は、口先だけで支配者面して、外面を飾り、その実は己の欲望に明け暮れるようになった。このような考え方が一世を風靡(ふうび)し、それが世の中の混乱を招いた。
 また世の中が覇者の支配を受けるようになると、道理を持つ人達は荒野に埋没
(まいぼつ)し、そして姿を消した。
 彼等が埋没した事をいいことにして、覇者
は競って自らの欲望を先行させ、これに習って多くの人達は先を競って富強の為の論理を展開した。
 相手を陥れる為に謀略をやってのけ、無実の人に濡衣
(ぬれぎぬ)を着せた。
 計略や、巧妙な企てが幅を利かせ、争いは絶えなくなった。人々は闘争や強奪にばかり明け暮れ、その行き着くところは、禽獣
(きんじゅう)や夷狄(いてき)と同じような状態に落ち込んで行った。
 これが人間の心の荒廃
(こうはい)であった。
 現代の世は、こうした人心の荒廃で満ち溢れている。
 また歴史的に見て、覇道に生きる支配者は、乱世の灰燼
(かいじん)が深く染み付き、これがまた、現代人に暗い影を投げている。もう、焼けて原形を止めないように酷いものになっている。これこそが、現代人が功利で動く、原動力の所以(ゆえん)なのである。何とも落ちたものである。


 ─────勝つ方法は、確かにある。勝たなくても、「負けない境地」は必ずあるはずだ。
 この「負けない境地」こそ、私は「八門遁甲・金鎖の陣」と信じていた。それには「軍立
」を割り出し、確立することである。
 しかしこれだけでは、まだ不十分であった。奴等の状況が知りたくなったのである。言わば人数と戦力と兵器の内訳である。相手は何しろ、残虐非道
(ざんぎゃく‐ひどう)な暴力団である。どんな残忍な手口で襲って来るかも知れない。これに対抗するためには、敵の勢力と戦力と兵器の把握(はあく)が必要となるのだ。

 だが、私が奴らの組事務所の前に隠れながら、敵陣偵察は出来たものではなかった。
 一度顔を知られた以上、何らかの方法を考え出さなければならなかった。暫
(しばら)く模索(もさく)の日が続いたが、決定的な考えは浮かんでこなかった。
 もし、これが国家的偵察活動であれば、人工衛星でも打ち上げて、解像力の優れた偵察写真を撮るという方法もあるが、如何せん、貧乏人の私に、大仕掛けのそんな真似は出来る筈
(はず)がない。これは単にこれはSF紛(まが)いの机上の空論でしかなかった。

 私が最も知りたかったのは、まず第一に対決となった時、何人の人間を動員することは出来るか、ということだった。それには奴らの一集団だけではなく、その兄弟分筋の盃
(さかずき)を交した連名を結んだ団体が、幾つあるかということであった。そうなれば必ず、兄弟分は応援に駆け付けるだろう。多勢に無勢になる事は目に見えていた。

 次に装備および兵器であった。
 差し当たり火力であるが、まさかダイナマイトなどの大量破壊兵器は使われる筈
(はず)がないから、多くは小型拳銃か、あるいは日本刀や匕首(あいくち)などの刃物であろうと察しがついた。
 それで戦うとしたら、その遣
(つか)い手や、操作に慣(な)れた者は、何人いるかということであった。
 最近はこうした集団にも、かなりの遣い手が居ると聴く。特に刃物を握らせたら、天才の域と言う手練
(てだれ)がいると聴く。
 では、こうした手合と、どう戦うのか……。
 そして過去の犯罪歴や抗争事件数も把握しておきたかった。しかしそれが掴めないでいた。
 得物も決まり、八門遁甲で立てた「軍立」の年月日時も刻々と迫っていた。日取りが迫ってくる度に、焦
(あせ)りを感じ始めていた。
 祈ることは、この焦りが由紀子には気付かれてはならないという、祈りに似た願いであった。
 況
(ま)してや、私の考えている計画も……。

 しかし幾ら考えても、徒
(いたずら)に時間は流れて行くばかりだった。
 この儘
(まま)では時間を浪費し、自分自身を死地に追いやっているように思われた。何としても偵察を試みたかった。敵状が知りたいのである。
 思考に反して情報収集の手口が見つからなかった。奴等の組事務所の前まで行ってみるのだが、その中に足を踏み入れて、諜報活動は出来たものではない。ミイラ取りがミイラになるのだ。
 したがって、それ以外の方法を考え出さねばならなかった。そうかといって、敵情偵察にスパイを送り込んだり、奴らの誰かを買収して、その情報を得る事は不可能に近かった。一旦は奴らのアジトを遠巻きにしながら近寄ったりするのだが、強固であり、後は、ただ仕方なく引き下がるしかなかった。
 今のところ、抱き込めそうな者が居なかった。



●獅子身中の虫

 内部に居てその恩恵を受けながら、害をなす者を喩
(たと)えて、「獅子(しし)身中の虫」という。
 『梵網経
(ぼんもう‐きょう)』によれば、“獅子の身中に棲(す)んで、この恩恵を蒙(こうむ)っている虫が、却(かえ)って獅子の肉を食って、これに害毒を与える”ということが記されている。
 この『梵網経』は、鳩摩羅什
くまらじゆう/344〜413一説には350 〜409頃)の訳とされるが、五世紀頃に成立した偽経ともいわれる。しかし、「大乗菩薩戒」の根本聖典として重視される経典でもある。

 鳩摩羅什は中国南北朝時代の訳経僧で、インド人を父とし、亀慈国王の妹を母としてこの国に生れ、401年長安に到り、漢訳した経典は『法華経』『阿弥陀経』『中論』『大智度論』『成実論』など約三十五典に上ったと言われる。そのほか『維摩経』の注釈や、往復書簡集『大乗大義章』が遺
(のこ)っているという。
 その鳩摩羅什の漢訳した経典の一つに『梵網経』というのがある。
 その中に“獅子身中の虫”というのが論じられている。
 これによれば、「党を結びて相連
(あいつら)なり、賢良(けんりょう)を毀譖(きせん)す」とある。
 恩恵を受けながら、内側を食い荒らしてしまうのである。そういう輩
(やから)が居る事を、『梵網経』では指摘しているのである。

 「獅子
(しし)身中の虫」は何処にでも居よう。
 国家であろうと組織であろうと団体であろうと、その内部崩壊の招く元凶となるのは、内部を食い荒らす、おおよそ次の五種類の人間である。

派閥を作って、徒党を組み、それにより私利を計る。あるいは指導的な長(おさ)や、貢献的な人間を批難して、陰で謗(そし)る。逆転を窺(うかが)って流説を流す。
目立つような振る舞いをする。女に持てようとする。人気者である。あるいは自分は有能なように見せ掛ける目立ちたがり屋。その上、好んで奇を衒(てら)う。
新興宗教を引き合いに出したり、その教えを強要したり、あるいは超能力と称して、神憑かりを装い、人を惑わす。また政治運動に引っ張り込んだりする。
規則や規律を守らず、あるいは時間を守らず、社長出勤も意に介さない。お気に入りの目下を取り込み、金品や飲食費を与えて飼いならし、誘惑して煽動をする。
損得勘定が烈しく、損得で動く。負けると解れば、敵に通じ、密かに敵と共謀する。その上、寝返って高い地位を手に入れようとする野心を持っている。

 世の中には善人と悪人がいる。あるいはそのどちらでもない、可もなく不可もなくと言う人間がいる。この種属は中途半端でいつも浮動している。時には善に、時には悪に偏る。安定性がない。
 しかしこれらの人間の本性を判断するのは非常に難しい。心の奥底まで見抜く事は困難である。

 現代人は自分の生活において「権利」を要求し、他人には「義務」を要求する。しかし本来の人間としてのあり方は、他人がやらなくても自分は黙々と「義務」を全うし、自分は放棄しても、他人には「権利」を認めるべきなのである。それがどうも、近頃は逆転してしまっているのである。権利だけを要求し、義務については全く考えようとしないのである。
 この頃から私の道場は「権利」と「義務」という二つの言葉が好きな連中が集まっるようになった。そして裏で画策し、道場に権利を主張すると言う訝
(おか)しな状態になり始めていた。
 ベビー・ブーマーの「団塊の世代」は、戦後教育の悪癖を充分に享受していた。その煽りを受けて、権利を主張する事が、民主的な道場と言う考えを誰かが流説し始めたのである。この権利を主張する事こそ、「開かれた近代的な道場」という分けなのだ。

 既に当初の理想だった私の考えとは違う方向に、その運営は引っ張られつつあった。
 私が、道場は権威主義でなければならないと思う。権威がなければ、もうそれは道場とは言えず、愛好会や同好会のレベルに成り下がる。民主的に階級もなく平等とは、いかないものなのだ。少なくとも、「道」を掲げている以上、そこには権威に準じる求道者
(ぐどう‐しゃ)が集(つど)って居なければならない。権威を「封建的」と言う名で崩すのは訝(おか)しな考えであった。

 私自身、弱くて、エゴイズムに偏って人間であるけれど、人間は自分で損ができる人にならなければならないと思っている。損する事を意に介しないようでなければならない……と思料する。そして、損得を考えないのが求道ではなかったのか。このように解釈している。
 また私自身、損しても意に介しない人間でありたいと思う。
 損な立場が除去されたとき、そこには動物とは違う、人間の姿がある。損する事によって、人間は、はじめて人間になれるのである。そこには動物とは違う、人間の姿が登場するのである。

 しかし「権利」と「義務」は、本来の解釈とは違う形で遣
(つか)われると、本来の人間の姿は失(う)せることになる。蔓延(はびこ)るのは、「獅子身中の虫」ばかりとなる。
 この頃、私の道場も内側から、獅子身中の虫に喰い荒らされ始めていた。
 悪い時には、悪い事が重なるものである。
 私には“徳”がないため、外にも、また内にも、敵が蔓延
(ほびこ)り始めていた。蝕まれていた。
 もう、この頃から瓦解
(がかい)の要素を含んでいるのかも知れなかった。食い荒らされている予感のようなものを感じていた。亡びるのだろうか?……。
 その疑念はいつまでも付き纏った。


 ─────夕刻のことである。こうした最中、付き纏う影を視た。
 裡側
(うちがわ)では獅子身中の虫が腑(はらわた)を喰い荒らし、外側では不穏な影が付き纏っていた。
 それは、闇の中で白く烱
(ひか)る影であった。何処かから見詰めていや。
 もしや“ヤッパの俊
(とし)”では?……。
 この少年は、私を付け狙うために放し飼いされているのだろうか。あるいは無軌道に、勝手に動き廻っているのだろうか。これが心理戦とすると、恐ろしい仕掛けである。思わず戦慄した。

 少年を“ヤッパの俊”と呼称する以上、あのときに見たキャンピングナイフなどではなく、脇差しか、短刀類の「打物」
【註】玉鋼などの金属を打ち鍛えた刃物で刀剣類を指す)を懐(ふところ)に呑んでいるのだろう。
 襲撃に出る場合は、振り翳して斬り掛かるか、突き立てて来るかの何れだろう。
 この種の性格粗暴者は、まず血に興奮するのかも知れない。それが起爆剤だろう。その象徴が、少年の人相であり、一見するに瓜実顔の美形だが、咆哮
(ほうこう)するような顔を作るときは眉間(みけん)に縦皺(たてじわ)が入る。人相学的には「凶」を顕す悪相である。双眸(そうぼう)も険しい。どこか悪魔的である。なぜか尋常でない。猛獣に似ている。性格は狂暴あるいは獰猛を顕している。
 ひとたび暴れて狂えば、手がつけられないだろう。私の脳裡には、それが執拗に絡み付いた。
 こういう手合いが周囲をうろつき、纏
(まつわ)り憑けば、煩(わずら)わしいものだ。鬱陶しくもある。
 影のような蛇影は、湿り気のある粘着質のものであった。敵に回すと、実に厭な相手である。
 これが、私にとっては一番の「杯中の蛇影」であった。

 もしかすると、これが『易』で言う「沢」なのか。
 確かに沢は窪みにあり、そこは湿地帯である。沼地である。だが一方で恵みの湿り気もある。
 これをどう読むか。
 ふと、あるスパイ物の小説から、自国に侵入した間者
(スパイ)を捕らえて再教育し、二重間者にして再び敵国に送り込むという小説を読んだことがある。もし、ヤッパの俊を捕らえて、飼い馴らし、手懐(てなず)け、あるいは教育できないものかと考えた。
 だが噛ませ犬である。獰猛な質
(たち)である。そう簡単には行くまい。
 まずは「程度」を検
(み)なければならない。腕のほどである。だが半端ではないだろう。下手をすれば兇刃に斃(たお)れるだろう。その可能性は大である。
 絶望の闇が、私の身辺に立ち込め始めていた。

 闇に刃
(やいば)の影がちらついている。悪魔が差し向けたような影である。しかし、検ようとした白い影はすぐに消えた。闇に溶けてしまっていた。そういう特技を、少年は持っているのだろうか。刺客のような天賦と才なのだろうか。
 辺りを見回したが影は消えていた。
 煩わしいものに付き纏われたものである。
 助太刀もうす前に、刺客の兇刃に斃
れるのだろうか。私には、外にも裡(うち)にも敵がいた。
 刺客の影がちらついている。これは故意に仕掛けられたのだろうか。

 では何故?と思う。
 私は自身では、性根の持続の度合いを弁
(わきま)えている。理不尽の追い詰められたからと言って、そこから逃避が成った訳がない。
 小心者は大いに戦
(おのの)くのみである。
 杯中の蛇影は、何も刺客のみでない。
 私自身に巣食う、怯懦
(きょうだ)、忸怩(じくじ)、慚愧(ざんき)、無念が鬱積(うっせき)し、それが渦巻いているのである。それを刺客に看破(みやぶ)られたのかも知れない。自分への疑心暗鬼であった。それが闇の中で黒い牙となっているのである。天敵と言う形で顕われたのだろうか。
 あるいは私が感じているのは、闇に潜む幻覚であり、また幻聴なのだろうか。
 それを脳が受認する……あるかも知れない。
 私は惘然
(ぼうぜん)自失に見舞われていた。

 ヤッパの俊……。異名である。また暗示的である。
 この俊とは、名前だろうか、それとも苗字だろうか。これだけでは窺い知ることが出来ない。
 だが、堕天使のような翳
(かげ)りがあった。天界の堕天使が、俊という少年に姿を変えて地上に降りて来たのか。この悪魔は、次に犠牲者を探しているようでもあった。悪魔の眼に、私が恰好の餌食(えじき)に映ったに違いない。

 ヤッパと呼称されている以上、腕には、それなりの評価があるのだろう。
 手練だろうが、単なる刃物の遣い上手というだけでなく、イメージから無口な刺客を思わせた。
 また安田組の噛ませ犬であろうが、鉄砲玉に改造された犬は、飼い主の暗示に掛かり、命ずるままに猪突猛進に突っ走るところがある。襲撃する場合、腰溜して、箭
(や)のように突進して来るだろう。
 そういう者から不意を突かれると、私としても対処のしようがない。いつ襲って来るか分らない。これだけで恐怖が倍増するのである。
 事の起こりは損害賠償ならびに慰謝料だった。それを巡って交渉に出向いたのである。しかし決裂した。
 金額が合わないと言うより、払えないのである。此処から拗
(こじ)れてトラブルが生じた。
 要するに、猟られたのである。
 暴力団が一旦喰い付いた獲物を、そう簡単に離す分けがない。そして包囲の輪が縮められたように感じる。何者かが、じりじりと躙
(にじ)り寄っている。その中に表情を持たない猛獣が放たれたのである。
 このまま啖
(く)われるのか?……。
 それを思うと、悪寒が疾った。

 だが、待てよと思う。
 暗示という観念的な作用に思い当たったのである。
 “ヤッパの俊”と呼称される少年は、確かに買主の暗示に掛かっている。では、逆に暗示を解く方法もある筈だ。
 この少年は、私に遺恨がある訳でもない。
 更に、「少年」と決め付けてしまっているのは、私の思い込みではないのか。
 よく考えれば、年齢も定かでない。もっと上かも知れない。
 色白で、細身の体躯で、これだけで十代の少年と決め付けるのは早計ではないのか。
 勝手な先入観で、そう検
(み)ているとしているのなら、明らかに短見であった。もう一度最初から検討してみなければならないのである。
 むしろ私の方が、蛇のような執念深い組員の話術に操られているのかも知れない。
 「こいつの無鉄砲には、常々さんざん手を焼いているんだがなァ。放し飼いしてもいいんだぜ」の、この言葉に、暗示に掛けられたのは私ではないかと思い始めたのである。

 確かに少年の人相からは「天賦
(てんぷ)の才」を感じ取った。
 また噛ませ犬として飼育された少年を、あたかも幕末期、佐久間象山を斬った河上彦斉と重ね合わせてみたことが、そもそも誤りであった。これらは先入観であろう。
 しかし、どう検ても、腕に覚えがありそうだった。「ヤッパの俊」は掛値なしの評価だろう。
 だが、この評価、逆利用できないものか。
 初見からすれば、性格粗暴者であり、眉間に縦皺が入るのは明らかに凶相である。狂暴が表面化すれば、阿修羅
(あしゅら)のような貌になる。この見立ては間違ってはいまい。しかし、それ以上のものでない。
 そして紛れもなく暗示に掛かっている。
 敵に回さず逆利用できないか、そこが思案の為所
(しどころ)だった。
 だがである。
 これは狼を飼い馴らすようなものだった。


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