運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
旅の衣を読むにあたって
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旅の衣・前編 49

生きるのが苦しいと感じるときは、どういう時か。それは名誉が失墜したときである。羞じも外聞も無く、生きていなければならないと感じた時である。人は、こう言う場面に直面することがある。


●兎猟り

 ゴルフを通じ、ゲーム終了後の予後の時間に仕掛けられた、この銀行を巡る巨額の不正融資事件は、全国紙にも取り上げられた。
 かつての頭取が女性スキャンダルで転げ落ちた顛末
(てんまつ)を報じられたのであるから、当時は大きな社会問題となり、その波紋(はもん)が政財界に波及したのである。そして“接待ゴルフ”に絡む女性スキャンダルは、結局、大物をゴルフ場から退却させてしまった。
 ここで、この手の仕掛人がセックス・スキャンダルを仕掛ける大まかな種明
(たね‐あか)しをすれば、ゴルフのゲームから延長されたゲーム終了後の「第二の仕掛け」である。
 ここで言うゲームとは「賭
(か)け」という意味を持つ。酒食の絡む「色仕掛け」であった。

 ゴルフ場からの影の仕掛人は、ビデオ・カメラのファインダーを覗いて、その光景を一部始終記録する。そこには先ず獲物
(えもの)にされるターゲットになる被害者と、二人の“抱え役”としての太鼓持がいる。
 彼等は単に他人にお追従して、その機嫌取りをする程度の連中ではない。遊客の機嫌をとり、かつ酒興
(しゅこう)を扶(たす)けることを生業(なりわい)とするプロである。それも裏仕事のプロだ。その仕事は徹底している。
 しかし肩書きは、中小企業の代表取締役などの地位についていて、獲物にされる被害者は、彼等の正体を中々見極め難い。そのような正体不明の仕事師なのである。そして、時としてこのような仕事師が、誇りよりは何よりも金が第一なのである。経済・経済・経済……と言って、金儲けを企んでいる最中に入り込んでくる。そういう企みの場所がゴルフ場だった。この列島は、そういうものに汚染され始めていた。やがて軒先を貸して、母屋を取られるという事も知らないで……。

 例えば、かつて長崎県佐世保市に本店を置く親和銀行では、某頭取が巨額の不正融資事件で食い物にされている。その事件の発端は長崎県壱岐
(いき)のあるゴルフ場であった。
 当然、仕掛けゴルフに出る為、太鼓持の二名は、自分達のゲームには手抜きをし、ターゲットを御機嫌にするテクニックを心得ている。高スコアが出て、ターゲットを御機嫌にさせることを怠らない。パートナーに恵まれたという印象も明確にさせて、ターゲットを喜ばせることを忘れない。
 そしてその後、予後の「接待タイム」となる。この時に、「息抜き」と称したり、「ストレス解消」という言葉を巧みに用いて、第二の接待が開始される。此処に女が登場
【註】最近はゴルフ場から、プロゴルファーなみの美女が登場)し、ターゲットが絡み捕られていく仕掛けが待っているのである。
 つまり、「息抜き」は風呂の“混浴”などから始まり、此処には“とびっきりの美人”が待機している。
 こうして、ターゲットが一人で風呂に入っていると、「お背中、お流しします」などと言って風呂に入って来る。勿論こうした場面も、ビデオに盜撮される。スキャンダルが意図的に仕掛けられるのである。
 更に「ストレス解消」には、混浴に続き宴会が用意されていて、豪華な“お造り”と称される伊勢海老
(いせ‐えび)などを中心にした魚介類の刺身の山盛りも用意されていて、まずこれでターゲットの度胆を抜く。財界のトップや官僚のトップはこういう手口で狙われる。
 財界のトップとは、銀行の次期頭取候補の副頭取とか上場会社の筆頭重役とか、官僚では事務次官クラスである。賄賂をもって落し込むのである。賄賂は何も金銭とは限らない。超美人らが使われることも多い。政治家を落し込むときも、この手口が使われる。

 一方、混浴をした美人はこの宴会にまでも継続して付き添い、介添役として、ターゲットに対してきめ細やかなサービスを忘れない。そして何よりも、仕掛人達の巧妙な心理作戦は、徹頭徹尾
(てつとう‐てつび)、ターゲットを有頂天にさせることを絶対に忘れないのだ。彼等仕事師達は、美女の接待と、太鼓持のお追従で、ターゲットをいい気にさせる、プロ中のプロなのである。名うての工作員である。
 この仕掛けにターゲットはまんまと嵌
(は)まり、巧妙に絡め捕られていく。宴会での話題の中心は、ゴルフの話である。ゴルフの話をして、ひとしきり盛り上げ、此処からがターゲットと二人の太鼓持との指しつ指されつの、酒食となり、その合間に美人の太腿(ふともも)に手を置くなどの“お色気作戦”が始まるのである。あるいは陰部に近いところまで、手を招き入れる。巧妙な策である。

 酒と色気が絡み、ターゲットは仕掛人の意のままに有頂天になり、完全に絡め捕られていく。更に日本酒やビール、それにウィスキー、あるいはカクテルといったアルコールの中に、巧妙に溶かした睡眠薬が仕掛けられていて、“お開き”になる頃には溺酔状態になる。
 ターゲットはこの頃になると、御機嫌のうちにガックリと両肩を落とし、心地よい余韻
(よいん)が跡を曳(ひ)いている。美人に腕を抱えられ、寝所へと向かう。美人はマッサージなどの名目で、寝所に付き添う。
 最初は「2、30分おもみして差し上げる」という名目だが、寝所に着くと、直ぐに崩れ落ちるように溺酔状態になっていて、横になると、前後不覚のまま眠りに落ちる。この間に、種々の工作が仕掛けられる。
 その後10〜15分を経て、熟睡を見計らった頃、予定通りのビデオカメラ撮影ならびに、暗視用高性能一眼レフカメラの撮影が始まるのである。ビデオ・カメラや一眼レフカメラには薄明かりでも鮮明に写る高感度フィルムが装填
(そうてん)されていて、今から始まろうとするシックス・ナインのポーズから撮影が開始となる。そしてポーズは次々に変化し、巧妙な動きが加わり、まるで両者は烈しく絡み合ったセックスをしているように巧妙な演技が始まるのである。
 また、ターゲットの相手をする美人に仕込んでおいた演技力が、実に巧みで、見る者を圧倒し、功を奏するような仕組みになっている。
 最初の打ち合わせの手はず通り、ビデオと写真を撮り続けた後、美人はターゲットの床に朝まで寝ることになっている。そしてターゲットが朝、眼を醒
(さ)まして、自分が女性と寝ていることに気付くと、「昨夜は烈(はげ)しかったのよ」という台詞(せりふ)を忘れずに吐く。
 またコンドームやティッシュの細工も忘れない。コンドームには唾液が仕組まれ、屑籠
(くず‐かご)にはティッシュが放り込まれている。

 そして、朝になる。
 ターゲットは自分の横に美人の女性が寝てことに、口から心臓が飛び出さんばかりに驚く。自分の横に、どうして素っ裸の女がいるか?!このことを、昨夜から反芻
(はんすう)する。必死で思い起こす。
 しかし幾ら思い起こそうとしても、酔って斃
(たお)れた後のことは、全く覚えていない。更には、ターゲット自身も素っ裸である。なぜ自分は、こうした姿でいるかも分からないのである。記憶の中には、断片的な出来事しか残っていないのである。
 ターゲットは、更に反芻する。ゴルフで高スコアを出した。嬉しくて御機嫌だった。御機嫌調子に勢いついて、美人と混浴した。宴会でも調子ついていた。
 しかし、二人の太鼓持には若干、乗せられた観がある。つい、気が太くなって、指しつ指されつの酒盃も交わした。宴会は、盛りに盛り上がった。そこまでは何とか思い出せる。だが、それから先が釈然としない。
 酷く酔い、美人に腕を取られながら、寝所に向かったところまでは、何となく朧
(おぼろ)げながらに記憶がある。ぼんやりとした記憶がある。しかし、それから先が全く途切れて思い出せない。工作員に仕掛けられたのである。それに気付くのに少しばかり時間が掛かった。
 この先からのことをターゲットは大いに悩むのである。そして、このトリックに睡眠薬が遣われた事を全く知らないのである。
 こうして暢気
(のんき)な兎然のターゲットは、狩猟工作員の罠に掛かり、猟られるのである。狡猾な狩猟工作員は、いつもターゲットになる人物を物色し、どうすれば財産もろとも奪えるかを考えているのである。トップ支配の巧妙な手口を、常に思考し続けているのである。
 したがって一番弱いところを攻め、突破口を開くのである。狩猟工作員は狡猾で、獅子でも、何処を攻めれば一番脆
(もろ)いか承知しているのである。

 ターゲットが眼を醒
(さ)まし、暫(しばら)くするとベットの横に寝ている美人が寝返りを打ち、毛布がズレ堕(お)ちて、二つの胸が露(あらわ)になり、次によく括(くび)れて締った腰が顕われる。更に下腹が顕われ、その下の艶(つや)やかに光った繁みまでが顕われる。
 この光景にターゲットは驚愕
(きょうがく)し、かつ「ぎょッ!」とする。
 何故こうなったのか?!……、それを反芻
(はんすう)する。
 今の光景を他人に見られたら、全く言い訳できないと思うのである。鈍感でなければそこまで先読みする。
 また、こうしたターゲットは年齢的には50歳半ばから60歳はじめの者が多く、こうした歳になって、暫く無縁であったセックスが、何故ここで頭を抬
(もた)げてきたか、それを思い悩むのである。

 「昨夜、美人と寝た」という記憶は、自分では全く憶
(おぼ)えていないのであるが、やがて彼女が眼を醒まして、「これは一体どういうことか?」と質問すれば、「昨夜は烈しかったのよ」と切り返されれば、それまでであり、更には「顔に似合わず助平ね」などと言われると、そこまでである。もう返す言葉がない。弁解の余地はない。
 そして、究め付けは、屑籠
(くず‐かご)の中に捨てられている使用済のコンドームとティッシュまで見せられれば、一言も反論できず、あるいはそうかも知れない……と思い直すのである。恐ろしい光景である。
 ターゲットは、ただただ年甲斐もなく、些
(いささ)か乗り過ぎたことだけを悟るのである。
 こうした直後に、接待ゴルフから宴会までを付き合った太鼓持二人が、朝の挨拶の為に部屋に顕われる。
 ターゲットはこの二人の顔を視て、一瞬、脳裡
(のうり)に「嵌(は)められたか?」という疑いが過(よぎ)るのである。
 しかし太鼓持に言い包められて、「男なら誰でも、事の成り行きで一度や二度は、こうした事はよくあるものです」などといわれれば、今さら悔
(く)いても仕方がないと自分に言い聞かせるものなのである。
 そして、このように自分の心の整理が付くと、幾らかでも気分が楽になり、一先ず安堵
(あんど)して胸を撫(な)で下ろすのである。

 太鼓持二人と、とびっきりの美人の二人三脚で、一瞬「嵌められたか?」という疑いを抱きながらも、済んだことを悔いても仕方ないと諦める。そして、一週間が経ち、二週間が経ち、やがて一ヵ月が経って、ほぼ忘れた頃、突然「寝耳に水」というような驚くべき事態が発生するのである。
 この手の策謀は、近年トップ間で盛んに遣われるようになった。企業が秘密戦に突入した時代である。
 またこの仕掛けは、大学教授や科学者、最先端医療技術の医学者などもに遣われるようになったのである。
 彼等ほど、この仕掛けに掛かり易い人種は居ないからである。面白いように、日本のトップシークレットは外国に持ち出されているのである。
 日本がスパイ天国と言われる所以
(ゆえん)は、これである。



●笛の音色

 私は昨日から俊宮
(としのみや)と名乗った少年?のことが気になっていた。
 そもそも性別が分からないし、自らも性別を明かさない。素性も不明。
 少年?によれば、今は駄目だという。明かせないのは、自己防衛のためだろう。男で押し通せば、無理難題は突き付けられまいが、女と分かれば弱味を突かれる。何しろ、安田組に飼い馴らされている鉄砲玉だからである。
 今は、阿修羅然として強持
(こわ‐も)てしている時が、自己防衛の域にあるのだろう。この拮抗を壊すまいとしているのである。そのうえ陰陽が一人の人格を作っているようである。不思議と言えば不思議だった。
 果たして謎だらけの、男か女か解らない少年?だった。
 この坊主を暫く母に預けたのである。
 実家に連れて行って、「此処で暫
(しば)く草鞋を脱げ」と諭してやった。これに、素直に従ったのである。一人暮らしの母を手伝い、その手助けくらいにはなるだろう。
 しかし、私には「その然
(しか)る後に」という魂胆があった。目的は再教育である。こちら側の陣営に送り込むことであった。

 さて、一日経った明くる日、俊宮はどうなっているだろうか。そこには興味津々の謎解きがあった。二面性を暴
(あば)く楽しみがあった。だが悠長に構えている時間はなかった。さっそく実家に出向いた。
 今日は、昨日とは打って変わって蒸し暑くもなく、初夏の、うららかな気持ちのいい日であった。

 「昨日の坊主、どうなった?」母に、その後のことを開口一番訊いてみた。
 「坊主って、だれよ?」
 「昨日の坊主だよ、あのガキだ」
 「あの松子ちゃんのことかい?」
 「なに?!あいつ、松子というのか」
 「そうだよ」
 「なんだ、女か……」野郎の正体は、女だった。
 「どうして、あの子が男なんだい。バカなこと言うのね」
 「あいつ、最初、男か女か分からなかった。しかしね、本当に女だろうな?」念を押すように訊いた。
 「当り前だよ。昨夜、松子ちゃんが銭湯まで連れて行ってくれたんだよ。うちは風呂が毀
(こわ)れているからね。それに、あんたはいつまで経っても、風呂を直してくれない。それに屋根の修理も……。
 だけど、昨日、屋根の雨漏り、松子ちゃんが直してくれたんだ。本当に気の利く子だよ」
 「今、あいつ何処に居る?」
 「屋根の上だよ」
 「なに?屋根に昇って、何をしているだい?」
 「二階の部屋から蒲団を出して、干しているところだよ。一宿一飯の恩義だって」
 「なに?一宿一飯の恩義だってか?」
 「律儀な子だよ」
 そのとき上から笛の音が聴こえて来た。紛れもなく煤竹
(すさだけ)の音色である。いま滔々と流れている笛の音は、能管(のうかん)と言われるものであった。いい響きである。日本人の郷愁を誘う。
 横笛には篠笛
(しのぶえ)、龍笛(りゅうてき)、能管(のうかん)の三種類がある。
 能管と言われるものは「のど」と呼ばれる箇所があるのが特長である。更にこの特長は、歌口と一番手前の指穴との間に「のど」と呼ばれる厚さ2mm程の竹管が挿入され、狭隘部
(きょうあい‐ぶ)を形成していることである。また指使いの変化で、低い「呂(りょ)の音」と、高い「甲(かん)の音」また極めて甲高い「ヒシギ音」が得られることが、日本の煤竹を用いた笛の特有の音色である。

 「誰だい、あの笛?」笛の奏者を訊いた。
 「松子ちゃんだよ」
 「あいつ、笛を吹くのか」
 「とても上手だよ。あの笛、能管と言うんだって。松子ちゃんが、そう言っていた」
 そういえば、いい笛の音が流れていた。心に迫る。忘れた昔を思い出すような気になる。
 「能管か……。いいなァ……」
 しばらく聞き惚れた。何ともいい。哀愁がある。遠い昔に誘う。そういう惹
(ひ)き付けるものがあった。
 かつて、龍笛と能管との違いを聴いたことがある。
 そして能管には、「のど」という独特な箇所があることも……。「のど」は能管の心臓部だった。

 「昨日ね、松子ちゃんに、笛が上手だから『とねもお上手ね、驚いたわ』と言ったのよね。そしたら、何と言ったと思う?」
 「分からん」
 「そしたらね。自分でも、ときどき怕
(こわ)くなるんですって。これ、どういう意味と思う?」
 「自惚れだろう」
 「違うわよ、驚きよ。自分で自分のことが怕くなるんですって。それに驚くんだってよ」
 「あいつ、自分のことがよく分ってないのかなァ……」
 「でも、いい子だよ」
 「そりゃァ、いい子だろうよ。しかしねえ、あいつ、謎が多い。不明な点が多い。さて、その謎だらけの坊主でも、見に行くか……」
 「あの子は、女の子だってば」
 「それ、化けているかも知れないぞ」
 「どうして、あれ以上、化けられるんだい。何処から見ても、歴
(れっ)とした女の子だよ。昨日、一緒に銭湯に行ったんだから」
 「それ、母さんが女湯で、あいつが男湯だったんだろ?」
 「違うよ、あの子も女湯。あの子は歴とした女の子だったよ。綺麗な躰してた、珠のようで」
 「とんでもない坊主だ。よくも化けたな妖怪変化。その正体、暴いてやる」
 「でも、驚くよ」
 「なに?」
 「心の切り替えの覚悟がいるよ。最初、わたしも驚いたんだから」
 「まさか……」
 「行ったら驚くよ。いま松子ちゃん、二階の屋根の昇っているからね、梯子掛けて……」
 「なに?野郎は二階の屋根だって?」
 とんでもないガキだった。そう思ったのである。

 私は早速、二階に上り、窓の外の一階の屋根の上に、二階への梯子を見付けた。この梯子を昇って、野郎は二階の屋根に上がったものと思われた。依然として笛の音
(ね)が流れていた。何処かの情景描写だろうか。いい音を響かせ、滑らかに、途切れないでいた。
 笛は能管での演奏である。その笛の音が、突如、悲鳴のようにも変化する箇所があった。その悲鳴は、本人の心の裡
(うち)を顕しているのだろうか。その部分は凄まじいほどだった。

 「おいッ〜坊主、居るか。野郎、どこに居る?!」梯子の下から怒鳴った。
 「……………」笛の音が流れたままで、返事がない。演奏は中断されることがない。訪
(おとの)うたが、声がない。
 「おい坊主、居るのか!居るのだろ。聴こえたら返事をしろ。坊主、返事しないと梯子を外すぞ!」
 この脅しが利いたのか、
 「なによッ!坊主、坊主って。みっともないじゃない!」と反撃があった。
 漸
(ようや)く返事をしやがった。野郎が喋ったと思った。
 これまでエイリアンとばかり疑っていたものが、人間の感情らしい言葉を露
(あらわ)にしたのである。
 私は梯子を昇って、二階の屋根に出た。
 「なに!!」
 びっくり仰天。気絶する一歩手前。なんという光景!信じられん!どうなっている?これは魔術か!
 これまで“険
(けん)”した野情(やじょう)がすっかり澡(あら)いながされ、繊妍(せんけん)とした姿を露(あらわ)にしていた。ほっそりとして美しい。それが艶(なまめかしい)。滑沢(かったく)たる肌体(きたい)を保っている。険のある以前の蒙(くら)さが消えていた。何という変わりようか……。
 もし、これを単直に述べれば、《信じられん》の一言である。驚嘆するしかない。
 そこで見たものは、なんと、恐るべき勘違いから起こった現実だった。信じ難い光景だった。あるいは見事な変装?……だったというべきか。野郎は特技に変装も挙げていた。何でも化けると言っていたからである。
 夏用のセーラー服から伸びた手足は、すらりとして白蝋
(びゃくろう)のように美しく、眼は黒々として大きかった。最初見たとき、貌には昏(くら)い翳りが顕われていたが、今は微塵も留めていなかった。
 まさに眼を疑うべきは野郎の姿だった。坊主は美形の、愛くるしい少女に化けていた。実に見事だった。
 特技と称した変装とは、これだったのか。能
(よ)くも化けたなという驚嘆すべきことが起こっていた。

 「おい、坊主。その恰好、なんだ?」
 遂に狂ったか?!……という揶揄
(からか)い半分で訊いてみた。
 「何だ?と言っても、これって、何に見える?」
 私は唖然としてしまったのである。見事に能
(よ)く作っているといえた。果たして本当に作っているのだろうか。もしかすると、これが実態では。まさに眼を疑う光景だった。
 最初、小汚い糞ガキだと思っていた。だが、それはわざと貌を汚した所為
(せい)であった。今は汚れが剥がれ落ち、女の肌膚(きふ)が顕われていた。しなやかさと優雅さを身に付けているようであった。

 だが押しまくられるのも癪
(しゃく)だ。簡単に、女であることを認めたくない。きっと何処かに粗(あら)がある。だが所詮(しょせん)下衆(げす)の負け惜しみであった。
 「風が吹くと、もっこりパンツが丸見えだぞ」脳裡に浮んだ言葉で揶揄
(からか)ってやった。
 当時の流行だから、スカート丈はどれもこれも膝上で短い。坊主も御多分に洩れない。「超」まではいかないが、それなりに先端をいっていた。膝小僧が幽かに見えている。恥じらいもある。何ともいいのである。
 「それしか言うことないの!それって、下衆の勘繰
(かん‐ぐ)りじゃない」と、詰問は半分呆れ、半分怒り気味である。
 「まったく、開いた口が塞がらん。この形容、実にし難し!」
 なんと松子は、県立T高校の制服を着ていたのである。当時、県立T校の女子の制服は戦前・戦中のなごりを残すセーラー服であった。胸のリボンが紺色である。初々しく、可愛い。その夏用の制服を着ていた。
 この坊主、一種の偏執狂なのだろうか。あるいはモノマニアなのか。
 しかし容姿は、ボーイズ・カット風のヘアスタイルに女子高生の制服が初々しく映え、まさに女だった。襟足をみても分かるように、肌理
(きり)が細やかで、どこかに生まれの良さが漂っていた。
 小娘自身は気付かないであろうが、彼女に眼には男心を誘うような妖しさを秘め、それは妖艶として烱
(ひか)るのである。その烱りは小娘に邪心があるという分けでない。そもそも美女とは、そういうものかも知れない。世で言う美女の定義は自然さを喪った人工的な整形後の美女であり、この小娘に限っては、世にいう美女ではあるまい。人や物、否、この世を形成する現象界は、必ず陰陽があり、不変でなく、その人の運命にも陰陽は備わっている。そして今、小娘には幽玄なる変化が生じたのである。
 もしかしたら今まで、私の眼が毀
(こわ)れていて、偏執狂的であったのか。思えば反省点が多い。

 「どお、これ似合う?」と、上衣の衿を左右の指先で摘んで、可愛い貌で訊きやがった。
 胸には県立T校の小さな校章バッチが輝いていた。
 「おまえ、県立T校の女子高生だったのか?」と驚いて訊き返す。
 「これは借りもの」
 「誰の?」
 「この町内の、今年、大学に上がった娘さんの要らなくなった制服。健太郎のお母さんが、いろいろと着替えを探してくれたの。それで、いま着ているの」
 「恥ずかしくないか?」
 「どうして」
 「おまえ、十九なんだろ?」
 「そう。でも、どうしてよ」
 「本来、高三生の制限年齢は十八までだ」
 「そこを一年、留年した」と、ぶっきらぼうに言った。
 「なに!留年だと?言い方もいろいろあるものだ」
 母が“驚く”と言った意味は、実はこれだった。まったく恐れ入ってしまったのである。
 「これ、案外気に入っているの。転学試験、受けようかしら」
 「おまえなァ、今まで学校に行ったことは?」
 「ない」
 「小学校も中学校もか?」
 「ない」
 「義務教育すら終了していない者が、どうして転学試験を受けられる?おまえは、入学試験を受ける権利すらないんだぞ」
 「大検の合格者だから権利有り」
 「なに?大検だと!」
 「知らないの、健太郎?ああァ、がっかり。驚き!桃の木!健太郎が知らないなんて、本当に山椒の木」
 「おまえなァ、語呂合わせを、おれに搦
(から)めるな」
 「あのね。わたし、大学すら受験できるのよ。私学および国公立の隔たりなく!」
 「だまれ、御託は無用!」
 「お母さんに聴いたんだけど、健太郎は去年まで高校の先生だったんでしょ?」
 「ああ」
 「それで知らないの?」
 「知っているよ。大学入学資格検定、略して大検」
 「そう、その大検!」
 「おまえ、バカと思っていたが、違うんだな。文盲の振りして、よくもおれを騙したものだ」
 「よくも騙されて、引っ掛かったものだ」揚げ足を取ったというような言い方だった。
 なにかと一枚上を行く。
 ほぼ構図が明らかになってきた。なんていう野郎だ。すっかり騙
(だま)され、欺(あざむ)かれ、おまけにコケにされていた。
 “欺瞞
(ぎまん)なり!”と罵声を揚げたかった。“われに罪なし”と言いたかった。

 「それ、子平の差金か?」鎌を掛けてみた。これでも充分の押さえていた。
 「そうよ。生き抜くためにはねえ、騙
す能力がないと駄目だって……。内も外も、何れにも、みな、騙す能力が大事だって、そう言ったの。生きるためは先ず騙し、物は盗んででも食べろって」
 「それは聴いた。おまえの言っていること、まさに詭道(きどう)だ」
 「詭道?……、人を欺く手段ね。尋常でない遣り方。健太郎にしては、上出来な見解ね」
 小娘は、人を呑
(の)んだようなこと吐露(とろ)した。
 「おまえなァ。おれのことを健太郎と呼び捨てにすな!」
 「だって、健太郎でしょ。健太郎を健太郎と呼ぶ。どうして悪いのよ?」
 「それは屁理屈だ。おれは、おまえより年上だぞ」
 「じゃあ、“健太郎さま”とでも、お呼びましょうか」と、貌を覗くように訊いた。
 「それは拙
(まず)い」だが打ち消しに迫力がなかった。
 「じゃあ、健太郎ね。これで決まり」
 「それも拙い」いつしか重い吐息を落していた。
 まんまと為
(し)て遣られた感じであった。
 「どうしてよ?」
 「おまえは物を盗んででも喰
(く)うが、一方で喰わせもする」
 「どういう意味よ?」
 「とんだ“喰わせ者だ”ということだ」
 私の、身も世もない嘆きであった。

 「猫を猫という。犬を犬という。この話、健太郎のお母さんから聴いたの。この家
(うち)、猫と犬がいるでしょう。ペルシャ猫と柴犬」
 「ああ雑種だがな」
 「ペルシャ猫に『猫』という名前を付けた。柴犬に『犬』という名前を付けた……でしょ?」
 「ああ」
 敢えて反論する気持ちはなかった。
 「それで、猫を猫と呼んで何が悪い。犬を犬と呼んで何が悪いって、言ったでしょ?」
 「ああ、言った」
 その事実は疑うべきもない。その通りであった。
 「だから健太郎を健太郎と呼んで、何が悪いの。違うかしら?」
 「うム!……」そのあとに《とほほォ……》と続けたかった。
 完全に挙げ足を取られていた。見事に手玉に取られている。こやつは出来る……。これを歔
(な)かずにいられようが。否、すすり泣きでは収まらぬ。号泣したいくらいだった。
 「どうだ、恐れ入ったか」
 「ああ、泣きたいくらいだよ。だが、おまえは、なかなかの詭弁家であることがよく分かった」
 「詭弁家といわずに、話術家といって貰いたい」
 「それを詭弁と言うんだ」
 「さて、そこでだ。家庭教師を依頼したい」畏
(かしこ)まって言った。
 「なに?」
 「健太郎が家庭教師の内職で、細々と貧困な生活を凌
(しの)いでいることは聴いている。そこで、黙って、断らずに受けてもらいたい」
 「家庭教師の依頼だと!なぜだ?!」
 「県立T校への転学もいいが、そういう、まどろっこしいことをせずに、いきなり大学という手もある」
 「なんだと?!」
 「聞くところによると、健太郎は医学部専門の受験生をペテンに懸ける超詐欺師だそうだな」と白状を迫るような尋問であった。
 「おまえ、わざわざ『超』までつけて、詐欺師とは言い過ぎだろう。山師であることは否定しないが」
 「じゃあ、山師に恃
(たの)もう」
 「恃まれてもいいが、おまえ、金あるのか。おれは1時間一万五千円だぞ」
 「それだけで、充分に超詐欺師料金だな。しかし背に腹は変えられん」
 「だから、金あるのか?と訊いているんだ」
 「金は無い」
 「なに!無いだと?それで、どうして依頼できる」
 「情報と交換ではどうだ?この交換条件だったら、充分におつりが来
(こ)よう。危ない橋を渡って、命を張って仕入れる情報だ。時々刻々と変化する最新情報だぞ、分かるか健太郎。時給三万円の価値はある」
 これは逆スパイを諒解したとも採れる。危ない橋を渡ってくれるのだろうか。
 「おまえ、なかなかの商売人だな」
 「商売人ではない。智慧者といって貰いたい」
 「おまえ、やっぱりバカか」
 「智慧者だ。健太郎、その辺を間違うな」
 「あのなあ、おまえ。バカも休み休み言えよ」
 「智慧者が、休み休み言えるか」
 「で、その智慧者は何処を受験する?」
 「東大理科三類」
 「なんだと!」私の聲
(こえ)は1オクターブどころか、2オクターブも3オクターブも高くなっていた。
 「驚くのは未
(ま)だ早い、気を鎮めろ。健太郎、そう興奮するな、落ち着け。騒ぐでない」
 「これが驚かないで、いつ驚く?……。驚くのは今しかない!」
 「いいか健太郎。人の話は最後まで聞くものだ。では説明しよう。まず、二つのことに協力している。その一つ、重大情報を提供する。その二つ、東大理三に合格した暁
(あかつき)には、健太郎に齎される莫大な利益の相乗効果。つまり、二重の利潤効果だ。
 まず難関校突破の合格者を出すことで、健太郎の株が上がる。株価は高騰する。田舎の医者の子弟は、われもわれもとなる。笑いが止まらぬ構図だ。冷静に考えれば、直ぐに分かることだ」
 「そう、巧く行くか。バカも休み休み言え」
 「でも、可能性がない訳ではない」
 「口の減らないやつじゃのう。それで、仮に依頼するとして何教科だ?」
 「理科(物理)と数学(数3)だけでいい」
 「二教科とは、ずいぶんと遠慮気味だなァ」
 「健太郎の得意の分野だろうが?」
 「誰に聴いた?」
 「健太郎のお母さんから。聴くところによると、健太郎は大学院の試験、すべったそうじゃな?」
 「ああ、すべった。見事に落っこちた」
 「なぜだ?」
 「力及ばずだったからだ」
 「それは違う。健太郎の根性と執念が足らなかったからだ。併せて、心からの反省も足らん。愧
(は)じを知れ、愧じを……。大学院如きで。何をいじけておる。小心者よのう」
 何とも奇妙な言葉の言い回しをする。まるでお姫さま言葉である。あるいは神官か、宮家の血筋か……。
 松子に巫女
(みこ)の恰好をさせれば、意外に似合うかも知れない。私が睨んだところ、小娘は何か不思議なものを抱えているのである。
 「おまえ、どういう生まれだ?」
 「どういうって?」
 「おまえの生まれの身分だ」
 だいたい、こいつはどういう生まれなのか。それにしても、人の心をズバリと見抜いていた。私の弱点を知り尽くしているのである。それが手に取るように分かるようだ。
 「身分など無い」
 「講釈師が、突然変異して、説教師のようなことをいうな。おれの苦渋が分かってたまるか」
 私も、この講釈師に負けはしない。だが短気過ぎてもいけない。もしかすると、野郎は相当に知能指数が高いのかも知れない。それに、かなりの記憶力を有しているようだった。
 「健太郎の苦渋なんぞ、分かってたまるか。そこまで堕
(お)ちちゃぁいない」
 言われたくないことを、抜けぬけと言いおった。とにかく変わったことをいう小娘だった。

 不思議なことに、こう言う会話をしている時の松子の形相は非常に穏やかだった。揚げ足を取って、適当に冗談も言う。笑わせもする。気心が知れた友達のようにもなる。阿修羅のような忿怒と憂いが感じられない。私の会話に癒されているのだろうか。
 以前観
(み)た松子は忿怒状態になると、唇が歪(ゆが)んで捲(めく)れ、その形相から八重歯が牙(きば)のように烱(ひか)る。眉間に縦皺が入った忿怒の少年の顔になる。その表情が、今は無い。不思議である。
 俊宮松子。
 不思議な人間である。高が小娘だが、この不思議な人間に、幾つか聴いてみたい事がある。

 まず、あるかないか分からないが、死後の世界は果たしてあるか無いのか。単に興味本位ではなく、よくよく考えれば、大事なことであるからだ。松子だったら、的確な言葉で回答できるかも知れない。そういう気がするのである。何は生まれながらに、異能を抱えているように思えるのだった。
 また、人間はそれを真剣に探求すれば、簡単には有る無しは下せないだろう。その判断は難しい。あるいは何れにしろ、有無のどちらかに落ち着くためには、かなりの探求時間が必要だろう。
 しかし世の多くが、科学的体系主義に、また自然科学に重きを置いて、それを検討する性癖があるため、変な信仰がある。それは「総てのもの生物は、死ねばそれでお仕舞いよ」という考え方が支配的であるからだ。

 生物は死ねば無に帰するもの……。本当だろうか。
 また創造主を、漠然と思うことはあっても、具体的には考えようとしないものである。
 古代人には霊能があった。しかし現代人はそれが退化したため、霊能が失われた。つまり異能は消えた。
 だが一部には、古代人の視覚や聴覚を宿したまま、退化せずに痕跡を残している人も居る。
 もしや、俊宮松子はそれではないのか。
 だいいち「俊宮」という苗字からして、異名性がある。あるいはその血筋か、血縁か。
 頭のよさが窺われるからだ。遺伝は血を媒介するからだ。脳細胞も肉体の一部である。

 おそらく松子は普通の人間だったら、見えない遠くのものが見える霊眼を宿しているのだろう。あるいは聴こえない高周波や低周波の音が聴ける。異様な匂いにも、霊臭を感じる。そういう異能者ではないのか。
 そしてこれらを総合すると、肉体は亡びても、意識は残る。そういう実体も知っている。
 換言すれば、霊魂とは意識でないのか。
 この世の生命体は大なり小なり、何らかの意識を引き摺って生きている。その考え方によっては残留することもある。そのことを、俊宮松子は勘付いているのではないか。
 突拍子もない行動が、東大理科三類受験。挑戦でもある。
 それを如実に顕しているようにも思えるのである。これは、何かを思料してのうえだろう。
 これが私の疑問であった。
 俊宮松子の人格。
 なぜか二重写しになる。
 この人格の中には、二人の人間の人格が同居している。その陰と陽のうち、陰の気は隠され、陽の気が浮上して、意気軒昂ぶりを見せ付けていた。それはあまり感心しないが、今は馴
(な)れた。松子の癖のようなものが分かりかけて来た。



●有象無象の世

 世の中は、有象無象で溢れている。
 総会屋、政治ゴロ、新興宗教団体、自然環境保護団体、慈善事業団体、仁侠右翼、暴力団、経営コンサルタント、ビジネスコンサルタント、ブラックジャーナリスト、武道団体、各種の青少年教育協議会らの肩書きを持つ者が、もう既に、記憶は薄れ掛かっている頃に、とんでもない電話が掛かってくるのである。あるいはそういう団体の役員の肩書きを持った者が、最高顧問とか代表者の肩書きで著名人の許
(もと)に訪ねて来る。
 そして突然唐突な話を切り出す。

 話の内容は、あくまでも協力ということの依頼の名目であるが、切り出す内容は下劣なもので「美女との絡み付いた写真」をネタに、“広告料”や“賛助金”や“協賛金”などを名目とした資金の要求である。“女性スキャンダル”をダシに使って、次から次へと畳み掛けてくるのである。その猛威は凄
(すさ)まじいのである。
 しかし、そういう写真を見せられて、はたと気付いた時には、もう遅い。
 “あの時の太鼓持は工作員だったか”と気付いても後の祭りなのである。
 広告料・賛助金・協賛金の類のものを出してくれないだろうか。そういう依頼である、

 だが、問題の焦点は此処にあるのではない。
 総会屋、政治ゴロ、新興宗教団体、自然環境保護団体、慈善事業団体、仁侠右翼、暴力団、経営コンサルタント、ビジネスコンサルタント、ブラックジャーナリスト、武道団体、各種の青少年教育協議会らが、女性スキャンダルをダシに使って、重箱の隅をつついて、快楽の一夜の出来事をほじくり返すのである。些細なことまで干渉したり穿鑿をして、それを種に強請
(ゆす)るのである。
 また、こうした資金提供を要求する連中を抑える為に、ヤクザがこれに絡んでくる。問題はスキャンダルの当事者と、それを解決すると言う仕掛人と、双方を食い物にする「スキャンダル屋」といわれる筋者の登場である。つまり暴力団である。それは任侠とはことなる肉食系の筋者である。神農系とは異なる、肉食系の「天照」を騙る所謂
(いわゆる)広域暴力団である。
 上部には指令塔の暴力団が居り、傘下のスキャンダル屋を走狗に使い、ターゲットを啖
(く)い物にして、その三つ巴になる構図を、またその上の筋者が線引きして取り仕切るのである。
 線引きして取り仕切るのは、田舎のヤクザではなく、広域暴力団である。
 そしてこれが“裏の世界”で、強大な力を持つようになっている。地下からの影響力は「影の政府」などと言われている。

 影の政府は、「暴力組織」をもコントロールするのだ。
 そして更に、この広域暴力団を抑えると称した次の段階である、正体不明の「総合コンサルタント」の肩書きを名乗る“事件師”らの登場である。総て、「影の政府」から指令が出る。闇の中から指令が出る。その指令に従い、背後の穏微な集団が暗躍する。気付かれないように悟られないようにである。
 豹のように跫
(あしおと)も立てずに忍び寄り、水面下で暗躍する。隙の多い素人は、この気配に殆ど気付かない。仕掛けの接点となる媒体は整形美女であり、あるいは両刀使いならば美少年が与えられるだろう。

 また、この「総合コンサルタント」の肩書きを持つ“火消役”は、筋者の裏世界にも通じ、「押さえるツボを心得たプロ」と称しているが、問題解決という名目で、ターゲットを徹底的に食い尽くす“葬式屋”とか“埋葬屋”という仕事師に他ならない。
 ターゲットにした餌食
(えじき)の下には、ヒエラルキーとして、多くの啖(く)う役割の専門職が控えているのである。
 上は“火消役”といわれる影の演出者である大物仕掛人から、下は小物といわれる“チンピラ・ネットワーク”までが絡んでいて、ターゲットを徹底的に食い物にするのである。しかし、この元凶の発端は、高級クラブであったり、また「接待」に名を借りたゴルフである。常に影のように美女が付き纏い、あるいは重大の美少年が付き纏っている。
 この手の事件は、政財界にはよくあることで、誰が考えても馬鹿気
(げ)た事件なのであるが、「男は美女に簡単に転ぶ」という軽率な一面があり、また時代の覇者(はしゃ)などと称される者は男色の性癖があり、美少年を宛てがうという手口は昔からよく遣(つか)われていた手法である。そしてこうした事件は、今も後を絶ず、一番手っ取り早い手段として実行される。仕掛ける方は仕掛け易いのである。

 日本人は、お人好しである為、自然を装って美女が接近するこの手の手法は、殆ど無警戒のうちに仕掛けられてしまうのである。仕掛けられた方も自覚症状がない。仕掛けられた男は「自分が持てたこと」だけに有頂天に舞い上がってしまうのである。その上、仕掛けられた事に何の自覚症状もないのだから、これほど始末の悪いものはあるまい。
 その為に、政財界は国家ビジョンや国家的経済戦略が崩壊するような、“接待”に名を借りたゴルフは、今では敬遠される対象となってしまった。

 今では、こうしたゴロツキの出入りする場所には、超大物と云われる連中は、殆ど足を運ぶことがない。また無縁である。彼らはゴルフ自体を遣
(や)らないからである。
 そのため被害に遭わない。
 また、かつては金持ちのスポーツと言われた、ゴルフそのものを知らない最上流階級の人が多くなった。
 ゴルフのルールを理解したら、ゴルフに誘われ、ついには生け捕られてしまうので、この階級はゴルフすら覚えようとしないのである。身を滅ぼさない方法としては、懸命な考え方と言えよう。
 だが、近年はこうした懸命な考えたかにも亀裂が入り、ガードが甘くなっている。
 つまり時代の覇者のレベルが低下している。普通、覇者と言えば英雄を彷彿とさせたものである。
 ところが、時代は変わり、覇者か必ずしも英雄ではなくなった。したがって、これを裏からみれば、英雄とは必ずしも覇者のことではなくなったのである。
 近年の覇者は、誘惑されることが多くなった。それも金・物・色にである。つまり物質に誘惑され、眼に見えないものや、今ここに見えないものに興味を示さない。実体のある肉の眼に見える物しか興味を示さず、そして魅入られれば誘惑される。実に脆いものである。
 心眼が曇り、霊的神性が曇らされているからであろう。

 本当の英雄とは、今ここにない価値に向かって、未来を創造できる人間であり、五里霧中の中でも、数歩先の霧の中を進んで行く人間のことである。可視的世界では称賛を受ける者は多いが、今ここにない不可視的世界の分野では、数歩先を霧の中に進む人間は、往々にして批難と無理解の渦の中に立たされ、評価をされないのはいつの時代においても同じである。
 しかし、本当の英雄とは、こうした現状を“もの”ともしないのである。先駆的思考こそ、英雄に値する行動原理である。
 そして凡俗の人間は、今ここにあるものの価値観だけしか信ぜず、ないものの価値は信じないのである。こうして明暗は分かれるのである。多くのターゲットにされて啖われたものは、ないものの価値観を信ぜず、見通しが利かなかったといえるだろう。
 つまり霊的神性は、完全に曇らされているのである。曇らされているから、今から起こる近未来の不幸現象が見抜けないのである。

 今や、ゴルフは金持ちのスポーツから転落して、庶民化し、その現場は肉食系が暢気な草食動物を啖うために使われている。
 庶民がゴルフ場に出入りするようになって、ゴルフのステータスな面は消滅したのである。そのことを一番よく知っているのは、表面に出ない大物である。
 今や、ゴルフは金持ちのスポーツではない。大衆化されて高度にアレンジされ、ステータスの優越感をくすぐる庶民のものである。
 ゴルフに興じる庶民のゴルフマニアは、このステータスにくすぐられているだけなのである。そこに現在、庶民層のゴルフマニアの、ゴルフに現
(うつつ)を抜かす狂喜がある。これはまさに狂喜である。何故ならば、かつては金持ちのスポーツを、今は庶民層でも楽しめ、然も金持ちになった錯覚が今の自分を重ね合わさるからである。この有頂天な心地よさが、浮き世を忘れた、一時の幸せを齎(もたら)すからである。

 かつての金持ちのゴルフは、ゴルフそのものにあったのではない。ゴルフに興じるプロセスの中に、事業プランを展開させながら、どうしたら「ごっつく儲かるか」そんな話を、その中に織り交ぜていたのである。したがって、「ゴルフ」と言うスポーツに魅力を感じてのことではなかった。ゲーム中のプレーの優劣は、ご愛想であった。
 しかし今、ゴルフは中国や韓国では、これまでの日本の経済発展が“接待ゴルフ”にあったことに気付き始めた。これを手本に、ゴルフのプロを国家戦略として養成し始めた。プロ養成は接待役として、大いに国益に貢献するのである。
 最近では、こうした経済的途上国は、中国人や韓国人の美人プロ・ゴルファーが、来日までして、よくテレビなどに登場するようになったが、これは日本が経済大国の道を進むことが出来たのは、その背景に“接待ゴルフ”があったことに気付き始めたからである。
 国家的ビジョンや国家的経済戦略は、「接待」の名を通じて、縁が取り持たれたゴルフだったと分かったからだ。

 また、中国人や韓国人の美人プロ・ゴルファーを通じて、機密事項が漏洩
(ろうえい)し始めた。日本はスパイ天国である。その工作が容易な国である。
 特に、中国から送り込まれてくる美人プロ・ゴルファーは、予
(あらかじ)め中国国内で養成された軍隊または軍属出身の女スパイである場合が少なくないようだ。
 日本は世界の中でも有数のスパイ王国であることは周知の通りである。中国から女スパイが日本に向けて放
(はな)たれたとしても不思議ではない。こうした女スパイは来日芸能情報としてクローズアップされる。そこで女子プロゴルファーとしての腕前のほどと、その美貌のほどが、日本のマスコミを通じて流布(るふ)されるのである。

 今日、中国からはビジネス、研修、留学、観光、興行、国際結婚、技術交流、医学向上などの名目で様々な中国人スパイが入り込んで来ている。プロ・スポーツ界も例外ではない。
 特にゴルフは、絶好の女スパイの眼の付けどころであり、接待ゴルフからそのゲーム後の宴会やアバンチュールまでセットになっている。
 日本の有能な人物や頭脳に接触し、機密事項を盗むことが盛んに行われている。
 繰り返すが、ゲームとは「賭
(か)け」である。その賭けは生命も名誉も運命までもが掛かっている。
 このターゲットになり易いのは、政財界はもとより、医者や弁護士、大学教授や最先端技術を研究する科学者などであり、彼等は接待ゴルフに始まり、アバンチュールに終る、この一連の巧妙なテクニックにまんまと絡め捕られ、機密事項を漏洩させているのである。
 ターゲットより、役者が一枚も二枚も上なのは、明白だろう。

 中国のスパイ活動は、人民解放軍
【註】この部署を担当するのは中国人民解放軍総参謀部第二部であり、核や宇宙兵器の技術を盗むことを目的としている)から選抜された、身分を変えたい若い女性が主力になっている。したがって来日後、紹介される政治家さえ確保しておけば、如何なる政財界の連中にも自由に接触でき、一般には「通訳」として、どのようなターゲットにも貼り付ける訓練を受けている。既に、日本の政治は与野党を含め、外圧からコントロールされる為、彼等は“国民の利益”の為に働かず、“外国に貢献”する為に働いているのである。
 そこで、女好きをターゲットに選ぶ。中国が女仕掛けで、国家を転覆させるには、紂王
(ちゅうおう)に妲己(だっき)を宛てがった周公旦(しゅうこうたん)以来のことである。殷(いん)王朝の最後の王・紂は、周公の仕掛けた、特別秘密兵器・妲己によって殷を滅ぼすのである。
 妲己は、殷の紂王の寵妃である。当時は絶世の美女と噂された。その一方で、淫楽かつ残忍を極めたといわれる。そして後に、周の武王に殺されたのである。
【註】この話については、『真言立川流』に詳しいので御参照願いたい)

 さて、このターゲットになった政治家は、絡め捕られて絶対に逃げられないのである。そういうふうに罠が作られている。そして、美女が宛
(あ)てがわれる。
 その陥落先の社交場が、実は会員制の高級ゴルフクラブだったのである。
 大物を確保するには、美人プロ・ゴルファーらがこれを担当し、接待ゴルフを通じて、獲物を獲得していくのである。よく出来た仕組みだった。

 では、日本のターゲットは“遣
(や)られ放しか”というと、そうではない。
 日本では機密事項の漏洩の発端となる、ゴルフとの腐れ縁を、既に断ってしまっている。政財界の大物が、ゴルフ場から撤退した理由は、こうした経緯からである。もう、ゴルフでは密談や取引などが、余り功を奏しなくなって着ているからだ。盗み聴かれることが多くなったからだ。
 超大物クラスが、密
(ひそ)かに寄り合うところは、今では“茶会”を通じての茶室である。茶室と云う密室に籠(こも)り、ここで本当の取り引きや、密談を遣(や)るのである。
 また、日本では古来より、貴族階級は「講
(こう)」という上流階級のルールに則(のっと)って、茶会と観月会などを組み合わせ、貴族ならではの「秘密講」を催していたのである。
 これに異国民や異文化は入り込めない。その為に、茶室が珍重され、そこでは庶民が想像することも及ばない重大事項が決定されていたのである。
 つまり、茶室の持つ意味は、単に婦女子が、稽古事を花嫁修行の一つとして修得すると言う、そんな軽いものではなかったのである。
 茶室こそ、最高の密談場所だったのである。

 かつて私は、陰
(かげ)の超大物と称される人から、「ぼくはゴルフなど遣(や)らなくて良かったよ」と、こんな話を聞いたことがあるが、実は、「ゴルフが庶民のスポーツ」に転落したことを、この人は云っていたのである。
 ゴルフをする企業家も、ゴルフをする政治家も、ゴルフをする官僚も、糸を手繰
(たぐ)り寄せれば、みな小物なのである。少なくても今日ではそうなってしまった。彼等の握る情報は、洩れても高が知れている、どうでもいい情報ばかりであるからだ。
 そして彼等も、また労働者の域を出ない、そのクラスの人間だった。
 確かに高給取りではあるかも知れないが、結局は体裁の良い高級労働者である。高級労働者では最終的な代表権や決定権はない。したがって、超大物は最近はゴルフに参入しない。決定権を持つ主人と、使用人としての労働者とでは、階級が違うからだ。階級は現に存在しているのである。
 そして私にこう話したこの人は、陰の超大物で、茶道に通じた人だった。


 ─────書画骨董に手を出すとは、庶民の知らない、上層階級に通じていると云うことなのである。富豪に通じているのである。まさに恐るべし、と思った。
 そうと決まったとき、私は直
(ただち)に目をつけた『三宝堂』には出向かず、昼間はアパートに籠(こも)って、自分の持っている有りっ丈(たけ)の刀剣の書籍を貪(むさぼ)り読んだ。その範囲を刀剣だけにでは止めず、焼き物や書画骨董、並びにその他の道具類まで範囲を広げ、勉強し始めたのだった。
 とはいっても、私の所蔵する書籍の数ではお話にならず、図書館に出向く必要があった。
 高価な本は、近くの図書館にまで出向き、そこで読めるだけ読み尽くして頭の中に叩き込み、記載された写真や人脈の系図まで丹念に写し取り、時間切れで閉館になった時は、借りれるだけの本を借りてアパートに持ち帰ったのである。

白磁の茶道茶碗

 刀剣や骨董品の勉強であれば、由紀子に怪しまれる心配はなかったからだ。しかし刀剣関係のものは、出来るだけ図書館内で読書・閲覧
(えつらん)を済ませ、陶器や道具類の類の本だけを借りて帰ることにした。これは実に妙案だった。まず怪しまれなくて済むからである。

 由紀子から、「この頃は骨董品の本ばかり見て、随分
(ずいぶん)と年寄りじみた趣味に変わってしまいましたのね。刀の方が、少しは若者らしい趣味だと思いますけどね。ねえェ、いかが。それとも書画骨董にまで趣味が拡がりましたの?」などと冷やかし半分の厭味めいた御託(ごたく)を並べられたが、「まあ、そんなところです」とうまく惚(とぼ)けて逃げ切った。
 「近頃は、刀には興味がなくなってしまいましたの?」と、言われたとき、

 (俺の刀は、あんたが全部取り上げてしまっただろうが……)と反論したかったのだ。しかし下手に反論して、その意図で見抜かれてしまっては、本(もと)も子(こ)もなかった。それで、素直に聞き流すことにした。
 「書画骨董も中々いいものですよ。一口にこれらを十把一絡げにして、年寄りじみている言いますが、これらの写真などを見ていると、刀剣とは何か違った、別の魅力が湧
(わ)いてきますよ」
 「へーッ。そんなものかしら……」
 確かにお追従だろうが、実際には何をどう答えたらいいか、混乱しているようだった。
 人間、同時に複数の課題を与えると混乱するのが人間の習性であるからだ。


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