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内弟子問答集 19

世界の民族には各々の国の、各々の気候風土や文化などがある。これを無視して、欧米一辺倒に偏るのは如何なものか。

問答 71
尚道館の行法に一つに「空腹トレーニング」などもあるようですが、これはどういうものでしょうか。

 さて、空腹トレーニングとは、次の事をいう。この空腹トレーニングを行いながら、玄米穀物菜食の食餌法(しょくじ‐ほう)と組合わせるのである。
 長生きをする秘訣は、人体に備わっている諸々のホルモン分泌の回数を出来るだけ少なくすることである。インシュリンもその一つであり、食事回数を減らし、食事の量を減らせば、分泌する量は多いが、分泌する回数が少ない為、それだけ老化が遅くなる。

 老化の原因は、活性酸素である酸毒化が進み、この結果がアミンやアンモニアや硫化硫黄等の腐敗物質を発生させ、それが体内に取り残されて新陳代謝が悪くしまうのである。

 摂取した食べ物が、効率よく運用される為には、少食に徹し、食事回数が一日二回の食事原則を守れば、「空腹トレーニング」になって、老廃物を体外へ排出する効果が高まる。
 喩えば、一日二回の「昼・夜型」の食事を実行すれば、一日のうち、16時間前後の断食をしていることになります。つまり、「空腹トレーニング」をしているわけだ。

 また、それは精液の分泌も同様であり、精液を度々分泌させるのと、それだけ躰が弱くなってしまう。
 精液は骨盤で製造されている為、精液の浪費は腰骨自体も弱める結果となり、また腎の精気を弱めて亡陽
ぼうよう/陰圧が高まり、陽気が少なくなる)を招く。精液の垂れ流しは、まさに命取りとなるのである。
 精液を洩
(もら)すことを、半年か一年程止めると、大抵の病気は治ってしまうように、それが精嚢(せいのう)に溜まらないような食事と、「房中術躰操(男女の交会であり、陰陽のエネルギーを交会によって各々が吸収する)」をすることも大切である。

 ちなみに肉食をすれば、精液は大量に作り出され、菜食をすると精液の量は少なくなる。
 今日に見るような、青少年が早熟であり、早くから性情報に興味を持ったり必要以上に聡
(さと)いのは、肉食や乳製品の食生活が原因である。当然、排泄や射精という現象が起こる為、それを放つ度に年齢以上に老け込むことになる。

 また、これらの人の精液は、肉食主義者の血液と同じく、粘りが強いものであり、ドロッとしていて、尿管が詰まり易く、中高年期から極度の残尿感の残る前立腺肥大症を患う。

 逸話として、『法華経』に帰依して『日本改造法案大綱』を著わした、思想家・北一輝
(きた‐いっき)は「性欲(精液)の乱費は自殺だよ。いい仕事はできない」と語り、日蓮の著書『四恩抄』を、その教訓としたという話が伝わっている。

北一輝(1883〜1937)。国家社会主義者。名は輝次郎。佐渡生れ。「日本改造法案大綱」で国家改造を主唱、2.26事件に連座して死刑。主著「国体論及純正社会主義」など。

 「食」もこれと同じであり、度々食べれば、それだけインシュリンの分泌回数が多くなり、老化が早まるということだ。
 まさに、北一輝の指摘した「自殺」行為なのである。

 肉食や乳製品の食生活が原因で、男は精液が盛んに製造され、女はその為に月経不順が起こるとすれば、生殖機能に狂いが生じ、その乱費も命取りであるが、それらの食品を摂ることも命取りとなる。
 此処に、玄米菜食の粗食小食主義の真理とする根源がある。乱費も去る事ながら、食べ過ぎてはならないのだ。食べ過ぎればそれだけ内臓に負担を与え、同時に腰骨が弛
(ゆる)んだり、狂ったりする。腰骨が弛み、そして狂うと、次に「肩凝り」などの悪現象が起る。肩凝りが起れば、次は頭蓋骨【註】頭蓋骨に見られる扁平骨の結合組織性連結で、これを「縫合」といい、各骨の縁は鋸歯(きよし)状になって組み合わさっている)の「縫合(ほうごう)が外れる」という、“頭痛”や“偏頭痛”の悪循環が始まる。

 昨今の痩身のキャッチフレーズに、「少食で辛抱して痩せるよりは、好きなものを好きなだけ食べて痩せられる」という、エアロビクス的な痩身法を耳にすることがあるが、「好きなだけ食べる」ということは、やがて大食漢に陥る傾向にあり、また、カロリーの少ない生野菜や海藻類等、あるいは蒟蒻
(こんにゃく)や寒天で出来た食品等を腹一杯食べて、空腹感を紛らすという、痩せる食事法が流行している。

 しかし、これらの危険性は、いつまでも大食漢的な悪癖が残る傾向があり、一時的に痩せても、再び元の肥満症に戻るということです。
 つまり、美容飽食をしている人達は、結局死に急ぎをしているということになる。
 人間は、生まれたから二十歳までで、大体その人の「喰い縁
(く‐い‐ぶち)」が決まるといわれている。これを「食禄(しょくろく)」という。

 喩
(たと)えば、その人が二十歳を迎え、6000kgの食糧が与えられたとしよう。
 その人は一年間で150kgずつ食べるとするならば、この6000kgの食糧は、人生半ばの四十年で食べ尽くしてしまうことになる。したがって、その人の寿命は“六十歳”で尽きるということになる。
 横眼で繁華街に居並ぶ食通料理を見ながら、それを羨
(うらや)ましいと思うか、否かで、自分の寿命が伸び縮みするのである。
 食禄とは、かくも恐ろしいもので、人間の命の寿命を左右するのである。

 さて、「食に慎み」をつけると、どのような事が起るのであろうか。
 食事は、食べ放題でその本能を満足させる事ではない。命を長もちさせ、健全に生きるなら、食に慎みを持つべきであろう。
 食に慎みを持つと、次のような運勢が開けるようになる。開運に通じるのだ。これを断食と定期的に組み合わせ、粗食・少食を実行するのである。

 基本は玄米穀物菜食を主体にし、その従として、日本近海で採れた少量の魚介類を摂取するのである。そして動物などの“四つ足”は禁物である。肉食をして体力を温存したところで、修行者向きの「いい体質」は養うことが出来ない。修行者としての“型”をなすには、先ず自分の内臓の浄化から始めるべきであろう。
 穀物菜食が何故そこまで重要かと言う事は、その利点を上げても次のようになる。

健全な魂を養うには、まず完全無欠の栄養素が必要になる。その栄養素を補給出来る最高の物は、玄米穀物を中心としたこれを主食とし、それに従として日本近海で採れた魚介類などの動蛋白を摂取する。
以上の食餌法を実践すれば、病気に罹り難く、また霊的な邪気を受けなくても済む。その為に、過酷な猛稽古をしたとしても、怪我や事故を起こさないで済む。いつも健康で、不幸現象などの禍(わざわい)は最小限に極小化する。
喩え、大惨事や大事故、ならびに大自然の天変地異などに遭遇したとしても、大難が小難になる。穀物菜食を実践して、体質のいい状態を作り出すと、例えば伝染病発生地域に足を踏み入れたとしても、また放射能危険地域に踏み入れたとしても、そこから受ける障害は極力小さくなる。
身体自体の絶対重量が軽くなり、機敏に、軽快に動けるようになる。同時に疲れ難くなる。少量の食事で満足でき、内臓は疲れ難くなる。
判断力と直感力が高まる。食肉常習者と異なり、イライラや激怒したり、躁鬱病(そううつ‐びょう)に悩まなくなる。心が大らかで豊かになる為、肚が坐って、運勢は開運に向かい、凶運を吉運に転ずる事ができる。

 玄米穀物菜食の食餌法は、その栄養成分から言っても、科学的にも歴史的にも証明されていて、疑いようはない。
 こうした食餌法を尚道館では奨励しているが、玄米穀物菜食や小魚介類の食餌法を実行しようとしても、難しくて中々長続きしないという人が居るが、こうした人に対し、無理にこの食餌法や、また定期的な断食を強制はしないが、せめて“四つ足”の肉だけは断ち切るように、心掛けさせ、また玄米穀物菜食ならびに小魚魚介類の粗食・少食の摂取ならば、その気になれば誰にでも出来るものである。



問答 72
尚道館では、なぜ食餌法について指導するのでしょうか。食事を楽しむと言うのは、それぞれの自由であり、その自由を否定して、なおもこのように食養や空腹トレーニングなどの、殆ど武道の修練とは食節関係のないことから指導するのでしょうか。

 尚道館では、強弱を論ずる格闘家である前に、まず人間としていかにあるべきか、という事を指導している。格闘家あるいは武道家と言っても、その根本は人間であり、武の道を修練しない人と同じ人体を有している。
 したがって、まず体力造りだけではなく、根本の「体質造り」から始めなければならない。

 その目的は、武術家としての「体質造り」である。
 このような体質造りを始めるには、現代栄養学の言うような、「何でも食べようの総花主義」では、わが流の指導する「
病気に罹り難く、また霊的な邪気を受けなくても済む。その為に、過酷な猛稽古をしたとしても、怪我や事故を起こさないで済む。いつも健康で、不幸現象などの禍(わざわい)は最小限に極小化する」というような体質造りは不可能となる。

 修行者は、何を食べてもいいとか、自分の好きなものばかりを好んで食べてもいいというようなものでない。
 日本武術は、日本人にとって尤も効率の良い「食餌法」を徹底しなければならない。
 つまり日本人向きの一番効率の良い食事は、「新陳代謝の良い食事」である。新陳代謝の良い食事とは、つまり「米」を中心とした食餌法である。

 私たち日本人の躰
(からだ)を石炭ストーブに例えるならば、燃料は石炭であり、この場合、人体ならば「米」が一番良いのである。石炭ストーブに、石油やガスは必要無いのである。石炭ストーブに石油やガスを入れたのでは、上手に燃焼しないのは当たり前でありそれどころか、間違った燃料を入れれば、大変に危険な事になるのである。
 日本人の躰は、「米」で動くようになっている。「米」で動く人間に、肉やパンは必要無いのである。これは石炭ストーブに、石油やガスが必要無いのと同じである。

 日本人の躰を石炭ストーブに例えるならば、必要なのは石炭であり、石油やガスでない。つまり、石油に当る肉や、ガスに当るパンは必要無いのであり、もしこれを強引に入れたのではよく燃えないばかりか、危険な状態さえ起るのである。
 今日、日本人に多発している“成人病”と言う種類の病気は、石炭ストーブに、石油やガスを入れて燃焼させようとして、失敗した危険な行為であったのである。口から入れる食べ物の種類が間違えば、結果的に大変な状態になり、これが病変すると言う事が分かるであろう。

昭和5年5月5日の小学六年生の身体測定。この当時の小学生の体躯は、今日の現大事本陣の子供の体躯と比較しても、決して“ひけ”をとらない。
 当時の健康優良児の表象は、東京朝日新聞社講堂で行われ、運動能力、学力、操行などが審査された。
 さて、今日は欧米から持ち込まれた「現代栄養学」なるものが幅を利かせ、大変に間違った食生活を奨励している。そして「何でも食べようの総花主義」に合わせて、「一日30品目の御数をまんべんなく食べよう」また、「副食の種類を多くして、ご飯は少なめに」などという、欧米の食事に合わせた現代風の食生活を推奨している。これは実に日本人にとって、愚かしい事と言わねばならない。

 日本人の戦前の食生活を食べた、当時の日本人の食生活を是非試して頂きたい。戦前の食指導は「副食を少なめに、ご飯を大目に食べる」というものだった。この食生活を徹底する事で、当時に日本人は太るどころか、スマートな体躯
(たいく)をしていたのである。そればかりでなく、決して当時の欧米人の体躯に比べて劣ると言うものではなかった。

 日本人的な石炭ストーブを、上手に燃やす為の必要な要素は、「酸素」であった。酸素を上手に取り入れなければ、ストーブは順調に作動する訳はない。酸素がねければ、不完全燃焼を起こすのである。つまり、この場合の「酸素に当るものは「微量栄養素」といわれるビタミンやミネラルである。
 しかしだからといって、ビタミン剤を大量に飲めば済むと言うものではない。

 例えば、マルチビタミン剤を飲んだとしても、足りないのはその錠剤に含まれているビタミンなのか、そうでないのか、それは専門の研究者でも全く分からないのである。
 今日に至っても、栄養学の分野では、まら発見されていない微量栄養素は非常に多いのである。したがって、不足したものを補うと言う現代流の考え方よりも、こうした「微量栄養素が不足しない食べ方」をすると言うのが大事であり、また、遥かに効果的なのである。

 こうして考えてくると、「微量栄養素が不足しない食べ方」というのは、どういうことなのかというと、無駄のない食べ方をする事だ。
 つまり、米ならば玄米という表皮に覆われている栄養素や、小魚ならばそれが身ばかりではなく、骨ごと、皮ごと、丸ごと食べられる、と言う具合である。必要な、柔らかい部分だけを食べて、表皮や骨は捨てると言うのでは、無駄が多い食べ方になってしまうのである。これは果物にしても同じだろう。例えば、リンゴなどは皮と実の部分が一番栄養があるのであって、皮を剥
(む)かずににそのまま食べるというのがいいと言われている。

 現代人が食べられないと思って無意識に捨てている部分にこそ、大切な栄養素が含まれているのでって、その部分を無知から捨てるのは、非常に無駄をしている食生活を送っていると言う事になる。微量栄養素は、丸ごと食べる食生活の中にこそ、確保出来るものであり、これを補給する為には、無駄のない食べ方をする事である。

 私たちは、戦後、欧米至上主義に馴
(な)らされ、それを色眼鏡で見るようになってしまったのである。何でも、横文字文化は素晴らしく、日本的なものは劣っていると言う考え方に汚染されてしまったのである。
 いまこそ日本人が古来より連綿として伝えて来た、優れた食餌法を見直すべきなのである。



問答 73
尚道館では、しきりに欧米文化から脱皮して、日本文化に戻ろうという論を立てているのですが、これは具体的にどういう事ですか。そして欧米食に危険が潜む、警鐘を鳴らしていますが……。

 いまこそ日本的なものを見直す直に来ていると思う。つまり、「脱欧入亜」である。東洋的なものに目を向ける必要がある。日本の戦後教育は、欧米的なものばかりに重点が置かれ、古来よりの日本的なものを軽視する教育方針がとられた。

 義務教育である小中学校に於ては、小学児童で“健康優良児”として表彰される子供については、まず欧米人並みの大柄な体躯をした子供でなければならなかった。また小中学校で“頭がいい”と持ては囃
(はや)される児童や生徒は、欧米の文化や伝統や風習を取り入れる為に、英語の実力を備えた子供達だった。その上に、学術的に最先端技術を科学としてマスターする為には、科学技術文明の基礎である算数や数学、あるいは理科の全範囲に於て優秀な成績をおさめる子供が持ては囃(はや)されもした。

 一方、日本語の基本である国語や、日本の歴史を学習する社会科などは、多少よく出来たとしても、以上の学科に比べて大した評価も受けなかった。つまり日本的なものは、軽視され、程度が低いと看做
(みな)されていたのである。

 また戦前までは盛んに行われていた武術や武道の分野でも、敗戦後の日本では、こうした物が退けられ、歐米のスポーツ競技が大いに持ては囃
(はや)され、それが短時間に日本の隅々にまで波及していった。
 更に趣味の分野でも、例えば音楽一つ上げても、欧米的なクラシック音楽は高尚だというイメージが植え付けられ、それに対して古くからある和楽や、特に民謡などとなると、交渉とは程遠い、文化的にも低いイメージで見られてしまう。

 このように日本人はいつの間にか、欧米的なものは価値があり、横文字文化は素晴らしく、逆に日本的なものには価値がないと思うようになった。今日の横文字の反乱も、これを顕著に著わしている。それだけ日本人は自国の文化を低く看做し、欧米文化だけを特殊なフィルターを掛けた色眼鏡で見て来たのである。
 また、この色眼鏡で見る最たるものに、現代の食生活がよく顕われている。戦前に存在していた食文化、あるいは昭和三十年代初頭までには存在していたと思える日本の食文化は、今日、完全に崩壊していると言ってよいであろう。

 日本食と欧米食を比較した場合、欧米人の食生活は豊かで、日本人の食生活は貧しいと考える傾向がある。この元凶を成したのは、欧米が日本に持ち込んで来た“現代栄養学”の栄養指導にあった。
 五十五年体制という、この時代に合わせたかのように、1955年、左右日本社会党の統一と自由民主党の結成とによって出現した保守革新の二大政党制に「現代」という時代が始まっている。保守合同の1955年以降の、時代の区分に於て、現代なる、近代と区別する歴史区分が起った。
 現代栄養学もこの時代に起った学問である。

 そして現代栄養学の推奨するところは、「欧米的な食品」の奨励だった。戦後の日本で官民一体となって促進された“栄養改善運動”の食指針は、日本人にパン食をさせる食生活であり、これを広く日本人に定着させる事であった。そしてこの食指針は、昭和三十年代半ばから猛威を振るう事になる。

 昭和33年に発行された『頭脳』という著書には、「米を食べる民族は、パンを食べる民族より劣る」と、はっきりと明記されている。所謂
(いわゆる)これが、“米食低能論”の元凶となり、この訝しな論理は日本全国に波及して行った。この著書は、発売後三年間で50万部を越すベストセラーになった。

 日本にはこうした訝しな論理が外国から持ち込まれ、これに共鳴して日本人庶民の頭を洗脳し、改造して行ったのが、“進歩的文化人”という人達だった。
 とにかく、日本的なものを徹底的に否定し、そこには日本の食文化すら根本的に否定すると言うものだった。特に日本人のこれまでの食生活を否定する槍玉に挙げられたのは、「米食」の徹底否定だった。そして外国から持ち込まれたこの論理に、賛同し、奨励するのは、「米を食べれば頭が悪くなる。子供達の頭脳をよくするにはパン食以外ない」という、欧米に肩を持つような、進歩的文化人の発言だった。これに追随する栄養学者も少なくなかった。マスコミもこの発言を取上げ、「米を食べれば頭が悪くなる」と大いに宣伝した。これにより、米農家は大打撃を受けた。
 こうして日本人は、騙され、欧米追随型の思考で物事を考えるようになった。

 これに輪をかけるような事態が、昭和39年の東京オリンピックと並行して、更に一層の米離れ現象が起った。
 「日本人は躰が小さい」という事を、テレビのブラウン管を通じて実感したのは、この時だった。そして日本人の誰もが、欧米人選手勢を見て、この時実感したのは、「欧米人のように立派な体躯を持つには、動物性タンパク質をしっかり摂取して、スタミナのつく肉を食べなければ」とか、「牛乳の飲まなければ骨太で、大きくなれない」とかの、一種の動蛋白スタミナ信仰や、牛乳神話などであった。

 とにかく日本人の誰もが、このような妄信を抱くようになったのである。この妄信の呪縛は、いまでも解き放たれていない。そして食物メジャーの画策とも知らず、誰もが“牛乳の骨太神話”や“食肉のスタミナ信仰”を決して止めようとしないのである。

 こうした欧米食信仰が猛威を奮ったのは、その背景に第二次世界大戦後のアメリカの穀物事情があった。この時アメリカは世界的な、穀物の大豊作に当り、小麦や綿花、トウモロコシ、また乳製品の莫大なストックを抱え、この売り先をアメリカ政府は苦慮して居たことである。採れ過ぎた莫大な穀物は、それを保管するだけでも莫大な費用が掛かる。その出費だけでも相当なものだった。

 そこで目を付けたのが、日本と言う、新しい食物市場だった。それに先駆けて、アメリカの食糧メジャーは日本人の文化人に眼を付け、背後から賄賂を送り、テレビや新聞、その他のマスコミや書籍を通じて「欧米食賛歌」の大合唱を画策したのだった。
 特に進歩的文化人は、欧米文化の魁として、コントロールするには最も手ごろな人種だった。こうして日本の進歩的文化人は、「米を食べれば頭が悪くなる」という大合唱を始めたのだった。

 またアメリカの画策した「欧米食賛歌」の尖兵的戦力として、“キッチンカー”なるものを作って、小麦を中心とする料理講習会を開いたり、それに附随する肉料理や牛乳などの宣伝も合わせて行った。
 また日本政府に圧力を掛けて、特に文部省に至っては、学校給食の中にパン食を取り入れ、併せて日本のパン産業の育成や支援を拡大して行ったのである。
 背後にはアメリカ政府の画策があり、コントロールがあった。この戦略により、以後、日本人のパン食が根付く事になる。

 当時の「米叩き」の猛威は猛烈であった。政府が減反政策を大々的に乗り出したのも、この時からであった。文部省は現代栄養学者の育成を始め、各地に女子を中心とした四年制の栄養大学を次々に誕生させて行った。この頃から、栄養学に脚光が当り、現代栄養学がアメリカの支援に於て開花するのである。

 栄養大学では、栄養について研究する学問を基本に置き、栄養素の代謝・所要量・過不足による病態、あるいは食品の種類・組成・調理法、疾患時の食事などについて生理学的、生化学的、病理学的、衛生学的な立場から食物の持つ栄養探究を、医学者と対等な地位に於て研究され始めた。単に栄養士を養成すると言う事だけに留まらず、その学問的領域を、医学者と対等にするという領域に持ち込む事に成功したのだった。

 そして現代栄養学者の第一声は「米を食べると背が伸びない」とか「米を食べると太る」といった、全く根拠のない俗説を日本人庶民の間に流布した事であった。これは明らかに俗説であるのだが、これを信じる日本人は、今も後を絶たない。

 しかし一方で、肥満と心臓病に苦しむアメリカでは、農務省と厚生省から次のような通達が出され、1982年にアメリカ国民への食指針が示されているのである。それをまとめると次のようになる。

バラエティーに富んだ食品を摂取する。一方に偏った食事はしない。
自己ベストの望ましい体重を維持する。
動蛋白より、脂肪・飽和脂肪・コレステロールを摂り過ぎないようにする。
米などのデンプンと食物纖維をしっかり摂る。
ケーキやパイなどの食品などから、糖分を摂り過ぎないようにする。
食塩などのナトリウムを摂り過ぎないようにする。
アルコールの飲む場合は、ほどほどにし飲み過ぎないようにする。

 以上のアメリカ政府の食指針は要するに、「動蛋白である食肉、肉加工食品、乳製品や砂糖類を減らして、澱粉質を積極的に摂る」というものだった。そしてこうした食指針から、アメリカでは米を主食とする日本食が見直されるようになったのである。
 一方、当の日本人はこうした見解があり、欧米食は人間にとって、決して適切とは言えないという食認識が出ているのにも関わらず、それでも肉や乳製品を中心にした欧米食に固執しているのである。此処に日本人の、崩壊の暗示が横たわっているではないか。



つづく…



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