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礼儀と武士道論 2

旅愁を覚える一艘の川舟。そしてそれはまた、哀愁を連想させる。悲哀を連想させる。
 私たち人間は、安住の地を探し求めて、さすらいの旅をしているのである。

 ある人は貧乏を、またある人は苦労を、更にある人は未来への不安を、心細さを、借金を、そうした一切合財の物を背負って、さすらいの旅をしているのである。


●人は皆「さすらい」の旅人である

 人間は「非存在なる生き物」であることは繰り替えし論じて来た。故に、いつかは必ず死ぬのである。
 しかし、いつかは必ず死ぬこの生き物は、その死に向かう過程として、生・老・病・死のプロセスを踏む。
 今まで自分は若いと思い込んでいた先入観は、時の流れと倶
(とも)に崩れ去り、それが固定観念であったことを思い知らされる。

 そして今日では、「老いる事」と「病気になる事」が同時に押し寄せる為、本来の生・老・病・死のプロセスを狂わせていることが分かる。老いる事は、同時に病気になる事と同じ意味を持ち始めた。
 つまり「老」と「病」が、人生の第二段階と第三段階を地続きにしてしまい、それを通過して、一気に「死」が到来すると云う形になり始めた。

 「老」の中には病気が棲
(す)んでいて、老年期を病気で彩る事になってしまったのである。
 かつて古人は、本来の人生の第二段階の「老」に入ると、そこが人間の“安住の地”でない事を悟ったのである。それまで成し遂げて来た物事について、不完全であった事を悟り、再び旅に出たのである。

 松尾芭蕉が門人曾良
(そら)と倶(とも)に、俳諧紀行『奥の細道』を記そうとしたのは、死ぬ五年前のことだった。元禄二年(1689)三月二十七日、江戸深川を出発し、曾良と倶に奥州各地を行脚する旅に出た。北陸の勝を探り、更に美濃から伊勢路に入ろうとして、同年の九月六日、大垣に至って筆を止めている。
 また『嵯峨
(さが)日記』は、元禄四年(1691)四から五月、去来の別荘嵯峨の落柿舎(らくししゃ)に滞在した間の句文を綴(つづ)った日記である
 何
(いず)れも、老年期の晩年の作である。

 芭蕉が何故、晩年ふたたび旅に出たのか。
 それは魂の未来永劫に至るまでの、大いなる旅立ちではなかったか。
 実は芭蕉は、禅で云う「放下著
(ほうげじゃく)」を実践した節がある。肩書きや名誉や地位を捨てる事が目的であったらしい。放下著はそれらを「捨てる」ことを云う。
 この世のものは「捨てる」ことに真理があると教えている。
 若い頃からせっせと溜め込んだ、物財は老年期に至って、一切を捨ててしまうのである。つまり、「老年期の円熟」は“捨てる事”によって得られるのである。

 人生の柵
(しがらみ)は、財産や家族を背負い込む事によって起る。墓場まで持って行けない、いろいろな重荷を背負い込んでいるから、「生」に逃れ、苦悩が起こり迷いが起るのである。こうした凡夫との訣別を、人はみな晩年に行うらしい。古人はこうした人が多かった。人生で一番楽な事は、「捨てる事だ」と気付いたのである。
 みな、捨てる為の旅に出た。

 人間はそもそも、「旅人」である。しかし物に執着し、この愚行により、現世を“安住の地”と見誤てしまったのである。金・物・色に翻弄
(ほんろう)されて、この世を“安住の地”を思い込んでしまったのである。
 しかし執着の心は、本来自由を旨とする旅人の心に相応しくない。「さすらい」の旅人は、物には固執しないのである。

 一方、『旧約聖書』には、アブラハムが75歳の時に、安住の地を求めて旅に出た事が記されている。
 創世記・第十二章・一節から三節には「時に主はアブラハムに謂われた、『あなたは国を出て、親族と別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい』……云々」とある。
 この時、神に呼ばれたアブラハムは75歳だった。

 この75歳のアブラハムが、この年になって再び、「さすらいの旅」を決意するのである。アブラハムは老人である。老人が、さすらいの旅に出るのである。過酷と云う外ない。
 しかし、アブラハムは旅に出る。彼は住み慣れた土地を捨て、家族も捨て、親しい友人も捨て、財産も捨て、思い煩
(わずら)う現世の一切を捨てる。これまで蓄え、守り抜いてきた物財の一切を捨てて、行方も知れぬ、さすらいの旅に身を投じるのである。

 では何故までに、アブラハムは、こうまでして、さすらいの旅に身を投じるのか。それも75歳と云う高齢になって。
 一体、アブラハムをさすらいの旅に駆り立てるものは何か。何が彼をそうまでにさせるのか。

 アブラハムは、自分を待ち受けるものは、かつて自分が見聞した事もない、こうした事柄を上回る、何か素晴らしい事を信じていた節がある。老いてなお、新たな目標を掲げるに相応しい新天地がそこにあると検
(み)なければならない。アブラハムは、老人が、老体に鞭打ち、旅をしても充分に見返りがある、さすらいの旅の値打ちがあることを見抜いていたことになる。そこがへブライ人の安住の地と信じられたカナン(Canaan)であった。そこは楽土と信じられていた。

 これはアブラハムが、実際には自分の所有した財産を、総て文字通り捨てるか否か、それを試されるばかりでなく、大切な心の裡側
(うちがわ)の「自由」をも試されて居たことを顕わしている。自由で、なお「闊達(かったつ)」であるかどうか、それを試されたと云うべきだろう。

 人間は、何事かに、つまらぬ「こだわり」を見せる動物である。そうした「こだわり」の原点は、損得勘定である。自己の売名行為である。愚かしいまでの自己宣伝欲である。
 これに囚われた人間は、物事にこだわり、度量に欠ける。自分では、せこせこしないなどと称して、実はせこせこしている。自由な気風を失っている。
 そして人間の愚かなところは、自分自身を充分に思い上がらせている事である。謙虚を忘れている事である。思い上がった人間になって、何になろう。

 人間は、自分の力で生きているのではない。生かされているのである。他力により、生かされているのである。この事実を見間違うと、大変な事になる。
 人間は、自分で生きた時は、一瞬たりともなかった。総て、天の恵みにより生かされたのである。その生される因縁により、人は生きる事を望んでいるのである。
 こうした時、旅人の自由な心を手い入れてこそ、自らの魂は、自由で闊達な躍動を持つのである。そして最後には、「より善い死」が待っている。この「より善い死」を得る為に人は旅に出るのである。

 「より善い死」を迎える為には、かねてより、永遠の旅への準備を怠ってはならなかった。
 さすらうことは、人間の持って生まれた本性だった。人間にとって、地理的な故郷だけが、何も自分の生まれ故郷ではなかったのである。



●さすらい人の心得

 「さすらう」ためには、それと一緒に“心の拠(よ)り所”が必要になる。これは人間の観念する心の拠り所が、“物”ではなく、「魂」であるということだった。それは内心の自由であった。束縛されない自由の中に生きてこそ、魂は躍動するのである。
 人生をさすらう旅人は、自由な闊達性を手に入れてこそ、はじめて己と表裏一体になっている、「死」に対して、その心構えも明確になって行くものである。

 かつて古人は、死に対して、人間が死ぬと言う行為は、芸術的行為を見做
(みな)していた。死はそれだけ荘厳(そうごん)であった。重々しかった。
 古人は、より善い死を迎える為に、永遠の旅を怠らなかった。その準備すら、若い頃から始めたのである。それは人間が、生まれながらに永遠の旅人である事を知っていたからである。

 しかし、現代はどうだろうか。
 多くは、生まれた土地に固執し、先祖代々の田畑を必死に守り、「守る」と口先では称しているが、結局生まれた土地に固執する頑迷が顕われいる。
 つまり、「御先祖様に申し訳ない」という言葉に摺
(す)り替えての、土地の執着である。その土地も、法的上では「自分の土地」と言う風に登記されているが、本来土地は、自分の物でなく、「天の物」である。天より、人間が借りたものである。借りたものは、何れ返さねばならない。

 その癖に、今日の社会では、「天より借りた物」を、一生涯、自分の生まれた土地から離れる事なく、独占し、固執し、執着して、それを離すまいと必死にしがみついている。

 しかし、人間にとって、故郷の理想と云うのは、何も自分が生まれた土地ばかりではあるまい。理想的と考える故郷は、自分の生まれた土地や家に存在しないのだ。
 むしろ精神的な故郷こそ、自分の生まれ故郷に相応しい安住の地なのである。人間の心の故郷は、何も生まれ故郷の記憶の中に残るものばかりでない。それは地理上の故郷であり、限定された堅苦しい故郷である。

 人間は、それらを一旦捨ててみる必要がある。その為に、古人は旅をしたと言える。
 何故ならば「自分が生まれた」という家も、その土地も、せいぜい十年単位でしか存在しないからである。
 これは二十年、三十年、半世紀となると、殆ど原形は留めていない。生まれた時の景色も、半世紀立てば、一新しているはずである。
 更に、百年も経てば、地理的な地形は変わり、子孫さえ定かでなくなる家が出る。家は、やがて没落するものである。親・子・孫と、三代続くような家は稀
(まれ)である。多くは流れて異国に散って行く。
 つまりこの世の“物”とは、こうした物であり、実体がないのだ。実体があるのは、心の友情であり、魂の睦
(むつ)み合いのみである。

 人間関係において、哲学的要素を持ち得るのは、魂の恭順
(きょうじゅん)である。心から従うと言う、魂の触れ合いである。これは男女の愛で片付けられる情愛などの、そうした次元のものでない。やがては、人間は男女の情愛や肉愛すらも捨てて旅立たねばならない。

 世の中で勘違いされている事は、「愛は永遠である」などと言うが、この場合の「愛の遣
(つか)い方」は大いに間違っている。そんな愛など、次元が低いもので、それは情愛とか肉愛と云われる、物質愛に限りなく近いものだ。
 本来の「愛」は、愛故に闘うものである。憎悪なども、一種の愛憎から起る闘いである。男女が幾ら信じあっていても、愛憎は派生する。

 世の中で大きな誤解が生まれているのは、愛し合った男女が、愛情で結ばれていれば、この二人の間には、絶対に対立などないと錯覚している事である。その錯覚は、愛情と云う名を借りて、愛の破局や離婚騒動を派生される。愚かな解釈による、愛の未熟である。
 また友情にしても、そうしたものを育むには、繰り返しの葛藤
(かっとう)があり、友情から裏切られて、煮え湯を飲まされる事もある。愛とか、恋とか、友情と云うものには、始終葛藤が付き纏(まと)う。

 現代人が口にする友情とか、男女間の愛情とかは、口先ばかりの唯々諾々
(いい‐だくだく)で、それだけで人格すらも否定し、人格すら亡したも同然の、その程度の物でしかない。人の意見に盲従する、その口先の言には、何一つ信憑性は感じられない。
 更に争いのない、盲従するばかりの夫婦関係や友人関係では、上辺だけの仲良しは保てるかも知れないが、やがて欠伸
(あくび)の出るような倦怠感に突入し、関係を持つていること事態に飽きと退屈が忍び寄って来る。

 そこで、「信」というものが必要になる。自分の信ずるものを持ち、それに向かって、求道
(ぐどう)する心だ。探し求める心だ。信を探究することに於てのみ、その信は全うされる。
 道を求めて探究する事を「求道」と云う。「道」とは真理と同義語だから、それを求めて人生を旅する旅路には、一種の次元を超越した老年期の円熟なる代償が訪れて来る。それは旅の途中に訪れるかも知れないし、旅の終りに顕われるかも知れない。

 「道」は、本来は「死」と直結するものであるから、行き着く先は「死」の極致であり、死を嗜
(たしな)む道こそ、実は古人が声を大にして止まなかった、死生を超越するものだった。それは物事をうまく切り抜け、要領の下(もと)に「生」を全うする事ではなかった。



●自分と一緒に死ぬべきものは何か

 「うまく立ち回って、生きていくにはどうすればよいか」と考えるから、不安と絶望の底に沈むのである。生きていこうとするから、焦心するのである。これでは、自分が「生」から殺されることになる。必ず行き詰まってしまう。

 しかし、人はとことん追い込まれ、行き詰まれば、その極限に来て気付くものがある。
 それは、自分が「何によって生きていこうか」と云うことばかり考え、「何によって死のうか」と考えなかったことへの反芻
(はんすう)である。

 「何によって生きていこうか」という事ばかりを考えると、返って「生」に忙殺されるのである。今日、「生」に忙殺されている現代人は多い。利益追求主義第一の企業に忙殺され、「生き残り」ばかりを考えている。打算や損得勘定ばかりを考えている。物事と対面する場合、「こうすると損にはならないだろうか」という事ばかりに考えを巡らせている。

 こうした考え方に閉じ込められると、心の安まる暇
(ひま)がない。安住の境地を見失う。それは、「自分と一緒に死ぬべきもの」がないからだ。
 これでは明日を心配し、将来を心配する。自分の心は不安と絶望の底に沈みぱなしになる。益々、不安に掻き乱され、絶望の淵
(ふち)に閉じ込められる。

 しかし、こういう極処
ごくしょ/物事の最終的な際涯)から抜け出す為には、「自分と一緒に死ぬべきもの」を探せばよい。一緒に死ぬべきものを探すと云うことは、自分の「死に方」そのものを探すことでもあり、死ぬべきものが探し出せれば、長らく自分に付き纏(まとわ)った不安や動揺から解放される。

 古人は、「一緒に死ぬべきもの」の戒律
(かいりつ)を作った。それは「武士道」という名の戒律であった。しかし、戒律を戒律と捕らえれば、それは一層堅苦しくなる。武士道は儒教思想に裏づけられて大成したものであるから、これを直訳的に捉えれば、一層武張ったものになり、刺々しくて、清廉潔白の戒律書のようになってしまう。

 武士道に掲げる、忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・倹約・尚武・名誉・情愛などを戒律と解釈するのではなく、「人生のよき手引き書」と捉える事が大事である。
 戒律は、自分の生活に能
(よ)く生かし切ることが肝心であるが、これを唱えているだけでは生きて来ない。死んだものになる。戒律に殺されてしまう。だから、封建支配体制の観念的支柱から離れて、「人生の意義と価値とは何か」という課題に向かって、これと取り組むべきであろう。

 人生をより善く生きると言う行為は、何もリッチになる事だけを謂
(い)うのではない。勿論、精神的な豊かさは大事であるが、金や物や色に振り回されるナンセンスだけは、御免被りたいものである。
 したがって、「よく生きた」という価値観は、物の豊かさとは関係なしに、一生が敗北と自責の念の一生であっても、自らの理想に燃え、その道を歩んだのならば、その人は、それだけで、充分に吾
(わ)が人生を謳歌し、満喫したと言えよう。
 つまり、「生き方」が、この人の世にはあるのである。

 したがって、より善
(よ)く生かすにしても、これを整然と整頓し、効率を上げる為に作り替えたものでは、戒律は正しく機能しない。単に戒律を守っているだけでは、その戒律は本当に人を生かしきっていないのである。それでは、戒律の意味もないし、本当に生きて来ないのである。戒律を、生かそう、生かそうとしているから、生きて来ないのである。それを唱えていても、単なる空念仏なのである。

 しかし、「自分は戒律と一緒に死ぬ」という極処に至った時、その戒律は力を持ち始める。これ迄の不安や絶望の底に沈んでいた自分の心は、鮮やかに蘇
(よみがえ)って来る。わが命と倶(とも)にする「死ぬべきもの」を見付けたからだ。

 そもそも戒律は、自分を縛
(しば)り付けるものではない。自分を生に縛り付ければ、戒律が返って手枷足枷(てかせあしかせ)となる。「生」に縛り付ければ、身動きが取れなくなり、やがて行き詰まる。自分の魂の躍動(やくどう)を妨(さまた)げ、心までもを萎縮(いしゅく)させてしまう。魂を躍動させるには、自由自在の闊達(かったつ)さが必要なのである。

 では、どうすればその闊達さが得れるのか。
 安易に、「道」に頼って生きていこう、栄えていこうとすれば、単に「生」に固執するばかりで、「本当の道」が見えて来ない。また、「道」を味わう修行の意味も分かるまい。

 ところが、「生」を捨て、一旦心に死を以て、死に準じていく道を発見した時、これまでの懦夫
(だふ)も「勇者」となる。
 道と一緒に死のう、道と一緒に滅びようと決意する時、人は初めて勇気を得る。初めて、不安と絶望の底から生還する。死ぬ事で、本当に生き返る。此処に来て、心は朗らかになる。何も失うものがないのだから、何も恐れるものもなくなる。これまでの動揺と不安は取り除かれ、生き生きとして来る。

 奮闘の勇気や、真の奮闘と言うものは、「一緒に死ぬべきもの」を探し出した時、不安と絶望の淵から蘇るのである。その原動力は、「生」を否定し、「死」に準じた時に、鮮やかに蘇
(よみがえ)るのである。

 人が、「一緒の死ぬべきもの」を探し当てた時、これまで頭を抬
(もた)げていた懐疑も不安も消えるのである。ここに至った時、初めて前進あるのみだと気付く。戦って戦い尽くすのだと気付く。死のうと決意したのであるから、死んでも後悔は残らない。

 そして不思議なことは、そこでは死ぬどころか、返って自分は、等身大の自分の姿を発揮して、生きて生きて生き尽くすのである。人を生かしむる、偉大な行動が、此処に生まれるのである。



●日々戦場の心構え

 人間の「死」と言うものは、老若男女を問わず、誰にでも訪れて来るものである。寿命の長短は個人差によって異なるが、しかし、幾ら長寿を全うしても、やはりその人の最後は死を以て終結する。
 人は、生まれた以上、死から逃れる事は出来ない。したがって、歳老いた人間ほど早く死に、若者は老人より長く生きるとは限らない。若者であっても、生気を失った者は老人並み以上の「人生」と、「死」が用意されている。

日々戦場と言う、心構えを誰もが忘れ、油断している時に敵が攻め込んで来る。防衛論の基本は、火事の始末と同じで、火事は出来るだけ出さないように、「火の用心」を徹底しなければならない。しかし、出来るだけ出さない火事も、時として人間の不注意で、出火する時がある。もし、出火したら、それを即座に消し止める準備と、心構えと、これまでに培った消防技術をいかんなく発揮することが必要であろう。
 かつての城は、こうした有事に際しての、防衛意識の象徴ではなかったか。

 喩(たと)えば、あと数カ月と余命を告知された末期ガン患者の老人が居たとしよう。かたや、車やバイクで暴走行為を繰り返す無法な若者が居たとしよう。現時点では、確かに「生きている」と言えるであろうが、それが一時間後、二時間後、半日後、一日後、二日後、一週間後、二週間後、一ヵ月後と、日を追い続ければどうなるであろうか。
 果たして老人が先に死に、若者がまだ生きているであろうか。あるいは予想通りに、若者より、老人の方が早く死んでしまうであろうか。

 「一寸先は闇
(やみ)」と言う。喩(たと)え一秒後でも、人間はそれを予測することができない。希望的観測に縋(すが)って、未来を漠然と想像する事は出来ようが、定められた人の寿命のプログラムの運命までもを明確に捉える事は出来ない。
 現象人間界に存在する事実は、「今」であり、この「一瞬」という事のみである。それ以外に何も存在しない。人は確かに生きているが、「今」にしか生きていない。一秒後にも生きていないし、一秒先にも生きていない。「今」に生きていることにより、人は非存在の物資体を持ちながら、生きている。

 「昨日」と言う存在は、過ぎし日の「今」であり、「明日」は、これからやって来る「今」の近未来である。人間の生きる数直線上に「今」が置かれ、この「今」を原点として、過去と言う「今」と、未来と言う「今」が存在するだけなのだ。此処に非存在の存在する理由は、「今」だけである。
 したがって人間は「今」のみが、唯一つの認識できる明確な事実であり、それ以外に事実はない。

 この事実の中に、人の喜怒哀楽があり、一喜一憂の人生がある。だからこそ、末期ガンの老人が、暴走行為を繰り返す無法な若者より、長生きできると言う保証は何処にもないのである。逆に、暴走行為で運転を誤り、電柱やブロック塀に激突して死亡すれば、若者は老人より短命で人生を終えようし、あるいは老人は、若者より長寿を全うしたと言えよう。
 齢をとっているから、生
(お)い先短いとか、子供であるから、もっともっと長く生きられるという保証はない。子供でも、老人より早く逝(い)く場合もある。ここに、人間に課せられた運命の不思議と命脈の複雑さがある。一切は、天の定めるところである。

 そこで浮上するのが、「死を以て日々精一杯生きる」あるいは「死を心に充
(あ)てて生きる」という、武士道の教えである。
 この思想は決して「死を先送りしない考え方」である。一日を無駄にしない生き方を説いている。誤魔化して生きれとは、一行も触れていないのである。「今、この一瞬」を大事にして、輝く事を教えているのである。
 己の心の裡側
(うちがわ)に、常に死を以て、これを充(あ)てて生きるとしたら、その人に残された人生の中で「今日一日」の繰り返しは素晴らしいものになるに違いない。

 日々戦場の心構えで、緊張し、隙
(すき)の無い、他人から侮られない生き方をすれば、それは「見事に生き抜く」とことにも通じるのである。人の「死にざま」とは、よく生きてこそ、それが「死の荘厳(そうごん)」になるのである。「荘厳なる死」を得ようとすれば、まず、よく生きなければならないのである。

 『本朝参禅録
(ほんちょうさんぜんろく)』には、尼僧(にそう)慧春(えしゅん)の話が出ている。
 小田原の最乗寺
(さいじょうじ)という寺に、慧春という尼僧がいた。
 この尼僧は大変な美人で、気性の激しい女性であった。仏門に入る際も、美人であるが為に、他の僧の修行の妨げになると言って、度々断られた前歴を持っていた。
 しかし、慧春の決心は固く、最後には自分の顔を焼け火箸
(ひばし)で焼いて、出家を請うて来たのである。これには寺の住職も、一言も退(しりぞ)ける理由をつける事が出来ず、ついに入門が許されたのである。

 入門してからも、人一倍の精進
(しょうじん)と修行を重ねた。しかし彼女の美貌(びぼう)は、他の修行僧の注目を浴び、度々恋文をつけられた。しかしこうした事には目もくれず、黙々と修行に励んだのである。

 ある日、慧春は住職の命によって円覚寺
(えんがくじ)に遣(つか)いに出た事があった。円覚寺の僧たちは慧春をからかってやろうと思い、彼女の前で道を塞(ふさ)いだ。そして一人の猛々しい僧が前に飛び出し、わが衣の下を捲(まく)り上げ、怒張した一物(いちもつ)を曝(さら)し、こう、大声で叫んだ。
 「わが一物、長さ三尺。どうだ驚いたか!」と傲慢
(ごうまん)に笑ってみせた。

 すると慧春は高笑いして、彼女も自分の前をはだけて、大声で答えた。
 「たかが三尺、なにしきのこと。尼僧が一物、底無し!」
 こう喝破
(かっぱ)して、彼女は自分の女陰を見せつけたのである。これに円覚寺の僧は彼女の豪胆さに、度胆を抜かれて青くなり、道を直ちに開けたと言う。

 慧春は、修行半ばの僧侶達の邪念を抜くために、自ら満座の中で裸になった事でも有名である。彼女は人一倍、愛欲と煩悩を打つ鋭さは、誰にも負けなかったのである。
 そして、ついに悟りの境地に辿り着いたのである。

 ある日、慧春は寺の境内に、高だかと薪
(まき)を積み上げると、火定(かじょう)に入ったのである。
 火定とは、燃え盛る火の中で坐禅
(ざぜん)を組み、そのまま即身成仏(そくしんじょうぶつ)となる事を言う。この知らせを聞いた住職は慌てふためいて駆けつけ、これを止めさせようとしたが、火の勢いが強く、全く手の施しようが無かった。

 住職は、豪火の中の慧春に大声で問うた。
 「慧春よ!熱いか?」
 これに慧春は答えて曰
(いわ)く、
 「冷熱
(れいねつ)は、生道人(なまどうにん)の知るところにあらず!」と、住職を喝破したのである。
 そして見事、即身成仏
(そくしんじょうぶつ)となった。

冷熱は、生道人の知るところにあらず!(慧春尼/絵・曽川 彩)

 「冷熱は、生道人の知るところにあらず!」とは、実に考えさせられる深い言葉である。
 本当の熱さや冷たさは、中途半端な修行をして、自我
(じが)に執着し、人生を迷い通して生きている者には解らないと答えているのだ。

 「死を心に充
(あ)てる」という心境は、死の連想で「武士の生き態(ざま)」というものに置き換えることができる。

 悟りを開き、火定に入った慧春
(えしゅん)の話は、生死の迷いに囚(とら)われることなく、「行動によって、悟りを一貫していなければならない」という事を物語っている。



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