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国際食糧政策 5


●骨肉相食む中での食糧危機

 世界は常識人が考える以上に、不可解な論理で運営されている。それは常識人の及ぶところでない。
 というのも、裏には裏があるからだ。
 世の中が、表だけで、建前だけで、教科書的に運営されていると思う人は、よほどお人好しであろう。あるいは呑気なウサギが、ライオンに餌
(えさ)を遣(や)るのに構図に酷似するだろう。呑気なウサギは、自分の手の先に付けた餌だけをライオンが食うのではなく、“丸ごと”自分まで食われることを知らないのである。

 しかし、この手の「呑気なウサギ」は日本人の中には多い。それは日本人が極めて感傷的であり、情緒的であると云うことからである。

 昭和51年7月8日付の『サンケイ新聞』には、国家主権についてある学生が、次のような投稿を行っていた。この記事はイスラエル軍の空挺部隊が、ウガンダのエンテベ空港に奇襲攻撃をかけ、ウガンダ兵を殺し、その他、飛行機や空港設備を破壊して、人質にされたイスラエル人を救出した事件について語ったものであった。

 この事件についてかたった学生の言は次ぎのようなものであった。
 「ウガンダの主権を土足で踏みにじり、完全に無視した無法の侵略に、私は開いた口が塞がらない。『目には目を、歯には歯を』がイスラエルの遣り方であるかも知れない。しかし自国の利益に反する行為には“問答無用”と武力で解決せんとする自国にのみ通用する論理が、建国以来抗争に明け暮れるイスラエルの宿命とはいえ、アラブ諸国ひいては開発途上国の激怒を買うものである」

 この学生が云うように、筆者自身も他国の主権を侵すことは反対である。
 しかし、「武力で解決しようとするイスラエルの論理」に、自国の利益の為に武力解決をしようとするアラブ諸国や発展途上国に、これらの論理がないと言うのは、実に短見である。

 このような見方をするのは、世界の中でも日本人だけであろう。一種の幻影と云う外ない。あるいは甘い平和への幻想かも知れない。
 理想を追求することは決して悪いことではないが、現実離れしていては、やはり「呑気なウサギ」の域を出ることはない。

 理想と現実に大きなギャップのあることは、厳粛
(げんしゅく)に受け止め認識する必要があるだろう。
 日本人はアジアの中でも、お人好しが意向や“丸腰外交”を展開している。しかし、こうした外交の背景には、綺麗事だけを口にする日本人の美辞麗句が漂っている。現実は理想通りには行かないことを認識すべきであり、また日本を除く、東南アジア諸国でも、日本人ほどお人好しでない。彼等は現実と云うものをシビアーに捉え、この事を骨の髄まで知っているのである。

 以上を総じて換言すれば、日本人の戦争観に大いに問題があると言えよう。
 日本人は戦争に対する意識が非常に低い。「戦争嫌い」だけが突出して居る。特に戦後の平和教育の中で培われた論理は、平和主義や平等主義であった。こうした平和と平等に対する思考が、実は今日の日本人の戦争観を誤らせているのである。

 今日でも、世界中の殆どの国が、勝てる戦争に対しては、戦争で型を付けることを行っているのである。ただかけそうな時に限り、平和を口にして外交に趨
(はし)るのである。勝てる戦争をまるまる取り逃がして、外交に持ち込もうとする国など、世界広しと雖(いえど)も一国もないのである。

 したがって、勝てる時には軍隊を派兵し戦争をして、負けそうな場合費は平和を口に外交で結着を付けようとするのである。

 更に、敵対同士の国が対峙する場合、これは単に「対立」の関係ではなく、その民族の骨の髄
(ずい)に染み込んだ古来からの「骨肉の争い」なのである。骨肉の争いが戦争を招き寄せるのであって、国家間と外交上の対立が戦争を招き寄せるのではない。多くの日本人は、“アラブ諸国”対“イスラエル”の国家間対峙を、一種の国家対立と捉えているようであるが、これは間違いである。明らかに古来よりの「骨肉の争い」なのである。それは聖書にハルマゲドンが記されているように、古くからの骨肉と争いは、決して現実下では消える事がないことを明記しているのである。

 では、「骨肉の争い」は何故起るのか。
 それは俚諺
(りげん)にある通り、「骨肉相食(は)む」のである。親子や兄弟など血縁の者同士で相争うことを「骨肉の争い」と言うが、まさにそれである。人間同士のいがみ合いは、まさにそれだ。

 これは主義主張の対立から起ったものではない。宿命的な対決である。長い間の因縁がそれをさせるのだ。また、その背後には複雑怪奇な仕組みが存在している。
 人間の世は、簡単に割り切れるような単純なものばかりは存在していない。血の流れから、長い間遺恨
(いこん)を抱えた側面が存在しているのである。これは、理屈では解決しないのは当然である。そして、こうした世界の不安定な世情の中に、日本人の食糧問題が棚上げされているのである。

 その一方で、科学の暴走は止まらない。“科学的”という言葉をこよなく愛する日本人は、この「科学」という言葉が非常に好きである。眼に見え、手に触る事のできる実体のある物に、絶大な信頼を起き、これを唯物論に照らし合わせ「科学的」と呼称するのだ。

 そして世界の人種
(日本人は果たして民族と言える存在なのか?)の中で、大自然から隔離され、人知の独断専行で暴走する日本人の姿は、一種独特の怪奇を感じる。
 多くの日本人は、自然科学者と云う権威に絡め捕られ、これに追随している。日本人の「右へ習え」をする追随は、決して今始まった事ではないが、日本人こそ“権威”や“お上”に弱い人種は居ないだろう。

 さて、中東で日本人が想像を絶する「骨肉の争い」が起ろうとしている。人類が、いまや「骨肉相食
(は)む」の最終段階に入っていると言える。
 「人類」という同胞でありながら、人の血をもった者同士が、相争う戦いが起ろうとしている。食糧問題を筆頭に石油エネルギーの枯渇
(こかつ)が叫ばれる中、例えば食糧一つ挙げてみても、食品の品質は益々低下をしているのである。この食糧難が間近に到来しようとしている中、骨肉の戦いは、これから一層拍車が掛かろう。利権の奪い合いにおいて、その主導権を巡って、水面下で争いが繰り広げられているのだ。そしてこの抗争は、日本も無関係ではないのだ。



●食品の品質低下が起っている

 昨今の食糧は、石油エネルギーと無縁でない。特に農業では、大きく石油に依存し、石油の中に浮かぶのが今日の日本の農業である。
 かつて水田の米と云われた時代があったが、今では「油田」の中の米と云われるようになった。青空の下での農業は殆ど姿を消し始め、現代の農業は一種の石油加工食品製造であり、農民は虚構の栄養食品を売る“油売り”になっている。

 これまで見られていた自然と手を組んだ農民は殆ど見られなくなり、石油業者の下請け食品業者に顛落
(てんらく)した多くの農民達は、損益殺生与奪の権を持つ商売人の意のままに操られている。

 農業が第一次品生産から転落し、虚構の食品産業に顛落した時から、本来の農業は崩壊している。更に農民は、土から離れ、野菜は施設園芸に変化して行く過程を追うと、そこには依然と金銭至上主義が横たわっている。

 今日の農業は、工場のそれと酷似する。工場にように立ち並んだビニールハウス。その温床の中で、メロンやトマトが促成栽培される。
 本来の土壤より、最近の少ない、清浄な砂や礫
(こいし)にした砂耕培養、更には礫耕栽培方式なども頻繁(ひんぱん)に遣われるようになり、これまでの肥えた土を作る方法から、養分だけを与えるという方法に変わった。培養液を作ってこれを供給するというのが、この方式である。

 この方式が採られた場合、砂や礫はただ植物体を保持する役目しか果たさない。こうした中で、次にもっと簡単で手軽な材料として、プラスチックなどが遣われるようになり、高分子化合物の網や容器の中に種を蒔
(ま)く方法も用いられ、これで育苗するようになった。この場合、作物の根はプラスチックの網の中に根を下ろし、それが縦横に伸び、茎葉もまた人工的に保持される。密閉された室内は完全殺菌になっているから、始めの内は病虫害も殆ど無い。

 作物を育てる養分も、水の中に溶かして根から吸収させるだけと言う方法も、能率が悪い為に採られなくなり、培養液をスプレー方式にし、根ならびに茎葉など、全体を定期的に培養液で散布する事になる。養分は根からのみ吸収されるのではないのだ。葉面散布により、養分散布は益々即効的なものばかりを求めるようになり、生育高率ばかりが高められる方式が採られる。

 それにも況
(ま)して温度の高温化や、人工太陽の照射の強化、炭酸ガスの噴射、酸素の過剰的な供給などで、生育は野外に栽培する植物に比べて、これまでの数倍も早くなり、促進されたものが収穫され、それが今、エネルギーを持たない野菜として食卓に並べられているのである。そして、これはそのまま、食品の品質低下に繋がっているのである。

 多くの農作物の栽培は、栽培環境自体が人工的である。更に人工的栽培が強化される中で、農作物自体はエネルギーを持たないものへと変化している。こうして出来た人口栽培の食品は、形もよく、瑞々
(みずみず)しい色をして、柔らかく歯触りもいい。
 ところが、その形や質が、本質的に人間に良いかとなると、甚だ多くの疑問点が出て来る。

 それはまず第一に、自然に反し、自然から遠ざかったものであるからだ。人間の知らないところで、人間の科学する眼が見落としたところで、不完全に成長し、増大し、質的に低下しているものだからである。
 一方で、当然自然の反撃も酷
(ひど)くなり、病虫害も多発するであろうし、益々薬漬けになって行く事は避けられない。肥料漬けになる必然性も避けられないだろう。

 人工栽培の行き着く先は、食糧の人工合成である。こうした現実が出現すると、まず田畑を必要としない食糧の純化学的合成工場が出来ることだ。こうなると、農業は大自然とは無縁のものになる。尿素の合成は、有機物を作り出す基点となり、次いで蛋白質が合成され、いろいろな食材が人工的に造られるようになる。あるいは人造肉も造り出されるだろう。更には、石油からバターやチーズも造られよう。

 また、デンプンの合成も、植物の光合成の研究過程が進歩すれば、木材や石油の糖化による澱粉合成も実用化されよう。
 人知での研究過程は、細胞の蛋白、細胞核、核酸、その中の遺伝因子、染色体の合成から生命を自由にコントロールする事が可能になった。あらゆる生物を自由自在に変革出来るようになった。そして人間の人知は、宇宙の創造主のような自惚れを抱き始めた。
 しかし、人間が科学で知り、作り、造り出す総てのものは、不完全な模造品に他ならない。自然を巧妙に真似た模造品に過ぎないのだ。そしてこの模造品が、やがて自滅の道に誘うかも知れない。



●日本人の食性は古来より玄米穀物菜食だった

 そもそも食物の成分には、有機質と無機質があって、有機質の方は先人が苦労して研究を重ねた末に発見した物ですが、無機質に対しては、殆ど見過ごして来た物質である。また、食物の中に含まれる有機質を研究した学者は、殆ど居なかった。
 しかし、その中でも食養道を提唱した石塚左玄
(明治色に陸軍薬剤監)は、無機質を研究した数少ない学者の一人であった。

米を食べる国・日本
玄米正食

 石塚左玄は無機質を調べ、「夫婦アルカリ論」を展開して、食物の中には無機質が存在し、その中でもカリウムとナトリウムに注目し、双方のバランスが大事であると提唱した。更に、このバランスを考えた上で、玄米はカリ塩とナトロン塩が非常にバランスの取れた食品であることを発見した。

 石塚左玄の説いた「夫婦アルカリ論」とは、食物の化学成分の中には、無機塩類としてのミネラルが存在し、こうした物の中で、カリウムとナトリウムに注目し、これが夫婦の陰陽で、「一組」を考えた。そして、植物の性質を決定付けているのが、カリ塩とナトロン塩であるとしたのだ。

 植物のミネラルの中には、マグネシウムやカルシウムなど、数多く存在し、特に石塚左玄はその代表格の、カリウムとナトリウムに注目したのである。

大豆
里芋

 カリ塩の多い食品に、例えば大豆とか里芋(さといも)を挙げ、こうした食品は煮ると非常に軟らかくなって、大きくなる。一方、ナトロン塩の多い食品を挙げ、例えば獣肉や卵のような食品は煮ると非常に硬くなり、小さくなる性質を持っている。
 したがって、料理には、軟らかくなって伸びて膨らむ物と、硬くなり縮む物とを適度に配合しなければならないとした。

 
日  本(海 国)
ヨーロッパ(大陸国)
気候風土
温暖多湿。四季がはっきりと分れ、寒暖の差が緯度の高くなるにつれて甚だしくなる。列島国・日本はその典型。 陸地の影響を強く受けた気候で、大陸内部に見られ、雨量が少なく、昼夜の気温差、乾燥し、涼冷で、夏と冬との気温差が大きい。
体  質
潮風に当たり続けた海国人種で、体質的にはナトロン塩が多くカリ塩が少ない。 寒冷の涼風に当たり続けた大陸人種で、体質的にはナトロン塩が少なく、カリ塩が多い。
食 理 想
ナトロン塩を少なくし、カリ塩を多くする。 ナトロン塩を多くし、カリ塩を少なくする。
食の誤り
ヨーロッパやアメリカから持ち込まれた明治維新以降の日本人の食生活は、ナトロン塩が多い食事をとった為、難病・奇病が多発。 牛・豚・鶏肉などのナトロン塩過多の食品を、日本人に栄養学として押し付けた。
結  果
肉が多くなり、野菜が少なくなって、玄米穀物の代わりに、パン食をするようになった。 欧米食持つメジャーの、牛肉などの、日本を含む、東洋向けの食肉の需要が激増した。

 健康造りに塩分(ナトリウム分)は必要不可欠なものである。また、「健康」とは、血液中のナトリウムイオンと、細胞内のカリウムイオンのバランスが採れて、はじめて全身の細胞や組織の機能は順調に営まれるものだ。

 そもそも生命は、海から発生したもので、海水に浸されて生きるという基本条件がある。それは生命が進化しても、その基本条件は変わることがない。したがって、人間は塩分と無縁な存在ではない。石塚左玄の提唱は、生命の本質に基づいたものだった。

 また、石塚左玄は人間の歯の構造に注目し、人間の歯の構造こそ、人類が穀物菜食をする生き物であることを発見した。人間の持つ歯型こそ、食性の証明に他ならない。
 人間の歯のうちで一番多いのは、「臼歯
(きゅうし)」である。人間では上下とも左右に前臼歯2枚、後臼歯3枚ずつある。臼歯はまさしく「穀歯」である。穀物類をすり潰し、砕くのに適した歯である。

 次に多いのが、門歯であり、門歯は「菜歯」ともいう。門歯は上下の顎の前方中央部に生える左右各2枚の歯で、口腔の門戸に当るので、「門歯」と名付けられている。
 この歯の構造だけで、人類は何を食べたら、自然が教えてくれている。つまり人類は、穀物菜食の食性を持った水冷式哺乳動物なのである。

 諺
(ことわざ)に「物が釣り合いを失えば音を立てる」というのがあるが、石塚左玄は『化学的食養長寿論』の中に、これをもじって「食が釣り合いを失えば病気になる」と論じた。
 それだけ、人類にとって「食」とは、人間の成長を育み、生命を保つ上で、非常に大切なものであると云うことが分かる。則
(すなわ)ち、「食」こそ、「人間の化身」なのである。

 食養を行うには、その民族が棲
(す)んでいる位置や地形、気候や風土に大きな関係がある。特に地理的な位置と気候の寒暖の差は、その地域の人の食性を決める上で重要な要素となる。
 「郷に入りては、郷に従え」という諺がある通り、食養を実行するには、その地域性と気候が、その国の国民の食性を顕わす。

 また、以上の事から考えれば、日本のような海国に棲
(す)んでいれば、環境的にも体質的にも、もともとナトロン塩が多いのに、ヨーロッパやアメリカのように、カリ塩の多い国の人種の真似をして、際限なく肉を常食すると、ナトロン塩摂取過剰になる。
 しかし、現代栄養学は獣肉の持つアミノ酸ばかりに注目して、肉食を奨励している。
 では、動蛋白食品が腸内で腐敗し、血液を汚染させる元凶であると知りつつも、何故、こうまでに肉常食を奨励するのであろうか。

 それは肉の組成が高蛋白であり、良質のアミノ酸が存在していることから、食肉礼賛をし続けている。また、「肉はスタミナの元」というウソを日本国民に植え付け、食肉を動蛋白信仰の神話として、その頂点に祭り上げたのである。

 しかし、果たして本当に現代栄養学が云うように、「肉はスタミナの元」なのであろうか。

 スタミナが付く条件は、まず血液がサラサラ状態でなければならない。しかし、肉を常食して、血液はサラサラ状態を維持できるのであろうか。
 これは、肉を食べた跡
(あと)の皿の脂汚れを視(み)ても分かることだ。更に、頑固に付着した脂汚れは、水だけで洗い流せるものであろうか。これは誰が検(み)ても、無理であることが分かろう。

 こうした皿や食器を洗うのには、強力な台所洗剤が必要になる。洗剤なしに、食器のしつこい脂汚れを洗い落とす事は出来ない。洗った跡の脂汚れは、台所の排水口から下水道を通って、一端は浄水場で浄化されて海に流されるが、これで完全に浄化されたわけではない。

 つまり、私たちの食べている動蛋白食品の汚れた脂は、台所洗剤の有害物質と共に、海に流されている。
 しかし、現代栄養学の食指針は、肉を奨励している為に、一般の日本人の頭から、「肉はスタミナの元」のウソが頭から離れない。これは日本人の間で、今なお、食肉の需要が減っていないことからも分かる。

 では何故こうまでに、「スタミナの元」と信じて疑わないのであろうか。
 多くの日本国民の間には、頭の片隅に「肉は酸性食品であるのでよくない」あるいは「肉食はコレステロールを増やすのでとくない」という考えが、微
(かす)かながらにある。しかし、「肉はスタミナの元」という考え方が勝(まさ)っている為、「多少マイナス面があるにしろ、スタミナをつける方が先決である」という考え方をしてしまう。

 しかし、これこそ全く矛盾した考えではないだろうか。
 何故ならば、人体の生理機能の秩序というのは、全く矛盾なく働いているからである。肉を食べて血液を酸毒化しておき、その上にドロドロ状態で、コレステロールを増大させておいて、動脈硬化を引き起こす一方で、どうして「スタミナがつく」という好現象が期待できるのであろうか。

 医学的に考えてみて、「スタミナが付く条件」とは、まず、血液が弱アルカリ性
(生理的中性)で、動脈がしなやかな状態に保たれている時に、「スタミナアップ」が図られるのであって、血液が酸毒化してドロドロで、動脈が硬化した状態では、絶対にスタミナなど、つくはずがない。

 本人は、肉をスタミナ食と思って、ボリボリ貪って食肉を喰
(く)らっていても、実は躰(からだ)の方が悲鳴を挙げているのだ。これこそが、大半の日本人の肉に関する実情ではないのでだろうか。
 その結果、頭が重い、頭痛がする、イライラして怒りっぽい、短気で直ぐに切れるなどは、総
(すべ)て肉常食の悪影響から起っている。

 こうした悪現象は、ナトロン塩摂取過剰に問題がある。
 もともと日本のような海国に棲んでいれば、環境的にも、気候風土的にも、ナトロン塩が多いのに、ヨーロッパ大陸や北アメリカ大陸のような、カリ塩の多い国の人の真似をして、限度なしに食肉を食べ、穀物や野菜の量を減らした食事をすれば、ナトロン塩摂取過剰になるのは当然の事である。

 ナトロン塩の性質は、組織が縮まり、硬くなる作用があるので、その作用を抑制するのにカリ塩が必要であるが、穀物菜食をせずにカリ塩摂取のチャンスを逸している。その為に、発育上、健康上、食養のバランスが失われ、特に戦後生まれの日本人を検てみると、乳製品の常食で、一見身長背丈は高く、手・足は長く、顔は小さく、才気に富んだように映るが、その実、判断力がなく、精神的に脆
(もろ)く、脅迫に屈し易く、屈強さに欠けている。

 つまり、社会ダーウィニズムの弱肉強食の論理に押し流されて、精神的には日本精神を崩壊させ、現代にジョン人は「家畜化された」という現実の中に置かれてしまったのだ。こうした世論誘導もあって、現代栄養学が食肉や乳製品を、執拗に奨励しているのかも知れない。

 人の人生は様々であり、現代に生きる私たちの現実は、背後にこうした世論誘導があることに気付いて、これにコントロールされる事なく、確立した自己の信念を以て生きることも人生であるし、あるいは、こうした世論操作など知らずに生きる事も、また、人の人生であろう。
 しかし、「知らずに生きる」ことは、結局私たちの未来を失い、また、後世の世代に続く、子孫の未来を失うことに繋
(つな)がるのではないだろうか。



●日本人に不向きの欧米型食生活からの脱出

 「肉と野菜の双方をバランスよく摂る」という考え方は、その根底に「美食主義」の食思想が流れていて、つまり、「コッテリ味の肉」と、「あっさり味の植物性食品」で、双方が中和するという考えがある。つまり、肉食をする為に、「野菜が必要」とする考え方だ。

 しかし、この食思想は昭和55年以降の「現代」に、体系付けられた現代栄養学の食思想であり、「肉と野菜の双方をバランスよく摂る」という思想は、それ以前には存在しなかった考え方である。
 そして「現代」という時代を境にして、現代人に降り懸
(か)かる病気は、動蛋白摂取が盛んになるに比例して急増していった。

肉と野菜をバランスよくの総花主義は、現代栄養学が持ち込んだ食指針だった。

 特に美食主義は、肉に固執することにある。肉を食べる為に、野菜が必要だと云う考え方の上になり立っている。
 しかしこの考え方は、歴史のどの時代を見ても出て来ない。フランス料理は、もともと動蛋白を中心にした考え方の上で調理が進められ、確立した料理であった。

 この料理の特長は、フランスで発達した伝統的な料理である一方、根底に美食主義の食思想が流れている為、国際上の饗宴などに用いられることが多い料理である。その料理技術は、高度な調理法と、多様なソースを用いた、洗練された複雑な味が特長であり、基本的には人間の欲情を誘い、肉を貪
(むさぼ)り食べたいと考えている人を誘い込む魔性を持っている。

 これは古今東西の聖人が、こうした料理を慎んだのとは、まさに対照的である。
 肉料理は、野菜料理よりも塩分の甘味と香ばしい旨味があるので、一般人は貪り喰いたいと言う欲情を常に肉に抱いている。
 しかし、釈迦は肉の毒性を指摘し、また、肉の食材になる牛や豚は人間が保護すべき動物と仏典に定めた。孔子ですらも、「肉多しと雖
(いえど)も食気に勝たしめず」と戒めたのである。

 現代日本人は、胚芽食欠乏状態になっている。それに加えて、現代日本人の食の三本柱になっているのは、現代病の元凶である「白米」「食肉」「白砂糖」である。そしてこれらは何れも、人体の生理機能を根底から混乱させ狂わせるものばかりである。
 食の誤りが、過去にはなかった様々な現代病を生み出している。

 その為に、現代栄養学の指針に従って、獣肉・鶏肉・魚肉などの食肉や、吸入・チーズなどの乳製品ばかりを取り続け、白米や白パンを主食にした雑食を摂り続けると、人生の早晩には慢性病に見舞われる結果となり、健康的な長寿は難しいものとなる。

多くの日本人が和食と信じている食事メニューは、和食と信じていても、それは「和食」の名を借りた、紛れもない雑食主義の「欧米食」である。これらを“和食”とするのは、名ばかりである。

 食生活と健康に関しての情報は大量に飛び交っているが、「白米」「食肉」「白砂糖」の問題を正しく処理しない限り、真の健康体は造れないものになる。
 多くの食情報は、ダイエットを中心にした、何でも食べよう主義では、それは単に、雑食の間違った栄養学を展開しているに過ぎない事になる。

 白米を主食にし、それに見合う獣肉・鶏肉・魚肉などの食肉食品に、僅かながらの野菜を添えて、これを「和食」と称している食事メニューは、実は本当の精進料理で云う和食ではなく、和食の名を借りた、「西洋食」がその正体なのである。その上に、胚芽が欠乏した欠陥食である。

 白米主食がいけない最大の理由は、白米自体が「胚芽欠乏食」であるからだ。
 一方、玄米は胚芽食品であり、胚芽の中には、不飽和脂肪酸・ビタミン・ミネラル・酵素を多く含んでいるからである。未精白穀物は、玄米にしろ、大麦にしろ、体質を「中庸
(ちゅうよう)」に保つ働きがある。人体を健全に保つ為に「中庸」は非常に大事なことで、中庸とは、生理的な完全バランス状態を云う。

 しかし、白米や白パンには、胚芽がすっかり抜け落ちていて、本来ならば複合的な炭水化物であるはずの玄米や玄麦が、単純的な炭水化物に成り下がり、欠陥食品になってしまっていることである。こうした単純的な炭水化物は代謝機能に必要なミネラルや酵素が抜け落ちている為に、様々な代謝障害を起す。現代人に巣喰う現代病は、実はこうしたところに、現代人が落ち込んで来るのを待ち構えている。

 その結果、現代人に多いのが、胃腸障害、便秘、痔疾、肩凝り、腰痛、高血圧、高脂血症、糖尿病、貧血、偏頭痛や後頭痛、アルツハイマー型痴呆症などで、それが軽症の場合でも、思考力や記憶力の低下、自律神経失調症、ノイローゼ、不眠症、基礎体力の低下などが挙げられ、種々の早老現象が襲って来てくる。
 そして、精白食性はガンを招き寄せる典型的な食品であり、特にビタミンB群の欠乏は「白米病」そのものであり、脳や神経系に悪影響を与えている。

 また、欧米型の食生活偏重は、単に健康を失墜させるばかりでなく、肝臓病・心臓病・糖尿病などの成人病を始めとして、慢性病を激増させ、慢性病のトップがガン疾患であるのは周知の通りである。


つづく…



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