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今わの際の死に様 3

渓谷から山を臨む


●死後硬直後の腐敗

 死後硬直とは腐敗の前触れです。死後さらに時間が経過すると、死体の腐敗が始まります。
 これは腐敗菌の作用によるもので、壊血病
(かいけつ‐びょう)で死んだ人を除く、通常の人体には、生きているうちは血管内には細菌がいないものですが、死後は体中にある醗酵素(はっこう‐そ)が血管内で醗酵を始め、血管内の気圧より低い処ができて、細菌が外から血管内に逆吸収されて、腐敗が始まります。

 また生前、食肉や乳製品、肉の薫製や加工食品等の動物性蛋白質を多く摂取していた人は、腸内の腐敗菌が腸マヒの状態で腸から逆吸収され、腐敗菌は体細胞まで腐敗に及びます。
 また、死体の腐敗は、死体が置かれている各々の場所によっても、様々な格差が現われます。
 喩
(たと)えば、真空中では死体は腐敗しないと言われます。

 また地上にあるのか、水中にあるのか、あるいは土の中にあるのか等の状態によっても、その腐敗は異なり、同じ土の中にあっても土壌によって格差が出ます。
 更には、死んだ時の諸事情によっても、腐敗は異なります。
 長い間、闘病生活を続けて、食が細くなってしまった人や、植物人間になって流動食のみの、細々とした食事を摂っている人は腐敗する時間が遅く、逆に大食漢で、肉常食者はその腐敗も早く、更に棺桶
(かんおけ)の蓋(ふた)の仕方等によっても、腐敗速度は異なります。

 さて腐敗速度ですが、成人男女の中で、最も腐敗が遅いのは子宮であると言われています。
 また脳の腐敗は幼児の場合、急速に腐敗すると言われていますが、成人の場合は徐々に腐敗すると言われています。眼球は腐敗して、約2ヵ月後に消失しますし、爪は約20日で抜け落ちると言われております。

 死後硬直後、腐敗が進むと、躰全体は青黒く汚れを呈し、身体の内部に腐敗ガスが発生します。次に皮膚は剥離
(はくり)が始まり、皮膚と内臓の間に空胞が出来で、死体は全体的に柔らかになって、膨張します。そしてこの状態を放置すると、耐え難い悪臭を放ちます。

 こうした腐敗臭を発する時点で、死は動かし難い事実となります。
 したがって最早こうなれば、如何なる最先端医療技術を駆使しても、蘇生は不可能となります。
 太古の人々が、各々の文明の中で、ミイラ製作に躍起
(やっき)になったのは、死者が再び生き還って蘇生(そせい)するのではないかという期待からでした。それは腐敗を逃れれば、死が確定的な証拠になるものではないという考えからでした。

 しかし、こうしたミイラ状で乾燥した死もあり、喩えば、長い間の飢餓状態や、酷い下痢や、空気の乾燥の非常によい所などでは、ミイラ状の死体となります。真言密教などで、即身成仏に至った僧など、自ら即身仏としてミイラ志願をした人達でした。
 また脂肪の多い、生まれて間もない嬰児
(えいじ)や若い女性は、全く空気の触れない低温の、湖の底深くに沈むと、これは屍蝋(しろう)と言って、非常に生きたままの原形に近い人体が、石鹸(せっけん)状に変質して、特殊なミイラができ上がります。

 更にアルカリ性溶液の中に死体が浸っていますと、石膏
(せっこう)像のような、まるで彫刻のようなものになり、炭酸アルカリ化されて、腐敗を食い止めますし、銅山の銅の鉱水に落ちて死んだ時など、そのまま銅像ができ上がってしまうと言われています。
 しかしこういう特殊な場合は除いて、死体の腐敗というのは、肉体上の原則的な働きであり、腐敗が死を確定し、その確定が死体を分解して、元素に還元するという物質界の法則に、肉体は回帰します。



●事故死による断末魔

 事故死の多くは、非常な苦痛を伴います。
 その断末魔は筆舌に尽くせないほど凄
(すさ)まじいものです。
 「何故こうした断末魔に至るか」と、こうした事を挙げますと、これは今まで繰り返し述べてきた通り、事故死と自然死とでは、肉体と生体の分離が急激に行われる為に、そこに衝撃と苦痛が死の刹那に全身を駆け抜けるからです。

 俗に言う、成仏できない死に方であり、不成仏のまま死んで行くという悲惨な臨終です。
 こうした死に方を総称して、一般には「横死
(おうし)」と言います。
 横死は、まさに筆舌に尽くせない非業の死を遂げた態を言うのです。
 人間は横死の時、筋紡錘から大量のアドレナリン
Adrenalin/副腎の髄質ホルモン)が放出されます。そして、それに続いてアセチルコリン等の物質分泌が起こります。

 非業の死を遂げた場合、死後硬直はこうした場合に恐怖心となって、歪んだ死相に窺
(うかが)う事が出来、この形相は凄まじいものです。
 筋紡錐は横紋筋の内部にあって、筋肉の緊張や、収縮の程度を感受する紡錘形の微小な自己受容器です。ここには数本の特殊な筋繊維
(錘内繊維)に感覚神経末端が絡まっています。これは動物の姿勢を保つなどの働きなども筋紡錐が司ります。

 医学的な見地で言うと、アドレナリンは副腎の髄質
(動物の器官、特に腎臓・副腎・卵巣等で、表層部に対して中心部付近をいう)ホルモンです。
 心筋の収縮力を高め、心・肝・骨格筋の血管を拡張し、皮膚や粘膜等の血管を収縮せしめ、血圧を上昇させる作用を持つと同時に、気管支平滑筋を弛緩
(しかん)させますが、立毛筋や瞳孔散大筋を収縮させ、また代謝面では肝・骨格筋のグリコーゲンGlykogen/動物の肝臓や筋肉のほか菌類にも含まれる多糖類)の分解を増進して血糖を上げ、脂肪組織の脂肪を分解し、一般に酸素消費を高める作用を持っています。

 またアセチルコリン
(acetylcholine)は、神経組織に多く含まれる塩基性物質で、副交感神経と運動神経の神経末端から、刺激に応じて分泌され、神経の伝達に携わっています。
 一般には神経伝達物質と呼ばれ、この物質は神経終末から放出され、次の細胞を興奮させ、または抑制して、情報を伝達する化学物質であり、アセチルコリンを始めとしてアドレナリン、アミノ酸、ペプチド
peptide/ペプチド結合によってアミノ酸2個以上が結合した化合物)等を伝達します。

 さて、自然死で臨終を迎える場合、肉体と霊体の遊離は緩やかであり、体内にエンドルフィン
(内因性モルヒネ様物質)が合成される時間があり、その時間差と作用によって、横死のように断末魔の苦痛から解放され、眠るような穏やかな臨終を迎える事が多いようです。

 ところが事故死、あるいは横死の場合は、全くこれとは逆に、急激に、その衝撃と恐怖から、大量なアドレナリンとアセチルコリンが分泌され、断末魔の恐怖が免れません。
 特に飲酒を日々の日課と定め、アル中状態にある人や、酒豪というタイプは、内因性モルヒネ様物質の分泌が少なく、また分泌されたところで、その効果が殆ど期待できません。したがって激痛は、ここから起こります。



●個体の消滅

 さて、もう一度「人に死」という事に戻って考えて見ましょう。
 一般に、人に死とは、死んだという事がそれ事態で、全体的に死んだと言えるのでしょうか。
 確かに私達は生物としての細胞を結合させて、人間という個体を成すわけですが、人間でも動物でも、個体としての死は、その個体を形成する細胞群の死によってはじまります。

 この場合、一細胞群の死滅は他の細胞群の消滅と連鎖的に引き起こし、それらの細胞群の消滅は伝染的な連鎖反応を高めます。これによってあらゆる諸器官は活動を停止し、躰全体は死へ向かって驀進
(ばくしん)します。
 そして諸器官の中でも、心臓の停止は死の直接的な原因になって、死を決定的なものにします。
 死の定義は、要するに個体としての生命活動への停止であり、肉体が五官と共に反応し、「生きている」という事の停止でもあります。

 この停止は、死後硬直と腐敗というバクテリアの分解現象と共に、これまで肉体を形成していた物質そのものが分解という過程を辿って自然界に復帰するという事を意味します。
 今日の葬儀は、衛生上の観点から土葬は禁止され、火葬が中心的な死体処理法で、死体を焼いて荼毘
(だび)に付(ふ)す事が法的に定められていて、かつての土葬のように完全な形で骸骨を残すことができませんが、仮に骸骨が残っても、それは最終的には消滅して分解します。

 死が生の終焉
(しゅうえん)というのは、では、一体どういう事を意味する事なのでしょうか。
 人間の肉体は個体の崩壊という現象によって、霊界と肉体の遊離を意味し、それによって五官による感覚活動や、肉体的な躍動や性質は総て停止されます。
 こうした生きている時の生命活動は、物質の集合体を五官を通じて、統一した働きに変換する事であり、これは仮に肉体が死んだからといって、霊体の意識感覚はこれを消滅したことになりません。

 しかし肉体を通じての個体としての活動は、個体が生きていない以上、肉体活動は停止され、この個体を死を以て「死んだ」とされるわけです。
 そしてこうした生命体における、命体と生体の関係から言うと、生体の部分的な死は紛れもなく、肉体である生体の死の中で起こった事であり、それは肉体の死とする事が出来ますが、それは生命体を司る、総ての死という事ではありません。

 但し、部分的な死は、やがて全体に跳ね返って、生命体の総合的な発展と代謝活動を停止させますから、部分的な死を以て、全体的な生命活動の停止であると、少なくとも三次元顕界
(げんかい)ではこのように表現します。その停止そのものが、つまり肉体部分においての、生きて居(い)なくなる事であり、この事が、個体の消滅と謂(い)われる所以(ゆえん)です。

 こうして考えてくると、人間の死とは、まさに生の中に存在していたと言えます。したがって生と死は、そんなにかけ離れた存在ではなく、それは表裏一体の関係に於いて成り立っていたものなのです。
 人間が生きているという仕業
(しわざ)は、一口で言うと、生命体の仕業であり、一度死が訪れると、その死因は病死であろうと、事故死であろうと、また老衰であろうと、死が決定されれば、動力機関の無い機械のように、直ちに動きを止めてしまいます。

 今まで動いていた諸器官は、総てその活動を止め、ただの物質界の物体になってしまいます。
 臨終直前の生きていた肉体は、確かに一秒前、二秒前には生きていたのですが、一秒後、二秒後には間違いなく、もう死んでいるのです。

 呼吸が停止し、脈拍は止まり、やがて肉体は冷たく冷えきって、もう再び、眼を開くこともなく、息をする事もありません。そして口は、堅く閉ざされ、何事も語ろうとはしません。
 これは肉体から生命が離れ去ったからとしますが、本来は肉体を霊体の遊離が開始され、それが完了したと言う事になります。

 さて、こうして生が終焉
(しゅうえん)したのでありますが、ここで大事な事は、《霊主体従》《体主霊従》の違いで、同じ生を終焉するにも、両者は還(かえ)るべき所が異なっているので、各々は異なった異次元に回帰します。
 こうした次元の違いも、本来は生きている人間の人生修行の重要な課題なのです。



●死は咽喉の渇きから始まる

 人間の誕生は「焦がす」という《火》から始まりますが、死はその《火》が消える事を言います。精液と言う《水》かが生じた生命力は、「焦」が尽きると「末期(まつご)の水」を必要とします。
 「末期の水」とは「死水
(しにみず)」のことであり、「末期」とは、「死の寸前」のことであり、この時に「渇き」が起こり、死に行く人の唇を湿らせてあげることを「死水」といいます。

 この行為を「死水を取る」と言い、世俗では転じて、「死の最後まで世話をする」等の意味が生まれました。これは「別れの水盃
(みずさかずき)」等の意味にもとられるようになりました。
 こうした言葉の起こりは、陰陽道
おんみょう‐どう/古代中国の陰陽いんよう五行説に基づいて天文・暦数・卜筮・卜地などをあつかう方術。平安中期以後、賀茂・安倍の両氏が分掌)の基本思想である「火水」の思想から発したもので、「水・火の二気交わりて万物生ず」の理(ことわり)からして、人の死は「新しい創造」を意味するものでした。

 臨終に際して、天より降った陽気である生命の火に、地より湧き出
(いず)る水の陰気を混ぜ合わせる為の最後の「洪水(こうずい)」が「末期の水」なのです。
 しかし「末期の水」という言葉は、大仏教辞典には存在しません。本来は道教から発した言葉と思われます。また神道では「死は新たなる門出
(かどで)」と称され、次の生命の誕生を意味する言葉として用いられます。
 その最後において、「末期」から通じる未来の行く手を浄める為に、臨終を迎える人の唇を湿らせてあげる事は、素晴らしい「水」がそこに在
(あ)ると言うことになります。

 自然死の場合、まず今まで焦がしていた「下焦」の会陰
(えいん)が閉じられ、その生命力は「中焦」の神闕(しんけつ)を通って、「上焦」の泥丸のブラフマが開かれ、霊体は体外へ出て行きます。
 そしてこれが完全に出切った状態で、肉体と霊体を繋
(つな)ぐ霊線(れいせん)が切断されれば、これが霊的に言う「死」ということになります。

死と霊魂の離脱。幽体離脱の際、シルバー・コード(シルバー・レイ)と言われる霊腺(霊線)は確認することが出来ない。しかし、心臓と霊体の霊腺は繋がっており、脳と霊体が繋がっているのではない。脳はあくまで、肉体の神経系の一部に過ぎない。

 シルバー・コード(シルバー・レイと言う霊腺れいせん/霊線)について、実際に確認されたと言う事例は非常に少ないようです。したがって巷(ちまた)では、様々な憶測が飛び交い、また誤解や、誹謗中傷等が渦巻いています。その最も多い誤解が、幽体離脱あるいは体脱中に、霊腺が切れてしまったら、魂が元に肉体に戻れないのではないか、そして、そうなったら、死ぬのではないかと言う、憶測が渦巻いていますが、これは明らかに誤った認識であると言わなければなりません。

 幽体離脱等を含む体脱と、霊魂の離脱は根本的に異なり、体脱中にシルバーコードと言うものが、確認されたと言う実例は殆どありません。
 しかし、死を境にして、肉体波動と霊体波動の分離が行なわれ、霊腺が離脱中に切断されると言う霊視の報告はあり、死と幽体離脱は根本的に異なっていると言うことです。

 もし、体脱状態になって、脱魂状態が訪れ、魂が肉体から抜け出し、空中あるいは地下に向かって浮遊したとしても、それはあくまで個人の生活体験が描いた想念の世界であり、これは想念の範疇
(はんちゅう)における空間三次元体験に過ぎません。

 万一、体脱状態にあって霊腺が切れて、元の肉体に戻れなかったとしたら、これは霊腺が切れたから戻れなくなったのではなく、戻れなかった人は、他の病気で霊腺が切れて病死したと言うことになります。
 認識すべきことは、死の直後に遣
(や)って来る肉体波動と霊魂波動の分離に際して、両者を繋(すな)ぐ霊腺と、幽体離脱等による体脱中の空間三次元体験による意識の忘我的遊離ecstasy/魂の脱離あるいは忘我の神秘的状態を指し、フィロン・新プラトン学派・中世神秘主義思想家の重要な概念)とは、全く違うと言うことを理解しなければなりません。



●死を致すとは

 死とは、生ある者にとって、遅かれ早かれ確実に遭遇する必然ですが、人間にとって、これほど壮絶で、無気味な命題はありますまい。
 生まれた者は必ず死ぬ。この命題に対して、これより逃れた人は、人類史上、誰も居なかったと言うのは明白な事実です。

 かつて権力の頂点を極め、傍若無人
(ぼうじゃく‐ぶじん)に振る舞った、時の暴君でさえも、また、栄耀栄華(えいよう‐えいが)を極めた大富豪でさえも、未(いま)だ死神を、一瞬たりとも躱(わか)し得た人は一人も居ません。

 人間の運命の糸を紡ぐペネロペ
Penelope/ギリシア神話の、オデュッセウスの妻)。かたやその糸を断ち切らんとするタナトスThanatos/ギリシア神話で、死を擬人化した神)の大鎌(おおかま)
 私たちは人生劇の中で、その終盤戦とも言える晩年の病の劇中で、そんな壮大な死のドラマを見る思いがします。

 オーストリアの精神医学者フロイト
Sigmund Freud/人間の心理生活を説いて、精神分析の立場を創始)は、人は生得的に生の本能と対立して、死(破壊)への本能衝動)を持つとしたのです。
 そして、人間の死は様々な人生模様の中で繰り広げられます。

 蝋燭
(ろうそく)の火が燃え尽きるように老衰での自然死、荒野を彷徨(さまよ)い旅に明け暮れた放浪死、己が生命を自らの手で引き裂いた自殺、古代イスラエルの民が娯楽として楽しんだ投石による処刑死、国法の大鉈が振るった斬首死、交通事故や天変地異で命を落とす事故死と、その、人の消滅点は様々です。

 しかしそうした人の死が、いずれにしろ、死が如何なる状況で設定されようとも、現実の肉体に襲い掛かる不条理の刃
(やいば)は、まさに宇宙の深淵(しんえん)の狭間(はざま)を覗(のぞ)き込むようなものであり、そこに浮ぶ、思想や観念は、私たち人間には遠く及ばないものがあります。そして肉体に感じる人の死は、単に戦慄(せんりつ)すべき五官だけにしか捕らえると事できない恐怖です。
 人はこの恐怖に、しばしば翻弄
(ほんろう)されます。

 確かに人の死は、その訪問の状況において、各々異なりますが、精神と肉体における筆舌に尽くし難い苦痛、そして死に逝
(ゆ)く様(さま)の千差万別な感得。こうした種々の死にざまが、錯綜(さくそう)し、混乱して、私たちに死生観を乗り越えられない苦痛を植え付け、生の未練と対峙(たいじ)して、死の恐怖を植え付けるものなのです。

 死とは、また肉体の機能を果さないこと、あるいは役に立たないことを意味します。だから錯綜
(さくそう)する死の瞬間のパターンは、人各々に様々なのです。

 死の瞬間を《臨終》といい、これを「死を致す」と言います。
 死の刹那
(せつな)、それが自らが望んだものであれ、あるいは強制されたものであれ、肉体の精神の相尅(そうこく)はもはや表現不可能な状態に陥り、死が訪れるやいなや、五官の意識は漆黒(しっこく)の闇(やみ)に閉ざされてます。

 そしてこの刹那にこそ、まさに現世と彼岸
(ひがん)を分ける明暗があり、「死を視(み)ること、帰するが如し」の、かつて来た道を遡(さかのぼ)って、自分の家へと帰って行きます。



●「まごころ」をもって信するところに人生の本当の意味がある

 人の死には様々な死に方がありますが、昨今特に目立つ死にざまが、「横死(おうし)」と言う事故死の一種です。人の死には、公的なものや私的なものが含まれますが、それに併(あわ)せて、横死と言われる不自然死が、特に目立ち始めました。

 古来より、死は何処にでも存在し、日常や非日常を問わず、ありふれた存在であり、さして珍しいことではありませんでしたが、これが近代に至る程、異様に捻
(ねじ)れて、憑衣・憑霊絡みの不自然死が殖(ふ)え始めています。

 一体、何が現代人を、こうした不自然死へと向かわせるのでしょうか。
 歴史の中で、私たちが決して見逃してはならないのが、「戦争」であり、戦争での死、あるいは戦争終結後の死等であり、多くは直接的には無縁でありながら、これに巻き込まれて死んだり、時の戦争指導者のように、戦争責任と追求されて、公的に処刑されて死んで行く事実があったことです。

 次に、時の権力者によって、権力の名に於いて執行される処刑死です。そして、こうした戦争を含む、残虐
(ざんぎゃく)な死は、酸鼻を極めた残酷な、人の死とは言い難いような、極刑に等しいものが少なくありませんでした。

 戦争での死は無惨なものですが、特に、戦争とは直接関係のない、非戦闘員の死は傷ましいものがあります。また時の権力によって、残虐された後に死に絶えると言った拷問
(ごうもん)死や、極刑に至る無慙(むざん)な死は、人間の痛恨の思いを超える悲惨なものがあります。

 喩
(たと)えば、左右両方手足を縛られて馬で引きちぎる四つ裂きの刑、車輪で粉々(こなごな)にする車輪粉砕の刑、油や湯で煮殺す釜茹(かまゆで)の刑、鉄板の上で炒(いため)殺す炒(い)り殺しの刑、高々と積み上げられた薪(まき)の上で焼かれる焚殺焚如(ふんさつふんじょ)の刑、生皮剥(は)ぎの刑(大東亜戦争末期、中国大陸では、生皮を剥がれた日本兵の死体が鉄道沿線沿いに赤い死体となって転がっていた)、溶解した鉛を口の中に流し込む拷問刑、轢死刑、溺死刑、斬殺刑、銃殺刑など、人間が考えられるありとあらゆる処刑法が考え出され、致死に至るバリエーションは実に様々です。

 そして人間は、どうしたらこんな残酷な方法まで考え付くのだろうか、と考えれば考える程、人間は如何に残虐な生き物であるか、そうしたことを思い知らされます。

 人が人を殺す処刑と言う通念は、人間が組織的社会を作り上げて以来、絶えることなく続けられ、現代に至っても、その暗黒的な思考は未
(いま)だ拭い去られていません。そして今日に至っても、過去の世紀と何ら変わらず、同様に踏襲(とうしゅう)されているのが実情です。

 時代を経て人間は、確かに知性を徐々に身に着けて来た分けですが、死刑は未だに世界中何処にでも存在し、権力の名に於いて、それが執行されています。その執行において、確かに極悪人に対して、かつて行なったような四つ裂きの刑とか、車輪粉砕の刑等といった一見残酷で、ドラマチックな死刑執行は行なわれなくなりましたが、死を強制する意味において、前近代的な時代と何ら変わりなく、死に値する犯罪者の処罰はハムラビ法典的であり、かつ、仇討ち的な思想が未だに根強く残っています。

 前近代と比較して、強
(し)いて相違を見い出すならば、処刑具が近代化されたことであり、現在行なわれている処刑には、国々で多少の相違はありますが、絞首刑を始めとして電気椅子殺刑、斬首刑、銃殺刑、ガス殺刑等があり、その根底には、やはり報復的な性格が強いことが否定出来ません。

馘枷(首枷)の刑。人の首(頸)にはめ、自由に動けないようにする鉄または木製の刑具。

 こうした処刑の背景には、権力体制に与(くみ)しなかった者への見せしめ的な役割もありますし、また、社会の枠(わく)から食(は)み出した者に対して、理由の如何を問わず、無法者は総て駆除(くじょ)すると言う危険な思想が現代にでも残っています。
 そして、こうした考え方の根底には、悪人は悪人なるが故に悪を働くという、危険な考え方が流れており、総
(すべ)べて命を奪い、駆除することで、世の中が少しでも静かになると言う、《性悪説》からなる報復的性格が残っていることが否(いな)めません。
 果たして処刑された悪人達は、あの世で改心し、成仏をしたのでしょうか。

 教育をもって、《性悪説》を強化する荀子
(じゆんし)の性説に対し、孟子(もうし)は《性善説》で、これに対立しました。
 人間の本性は善であり、仁・義を先天的に具有すると考え、それに基づく道徳による政治を主張した孟子の《性善説》は、真っ向から荀子の《性悪説》に対立します。そして「法」というものは、もともと《性悪説》から構築されている事が解ります。

 これに対して陽明学では、悪人を善人にする唯一つの方法は「信ずるにある」と説きます。
 「まごころ」を以て、ただひたすら「信ずるにある」と説くのです。
 本来ならば、悪人であるから「信じられぬ」とするのが、世の常識になっていますが、陽明学では「信ずる」から悪は働かないと、こう定義するのです。これがまた、陽明学の優れたところです。

 陽明学では、信は動いて「愛となる」と説きます。つまり「まごころ」を以て死生観を超越するのです。しかしこれが克服できなかった場合、どうなるのでしょうか。
 そこには「疑い」が生じ、「憂い」が残ります。

 憂いの根源は「疑い」ですから、人は疑うことによって恐れ、迷い、苦悩するのです。これは信念の欠如であり、やがて信念の欠如は病気を招き、病気を恐れ、憂い、長引かせる要因をつくります。したがって病気は重くなり、恢復
(かいふく)不可能な、消し難い苦悩の対象となります。

 また疑いは、憂いを齎
(もたら)すばかりでなく、善人をも、悪人に仕立て上げてしまう危険性があります。世の中が混沌(こんとん)として乱れる最大の原因は、こうした「疑い」によって、人は自ら不幸現象をまき散らしているのです。

 また事業は憂いによって崩れ、農作物もこうした現実から、実
(みの)りが悪くなります。総て現世は、「疑い」によって捻(ねじ)れが生じます。悪人は、益々悪事を働き、一層狂暴化して、兇悪(きょうあく)になり、各地で無差別犯罪が多発していきます。目には目を、歯に歯をのハムラビ法典的な復讐(ふくしゅう)並びに報復は、最早通じ難い時代になって来ています。

 今日の犯罪が、過去に比べて低年齢化し、狂暴化し、兇悪化ていることは、信念を失った人間が益々増加していることを物語っています。悪人すら、迷い、悩み、苦しむのです。

 現行法は「信」において、現代社会は大きな欠陥があるからです。
 しかしながら人生は「信」からなっています。世の乱れは「信」の欠如です。
 これを修正し、元来の軌道を復元させる為には、「信」を取り戻すことです。悪人を善人に移行するには、唯一つ、「まごころ」を以て信ずることです。

 「まごころ」とは「寔
(まこと)」であり、陽明学の言う「無善無悪説」です。
 悪人だから信じられぬというのは、今日の世の常識となっているようですが、この常識は誤りであり、悪人だからこそ信ずる対象にするのです。信ずるから悪を働かないのです。
 そしてやがて、その信は、動いて、「愛」へと転じます。この愛は、総
(すべ)てを潤し、総てを充(み)たすのです。これが陽明学の言う「まごころ」です



●陽明学の説く「まごころ」

 陽明学とは、明代の王陽明(1472〜1528)が唱えた革命的な儒学の一つです。
 陽明は、最初朱子学の性即理説に対して、心即理説を唱え、後に致良知説、晩年には無善無悪説を唱えました。朱子学が明代に入って形骸化したのを批判しつつ、明代の社会的現実に即応する理
(知行合一や事上磨練など)をうち立てようとして陽明学が興(おこ)り、やがて、経典の権威の相対化、欲望肯定的な理の索定等の新思潮が生れたことに、この学問は起因します。

 そして日本では、江戸初期にこの学問が伝わり、中江藤樹
なかえ‐とうじゅ/江戸初期の儒学者。日本の陽明学派の祖)がその粗となりました。のちに熊沢蕃山、三輪執斎、佐久間象山・高井鴻山ら、また大塩中斎(平八郎)、吉田松陰らに受け入れられ、幕府の権威の相対であった朱子学に対して、革命的な知行合一や事上磨練(じじょう‐まれん)が倒幕運動の原動力となり、まがりなりにも日本は、吉田松陰の海外事情に意を用い、歴史の中で近代を迎えることになります。

 当時の日本が欧米列強に対して、意の儘
(まま)に日本を植民地化させないと奮戦したのは、吉田松陰の『海防論』に拠(よ)るところが大きく、幕藩イデオロギーが増幅されて、封建体制を終焉(しゅうえん)させたことは周知の通りです。

 しかしながら、『海防論』の背後には、松陰独自の「諌幕論」が流れており、彼は毛利家や幕府に非がある場合は、諌主、諌幕のために「一誠
(いっせい)兆人(ちょうじん)を感ぜしめ」と云い、誠(まごころ)を尽くして、それに感じない者はいないという信念を持っていました。これが陽明学の言う「まごころ」であり、「信ずること」なのです。

 信じるという事は、理論上で、あるいは口先だけで唱えるのではなく、それを行い、生涯貫いてこそ大きな意味があるのです。

 人は、縄を以て縛り、肉体の自由を奪うことは出来ますが、縄を以てしても奪うことの出来ないものが精神であり、「まごころ」です。
 そして人の心を縛り付けるものがあるとするならば、それは「まごころ」に貫かれた「信」であり、前漢の歴史家であった司馬遷
しば‐せん/前漢の歴史家で、武帝の時、父談の職を継いで太史令となり、自ら太史公と称した。李陵が匈奴に降ったのを弁護して、宮刑に処せられたため発憤しら。のちに父の志をついで『史記』130巻を完成した)の『史記』には、「士は己(おのれ)を信ずる(知る)人のために死す」とあります。

 人の世の、人と人の交わりの根源は「信」であり、「信」こそが大事をなす原動力なのです。
 信ずるところに神が現われ、信ずるところに「まごころ」が生まれます。信ずれば物事は成就し、憂い、疑えば物事は崩れるのです。

 しかし高度に組織化された現代社会にあっては、複雑な法規制が蔓延
(はびこ)り、迷宮のように張り巡らされた法の網は、社会の枠から食(は)み出したアウトローを完全に駆逐し、駆除てしまいます。そしてこうした完全駆除は、後世にシコリを残す結果を生み出します。
 こうした現状が、既に個人単位でも生き辛さを感じ、現世に生きる事は相当な努力を払う破目になりますが、ともすれば現代人は些細
(ささい)な躓(つまず)きから、法治国家の法社会の枠外へと、弾き出されてしまうことがあります。

 かつて法社会の枠から食み出してしまったアウトロー達は、掠奪、暴行、殺戮と、ありとあらゆる悪業を繰り返した後、最後は追い詰められて、囚
(とら)われの身になり、集団暴行によって殴り殺されるか、縛り首になって吊るされるか、あるいは膾(まなす)のように切り刻まれて、この世を去っていくのがおちでした。

 これは法治国家の組織化であれ、自警団的な市民組織の組織化であれ、明らかに報復的な理由から、悪と名の付くものを駆逐し、駆除し、抹殺して来た分けですが、アウトローにとって、それが私的なものであっても、公的なものであっても、いずれにせよ同じものであった分けです。

 改心の機会すら与えられず、死んで行く悪は、後世に憑衣・憑霊となって、未
(いま)だに成仏できず、現代人に昏(くら)い翳(かげ)りを投げかけ、錯綜(さくそう)と混乱を齎(もたら)します。
 それは丁度、関東に威を振った平安中期の武将・平将門
たいら‐の‐まさかど/伯父国香を殺して近国を侵し、939年(天慶2)居館を下総猿島さしまに建てた。文武百官を置き、自ら新皇と称し、関東に威を振ったが、平貞盛ならびに藤原秀郷に討たれた)が関東地方の地縛霊となって、大東京を呪ったように……。

 後世の言い伝えによりますと、将門は四条河原で梟首
きょうしゅ/斬罪に処せられた人の首を木にかけて晒すこと)された後、その首はやがて天空を駆け上がり、血を滴(したた)らせた憤怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)の儘(まま)、関東の地を目指して飛んで行ったと言われます。


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