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波瀾に生きた私の履歴書 1
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波瀾に生きた私の履歴書 1

波瀾に生きた私の履歴書




『私の履歴書』は、平成25年版の有段者を対象にした「武義録」に掲載されたものである。
 此処には人間として生きるために、胆力を養うことが“人の修行”であることを掲載した。

 人が生きるとは、一体どういうことなのか。
 また、人生での闘いは、総て自分ひとりで引き受け、奉仕者として、人民の楯
(たて)になることが真の意味での「よって以て死ぬ」という大旆(たいはい)を掲げることになる。それを観ずるのである。
 これは本来の「心」の本質であり、その本質を慧悟
(けいご)することこそ、道の理想である。
 それは則ち、「信」によって悟得するのも、また善をも簡
(えら)ばず、然(しか)も悪を棄てざるところ、つまり「跡のない」ことこそ、生命の本質なのである。
 古人は、これを「無」と言った。



 波瀾万丈という生涯の形容は、自ら語るものでなく、それを周囲から見た第三者が、その人の「人となり」について表するものであるかも知れない。
 しかし筆者においては、生まれつきの天性が「波瀾万丈」であったらしく、ついにその生涯の軌道を選択してしまったように思うのである。
 では、いつ選択したのか。
 『予定説』に説かれる通り、宇宙開闢当初から予定されていたのかも知れない。そういう軌道の人生を辿ったことは事実であった。
  



●平成二十五年一月に記す

 この世に生を享(う)けて、六十六年の歳月が流れた。
 この六十六年を振り返り、能
(よ)く生きたとも思わないし、そうかと云って、いい加減に生きて来たとも思わない。そして更に振り返れば、恥多きこと、屈辱多きことの反芻(はんすう)が疾(はし)るのである。
 自分の一生が「何だったか?……」を振り返れば、一方で誤解の連続だった。侮
(あなど)られ、人から誤解されることが多かった。
 しかしこの誤解に対し、一々抗弁したり弁明しようとは思わない。

 誤解は誤解のままで、あるがままに受け止めるしかない。どう抗弁しようと、誤解を完全に訂正することは出来ないからである。
 人間は自分のこと以外に、他人を理解することは中々出来ない。自分のことしか考えない人間を「自己中」などと批判するが、そもそも人間は自己中心的なる生き物ではないのか。それは否定出来る訳があるまい。根底には自分だけが正しく、他人はみな間違いであるという意識が根付いているからである。その最たるものが、自分の信仰する宗教であろう。自分の信仰こそ正真正銘なるもの……という自負で人は信仰をするものである。

 自分だけが正しいものを信じ、他は総て間違いであるという意識である。宗教における「信心」という意識は、自己中を露
(あらわ)にしたものである。
 人は思い込みによって生きる生き物であると云える。
 それゆえ誤解を生む。
 誤解がやがて侮蔑とともに一人歩きし、面白おかしく伝搬する。捏造
(ねつぞう)に捏造が重なり、誤解が解けないくらい大きくなっている。そうしたものに抗うことは不可能に近くなる。
 否定出来ない以上、それに抗うことは無駄である。されるがままでいいし、あるがままでいい。そうして受け流せば済むことである。
 私の場合もそうした誤解は抗弁せず、されるがままに任せてきた。言い訳も弁明もしない。

 私の晩年の心境に、「抗弁もせず、また弁解もせず」と言う人物に、玄洋社出身の広田弘毅
(ひろた‐こうき)が居た。私の心を大きく打ったのは、広田弘毅が東京裁判(極東軍事裁判)で、絞首刑になる際の死に際(ぎわ)の態度だった。
 東京裁判はもともと戦勝国がでっち上げた事実無根の捏造裁判であったが、この捏造事項に、広田は一切抗弁することもなく弁解もしなかった。無罪は事実でありながら、自身が無罪とも抗弁しなかったのである。
 広田の場合、どうも検
(み)ても無実であり、また、彼がただ一人の文官だった。戦争を企てたとする戦争犯罪人でもなかった。
 ところが彼に下った判決はA級戦犯として有罪となり、言い渡された判決は死刑だった。
 この死刑判決ですら、彼は抗弁しなかった。死刑を覆
(くつがえ)すには先ず加害者が、自分の無実を主張することである。無実を訴えなければどうしようもない。無実の主張により、はじめて弁護人は被告人を弁護出来る。
 ところが被告人が無罪を主張しない場合は、弁護のしようがない。検察側の求刑通りの判決が下る。
 広田は自分の無罪を主張しなかった。
 しかしである。

 どうして彼は絞首刑にならなければならなかったのか。
 これに頸
(くび)を傾げる常識派の法曹界の人々は多い。確かに無罪だろう。
 アメリカ主導の強引な戦争犯罪人を裁く裁判においても、広田弘毅に犯罪の跡は見られない。あの裁判からしても無罪である。しかし広田は、自らが無罪であることを主張しなかった。その抗弁をしなかった。アメリカ側の指摘のまま、その捏造に反論することもなく、これを毅然
(きぜん)として受けた。
 巣鴨で絞首刑になった多くは「万歳」を叫んで死んで行った。
 ところが広田は、万歳ではなく「漫才」だった。

 漫才に思えるほど、この裁判が滑稽であるばかりでなく、この世の中が“ろくでもないところ”であるとの認識で、彼はこれを漫才と受け取る以外なかったのではないか。
 その意味からすれば、彼が万歳ではなく、漫才と叫んだ意味はよく分かる。
 裁判での弁護人の弁護は、容疑者が無罪を主張しなければ発動されない。無罪を訴えなければ、弁護のしようがないのである。
 広田は無罪を主張しなかった。敢えてしなかったようにも思う。彼は東京裁判の茶番を見抜いていたのであろう。

 では、無罪を主張しなかった理由はなにか。
 此処に広田のサムライとしての毅然さがあるように思う。済んだことは、四の五の云わない潔さがある。言い訳を嫌った観がある。
 戦勝国の種々の指摘の誤りは論外にしても、広田は玄洋社の一員であり、また駐ソ大使を歴任した。
 更に斎藤実
(さいとう‐まこと)、岡田啓介(おかだ‐けいすけ)両内閣の外相を勤め、2.26事件後、首相となり内閣を組閣し、その後も近衛文磨(このえ‐ふみまろ)内閣時代の外相を勤めている。
 同時にこの時、軍部は暴走した。
 特に、陸軍の暴走や暴挙を広田は阻止することが出来なかった。その自責の念は深かったであろう。
 これに深く責任を感じて居たのである。当時の首相として、その責任を感じたのである。

 軍事裁判においては確かに無罪だったであろうが、無罪を主張しなかったために、広田は絞首刑になることを覚悟していたようだ。峻烈
(しゅんれつ)な人生観と言えよう。
 広田弘毅は福岡県出身で、玄洋社とも関わりが深かった。
 また、玄洋社は頭ごなしに極右の筆頭と看做
(みな)され、国粋右翼のレッテルが貼られていた。これは明らかに進歩的文化人や、それに入れ揚げる歴史学者の捏造である。
 日本と言う国が、かくも此処まで弱くなったのだろうか。
 振り返れば、日中戦争、大東亜戦争
(米国の言う太平洋戦争)、そして大日本帝国の敗北。敗北に伴う東京裁判。この東京裁判こそ、戦勝国が敗戦国を裁く一方的な裁判だった。
 日本の屈辱史も、この流れの中にある。

 しかしこの屈辱史は、もう歴史の彼方に押しやられつつある。日本人の国民的かつ民族的意識の過誤は、抗弁されることを認められないまま、歴史の中で闇から止むへと葬り去られた観がある。
 悪の濡れ衣は、未だに霽
(は)らせないままである。
 これを悪として指弾するなら、悪に甘んじ、悪に徹する道を日本は選択したように思える。いつの間にか悪のレッテルが貼られ、事実無根のまま「悪」にされてしまったのである。悪にされたまま潰える人生もある。
 しかしそれでも弁明の一つもしない。そういう死に方があってもいいだろう。
正か邪かは、その後の歴史が解決してくれるからである。本人の知ったことではない。
 私は、そう言う生き方があってもいいように思う。覚悟の上の生き方があって
もいいように思う。
 パウロの黙示録の冒頭にはこうある。

人間は災いなり、
罪人は災いなり、
なぜ、彼等は生まれたのか。

 パウロが繰り返して云う「災い」とは人間そのものを指している。「想念」に迫る上で、パウロの言葉は重要な意味を秘める。
 私は長い間この言葉が、いつも呪文のように纏わり付いている。六十の半ばを越えた今でもある。そして繰り返し問い掛けて来る。耳から離れない。
 人間はこの世の苦海を生きる所以である。人間は、自分をどう繕
(つくろ)ってみても高が知れている。
 偽善者を装い、正直者を装っても、それには底が見えている。その意味からすれば、ダンテの『神曲』に出て来る「地獄巡り」にも似ていよう。
 ダンテの『神曲』という詩の中には組織の案内者としてある先達が登場し、先達に導かれて地獄に入る門に至るのであるが、これが悲しみに至る都市への入口になっている。

 しかし現実には地獄に入る悲しみの入口など無い。
 したがって作者は、あらためて「ここに入らむとするもの、一切の望みを捨てよ」と断言し、これがこの世の一般社会の中に同居していて、社会の側面を形作っているのである。
 この門は大社会のそれであり、人間社会そのものなのだ。
 その門のうちに人間社会の縮図が繰り広げられ、そこには金融機関の頂点を占める大銀行があり、各国政府の官庁があり、それを総括する国際機関があり、また大富豪たちの邸宅が、あるいは閣僚の別荘などが優劣を競い合って、底辺の貧者を圧している。あたかも貴族は犇めく「雅の世界」に見える。

 これらはまさにダンテの『神曲』を彷彿
(ほうふつ)とさせ、そこに登場する地獄の大魔王さながらである。そして登場人物の貌(かお)には、三つの貌がある。
 登場人物のそれぞれには、亡者を噛
(か)み砕くような恐ろしい形相は無い。誰もが優しい笑みをたたえて知性に溢れている。また、こうした形相の持ち主には、女性が惚れ惚れとするような奥床しいマナーがあり、更には、紳士然とした毅然さがある。
 頭脳は明晰
(めいせき)で、学閥も世界のトップに君臨する有名大学の出身者で、判断力に優れ、次から次へと提出させる案件もてきぱきとこなし、かつ裁決が出来、講演の壇上に立たせると即座に明快なる論旨の議論を展開し、またスピーチに優れ、有名人のパーティに引き出されれば、お歴々を前に豪華なサロンに坐しても引けを取らない貫禄があり、それだけの存在で荘重なる雰囲気を醸し出せる。
 まさに中心的存在であり、人間社会では集団指導制の中で群れを率いるリーダーである。
 民主主義社会では、こうしたリーダーの登場を需
(もと)めている。

 しかし、それは素顔ではない。偽貌である。他人を欺く、偽なる貌である。
 組織という略称が横行する場合、そこにある貌は偽貌である。善人を装った偽貌である。
 庶民は偽貌に弱い。
 上は政治家から、下は芸能人に至るまで、人間社会で作り出される貌は総て偽貌である。実貌ではない。
 民主国家では、国民が愚民であればあるほど、愚人にコントロールされる側面がある。人の世は、愚人が賢人の貌をして愚人をコンロロールしている世界でもあるのだ。
 それゆえ愚人先行型社会では、真なる賢人が悪党として葬り去られ易い。

 また政治にも利用され、愚民の笑い者にされたりする。
 私は、六十六年の人生において、そうした「悪のレッテル」を貼られて、闇に葬り去られた人物を何人も見てきた。この世でのは、出る杭
(くい)は打たれるのだ。
 現代社会はそして、何が善で、何が悪か釈然としない時代である。多数決の論理が働く所以である。
 白が黒にされ、黒が白になることだってある。
 人の噂が先行し、誤解が実しやかに語られ、いつの間にか善が悪になり、正が邪にすり替えられている。
 こうした世の中に、このろくでもない世界に未練を残すのは愛憎に塗れる愚人ばかりである。
 愚人の固執は、死から逃れるばかりに奔走する。医療保険や生命保険などは、これを克明に物語っているではないか。未練の世界である。諦めの悪い世界である。死に惜しみをする世界である。
 こうした世界に嵌まれば、まさにダンテの『神曲』の世界であり、堂々巡りの輪廻を繰り返そう。



●権威主義

 現代人は物欲の時代である。
 かつてのどの時代に人間にも無かったような、組織内での肩書きや地位や名誉にこだわり、それに財産や家族、その他、物財の溺れて様々な重荷を担ぎ回っている。そして、担ぐだけならまだしも、悩み、迷っているのも凡夫というか、愚人の悲しさである。捨てれば楽になることを知らないからである。
 この世に、捨てれば楽になるものは数多くある。それを捨てずに担ぎ回っている。
 これこそ物欲の時代の特徴である。
 物欲は人間的成長に伴って、本来は、命すら捨てる存在だった。
 人間の「死の哲学」は、死から逃げ回ることにより、生の哲学にすり替えられた。
 私自身、こうした娑婆
(しゃば)の矛盾に翻弄(ほんろう)される嫌いがある。いつも脳裡(のうり)の片隅に残っているのは、かつては人生五十年と云われながら、私は随分長生きをしたように思うし、そろそろ娑婆とはお別れかな?と思うことがある。長生きの結果、見なくていいものまで見なければならなくなる。

 また、見なくていいものに公私混同がある。おそらく時代が変わったのだろう。蹤
(つ)いて行けない箇所が多々ある。長生きをし過ぎた所以であろう。長生きしても、いいことばかりではないのだ。
 そう思うと、もうこの辺が娑婆との切り上げ時かな?と思うことが多くなった。
 それに意気投合出来る仲間も居なくなった。
 意気投合出来る仲間が居ないということは、酒を飲んでいて、千葉県の名物の油饅頭を食わされているようで、実に遣る瀬ないものである。しかし油饅頭ならまだいい。

 最近は、焼酎を飲みながら白砂糖たっぷりのケーキを食わされているような気がしないでもない。また、白米飯に粉チーズをふりかけたり、「朝食をきちんと摂れ」という現代栄養学重視の世の中に誰が被害者で誰が加害者か分からなくなる。
 それだけ現代人は筋を通すことを忘れ、迷いっぱなしで堂々巡りしているということを思い知らされるのである。未練の引き摺
(ず)った世の中と云えよう。
 しかし、迷いっぱなしでは、決して「けじめ」はつけられまい。物事には、初めがあり終わりがあるのだ。始めと終わりの終始を併せ、「人生の貸借対照表」の帳尻を併せて、はじめてけじめが付けられるのである。
 迷いっぱなしで、生死の解決をすることもなく生涯を終える現代人は、再び六道
(りくどう)を輪廻して迷いを繰り返すことになるのである。これこそ、終わりなき生き方と云えよう。愚かという他無い。

 感慨深く、広田弘毅の生き方を思料すると、やはりこの人物は「けじめ」を付けた人間ではなかったのかと思うのである。こうあってこそ、人生は完結する。
 まさに自己完結性を持った人生だったと思うのである。
 かつての吉田松陰の死も、そうした死に方ではなかったか。
 彼は三十にして、千年杉のような老木が倒れるように自己を完結したのだった。松陰の著した『残魂録』
(留魂録)には、このことが明確に記されている。

 さて、私自身自分のこれまでの足跡を振り返れば、よく大東流なる武術を猛稽古したと思うのである。ある時期、その日々が猛稽古だった。毎日が臨死体験の連続だった。地獄を見る思いだった。
 この武術を修行したことは、別に好きだったから遣った訳でもなく、また嫌いだったからという訳でもないが、猛稽古故に、何度か死に懸かったことがあった。

 武術は、そもそも臨死体験をする武儀を学ぶものである。
 武儀の「武」は戈を止める意味であるが、安穏とした安全地帯に居ては戈は容易に止められない。命を張って、はじめて叶うものである。命を張る以上、死も覚悟しなければならない。死者の気持ちになって、人の「生」を考えねばならない。
 死を、武術を通じて体験することである。
 剣を打ち込まれ、一歩間違えば命を落とす局面は往々にしてある。それを紙一重で捌き、わが身を護らねばならない。その絶妙なる捌きを、古人は能
(よ)く稽古した。
 当然、命を賭けて然
(しか)るべきものとなる。
 それ故、私が学んだ当時の昭和三十年代後半から四十年代の半ばに掛けて、武儀を学ぶということは、命懸けの猛稽古を要求された。猛稽古故に、常に側面には死を体験する臨死の状態にあった。臨死を体験して次のステップへと這い上がって行く。這い上がらねば脱落するだけである。

 この時代は、こうした稽古をするのが当り前だった。
 しかし、この当時の稽古は、決して今日の現代に通用するものでない。また、こうした地獄を見るような恐ろしいことを今の若者に要求する気持ちも無い。
 そもそも修行と、トレーニングは根本的に異なっているからである。昨今のトレーニングは練習の範囲を出るものでなく、生きること、人命第一がトレーニングのゲームの愉しみになっている。
 しかし往時の稽古は違う。
 一言で、凄まじい。稽古自体が臨死体験をする猛稽古であったからだ。
 臨死体験を今の現代人に何度説明しても言葉では解るまい。臨死体験を体験するのに安全第一では、到底体験することは出来ない。

 一歩間違えば、あの世行きという状態に自らを追い込み、そこから見事、九死に一生を得て蘇らなければならない。この蘇りの中に、死中に活を得るという境地が分かって来る。
 この境地を得とくしたことは、以降の私の人生に大いに役に立った。何しろ、これを会得すると、窮地に追い込まれても、死なずに済むからである。これは私にとって、大いに役に立ったのである。戦い方に役に立ち、覚悟するときに役に立った。涼やかで潔く生きることも理解出来るようになり、土壇場で、何を諦め、何に望みを繋ぐかが解るようになる。

 それは武術の応用編というべきもので、人生には様々な段階で死ぬような局面が現れる。その局面を乗り切ることが出来るからである。
 私の場合、己
(おの)が人生を振り返れば、元々無一文から始まり、裸一貫で道場を作り上げ、個人教伝などを通じて真の門人を得た。門人の果たした役割が、これまで非常に大きかったからである。

 一般に門人と云えば、道場に通う道場生のことを言うと思われるようだが、門人と道場生とは大きな隔たりがある。
 本来の武術修行は、伝統的な見地からすれば、両者は大いに異なる。門人は弟子がだ、道場生はお客さんである。つまり、門人は店の店員であるが、道場生は店を贔屓
(ひいき)にしてくれる顧客である。これくらいの隔たりがある。
 大東流の指導の特長は、今日に見る道場生に対し、一斉指導をする形式は、昭和六十年頃まで一切執られなかった。この武術集団で存在したのは、師匠を頂点とする縦の繋がりであり、横の繋がりを持つ道場生という形式での指導は伝統的に行われなかった。柔道のような大衆化の「裾野広げ」の指導形式に改められたのは近年のことである。
 この武術集団が行ってきたのは「教伝」という形式の、「縦の繋がり」を重視した指導法である。これは伝統的なものだ。柔道のように、明治以降に組織的な形式で裾野を広げたものでない。
 あたかも陽明学の、「伝習」という特殊な哲学指導法にも共通するものがある。先生と生徒の「一対一」である。

 陽明学には『伝習録』という教えが存在する。
 先生と生徒の問答形式であり、これが「学問」の要素を構築した。自ら学んで、師匠に問う。これが学問の問答形式である。そこには当然、権威が存在する。
 『伝習録』は、一般には王陽明の語録と解されているが、書簡の一種であるだけでなく、伝えるという方法に一つの方法論があり、これは陽明学を伝える上で大綱的な役割を果たしているのである。一種の建学の綱領である。これは師匠と弟子の「一対一の教伝方法」を論じており、その伝統の中に、「建学の綱領」が後に裾野を広げたと云える。それは、実は革命的であったとさえ云える。特異な考え方をするからだ。

 その代表的なものが「知行合一」であり、此処が先ずその辺の学問とは異なる。単なる西洋に対しての東洋哲学ではない。その意味では朱熹
(しゅき)の朱子学とも異なる。
 陽明学の説く知行合一は、まず実戦し、行動することを旨とするからである。それを明らかにする。
 また、その裏付けに「不言実行」がある。

 わが流には、長年言い続けられてきた格言がある。
 それは次のようなものだった。

金のあるものは、金を出せ。
金の無い者は、智慧を出せ。
金も智慧の無い者は、汗を出せ。
汗も、何も出ない者は去れ。

 私が習い始めて、この格言は能
(よ)く使い古された言葉だった。今ではスポーツの世界でも、この言葉がよく使われるようだ。
 ところがこの格言は、今は廃れた。これを実行出来るものは殆ど居ない。
 端的に云えば、金は出さないが口ばかり出す者が多くなった。発言はするが、その発言に全くの裏付けが無いのだ。
 しかし、門人と云われる連中の中には不言実行を、わが身の修行として受け止める者が居る。自他離別ではなく自他同根である。そうした有志によってわが流は長年の伝統の中で支えられてきた。
 知行合一を知るからである。
 また知行合一は「攻防」の意味を、能く教える。それは攻めるにも防ぐにも、ただ無闇に精魂減耗するべき攻防を繰り返すのではなく、攻めに対して能く魔を禦
(ふせ)ぐのである。
 それは禦ぐべき「念」の強さだろう。思念が働くからである。念が深ければ深いだけ、烈しい攻めを能く避け得るのである。単に横の連帯的協力のみならず、縦の繋がりにおいて権威への防禦である。権威を防禦するには、金も懸かるし人智も必要とする。それに尽力もである。尽力とは目的達成のために、ある事に対し骨身を惜しまないことである。そのためには汗も流さねばならぬ。それが、何れも駄目ならば、所属する意味が無くなるからである。

鍛錬の場には、その人が形作る理想が形となって顕われてくる。刀術の攻防にも能く禦ぐものは鐔であった。一枚の鐔から道の理想が説かれている。

 では、権威とは何か。
 世の中で正真正銘の権威主義で成り立っているものは、武術などの稽古事をはじめとする道の理想を説く集団であろう。その集団の最高教義は「道の理想」である。道の理想には「秘訣」や「極意」が含まれる。これらのものは民主的な協議によって選択できるものでない。最終修練の集団の目的が履行されなければならないからだ。
 それは、その流派の流祖とか宗家とか、また家元で最終目的が履行されるからである。秘訣や極意に辿り着くまでには、その流れの源流を切り拓いた流祖が体得した道の理想があったからである。流祖が打ち立てた「何か」が存在したからである。この何かを得るのには権威主義の則らなければならない。民主的な協議で得ることは出来ないものである。
 そして「流派」というものは、流祖の得た「何か」に価値を認め、認めた者が参集したのが「武術集団」である。それを学ぶものが参集して、一つの集団の形式を伝統的に受け継いだものである。そこに「伝統」が生まれた。
 また、この「伝統」は協議に諮
(はか)って、決定されるものでない。況(ま)して多数決で決めるようなものでもない。そもそもそういう次元のものでないのである。

 武術の道の世界で、多数決による民主主義を持ち込めば無用の混乱が生じてくる。
 これを防ぐには正しい意味でも権威主義が必要になってくる。
 権威とは、人間に内在する智慧である。またその智慧は、何ぴとも認めざるを得ない道の尊厳性である。これは根本的に会社組織や国家運営と違っている点である。体勢の権力とは根本的に違うのである。
 そして罷り通るは「不文律」である。
 権威主義と表裏の関係にあるのは不文律であり、文を為
(な)さない無形の規則であり、これを則(すなわ)ち「礼」と言う。


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