運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
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続・刀屋物語 18

刀は尖端、横手筋より先の鋭利な部分を尖先きっさき/切先または鋒という字を用いる)と言う。そして鋒(きっさき)尖端に掛かる曲線状の部分を形状を「ふくら」という。
 また銘は、刀工の名前や生国、居住地や製作年紀などを明記にするため、中茎
なかご/茎とも)に切り記した文字を云う。

 更に茎尻
(なかごじり)は中茎の下端部分を云い、この形状は流派や刀工によって種々の形がある。
 そして中茎には区
(まち)より下部の部分は中茎に落ち難くするために鑢目(やすりめ)を設け、この線刻は時代や流派、また刀工により異なる。



●好事に巣食う魔

 好事魔が多しと言う。
 実に重みのある言葉である。
 私は初っ端
(ぱな)に当り籤(くじ)を引いてしまったため、これから顛落(てんらく)への道に向かって刀屋人生を歩くことになる。
 最初よければ、総てよしではないのである。
 人間は、たった一度いい思いをしただけで顛落するように出来ている。

 好事魔が多し……。
 一見いい事が起こったような“好事”に対し、また“ラッキー”なことに対し、それはこれから「反作用」が働く暗示だったのである。
 しかし暗愚な私は、“最初よければ、総てよし”を念仏のように信じていた。
 念仏は信じて、唱えるだけでは極楽往生出来ないのである。阿弥陀如来の西域に行けて、その膝元に縋
(すが)れる訳ではないのである。妄想に過ぎなかった。ここが一番恐ろしいところであった。

 博奕でも、最初“ツキ過ぎる”と、後で大きな“しっぺ返し”を喰らうのである。
 ツキ過ぎは決して幸福現象ではないのである。むしろ魔が忍び寄る隙
(すき)を狙われ、やがて反作用の仕業(しわざ)に苦しむことになる。
 しかし当時は人生に疎
(うと)かった。世の中を知らなかった。況(ま)して老練さなど皆無であった。
 故に、研師の吉藤清志郎先生のところに『平安城』を持ち込み、「銘がいい」といわれて、一瞬面食らい、その後徐々に嬉しくなり、やがて『平安城石道住正俊』の番付を調べ上げて上位であることに有頂天になり、ここで舞い上がってしまった観があった。そしてやがて好事魔が多しを地で行くような人生を体験することになるのである。

 山城の『紀州石堂』こと『平安城石道住正俊』は、私にとって、確かに心の拠
(よ)り所として精神の支えになっていた。そこに絶え間ない癒(いや)しを感じていた。
 『平安城』は、私と一心同体のような仲であり、人間の刀の魂の蜜月があった。
 しかしこれは蜜月に過ぎなかった。あくまで蜜月である。蜜月は最初のうちだけである。時が経てば、やがて飽きるのである。
 これは恋愛を考えれば一目瞭然であろう。

 幾ら自分が恋い焦がれても、時は変化を与え、変化は飽きを齎す。恋愛中は大変なエネルギーを遣いながらも、運良く恋愛が結婚に発展し、その後一年、二年、三年……、五年……十年と経つ間に、やがて倦怠期を迎え飽きが生じる。
 好事魔が多い所以
(ゆえん)である。
 そして下手をすれば、やがて訣別の時が遣って来る。

 夫婦喧嘩以上に、犬も食わない離婚騒動の泥仕合に発展する。更には離婚・訣別において、争議離婚における「慰謝料請求」と言う最悪な場面を迎える。普通、亭主側にこの悪夢は降って湧くようだ。反作用の所以である。
 慰謝料、養育費など金銭による鬩
(せめ)ぎ合いは離婚騒動の山場であるが、これがまた難所の山場で、泥仕合は此処に来て最悪のクライマックスを迎え、男女双方の争議は親戚一同を巻き込んで、見苦しい泥仕合にも一層の拍車が掛かる。

 だがもし、仮に二十年、三十年、四十年と続いていたら、その大半は“腐れ縁”であろう。あるいは諦めか、惰性であろう。
 つまり、仕方なしに……ということである。以降の恋愛はない。ここで恋は死ぬのである。もう再び、思い焦がれることはない。総ては遠くに行き去っている。過去に終わった遠い昔のことになっている。
 それだけに、以降も相思相愛は稀
(まれ)である。

 見合いの場合ならともかく、恋愛の場合は離婚率がグーンと高くなる。それだけ恋愛にエネルギーを使い果たし、心の気丈は疲弊
(ひへい)してしまったからである。
 人間は変化する生き物である。
 その変化は、決して振出しに戻ることはない。総ては御破算になって、もう一度最初から遣り直せる訳でない。過ぎたものは、過ぎたものとして進んで行き、過ぎ去って行く。もう元に戻ることはない。時間とはそういうものである。忘却だけに拍車が掛かる。

 人は変わるものである。
 そして人生の見方そのものまでもが変わって来る。年齢とともに変化する。
 あたかも肉体は変化するように……。
 人は、そのままで、変化しないと言うものではない。常に変化を求めている。同じ状況には満足しない。
 ところが変化の激変や変動にも、大変なエネルギーを遣う。これだけで、人生の三分の一ほどの運勢と運気を失う。心身が疲弊するだけの相当なエネルギーを遣うのである。

 これだけのエネルギーを遣うから、やがては遣い過ぎると、人生にも疲れて来るのである。運気を消耗したからである。
 また、その背景に、怪我をしたり、病気に罹ったりの不幸現象が忍び寄る。持病をもっていれば、悪化の一途を辿るだろう。反作用はそれだけの恐ろしい。
 差し詰め、その兆候として、男は腰痛や内臓疾患、特に痔瘻などは差の最たるもので、女の場合は精神的にも苦しめられるので、婦人病特有の症状が早期に顕われ、生理不順や肩凝りや腰痛、冷え性などの病的現象が顕われてくる。

 特に、腰痛を患っている場合は、付き合っている恋人との過度な性交が原因であり、そのため左右の腰のバランスが悪くなり、何れかの脚の長さが違ったり、腰の左右の何れかが吊り上がり、歩く姿を後ろから観測すると、左右の脚の何れかが引き吊るような歩き方をして、腰の動きが滑らかな円運動になっていない。股関節を痛め、股関節亜脱臼をしているためである。こうした話は、知人の整形外科医や柔道整復師からよく聴く話である。

 この亜脱臼は、やがて冷え性などに繋がり婦人病特有の症状が、既に二十代早々で顕われ始める。慢性病の生涯罹病である。
 一般に慢性病と言えば、生活習慣から起こる成人病を指すようであるが、腰痛、肩凝り、冷え性、痔瘻などは慢性化する病気の中でも、一旦罹病すると完治することなく生涯背負って行くものとなる。

 では、何故成人病を背負うに至ったか。
 特に云えることだが、戦後は日本に急激な欧米化の波が押し寄せた。この波が日本人の呑んだ。そして至る所に種々の禍
(わざわい)が顕われるようになった。慢性病もその現れであろう。
 この、慢性化の一途を辿る現代人に降り懸った災いは、戦後の日本人の食生活が急変したことにある。これまでの日本人の精神文化が崩壊したことによる。食生活もその一つだろう。

 日本人の食生活の急変は、まず日本が先の大戦で大敗北し、戦争に負けたと言うことと無縁ではなかった。
 戦争に負けると言うことは、単にスポーツ競技における試合して負けたと言うこととは意味が違う。敗北は後遺症を残す。何十年も引き摺る。
 戦争はしている時よりも、負けた時から本当の地獄が始まるのである。敗戦国は、戦勝国の文化を半ば強引に押し付けられるからである。そして連綿と続いたこれまでの民族の精神性が一挙に崩壊してしまう。敗戦国の精神性は悪と決めつけられる。

 日本における終戦直後、日本刀は悪の代名詞だった。日本を悪の道に導いた元兇と指弾された。
 この当時、時代劇などのチャンバラ映画は一切放映することが禁止され、この禁止は昭和26年
(1951)9月のサンフランシスコで行われた対日講和条約が締結されるまで続いたのである。この条約の調印によって、翌年4月に発効するまで、敗戦後の日本ではチャンバラ映画は総て禁止され、また剣道なども、洋服で行う「竹刀競技」というものは許可されていたが、剣道と言う名で、袴などを履き道衣で稽古することは禁止されていた。
 柔道も、柔道着と言う道衣では禁止であり、洋服で柔道をする時期があった。それ故、日本刀も一時期禁止され、日本刀は「刀狩り」と言う名目で、米軍に摂取された時期があったのである。

 更には思想まで改造され、これまでの連綿として続けられた伝統や文化、また、その国に応じた風土や気風までもを取り上げられ、これらを一新しなければならないからである。
 この努力を怠った場合、民族的とか、酷い場合は国家全体主義などと指弾され、民主の名をもって思想改造まで強制されて、厳しく指弾されるか、村八分までされ兼ねない場合があった。一種の恐怖政治然とした時期があり、背景にはGHQの覚書に基づて、戦後の民主化政策の一つとして公職追放があったのである。これを当時は、国家主義者の追放といい、またレットバージと言った。
 つまり、戦争に負けるとは、その国の伝統や文化の崩壊の憂き目を見ると言うことなのである。

 こうなると、総て今までのことは悪となり、また敗戦国の文化や風土までもが悪となる。
 この追放下に、日本刀もその槍玉に挙げられていた。
 このような状態に追い込まれ、根本にあった食生活の改造や、戦勝国の文化までもを押し付けられてしまうのである。

 昨今の横文字文化は、その顕著な現れであるし、特に言語などを顧みると、日本は今や国籍不明の訳のわからぬ日本語が横行し、往時の為来(しきた)りや作法が蔑ろにされている。日本語は乱れに乱れ、本来の日本語の美しい言霊(ことだま)は狂わされ、更には民族伝来の食体系まで狂わされてしまった。
 今や言霊の威力は薄れ、あるいは皆無に近くなり、日本人の肉体細胞は野獣化されて動タンパク食品で汚染され、日本の「稲作文化」は既に崩壊してしまっている。つまり邪神界と糾合
(きゅうごう)してしまったのである。

 昨今の動タンパク食品の氾濫はどうだろう。
 現代日本人の食卓の上には星条旗をはじめとする欧米食品の品々で溢れ返っているではないか。食肉真っ盛りの文化が横行し、既に日本人は言霊を正しく活用させることが出来ないほど、顛落してしまっているのである。
 その証拠に、現代日本人の血液は動タンパク食品などで汚染され、正常な肉体を造り出す根本に来る血液は汚染状態にあり、正しい言霊の基本である「言霊七十五音」は完全に崩壊してしまっている。
 言霊七十五音を完全なる発声器官として宣
(の)り上げる祝詞(のりと)や、また御事典(みことのり)という神に捧げる言葉の意思表示である「神奏文」は、もはや三千世界に響き渡り、悪を残らず祓(はら)い清める効力を失っているのである。

 そして食肉真っ盛りの昨今の飽食的食生活では、日本人は早熟化し始め、食肉の持つ動タンパク類の悪作用により、肉体の根幹を成して体内を廻る血液は汚染の一途にあり、現に肉食者が概して短命なのは、内臓の老化を早めるという悪循環に陥り、食肉の持つ成分のうち、肉の分解によって生じた強酸類は血液を酸毒化したことに繋がる不幸現象であった。
 これにより、代謝機能が根底から狂わされたのである。

 この狂いが、性的な病的興奮や深刻な排泄生涯を引き起こしたのである。それは、肉食によって生じた強酸類の仕業
(しわざ)であり、この強酸類が性腺を刺戟し、異常な性的興奮状態を起こしたからである。昨今の日本人の少年少女が早熟であるのは、性腺を刺戟されたために早熟と言う現象が起こっているためで、それは一方で、アメリカ流の恋愛術に拍車を掛けることになった。
 そして今や、既婚者のオヤジに至るまで虎視眈々として、隙狙いを企て、恋愛遊戯の興じている。その最たるものが不倫であろう。あるいは複数恋愛で肉体関係を持つことを、成人男女なら健全なる肉体と、あたかも奨励しているが如きである。
 だが、これに対してそれ相当の代償を払わねばならず、反作用が働くことは必定である。

 これからも分るように、恋愛をし、恋人が出来たと言うことは、必ずしもラッキーではないのである。ただ本人は有頂天に舞い上がり、その後の不幸現象の訪れを自身で感知出来ないだけである。そのために、間抜けにも、恋人が出来ると、「俺はツイているぞ……」などと安易に舞い上がってしまうのである。愚者ほど有頂天になり易いようだ。運命に対して警戒心はゼロである。
 特に、既婚者の男で、恋に引っ掛けた女が口説きに応じて、引っ掛かりラブホテルなどで肉体関係に通じてしまうと、これをラッキーと思うようである。妻以外に不倫の関係が出来たことに対し、これを安易にラッキーと思い込んでしまうのである。その後に、地獄が待ち構えていることも知らないで……。
 これこそ、好事魔が多しを地で行く現象であろう。

 一種の盲目であるだけに、こうした不幸現象に気付くのは遅滞気味になるのである。
 これだけでも、かなりのエネルギーの消耗であり、その消耗は間接的な運勢上の不幸現象に繋がっているのである。かりそめの嬉しいばかりの気持ちで有頂天に舞い上がって、一局面に狂喜し盲目になれば、これが見えないのである。自分の前にある落し穴が見えないのである。

 差し詰め、恋愛はその三分の一にも相当する「負のエネルギー」となって、やがては自分自身に跳ね返って来る。
 また、恋愛は相思相愛の関係に至っても、総てが良いこと尽くめではないのである。その分だけ反作用も働くのである。このことを覚悟しなければならない。
 更に変化の中で、過去の記憶は忘却に向かうと言うことである。古きことは、幾ら鮮明な感動があっても時間とともに、次第に忘れ去れるということである。
 一切の感動も、時間とともに色褪せるのである。
 記憶力の悪い者は、忘却する速度が速いため、自分に現在、負のエネルギーが働いていることすら自覚症状がないのである。これが忘却の恐ろしさである。

 いい想い出は、いつまでも人間の記憶の中に新鮮の留めておくことは出来ない。
 時間が経てば、やがて色褪せる。
 変化の中枢には、時間が経てば“色褪せる”という「魔」が背景にあるからだ。
 人の記憶の中には、古きことは色褪せるという変化の要素が存在するのである。次々に変化を齎す、刻一刻の移り変わりを、人間は好む性癖を持っている。これを安易に考えないことだろう。

 いいことが起こったら、まず、それから起こる反作用の反動を考えるべきである。
 当時の私は、そこから起こる反作用の恐ろしさを全く理解していなかった。若さに任せて、いい気になり、深追いした観があった。深追いすれば、結局填められて、その禍はそのまま自分に跳ね返って来るのである。
 好事魔が多い所以である。

 この「魔」の恐ろしさ、怕
(こわ)さを吉藤先生から厳しく指摘されたことがあった。
 しかしそれでも、その時はその指摘が、どういう意味を持ったものであるか、自分では理解できないのである。
 ただ「行け行け……」で雰囲気に酔い、突き進み、遂には難所に打
(ぶ)ち当たる結末が待っていた。これまでを振り返って、軌道修正し難いと分った時にはもう遅いのである。総ては後の祭りであった。

 此処に「好事魔が多し」の格言あるのである。いいことは、いいことだけで完結しないのである。
 この世はいいことも悪いことも清濁併せ呑む世界であるからだ。いいことがあった分だけ、またそれ相当の悪いことも起こるのである。決して良いこと尽くめではない。
 不幸現象は、ラッキー現象の直ぐ横に貼り付いているのである。

 私の、これから先の不幸現象は私の所持した『平安城石道住正俊』の真贋を確かめたことから始まった。
 それは私が出遭った以降、師事する研師の吉藤清志郎先生の、平安城に関しての「銘がいい」という言葉から、逆に掘り出し物を引き当てたような、一瞬の有頂天に舞い上がり、この有頂天がある意味で、私の顛落人生が始まったと言えなくもなかった。あたかも宝籤
(たからくじ)が当たって、それに躍ったと言う感じだったかも知れない。

 私の顛落の第一歩は、初っ端から躓
(つまず)くのでなく、初っ端から出足のいいスタートを切ったからだ。
 “一目会ったその日から……”ではないが、一目会ったその日から、これまで眠っていた慾が揺り起こされるように、私の場合も裡
(うち)に潜んでいた慾が頭を擡(もた)げたのかも知れない。

 恋愛も、一目会ったその日から恋い焦がれて不幸現象の第一歩がそこにあると言うが、刀剣愛好家にとっても、刀に惚れ過ぎると、最初の出遭いの、一目会ったその日から、私のように刀気違いへと奔
(はし)り、顛落の中へ突っ込んで行く人間もいるのである。私もその一人だった。
 しかし、それが顛落への道であったとしても、私はこの道を歩いたことを、決して後悔はしていない。

 何故なら、多くの損をしてきて、人生で大事な「損をする余裕」を学んだからである。
 確かに金銭的には多大な損を被ったが、しかし精神的には「余裕」というものを学んだのである。損をする度に、余裕を学んで行ったのである。この余裕は、博奕打ちのそれとは異なるものである。
 自制の利かない「病み付き」とは違う。
 病み付きは、反省を伴わずに自制が利かなくなることを云うが、損する余裕は、大局的にみれば人生全般を学ぶことになる。大局構造が解ることになる。

 つまり、損した箇所を取り返そうとするのでなく、損は損として扱い、その損に反省を伴わせて、こう言う顛落の結末に至ったことを時間とともにいい方向へと、私の場合は変化して行ったのである。損をする人総ては、いい方向に転向出来るとは思わないが、私の場合は不幸中の幸いも伴って、簡単に挫折しない不屈の精神を、私の刀剣人生、更には刀屋人生に齎してくれたからである。
 不幸中の幸いで、いい方向に転がしてくれたのである。
 ここで、私は人生万事塞翁が馬……を学んだのである。人生には逆転劇があるのである。

 結果的に検
(み)て、金銭的なトータルでは多大な損を被ったが、その反面精神的には、心の中に徐々に芽生える「余裕」と言う感覚を学んだのである。
 この世は、極楽と地獄が表裏一体の関係になっている。したがって、一方的に極端に偏ることはない。
 ただ難しいのは、孔子が説いた「中庸」を保ち、また釈尊が説いた「中道」を保つコントロールが些
(いささ)か複雑で、この安定をはかるには熟練を有することである。
 つまり老練さがなければ、このコントロールは難しいのである。

 中庸や中道を保つことは、至難の業
(わざ)なのである。これには鍛錬が必要となる。
 学び、知り、かつ不足分は、師を求めて、人生の放浪を繰り返し、師に廻
(めぐ)り遭うまで、人生の旅は続く。
 かつて私も、真性なる師を求めて、人生の旅の放浪をしたことがあった。
 宝の山は、何も遠くにあるのではない。ごく自分の身近にある。
 しかし大半の人は、自らが宝の山に入りながら、“灯台下暗し”の現実に気付かない。みすみす見逃して、愚かにもゴミの山に迷い込んでしまうことも少なくない。

 だが、真性は自らの足許
(あしもと)の下にある場合が少なくない。
 私は、この重要性を、事あるごとに思い知らされて来た。
 そして人は、この表裏一体の世界で、人生を積み重ねて行くと、苦労し、困難と窮地に立たされた分だけ、天と地の「鬩
(せめ)ぎ合い構造」が、次第に解って来るのである。

 私の欠点は、女でも刀でも惚れ易い質
(たち)であった。直ぐに恋い焦がれる。
 かつて私は平戸の叔父から日本刀を見せられ、その時の印象を今でも克明に覚えている。まだ私が小学校一年の頃であった。実に、魅せられた感じであった。あるいは幼心に取り憑かれたと言うべきか。とにかく魅せられたことは確かだった。
 そのとき叔父は、「刀は女と同じだ」と言うことを、私に諭すように言ったことがあった。
 それは手当り次第に、ところ構わず、花から花へ……と言う意味が、いま思えば含まれているように思うのでる。そうした愚に陥ることに、また吉藤先生も同じことを言われ、私に釘を刺したと思えるのである。

 藤吉先生が説く中庸・中道の根本には、人間の陥り易い魔を破り、それを祓い清める威力の象徴として、先生は職人仕事をしている最中、つまり刀剣を研ぐ間は、白装束に身を固めて邪神を祓うものであった。
 白装束は、その背景には「破魔」の意味が込められていて、先生は烏帽子
(えぼうし)こそ冠(かむ)っていなかったが、研師の心構えは確たるものがあった。日本刀を神聖視していたからである。またこうした感覚は日本人以外になく、世界の中で刃物を神聖視するのは、日本人のみが、刀に対し霊的神性を感じ、更には霊剣の存在を知る唯一の民族であるからだ。

 刀剣と言うのは、単に人を斬刺する道具ではない。
 往古の武士のとっては魂の拠
(よ)り所であった。
 刀の手前という一言が、当時の武士の意識を規制していた状況は、今日では殆ど忘れ去られてしまったようだが、鍛刀の儀式をみても、これ自体が神事になっていることは誰にでも想像がつくであろう。

 まず、総てが整った斉舎を作って注連縄
(しめなわ)を廻(めぐ)らし、この場所を、娑婆とは区別して結界(けっかい)を作る。
 これは娑婆に横行する邪神や不浄の者が立ち入ることを禁じた表示である。そのため鍛冶は十七日間、沐浴斎戒
(もくよく‐さいかい)を行い、烏帽子狩衣(かりぎぬ)に威儀と礼儀を正し、一心不乱に作業を進め、焼刃を入れるにも必ず払暁(ふつぎょう)が選ばれたのである。つまり暁の時刻であり、夜明けのことである。
 これは昼間
(陽が天中に差し掛かる時間は気が澱み始める)とか夕刻・夜中(この時間帯は殺人光線と言われる紫外線の負のエネルギーに支配される時刻)という時刻ではなかった。気が鎮まった「清い時刻」と限られていたのである。
 それだけに刀剣を作る者も、またその刀剣を帯びる者も、刀剣については、それぞれに大変深い敬意を払っていたのである。
 この霊的な儀式と、その行為について藤吉先生は、私に多くを諭
(さと)したように思うのである。

 そして先生は言った。
 それは戦後、日本人が騙された事柄が二つあると言うことであった。
 吉藤先生は職業的には、ただの一介の研師であったが、先生の見聞は広く、社会の縮図の裏側まで知っているようなところがあった。それだけに、職人のレベルに止まることなく、世の中の構造にも明るかった。
 その明るさをもって、これまでの戦前・戦中・戦後の一連の流れの中で、ご自身が気付かれたことについて批判したことがあった。

 まず一つ目は住宅問題であり、戦後政府の住宅政策に非があり本来住居は、大家と店子との関係から借家に棲
(す)むのが日本人の住宅基本にあり、衣食住のうち、住は借家に住むことで解決していた。
 ところが、これを敢えて国民に買わせ、住宅金融公庫やその他の金融機関の借金漬け生活に、日本人を追い込んだことであり、もう一つは結婚相手の探すにも、恋愛で探させる自由恋愛を横行させて、それがあたかも自然であるかのような錯覚とイメージを植え付け、これに関して、エネルギーを消耗させようと企んだことであった。こういうエネルギーの消耗と言うことについて批判されたことがあった。
 また、戦後の日本人は「足るを知る」ことを忘れたとも言った。

 つまり、この忘却によって、戦後の日本人に「負のエネルギー」を負わせたことであった。
 両者は、金銭的にも相当なエネルギーを遣う。
 エネルギー負担は、「自分で探す」ということからしても、その負荷は相当に大きく、苦慮しなければならない事実は一目瞭然であろう。

 この世の現実は、清濁
(せいだく)併せ呑むである。
 人生には、単に男女の関係だけでなく、人生の先達として幸運を齎してくれる「師との出遭い」がある。
 私の過去を振り返れば、師との出遭いで考えれば、天は、私にいい師匠を廻
(めぐ)り遭わせてくれたと思うのである。これを私は偶然とは思わない。必然と痛感させられる局面に度々遭遇したからである。
 恐らくこれが、後に説明する「武運」であろう。
 武運拙くては生き残れないからである。没落する運命を辿るからである。

 幼少期の大東流合気武術の師匠であった山下芳衛先生との出遭い、また吉藤清志郎先生にも出遭い、その後も人生の先達は続々と登場し、私が「もやはこれまで」と窮地に陥った時に、その都度、貴重な助言を頂いて九死に一生を得たことがある。
 果たして、悪運強いためであろうか。

 山下芳衛先生は幼少の頃から知っていたが、吉藤清志郎先生は私が十代後半の頃に廻
(めぐ)り遭った職人気質の、研ぎの世界では名人級の人であった。それだけに、刀剣にだけの造詣が深いのではなく、人生全般にも、私のような駆け出しが、刀剣に接触して陥り易い欠点を多く知っていたようである。
 その指摘が、「今から大いに損をする道を歩く」という、大抵の人なら忌み嫌う修羅の道への暗示だった。
 そして私にとっては、刀剣を勉強することは、また武術を学ぶことであり、私は早い時期にこうした「学びの求道」に対し、眼を開かせてくれた幸運を手にすることが出来たのである。

 果たして私は、その道を踏み込むことになる。
 金銭的損害は、その度に膨らんで行ったが、しかし何故か、それで破綻
(はたん)はしなかった。悪運が強かった所為(せい)であろう。あるいは生まれつき、そのような悪運の強さに恵まれていたのか。
 それは「損する余裕」を知ったためか。

 追い込まれる窮地は何度か経験したが、一方で、その経験が物を言い、最後の土壇場で窮地を何度か回避して来たのである。これも、刀剣を通じて学んだことである。
 刀屋は、千一屋というだけあって、刀剣は、ディスカウントショップのように今風のアイディアと商才だけで、薄利多売方式を通じて儲かると言う商売ではない。根本には商才だけでなく、金銭的に余裕のある教養者を相手にするだけに眼力が物を言う世界である。
 見立てが瞬時に出来なければ、その勝負は負けとなる。
 ある意味で武術の勝負の世界とよく似ている。瞬時において、その刹那において、勝負は一瞬によって決まってしまうのである。

 私が長らく刀屋人生の身を投じて来たのは、こうした刹那の一瞬いおいて、その凄まじさに魅了され、ここから損を重ねつつ、人生を学んだと言う点にある。
 私の勝負は、常に百戦して百敗だった。大いに負けた。
 百を戦えば、百総て負けると言う負け戦を演じて来た。そして百戦百敗して考えることだが、あたかも聞き分けの悪い、負け将棋をもう一戦、もう一戦と繰り返し、最後にまた負けて、百一戦のうえに更に百一敗を重ねたことである。

 普通だったらこれで諦めるだろう。
 しかし、私は往生際が悪く、土壇場で“もう一ゴネ”するのが好きだったから、山中鹿之介
(やまなか‐しかのすけ)のように土壇場で“もう一ゴネ”してきたのである。
 果たしてこれを、したたかというか……、往生際が悪いと言うか……そういう人生を歩いて来たことも、また事実である。そしてこの時の収穫は、九死に一生を得ることで耐久性がついたことである。
 私はマゾの趣味はないが、人生で打たれ強くなることは大事な体験の一つである。
 普通、人は最初の一発で戦意を失ってしまう。
 ところが打たれ強くなると、最初に一発どころか、二打、三打されても耐えて持ち堪えれば、四打目の相手の動きは見えて来るものである。そして私は打たれることに快感を覚える先ず趣味ではなかったから、四打目は見事に躱し、逆にこちらから鉄拳を打ち込んで、ノックアウトさせる機会にも恵まれたのである。
 つまり、人生には千載一遇という、またとないチャンスに廻り遭える「神風の囁
(ささや)き」と言うものがあるのである。

 「あんたは、往生際が悪いと言うか、したたかだなあ」
 藤吉先生のお言葉である。
 それは、例えば“カエルの面にションベン”と言う意味だろうか。
 私は確かに諦めが悪かった。往生際が悪かった。簡単には諦めなかったのである。
 不屈の精神は、大いに金銭的に損をすることで、その一翼が養われたように思う。そして武術の鍛錬に併せて、これが両翼になった時、大空に舞い上がれると信じていた。

 今でもその確信はないが、あるいはそうなったのかも知れないという自負は持っている。
 その証拠に、死にそうでも中々死なないからである。そもそもこれが悪運の強さだろう。これを武人的に解釈するならば、武運と言うことだろうか。

 昔から云われたことであるが、武運拙くてな生き残れないのである。智才に恵まれていても、武運拙くては早々と葬り去られるのである。
 かつて江戸中期の儒学者・室鳩巣
(むろ‐きゅうそう)は、新井白石(あらい‐はくせき)の推薦で幕府の儒官となった人物だが、この鳩巣先生が、旗本や御家人の若侍を集めて講義中、突如「諸君は武術の稽古に毎日専念している。それはまことに結構なことだ。だが幾ら武術が優れているからと言って、武運拙くては何もならぬ。ところで、諸君は武運の稽古はしておられるか」と訊いて、此処に集まった若侍を唖然(あぜん)とさせたと言う。
 そして鳩巣先生曰
(いわ)く、「武運を養う稽古こそが、聖人の書を講ずる所以である。武運は徳の現れである。聖人の書を学ぶことは、つまり徳を積む修行なのだ」と喝破(かっぱ)したと言う。

 一般に「徳」というと、安易に善行を積んだり、陰でいいことをしてそれを他言せず黙って黙々と、それを徳と信じて、こうした行為を重ねて行くことが徳と思い込んでいるようだが、実は、徳はそうしたことだけで練り上げて行くものでもない。善徳ばかりを指すのではない。悪徳でも、実はそれが徳であり、これは不徳とは違う。

 不徳は“徳がない”ことを言うが、悪徳は、実に徳の一種であり、それが善であるか悪であるかは、実際には人間側の決めることでなく、天の決めることである。
 これを人間側が勝手に決め、彼は善徳の持ち主で、彼奴
(きゃつ)は悪徳の塊(かたまり)のような人間だと評論するが、この評論は人間側が下した判定であり、必ずしも天の判定ではない。

 況して武運とはそういうものであり、武運は一の生き死にに関わることであるから、それは天界にある物であり、人間界にある物ではない。更には地界にある物でもない。総て人間には推し量ることの出来ない、天にある物である。故に、富貴は天地有りと古来より言われてきた。

 運命とか、武運と言う「運」が働く場合、その作用は人間の人智では如何ともし難く、総ては人智を超えたところに働いている。そしてこの働きは、単に偶然と言うことだけではなく、人間の観測出来ないところで必然的に働いている。
 言わば因縁的である。その因縁を人間が観測出来ないから“偶然”という言葉で摺り変えているが、実は現象界では偶然は起こらず、総て意味あっての事象から起こっているのである。
 人間は生まれた因縁に従い、自身の行動や行為を行うだけである。それに反映されて反作用が起こる。

 吉藤先生に出遭う切っ掛けになったのも、私の行動に対しての作用であった。人は行動や行為を通じて、人と人の出遭いがあるのである。それは不可視世界で繋がっていて、肉の眼で観測出来ない必然の因縁からである。
 いつしか吉藤先生の研場の斉舎に、度々お邪魔しているうちに、刀剣の「拵
(こしらえ)」について学ぶ機会を得た。
 そして私は最初、藤吉先生から白鞘造りの製作工程を教わったのである。その基本は、鋸、鉋、鑿などの工作道具の遣い方であった。
 更に順に、拵鞘の造り方などを学んだ。

拵鞘の鞘を削った後の、水牛を工作して鯉口や栗型を取り付け、また逆角の取り付け製作。
 写真は短刀を製作する場合の鞘削りに始まり、一番難しい水牛を工作しての鯉口装着や丸栗型、更には逆角の装着取り付け順を示したもの。

 鞘一切の工作が終わると次ぎに柄造りと柄巻きを習った。
 また吉藤先生の凄いところは、指導する場合、単に理論を指導するばかりでなく、気丈の上の理論よりも、実戦代一主義の立場に立ち、常に実戦を指導してくれたことである。

 現場第一主義の立場を採り、口よりもそれを教わる者の眼を一番に取り上げ、まさに「汝
(なんじ)自ら参じて知れ」という、常に実戦の大事を教えたことであった。決して机上の空論ではなかった。
 論理の上の机上の空論では、用を為
(な)さないことを知っていたからである。ここに熟者の老練なる智慧があった。

 また私が満20歳になると、直ぐに『古物商許可証』の手続きを申請させ、銃砲刀剣類を扱えるような美術品商になることを奨めたことであった。古物商の鑑札を公に入手することで、この鑑札をもって、刀剣市場に出入り出来るようになったことである。

 当時、私は大学生であったが、学生の分際で日本刀売買の現場に出入りし、実戦の刀剣商として現実に、わが手で日本刀を握り、これの時価相場を知りうる機会が与えられることであった。
 昭和40年代頃の古物商申請は、今と比べて異なり、実に簡単なものであった。

眼の勝負!……。
 それは一瞬によって決まる。
 見逃し、聞き逃し、そして一瞬の油断は、自身で墓穴を掘り、顛落して行く。

 それを避けるには、まず日々鍛錬である。付け焼き刃的な、即席の「知ったかぶり」では、やがてカモにされ啖
(く)われて行く。
 日々鍛錬とは、往時の『刀剣持代』の、「霊験あらたか」な古
(いにしえ)に帰ることにより復活する。そのためには大いに学ばなければならない。刀剣を金儲けや投機の対象にしてはならない。

 今のように法務局に対して、種々の書類の手続きや取り寄せの必要はなく、また行政書士に頼まなければならないほど複雑な書類も必要としなかった。
 昨今は申請書類も複雑になっているため、行政書士に頼むと20万円前後の費用が懸かるようだ。これは年々法的にも複雑化され、素人が簡単には申請出来なくなってきている。

 しかし当時は、所轄警察署の古物商係にある申請用紙に記入し、併せて履歴書を添えて提出すれば、一週間ほどで『古物商許可証』が直ぐに公安委員会から貰えたのである。今日のように厳重な審査することも殆どなかったし、また申請して不可の判定を下されることもなかった。

 だが、昨今の古物商認定は、不可になる者を少なからずいるようだ。
 そして不可になった理由を、当局の担当部署は絶対に洩らさない。単に、許可の不可で終わりである。そのうえ申請手続きに掛かった数万円の印紙代も返金はされない。ただ不可だけの報告で終わりである。
 したがって行政書士に依頼し、20万円前後の費用を払いながらも、許可申請が不可になれば、これも総てパーになるのである。

 不可になる者の多くは、法務局に登録された後見人であったり、国籍や戸籍や、あるいは戸籍を記録する市町村役場の身分証明が出来なかったり、更には書類上の不手際などがあった場合は不可となり、また一番多いのは、以前に『古物商許可証』を取得しながら、所轄警察署の生活安全課の台帳記入や出納帳記載指示に従わなかったり、美術品等で脱税を働いたり、教育委員会の登録証のない銃刀法と所持していて銃刀法違反などで起訴されたり、別の犯罪歴があるなどの行為を働いた者は、もう二度と、この許可証を所得することは出来ないようになっている。
 つまり許可の永久失効である。この失効記録は永遠に消えない。

 こういう失効者は、もう二度と、古物の世界に介入出来ないのである。古物商としての鑑札がないからである。
 だが現実には失効しながらも、『古物商許可証』を返還しないまま持ち続け、失効者でありながら、刀剣市に出入りし刀剣類を売買している不正な、元サラリーマン古物商も多いようだ。

 刀剣市会場内には、ときどき刑事が紛れ込んでいたりして、時として職務上、鑑札提示を求められる場合がある。
 それを知らずに、競りに加わる二足の草鞋を履く元サラリーマン古物商も居る。頭隠して尻隠さずである。
 競りに加わったが最後、身柄は即拘束される。最近はこの網に掛り、現行犯で逮捕される古物商失効者も少なからずいるようだ。
 ところが、こうした網の目を潜り、したたかな元サラリーマン古物商も多い。

 つまり、古物商法違反と古物営業法違反を犯しながら、闇で刀剣類を古物商然とした貌で売買している無知者も多いようである。そしてこうした者の多くは、刑法に触れることを働きながらも、更には確定申告せず、その後も美術品でしこたま儲けて脱税まで働き、二重三重の罪を犯しているのである。

 もう此処までくれば、単に無知者と言うことだけではなく、既に犯罪者である。こうした者は、許可が失効した元サラリーマン古物商も多いようである。旗師風を装い、刀剣店などの店舗を構えていないので、バレないとでも思っているのだろうか。無知であろう。
 更に一番多いのが、二足の草鞋を履く元サラリーマン古物商で、古物商の許可は失効しているのにも関わらず、自身で武道場などを副業として運営していて、その道場の会員に刀を売りつける、こうした手合いの三足の草鞋を履く失効者も少なくないようだ。



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