運気 八門人相 房中術 癒しの杜 菜根譚 小説 会報Back No. 合気 蜘蛛之巣伝 死の超剋 霊的食養 心法
続・刀屋物語 1
続・刀屋物語 2
続・刀屋物語 3
続・刀屋物語 4
続・刀屋物語 5
続・刀屋物語 6
続・刀屋物語 7
続・刀屋物語 8
続・刀屋物語 9
続・刀屋物語 10
続・刀屋物語 11
続・刀屋物語 12
続・刀屋物語 13
続・刀屋物語 14
続・刀屋物語 15
続・刀屋物語 16
続・刀屋物語 17
続・刀屋物語 18
続・刀屋物語 19
続・刀屋物語 20
続・刀屋物語 21
続・刀屋物語 22
続・刀屋物語 23
続・刀屋物語 24
続・刀屋物語 25
続・刀屋物語 26
続・刀屋物語 27
続・刀屋物語 28
続・刀屋物語 29
続・刀屋物語 30
続・刀屋物語 31
続・刀屋物語 32
続・刀屋物語 33
続・刀屋物語 34
続・刀屋物語 35
続・刀屋物語 36
続・刀屋物語 37
続・刀屋物語 38
続・刀屋物語 39
続・刀屋物語 40
home > 刀屋物語 > 続・刀屋物語 15
続・刀屋物語 15

刀剣小道具類の美術品の世界は、素人が考えるような単純な世界でない。単に美術品鑑定能力だけがあっても、それだけで大成しない。価格の尖端(せんたん)という時価値を即座に下せて一人前の目利きとなる。

 資本主義の世の中では、総ての物に価格があるということである。
 そして、いい物に高額な価格が付くのは、姿自体に、調和の取れた「気品」があるからである。それは絶妙なバランスであり、またそれが醸
(かも)し出す一種独特の佇(たたず)まいである。

 目利きは、瞬時にこうした佇まいを読むのである。見るのでなく、読むのである。
 そして目利きだけが時価相場を決定することが出来、それが今の時価相場の価格となる。

 だが普通、多くの人は誰も適正価格を付けられない。常に変動する価格の尖端が分らないからである。
 これは株式は穀物相場でも同じであろう。投機家の多くはその殆どが誰も適正価格を付け切れないから、価格の尖端と思っていた時価が、いつも「思惑外れ」となる。
 そして、価格の特性と言うのは、常に動いて停まることがないのである。時の流れに従い変動する。市場経済の常である。

 この意味で、適正価格と言う価格の尖端は、非常に難しく、同時に口では「価格の尖端」などというが、これは現実には何処にも存在しないのである。
 これを敢えて定義するなら、適正価格と言うのは「価格=時間の尖端」と云うことが出来よう。また「適正価格=時間の移動」ということになろうか。
 総ては、陰陽の変化の中で上下しているのである。
 博奕は総てこの移動によって正と負の現象が起こり、それで得をしたり損をしたりするのである。

 これと同様なことが、美術の世界にも価格の尖端と云う時間の移動が行われ、それは時価を決定しているのである。したがって変動は、価格の性格から常に動いて停まらないと言うことにある。停まらない物を、瞬時に読むのが、また目利きと言うものである。



●猟りのカラクリ

 「猟り」のメカニズムと、その巧妙なカラクリの仕掛けを簡単に種明かしをしよう。
 仮に、猟りをするブローカーグループに甲
(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)の五人が居たとしよう。【註】実際にはもっと多いが簡略化のために、ここでは5人と単純化して説明する)
 複雑な説明を単純化して、五人とする。多いとカラクリの説明は難しく、読者にも分り辛いため、この仕組みを単純化して説明することをご容赦願いたい。

 ちなみに、甲・乙・丙・丁・戊は十干を順位づけた一般的な法律用語である。
 誰と誰が……と言う場合に用いる。民法でもお馴染みであろう。
 そして、リーダー格は《甲》であり、その配下に《乙》《丙》《乙》《丙》《戊》の、合計五人
【註】総て古物商の鑑札を持っている。また古物商許可は物品差し押さえの場合に効力を発揮する)で構成したグループとしよう。

 つまりこの五人は、サクラ集団の《甲》をリーダーとする「填め屋」のことである。主宰する会とは無関係なる闇のバイヤーである。
 また《甲》は陰の実力者で、金融業とか不動産業などの別の貌
(かお)を持ち、組織を牛耳るためのそれなりの資金力も持っている。あるいは地域的には資産家であり、有志の一人に数えられる紳士禄に掲載されるような人物である場合もある。それだけに力がある。ボス的な貌を持っている。

 更に《甲》は、二箇所以上の美術市場にも出入りし、複数を掛け持っている場合もある。
 勿論、真贋判別の能力も高く、バイヤーとしての力もあり、背後組織は闇にも通じている。それだけに贋作と言うババ抜きが、市場で罷
(まか)り通っていることも事実である。カモは、贋作を掴まされて猟られる場合もある。

 そして《甲》をグループ内のリーダーとして押し上げる背景には、潤沢な資金力もある事ながら、何よりも古美術品に対しての蘊蓄
(うんちく)と造詣が深く、特に刀剣においては、特別保存刀剣や重要刀剣以上の数百万円を超える物に対し、その真贋を見定めるある程度の知識力を持っていることである。こういうグループは一筋縄では行かない集団である。

 この知識力が、駆け出しの刀剣商と異なり、一端
(いっぱし)の講釈を垂れることが出来ると言う点にある。
 資金力および知識力が素人の域とは雲泥の差があると言うことである。それだけに周囲の小勢力を引き摺る影響力を持っていることだ。
 それは市場価格の尖端を予見する能力があるということでもある。
 これは大変な能力である。それに毒牙を絡ませて、その牙は隠しているから、駆け出しごと気の素人が近付けば、ひと溜まりもないのである。
 何しろ価格の尖端は、市場経済を牛耳る重要な決め手になるからである。それだけに、一種の権威とともに権力ともなり得る。

 この権力はどういう権力かと言うと、例えば「決定権」において、である。
 ある影響力において、これまで存在した「線引き」というラインが見えなくなってしまうことである。
 したがって、適正価格も同じことである。
 価格の尖端を考えた場合にも、これと同じ事が起こり、物の価格が、背後の巨大なものによって動かされる影響力である。自分の思い描く価格の範囲を上回り、あるいは逆に、暴落を暗示するように企てられれば、これまでの線引きは一新される。
 そうした価格としての価値観が、ある勢力によって掻
(か)き回されることである。

 この形体は市場においても起こり得る。
 水面下では烈
(はげ)しい下克上が起こっている。虎視眈々である。そして表面からのみ見ていては、この烈しさが分らない。表面からでは水面下の動きは分らない。
 しかし物には価格がある。どういう物にも値段がつく。価格のある物には必ず定価がある。それが見極められないから、不可解な変動が起こったように映る。

 市場にはこうした変動が常に起こっている。一つの意図を持った影響力に、である。
 指令塔から発せられる差し金である場合もある。陰では人を唆
(そそのか)したり、操ったりする力が働いている。
 これが集団ならば尚更だ。
 あるいは刀剣会をはじめとして、その他の古美術市の運営の形成に、ある程度の影響力を及ぼす既成勢力を有しているのかも知れない。ここには暗黙の了解と言うのがあるらしい。底辺には分らない、暗黙の決定事項があるらしい。

 市場では次の手順で開始される。
 《甲》をリーダーとし、配下には《乙》と《丙》は躍り役として、また“掛け声サクラ”として「釣り込み」を行って、会全体を掻
(か)き回し、白熱させ、あるいは攪乱(かくらん)させ、それに合わせて《丙》が仕込み役、《戊》が留め役として、物(ぶつ)に留(とど)めを刺し、「落す構図」を作るのである。
 この連係プレーは巧妙である。芸術的と言える。

 その根拠は、複合的で巧妙であり、然
(しか)も予期せぬ、あたかも天気変化の如く、複雑な不連続性を表出するからである。素人には見抜けない、貿易バイヤーのような仕掛けで迫るからである。それだけに長年の経験と、物を見抜く眼力が要求される。騙されぬ警戒心と、価格の尖端を読む相場値と、物事を見抜く眼力である。常に市場には変動が起こるからである。

 それを表現するには、金融機関が輸出国の政府高官を抱き込み、相手国の輸入者に資金を直接貸し付ける信用供与の形態を彷彿とさせる、俗にいう「絡み」を不連続的に派生させるからである。
 これまでの線引きと常識を外して、値崩れを起こす場合もある。

 だが、美術市場は、つまり世界の美術市場はびくともしない。不動である。
 文化財産は、最初から個体数が定まっているからである。この背景下に、「嵌め屋」が暗躍する。素人には見抜けない、巧妙な仕掛けである。

美術刀剣会では真贋(しんがん)互いに合い乱れて、市場ルートをそれぞれが循環する。
 美術刀剣愛好家の手から手へと廻
(めぐ)り廻って循環するという流れを繰り返す。同時に真贋も循環する。そしてババとしての贋作も循環する。

 その中で、この世界では新規参入者を喰
(く)い物にして行く。そして啖(く)われた方は、それを高い月謝として、勉強して行き、手痛い損害から独特の智慧(ちえ)を付けることになる。
 これこそ、眼の勝負の醍醐味ではないか……。
 人生の緊張の瞬間は此処にあると言える。

 この連係プレーは、ここでは単純化して五人としているが、実際には、もっと多い人数で構成されている。10人以上、あるいは20人以上、更には会自体がそう言う仕掛けをもっている場合もある。官憲の関与の及ぶところでない。民事は介入であるからだ。
 追い詰められれば、「知らなかった」と嘯
(うそぶ)けば済む世界であり、証拠は口約束で成立するため残ることは無い。此処に奔走する原動力が横たわっていると言える。筋の者も、この美味さに飛びつくのは必然である。売買で厖大な利益が生じるからである。

 また、その筋での関与者も少なくない。
 戸籍の汚れていない者に白羽の矢が立つ。そして暗躍者となる。ミイラ取りがミイラになる世界でもある。
 それは戸籍売買の裏商売が、あたかも人身売買の裏商売にも匹敵する、そのような仕掛けだ。
 故に、明暗合い乱れて暗躍する世界である。
 清濁
(せいだく)(あわ)せ呑むと言うか、闇と光が入り乱れて格闘する複雑な世界である。
 それだけに「眼」が要
(い)る。それは一瞬、地獄を垣間みる世界だからである。そこに、地獄の闇が交叉(こうさ)する。同時に「猟られる瞬間」がある。緊張の瞬間と言ってもいいだろう。緊張が足らなければ、一瞬にして猟られてしまうからである。

 一般に餌食となるのが経験の浅い、また仕事の片でまで、会社員と兼業の“二足の草鞋”で遣るサラリーマン古物商である。あるいは駆け出しの古物商である。生まれたばかりで目がろくに見えず、周辺の景色が見えないと言う得物である。
 緊張とともに、馴れの足らない素人は猟られる。
 まず、この世界は弱肉強食の世界であるから、自称“セミプロ”と称される素人がターゲットにされる。古物商としては、古物商許可証の鑑札をもっていても、ブローカーグループから云わせれば、その正体は“ド素人”である。右も左も分らない駆け出しは、いいカモにされる。
 この“ド素人”は、彼等にとって恰好の餌である。

 また、この餌は、一度に啖
(く)うのではなく、しゃぶりながら食い潰し、崩壊に導くのである。
 この崩壊して行く構造を「型に填める」という。金融業でも、高利貸しなどの債権者側が債務者に対して、よく使う隠語である。

 さて、下の略図は刀剣会などで見られる刀剣市での会場図である。
 そして、この会場の中に《甲》を指令塔として実行の指揮を執り、他の四人は、ほうぼうに散らばる。高く売り抜けるために「釣り込み」という、買いを装って“買い人”になることである。散らばって、会場全体に「買い人構図」を造ることである。場の雰囲気は《甲》の意志決定により作られるようだ。
 此処から巧妙な仕掛けが展開される。

刀剣会の市場の単純化した簡略図。
 会場内は写真撮影が禁止なので、単純化した簡略図を描いてみた。

 さて実際には、競り人買い付けをするバイヤーは、これ以上に多い。
 また、「掛け声サクラ」という連中も多く、流れの展開は複雑である。素人愛好家の交換会の比ではない。また刀剣展での購入とも違う。桁違いのバイヤーが暗躍する。

 更にサクラの中には「徘徊役」というのがいて、AB二列の後ろをうろつき、席に着座せずに背後を歩き回り、時には物に対して風説を流したりして、いちゃもんをつけ周囲を惑乱させ、併せて《乙》や《丙》に眼で合図を送ったり、絶妙なタイミングで競り売りの声を発したりする。

 素人レベルの交換会では、重要刀剣や重美刀剣は殆ど登場しないからである。
 したがって、相手にする愛好家のレベルと桁が違う。見聞する物の難易度が高く、出品が高度であるだけに、素人には時価相場の判定が難しい。

 更には、海外で行われる高級日本刀
(出品物は殆どが重要刀剣クラス以上の物が中心)などの国際オークション市は、これ以上に複雑で、最終的にな潤沢な資金の持ち主の欧米コレクターが勝ちを納めるようになっている。

 この配置は「競り」の状況を自然の見せ掛けるためである。
 分散することは、同時に、標的と目された警戒の眼を削
(そ)ぐためである。少しばかり、難しい言い方をすれば、統計値と平均値との違いの構図を作り出すためである。一種の攪乱であろう。
 これは眼の錯覚でもあり、数学的に検
(み)れば、偏差を2乗してそれを算術計算したものとなり、この構図は安易には見破れない。複雑である。

 本来は意図的な結託により、サクラとして釣り上げて行くのだが、一ヵ所に固まると策動を悟られ、同じ場所から競り声が掛かり不自然に思われるからだ。
 要するに「競売の声」を分散するのである。会場内に不自然を配置しては仕掛けを悟られ、自然に見せ掛けることに気を配る。それだけに仕掛けは巧妙である。填める者を猟る仕掛けである。
 背景には「掛け声サクラ」という連中が控えている。

 そして五人は
合意して、自分らの物(ぶつ)を競りに掛けるのである。グループ内の物を高値で売るために、である。
 物の競りの開始は会主の発句
(ほっく)から始まる。
 五人の組んだ共同戦線は、まず自分らの物を会場内に散らばるサラリーマン古物商、または駆け出しの素人古物商に千円でも高く売りつけることである。

物を競る場合、まず会主の発句から始まる。
 会主が、物の時価値を弾き出し、発句金額より徐々に競りあがっていく。その場合、買手が多いほど競りも白熱する。この白熱の雰囲気に、「掛け声サクラ」という連中に躍らされる場合もある。その場合は、全般的に高値となっていき、価格の尖端を通り越し、買主は損をする場合もある。

 値の釣り上がりを「刻み」といい、この場合、5百円から5千円までは5百円刻み。そして5千円を超えた場合は1千円刻みで競りが掛けられて行く。この中で白熱合戦が繰り返される。
 更に、それぞれの刀剣会のルールによって異なるが、5万円を超えると、5千円刻みか1万円刻みで競り上がって行く。そこで先ず、競りの場合を説明しよう。

 会場内のブローカーグループは不自然を思わせないために、散らばって、それぞれのポジションに付く。不自然に見せ掛けないためである。また、白熱の音響効果を狙って、何処に誰を配置すれば、それが」より効果的になるか、その辺にも配慮した配置をする。
 競りの順番は、会主側の籤
(くじ)引きで決められるが、順番通りに進行される中に“成り行き”という飛び込みがあり、それも含めて競りは進行される。

 物の出展は、ブローカーグループに限り、籤引きであるから順序不同ではあるが、誰が何を出しているか予
(あらかじ)め示し合わせているのである。白熱の構図を表出するためである。
 そして新顔をカモにしたり、未熟者に取り憑くことでターゲットを絞り込む。買主として誰が甘いか見抜くのである。暗躍者の構成である。そして二足の草鞋が狙われる。狙い易いからである。

 これは知らないこともあろうが、つまり相談相手を知らず、狭い視野で知人を辿り、また例えば、ある団体に属していれば、その指導的立場の人間の現に頼り、つまり「世間を知らないと言うサラリーマン根性」が、実は墓穴を掘る場合も少なくないのである。
 私は、サラリーマンで二足の草鞋を履き、この種の危機に陥ったり、煮え湯を飲まされて、歯痒い思いをして悲鳴を挙げた人を、何人も知っている。
 背景に無知があるが、その無知以上に本人の自惚れがあったことも否めない。そして填められる。自業自得と言うべきか……。
 その「形に填められる構図」は、次のようにして起こる。

 グループから物が競りに掛けられると《甲》の指令に基づいて、《甲》は眼で合図を送れば、会主が発句で1万円という物が提示されれば、まず《乙》それに上乗せさせて、1万1千円と最初の競り上げが行われ、続いて《丙》は1万2千円と続き、更に《丁》が物の“値打ち物を強調する”ために、一気に1万5千円と引き離し、こうしてまず会場内の白熱した競りの構図を造るのである。
 これが「合力」の構図である。グループ内の“ハモり”である。互いに融け合った和声で共鳴し合うことを言う。
 こうして会場全体の様子を見つつ、仕掛けに掛かる得物を待ち、これに《戊》が、更に上乗せして2万円と競り声を掛け、一気に発句の二倍の値にしてしまうのである。

 そして此処からが、絶妙な“眼の勝負?”になるのである。
 それは、《甲》なり《乙》が、「よく見せてくれ」と会主もしくは側近にいて、物を廻す役に、相撲で云う「水入」というポーズを作るからである。このポーズにより、場は白熱する構図を益々強くするのである。

物は会主の発句の一声から始まる。
 発句より、物は競り上がって行くのである。
 したがって会主の眼力も、物の価値を定める発句
(ほっく)の一声に掛かり、この発句は市場価格の重要な決め手となる。

 この状態において、会場内から一人でもその仕掛けに絡む者が出てくれば、それを待ち、会場内のある一人が、それに釣られて2万1千円と云う声が掛かれば、一巡して《乙》が2万3千円と前値より、やや引き離した競り声を掛け、次に会場から2万5千円という声が掛かれば、《丙》が3万円に持ち込み相槌役として“間の手”を掛け、次に仕込み役という《丁》が3万5千円とともに留め役の《戊》が「合力の搦め」を独自の判断で4万円に持ち込み、それは絶妙なタイミングであり、最後の生け捕り役の《甲》のリーダー格が5万円と声を掛け、それに5万5千円と声が掛かれば「良し」として売りに出て、無ければ、本来は《甲》に落ちたことになるのだが、これはあくまで一般買主から声が掛からなかった場合であり、掛かれば5万5千円から6万円に持ち込んで、買手を填めてしまうのである。これが「合力の仕組み」である。
 物を釣り上げて行く、サクラ集団なのである。掛け声サクラの仕業
(しわざ)である。

 それぞれに役回りがあり、《甲》を指令塔として、《乙》と《丙》はと共に相槌役が“間の手”を掛けるサクラで、《丁》が仕込み役で、《戊》が留め役で、最後の総仕上げは《甲》のリーダー格に委ねられる。そしてリーダー格は刀剣会でも顔役であり、会主までも配下においている場合もある。あるいはそうした構成員で組織された古物交換会もある。

 また《甲》の意向により、「若手の刀剣会の会主を育てる」という名目で、15人の発起人と共に、刀剣会を結成して刀剣愛好者を刀剣会会主へと組織造りに応援したりもするのである。刀剣会の場合、古物市場でも公安委員会の締め付けが厳しく、刀剣商15名の発起人の署名捺印がいるのである。手続きも、一般の古物市場と異なり難しい。そして発起人に前科があってはならない。犯罪歴は徹底的に調査され、黒星は発起人に加われない。
 したがって発起人の不足に困り、これにブローカーグループが力を貸すこともある。顔役の登場である。

 故に、会主とは“なあなあ”の場合もあり、グループのリーダーは実質上、陰の刀剣会を牛耳る実力者でもある。あるいは刀剣会設立の発起人の一人である場合もあり、会を裏側から操るの特権階級である。
 それだけに会主側は、ある意味で頭が上がらない。
 何故なら、彼等は潤沢な資金を持ち、よく売り、よく買うからである。会の利益誘導に大きく貢献しているからである。
 刀剣会の全部が全部そうとは言い切れないが、持ちつ持たれつの関係である場合も少なくないようだ。

 したがって、仲間内の最終掛け声で買主が居なくなり、買値が停止したとしても、それは直接仲間内に支払いが生じるのでなく、仲間内以外に買値を付けた最終買値の一人か二人に逆戻りして、「これを譲りましょうか……」などとなって話が持ち込まれるのである。この時が一番危ないのだか、こうして高く売りつける構図が完成するのである。
 これだけでサイドビジネスとして、二歩苦の草鞋で奔走するサラリーマン古物商では、太刀打ち出来ないのも当然であろう。

 また万一に場合、会主と“なあなあ”の状態になっておらず、もしこうした状況下で、最後の詰めで誤りが生じれば、《甲》に買取りの義務が発生するが、仲間内で相談して無かったことにするか、あるいは直接会主と話をつけて、物に欠陥があったことの架空の苦情を申し出て、売買成立の反故
(ほご)を申し出るのである。それで「仕方ない」となって一切は元に戻り御破算(ごはさん)になるのである。

 こうした状況下の構図を造り、これを会場内にサクラを仕組むのである。
 《甲》の判断で、それを成立させたり、あるいは買手が途中で途切れてしまった場合は、その売買自体を不成立にしてしまうのである。そしてこうしたグループ化したブローカーグループは一つや二つでなく、一つの会に何グループ化のプロ集団が入り込んでいて、巧みに一般買主や売主に工作を仕掛けるのである。
 こうした工作に仕留められれば、二足の草鞋のサラリーマンや素人同然の古物商など意図も簡単に仕留められてしまうのである。

 これはグループ内からの売りの構図であるが、では、買いはどうなるのか。
 会場を白けさせれば、冷えきって、いい物であっても値が付かない。喰い付きが無く、寄り付きが無い。
 つまり「貰
(もら)いが無い」のである。喰い付きがある場合を「貰いがある」といい、この逆を「貰いが無い」という。
 貰いが無い場合は、発句値が半減する。最終的にはタダ同然となる。

 会主の発句以外に一声も掛からねば、物は発句以外に声が掛からなくなる。そして半減、更にはタダ同然となる。
 この状況は、物が下の方から会主の居る上の方へと循環して来る際に仕掛けが起こり、グループ内の何人かが「囁き」という、根も葉もない難癖を小声で喋り、値が付かないように吹聴して廻るのである。
 この吹聴に、一般買主は掻き回されて惑乱され、内心「では、競るのは止めておこう……」と、二の足を踏ませるように工作するのである。

 したがって、会主の発句以外は声が無く、あるいは値段の「切り下げ」が行われる。そうなると値崩れが起こるか、あるいは会主の自制で「これ以上、下げられない」となり、そこで本来はストップになってしまうのである。
 これは値崩れを防ぐためにそうなるのが自然だが、売主が何らかの事情で金を必要とする場合、身を切られるような気持ちで投げ売りするか、あるいはそうした状況を買い叩きグループが買い叩き、タダ同然で生け捕りしてしまうことがある。

 売主の提示物に、総てが総てこうした仕掛けは起こらないにしても、売り急ぐ売主は、何らかの事情で金を必要としている場合、こういう臭いが嗅ぎ取られてしまうのである。
 この構図下で、匂いを嗅がれた場合、売主は徹底的にカモにされる。叩き買いされてしまうのである。多くは素人であり、いいように料理されてしまうのである。

 私も随分過去に、こうした苦い経験を持っている。投げ売り同然の失態を遣らかしたことがある。
 資金繰りに苦しくなると、どうしてもそうせざるを得なくなり、金策に苦慮しているときは叩き買いされた苦い経験がある。
 こうした場合、時価の4分の1程度の金策しか出来ず、簡単に云えば100万円相当が25万円になってしまうのである。そのうえ歩合を6歩とられるから、更に目減りしてしまう。つまり足許を見られた訳である。
 それは物に難癖を付けることから始まる。発起に異義有りのポーズを実行するのである。徘徊役の暗躍である。
 これにより「一部暴落の構図」が生まれるのである。狙われれば、一方的に暴落と言うような形で個人に損が集中する。
 背後には、仕掛けグループの、自分の物は高く売る一方、他人の物はタダ同然で買い取る思惑に嵌
(は)められたからである。

物には総てに価格があるが、素人は適正価格を知らないことから悲劇が起こり、素人価格と市場価格との間には大きな隔たりがある。愛好者同士の素人交換会には、本来の市場価格より高めの設定があり、また思い込みにより、番付価格が正価であるように信じられている。
 ところが素人の思い込み価格は、実際には、烈しく変動する市場価格の半分にも満たない場合が多い。

 また、詐欺は「延べ払い」の時に起こることもある。
 私はこれにも苦い経験を持っている。
 延べ払いは、各刀剣会によって異なるが、一般的には三回延べ払いであり、売買に関する歩合も、一般には6歩が一番多いようだ。
 古物市場の場合は1割りだが、刀剣市場においては普通6歩が多いようである。売主は会に対し、刀剣会の場合は6歩の歩合を払って自分の物を売却することが出来る。

 そして売却にもオークション方式
auction/競り売りであり競売である。売主が多数の者を集めて口頭で買受けの申し出を促し、最高価の申し出人に承諾を与えて売る方式)で競り上がって一番高値を付けた者の落される方法と、また延べ払いを通じて一番高値に付けた者に落される方式があり、入札は買手が幾らの値段をつけているか、落札時までは分らない。
 そして刀剣会では椀などが用いられてその中に紙が貼られているが、それに自分の入札価格を書き、競争入札においては、入札した物は、一番高値を付けた者がその権利を手にすることができる。

 入札の特徴として、売買および請負などの一方の当事者となるために、相互に競争する多数の者が、それぞれ文書によって、価格を書き込み、値段の意思表示することであり、落札によって契約を成立させる方式を云う。これを「隠し起請
(きしょう)」などとも云う。

 例えば、150万円である刀剣の権利を手にした者は、この150万円の刀剣代を三回に分けて支払うことになる。要するに三ヵ月月賦の分割である。刀剣会では会が開かれるのは一ヵ月に一回であり、その日取りが10日であるとするならば毎月10日までに50万円を三回払いで支払うのである。
 問題はこの三回払いにおいて、買主が間違いなく毎月10日までに50万円を確実に支払ってくれるかどうかである。
 中には、買手の都合により、第一回目の50万円だけに止まり、二回目、三回目が不履行になってしまう場合があるのである。

 この時に一番困るのが売主であり、売主も支払いの都合などがあり、月々の50万円二回分の残金100万円が不履行にもなれば、自身も経済的不自由に見舞われなければならなくなる。そしてこの場合、不履行者が逃げてしまった場合は回収不能となり、残金100万円は、あたかも不渡り手形を喰らったような形となるのである。
 支払人から支払の拒絶をされた手形を喰らったことになり、また満期日において支払われない手形を掴まされたことになるのである。

 この場合、不履行者は第一回目の50万円を支払っているので、詐欺にはならず、また二回目以降の支払いが滞った理由で破産宣告でもされれば、完全に回収不能となる。
 これが合法詐欺の手口である。詐欺が立証され難いのである。趣味人の世界であるからだ。
 刑法上では詐欺とならず、損害賠償においては民事で争う以外ないが、民事は時間が掛かり、また不履行者に以降支払い能力が無ければ、それは諦める以外なくなるのである。

 災難とはこうして発生するのであるが、これが組織的に遣られた場合、債権者は全く手も足も出ない状況に置かれるのである。そしてこうした災難に落し入れられた時、売主は余程、潤沢な財力を持っていないと、数百万円単位と金額が大きいだけに耐えられないのである。
 また、売り抜ける客を知っていなければならない。
 したがって、売り抜ける客を知らない場合は悲劇である。物を抱えて苦慮することになる。
 つまり、損してもいいだけの余裕であり、その余裕が無い場合は、カモとして詐欺師どもの餌食になる場合もある。
 特に、複数から計画的に、これを遣られた場合である。

 また、買主として延べ払いで取り込まれる場合もある。
 つまり、脇で囁かれるのである。
 人相や顔色を読まれて、そう囁かれるのである。
 そこで忍び寄りが起こる。つまり「これを買いませんか?……」とか「付き合いでどうでしょうか?……」と付き纏い、「分割でいいですよ……」などと迫り、強引に押し付けられる場合がある。
 その場合、一旦断っても、物を自宅に送りつけられる場合がある。
 付き合いなどと称されて、これに対し、いい顔を作ろうとして曖昧
(あいまい)な返事をすると、ここに付け込む隙を与え、明確に返事をしないのに物を送りつけ、受け取ったが最後、その支払い義務が発生してしまう場合があるのである。

 こうなると、厭
(いや)でも受け取らざるを得ないし、受け取ったが最後、取り消しが効かないようになっていて、こうした場合は、受け取り拒否をして送り主に受け取り拒否を意思表示する以外ないのであるが、これをうっかり受け取りサインでもしようものなら、その物は自分が受け取ったことを了解したこととなり、法に訴えて争っても、勝ち目は無いのである。
 愛好家のレベルでは、最後は結局いいように料理されてしまうようだ。

 兼業素人がこう言うことを知らない場合、サインすれば受け取ったこと自体に「了解した」との意志表示が発生し、その物に支払い義務が発生すれば、支払いを期限の日時までに、三回で延べ払いの履行する義務を負うのである。
 これに嵌まって苦慮する者もいる。そうなると商いは自転車操業的になり、経済的に不自由を強いられて行くことになる。最悪のコースと言えよう。
 しかし、物は考えようである。

 最悪のコースを経験することにより、場の空気に鍛えられ、したたかになって行く逞しさも生まれる。決して悪いこと尽くめではない。
 ピンチをチャンスに捉えることが出来れば、状況は一転する。奮闘する以外ない。
 もし、これを一つの試煉
(しれん)として捉え、真物を検(み)る眼を養えば、それはやがては、真物を知る客を裏切らないような眼力を身に付けることにもなるのである。

 しかし、これには場数を経験する必要がある。場数を数多く踏めば、それなりに智慧も着く。独自の戦法を編み出すことも出来る。
 眼の勝負の醍醐味だ。
 ギリギリの線まで追い込まれて、やっと成就する過酷な試煉を必要とし、最終的にはその人の器の大小に関わることであろう。
 この世界で大成するか、そうでないかは、その人の物事の考え方による。



  運気     八門人相     房中術     癒しの杜     菜根譚     小説     会報Back No.     合気     蜘蛛之巣伝     死の超剋     霊的食養     心法